短編小説

嘘 優しい手。 甘い髪の香り。 穏やかな瞳。 静かな言葉。 柔らかな唇。 鏡に映るあなたの横顔。 震える指先。 暖かい肌。 掠れるような悲鳴。 止まる事の無い熱さ。 乱れた鼓動。 墜ちる世界。 時計の音。 窓の外の雨。 胸の奥の痛み。 終りを告げる溜息。

転生 私は歩く。誰もいない道を 日差しに目を細め、風に裾を遊ばせ。 私は帰る。いつもの場所へ。 そして、あの人は微笑んでくれる。 「おかえりなさい」

雫 霜月の白さに見ゆる秋桜。 まだ見ぬ触れぬ君の肌。 愛し恋しと鳴き唄う。 わが身をなぞる指先が、終の逢瀬を待ち侘びる。 狂えし想い果てぬと言ふ。 いま愛しさを言葉にすれば罪となり。 想い殺せば嘘となり。 現の夢と耳を塞げば、この目に映る幽玄の月…

盃 まだ青い空の下、ぼんやり浮かぶ、あの月を酒の肴に呑もうじゃないか。 おいらとあんたの間には、徳利一つと盃一つ。 浮世の愚痴でも言いながら、膝突き合わし、呑もうじゃないか。 湿っぽいのは苦手だが惚れた女の話しもいいねぇ。 月を浮かした盃を見て…

錆びた天使 無様に散らばった星が輝いていた。 空には雲は無かった。 地平線を包み立つ雲は霞み、その彼方にある淡い光を呑み込んでいた。 星は……重なり輪郭を無くした星達は、光の濃淡と化し、ここに星座の意味は無かった。 風は凪ぎ、静かに天に帰ろうとし…

めぐり逢い いくつもの偶然が重なり、僕等はここにいる。 愛することが罪ならば、君とめぐり逢うことは無かったはずだ。 道はいくつにも別れ、寄り添い、また離れて行く。 僕はそれを運命と思わない。 きっと どこかで君と出会っているのだから。 君を愛して…

狂花 桜。 桜。 春、マダ早イ。 桜。 桜。 早咲キ桜。 憑カレタ様ニ狂イ咲キ、淡イ陽ヲ浴ビ、ソノ身ヲ燃ヤス。 桜。 桜。 春、マダ早イ。 花凪、草薙ギ、鬼ガ追ウ。 狂ッタ花ガ鬼ヲ呼ブ。 陽の暖かさを知らぬ白い花は、美しくも有り、醜くも有り。 其れを美…

言葉 言葉。 私の言葉。 言葉。 あなたの言葉。 凸凹で不格好な言葉。 凸凹で不格好な心。 でも、凸凹だから、あなたの言葉が私の心に綺麗に重なるときがある。 神様はそんな小さな奇跡の心と言葉を凸凹に作られたのだろう。

軌跡 焼けた線路の匂い。 有刺鉄線に忘れられたままの早贄が薄い雲を呼び、遅咲きの桜を散らす。 薄紅に染められた白い花びらは風に舞い、地に落ちて、汚れた物のように捨てられる。 風に触れられ流れる私もいつか汚れた物として、貴方に捨てられるのでしょ…

浄罪 この坂を登る度に思い出す。 償う事の出来ぬ罪の数々。 盗み、犯し、殺す。 生きる為の時もあった。享楽の為の時もあった。 だが、それが罪の本質を変える事は無い。 深く影を残す太陽は自虐さえも許さず、私の背を追い続ける 逃げる為に身体を寄せた女…

遺書 目に映る全ての物が、僕を拒絶しています。耳に聞こえる全ての音が、僕の神経を逆撫でします。 肌に触れる大気さえも、僕を傷付け嘲笑います。 繰り返し刻まれる時計の音が誰もが平等なのだとうるさいです。 傷付けられているのではなく、自分で傷付い…

花 今日、一面に咲くコスモスを見ました。 あなたに、この風景を見て欲しいと思いました。 秋の風が、強く花を揺らしていました。 花は、自らが散ることを知っているのでしょうか。 枯れるほどに、焦がれる想いがあるのでしょうか。 人は手折る痛みを知りな…

愛噛 長い髪を撫で下ろすように、僕は君を抱き寄せる。 震えているのは、君の肢体……僕の胸。 微かに冷えた君の頬を肌に感じながら、その髪の甘い香りに包まれていく。 ゆっくりと呟くように動く君の唇に、僕の中の獣が騒ぎ出す。 凍える指先で頬に触れ、その…

夜想曲 土を踏む音が夜に反響していた。 空の月は白く、僕の後を追うように浮かび続ける。 波のような秋の虫の音。思い出したように風が凪ぐ木々の葉の音。 僕は時折、後ろを振り返り……また、足を進める。 流れる雲は明るい月に白く照らされ、星の無い空をよ…

薄紅 都会の片隅の……そう、街とは言えないような片隅のアパートの一室で、私は出勤の準備をしている。 小さな鏡の前で薄く化粧をし、口紅を引く。 ティッシュを一枚、軽く唇に当て、母の手紙を思い出していた。 新米と一緒に送られて来た手紙。 今年の二月、…

失恋 長い坂をあたしは駆け下りていた。 町を見下ろせる高台にある公園が緩いカーブの向こうに消えていく。手に持った学生鞄を大きく振り、スカートの乱れも気にせず、ただ走り抜けて行く。 唇を噛み、足元だけを見て、赤くなった頬を滑る風の音だけを聞きな…

蝉時雨 正午を3時間も過ぎると、多少は日差しも衰えてくれればいいのに……。 私は背の高い隣家の庭木の木陰になった縁側に座り、栞を挟んだままの文庫を横に、ぼんやりと白い入道雲を見ていた。 久々の帰郷。でも、今日は私の他に誰も家にいない。 静か過ぎ…

one coin.one drink. 磨き終えたグラスをカウンターに置き、彼は次のグラスを手に取る。 編み篭を模した暗い照明の下では、完璧に磨き上げたグラスもくすんで見えた。 最初の客が来るまで、まだ数時間はある。その客の数倍は騒がしいアルバイトの娘たちが来…

残暑お見舞い申し上げます。 私の前に一匹の猫がいた。細身な三毛猫で、首輪はしていないが、どことなく家猫な風情を感じさせる猫だった。 人に慣れた目をして、私を見上げているから、そう思ったのかもしれない。 美猫と言うには、やや顔が丸く、目も垂れて…

nostalgia 縁側を歩いていると、ついつい庭で鳴き狂ってるセミに恨めし気な視線を送ってしまう。 この暑さはセミの所為じゃないし、セミが鳴いたからって気温が上がるわけじゃない。そんなことはわかってるのに、苛立つのは不快指数と体感温度が上がるからだ…

もざいく ふとした……季節の薫りに、無くした景色を思い出します。 柔らかい陽射しは輪郭を溶かし、静かな風は湖に小さなモザイクを作り、私の髪を揺らしてました。 小石を波が洗うころころとした音。 あなたが何かを囁いています。 その聞こえない声に、わた…

モザイク 書き終えた手紙を風が飛ばし、私は筆を置いた。 数枚は椰子の枝に捕らえられ、残りは……海まで届くだろう。 出すつもりで書いた物ではない。 手元に残った手紙に心を悩ます事のないようにしてくれた、気紛れな風に感謝すべきなのだ。 よく晴れた空だ…

眩暈 私は、誘蛾灯に誘われる虫です。 この身が焼け、地に落ち、略奪者である蟻達に全てを奪われると知りながら、淡い光の下で踊る哀れな虫です。 蟻達は、私の身体から奪い取った美しい燐粉に飾られた羽を恭しく捧げ、どこまでも行列を作るでしょう。 その…

魔弾 その部屋は静かで、無機質な印象を与えた。 僕が座っているソファは柔らかい岩で、テーブルに置かれたグラスの中身はプラスティックの偽物だろう。勿論、グラスに浮かぶ水滴もフェイクだ。 壁際に設置された本棚―高そうに見えるブリキの本棚―を飾ってい…

恋に咲く花があるなら ごめんなさい。 もう、あなたの言ってること何も聞いてないの。随分、真剣に話してるのね。 あなたのそんな顔、初めて見たわ。でも、おかしな話ね。別れ話になって、やっと真面目な顔を見るなんて。 あなたのその真面目な顔を、もっと…

河童-Round2- 私のことを憶えている人が何人いるだろうか? あれはもう何年前のことだろうか……私は野良仕事を前にして、河童に尻子魂を抜かれた男だった。 その昔……江戸時代や明治の昔なら、私は廃人として残りの生を終えていただろう。しかし、近代医学は尻…

河童 低い雲がその色を変えていく。今日は風が弱い。山肌を隠す霞も静かに動かない。 この肌に冷たさを感じさせる朝露も日の出と共に消えるだろう。 星が消え、空が青さを持ってから、どれほどの時間が経ったのか。 この日、今日というこの一日をここに座り…

in the rain 久しぶりの雨だった。 こんな日は一日ごろごろしてるのが良いと思うんだが、萌奈は俺を家から無理やり連れ出すように出掛けようと言った。 傘嫌いな俺に寄り添い、萌奈は二人が濡れないように傘を差す。 ここ数日、萌奈は口数が少なかった。機嫌…

月光 ごとん。 硬くあり軟らかくもある独特な音を残し、妻の頭は冷たいフローリングの床に落ちた。 薄く開けられたままの目は、まるで死体のような印象を私に与える。 いや……ある意味、死体であるのかも知れない。 細くしなやかなブロンドの髪。象牙のような…

魔性の夜 荒い息が落ち着くのを待たず、彼が私の上で身体を起こした。 「んっ」 腰が引かれると同時に身体の中心から抜け出る感触に自然と声が漏れる。その声も聞こえなかったように彼はベッドに腰を掛け、脱ぎ散らかした服からジーンズを取り出し、それに足…