scene-17
 
 
 ドSの注文を手に戻ってくると、ヤツは堂々と僕のポテトを摘んでいた。
「ちょ、お前、誰のポテトを食べているんだよ?それは僕のだろ!」
 僕の声を聞き、嬉しそうに口を歪めてドSは振り返る。
「おや?君は己の事を『僕』と呼んでいるのかい?」
 しまった。と思ったが、もう遅かった。ドSは目を細めて、いやらしく僕の姿を品定めするように見ている。
「まぁそんなに怒るな。たかがポテトじゃないか。……シェイクを飲んでいないだけまだマシだろう?」
 トレイの上のシェイクを指先で弄びながら、そんなことを言う。ってか、喉が乾いてたら平気で飲みそうで怖いんだよ。
「ほらよ」
 僕のトレイから手を払いのけるようにドSの前に新しいトレイを置く。
「ご機嫌が斜めのようだな」
「誰のせいだよっ!わざわざお前の分を買ってきたのに、なんで僕のポテトが奪われてるんだよ。わけわかんないよ」
「怒るな怒るな。じゃぁ、お詫びに一つどんな質問にも答えてやろう。この宇宙の真実から今日の私の下着の色まで……どんな質問でも、だ」
 ハンバーガーの包みを開けながらドSはそんなことを嘯く。
「ふざけるんな。お前のパンツになんか興味はない」
「おや?このハンバーガーはパイナップルが挟まれていないようだが?」
「だから、僕と同じのでいいかって聞いただろ?僕のを見ろよ。どこにもパイナップルは挟まれていないだろ」
 僕のハンバーガーを見てドSは露骨にションボリと肩を落とす。ってか、パイナップルが欲しかったのか?アレはデブ御用達だ。そんなの食べてたら太るぞ。
 自分の席に座り、ハンバーガーに齧り付く。何度か咀嚼しふと聞きたいことがあったことを思い出す。
「そういや、一つ聞きたいことがあったんだけど」
「なぜ私がお前の疑問に答えねばならんのだ?」
「いや、お前いま何でも答えるって言ったじゃん。言った端から言ったことを忘れてるんじゃないよ。記憶力ないのかよ」
「パイナップルをケチった奴には何も教えぬ」
「どんだけパイナップルが好きなんだよっ!」
 ドSは拗ねたようにぷいっと横を向く。
「ま、とにかく前から気になってたんだ。教えてくれよ」
 仕方なさそうにこちらを向き、ドSはハンバーガーに一口食べる。
「ここに落とされる前に僕はどこかの深夜の街にいたんだ。その……死んだ後でだ」
 ちらりと目を瞼を上げ、ドSは続きを誘う。
「そこには誰もいなくて、いや、僕の前には出てこなかっただけかも知れないけど、とにかく誰の姿の見えなかったんだ」
 シェイクを一口飲み続ける。
「それでちょっと歩いた後で……女の子に出会った。初めて会った子だ。んで、その子に撃たれた。撃たれて殺されたと思う」
 ドSのポテトに手を伸ばし打ち落とされる。諦めて自分のポテトを食べる。
「って記憶があるんだけど、あれって事実なのかな?」
 ズズーッと音立ててシェイクを飲み、ドSは一考しているようだった。が、あっさりと答えた。
「強欲の罪だな。他者から奪い奪われる地獄だよ。君は強欲の罪で……分かりやすく言うと修羅の地獄に落とされたんだ」
「修羅の……地獄?」
「そして、そこで何もしなかったので怠惰の罪で、ここに落とされたのだよ」
「いや、だって、何もしなかったって言われても」
「しなかったのだよ。君は自らが拳銃を帯びているのに他者に撃たれる可能性を考えずにその者の前に立った。それとも、君は何かをしたと言うのか?」
 ポテトを手にドSは言う。
「警戒はしたのか?罠を探ったのか?逃げた?いや、君は何もしなかった。何もせずにただ撃たれて死んだのだ。だから、怠惰の罪でここに落とされたのだ」
「じゃ、ちょっと待てよ。僕はあのとき彼女を撃てば良かったのか?」
「ま、それも正解の一つだな。生き残るための行動だよ。それを一つもしなかったので怠惰の罪でここにいる。ここにいる者は生きるための努力を怠った者だからな」
 ちらりと僕は店員の方を見る。いや、店員はNPCだから違うのか。
「も一個、質問」
「だが、断る」
 あっさりと却下された。こうなったらこいつは口を開かないだろうな。断罪の執行者のこととか聞きたかったのにな。
「しかし」
 溜息を挟み、ドSは言う。
「君といい、あの妹といい、君らはどうして死ねない身体になりたがるのかね?ん、いや、あの妹は違ったか。確か……死体を運び込んだ馬鹿がいたんだったな」
 死ねない身体。……この風紀委員の身体のことか。僕もそうだが、真帆もほぼ風紀委員の肉体だからな。いや、真帆の方が肉体的に風紀委員に近いだろうか。
「グールがゾンビになっているだけで、もう十分に死に難いというのにな」
 え?
「何を言っている?」
「ん?ああ、君らは知らんのだったな。ここにいるゾンビは元々はグール、屍食鬼なのだよ」
 ドSがシェイクを飲み続ける。
「人を襲い、殺し、その死肉を喰らう鬼だよ。鬼というだけあって、その運動性能は人を凌駕している。何しろ、君ら生徒はたった一匹のグールも未だ殺せずにいるのだからね」
「たった一匹のグール?」
「君らが大仰にも断罪の執行者と名付けているそれだよ。あれはこの世界で……今のところ最後のグールだよ」
 ドSが言うには断罪の執行者はグール、屍食鬼、餓鬼と呼ばれる者であり人の常識を超えた頑丈さがあるらしい。
「何しろ、君らの遭遇レポートを読めば、やれ、バズーカで粉々にしたのに仮面だけで追い掛けてきただの、何もないところに仮面だけが浮かび、見えない攻撃をしてきただの」
 呆れたようにドSは両手を上げる。
「そんなホラーな存在がいるはずがないだろう」
 いや、この世界そのものがホラーだろうが。
「あれは君らの常識が見せている錯覚だよ。バズーカで撃たれれば粉々になる。銃で撃てば傷ができる。高いところから落ちれば肉体が破壊される。そんな人の常識が見せる齟齬があれの不死身の正体だよ」
「え?じゃぁ……」
「そう。正しく見れば、あれは何も破壊されてはいない。あれは無傷で立っているのだ。ま、付けていても、せいぜいかすり傷程度だろうね」
 無傷。あれだけの攻撃を受けて無傷だと?
「まぁ。たった一匹のグールでもあれだけの戦闘力なのだよ。もし、それが無数に群れて襲いかかってくれば……想像付くだろう」
 ドSはハンバーガーを食べ終わり、丁寧に包み紙を畳む。
「一瞬で、この世は地獄さ」
 そう言い、何がおかしかったのか。ドSは自嘲気味の笑みを漏らす。
「ふっ……地獄、か」
 シェイクとポテトの袋を持ちドSは立ち上がる。
「あぁ、そうだ。時間があれば以前君が入院していた、じゃない。そう出島の中央にある総合病院に行くと良い。今は市民病院と名前を変えているところだよ」
 くすくすとドSは嫌な感じに頬を歪め言う。
「三階に嫌なものがあるよ。私のような地獄を愛するものにとっては悪夢のような光景が見れると約束しよう。では、また会おう。ハンバーガー、美味しかったよ」
 派手なウインクをしてドSは立ち去る。が、はっきり言って二度と会いたくないね。ハンバーガー代を返せと言いたい。僕のお金じゃないけど。
 僕は自分のトレイとドSのトレイを重ねて片付けようと振り返る。
「と。それと」
 背後にドSが立っていた。
「ぅわっ!」
 驚いた僕は、派手にトレイの上のものを床にぶち撒ける。
「言い忘れたが、死にたくなったらいつでも来たまえ。特殊なウィルスを仕込んだ徹甲弾が我々の装備にあるからね。風紀委員を殺すためのものだよ。だから……たっぷりと苦しみながら死ねること請け合いだよ」
 空になったトレイを手に僕は眉間に縦皺を寄せる。
「では、また会おう」
「やだねっ!」
 ゴミを拾いながら僕は罵る。誰があいつに好き好んで殺されるんだよ。絶対に嫌だね。あいつのことだから嬉しそうに笑いながら殺しに来るに決まっている。
 そんなのは、絶対に嫌だった。
 
 
 午後になって僕は市民病院に向かった。
 ドSの言う通りにするのは癪だったが、まぁ……することもなかったので、軽い散歩気分の暇潰しだ。
 午前中で診察受付は終わっていたが患者の姿はまだちらほらと見える。暇そうなじーさんやばーさんの姿が目立つ。ってか、すっげえ元気そうなんですけど。
 言うことを聞かない孫娘をなんとかしたいとか言いながら、どうみてもやに下がってますよね。携帯電話の写真を自慢気に隣のお爺さんに見せながら「困った。困った」と繰り返している。
 困っているのは隣のお爺さんだろう。ってか声がでかいんだよ。聞きたくないんですけど、そんな孫自慢。
 横を通るときにちらっと携帯電話をみたけど、生憎と孫娘の写真は見えなかった。
 待合室の注目を集めるお爺さんはそろそろ声量に気を付けなければ看護婦さんに怒られるぞ。ほら、向こうでにこにこと微笑んでいらっしゃる。
 エレベーターの上を押し、来るのを待ちながらお爺さんを見る。孫自慢がどう移ったのか奥さん自慢に変わっていた。しかも携帯電話の写真を隣のお爺さんに見せているっぽい。
 携帯電話に写真とかどんだけ奥さんが好きなんだよ、じーさん。
 エレベーターが来て、僕は乗り込み、三階を押す。
 と……え?
 お爺さん?
 心に浮かんだ疑問に顔を上げる僕の前で、エレベーターのドアは静かに閉まった。
 いや、おかしいだろ。
 なんでお爺さんがいるんだよ。そんなはずはないだろう。生きている人は学生でNPCも中年までのはずだ。
 明らかに今のお爺さんは老人だぞ。どう若く見ても六十歳は超えている。
 なんで、なにが起こっている?
 そして、僕は気付く。
 病院の三階。それは産婦人科がある場所だと。
 産婦人科
 いやいやいや。ないないないない。あの産婦人科だぞ。
 あり得ないだろう。
 チーンと軽いチャイムの音と共にドアが開き、僕は三階に下りる。
 消毒液の匂いに混じって、微かに魚とは違う生臭さがある。芳香剤で隠してあるが動物的な獣臭さというか迷いようもない肉の臭いがあった。
 ナースセンターの奥にガラス張りの部屋があった。看護婦さんが暇そうにのんびり仕事をしているその部屋には「新生児室」と表記がされていた。
 中には、やっぱり赤ちゃんがいるんだろうか?
 確かめる勇気が僕にはなかった。
 ここで、地獄で、子供が産まれる?
 絶対にあり得ないことだった。
 ここに人は落ちてくるんだ。産まれるんじゃない。ここに、地獄に落ちてくるんだ。
 産まれる?産まれたっていうのか?じゃ、どうするんだ?人は……寿命が来て死ぬのか?
 人は生まれ、死ぬのか?まさか。そんなの……まるで現世じゃないか?
 呆然とする僕の横をすり抜け、一組の男女が新生児室の前で立ち止まる。
「見て下さい。これが新生児……赤ちゃんですよ。可愛いですねぇん?ほぉ、これはこれは。可愛いですね」
「なぜ言い直したんですか。っていうか、気持ち悪いです。ガラスに触れないで下さい。公序良俗に反します」
 ガラスに触れようと伸ばした手を止め、うっとりと男は呟く。
「こんなにも愛らしいのに……私にはガラス越しでも触れるな、と貴女は言うのですか?」
「見るのもやめて下さい。赤ちゃんが腐ります」
「大丈夫ですよ。防腐剤は十分にあるはずです。何しろここは病院なのですよ」
「どうして病院に防腐剤があるのかはともかく、赤ちゃんに防腐剤を使わないで下さい」
 藤堂史郎時貞と北条真帆の二人だった。どうやら視察に来ているらしい。
「でも、どうしいてここに来て赤ちゃんが生まれ出したんでしょう?」
 真帆が藤堂に尋ねる。
NPCの老化や火葬場が発生すなど、まるで人が死ぬ準備がなされているようです」
「時間……二種の時間の流れが同時進行していると考えられますね」
「二種?」
NPCの生まれてから死ぬまでの時間と生徒たちの止まった時間です」
 でも、と藤堂は続ける。
「それらの時間の流れが何を意味するのかは分かりません。どうして二種の時間の流れが必要になったのかも分かりません」
 遠くに眺めている僕の目には藤堂の背中は小さく見えた。
「それでも新しくなったこの世界で、私は貴女に生きて行って欲しいと思うのです」
 ピクッと僕はその言葉に顔を上げる。
 生きて行って欲しいだと?
 そう思った瞬間、つい、と真帆が僕を振り返った。
 しまった。瞬間的に殺気を出し過ぎた。いや、ここで殺気を抑えるのも不自然だ。少なくとも隠れる場所のないここだ。振り返った真帆の目には僕の姿がばっちり見えている。
 どうする?
 幾千の選択肢が一瞬で僕の脳裏を駆け抜けた。
 真帆が僕に近づこうと一歩踏み出した瞬間――
「ま、負けないんだからっ!」
 意味不明な言葉を叫んで僕は、その場を走り去った。
 エレベーター横の階段へと姿を消す。
 どうだ?これで誤魔化せたか?生徒会長に憧れた女生徒を演じてみた訳だが……。後を追って来ないと言うことは成功したのか?
 それでも真帆の運動性能では追い付くのは一瞬なので、立ち止まらずに一階の待合を抜け病院をそのまま飛び出す。
 途中、看護婦さんに病院を走らない!と注意を受けたが止まれと言われて止まれる馬鹿はいない。
 女の子走りで百メートルほど走ってゆっくりと僕は止まる。どうやら無事にその場を逃げ出せたみたいだった。
 多分、藤堂にいらぬ誤解をされたのが腹立たしいが、背に腹は変えられぬと言うし……まぁ、良しとしよう。
 とぼとぼと歩き出しながら僕は考える。
 どうしてあの瞬間、殺気を抑えられなくなったんだろう。生きて行って欲しいという言葉を聞いた瞬間に。
 人を勝手に人殺しにしといて……その裏で生きて欲しいとか願っているからか?
 それとも誰もが死に向かっているはずの地獄で生きて欲しい願っているからか?
 ……どっちも、だ。
 藤堂にそんな事を願う権利はない。少なくとも誰が認めようと僕は認めない。
 そして、あの子……名前も知らない僕が出島に運んでしまった女の子は死を望んでいるはずだ。
 少なくとも今の人形のような生を求めていたとは思えない。
 真帆……。僕の目には彼女が自由意志を持って生きているとは思えなかった。
 反応はある。意志もあるように見える。しかし、それらはプログラムされているだけじゃないのか?
 藤堂と一緒にいる真帆はまるで自動人形のように僕には見えた。
 それも……僕の気のせいだろうか?藤堂が嫌だから何もかもを否定したいと思うから、真帆をそんな風に思うのだろうか?
 それでも、僕はさして意味もなく小石を蹴る。
 真帆を殺そうと思った。
 彼女を藤堂の自由にはさせさい。彼女を殺し、二度と生き返れないように殺して尽くしてやろうと思った。
  
  
 学校に戻ると朽木がどこからか持ち込んだカブをバラしていた。いや、修理しているのか?
「なにやってんだ?」
 見ると手元にバイクの部品と一緒に食べかけのアンパンと牛乳の便があった。行儀悪いってか不衛生だろうが。
「いや、こいつを動くようにしたくてな。市街地から持ってきたんだがな」
「あそこにある車とか動かないだろ?」
「いや、プラグとか交換したらいけるかな、と」
「ふぅん。でさ」
 出来るだけリラックスした声で話を続ける。
「真帆を殺すよ」
 朽木は何も答えない。ただその手は変わらず作業を続ける。そして、ぽつりという。
「そっか」
「うん。そうだ」
 僕は力強く答える。
「ところで、な。このカブ……お前の足な」
 は?
「目が点になったわ。乗れるわけねえだろ。僕はスクーターにも乗ったことがないんだぞ」
「じゃ、練習しろ」
「いや、無理だって」
「乗れるまで特訓な」
 レンチで肩を叩きながら立ち上がる。
「最高速度六十キロで走ってギリギリだからニケツするわけにも行かねえんだよ」
 ニケツ?
「とにかく。次の新月までに特訓してでも乗れるようになってもらう」
 いや、意味分かんないし。
「大丈夫。大型乗ってたヤツが教えてくれるから。ナナハンだぞ、ナナハンライダー」
「いや、それカブだよね?ナナハン関係ないよね?」
「はっはっはっ」
「いや、笑って誤魔化すなよ」
 藤堂も腹立つけど、こいつも十分に腹がつ。ってか、殺したい。