scene-18
 
 困った。いや、別に困ってないけど……まぁ、困ったなと思う。
 よく考えたら呼び名を知らなかったが、朽木のグループが壊滅させられたのだ。
 僕は運良く整備の終わったカブに飛び乗り早々に逃げ出せたが、他の面々は壊滅させられたようだった。
 逮捕、捕縛ではなく壊滅と言ったのは、ぶっちゃけ虐殺されていたからだ。
 多分、生き残った者はいないだろう。ってか、あの日からグループのメンバーとは誰とも出会っていない。
 僕が見逃されたのは、僕の顔が学校の名簿には載っていないからだろう。それとメンバーの皆が口を噤んでいたのだろう。
 律儀なやつらだと思う。ま、僕が最後の一人になるのは予想できたのだから、喋らないのはあいつらなら当たり前なのかも知れない。
 しかし、全員を学校のグランドに引き摺り出し、その場で一人ずつ銃殺にするってのはエグイよな。
「何か隠している事はありませんか?教えていただけたら……ここに残された方々の復学を認めましょう。つまり、最後のチャンスを上げましょう。どうです?」
 藤堂がそう言ってたけど、自分の命だけじゃなく仲間の命も秤に掛けようってのがいやらしいよな。
 ま、それでも誰も口を割らなかったのは、あいつが信用されていないからだろうな。生半可な人望のなさじゃないからな、あいつ。
 その後、拠点にしていた学校は襲撃の傷跡を消すように再び整備され、そこを中心に町が開かれていった。
 まだ治安は良くないが(ゾンビがうろつくのを治安がよくないと言うのなら)、学校周辺の商店街や学生寮など徐々に町は広がりを見せていた。
 寝床を失くした僕は町外れの(かなり治安の悪い地域の)……何だろう?寝泊りのできるビデオショップ?ネットカフェ?マンガ喫茶???そんな変な感じの店を寝床にしていた。
 ちなみに、メンバーカードの会員になれば割と自由に部屋を取れた。ま、空き部屋があれば、の話だろう。いっつも空きだらけだが。
 あ、メンバーカードの会員証は偽造の学生証であっさり作れた。この時ばかりは朽木に感謝した。カブも有難かったが。
 あの日から僕は、夜は寝床代わりの変な店に帰り、昼間は広がった住人の生存範囲を探索して回っていた。
 
 暇を持て余した住所不定無職の未成年風な感じで、軽やかな足取りで階段を降りて店の外に出る。
 僕の生きていた時代ならフリーターの女の子って感じだろうけど、この時代ではまだフリーターは一般的じゃなかったように思う。
 ちなみに……二階が店の入り口で、普通の客はエレベーターを使う。僕はエレベーターの扉が開いたら銃口を向けられたっていうパターンが嫌で階段を使ってる。
 大丈夫だとは思うけど、さすがにあの虐殺シーンを見た後では小さな箱の中に自ら閉じ込められようとは思わない。
 普通の雑居ビルの一階フロアに出る。一階はテナント募集中で床もなんだか埃っぽい。だから、この店の怪しさは半端ないんだよな。床ぐらい掃除すればいいのに。
 雑居ビルの外、じめっとした暑さの外に出る……と、いつものように黒い犬が待っていた。
 犬。黒い柴犬である。けど、僕は柴犬に知り合いはいない。
 いや、そもそも、猫派である僕は犬に知り合いはいない。猫派……猫好き、だよな?いや、犬も嫌いじゃないよ。コーギーとかハスキーとか好きな犬種もあるよ。
 でもなあ。ぶっちゃけ黒柴は好きじゃないんだよね。
 好きじゃないし好かれる理由もない。
 なのに、この犬はいつも僕を待っている。ってか、付きまとわれている。今日、どこかで撒いても、翌日にはまたここで待っているはずだ。
 生前、僕の飼っていた猫が生まれ変わり、黒柴になって僕を守護するために顕現したって……ないないない。
 僕の愛した猫ならばシベリアンハスキーになっているはずだ。僕に愛されるためならなっていてくれているはずだ。
 よしんば柴犬になっちゃったにせよ。柴犬なのは仕方ないとしても黒はない。黒猫は好きだが黒柴は嫌いなのである。柴犬なら茶色がいい。茶柴なら許す。
 僕の愛した猫たちが僕の好きじゃない黒柴になるなんてあり得ないと言いたい。いや、絶対にあり得ない。
 だから、この犬は僕の知り合いじゃない。知り合いじゃないはずだ。ないはずなんだけどな。……でも、だったらなぜ?僕に付いてくるんだ?
 僕は横目で黒柴の様子を見ながら、犬の横を擦り抜けていく。真正面に座られていたから、僕が横に避ける形だ。
 僕の歩調に合わせ、黒柴は静かに立ち上がる。その無駄の無い動きは訓練された犬の動きに見えるんだけどなぁ。
 ま、こいつが何者なのかはその内わかるんじゃないかな?わからないかもだけど。
 黒柴と一緒に商店街のアーケードの下を歩く。ま、アーケードって言ってもテント地の雨よけが貼ってあるだけの薄っぺらい天井だけど。
 梅雨っぽい湿気に人気の少ない埃っぽさもあって、閉まったままのシャッターが多い商店街は、どことなく不衛生な感じだ。
 ふと気になって細い路地の奥に目を向ける。止めた足を半歩戻し路地に奥をしっかりと正面に見る。見る……が、何だ?
 黒柴も僕の足元に来て、一人と一匹で一緒に何もない路地に奥を見る。
 何が気になったんだ?路地に奥に不審な物はない。背の低い商店風の建物と建物の間の普通の路地だ。
 ここに来るまでに何度も素通りして来た路地と同じはずだ。なら何故、ここで足を止めた?
 そう。まるでそこにゾンビでも立っているかのような不安感がある。思わず路地に突っ込んで拳銃を「それ」に向かって乱射をしたくなる。
 が、「それ」はどこにも見えない。そこにあるはずの脅威が見えない。
 目を眇め、僕はもう一度路地の奥を見る。
 濃いグレーの湿っぽい路地だ。日も射さない埃っぽい路地の奥だ。
 僕は諦めて顔を商店街に戻す。見えないモノに神経を使うのは時間の無駄だ。僕は疲れたように目頭を揉む。
 やっぱ、例の虐殺を見た後だから神経質になっているのかな?
「行こか?」
 無意識に黒柴に声を掛け、僕は誰の姿も見えない商店街を歩きだす。
 
 商店街の奥にその店はある。
 中華飯店『湖畔』である。
 その店の内外装にそぐわない優美な店名である。
 そう、湖畔は不愛想な両開きのガラス戸の入り口にその店内の様子を隠すような暖簾のある店だった。
 その濃紺の暖簾に書かれた白い店名が『湖畔』である。
 僕は黒柴を店の外に残し(飲食店だから動物の入店は原則禁止だ)、客の入りを見ながら店に入る。
 今日も僕以外の客の姿はない。
「いらっしゃいませ〜」
 店のお姉さんの声に軽く会釈をして、入り口傍の席に座る。
 ま、いつもの席だけど。
 この薄っぺらい内装だと店のどこに座っても即死確定だからな。バズーカ砲どころか普通の拳銃でも壁越しに狙えるからな。
「いつもの?」
 明るくお姉さんに聞かれ、「うん」と僕は答える。
「いつもの。超ハードで」
「超ハードなんかないよ」
 お姉さんが笑いながら言い、僕も自然と顔をほころばせ……ガラッと店のドアが開かれると同時に無表情になる。
 それはその奥に立つ新たな客が誰なのかを知ったからではなく、他の客の前でにやにや笑っている顔を見られたくないからだった。
 実際、入り口を背に座っている僕には客は姿は見えない。ってか、見たくない。ワタシハシラナイヒトデス。話しかけるな……頼むから。
「おや?おやおや?珍しいところであうな?」
 僕はゆっくりと振り返り、顔を苦々しく歪める。
「ナンバー……10524」
「その変なナンバーで僕を呼ぶな」
 ふむ、とドSは面白そうに微笑む。
「では、どう呼べと?」
 お前にはどんな名でも呼ばれたくない。と言いたかったが、無駄な会話が長く続きそうだったから短く僕は答える。
「シゴ……だ」
「死後?」
「死後じゃない。死語でも死期でもない。カタカナでシゴだ」
「ふむ。変わった名だな。まぁ良い。さて……」
 と、ドSが壁にあるお品書きに目を向けると同時に僕は言う。
「奢らないぞ」
「……」
 ドSの動きが止まる。と同時に真っすぐに僕を見つめる。穴の開きそうなほど強い視線だった。そしてその視線をついっと店の入り口に向ける。店の入り口、店の外で待つ黒柴に視線を向ける。
「外に……黒い柴犬がいたが?あれは君の犬かな?」
「違う。あれは僕とは無関係だ」
 いや、実際に僕とは無関係だけど、こう聞かれると何か関係があるみたいじゃないか。
「首輪をしていなかったな。この界隈には珍しい野良犬かな?」
「さあな。知らない」
「野良犬なら……捕まえて殺処分だが……さて……どうしたものか、な?」
 にやにやとドSは僕を見る。
 勝手にすればいいだろ、と言い掛けたとき「チャーメン、お待ちぃ」とお姉さんが僕の前に注文のチャーメンとウスターソースを置く。
「あ、私もそれと同じ物を」
 と、ドSが当たり前のように僕の前に座る。
「ここで食事をする間に……詰め所に野良犬の報告を忘れる事になりそうだな」
「いや、忘れるなよ」
「ふふん。そう言うな」
 ドSは僕の顔を見らながらにやにやと笑う。はっきり言って、いやらしい顔だった。
 こいつの相手は腹が立つので黙っている事にする。
 そして、無言のままドSのチャーメンが運ばれて来るまで黙ってやった。
 黙ったままウスターソースをチャーメンにかけ、八宝菜風のタレを混ぜる。だが、混ぜ過ぎないように気を付ける。
 このウスターソースの中途半端な混ざり具合が僕の好みだった。
「それは……ウスターソースだろう?それに、これは揚げ麺か?」
 ってか、こいつ僕が何を頼んだのか解らないまま同じ物を頼んだのか。
「チャーメンだ。揚げ麺にチャンポンの具を掛けた料理だよ。ちなみに掛かってる具を八宝菜と言うと店の奥からオヤジが出て来て小一時間説教を食らう事になるから気を付けろ」
 不思議そうにドSはウスターソースを持ったまま料理を見ている。
ウスターソースは……ま、好みだな。僕は好きでよく掛けているが」
 ふむ、とドSはウスターソースを大量にぶちまける。僕はそれを見てうへぇと顔をしかめる。いや、明らかに掛け過ぎだろう。
「ちなみに、チャーメンは揚げ麺と柔らかい中華麺の二つから選べる。あと、チャンポン麺……汁有りのラーメンタイプと鉄板焼きの焼きそばも注文可能だ」
 ほほうと言いながら、もうしっかりとドSはチャーメンを食べている。
「色々とあるのだな」
「ま、この店の売りらしいけどな。売りって言えばこの店の炒飯と餃子も……」
 ん、ドSは顔を上げる。
「高菜が入ってて美味いぞ。って言っても奢らんぞ!金が無いなら注文すなよ」
「そう言うな。今日は金になる話を持って来てやったんだ。……聞くかい?」
 くっ……聞くなら炒飯もしくは餃子か。両方は金銭的に厳しいぞ。
「餃子……半分ずつなら」
「商談成立だ。すいませーん。餃子を一つ追加で」
 くっくっく、と喉の奥で笑いながらドSは注文をする。