Act −005
 
 床に転がされた中年の男が明るく喋るのを、少女は携帯電話を向けながら聞く。男は後ろ手に縛られ、足も頑丈なロープでぐるぐる巻きにされている。
 じっとりと嫌な汗が頬から落ち、床に染みを作っているのが僕の目にもわかった。
 少女が携帯電話を切り、緩慢な動作で立つ。通話は終わったようだ。
 相手を刺激しないように注意しながら、僕はまだ下を向いたままの少女に声を掛ける。
「あー……あのさ、千――」
「今世紀最後の……陰陽師、かぁ」
 僕の言葉を遮るように、その少女……千紗は言うと、手に持った携帯電話を無造作に僕の足元に投げる。携帯電話は僕の椅子まで音を立てて滑り……止まる。
 ちなみに、僕は椅子に縛られている。安物パイプ椅子に、手足を縛られて座っている。いや、この場合は座らされている、が正解か。
「さすがだよね、翔太。……結界が張られている店舗を根城に情報収集をする、かぁ……うん。かぁっこいい!!ほんと、さっすが過ぎて何も言えないよね?」
 千紗は言いながら僕と目を合わそうとしない。
「ほんっと、さっすが……」
 場所はコンビニの裏手にある倉庫……部屋の片隅には、ポテチや常温で保存の出来るスナック菓子などの入ったダンボール箱が置かれている。ちなみに、店の方は事故車の撤去はされたが、中はぐしゃぐしゃのままで進入禁止のロープが張られている。
 千紗はぶつぶつと何かを言いながら、倒れた中年の男の頭を蹴る。安物の肉を使った簡易の傀儡とは言え、見てるだけで痛そうだった。
 ぶっちゃけ殺されそうなほど、千紗の機嫌は悪かった。
 コンビニの店内に車が突っ込む事故の後、数十分でここに辿り着いたのが、その証拠だ。
 千紗は怒っている。
 情報収集の場としてコンビニの形を取れば良いんじゃないか、と提案したのは僕だ。街中で目立たずに必要な人間が出入りが出来るし、24時間営業だ。ただ……その性格上、必要な人間“だけ”が出入りをする。即ち……店舗としての売り上げは期待が出来ないけど。
 だが、それは納得をしたはずだった。売り上げは悪いが、その分出資は少なくて済む……はずだった。車が店に突っ込んで来るまでは。
「……って、聞いてるの!!」
 千紗に叫ばれ、僕は思考を中断……激しい銃声と共に中年の男の頭が跳ね上がった。
 いつの間にか、千紗の手の中に黒光りする拳銃が握られてた。
「痛っ!」
 僕の頭の中で激しい痛みが走る。
「あ、ごめんごめん。人形を壊されたら、それを使役している傀儡使いも痛みを感じる……だよね?」
 そう言った瞬間、千紗の手の中で拳銃が跳ね踊る。
 ドン!ドン!ドン!……と、人形が破損していくのに合わせて、僕の身体が痛みに暴れる。暴れ続ける。
「ん〜……これだけ痛めつけても、声を上げないのは大した物って褒めないといけないのかなぁ?」
 千紗は上機嫌に言う……けど、怒っている。これ以上はないくらいに怒っている。未だに僕と目を合わそうとしないのが、その証拠だ。
 気を付けろ、と僕は思う。
 今は辛うじて理性を保っているが、受け答えを間違ったら、その銃口が僕に向く。そして、銃口が向けば、千紗は躊躇いなく引金を引くだろう。
「千紗、聞いてくれ!」
 ん、と千紗はようやくその目を僕に向ける。……が、正直、後悔した。胡乱なその瞳の中に、誤魔化しようのない殺意の色を見たからだ。
 無駄な会話を省き、僕は命乞いをしたくなる。……なるが、それをすれば即この世とおさらばなので、命乞いはしない。したくても出来ない。
「コンビニに車が突っ込んだのは、事故に決まっている。運転手は無免許の未成年か何かで、現場を見て怖くなって逃げたんだ。……あの車は、盗難車だって警察も話してたし――」
 と、そのとき控え目にドアがノックされる。
 薄く開かれたドアの隙間から、色の白い少女が顔を覗かせ……静かに入ってくる。
 少女は後ろ手に締めると、姿勢を正して千紗に報告を始める。
 ……嫌な予感がする。
「犯人の身柄を確保しました」
 予感的中。って、何でこのタイミングなんだ。考え得る中で最悪のタイミングだった。身柄を確保ってことは、どっちみち警察には任せられない相手ってことだろう。
「名前はまだ吐きませんが……16歳の少女で……どうやら、教団の術者で、以前からこのコンビニを狙っていたようです」
 報告の途中で、ちらっと僕を見て、その少女…・・・沙耶はすぐに視線を千紗に戻す。
 逃げろよ、教団でその程度の訓練くらいしてるだろ!!手前がちゃんと逃げないと、僕の命に関わることくらい想像できないのか、バカヤロウがっ!!
 僕は顔も知らない相手を罵る。
「ふ〜ん、あっさり捕まったんだ」
「はい。どうやらまだ正式な術者として洗礼を受けていない者のようで……使い捨てにされたものと考えられます」
「その子は?」
 千紗は興味も無さそうに聞く。
「現在はコンビニの店舗で静かにしています。どうやら教団に見捨てられたのが……ショックだったようで」
「翔太が気になる?」
 沙耶の報告の途中で、千紗は苛立たしげに口を挿んだ。ちらちらと僕の様子を見ていた沙耶は、ビクッと身体を震わせる。
「気になるのは仕方がないけど、報告の最中に余所見をされると私の方も気になっちゃうんだよね。……逃げ出そうとかしてるんじゃないかって!」
 沙耶の方を向いたまま、千紗は僕に銃口を向ける。向けられた拳銃の引金に力が入っているのが、僕の位置からでも見えた。
「ところで、さ」
 と、千紗は視線だけを動かし、僕を見る。
「あたしが、すっごい怒ってる理由はわかってるのかな?かな?
 以前流行っていたアニメを真似て語尾を繰り返し、千紗は明るく聞いてきた。銃口は向けられたままだ。って言うか、さっきよりも微妙に引金が搾られている。
「…………」
 ぶっちゃけわからない。
 店に車が突っ込んで来て、なんで僕が椅子に縛られなきゃいけないんだ?さっきまで分かっていたような気がするが、今は銃口の方が気になる。
「なんで即答できないんだろ。ね、よく考えないと分からない問題だったかな?」
 徐々に引かれる引金に合わせて撃鉄が上がり始める。
「いや、ちょっと待て!それは洒落になってないぞ、おい。冗談じゃねえ……って、ちょ、マジか???」
 ゴリッとこ側頭部に銃口を押し付けられる。はっきり言って、微妙に見えない位置で頭を狙われるのは生きた心地がしない。
「ん〜〜……じゃ、沙耶も一緒になって考えてもいいよ。元マスターの死体なんか見たくないだろうしね」
 僕は沙耶に助けを求めるように見る。……見て、後悔した。沙耶の身体は小刻みに震えていた。
 傀儡である沙耶は術者の脳とリンクをしている。即ち、現マスターである千紗と繋がっているのだ。そして、沙耶が本気で怯えていると言う事は、千紗は100%本気で撃つ気だって事で……
「!」
 決して広くない部屋の中で、鼓膜が破れそうな銃声が響き渡った。横の壁に弾痕が穿たれる。
 僕は反射的に身体を前屈みにして、銃弾を辛うじて避ける。後頭部の髪の毛が何本か道連れになったようだが、まだ生きている。……が、そこまでだった。
 前屈みになった後頭部に拳銃が押し付けられた。
 千紗は静かな足取りで、拳銃を僕の後頭部に押し付けたまま、立ち位置を椅子の真後ろに変える。千紗が動くのに合わせて、グリグリと銃口が後頭部に押し付けられる。
 硝煙の臭いに髪の毛が焦げる臭いが混ざる。
「さて・・・…どうするの?翔太」
 逃げ場は無い。もう駄目だ。死にたくない。いやだ、まだ死にたくないんだ。
 冷静に考えれば、そんな事を思っている間に考えろ、と思うのだが、後頭部に銃口を押し付けられた状況でそんな事は不可能だった。
 家で僕の帰りを待つ妻の姿が脳裏に浮かんだ。
 姉さん。……正しくは、千紗の姉さんで、僕との間柄は従姉だった。いや、そんな事は関係ない。それよりも考えなきゃいけない。って、何を考えればいいんだ???
 僕は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、限界まで前屈みになる。
 さっきは避けれたが、今度はもう無理だった。絶対に回避不可能であり、この状況で運良く、なんて有り得ないことだった。
 終わった……。
 僕は覚悟を決め、固く目を瞑る。……と、そのとき、
「売り上げ」
 と、静かな声が囁いた。
「売り上げが、実質0円なのが……問題だと思われます。店舗が無事な内は、ある程度の出費は許容できますが、今回のような壊滅的に破壊をされれば、その金額は計り知れません」
 答えを言ったのは、沙耶だった。
 震えを我慢する沙耶の声が静かに響く。
「ふむ。……じゃ、どうすればいいの?」
 感情を抑えた声で、千紗が聞く。
「店舗に掛けられた結界を解き、一般客を招き、通常営業をする」
 通常営業???そんな事は不可能だ。だが、千紗は、
「正解」
 と、僕の後頭部に押し付けられていた拳銃を外す。
「ちょ、待て。千紗、通常営業なんて――」
「なに?」
 射抜くような瞳で睨まれ、僕は……飼い主に怒られた猫のように視線を外した。
「店長は、翔太……そこの出来損ないの傀儡みたいなのは使わずに、翔太がしなさい。……怠けてないで、自分で働け」
 千紗は、沙耶の横を抜けて、店舗へと通じるドアを開く。
「犯人の尋問をしてくる。……翔太を自由にしてやって、沙耶」
 そう言うと千紗はドアの向こうに消えた。……拷問の間違いだろうと思ったが、いらん事を言うのは避けた。死神を呼び戻すほど僕は酔狂じゃない。
 沙耶が転がるように僕の傍に来る。
 僕の足にしがみ付き、泣きそうな目をして見上げてくる。
「大丈夫だよ。僕は大丈夫だから心配しないで。……よく答えを導きだしたね」
 僕の太股に顔を押し付け、沙耶は声を殺して泣き出した。
 ま、千紗があそこまで怒るのは滅多に無いからなぁ。
 まだ縛られたままの僕はパイプ椅子の背凭れに背中を預け、目を閉じて深呼吸をする。
 しかし、コンビニとして通常営業するなら、店員の補充を考えないと無理だよな。……薫流でも呼び寄せるか。確か、あいつはまだ里見の村のコンビニで働いていたはずだ。
 忙しくなるな、と僕は密かに思う。
 某宗教団体の裏組織……通称:教団。
 それだけじゃない、他にも動き出したはずだ。
 霊的な存在を敵に回すだけじゃ、やっていけないようになってきた、って事か。
 ま、面白くなって来たって感じかな?
 僕の顔が暗い笑み浮かべるのと同時に……コンビニの方から派手な銃声が聞こえてきた。
「間違っても殺すなよ」
 と、僕は心の中で呟く。
 僕も聞きたいことが、山ほどあるんだからな。