第二日 昼 1.
 
 
 太陽の光を避けるように、僕は顔を下に向ける。
 固い床に額を押し付け……その痛みから逃れるように仰向けになる。
「ぅ……」
 微かに呻き、自然と腕が目を隠す。
 奇妙な違和感があった。
 固い、何か固い物の上で寝ているような違和感。……いや、それよりも靴?を履いたままなのか?
 いや、そうじゃない……違う。僕は寝ているんじゃなくて、倒れているんだ。
 僕は驚きに、大きく目を開く。
 天井が見えた。宗教絵画のような絵が描かれている。それに蝋燭のシャンデリア?
「な!?」
 驚きの声を上げながら身を起こす。と、上半身が軋むような痛みに悲鳴を上げる。
 それでも身体を擦りながら周りを確かめる。
 広いベッドがある。凝った壁紙がある。ソファと膝ぐらいの高さの机がある。毛足の長い絨毯がある。それと……ハンガー・ラックだろうか、帽子立てにも見える木製の家具がある。
 いや、部屋の中には、それしかない。
 部屋の中には、最低限の家具しかなかった。まるで映画で見た外国のホテルのような部屋だった。
「ここは……どこだ?」
 そこで僕はその部屋の中に違和感を感じる。いや、違和感ではなく……異臭だ。錆びたような臭い。動物的な生臭さが部屋の中に充満している。
 ぴちゃり、と指先がそれに触れる。
 驚き、恐れるように、指先を庇うように抱く……のをやめ、僕は音がするほど激しく息を吸う。
 僕の指先は……血で汚れていた。
 見ると僕の後ろ、倒れていた場所のすぐ近くに赤い血の海が広がっていた。
「!?」
 そして、その血のそばに……銃身の短い拳銃が落ちていた。
 まるで、誰かが僕を罠に嵌めようとしたみたいに見える。
 馬鹿みたいな反応だが、僕は本気で「これは違うんだ」と誰かに言い訳しそうになっていた。
 だが、それにしては……死体が無い。僕を犯人に仕立て上げようと思うなら、ここに死体があるはずだ。それに……この血は本物だろうか?
 ほんの少し悩み、僕は拳銃を手に取る。……手に取るが、本物かどうか分からなかった。
 だけど、何で拳銃と、こんなに血が?
 普通に考えて、これだけの量の出血なら間違いなく致死量だろう。
 と、そこで小さなノックの音が響いた。
 ノックの音は小さいのに、大音響で響いたように僕は激しく動揺する。
 僕は反射的に拳銃を身体の後ろに隠す。
 カチャッとドアが開き……メイド姿の少女が頭を下げる。
「加納遙様……お迎えに上がりました」
 少女は高くも無い、かといって低くもない声で言う。
 迎えに?
「……君は?いや、それよりも、ここはどこなんだ?」
「お答えできません」
 少女は逡巡もなく答える。
「それと、私はこの館の為に作られた家具です」
 家具?
 疑問に思いながら、僕は彼女に拳銃が見えないように気を付けながら立ち上がる。
 自らを家具と名乗った少女は変わらずドアの前に立ち続ける。
 無機質な印象を受ける少女だった。色の白い……でも、血色の良い白さじゃなく、血の気の無い……死体のような白さだった。その白い顔の中で、赤い瞳が沈んだ色を見せる。ショートカットの髪が微かに目元を隠している。
 人形のような印象を受ける少女だった。
「お答えできません、か……で、君は僕をどこに連れて行くんだ?」
 言いながら、僕は拳銃をズボンの後ろに隠す。
「談話室です。皆さんがお待ちかねです。……と」
「と?」
 彼女は無表情な顔のまま手を差し出す。
「拳銃はお預かりします」
 心の中で舌打ちをしながら僕はズボンの後ろから拳銃を引き出す。彼女に近付き、銃身を自分に向けて拳銃を渡す。
「で、談話室は?」
 拳銃を片手に下げたまま少女は、静かに僕を見る。
「……こちらです」
 
 
 長い廊下を過ぎ、階段を下りる。
 踊り場の窓の高さを考えると……さっきの部屋は二階だったのか。
 無言で先を歩く少女の後に続くってのも気まずいような気がするな。
「君は……名前は?」
「ありません」
 迷いの無い即答だった。……嫌われる覚えは無いんだけどね。ま、話をする気がないなら仕方が無いか。
 一階に下り、一旦玄関へと周り、奥へと向かう。
 確かに、案内人は要るかも知れないな。
 広い家……いや、館と彼女は表現していたな。
 館。……奇妙な館だった。建物そのものが博物館のような豪華な造りなのに、その窓という窓に鉄格子が成されていた。
 その鉄格子の向こう……鬱蒼と生い茂った森だった。その森の奥は、深い霧に隠れている。
 空は青く晴れている。なのに、近い場所には、まるで人を迷わすように霧が這っている。
 その霧の為か、獣や鳥の声はしない。
 少女との会話を諦めた僕は、黙々と着いて行く。
 と、不意に少女が足を止める。
 そこには……背の高い両開きの扉が開かれていた。
「どうぞ。……こちらが談話室です」
 そう言って案内された部屋には、大きな円卓があった。円卓には、十四人の椅子が用意されていた。その用意された椅子に、数人の男女が思い思いの場所で座っていた。
 円卓の他にも談話室には、幾つか椅子が用意されていた。その内の一つ、背の高い椅子に少女の姿と、その少女の身の回りの世話をする執事服の青年の姿があった。
 奇妙な話だが、まるで娘に対する母親のように椅子に座ったままの少女の世話をしている。……少女?
 違和感を感じると同時に、不意に声を掛けられる。
「どうぞ……」
 この部屋に案内をしたメイドの少女が椅子を引いて待っていた。
「あ、あぁ……どうも」
 間抜けな相槌のように頭を下げ、引かれた椅子に腰を掛ける。けど、あの少女……いや、少女のように見えたが、それは少女の姿をした人形だった。
 じろじろと見るのも嫌なので、興味の無い振りをして……そっと盗み見る。
 間違いなく人形……そう、球体関節人形というものじゃないのか。
 人形の少女は、だらしなく椅子に座り、投げ出した足に視線を落としている。その瞳を彩る長い睫毛が、まるで何かを憂いているようだった。
 変な話だが……その人形の少女を、僕は美しいと思った。
 そして、円卓に着く男女の方も徐々に集まっているようだった。
 メイドに誘われ、一人、また一人と席に着く。
「あ、よろしくお願いします。僕は……と、自己紹介はまだしちゃダメでしたね、ははは」
「……よろしく」
 右横に座った男が明るく話し掛けて来た……が、思い出したようにその口を閉じた。そう、ここでは静かに待っている予定だった。僕もそのルール?を徐々に思い出していた。
 十三人の男女が席に着き……開け放たれていた談話室の扉が、二人のメイドの手によって閉められる。
 
 
 重い音を残し、扉は閉じられた。
 その反響が消え入る前に、人形の少女の横……執事の青年が静かに頭を下げる。
 そして、顔を上げたとき、談話室の男女の視線は物言わぬ少女とその執事に向けられていた。
「初めまして。私はこの館の執事を仰せつかっている、榛名と言う者です」
 目を閉じるように細め、榛名は静かに言う。
「ルルイエの館に、ようこそ。主のクトゥルフも皆様に御会い出来て、心より喜ばしく思っています」
 クトゥルフ、と人形の少女を榛名は紹介した。
「では、皆様には自己紹介をして頂く前に、ルールの確認をさせてもらおうと思います」
 ルールの確認……いや、僕やプレイヤーには記憶の確認になるのか。
「先ず、皆様にはこのゲームに参加する義務があります。……勿論、拒否権は御座いません」
 榛名はにこやかに宣言した。そして、その意味を、覚悟を、十分に吟味する時間を待ち、話を続ける。
「ゲームの種類は『Are You a Werewolf?』というパーティーゲームです。日本語では『汝は人狼なりや?』と訳されています。では、そのルールですが……」
 ゆっくりと間を取り、榛名は続ける。
「皆様の中に『三匹の人狼』がいます。それらを見付け、退治しなければいけません。奴等は一日に一人、村人……皆様の中から一名を選び、殺し、食します。また皆様の生き残りの数と人狼の数が同じになれば、獣達は、同時に襲い掛かるでしょう。つまり、『全滅』となります。その為にも、やはり人狼を退治……即ち、殺さなくてはいけません。但し、奴等の正体を見抜く事は容易ではありません。ですから、一日に一人、絞首……吊るさなければいけません。人狼か無害な村人かは分かりません……が、吊るさなければいけません」
 一日一人殺され、一日一人吊るす。そして、その結果……人狼と村人の数が同じになれば『負け』になる。
「そして、吊るされた者の正体……前日に吊るされた者の正体を見る事が出来る者がいます。役職名を『霊媒師』と言います。また生者の中から、その正体を見ることが出来る者がいます。役職名を『予言者』と言います。『予言者』は見る事で『狐』を殺す事も出来ます。そう……人狼の他にも、人外のものが皆様の中に混じっています。話が前後しますが……そのものの名を『狐』と言います。これは一匹だけの単独勢力とでも言いましょうか……他に頼るもののない人外です。『狐』は、人狼・村人のどちらかが勝利条件を満たした時に、生き残っていれば、その勝利を乗っ取る事が出来ます。つまり、『狐』が生きている限り、村人も人狼も勝つ事が出来ないのです。……よろしいですか?」
 ゲームが進む内に、自然と殺されていそうな感じがするけど……そんなに簡単な物じゃないんだろうな。……『狐』か。
「では、『予言者』『霊媒師』に続き、次は……『共有者』を紹介しましょう。これは他の役職と違い、二人一組の役職になっています。他の能力等はありません。互いに互いを、間違いなく村人である、と知る事が出来るのは、それだけで十分な能力と言えるでしょう。最後に、『狩人』。これは他人を人狼から守る能力を有します。自分自身は守る事が出来ません。また守っている者が村人なのか人外なのかも知る事が出来ません。しかし、100%の確立で、他者を人狼から守る事が出来ます」
 榛名は軽く頭を下げて、説明が終わった事を示した。
「それでは……『村人』『人狼』『狐』、それに『霊媒師』『予言者』『共有者』『狩人』について、何か質問は……ないでしょうか?」
 テーブルの上で、皆顔を塞ぎ込み、何も喋ろうとしない。僕自身も質問があったとして、それを今あえて口にしようとは思えなかった。
 少なくても、この後……僕らは、このルールで殺し合うんだから。
「宜しいでしょうか?……では、テーブルに着いた順で、加納遙様より右回りでお願いします」
 右横に座る男をちらっと見て、僕は視線を前に戻す。僕の左側の席は誰も座っていない。確かに、何かを始めるのなら端からってのが普通だよな。
「加納遙だ。役職は無い」
 ぶっきら棒に言い、下ろしていた足を組む。テーブルの上に置いた手が震えないように気を付けながら。
「田沼幸次郎です。役職は無しで……後、ゲームの参加者は13名でいいのかな?」
 田沼幸次郎が榛名に訊く。
「今このテーブルに着いている者は、13名です」
 その回答を聞き、田沼は肩を竦める。
「相楽耕太。役職は無いです」
 明るい感じのする男だった。見た感じ、特に印象に残る事は無い。 
「本田総司。役職は……無い」
 やたら含みを持たせて、眼鏡の位置を直しながら本田総司は言った。
「古川晴彦です。童顔でよく間違われるけど高校生じゃないです。21歳です。……あ、役職は無しで」
 愛想の良い笑顔を古川は、テーブルに着いた者全員に向ける。
「大島和弘。……役職は無しです」
 短い髪の、スポーツ少年風の男で男子は終わりだった。次からは、女子の紹介だけど……男の中で、役職持ちがいない、だって?
「坂野晴美です。役職はありません」
 坂野晴美と名乗った少女は、淡々とそれだけを口にする。……眼鏡をした真面目そうな女の子だった。
「井之上鏡花よ。……役職は無いわ」
 つまらなそうに言う井之上鏡花は、女性の中では一人だけ違う制服を着ている。……中学生くらいだろうか?
「志水真帆です。役職はありません」
 周りの人間の顔色を確かめるようにして、志水真帆はそう言った。
「山里理穂子。役職無し」
 素っ気無く言ったのが……山里理穂子だが、ちょっと待てよ。
「藤島葉子です。役職は無しです」
 いや、ちょっと……ちょっと待てよ!
 僕は振り仰いで、榛名の顔を見る。……が、榛名は顔色を変えずに、そこに立っている。
「岡原悠乃です。役職とかはありません」
 そんな馬鹿な!?どうなってるんだ???全員が、役職無しだと?
「田沼香織です。役職はありません」
 毅然と口にする女性……だが、それをそのまま信じる事は僕には出来なかった。いや、彼女だけじゃない。男も、女も、誰も嘘を吐いているとしか思えなかった。
「何を焦っているの?皆自己判断で、役職を公言しなかっただけでしょう?……それとも役職を口にしなければ、あなたには不都合があるのかしら?」
 井之上鏡花が目を閉じたまま、ほぼ向かい側にいる僕に話し掛けた。
「え?あ、いや……別に、そういう訳じゃないが」
 もごもごと口の中で言い訳をしながら、僕は視線を落とす。と、静かに榛名が話し出した。
「では、ここにいる皆様の自己紹介も終わったようですので、次に進みます。…………実は、悲しいお知らせがあります」
 悲しい?と僕は疑問を顔に出さず、耳を傾ける。
「ここにいるはずの矢島那美様が、昨日……お亡くなりになりました。人狼に喰われたものと思われます」
 人狼に襲われたってことか?いや、そうだ……初日にも偽善者は出る。いや、違う。犠牲者が出て、初めて、このゲームが始まるんだ。
「矢島那美様の遺体は、まだそのままの姿で部屋に安置されています。……どうぞ、御確認を」
 榛名が言うと同時に、談話室の扉が開かれ、メイドが静かに全員が席を立つのを待つ。
 僕らは誰ともなしに席を立ち、メイドに案内をされ、館の中を彷徨うように歩いて行く。