第二日 昼 2.
 
 
 メイドの案内で、ルルイエの館の三階に僕らは来ていた。
 基本的に、二階を男子、三階を女子が使っているようだった。男子のほとんどが物珍しそうな顔で廊下や階段を見ていたので、たぶん……そんなところだろう。
「こちらが矢島那美様がお使いになられていた部屋です」
 閉じられた扉の前、鍵を手にメイドは立つ。表情の変わらない瞳の奥で、彼女が何を思っているのかは分からない。
 試すように扉を開け掛け……鍵が掛かっているのを確信し、鍵穴に鍵を差し込む。
 カチリ、と軽い音がして、鍵が開いたのを後ろに立つ者達に知らせる。一拍置き、メイドは扉を薄く開ける。
「どうぞ……」
 顔を伏せ、メイドが一歩下がる。と、不意に僕は手で口元を隠した。
「ひっ……」
 女子の誰かが声を詰まらせたような悲鳴を上げる。
 臭い、生臭く……腐臭に似た血の臭いが、どっと扉から流れ出た。目に入る風景よりも、臭いは饒舌にそれらを語る……喰い散らかされた犠牲者の有り様を。
「……ひどい、な」
 本田総司が冷たい目をしたまま、部屋の中の惨状を見て言う。
 部屋の中は……正に、喰い散らかされた、としか表現のしようがなかった。
 一本だけの脚がベッドに投げ出されている。背の低いテーブルの上には何か分からない臓器が並べられている。腕は床に渦高く積まれた腸を抱くように置かれている。
 そして……胸像のように両肩から腕を落とされた…………矢島那美の上半身は、ハンガー・ラックに無造作に引っ掛けられたいた。
 彼女の無惨な遺体は、その顔面の半分を喰い千切られていた。
 その中を一人、静かに歩を進める本田総司は、部屋の真ん中まで行くと独り言のように呟く。
人狼は……死体を壊す事は出来るのかな?」
 眼鏡の位置を直し、本田総司は部屋の入り口に立つメイドを見る。
「この部屋はロックされていたようだが、それは簡単なドアロックだけですね」
「……はい」
 抑揚のない声でメイドが答える。
「扉は、自動ロックなどの……閉めれば勝手に掛かる物?」
「いいえ、違います。……ですが、ロックを掛けてから扉を閉めることで『鍵が掛かった状態にする』ことは可能です」
 ふむ、と頷き、本田総司は静かに目を閉じる。
「一応の確認だけど……合鍵は?」
「私達、メイド用が一本と榛名様が一本です」
「そうか」
「って、ちょっと待ってよ。何を一人で納得しているよ」
 そこで、女子の一人……田沼香織が話に割り込む。
「え?あぁ、すまない。うん、そうだな。……全員に、これは話して置いた方がいいだろう」
 部屋の中央から本田総司は、入り口にまで戻ってくる。そこで、部屋の中へと振り返り、説明を始める。
「この部屋は鍵をされてたけど、それは矢島那美の死後に密室に見せ掛けた可能性がある」
「それが何か意味があるの?」
 田沼香織が話の腰を折るように口を挿んだが、本田総司は気にした風も無く眼鏡の位置を直す。
「この殺人、及び、死体遺棄人狼の仕業じゃない可能性も出て来る」
「え?」
 田沼香織が意表を付かれたように目を丸くする。
「勿論、今回は人狼だろう。俺は専門じゃないから詳しくは言えないが……死体に残っている歯形は、イヌ科のものだろう。と、話が脱線したな。話を戻そう……そう、例えば、狐が死に、それを村人の死と騙そうとするかも知れない。今はまだリアリティーが無いけど、後半になってくれば、その可能性もあるんじゃないかな」
 狐の死を村人に見せ掛ける事で、狐の死を隠そうとする。ギリギリまで追い詰められれば、確かに有効な手段かも知れない。……いや、それだけじゃない。
 僕がそれに思い当たったとき、田沼香織も同じ思考に行き当たったようだった。
「それって……村人、も殺人者になる可能性があるってこと?」
 大仰な溜息を吐き、本田総司は眼鏡の位置を直す。
「出来れば……ドアロックだけではなく、チェーンロックをして欲しいものだな。人に成せない殺人なら、人狼の仕業だと断言できる」
 見ると、ドアの傍にチェーンが掛けられている。それを使え、ってことか。
 そこで、僕は今までずっと口を押さえていたことに気付き、そっとその手を外す。
 本田総司と田沼香織は、まだ二人で何かを話していたが、それに注意を払わず、僕は自身の疑問を思考を落とす。
 矢島那美は無惨な殺され方をした。だけど、彼女が殺されていたのなら、僕の部屋の血痕は何の意味があるんだろう。
 あれじゃ、まるで僕が――と、そこで志水真帆が静かに手を上へと向けている……いや、何かを指差しているのに気付いた。誰とも無しに彼女の奇行に気付き、そしてその指し示した方向を見る。
 それは矢島那美の遺体の掛けられたハンガーラックの上だった。
 そこには……『有罪』と遺体の血を使い書かれて……いや、そこだけじゃない。部屋のありとあらゆる場所に、字の大小はあるが『有罪』の文字が書かれていた。
「なによ、これ?」
 田沼香織が呆然と呟く。
「俺達は全員が『有罪』である。だから、殺す。これは……挑戦状、かな?」
 呆れたように言い、本田総司が苦笑する。
「あぁ、それと……」
 苦笑を消し、本田総司はメイドに話し掛ける。
「矢島那美の遺体を集めて貰えないだろうか?欠損があるのを確認したい。それに……」
 曇った表情を隠すように眼鏡の位置を直し、本田総司は言葉を続ける。
「彼女の尊厳を貶めるような遺体の扱いをする事に俺は耐えれない。……人としてあるべき形にして、遺体の前に立ちたいんだ」
「それは榛名様に確認をしな……いえ、畏まりました。館の地下に霊安室があるので、そちらでよろしいでしょうか?」
 頼むよ、と囁くように言い、本田総司は一人で立ち去る。
 一人、二人と本田総司に続き、矢島那美の部屋を後にする。
 僕は最後にもう一度部屋の惨状を目に、一階の談話室へと足を向ける。
 しかし、これではっきりした事がある。
 それは、このゲームがお遊びじゃないって事だ。……人狼を狩らなければ、僕らも狩られる。それは、間違いの無い事実として、僕らの前にある。
 
 
 談話室に戻ると、円卓の上にはケーキや洋菓子が用意されていた。
 メイドが優雅に、ティーカップに紅茶を注いで回る。
 アフタヌーンティーと言うのだろうか?でも、矢島那美の死体を見た後で、優雅にお茶をする気分なんかあるはずが無かった。
 しかし、そう思っているのは僕だけで……女子は、メイドに菓子を取り分けて貰っている。男子も少しだが、洋菓子に手を伸ばしている。
 僕の前には、口を付けないままの紅茶が置かれる。
「榛名さん、でしたっけ?少し質問があるんですけど……」
 井之上鏡花が自分の皿のケーキをフォークでバラバラにしながら静かに口を開く。
「榛名、と呼び捨てにして貰って結構ですよ。……で、何でしょうか?」
「そうね。じゃぁ……榛名、あなたには『汝は人狼なりや?』のルールを説明をしてもらったけれど、そこで『狂人』が言及されていないのは、出て来ないものとして考えていいのかしら?」
 榛名はその質問を吟味するように目を閉じる。
「『狂人』は……敢えて、設定をしませんでした」
 榛名は続ける。
「その理由としては……後々に、村人を裏切る者が出てくる可能性を考慮した、からです」
人狼に味方をする者が出て来ると?」
 はい、と榛名は微笑む。
「その可能性もある、と考えて頂いた方が宜しいでしょう」
「そう……」
 井之上鏡花はそう静かに口を紡ぐ。……が、そこで田沼香織が鏡花に話し掛けた。
「あなた、もしかして……このゲームを、『汝は人狼なりや?』をしたことがあるの?」
 田沼香織は、一人だけ年下の井之上鏡花を相手に、話し難そうに聞く。
「別に……。ただ動画サイトで、実況?それを見た事があるだけよ」
 素っ気無く井之上鏡花は答える。
 他のプレイヤーとは会話を続ける気は無いのか、井之上鏡花は皿の上でバラバラにしたケーキをフォークで弄びながら、気だるげに溜息を吐く。
「なぁ。俺も聞きたい事があるんだが」
「はい。何でしょう?」
 大島和弘が、軽く手を上げながら口を開く。引き締まった身体に短い髪が、いかにもスポーツをしています、と言う感じだった。
「あんたは、俺達がこのゲーム……『汝は人狼なりや?』だっけか、それをすると決め付けているようだけど、俺達が嫌だ、って言ったらどうするんだ?」
 大島和弘は続ける。
「実際に、人も死んでる。訳の分からん洋館に閉じ込められている。ついでに、お前達は殺し合え、だ。……警察でも呼んだ方がいいんじゃないか?」
 では、と口元に笑みを隠し、榛名は言う。
「警察を、御呼びになりますか?」
 部屋の奥……へ歩きながら、榛名は続ける。
「貴方方は、絶対にゲームを続ける。このゲームから逃げる事は、貴方方の罪悪感が許さないからです。……しかし、貴方方は、その罪を思い出す事は出来ない」
 そして、入り口とは逆の扉の前で立ち止まる。
「思い出す事の出来ない罪。このゲーム『汝は人狼なりや?』に勝利した時、その罪悪感は消え去るでしょう。例え、その罪を思い出しても罪悪感に苦しむ事は無いでしょう」
「罪悪感から逃れたければ……ゲームに勝て、と?」
 井之上鏡花がケーキを弄びながら、独り言のように呟く。
「はい。そうなります」
 榛名は静かに目を伏せて続ける。
「罪悪感を消す為に、新たに殺人を行う。矛盾があるようですが……殺人よりも重たい罪はあります。裏切り、騙し、陥れ……それでも、貴方方は自身の罪悪感を失くしたいと思うはずです」
 罪悪感……僕の中に確かにある、と思う。焦燥感と自己嫌悪、気が重く、それを思うと死にたくなる。……死は、彼女を選んだ。彼女の安息の場に僕は足を踏み込めない。
 と、僕は俯いたまま眉を寄せる。
 彼女?いま僕は彼女と思ったのか?
 その時、談話室の扉がノックされる。僕らを矢島那美の部屋に案内したメイドが深くお辞儀をした。
「矢島那美様の遺体を霊安室に安置しました」
 誰ともなしに彼女は言う。
「……」
 本田総司は無言で席を立つ。
「ちょっと、あたしも行くわよ」
 田沼香織が慌てたように言って、本田総司に続く。
 本田総司と田沼香織の他に席を立つ者はいない。振り返った本田総司と、皆、気まずそうに目を合わそうとしない。
「確認だけなんだから、二人でいいんじゃないの?」
 田沼香織が微妙に口を尖らし言う。が、それを無視して本田総司は、
「すまないが、案内を頼む」
 視線を外すように目を伏せてメイドの少女に言う。
 メイドに案内されて二人は、地下の霊安室へと消えた。
 
 
【幕間】
 
 メイドの少女の後を歩きながら、総司は横を歩く少女を見る。
 田沼香織。
 この制服は確か……神稜学園の物だったはずだ。あそこの学校はタイの色で学年を区別していると聞いたことがあった。
「君のタイの色は……何年生だ?」
「ん〜〜、三年生かな?たぶん、三年だと思うんだけど……何て言うか、記憶がはっきりしないだよね」
 記憶がはっきりしない。厳密に言えば、記憶の一部にプロテクトが掛かっている。もしくは、明らかに記憶に欠落がある。
「『汝は人狼なりや?』のルールが頭に入っていたのと同じで、これも榛名の能力だと思うか?」
「じゃないのかな。……あたし、成績悪いから難しいこととかわかんないけど?」
 総司は眉間に皺を入れながら、眼鏡の位置を直す。
 この女、明らかに人格が違うぞ。もっと落ち着いた性格だと思っていたのに、二人っきりになったら……いや、それを言ったら俺もなのか。
 集団の中の自分と、こうやって二人で歩いているときの自分に違いが出るのは当たり前か。
「違うな。……これもゲームの仕様か」
「え?」
 呟くように漏れた言葉に、香織が反応する。
「いや、榛名の意識操作は、どこまで効果……範囲があるんだろうな」
「んと、彼女……たぶん、彼女だと思うけど、その記憶とゲームのルール。それとゲームを絶対にクリアしようとする意思、かな。束縛はされるけど、ある程度の自由意志はあると思う」
 自由意志か、と総司は思う。
「どこまでが自由意志で、どこからが束縛なのかが問題なのかな?……よくわかんないけど」
 館の奥から玄関に戻り、そこから地下へと入る。
人狼も同じだと思うか?」
「あたし達と同じ様に記憶の欠落があるのかってこと?ん〜〜……たぶん、違うんじゃないかな。人狼は全てを知っているから、あたし達を攻撃できるんだと思う。あたし達に『罪』があるから、あたし達を滅ぼそうとしている」
「……『罪』か」
 総司は呟く。
 いったい俺にどんな罪があると言うのだろう。いや、罪はある。誰にでも普通にあるはずだ。だが、殺人も厭わないほどの罪悪感を抱くほどのものなのか?
「そう言えば、さ」
 声のトーンを落とし、香織が呟いた。
「あの中の誰が人狼だと思う?」
「さぁ、な。まだ解からん」
 素っ気無く総司は答える。
「情報が全くと言って良いほど出ていないからな。……俺には何とも言えないな」
「じゃぁ……」
 声を潜めるように香織は囁く。
「誰を吊るの?」
 え?、と総司は声を詰まらせる。
「どっちみち今日、誰かを吊らなきゃダメなんでしょ。だったら、誰を選ぶのかな?って」
 香織は普通に口を尖らせて言う。
 その彼女の顔を横目で覗きながら、さっきのは何だったんだ?と総司は思う。一瞬、横にいるのが香織ではない誰かに代わったように感じられた。
 しかし、それも一瞬の事で、今はもう普通に彼女は歩いている。
「……選ぶ、か」
 選ぶのだとしたら……『彼』だろうな。線の細い、優しげな……大人しそうな少年だった。出された飲み物にも手を付けず、ずっと青い顔をして俯いていた。多分、彼は人狼じゃない。だが、絶対に足を引っ張られる事になるだろう。……後半まで生かしておいたら、狂人になる可能性もある。
 そう、人狼ではない、しかし、狂人の候補としては十分にあり得る。
「……同じ事を考えてそうね」
 香織も『彼』に目を付けているのだろう。いや、今日の様子を見れば明らかだった。誰もが『彼』を選ぶはずだ。
 香織が一歩前に出て、振り返る。
「良い事、教えてあげようか?」
 そう言って彼女が足を止める。自然と、総司の足も止まった。
 立ち止まったまま、彼女の顔を見る。
「あたし……人狼なんだよ」
 彼女は、表情のない顔でそう言った。……が、総司は溜息を隠し、眼鏡の位置を直す。
「その手の冗談は言うな。……吊られるぞ」
「『彼』みたいに?」
 今度は隠さずに大袈裟な溜息を吐く。
「だから、『彼』はまだ吊られていないだろう」
 言いながら、彼は歩き出す。
 前で止まっている彼女の横を通り抜けるとき、微かに髪の甘い匂いがした。
 メイドが閉ざされた扉の前で、二人が来るのを待っていた。
 霊安室だ。
 あの扉の向こうに矢島那美がいる。
 ふと、彼女も香織と同じような髪の匂いをしていたんだろうかと思った。
 しかし、それを確かめる機会は永遠に失われてしまった。今の彼女にあるのは……血と汚物、それの腐臭だけだった。
 彼女の髪の匂いは、どんな匂いだったのだろう?
 不謹慎かも知れないが、総司はそんな事を考えながら、霊安室の扉を開いた。