第二日 昼 3.
 
 
 霊安室から戻った本田総司と田沼香織は、矢島那美の遺体は間違いなく欠損があった事を告げた。
 その後、午後六時三十分が日没なので、六時に集合となり、それまでは自由時間となった。
 僕は一人で館の中をぶらぶらと歩く。一階の館の横……と言えば良いのか、窓の側面に植木がぶつかりそうなほど近く植えられている。いや、あれは自生した植物が、そのまま生長してこの館を取り囲むようにしてるのか?
 窓を開ければ、鉄格子で遮られていても枝に手が届くだろう。
 ぼんやりと、そんな様子を見て歩き……僕は、ふらりと気が向いた部屋に入る。
 誰も居ない部屋の中で、音も気にせずに椅子を引き、僕は腰を下ろす。
「……こんな部屋もあったんだな」
 白々しい独り言を口にし、部屋を眺める。
 裏庭に面した背の高い窓ガラス。霧の中、鬱蒼と茂った植物が見える。どうかすると植物園の中に迷い込んだみたいだった。
 この広い部屋の中に幾つもあるテーブル。そこに置かれている意匠を凝らした箱を開けてみる。と、それは煙草入れだった。煙草を手に取り、僕は匂いを嗅ぎ……顔を顰めて戻す。
 どうやら僕は煙草を吸った事が無いようだった。
 未成年だから、当たり前と言えば当たり前だが……僕は憂鬱な溜息を吐き、ソファのような椅子に凭れ掛かる。
 目を閉じ……静かに、自らの思考に落ちて行く。
 誰も役職を公表しなかった。あれは……やはり、人狼を警戒しての事なんだろうか?しかし、だったら役職なんか無くして、ランダムに……それこそロシアン・ルーレットにでもすればいいじゃないか。
 一日に一人、最初の誰かが死ぬまで続ければ良い。そうして、次の日も、その次も日も……そうやって、皆死ねば良いんだ。
 皆、死ねば良い。
 脳裏に浮かぶ少女。しかし、その少女の顔はノイズが掛かったようにはっきりとしない。
 僕は……何故、生きている?
 彼女は死んだ。死は、彼女を選び、僕は生き延びている。残されて、いるんだ。
「なんだ、ここにいたのか」
 不意に、声が掛かり、背凭れに頭を乗せたまま目を向ける。
 部屋の入り口に、田沼幸次郎と相楽耕太がいた。
「探しましたよ。でも、無駄に広い家ですね」
「メイドに言わせると館、らしいぜ」
 相楽耕太が田沼幸次郎に言う。
「家で良いんですよ。怪しいったらありゃしない、何が『ルルイエの館』ですか」
「まぁ……確かに、怪しいな」
 相楽耕太は、窓に嵌められた鉄格子を頬を引き攣らせて見る。
 っとに、と田沼幸次郎は椅子を引き寄せ、僕の傍に座る。と、相楽耕太もそれに習った。
「で、ここは何て言う部屋なんですか?」
 物珍しそうに部屋を眺めて、田沼幸次郎は訊いた。
「……喫煙室らしい」
 適当に僕は答えた。
「確かに、煙草と灰皿はあるな」
「他の部屋には無かったっけ?」
 煙草入れの蓋を開け、中身を取り出し、相良耕太は匂いを嗅ぐ。
「ところで……」
 と、僕は田沼幸次郎を見る。
「お前ら、従兄弟か何かか?」
 田沼幸次郎は一瞬、相楽耕太の顔を見る。
「いやいや、有り得ねえし」
 と、相楽耕太は大袈裟に手を振る。
「違う。田沼香織の方だ」
「あ、そっちか。そういや苗字が一緒だったな」
 僕は頷き、田沼幸次郎を見る。
 で、と相楽耕太も返答を待つ。
「……ごめん。分かんないや」
 何だ、そりゃ、と相楽耕太が脱力する。
「実際に、親戚か何かなのか、それこそ双子なのかも分からないんだよね。記憶がはっきりしないって言うか……そう言うの無い?」
「……ある」
「記憶の欠落、か……」
 僕と田沼幸次郎、それに相楽耕太の記憶を、それぞれ確かめた結果……人間関係に関する限り、リセットされるように削除されているようだった。
「これ、神稜学園の制服だよね。んで、タイの色から見ると……三年生だよね。……でも、大人の男の人が二人混じってた」
「後、あの女の子は中学生だろう。あの制服、確かウチの近所のだぜ」
「学校は分からないか?」
「そこまでは、な。市内に四校あるけど、中学はどこも制服は一緒だからなぁ。そうだな、校章でも見れば……分かるか?」
「いや、僕に聞かれても……」
 これは、多分……彼女の交友関係だ。どう言う訳かは解からないが、彼女の知人からプレイヤーは選ばれている、と思う。
「あの二人は……大学生か?」
「……かな?」
「それくらいじゃねえの?」
 大学生が二人に中学生が一人、後の全員が……高校三年生、か。
「なぁ、それぞれの性格は役職や人狼と無関係だと思うか?」
 何故か彼女の事を口にする気になれず、曖昧な言い方になってしまった。正しくは、「彼女との付き合いや死と、役職や人狼などの役割と無関係なのか」が聞きたかった。
 二人は、黙って深く考える。
「……それは、謎だね。まだ始まったばかりだし、役職とか誰も言わないし、性格なんかも分かんない訳だし」
「ま、普通に考えて、ゲームなんだから無関係じゃねえの?」
 そうか、と僕は組んだ手で口元を隠す。……そして、僕は気付く。彼等もまた人狼の可能性があるって事を。
 彼等は……もしくは、彼等の一人が人狼である可能性はあるんだろうか?
 田沼幸次郎……田沼香織との関係を忘れていると言うのは、本当なんだろうか?
 相楽耕太……どこか懐かしい感じのする彼も、人狼が化けているだけなんだろうか?
 解からない。見ようと思えば、誰も彼もが怪しく見える。
 僕は、誰を……何を信じれば良いだろう?
 
 
 六時になり、僕等三人は談話室に戻った。
 円卓を見ると、大島和弘だけがまだ席に戻っていなかった。
 女子全員と本田総司、古川晴彦は先に席に着いていた。
 僕らは、僕、田沼幸次郎、相楽耕太の順番に席に座る。
 今から誰を吊るのか決めるのか。
 席に座る人の顔を見るともなしに見る。……が、女子の様子が変だった。
 何が変なのかは、はっきり言えないが……どこか妙だった。
 坂野晴美は思い詰めた顔で俯いてる。
 井之上鏡花は達観したような顔で目を閉じている。
 志水真帆は落ち着き無く、膝の上に置いた自分の手をもぞもぞとさせている。
 山里理穂子は白々しいほどに興味も無さそうに誰も居ない方を見ている。
 藤島葉子はじっとテーブルの上で組んだ手を見つめている。
 岡原悠乃は終始きょときょとと周りと見ている。
 そして、田沼香織は静かに目を閉じている。
 妙、だ。何が妙なのかは解からない。しかし、僕はまるで何かを決断した後のように見える、と思った。
「……遅いね」
 ぽつりと田沼幸次郎が呟いた。
 それには返事をせずに、空いた席を見る。と、談話室の開いたままの扉の前に大島和弘が現われた。
「……すまない」
 口数少なく遅れた事を詫びる、彼の横顔を見る。髪を短く切った端整な横顔が、不機嫌そうに歪む。
 席に着き、目を閉じる。
 これで全員揃い……入り口の扉が重々しく閉じられた。
 殺害された矢島那美を除く、全員が席に着いた。
「……多分、また誰も話さないだろうから」
 薄く目を開けて田沼香織が最初に発言をした。
「私から言うわね」
 女子達に目配せをする。いや、正しくは……女子にだけ、する。
「私達、女子は全員、加納遙に投票します」
 一瞬、何を言ってるのか、僕は理解出来なかった。いや、それはここにいる女子を除いた全員同じだっただろう。
「あ……いや、ちょっと待てよ」
 最初に反応したのは、相楽耕太だった。
「何で遙なんだ?……いや、そうじゃない。女子全員って、半分以上じゃねえかっ!」
「ちょっと待ってよ、話し合いもせずに投票するなんて無茶じゃないの?」
 田沼幸次郎も声を揃えて、女子に反論する。……が、その声を田沼香織は冷たくあしらう。
「話し合い?あなたたちは話し合いをして、改めて加納遙を吊りたいの?本気で、それを言ってるの?美しい友情物語のつもりかしら?それとも……自分が吊られたいから抜け駆けは許さないとでも言うつもりかしら?」
 田沼香織は薄く開けていた目を閉じ……テーブルに両手を着いて立ち上がった。
「ふざけないでっ!!お遊びじゃないのよ、これは!矢島那美が……彼女がどんな殺され方をしたのか見たでしょう!!!ただ喰い殺されたんじゃない。弄ばれたのよっ!!彼女の身体に――」
「香織!!」
 本田総司が田沼香織を見ながら僅かに首を左右に振る。が、それを無視して、田沼香織は続ける。
「彼女の遺体は……その舌には肉を抉って『罪』と描かれていたわ」
 目に涙を溜め、彼女は続ける。
「私は認めない。どんな罪があったとしても、どんなに罪に塗れていても……矢島那美を、彼女の遺体を玩具にして良い理由が人狼にあるはずなんかない」
 気持ちを落ち着けるように、深呼吸をして彼女は続ける。
「私達、女子が加納遙に投票をしたのは……彼が『危うい』からよ。多分、彼は人狼じゃない。狐じゃない。もちろん狂人じゃない。でも、誰よりも繊細だから……心が危ういから、きっとこのゲームを最後まで耐え切れないわ」
 そう言うと、田沼香織は静かに座った。岡原悠乃が何やら小声で話し掛けると、赤くなった目で田沼香織は微笑み返した。
「もう一度だけ言うわ。私達、女子は、加納遙を吊りたいの」
 井之上鏡花が田沼香織を後を次いで、宣言をするように言った。
「いや、だからって……」
「加納遙は……リアルで狂人になる可能性があるの。誰にでも同情し、誰でも反論する。人狼も分かってるから彼を攻撃しないわ。殺されず、生かされ続ける。そして、周りの人間を引っ掻き回すのよ」
「そんなのまだ分かんないだろうがっ!」
 言葉を遮られた田沼幸次郎を庇うように、相楽耕太が叫ぶ。
「あなたは何を見ていたの?……午後の茶会の時の、彼の様子を見ていなかったの?紅茶には口も付けず、お菓子には手も触れず……臆面も無く、一人だけ傷付いたような顔をしていたわ」
「いや、それは……正直なだけだろ?」
「そう……正直なだけ。でも、それが危ういのよ。このゲームは……人と人狼の騙し合いなのよ」
 あ、と田沼幸次郎と相楽耕太が声を揃える。
「あたしが言いたいのは……それだけね。……後は御勝手に」
 御勝手に、と言われても女子全員だと言うのなら、それはもう過半数を超えている。
「お前も何か言えよ。自分の生命が掛かってるんだぞ」
「加納君も何か言い返さなきゃ駄目だよ」
 二人が口々に言う……が、僕は彼女達に何か言い返そうとは思わなかった。
「遙、お前……笑ってるのか?」
 笑って……いる?
 と思った瞬間、両手を後ろに回され、固定された。
「痛っ!?」
 いつまにかメイドが二人、僕の後ろに来ていた。後ろに回された腕に何かを嵌められる。堅い木の感触……木製の手錠か?
「中々の見物でした。二人の御嬢様には感謝の言葉を御贈りしたいと思います」
 ありがとう御座いました。と榛名は深々と頭を下げる。
「ですが……投票用紙のような物を用意した方が宜しいでしょうね。必要なら、こちらで御用意いたしますが……如何致しましょう」
 顔を上げ、榛名は静かにテーブルに着いた十二人を見る。
「そうね、あると助かるわ。お願いできるかしら」
「畏まりました」
 では、と振り返り榛名は言う。
「今日の投票の結果、吊りは加納遙様に決定しました」
 そして、榛名の背後……入り口とは対面の扉が静かに開く。
 
 
 僅かに頭を下げた榛名の背後……部屋の奥には、黒く使い込まれた木の絞首台が見えた。
「……え?」
 誰もが言葉を失った中、田沼香織の間の抜けた声が響く。
「静粛に御願い致します」
 榛名の錆を含んだ声が静かに響き渡る。
 僕は左右から腕を持ち上げるかのように、メイドに抱えられる。
 無理矢理立たそうとしたが、上手く行かず、ズルズルと引き摺るように運んで行く。
 ……いや、違う。僕の足が、彼女等に運ばれる事を拒んでいるんだ。
「ちょっと待ってくれよ。じょ、冗談だろ?……冗談だよな?」
 僕は左右のメイド達の顔を見る。……が、彼女達の石のような無表情で、まるで僕の声が聞こえていないかのようだった。
「お、おい……ちょっと……待ってくれ。待って……って、た……田沼。助けてくれ、田沼!は、放せよ、おい。くそっ、放せ!!相楽、田沼、助けてくれ!!」
 僕の言葉を聞き、二人は音を立てて、席を立ち……
「御静粛に」
 と、榛名に言われ、動けなくなった。
 足掻き、もがきながら、僕は絞首台の上へと運ばれる。
 そこには……黒ずんだロープが輪を作り、音も無く垂れ下がる。
「ふざけるなっ!!冗談じゃないぞ!僕は――」
 木目の粗い袋を顔に被せられる。
 違うんだ。僕じゃない。僕は人狼じゃ無いし、狐でも無いんだ。
 周りの音が篭り、はっきりと聞き取れない。だが、逆に自分の声だけが鮮明に聞こえた。
 そして、僕の頭の上を……何かが通された。
 左右からメイドが離れる。なのに、僕はその場から動く事はない。何かが首に掛けられている。それが今にも絞まりそうで……動けずに、じっと立ち
 
 唐突に、それは落ちた。
 絞首台の上、怯え、立ち竦む加納遙の足元の床が……音を立て、外れる。
 一度だけ、派手な音を立て、首のロープが絞まる。
 
 反射的に僕は足場を探して、無駄に足を動かす。
 何かを掴むように手を動かすが、後ろ手に手錠をされたまま、首に絞まったロープに届く筈も無く、無駄に空を掴む。
 首が絞まり、気道が塞がれ、顔面が鬱血するのが自分で解かる。
 
 僕は……死ぬのか?
 
 バタバタと動いていた足が唐突に止まった。
 空を掴もうとする指の動きが……引き攣るように止まる。
 そして、力尽きたように、その身体から全ての動きが無くなった。
 息を詰めて見ていた者も、全身の力を抜く。
 『吊る』とは、何らかの殺人的行為を比喩した言葉だと思っていた者が大半だった。いや、全員が文字通り『吊る』とは思っていなかった。その行為は生命への冒涜でありながら……何故か、神聖な物のようにも思えた。
「あの……もういいですか?」
 目に溜まった涙を拭きながら、志水真帆が榛名に訊く。もう談話室を出ても問題は無いかと訊ねたのだった。
「はい。今日は、もう御休みになられ――」
 
 ギチッ
 
 聞き間違いようの無い音が響く。
 榛名が静かに背後の吊られた男を振り返る。
 揺れている。男は揺れている。
 それは吊られた時の『それ』で、今は静かに揺れは収まろうとしているはず、
 ……チリッ。
 僅かに、吊られた身体が左に動いた……ように思えた。
「え?」
 誰かが疑問の呟きを漏らした。
 ピクリ、と加納遙の指が動いた。それを背後から見ていたメイド達は気付いた。
「おい」
「ちょっと変だぞ」
「何だ???」
 口々に騒ぐ間に、ビクンと派手に足が跳ね上がる。一度あったそれは、勢い付くように……二度、三度と地面を蹴るように続ける。
 ガサガサと足掻くように腕が、手が、指が、首を締め付ける縄を求める。
「い、いや……いや……もうやめてぇえええっ!!!」
 両耳を塞ぐように、志水真帆が泣き叫んだ。
 
 細い……糸のように細い隙間があった。
 僕は自分の死を認めたはず……諦めたはずなのに、その隙間は肺の奥へと酸素を運ぶ。
 『死』と言う安息は、僕には与えられない。
 それは……彼女のものだから。
 
 唐突に生まれた足場に僕は、立つ事も出来ずに横倒しになった。
 首を絞めるロープはまだしつこく纏わり付く。それを剥がしたいのに、両手が使えず僕は無駄に足掻き続ける。
 左右からの手が、僕を支え……首のロープが緩められる。
 大きく息を吸う。と同時に咳が出た。何度も咽る。身体を折るように咽続ける。
 顔から袋が外される。ぬるり、と顔に張り付くように、それは剥がされた。鼻から垂れた血が顔に線を引く。
 目の前がチカチカする。咳がしつこく出る。と同時に嘔吐した。吐きながら、しつこく何度も咽る。
「…………ってますね。…………は…………を犯し…………。それ……たの生命で贖って……」
 耳がよく聞こえなかった。頭がグラグラする。榛名は、誰と話をしているんだ?
 霞の掛かったような視界の中で、榛名と向かい合う僕を部屋に迎えに来たメイドの姿が見えた。
 そして、その彼女に向かい、榛名が声もなく手を向ける。
「……がっ……げほっ」
 あれは……何を?……って、冗談じゃないぞ。
 一瞬、鮮明になった思考の言うままに僕は走り出す。
 榛名が振り返る。と、同時にメイドに向かって突っ込む。二人で、縺れるように転がり、榛名に向かって叫んだ。
「…えはっ、そん……げほっ……人を…………たいのかっ!!」
 手前はそんなに人を殺したいのかっ!そう叫びたかったが、半分も言葉になっていなかった。
 そして、僕は地面に転がったまま、力が抜けたように潰れる。
 急速に意識が遠のき……思考に霞が掛かる。
 榛名の薄い笑みを睨みながら……僕は気絶した。