第五日目 昼 2.
 
 
 夕方になり、相良耕太は談話室に戻って来た。
 ちらり、と円卓に視線を向け、自分の席へと戻る。と、円卓には背を向けて、僕の方を向いて座る。椅子の背凭れに手を置き、じっと僕を見つめて来る。
「なぁ、加納……『預言者』が信用を得るには、お前ならどうする?」
 相良耕太はそんな事を、雑談のように僕に話し掛ける。話し掛け、目を閉じ、返事を待つ。
 返事をした物かどうか僕は迷い、さり気無く本田総司を目を向ける。
 本田総司は眼鏡の位置を直しながら、微かに頷く。そして、円卓に目を走らせる。反対の意思が無いのを確認し、もう一度しっかりと頷いてみせる。
「……どう言う意味だ?」
「別に。お前が聞いたそのままの意味だよ。『預言者』が信用を確実にするなら、お前なら何をするのか。何があれば『預言者』を信用するのか、教えてくれ」
 相良耕太の態度に苛立ったように山里理穂子が口を挿む。
「あなたは何が言いたいの?」
「お前の意見は聞いてない。……俺は加納と話してるんだ」
 静かに、穏やかに相良耕太は言う。
「なぁ……教えてくれ。お前が『人狼』なら、どうするんだ?」
 背凭れの後ろに隠れるように顔を伏せ、懇願するように相良耕太は繰り返し口にする。
 死者の仮面の奥で、僕は目を閉じて考える。考えてしまう。
 いや、僕だけじゃない。円卓に座る者も同じように、相良耕太の言葉に反応し、もう一度だけ考えてしまう。
「僕が『人狼』なら……」
 口にし掛け、僕はぞくりと身を振るわせる。恐怖に飲まれまいと相良耕太を睨む。
「……ふっ。そんなに怖い顔で睨むなよ。仮面越しでも険しい顔をしてるのが丸分かりだぞ。……さあ、言ってくれ」
 椅子の背で僕の姿は見えていないはずなのに、小さく肩を震わせて彼は笑う。
「僕なら……自分で白判定を出した人物を襲う。けれど、それは」
「Good!そう、効果的なのは日を置いてから襲うのがベストなはずだ」
 僕の言葉を遮り、相良耕太は言う。しかし、僕が言いたかったのはそうじゃない。そうじゃなくて……と、僕に変わって、井之上鏡花が口を開く。
「でも、それを言い出したらキリがないんじゃなくて?『預言者』が真でも同じ事が……白判定が襲われるわ」
「だから、『人狼』は目立たないヤツを襲うんだ。『預言者』は目立つヤツを占って行く。『人狼』と『預言者』、この二つで『村』のグレーを潰して行く。普通は……そうだろ?」
 円卓に顔だけを戻し、山里理穂子の方を向いて、相良耕太は彼女に訊いた。
「何が言いたいの?」
 ガリガリと頭を掻きながら、相良耕太は円卓に身体を向ける。
「はっきり言えってか?それとも本当に分かねえのか?……どっちにしろ、頭が悪過ぎるな」
「な!??」
 嘲りの表情を隠さずに相良耕太は言う。
「山里理穂子は『人狼』だ。そして、多分……本田総司は『狂人』だろう。その根拠は……大島和弘だ」
 両手の指を組み、相良耕太は静かに話し出す。
「田沼幸次郎が死んでいたとき、ヤツの行動を思い出してくれ。それまで大人しくしていたアイツが急に前に出て話し出したはずだ。本田総司が、田沼幸次郎と二人分のCOをした後でだ」
 あくまで、相良耕太は静かに話し続ける。
「何故だ?」
 一泊間を置き、円卓に座る面々に考える時間を与える。
「何故、アイツは本田総司の言葉を必死に否定した。何故、大人しくしているヤツが前に出て来る?……その理由は、確信があるからだ。では、何を持って確信していたのか?」
 相良耕太は深呼吸をして、一言だけ言葉を発した。
「『預言者』」
 全ての時間が止まったような気がした。その突拍子もない言葉に一瞬、理解が及ばなくなる。
「馬鹿馬鹿しい」
「語るに落ちたわね」
 本田総司と山里理穂子が白けたように口を挿む。
 だが、それを気にせず相良耕太は続ける。
「アイツの最大のミスは、確信の持てなかった本田総司まで『人狼』に決め付けた事だ。そして、ローターの最中だったので山里理穂子を攻め切れなかった事だ」
 そして、相良耕太は円卓に指を落とす。
「一つ、想像してみようじゃないか。自分が『預言者』だったら誰を見るのかを。……俺なら目立つヤツから見て行く」
 相良耕太は円卓の面々の顔をじっと見て回る。
「先ず、最初に見るなら……井之上鏡花だ。理由は、彼女だけが年齢が違うからだ。もちろん、本田総司も古川晴彦も違う。しかし、彼女だけが年下で明らかに異質な存在だ。……違うか?」
 円卓を、円卓の上に置いた自分の指先を見ながら、相良耕太は続ける。
「次に、本田総司だ。年齢の問題もあるが、それよりも円卓をコントロールしようとしている言動が引っ掛かるものがある。大島和弘も言っていたが、『人狼』に襲われないのが不思議なくらいに目立っていると言えるだろう」
 もしくは、と相良耕太が言う。
「田沼香織だな。女子の中でも発言が多い方じゃないのか?男の俺からしてみれば、野郎より話す機会の少ない女子を見たほうが不安が少ないような気がするな。俺の予測じゃ……井之上鏡花、田沼香織、だな。そして、大島和弘の見た結果は……どちらも白だった」
「あなたの予測なんか意味無いでしょ」
 興味無さ気に、山里理穂子は切り捨てる。が、それに反論する声があった。
「確かに、意味は無いわね。でも……最初に私を見るというのは理解できる意見かしら」
 井之上鏡花だった。
「というより……どうして私じゃないのかしら?」
 彼女はじっと山里理穂子を見る。
「べ、別に理由なんかないわよ」
「何故、目立たない人ばかり見ているのかしら?それに次に襲われるのは、誰なのかしら?」
 不思議そうに井之上鏡花は尋ねる。小さく小首を傾げ、その心の奥を覗くように。
 いや、彼女だけじゃない。
 田沼香織が、志水真帆が、古川晴彦が、彼女に疑いの目を向けていた。
「確かに、大島和弘君の騒ぎは違和感があったよね。何か……こう、作為的なものを感じさせられたと思う」
「大島和弘さんの白判定は喰うためのフラグだったんですか。……そう考えられなくもない、ですね」
「嘘っぽいんですよねえ。地味な人ばかり選んで見てるのって。私は本田さんの事、信じてるけど……あなたまで信じたわけじゃないし」
 相良耕太が口を閉ざすと、彼女達は口々に好きな事を言い出す。
「待ってくれ!」
 慌てたように本田総司が、山里理穂子を擁護する。
「冷静に考えてくれ。相良耕太は田沼が『共有者』なのを認めていたはずだ。それを今になって意見を覆すのは変じゃないのか。行動が矛盾し過ぎているし、彼の言動は破綻している」
 山里理穂子を擁護し、本田総司は相良耕太の言動の差異を攻撃する。
「……破綻も、するさ」
 だが、それをあっさり相良耕太は認め、疲れたように円卓を見詰める。
「俺は、幸次郎を信じている。今も、変わらずに信じているんだ。アイツは『狐』なんかじゃない。人外なんかじゃないってな」
 ゆっくりと本田総司に向き直り、相良耕太は続ける。
「アンタだって、そうさ。『狂人』なんかじゃない。『人狼』に騙されているんだって思いたいんだ。だけどな……」
 相良耕太は、
 
「ダメなんだよ」
 
 静かに泣いていた。
「何もかもが狂い始めるんだよ。『人狼』は後何匹残ってる?後、何日でこれが終わる?俺達は無事に帰れるんだろうか?そして、俺は正しいのか?」
 ゆっくりと顔を覆い、大きな溜息を吐く。
「ほんとに、アンタが騙されてるってのなら良かったんだけどな」
 その手で目を拭い、相良耕太は最初に出会った時のように、捻くれた笑みを本田総司に向ける。
「だが、お前は」
「そこまで、です。……時間ですので、用紙に御記入を御願いします」
 唐突に言葉を遮られ、本田総司は驚いた顔で榛名を見る。が、メイド達によって、用紙が配られて行く。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 僕は無駄だと感じながら、榛名に詰め寄る。
「まだ本田総司の意見を聞いてないじゃないか。それに山里理穂子の反論だって聞いて」
「夜が、来ます」
 僕の言葉を遮って、榛名が言う。夜が……『人狼』の時間が、来る。
 窓の無い部屋なのに、僕はその言葉に外の明かりを確認しようと背後を振り返ってしまう。
 そして、投票が終わる。
 結果……
 
  加納 遙
  田沼 幸次郎 
4 相楽 耕太  ―山里 理穂子      
0 本田 総司  ―相楽 耕太  
0 古川 晴彦  ―相楽 耕太  
  大島 和弘  
  坂野 晴美  
0 井之上 鏡花 ―山里 理穂子 
0 志水 真帆  ―相楽 耕太  
3 山里 理穂子 ―相楽 耕太  
  藤島 葉子 
  岡原 悠乃  
0 田沼 香織  ―山里 理穂子 
 
 相良耕太の吊りが決定した。
 僕はこの結果に胸を撫で下ろす。相良耕太が必死に揺さ振りを掛けたが、山里理穂子の黒判定を覆すまでには到らなかった。
 椅子が引かれる小さな音に、僕は円卓へと目を向ける。
 メイドに抑えられ、相良耕太が立たされるところだった。が、予想に反して相良耕太は、派手に暴れるでもなく、悪態を吐いて騒ぐでもなく……静かに引き立てられて行く。
「……耕太」
 自然と僕は彼の名前を呟いていた。それは引き立てられて行く彼が、本当の罪人のように頭を垂れていたからかも知れない。
 僕の声に反応し、相良耕太は顔を上げる。
「あ、そうだ。加納、悪いけど……書斎の本を片付けておいてくれないか。後で直すつもりだったが……もう無理みたいだしな」
 そう言って、相良耕太は自嘲的な薄い笑みを浮かべる。
 いつの間にか開かれていた奥の扉を通り、顔に布袋を被せられ……絞首台の上へと連れられて行く。
 そして、首を縄に通され、床板が落ちる。
 あっさりと……何事も無く、一人の男が吊られていた。
 静かに音を立て、縄が回って行く。それが、あの相良耕太だと僕には信じられなかった。僕の友人だったかも知れない男の吊られた姿だとは、どうしても信じられなかった。
 だが、相良耕太はもう居ない。もう、どこにも居ないんだ。
 
 
 瑠璃の案内で、僕と本田総司は一階の書斎へと来ていた。
 背の高い、しかし、幅の広くない両扉のドアを開き、中へ足を向ける。
 不思議な感じのドアだった。ドアの幅は普通の民家に使われているドアと変わらないだろう。しかし、その背は3mを超えていると思われる。
 そして、そのドアの意味を、部屋の中を見て、僕は納得する。
 書斎らしく中央に両袖の木製のデスクが置かれ、その周り……周囲が本棚で埋め尽くされている。
 壁は見えない。部屋全体が書架になって、隙間も無く本で塞がれている。
 これだけの本を誰が読むというのだろう。これだけの本を、知識を誰が必要とするんだろう。
 その本の量に圧倒されながら、僕は歩を進める。と、机の上に一冊の本と……無数のメモ、千切られたノートの走り書き、そして、開かれたままのノートが置かれていた。
 丸め、捨てられたメモを本田総司が拾い、広げて見る。
「…………」
 何も言わない。いや、言っていたかも知れない。僕にはその声は届かない。僕は……机の上で開かれたノートに目を奪われたままだった。
「何だよ、これ」
 呟き、ゆっくりと机に近付いて行く。
 机に引っ掻いたような後が無数に付けられていた。それに、涙の後か?ところどころ字が滲んでいるように思える。
「何なんだよ、これは」
 相良耕太は人狼のはずだ。……はずなんだ。
 机の上の惨状は、まるで『人狼』じゃない人間が、その疑いを晴らすにはどうすればいいのか、どうすれば吊られないのか、必死に考えていたかのように散らかっていた。
 そして、僕は立ち尽くす。
 机の上のノートは開かれたままだった。そこには、書き殴られたような筆跡が残されている。
 それは
 
 俺は、人狼なのか?
 
 滲んだ文字はそう書かれていた。
 そして、僕の脳裏に相良耕太の姿が……吊られた男の姿が浮かび上がる。いつもの、あのはにかんだような、捻くれたような笑みは見せてくれない。
「本当に、正しかったのか」
 無意識に言葉が漏れる。それは僕の本心からの言葉だった。
 本当に、あれで正しかったのか?
 そして、本田総司が呟く。
「そのはずだ。あれ以外には考えられない」
「はず?はずってなんだよ!!確信があって耕太を吊ったんじゃないのかよ!!?」
 自身の気持ちを落ち着けようと、本田総司は眼鏡の位置を直す。
「これも」
「これも、『人狼』の作戦だって言うのか!?死んだ後も僕は耕太を信じられないのか!?アイツは人狼なのかって悩んでた。それなのに……アンタはこれを見ても、何も感じないのか!??」
 いや、僕も分かっているはずだ。これは相良耕太が最後に残した……僕に仕掛けたトラップだと分かっているはずだ。
 なのに、僕はもしかしたら相良耕太は『人狼』の自覚が無かったのかも知れないと考えてしまう。悪意があって騙そうとしたんじゃないと思ってしまう。
「……落ち着け」
 本田総司が言う。しかし、僕はその言葉に頭を振るだけだった。
「これが『人狼』の作戦だったのなら……称賛に値します」
「は?」
 優しい響きを持った声を聞き、僕は振り返る。
 瑠璃だった。瑠璃は僕の横に来て、珍しそうにノートの端切れを持つ。
 その姿に嫌悪感を隠さずに、僕はその顔を睨みながら瑠璃に尋ねる。
「どう言う意味だ?」
 瑠璃は淡々と答える。
「効果のほどは不明ですが……己の死後も、その死を武器に使うと言うのは称賛に値すると思うんです。実際に相良耕太は吊られる事を覚悟していたのでしょう。ならば、どう吊られるのが効果的か?誰にメッセージを伝えるのか?明日以降の勝利の為に、今何が出来るのか?それを考え、実践するのは並の精神力では無い筈です。これは」
 と、僕と視線の合った瑠璃は真っ赤になった。
「え?あ、あの……す、すいません」
 赤くなって部屋の隅に逃げる。逃げる、が……そんな必要は無いのに。
「加納……」
 心配そうに本田総司が僕に声を掛ける。
 相良耕太が『人狼』だったかは謎だ。しかし、アイツはやっぱり最後まで、いや……終わってもまだ諦めないヤツだった。
「大丈夫だ。すまなかったな、取り乱して」
 溜息を吐きながら、僕は死者の仮面の奥で薄い笑みを浮かべる。
「あ、まぁ……その、気にするな。で、明日なんだが」
「明日?」
 小さく頷き、本田総司は続ける。
「明日は……一段と荒れるぞ」
「荒れるって……」
 眼鏡の位置を直しながら、本田総司はきっぱりと言う。
「今日、報復に山里理穂子が喰われなかった場合、彼女が人狼の候補として吊られるという事だ」
「な!??」
「山里理穂子は黒の判定を出した。そして、それが通ったんだ。そして、対抗の『預言者』は居ない。つまり、『人狼』にしてみれば生かせておく価値は無いんだ。喰って、これ以上黒判定を出させないようにする」
 本田総司は続ける。
「逆に生かされた場合、喰えない理由が他にあると考えられる。つまり……」
「『人狼』……か」
「そうだ。もっとも、『狩人』が生きている可能性もある。『狩人』に守られていれば生き残るが……この場合、翌日の死者は出ない」
「死者が出なければ言い訳も出来るが……それが出来なければ、吊られる可能性が高くなる、か」
 そう言う訳だと言いながら、本田総司は部屋の奥に設けられた窓に目を向ける。
「もう時間か……」
 僕は溜息のように言い、本田総司に先に戻るように促す。
「僕は書斎を片付けてから戻るとするよ。……ほんと、アイツは馬鹿みたいに散らかしやがって。後で片付ける人の気持ちも考えろっての」
 言いながら、僕は本田総司に背を向け、机の上に出された分厚い書籍を手にする。一冊だけ置かれたその本のタイトルは『Necronomicon』だった。
 辞典のような厚みのその本を手に、ほんの少し僕は悩む。これも『人狼』の作戦の内だろうかと。
 パラパラと中を見るが……英語がメインだけど、国籍不明の文字が大半で僕には意味不明だった。
 僕は無造作に本を閉じ、書架の空いている場所に適当に放り込む。
 瑠璃を見ると、テキパキと清掃を進め、もうほとんどする事が残ってなかった。
 ここで……僕は書斎の机に指先で触れる。
 相良耕太は最後の時間を過ごしたんだ。何を思い、感じながら、過ごしたんだろう。僅かな、ほんの数日だけの思い出だろうか?それとも、村を全滅させる方法を必死に考えたんだろうか?
 だが、考えても、もう意味が無かった。
「あ、あの……加納さん」
 瑠璃が僕を呼んでいる。
 あぁ、分かっている。と僕は返事をしながら振り返る。そして、瑠璃と共に書斎を後にする。
 誰も居ない書斎を……後にする。