第五日目 夜.
 
 
 瑠璃の寝息が落ち着くのを待って、僕は静かにソファから身体を起こした。
 ソファの背凭れから顔を出し、瑠璃が間違いなく眠っているのを確認する。
 ゆっくりと、静かに……足音を忍ばせて、窓辺へと身を寄せる。猫のように音を殺し、薄闇の中を歩く。
 窓辺に来た僕は、小さく溜息を漏らす。
 まるで、何て言うか……その、悪い事をしているみたいだな。何か釈然としない気持ちのまま闇の中で瑠璃を見る。
 一つ間違えたら変質者だ。そう思いながら、僕は欠伸を噛み殺す。
 暗闇の中で少女を見つめる。少女は眠り続け、僕が起きている事に気付かない。
 って、違う!そうじゃない。僕は今日の結果を考えようと起きて来たんだ。
 僕は頭を振って、自分の危ない行動を正当化する。いや、そうじゃない。僕は頭を振って、微かに残っていた眠気を振り払う。大きく息を吸う。
 今日、相良耕太を吊った。
 彼が『人狼』かは解らないが、それ以外に選択肢は無かったように思う。
 実際に山里理穂子から黒判定を貰ったんだ。他に『預言者』の候補がいない限り、吊りは避けられないだろう。
 例え、彼女が騙りでも……判定を覆すのは不可能だったはずだ。そう、騙りでもだ。
 彼女が真である証明があれば話は早いんだがな。相良耕太の顔を闇の中で思い出そうする。……が、何故か彼の顔を思い出す事は出来なかった。
 山里理穂子が『狐』を見てくれれば……話は簡単なのにな。
 窓に映った自分の顔を見ながら、僕は考える。
 何故、彼女は『狐』を見つけられないのだろう。
 冷静になって考えてみれば、それも変な話だ。見付け難いのは理解出来る。出来るが……これほど見事に外す事もあるんだろうか?
 今残っているメンバーだと……相良耕太が言ったように、井之上鏡花と田沼香織が怪しいだろう。『人狼』として吊った相良耕太の言葉を信じるのも変な話だけど……怪しいのは、彼女達だ。
 いや、枠を自分の中に作るな。思い込みはではなく、冷静に状況を分析するんだ。
 山里理穂子の視点だと考えるなら、志水真帆は白判定をもう貰っているから……最大でも四択か。
 そして、『人狼』に『狐』も混じっているんだから、人外という括りで考えれば確率は1/2のはずだ。
 が、実際に『人狼』は何匹残っているんだろう?
 坂野晴美と岡原悠乃の二人の内、どちらかで一匹。それと相良耕太で、二匹でいいのか?
 今のところ『狂人』らしいのも居ないし、やはり二匹で安定ってところか?
 不意に出た欠伸を噛み殺す。
 もう日付けは変わっているんだろうか?
 時計が無いと時間が分からないな。
 ぼんやりと薄闇の中で部屋を見回す。そう、ルルイエの館には時計が無い。メイドに時刻を聞けば、秒単位で答えてくれるが……彼女達も時計というものを持っていない。
 何でそれで時間が分かるのか不思議だが……案外、体内時計とか答えそうだ。
 とにかく……日没までに部屋に戻らされるから、夜がやたら長く感じる。
 ここで一度、頭の中を整理しよう。
 初日に、矢島那美が喰われていた。
 二日目に、僕が吊られ、藤島葉子が喰われた。
 三日目に、岡原悠乃が吊られ、田沼幸次郎が殺された。
 四日目に、坂野晴美が吊られ、大島和弘が喰われた。
 そして、今日……五日目に、相良耕太が吊られたんだ。
 やはり、ネックになるのは田沼幸次郎の死だった。
 冷静に、私情に流されずに考えて、田沼幸次郎は本当に毒殺されたんだろうか?
 もし、田沼幸次郎が『狐』だったのなら、本田総司はその死を利用しようとした『人狼』もしくは『狂人』という事になる。
 そして、山里理穂子は騙りだと判明する。
 山里理穂子を『人狼』として吊り、その翌日にゲームが続いていれば、本田総司を吊る訳か。
 本田総司を吊って、ゲームが終わればいいんだが……いや、ダメだ。そうじゃない。違う、そうじゃなくて……本田総司を信じなくて、誰を信じるって言うんだ、僕は。
 だが、と僕は考える。
 山里理穂子を手放しに信じる事は出来るだろうか?
 もし、彼女が本田総司に黒判定を出したなら、それを僕は信じるのか?
 ……答えは、NOだ。
 彼女が本田総司に黒判定を、いや、本田総司じゃなくても二日連続で黒判定を出したのなら、それを信じる事は出来ない。
 相良耕太が吊られる時に彼女が見せた、勝ち誇ったような薄い笑みが……嘲りを含んだ笑みが思い出された。
「……耕太」
 自然と漏れた呟きに、はっとする。が、瑠璃の寝息は変わらなかった。
 窓の外に目を向ける。
 もう起きているのが限界のようだった。
 窓に映る自分の顔を見つめる。見つめ、思う。
 またあの夢を見るのか。……見せられるのか。
 そして、その翌日には夢の内容を聞かれ、僕は答えるのだろう。
 何故か、あの夢は、人に聞かれれば答えずにはいられなかった。
 あの夢を、僕は見るのが嫌だった。話すのが嫌だった。
 その人の大切なものを覗き見しているような気分だった。それを知っている事に優越感を持っているかのようだった。
 違う!僕は知りたくなかった。見せられたくなかった。
 窓に映る自分の顔に、拳を押し付ける。
 他人が触れてはいけないものを見せられている気分だった。そして、それを僕は聞かれれば答えてしまう。
 恥知らずな行為だと思う。
 だが、そう思っていても……僕は話してしまう。
 死者の夢を。死者の見る生者の夢を。
 
 
【幕間】
 
 
 興味も無さそうに古川晴彦は、分厚いステーキを切る。
 切った肉を品定めするように観察し、ゆっくりと口に運ぶ。が、その目は至福に細められる事はない。
 その様子は、どこまでも冷徹で、どこか不機嫌そうにさえ見える。
 塩の分量を確かめるように咀嚼し、仕方なく胃に納めるように飲み込む。
 添え物の野菜も同じだった。
 ナイフの切れ味を確かめるように切り、その断面を見てから、ゆっくりと口に運ぶ。
 実際、古川晴彦には、ここの食事は美味しいとは思えなかった。
 不味くはない。が、美味しくもない。
 何が悪いんだろうと、最初は思っていた。
 材料は最高だった。新鮮な肉と野菜。それに味付けも申し分ない。誰が食べても、美味いと感じるはずだ。
 なのに、美味くはない。……ないと感じてしまう。
 それを不思議に思っていたが、ようやく理解したような気がした。
 多分、温もりが足りないのだろう。いや、料理は温かい。温かいが、作り手の情感的な温もりが一切無いから、食べる側も機械的になってしまうんだ。
 冷凍食品のインスタント・ディナーの方がまだ、作り手の感情を読めるだろう。
 そう思いながら、食事を終え、ナイフとフォークを置く。
 いつもなら、食後の紅茶を頼むところだが……と、ナプキンで口元を拭いながら、古川晴彦は考える。
 ここの紅茶は飲めた物ではない。
 美食家を気取るつもりはないが、あまりに酷い味だった。
 最初に一口飲んで、吐きそうになったのを思い出し、苦々しく顔を歪める。
 紅茶も、二日目に頼んだ珈琲も最悪だった。 
 特に、初日のお茶会は最悪だったと思う。
 美味くも無い菓子を食いながら、飲まされたあの紅茶は……反吐が出そうだった。
 食品サンプルのような、見た目だけは豪奢な菓子の数々。そして、色水のような紅茶。それをあの、マネキンのようなメイドが振舞うのだ。
 正気の沙汰じゃない。狂った世界の茶会だ。
 真似事のような茶会……その茶会で、飲み食いをせずにいた少年を思い出し、古川晴彦は苦笑を漏らす。
 あの初日の吊りは、狂った茶会に参加しなかった罰のようだな。
 彼は――
 
 不意に、部屋の明かりが落ちた。
 
 いや、光は消えていない。消えていないのに、薄暗くなったような気がした。
 来ました、か。
 右手にナイフを握り、ゆったりと古川晴彦は立ち上がる。
「随分と……遅い訪問ですね」
 振り返ったそこに、入り口を背にした『人狼』の少女が立っていた。少女の他に人影、『人狼』の影は見えない。
 振り返りながらフォークを手にし、古川晴彦はそれを二つ並べて、自分の背後に……少女の死角にあるテーブルに静かな音を残し、置いた。
 置いた右手を確かめるように前に出し、左手で軽くその掌を揉む。
「あなたが、最後の『人狼』……ですか。吊りは順調に進んでいるようですね」
 慎重に距離を測りながら、古川晴彦は『人狼』の少女に近付く。
 まだ、安心は出来ない。他の『人狼』が隠れている可能性もある。……油断はするな。
「どうしました?何も言わないんですか?」
 後半歩で少女の間合いに入る場所で歩みを止め、古川晴彦は少女に尋ねる。
「僕に……何か、聞きたい事があったんじゃないんですか?」
 じっと少女の表情を見る。少女の表情は見えない。
 その『人狼』の少女の様子に肩の力を抜き、馬鹿にしたような溜息を吐き、嘲りを込めて話し出す。
「あなたが何も言わないのは……何も言うなと指示されているからですね。あなたに指示を出したのは、相良耕太でしょうか?彼が『人狼』だったのなら、今日の吊りは価値があったと言えるでしょうね」
 少女は変わらず何も言わない。その表情も前髪に隠れて見る事は出来ない。
「実際に、彼のように考えて動くタイプのプレイヤーは」
 不意に少女が動いた。いや、それよりも先に古川晴彦が動いていた。
 そして、『人狼』の少女は見る。まるで何かを振りかざすように左手が閃き――と、同時に彼女は気付く。古川の背後のテーブルにナイフは置かれていない。フォークは置かれているが、それだけだった。――だが、それは読んでいた。死角にナイフとフォークを置いた振りをする。実はフォークだけで、ナイフは隠し持つ。
 甘い!と、声を出さずに、少女は右手で古川の左手を掴む!
  
 ピッ。
 
 小さな音がした。
 そして、少女は見る。古川晴彦の右手に握られているナイフを。
 ゆっくりと少女の右手は、古川晴彦の左腕を離す。そして、半歩だけ後ろに下がる。
 雨のように鮮血が少女の首から噴き出した。
 古川晴彦は曲芸のようにナイフを閃かせ、手品のようにナイフを消してみせる。消して、左手に握ってみせる。見せては消し、消しては見せる。
 その曲芸を、少女は自分の血液が噴き出す音をBGMに見せられる。
「簡単な、初歩的な手品だよ。死角と思い込みを使った……ね」
 少女は自らの首を絞めるように手を回し、ゆっくりと膝を着く。
「……ごぼっ」
「喋るのは無理だよ。気道も一緒に切らせて貰ったからね。ショック死は免れたみたいだけど……もって5分ってとこかな?」
 古川晴彦は少女との間に距離を置き、テーブルまで戻り……振り返り、少女を見る。
 反撃は不可能だ。失血量から見て、少女には首に手を当てるのが限界のはずだ。もうすぐ、それも出来なくなる。
「5分……そうやって考えてみると、結構あるかもね。そうだ。ちょっとだけお話をしようか?」
 訊ねながら古川晴彦は思い出したようにナイフを閃かす。
「僕は思ったんだよ。田沼幸次郎を『狐』が殺す事が出来たのなら、『人狼』を人が殺す事も出来るんじゃないかってね。実際に出来なきゃ不公平だろ?」
 ペン回しのようにナイフを使い、古川晴彦は続ける。
「だから、僕は思ってたんだ。『人狼』が来たら、僕は殺してやろうってね。随分と遅いって最初に言ったよね?」
 右手から左手、左手から右手へとナイフを閃かせる。
「あれは、僕を殺しに来るのが、随分遅かったって意味だよ?本当に遅かったよ。『狩人』なんかやってたらすぐに来ると思ってたのに」
「ごぶっとう」
 少女が呟きと一緒に血を吐き出す。
「無理に喋らない方がいいよ。もう大分肺に血がまわっ」
 言い掛け、古川晴彦は自分が背後のテーブルを見ているのに気付いた。
「え?」
 回り続けていたナイフが落ちる。が、何故落とす。何故、落としたんだ?
「ありがとうって言ったんだよ」
 少女の声が背後から聞こえる。ゆっくりと膝から崩れるように世界が揺れる。揺れるが、床の感触を膝が伝える事はなかった。
 首から下の感触は無かった。
 
 頭を180度後ろに回され、古川晴彦の頚椎は砕かれていた。
 
 先程の少女と同じように、古川晴彦は膝を着く。が、身体とは裏腹に、その頭は完全に後ろを向いている。
 正座をするように崩れた古川晴彦の横を通り、顔の正面に回り、『人狼』の少女は話し掛ける。
「あのね、幾つか誤解があるみたいだから……教えてあげるね」
 少女は楽しげに笑う。
「田沼幸次郎は殺せるから、殺せたの。ゲームに関係してないからって言うか……ゲームが崩れないから?んで、あたしを殺せないのは、あたしが『人狼』だから。普通に考えればわかるよね?殺せるはずがないじゃん。殺せたら、さっさと殺してゲーム終わらせちゃえばいいんだしね。それと」
 と、少女は続ける。
「わかってないから教えたげるけど、世の中ってさ……不公平だよ?」
 少女はぽんぽんと古川晴彦の頭を叩く。叩くが、反応は無かった。
「ね、聞いてる?……ん、あれ???普通は首が折れても3分くらいは生きてるんじゃなかったっけ?」
 不思議そうに首を傾げながら、「まぁ、いっか」と『人狼』の少女は、予定されていた作業に移る。
「んっと、面倒臭いなぁ。ってか、不味そうなんですけど?」
 首を捥ぎ、その首から目を抉り出す。鼻を削ぎ、耳を千切り……頭部の解体を始める。
 頭が終われば、次は身体か。
 本当に面倒臭いと思う。思うが、やめる訳には行かなかった。
 三人分の仕事をし、三人分の食事をする。
 それが吊られた『人狼』からの指示だった。
 もう何匹か減らされちゃってるのバレバレなんだからいいじゃん。
 駄目だ。最後まで三人分の仕事をするんだ。
 あんましくどくど言うから、声が頭ん中で再生されてるんですけど?
 少女は大袈裟な溜息を吐き、薄暗い部屋の中で解体作業を続ける。続けながら、憂鬱になる。
 この後、三人分も食べるんですか?