七夕
 
 
 七夕だから……と言うわけではないが、久しぶりに会おうという事になった。
 
 葉菜とは恋人同士だ。名目上は、そうなっている。だが、親同士が知り合いで、付き合いも生まれる前からになると……ま、何て言うか 、ちょっと面倒臭くなる。
 付き合っていても、そんなに明るいもんじゃなく、きゃっきゃうふふな関係じゃない。いわゆる倦怠期とは違い、付き合い出した当初から…俺の記憶が確かなら、そんな明るさは無かった。
 これが親の決めた許嫁なら理解も出来るが、生憎と俺達は普通に付き合い出した。
 そして、それは30ん歳になった今も続いている。
 俺はバイトを続けながら物書きの真似事をし、葉菜は大手の会社でOLしている。
 あんないい加減な男とは別れなさい。と、娘を思う親なら言いそうだが、そんな事も無く、暖かく見守られているようだ。
 
 有給休暇が余っていたとか何とか言いながら、葉菜は席に着く。俺が今日は良かったのか、と聞いての返事だった。自分で聞いておいて、その態度は何だ!とは葉菜も言わない。
 良く無かったにしても、朝の9時から喫茶店に来てるんだから、もうどうしようないだろう。
 葉菜のたわいも無い話に、適当に相槌を打ちながら、俺は窓の外に目を向ける。
 天気予報は、雨だった。
 実際の天気は、曇り……小雨が降って来たか?
「……雨か」
 独り言のようの呟く。
「ん。降って来た?」
「みたいだな」
 窓から視線を戻すと、葉菜はにんまりと笑いながら、来たばかりの珈琲を包み込むように持つ。
「今日くらいは、雨で良いんじゃない」
「え?」
 いや、普通は七夕くらい晴れろって言うんじゃないのか?
 俺がよほど怪訝な顔をしてたのだろう。葉菜は大袈裟に溜息を吐き、小さな子供に聞かせるように言う。
「あのね、彦星と織姫って年に一度だけ……七月七日の今日だけ、逢う事を許されてるの。だから、今日だけは邪魔されないように、雲の向こうで、二人っきりで逢わせてあげたいじゃない?」
 そう言って微笑む葉菜は、分かるでしょ?と話を結んだ。
 
 喫茶店を出てから、雨を避けて、地下街へと入る。畳んだ傘が邪魔だが、傘がぶつからないように、距離を開けて歩くよりは良いだろうと思ったのだ。
 にこにこと上機嫌に、葉菜は地下街を流れて行く人波を眺めている。何がそんなに楽しいのかと思うが、葉菜は人波を見るのが好きだった。
 変わった女だと思う。思うが、そんな葉菜の様子を見るのが好きな俺も、大概、変な男かも知れない。
「でも、良かった」
「ん?何が」
「耕ちゃんが、七夕の事、憶えてて」
 ちなみに、耕ちゃんとは俺の事だ。30過ぎのおっさんを捕まえて、耕ちゃんは無かろうと思うのだが……いや、ちょっと待て。何だ、その微妙に引っかかる物の言い方は。
 七月七日は、普通に七夕だろう。嫌な予感を感じながら、俺は葉菜の様子を覗き見る。
「ちゃんと約束したもんね」
 反射的に、俺は目を逸らす。いや、反射的に目を逸らしそうになったが、俺はゆっくりと進行方向に目を向ける。
 約束?何の事だ?
 疑問に思いながら、俺は同意を求めて来た葉菜に適当な返事をする。
 そして、繰り返し疑問に思う。七夕?約束?いったい何の事だ???
 葉菜が俺に話し掛けている。が、俺は冷や汗を掻きながら、必死に脳内を検索し、記憶を引っ掻き回していた。
 やべえ。マジで記憶に無い。七夕で検索に引っかかったのは、某ラノベのタイムトラベルネタくらいしか無かった。
 Memory Lost.
 いや、冗談じゃなく、ヤバい状況だった。
 Emergencyの文字が、脳内で赤く点滅し、警報音が鳴り響く。
 葉菜は異常に記憶力が良く、他人にはどうか知らないが、俺にもそれを求めてくる。
 つまり、「忘れるって事はどうでもいいんでしょ……」と、なる。
 ヤバい。マジでヤバいんですけど。
 葉菜は普段はほにゃららしているが、怒らせると……いや、この話は止そう。
 ヤンデレみたいに光彩を失った目で、壊れた三輪車を持つ……幼稚園児の葉菜を思い出しそうになり、俺はその忌まわしい記憶を再び封印しようと……ん?
 小さかった頃の葉菜と七夕の笹。葉菜の笑顔。泣き腫らしたような目で笑っている……葉菜?
 そんなイメージがフラッシュバックのように脳内で再生される。
 記憶はまだはっきりとしないが、俺は探りを入れてみる事にした。
「ず……随分と昔の事を憶えているんだな」
「まぁ、大事な事だし」
 よっしゃあ!ビンゴだぜ!!って、なぜそこで赤くなる?
 葉菜は恥ずかしそうに顔を背け、
「は、恥ずかしいこと言わせんな。バカ」
 とか、ごにょごにょと口の中で呟いている。
 ってか、キャラが違うんじゃないのか?
 隣に居るのは、あの普段は無表情で淡々としてるのに、他人には愛想が良いっていう……葉菜さんですよね?
 俺は葉菜の意外な一面を見せられ、こういう表情も良いよな。そう思った。って、萌えとる場合か!! 
 
 その後、俺の観たかった映画に行き、昼食を摂り、再び……地下街を二人でぶらつく。
 葉菜の機嫌は良く、久しぶりのデートを楽しんでくれたようだ。
 俺はといえば……さっきの七夕の話が気になり、上の空続行中だった。いや、だって、気になるだろう、普通は。
 身の安全の為に知ったかをしたが、中途半端に思い出してるから、残りの部分が気になって仕方がなかった。……あの小さかった頃の葉菜の笑顔が、頭に引っかかってる訳じゃないぞ?
 しかし、本当に七夕の約束ってのは、何の事なんだ?
 七夕……七夕……。思い出されるのは、幼い葉菜の笑顔と短冊だ。だが、短冊と七夕は一括りで記憶されていても何の不思議もなく、葉菜の言っていた約束とは関係が無いのかも知れない。
 俺と葉菜は地下街を出て、郊外のBOOKOFFまで歩く事にした。
 少し距離はあるが、小雨になって来たし、葉菜が外の空気が吸いたいと言ったからだ。
 傘を差し、少し距離を開けて歩く。
 傘が当たらないように気を付け、二人で、距離を測りながら歩いて行く。
 俺はこの距離が大嫌いだった。かと言って、一緒の傘も冗談じゃないと思う。互いに濡れないように気を使いながら、最後には二人とも雨に濡れてしまう。
 その結果が分かっているから、雨の日に出掛けるのは好きじゃなかった。
 俺は横を歩く葉菜の顔を、さり気なく見る。
 物心がつく前から見てるその横顔は、確かに老け……げふんげふん。じゃなくて、大人びた容貌になった。なったが、あの日の……幼かった頃の面影も確かにあった。
 俺は前を向いたまま、葉菜に話し掛ける。
「あのさ、朝の話……あの七夕の約束って、なん……だったの、かなぁって、気になってたりして?」
 俺が話してる途中で、葉菜の雰囲気が変わる。
 歩くペースは変わらない。その表情も変わらない。ただ、光彩が無くなったように、その瞳は光を失っている。
「ふぅん。……憶えてなかったんだ」
 氷柱を突っ込まれたような気分だった。どこに突っ込まれたかは……まあ、想像に任せる。
 とにかくヤバイ。話を変えるか?だが、失敗したら、それこそ死んだ方がマシでしたって結果になるんじゃないか?どうする?どうするんだよ???
 俺が必死に対策を考えていると、葉菜がクスッと笑った。
「ほんとに憶えてないの?幼稚園の時の話だよ?」
 そんなガキの頃なんか憶えてられっか!!
 俺は心の中で、ツッコミを入れながら、口では素直に謝る。
「ごめん」
 下手な事を言って、またヤンデレ化したら怖いからな。
 
 葉菜の話を要約するとこうだった。
 幼い頃、俺と葉菜は二人で七夕の短冊を飾っていた。その日も小雨が降り、縁側で飾ったばかりの短冊が濡れて行くのを二人で見ていた。
 葉菜はそれが悲しくて泣き出して、そんな葉菜を見て、俺が言ったらしい。
「せっかくの七夕なんだから、彦星と織姫を二人っきりにしてやろうぜ」
 ……そんな恥ずかしい話をしたのか、俺は。っていうか、それじゃあの朝の話は、
 
「うん。耕ちゃんが言い出しっぺだよ」
 いや、それじゃアレか?
「俺が憶えてないって事は、最初から気付いてたのか?」
 俺の問いに、葉菜はにっこりと微笑む。
 くそっ。最初から気付いていたのなら、俺は何を悩んでいたんだ。ってか、あの恐怖は何だったんだ。
「それでね、その時の願いが」
「願い?」
 うん、と頷き、葉菜は続ける。
「耕ちゃんの願いが、『世界征服』だったんだよ」
「いや、あり得ねえだろ!!」
 反射的にツッコミを入れる。いくらガキの頃の俺が大胆不敵でも、それは風呂敷がでか過ぎるってもんだ。
「何かね、願いが多過ぎて面倒だから世界征服にしたんだって」
 ……それならあり得る。
「で、その時の約束がね」
 ん?あ、そうだ。七夕の約束の話だったっけ。
「世界征服をしたら、俺がお前を迎えに行ってやるよ」
 俺の口調を真似て、葉菜は宣言した。そう、それは宣言と言う表現が似合う、そんなきっぱりとした言い方だった。って、ええええええ???
 冗談でしょ?冗談だよね???俺が言ったの?そんな恥ずかしい事を、俺が言ったんですか?
 葉菜は俺の顔を見て、にっこりと微笑む。
 微笑んで、
「早く、世界征服してね」
 と言った。
 無理です。不可能です。ソレハ誇大妄想ノ妄言デス。
 俺はその現実から逃げるように、空を見上げる。
 傘の向こう、雲に隠れたその向こうで、彦星と織姫はいちゃらぶの最中なんだろうか?
 そして、そんな二人に俺は願う。
 願うが……それは幼い日と、ほんの少し違っていた。