第四話 初夏の風に
 
 
 朝、目覚めると二人の姿は無かった。
 今日は月曜だから、普通に学校に行ったんだろうと思う。ぼんやりと目を向けると、時計の針は10時18分を指していた。……寝過ぎだ。
 部屋を出ると食卓の上に、朝食と二枚のメモが残されていた。
 メモを一枚ずつ手に持って、寝起きで霞んだ目で見る。
『おはようございます。
冷蔵庫にサラダもあるので、忘れずに食べてください。
       香織』
『おはよぅ。
バイト昼からだよね?
11時頃にケータイいれるから
それまで寝てていいよ(はーと)
          由希』
 二人のメモを交互に見比べ、僕はコーヒーメーカーの電源を入れ、トイレに行った。
 食パンを焼きながら、冷蔵庫からサラダを出す。サラダって、フルーツ・サラダかよ。
 ま、作ってくれてるんだから文句を言っちゃダメなんだろうけど……ヨーグルトって、あんまり好きじゃないんだよな。
 食卓のほうは、フレンチトーストにベーコン&スクランブルエッグだった。
 朝から贅沢だなあ。……って、パン焼いちゃってるし!
 美味しい物を食べれるのは嬉しいけど、はっきり言って、こんな食生活をしてたら僕のバイト代だけじゃ絶対に足りない。由希の分の食費と生活費を、親父に請求することを真面目に検討したほういがいいかもしれない。
 そんなことを考えながら、朝食を食べていたら、バイト先の会社からトラブル発生で呼び出しを食らった。
 
 一時間の早出に昼休み無しで、ぶっ通しで作業した結果……午後四時に、トラブルは解消された。
 今日は、実質一時間半の定期メンテの予定だったから、かなりハードな作業になったと言える。けど、報告書は社員の人が書いてくれるから、僕の仕事はこれで終わりだった。
 タイムカードを押して、帰ろうとしていたら、サポセンの香川さんに呼び止められた。
「おつかれさま〜。浩司くん、お昼まだでしょ?一緒に食べに行かない」
 香川さんは、今年新卒で入った人で……確か、短大卒だったはずだから、僕より3歳年上の女性だ。何度か食事を奢ってもらったことがあった。どうやら、僕のことを貧乏な苦学生みたいに思ってるようだった。
「食事ですか?」
「あら、気乗りしてなさそうな返事ね」
「いや、もう帰ろうと思ってたから……」
「どっちみち帰っても、ご飯食べずに寝ちゃうんでしょ?美人のお姉さんが誘ってるんだから、大人しく付いてきなさい」
 そして、僕は強引に腕を引かれながら、会社の外へ連れ出されることになった。
 
「……で、なんでハンバーガーショップなんですか?」
「ん?たまにはいいじゃない。安くて早くて美味しくて高カロリー♪それにちゃんとお金払ったでしょ。文句を言わず、感謝してお食べなさい」
「別に文句言うつもりはないですけど……」
「けど?」
「…………いただきます」
 太りますよ。と言ったら殺されそうな気がした。
「よろしい」
 香川さんは、落ちてくる髪を気にしながら、静かにハンバーガーを食べている。
 この人、黙ってるとほんとに美人なんだよな。たまに外で会うことがあるけど、こういう明るい場所だと会社の安っぽい蛍光灯の下とは全然違って見えるのが不思議だった。
「浩司くんさ、ん……彼女できた?」
「え!?なんですか、いきなり??」
「んと……だって、今日は妙に血色いいし、上機嫌だから」
 血色って一日普通の食事しただけで良くなる物なのか?っていうか、今日そんなに機嫌良かったかな?
「やっぱ、彼女とかいないの?」
「……いないですね」
 正確には、彼女はまだいないんだと思う。
「ふぅん」
 香川さんは、興味無さそうに返事をして、シェイクを派手な音を立てて啜った。
 彼女……か。
「なにしょんぼりしてるのよ。浩司君にはそのうち素敵な彼女ができます。お姉さんが保証するよ」
「なんですか、それ」
 明るく笑いながら、香川さんが何の根拠も無い保証をしてくれた。けど、悪い気はしなかった。
「ん〜〜〜気にしない。気にしない」
 それから店を出るまで、僕は変なサポセンの内輪話を聞かされ大笑いしていた。
 香川さんと別れ、アパートに帰り着くと……猫の香織が僕を迎えてくれた。
 
 
 家に入ると、制服のままの香織が四つ足で僕に擦り寄りってきた。
「なーぅ」
「あれ……また猫?」
「なー」
 妹の靴は玄関に無かったから、また一人で寂しかったんだろうか?
 帰って来てから出掛けたのか、まだ帰ってきてないのか……香織に聞こうにも猫じゃ話が通じない。
「前は……キスしたら戻ったんだよね?」
 僕は香織の前に跪くと、両手を頬にそえて……優しく唇を重ねた。
「ん……」
 びくり、と香織の身体が震える。
 唇を離すと、元の香織に戻っていた。しかも、赤面モード。
「ただいま」
「お、おかえりなさい」
 香織は慌てたように立ち上がり、
「お茶を淹れますね」
 と、キッチンに逃げるように入る。
 ま、当然の反応かな。
 
 僕は基本的にコーヒー派だったが、妹も香織も紅茶のほうが好きだった。
 僕のコーヒーを淹れた後、自分のミルクティーを持って香織は食卓に着いた。
 そのとき僕は、香川さんに言われた『素敵な彼女』と言うフレーズが、脳内でリフレインされていた。香織は紅茶を舐めるように、少しずつ飲んでいる。
 何も言わない僕をときおり、ちらりと見ては、また紅茶に視線を落とす。と、それを繰り返していた。
「……どうして」
 ぽつりと、香織が呟いた。
「え?」
「どうして、猫のときばかりキスするんですか?」
 どうしてって……猫から戻すのに、キスが一番確実っぽかったからだけど……香織が言いたいのは、そういうことじゃないみたいだった。
 僕は軽く椅子を引き、香織を前に立たせることにした。
「香織……こっちに来て」
「え?」
 怯えたような目で、香織は僕を見て、ゆっくりとした動きで立ち上がる。
「おいで」
 僕は両手を差し出し、それに香織がおずおずと手を重ねる。
 下から、香織の顔を見ながら僕は話し出した。
「香織は……昨日、あたしじゃダメですかって聞いたよね?」
「……はい」
 香織は重ねた指を震わせながら、恥ずかしそうに僕を見ている。
「その言葉の意味とか……ちゃんとわかってるのか?」
 顔を赤くし、視線を逸らしながら、香織は小さく「はい」と答える。
「それは、俺の言うことを、何でも聞くってことだよ」
 自分でも声が震えているのがわかった。
 香織は声を出さず、小さく頷いただけだった。
 僕は香織の前に立つと、彼女の細い肩を抱き、優しく唇を重ねた。
「……んっ」
 長いキスの後、ひゅっと小さな音を立てて息を吸い、香織はぶるっと震えた。
 香織の息が整うのを待たず、もう一度唇を奪う。……強く、激しく。
 僕の腰に手を回しながら、香織は苦しそうに身体をくねらす。
「は……ぁ、ぁっ」
 唇を離れ、頬から首筋へとキスを繰り返すたびに、香織は身体の奥で何かが弾けたように震えた。
 ガクガクと震える膝が崩れないように身体を支えながら、僕は貪るように唇で香織を犯す。
 このまま、めちゃくちゃに壊れるほど香織を責め苛みたい。全てを奪い、僕だけの物にしてしまいたい……そう思った瞬間、香織が力尽きたように崩れ落ちた。
 香織は膝を崩し、涙の溜まった目で僕を見上げる。
 その目を見て、僕は……僕を昂ぶらせている欲情とは全く別の愛しさを香織に感じた。僕は自分の中から湧き上がる想いを、心の中で言葉にする。
 香織を守りたい。
 傷付けたくない。
 悲しませたくない。
 誰にも渡したくない。
 僕は香織の前に跪くと、ゆっくりと彼女の身体を抱き寄せる。
「……ごめん」
 自分でも気付かないうちに、僕はそう呟いていた。
 腕の中で、香織が頭を小さく横に振った。
 僕らは何も言わず、ただお互いの身体を抱きしめ、静かに目を閉じていた。
 
 その後、僕は香織と一緒に彼女の家に明日の学校の用意を取りに行った。
 彼女の家は、僕のアパートからほど遠くない高級マンションだった。
 香織が必要な物を用意する間、僕は居間で待たされていたが、そこは怖いほど寒々しい雰囲気だった。
 誰もいない家って、こんな感じなのか。
『一人でいると寂しくて猫になってしまう』
 香織はそう言っていたのがよくわかった。いや、猫になっても寂しかったに違いない。
 だから、僕のところに来たんだろうか?
 その帰り道、僕は香織としっかりと手を繋いでいた。
 指を絡め、決して離れないように……。
 
 
 僕らが帰ると、すぐに由希も帰ってきた。
 両方の親が、僕の実家に香織が住むことをOKしたらしい。
 双方の連絡を取るのが苦労したけど、その後は割と簡単に話が進んだと妹は言っていた。
 いま香織は僕の携帯電話で、アメリカに住む母親と話をしている。
 ちょうど都合が良かったので、僕は妹を外に連れ出し、話をすることにした。
「なに?晩御飯の用意したいんだけど」
「すぐに終わるから……ちょっと付き合えよ」
 外に出て、ぶらぶらと歩きながら、僕はどうやって話を切り出そうかと悩んでいた。……が、先に妹が話し出した。
「お兄ちゃんさ……香織ちゃんのこと前から好きだったんでしょ?」
 僕のほんの少し前を歩きながら、由希は静かに話していた。
「なんで、そう思うんだ?」
「ん……何となく」
 いつもの公園に着くと、妹はブランコに座り、ぽつりぽつりと話し出した。
「ほんとはさ……勝ち目無いのわかってたんだ。香織ちゃん可愛いし、あたしは……ほら、妹だし」
 由希の言葉以上に寂しげにブランコの鎖が鳴る。
「お兄ちゃん、気付いてないだろうけど……香織ちゃん、見るときの目……すごい優しいんだよ」
 僕はブランコの支柱に凭れ、遠くを見ていた。
 悲しそうな由希の顔は見たくなかった。
「だから……かな、ちょっと意地悪したくなっちゃった」
「俺はまだ何も言ってないぞ」
「だったら、あたしを選んでくれるの!?違うでしょ」
 真直ぐに僕を見ていた目を、由希はゆっくりと前に戻す。
「最初に……さ」
「ん?」
「最初にお兄ちゃんの部屋行ったとき、香織ちゃんがいて……」
「うん」
「すごい悔しかった」
「あのとき、思いっ切り引っ叩かれたな」
「うん。お兄ちゃんが部屋に呼んでくれたの、あの日が初めてだったんだよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。……だから、すごい嬉しかったのに」
「……ごめん」
「謝んないでよ」
「悪ぃ」
「もう……何も言うな、馬鹿兄貴」
 言われたとおり、僕は口を噤む。また謝りそうだったから。
「あの日、最後まで行けなかったから……かなぁ」
「……由希」
「喋らないで。独り言に返事しないでよ」
「……うん」
「あたし……お兄ちゃんが好き。大好き。だから、それでいいの」
 妹がブランコから立つと、鎖が揺らされ、キィと小さく鳴った。
「さて……と!そろそろ帰らないと香織ちゃんが心配しちゃうね」
「うん」
 先に歩き出した妹は何かを思い出したように立ち止まり、振り返ると僕にこう言った。
「香織ちゃんのお父さんとお母さん、半年後に帰ってくるけど……それまで、えっちは一切禁止ね」
「え?」
「だって、お兄ちゃんがえっちなことして香織ちゃん妊娠とかしたら、うちの両親の信用ガタ落ちよ」
 に、妊娠って!?
「どうしても我慢できないときは、この可愛い妹に相談すること」
 そう言って、由希はにやりと笑い、前を向いて歩き出す。
「何で、お前に?」
「だって、香織ちゃんはお兄ちゃんのこと大好きだから、相談されたり迫られたりしらOKしちゃうかもだし」
 そ、そうなのか?
「お兄ちゃんが、ちゃんと我慢しないと間違いが起こっちゃいそうだもんね」
 由希は踊るように振り返り、
「とにかく……えっち禁止ね。コンドーさんもあたしが預かっておくからね」
 と、ポケットからコンドーさんの箱を出して、手の平でくるくると回した。
「お前、それずっと持ってたのか?」
「ふふん。これは没収しまーす。……追加で買っちゃだめだよ」
 いや、買わないし。っていうか、それ返せよ。
 楽しげに前を歩く由希の背中を見ながら、僕は大きく溜息を吐いた。なんで、妹の尻に敷かれないとダメなんだ?
 
 
 その日の晩御飯は、ハンバーグと僕のリクエストのポテトサラダだった。
 香織はまたメイド服を着せられていたが、昨日ほど緊張していなかった。
 妹が食事中に、
「メイド服の下はレースの下着とガーターのストッキングです」
 と暴露したので、香織はまた赤面モードに入ってしまった。けど、これには、さすがに僕も赤面させられた。
 その後、妹と香織は一緒に風呂に入り、僕は後から入った。どっちか乱入してくるのかな?と待っていたから、ちょっと長湯になってしまった。
 風呂を出ると、僕のパソコンで遊んでいた妹が「デザートが食べたい」と騒ぎ出し、僕は香織とコンビニに買い出しに行かされることになった。
 何で、こんな時間に出掛けないといけないんだ?
 ぶちぶちと心の中で文句を言っていると、家を出て一分としないうちに妹からメールが来た。
 内容は、
『ちゃんと、告白するまで帰ってくるな。馬鹿兄貴(猫の顔文字)』
 だった。
 言われてみれば、僕からちゃんとした告白とかしてないよな。
 やっぱ、告白しないとダメなんだろうか?
 横を歩く香織をちらっと見て、慌てて僕は前を向き直る。
 改めて、意識してみると……香織は、めちゃくちゃ可愛かった。
 告白。
 告白……何て、告白したら良いんだ?
 香織が僕を好きだってわかっているから、僕も好きだって言えば良いのか?
 でも、何か違う。何ていうか……それはないと思う。
 香織のことは好きだけど、好きって言われたから好きなんじゃないんだ。
 でも……じゃぁ、どう好きなんだ?
 それは、さっぱりわからなかった。
 自分自身答えの出ないまま買い物は終わり、もうすぐ家に着くところまで来ていた。
 妹のメールのせいで会話も途切れがちになるし……どうしたらいいんだ?
 このまま告白せずに家に帰っても、すぐに妹にバレそうな気がするし……それだとかなり格好悪い気がする。ここは男らしく、香織に告白したかった。
 しかし、そうするには、多少遠回りしてでも、時間を作らないとダメだった。
「香織……」
「はい?」
「もうちょと……一緒に歩かないか?」
 香織が不思議そうに顔を傾げる。
 そりゃ、そうだ。もうアパートの前まで帰って来ているんだから。
「あー、散歩しよう」
 アパートの自分の部屋の窓の明かりを見ながら、僕はそう言っていた。
「……はい」
 ほんの少しの沈黙の後、香織が静かに返事をした。
 僕はいつもの公園とは反対側に歩き出した。
 住宅街を外れ、市を中央に流れる河川の堤防に出る。堤防に植えられた桜の葉が、夜の風に小さな音を立てていた。
「もう……葉桜なんだな」
「夜の葉桜って、こんな風に見えるんですね」
 香織は、桜の木を不思議そうに見ていた。
 その横顔を見て、僕は今だ!と確信する。
「香織!」
「はい?」
 僕の緊張感とは裏腹に、のんびりと香織が振り返り……その顔を見た瞬間、僕は心臓が激しく躍り、咽そうになる。それを強く噛み殺して、僕は香織の顔を真直ぐに見る。
 自分の意思とは無関係に目が避けそうになるのを必死で抑えていた。全身が緊張して、握り締めそうになる手をゆっくりと解く。
 緊張を解すため、僕は顔を堤防の葉桜に向けた。
「高校のときさ……」
 声が震えないように、静かに息を整えながら話し出す。
「香織が入部してたときも、葉桜の頃だったよね」
「……はい」
「あの日……香織を見てから、ずっと香織のことが忘れられなかった」
 顔を見て話すべきなんだろうけど、僕はどうしても彼女の顔を見ることができなかった。
「高校を辞めてから色んな人に出会ったけど……ずっと、俺の心の中のどこかに香織がいたと思う」
 たぶん……香織もいつものように恥ずかしそうに横を向いてるんだろう。
「はは……変だよね。ずっと香織のことを忘れられなかったのに、僕は、その意味にずっと気付いてなかったんだ」
 明るく笑うつもりだったのに、なぜか僕は歪んだ笑みしか浮かべることができなかった。
「最初……部屋で俺を見たときに嬉しかったって言ってくれてたよね」
「……はい」
 細い……でも、柔らかい声に、僕はほんの少しの安堵を感じ、最後の勇気を振り絞る
「もし、俺が傍にいるだけで香織が嬉しいなら………幸せなら、俺はずっと」
 もう声が震えているのを抑えることができなかった。
「だから……」
 顔を上げ、香織を振り返り……僕の中から全ての言葉が消えた。
 香織は優しい笑顔を浮かべたまま、静かに僕の次の言葉を待っていた。
 もう何も考えれなかった。
 一つの想いで胸が満たされ、それしか言葉にすることができなかった。
「……好きだ」
 その言葉は、小さな……ちっぽけな呟きだった。
「香織が好きだ」
 手を握ることも、抱き締めることもできず、ただ僕は自分の気持ちを香織に告白した。
 僕らは物言わぬ月明かりの中で、葉桜の葉の鳴る音を聞きながら、いつまでも見つめ合っていた。
  
 家に帰ると、由希はパソコンの前で座ったまま「遅過ぎ」と文句を言った。
 コンビにデザートを食べた後、妹と香織は一緒にキッチンのほうに行き、二人で楽しそうに何かを話していた。もしかしたら、僕の告白をネタにしていたのかもしれない。
 この先、僕が何かをするたびに、妹にまで筒抜けになるのか?
 明日、僕はバイトが休みだったが、二人は学校があるので、早めに寝ることにした。
 
 
 朝食の匂いで目を覚まし、キッチンに行くと二人は学校に行く寸前だった。
「もう行くのか?」
「うん」
「はい」
 靴を履き、狭い玄関に二人で並ぶと……妹が、
「おはよう&いってらっしゃいのキスは?」
 と、にやにや笑いながら言った。
 朝っぱらからテンションの高いヤツだ。が、僕も、それをちょっとやってみたいと思っていた。
 しかし、妹がわくわくして見てるので、唇はやめ、香織のおでこに軽いキスをする。
「あ、いいな、いいな。あたしもー」
 なに考えてんだ……この妹は。
香織を見ると、くすくす笑いながら小さく頷いた。けど、これ以上調子に乗られるのも嫌だったので、僕は由希のおでこを人差し指で軽く突付いてやった。
「ひどっ!」
 由希の声は怒っていたが、顔は思いっ切り笑っていた。
「じゃ、気をつけてな。……いってらっしゃい」
「「いってきまーす」」
 二人は声を揃えて、アパートのドアを出て行った。
 ドアを閉め、部屋に戻ると朝食の横に一枚のメモがあった。
『いっぱいありがとう
 お兄ちゃん大好き   たまには家に顔出してね
 昨日のことは一生の思い出です
 デートは週に一回は絶対らしいよ
   合鍵は頂いた!
 えっちなDVDとかゲームとか同人誌とか捨てろ〜
   浮気したら殺す
 そんなことしませんよね?
 香織ちゃんの秘密はねぇ……
    書いちゃダメ><
  教えないよ〜〜   報酬次第で考えるけど♪
 ダメダメ聞かないで
  うそぴょん(気になるときはメールで、ね)
 
        由希&香織(手書きの猫の顔文字)』
 寄せ書きみたいに好き勝手書いてあるメモを見ながら、僕は一人で朝食を食べた。
 恋人ができたって言うより、妹が二人に増えたみたいな感じだった。
 テーブルに戻したメモを見て、僕は一人はにかんだような笑みを浮かべた。
 朝食を終え、隣室に戻ると窓を大きく開いて部屋の中の空気を入れ替える。
 窓に背中を凭れさせ、部屋を振り返ると……ハンガーに掛けられたメイド服が初夏の風に揺らいでいた。