進藤コースケ君の受難の日々:04
 
 
 苛立ちを隠さず、僕は果歩の手作り弁当を嫌々食べていた。
 食べない。という選択肢は無かった。
 それもこれも、いま目の前に座っている果歩のせいだった。
 訳のわかんない勘違いの所為で、僕のことを恋人扱いし始めた果歩は、この月曜から昼休みになると僕に手作り弁当を届けに来るようになっていた。
 もちろん、最初は断りました。それはもう思いっ切り、ね。
 ロリコン疑惑で神経が逆立っていたのもあって、その断りようは暴言寸前まで行ってて……見かねた女子が間に割って入るほどだった。
「うぅん。大丈夫だから、気にしないで」
 健気に言う果歩に、女子連中は感動し、僕も少し言い過ぎたかな?と、思ったのを憶えている。が、次の言葉を聞いた瞬間、僕は完全にブチギレた!
『彼、ツンデレだから』
 誰がツンデレだ!!!
 冗談じゃないぞ!ロリコンの次はツンデレかよっ!じゃぁなにか?次はヤンデレか?熟女マニアか?ふざけるのも大概にしろよ!
 しかし、その場で否定すればするほどにツンデレ疑惑は確定に変わる。ツンデレとはそういう属性であるのを僕は知っていた。
 だが、しかし!だからと言って、否定せずにいれば果歩はべったりと甘えてくる。
 果歩の『ツンデレ』の一言で、僕の動きは完全に封殺されていた。
 っていうか、何で果歩の言葉にクラスの女子全員が納得したんだ?そっちのほうが納得行かなかった。
 そして、果歩に対して、僕にできる抵抗は……『嫌そうな態度を崩さない』という些細なものだけが残されたのだった。
 
 そんな昼休みに、また坂本が顔を出しやがった。こいつが来ると、必ず殺人ゲーム絡みだから、こっち見んなって言いたい。
「なんか用かよ?」
「あ、いや……進藤、お前、ゲームに詳しかったよな?」
「別に」
 坂本の顔を見ずに僕は答える。
 坂本はそんな僕の態度に顔を曇らすだけだった。ん?……いつもと反応が違うな。
「なんだよ?」
「うん。実は……ジョーカーは三日経つと死ぬんだよな?」
「はぁ?そんなことを聞かなくても解ってるだろ?」
 プレイヤーはゲーム内での死後三日間の猶予を与えられ、その間に次のプレイヤーを狩らなければ堕天使症候群で死ぬことになる――これは殺人ゲームの基本中の基本だった。
「いや、だから……」
 坂本はそこで言葉を濁し、
「二年の三浦先輩が、もう四日目なのに学校に来てるんだよ」
 と悲鳴に近い声で言った。もちろん、小声だったが。
 が、僕はそれを聞き、露骨に溜息を吐く。
「あー、それ普通だから」
「え?」
「時間切れになっても、すぐに自殺させられるわけじゃないんだよ」
「そう……なのか?」
「あぁ。堕天使症候群が発現する環境が整うまで、プレイヤーは生かされることになるんだ。もっとも生きているといっても、その先輩とやらはもう抜け殻みたいなものだろうけどな」
 坂本に説明しながら、僕はその環境がいまは整っていることを内心舌打ちをする。
 はっきり言って、学校は自殺の名所だ。
「……坂本」
「あ、あぁ……なんだ?」
 我に返ったように坂本が聞き返してきた。
「お前、学校内のプレイヤーの知り合い多いよな?」
 坂本は重々しく頷く。
「そいつらに出来るだけ早く学校を離れるように伝えてくれ」
「なに?」
「堕天使症候群に巻き込まれたくなかったら、さっさと学校から非難しろってことだよ」
 僕はそれだけ言うと、坂本から離れて教室に戻る。途中、一度だけ振り返り、
「僕は忠告したからな」
 と念を押しておいた。
 
 その日の放課後……僕はクラスのヤツに貰ったライターを手に廊下をゆっくりと歩いていた。
 横には果歩が静かに付き従っていた。
 事情を説明して、先に帰るように言ったが、僕を一人にしたくないそうだ。
 ま、勝手にすればいい。
 校舎の中には、まだ何人かの生徒が残っている。もちろん、二年の三浦真美が教室に残っているにも確認済みだった。
 僕は二年の教室の前で立ち止まり、開いたままのドアの向こうを見る。
 そこに三浦真美がいた。
 自分の席に座り、ぼんやりと机の上に置いた学生鞄を見ている。……僕が教室の前に立っていることに気付いているようには見えなかった。
 僕が頷くと、果歩が廊下を階段の方へ駆け出した。と、すぐに騒々しい火災警報ベルが鳴り響いた。
 その音を無視して、静かに教室を横切り、僕は窓際まで歩く。
 窓から見えるグランドでは、部活の連中が動きを止め、火災警報の鳴り続く校舎を珍しそうに見上げていた。
 僕はそれを見ながら、ライターに火を点し……カーテンに近付けた。
 あっさりと火は燃え移り、
 カシュン!
 小さな音と共に派手にスプリンクラーが水を撒き散らし始めた。
 教室の中に降る雨の中で、三浦真美がゆっくりと顔を上げる。
 心配そうに果歩が教室の入り口から覗いているのを感じながら、僕は静かに呟いた。
「あんたは、もう死んでいる……だろ?」
 抜け殻だった三浦真美の顔がゆっくりと僕に向けられ……小波のような感情が生まれ、静かに歪む。恐怖と悲しみに。
「……ぃゃ」
 小さな擦れた呟きが聞こえた。
「もう誰も、あんたを救えない」
 震える手が上がり、その耳をゆっくりと塞ぐ。
「だから、さっさと……」
 僕は視線を外し、最後の言葉を口にした。
「死ね」
 
 耳を潰すような悲鳴だけが轟いた。
 スプリンクラーの雨が空中で止まり、霧散する。
 教室の入り口に立っていた果歩が、一瞬で赤い飛沫に変わり、廊下の窓に飛び散った。
 その不可視の攻撃を、僕が避けれたのは単に運が良かっただけだった。いや、運が悪かっただけか?
 自嘲的な笑みを浮かべ、僕はその手にアームズを呼び出す。
 淡い光が収束するその向こうに、陽炎のように揺らぐ三浦真美の――三浦真美だったモノの姿があった。
 あの日もそうだった。
 初めてフィールドに取り込まれた日も、こいつはそこにいた。
 
 あの日、僕は初めてフィールドの中に取り込まれた。
 そして、狂ったように殺戮を繰り返すジョーカーだったモノに追われ、怯えながら逃げ続けていた。
 何が起こったのか?
 それは自然と理解できた。
 そして、それからは……これから訪れる死からは逃れられないことも。
 少しでも隠れられる場所を求め、僕はデパートに逃げ込み……本屋のカウンターの裏に逃げ込んだ。
 死にたくなかった。殺されたくなかった。
 頭を抱えて、泣き出しそうになる僕の前にカウンターの後ろの棚があり、そこに……予約の付箋の貼られた一冊のラノベがあった。
 ちびっ子で巨乳の女の子がトゲトゲバットを持って笑っている表紙だった。
 こっちの方がいい。
 同じアニメやマンガみたいな世界に放り込まれるなら、絶対にこっちの方がいい。
 そして、僕は求めた。
 自分と一緒に戦ってくれる女の子を……。
 それは自然な想いだった。
 アームズを呼び出せ!
 自分と一緒に戦ってくれる女の子を、アームズとして呼び出すんだ。
 意識を集中し、表紙の女の子をイメージする。
 そして、僕の目の前で淡い泡のような光が収束し……ころん、と転がったのは、トゲトゲだらけのバットだけだった。
 そのバットを前に、呆然とする僕は――爆発音と共に吹き飛ばされた。
 床に叩き付けられて、悲鳴を上げながら僕は這いずるようにバットを手に掴んだ。が、そこまでだった。
 あっさりとそのまま……僕は殺された。
 
 そして、そいつは……いま、また僕の前に立っていた。
 
 撲殺バットを正眼に構え、僕はゆっくりと息を吐く。
 視野の隅に、殺された果歩の残骸が見えていた。
 どろり、と重く熱い感情が自分の中で蠢くを感じる。が、思考は逆に冷静に冷めていく。
 不意に殺気を感じて、僕は撲殺バット振り下ろす。
 キィン!と、何かを弾いた。が、一瞬の隙も見せず第二弾が、第三弾が来る。
 断続的に金属と金属が打ち合う音を残しながら、僕は撲殺バットを振り続ける。
 避けれるものは避けながらなので、僕は教室を端から端まで走りながら攻撃を受けている。が、三浦真美だったモノは、全くその場を動いていなかった。
 それが僕の神経を逆撫でしていた。
 勝てないのは解っている。
 僕を殺せば、学校の中――フィールド内にプレイヤーは存在しなくなるので、堕天使症候群が終息することも解っている。
 解っている……が、あっさり殺されてやるつもりはなかった。
 こいつは…………果歩を殺しやがった。
 果歩も僕の説明を聞き、覚悟の上で来ていたから、それはもういい。いや、良くない。
 せめぎ合う感情の中で、僕は歯軋りをする。
 衝撃波が、頬を切り裂き、遥か後方で黒板を砕く。壁が、窓ガラスが砕け、硬質な音を残し落ちて行く。
 果歩を殺しやがった。あっさりと何の躊躇いも無く。
 その事に、僕は自分でも信じられないほどの怒りを感じていた。
 こいつが何者なのかは知らないが、その落とし前だけは、絶対に付けさせてやる。
 衝撃波を弾き返す動きをやめ、僕は腰を低く落とし――左肩を切り裂かれながら叫び声を上げた。
「ぅぉぉぉぉおおおお!!!」
 低く走りながら思いっきり振り被り、砕かれた右腕が高く舞い上がる。それでも間合いを詰め……一気に振り下ろし――
 ドスッ!
 鈍い音と共に僕の動きは止まった。
 三浦真美の腕を包むグローブ状のアームズから伸びた鉤爪が、僕の胸を刺し貫いていた。
 ごぼり、と肺から血が沸き上がってきた。
「……ごふっ」
 血の混じった息を吐く、僕の手から撲殺バットが落ちる。
 致命傷だった。膝の力が抜け、僕はその場に崩れ落ちそうになる。が、残った左手で三浦真美の腕を掴んだ。
 初めて……三浦真美の瞳が動き、僕を捕らえた。
「お前は……誰だ?」
 その問いに、三浦真美の姿を持つモノは答えなかった。
 薄れ行く意識の中で、僕は三浦真美の姿を持つモノが恍惚と目を閉じるのを見ていた。
 それは供物を前にした異教の神を想わせる神々しい微笑でもあった。
「先輩!」
 不意に響いた叫び声が、その微笑を……歪んだ醜いものに変えた。
「自分っス。中学のときに世話になった……坂本っス」
 あの馬鹿……まだ残っていたのか?
 泣き出しそうな笑顔を見せ、坂本が教室に入ってくる。
 来るな!バカヤロウ!!!
 叫びたかったが、僕にはもうほとんど力が残されていなかった。そして、この馬鹿にそれを使う気は、僕には無かった。
「俺、俺……ずっと先輩のこと――がっ」
 派手につんのめったように坂本の両足が後ろに跳ね上がり、うつ伏せに倒れる。
「せ、先輩?」
 坂本が言えたのはそこまでだった。次の瞬間には、派手な音を残しながら、坂本は赤い飛沫となって床に広がっていた。――が、その一瞬の隙が、僕に残された最後のチャンスだった。
「――っ」
 残された左手で撲殺バットを握り、振り被りながら立ち上がる。と、同時に撲殺バットを三浦真美の後頭部に叩き付けた。
 中に水が入った陶器が割れるような音を残し、三浦真美の首が振り切られる。
 絶対に、即死の一撃だった。
 が、そこまでが僕の限界だった。
 うつ伏せに倒れる身体が床にぶつかる前に、僕は絶命していた。
 
 果歩の腕に抱かれ、僕はスプリンクラーの雨に打たれていた。
 ぼんやりと目を向けると、坂本は座り込んで、声を殺して泣いていた。
 教室の窓の方……焼け焦げたカーテンの横に、三浦真美は足を投げ出して座っていた。
 虚ろな瞳は何も映してはいない。
 床に溜まった水の中に、白い羽毛がいくつも浮いていた。
 裁縫用の裁ちバサミが、力無い三浦真美の指に残されていた。
 切り裂かれた彼女の首から、血に汚れた……白い歪な翼が広がっていた。
 それを一瞥し、僕は軋む身体を無視して立ち上がる。
 堕天使症候群は終わっていた。
 寄り添う果歩を抱き寄せ、僕は呟く。
「……帰ろう」
 小さく頷く果歩の身体は、微かに震えていた。
 教室を出ると、廊下で何人かの教師とすれ違った。……が、僕はそいつらを無視して歩き続ける。
 遠くに、消防車のサイレンの音が聞こえていた。