進藤コースケ君の受難の日々:08
 
 
 目覚めと共に驚愕があった。
「なんじゃこりゃぁ!!?」
 と叫ばなかったのは、驚愕があまりも大きかったからだ。
 夢じゃないのは確信できた。が、それでも信じられない出来事が自分の身に起こっていた。
 さらり、と落ちる長い髪を手で掻き揚げようとして、その手の小ささに呆然とする。
 普段よりやや目線が低いのも違和感があった。
 いや、それだけじゃない。『全身』に違和感があった。
 震える小さな手でパジャマの前を引っ張って下を見る。……プチっぽい胸が膨らんでいた。
「そんな……馬鹿な?」
 お定まりのセリフを呟き、僕は慌てて両手で自分の口を塞いだ。自分の声じゃない!!?
 いや、違う。これは僕の声だ。でも、高過ぎる。普通じゃなく声が高過ぎる。
 自然と指先が口元から喉へと降りて行き、細い首筋に触れ……胸元でそれが止まった。その先には、幼い感じに膨らんでいる胸があったからだ。間違っても触りたくなかった。
 どっくん、どっくん、と心臓が高鳴っている。
 僕はガクガクと震えながらベッドから足を下ろす。腰の辺りで大き過ぎるパジャマのパンツが下がり、それを手で掴みながら、ふらふらと立ち上がった。
 パジャマの中でトランクスが落ちるのを感じ、慌ててパジャマの上から引き上げる……が、無い。のを感じた。
 嘘だろ?
 ベッドにぽふんと座り込み、僕は自分の身に起こっていることを認識する。
 ……女の子になっている?
 
 どうやら、僕は女の子になってしまったらしい。しかも、変わったのは性別だけじゃなくて、容姿もかなり変わってるようだった。
 ジョーカー二日目で、今日ぐらいに無難に誰かを殺そうと思ってたのに……この状況で、僕にどうしろって言うんだ?
 いや、そんなことは問題じゃない。問題だけど、それどころじゃない!いやいや、そっちの方が先決なのか?死んじゃったら何にもならないから、先にジョーカーを片付けないとダメなのか?
 パニックを起こしそうになる頭をぶんぶんと横に振って落ち着かせる。が、ふわり……と、落ちる長いに髪に鳥肌が立った。
 それでも、意識を集中し、深呼吸をする。
 落ち着け、落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かす。
 いや、でも、しかし……何でこんなことになってるんだ?
 僕はすぐにこれをしそうな、出来そうな相手を思い付いた。……が、その理由がわからなかった。
 クトゥルフが僕を女の子に変えて、どんな得があるのか?
 ベッドの上で胡坐で座り、腕を組んで考える……が、何も思い浮かばなかった。
 ま、わかんないことは考えても仕方ないので、僕は着替えをして出掛けることにした。
 
 順応力の高さはプレイヤーに必要な資質の一つなので、僕はすでに女の子な自分に慣れていた。
 ちなみに、いま僕は……ぶかぶかのTシャツに裾を折ったジーンズ、それにサンダル履きというラフ過ぎる格好をしている。
 さすがに女物の下着は無かったので、胸は絆創膏で誤魔化し、ズレ落ちるトランクスは、ジーンズの上まで引き上げ、一緒にベルトで締めている。
 寝起きでボサボサだった髪の毛は、軽く櫛を入れてきたが……さすがに腰まであるのは長過ぎだろうと思う。
 僕はポケットに手を突っ込んで、ぺったんぺったんとサイズの合ってないサンダルを鳴らしながら歩く。
 けど、すれ違う男連中が、物珍しそうに見てくるのが鬱陶しい。
 こっち見んな!って言いたい。
 僕は不機嫌なまま歩き続け、地元の駅前に出た。
 前以て電話で呼び出した坂本は先に来ていた。……が、暇そうに立っているのを見て、なぜかむかっ腹が立った。
 こっそりと後ろから近付き――思いっ切り、その尻を蹴り上げてやる。けど、その蹴りはあまりにも弱々しかった。
「おわっ!!?」
 軽く尻を蹴られた坂本は大袈裟に驚き、派手なジェスチャーで振り返った。
「なに、を……」
 言い掛けて、あんぐりと口を開く。
 僕が進藤コースケであるのことは、プレイヤーの持つ独特な感覚で理解しているはずだった。だから、いまの僕を見て驚くのも理解できる。でも、その驚きの表情が僕の神経を逆撫でした。
 殺す。後で必ずこいつを殺して、ジョーカーにしてやる。
 僕は怒りに頬を引き攣らせながら、心の中でそう誓っていた。
 
 僕が女の子になっている原因を坂本が聞いてきたので、
「殺人ゲームのバグだ」
 と答えてやった。けど、あっさり信じるなよ。馬鹿。
 立ち話で目立つのは嫌だったので、僕は駅前のマクドナルドに坂本を誘った。もちろん、こいつの奢りだ。
 坂本は物珍しそうに僕を見ているんだから、見物料として奢らせるのは当然だった。
 朝昼兼用にシェイクとハンバーガーを一個頼む。坂本はホットコーヒーだけを頼んでいた。暑いのに物好きなヤツだ。
 僕は喋りたくないので、そっぽを向いたまま坂本が一方的に話すのを聞いていた。けど、誰もお前の音楽の趣味なんか興味ないと思うぞ?
「しかし……」
「ん?」
 坂本が言葉を濁し、僕は吸い上げていたシェイクから唇を離す。
「生意気そうな美少女ってのも悪くないな」
 どぐしゃっ!
 僕が投げ付けたシェイクが坂本を外れ、後ろのパーテーションにぶつかって中身をぶち撒けた……瞬間的に展開されたフィールドの中で。
 もう我慢できない。即、殺す!
「わはははは。怒るな、怒るな」
 静寂が支配するマクドナルドの中で、坂本は席に座ったまま余裕で笑っていた。それが余計に腹が立った。
 僕は怒りに任せ、アームズである撲殺バットを収束させる。
 それでもまだ坂本は座ったままだった。
「ん〜〜いまのお前なら、撲殺バットより大太刀の方が似合いそうだな。ほら、三期のアニメがやってる……アレと似てるよな?」
 その一言で、僕の中の何かが派手な音を立て、ぶっ千切れた。くらっと眩暈を感じる。けど、そんなこと知ったことか!
「死ねぇええええっ!!!」
 叫びながら、僕は坂本の脳天に撲殺バットを振り下ろし……パーテーションとソファの背凭れを砕く。
 一瞬で横に飛んだ坂本は、通路の反対側のテーブルの上に立っていた。
 キッと視線で坂本の動きを追う。 
 坂本は、まだアームズを出していない。っていうか、そういえば僕は坂本のアームズを見たことが無かった。
 警戒を解かず、僕はトゲトゲだらけのバットを肩に担ぐ。
 飛び道具系のアームズで攻撃されたら、パーテーションで囲まれたボックス席の中は、あまりにも不利だった。入り組んだ店内の地形を把握しつつ、坂本の動きに細心の注意を払う。
「そんなに睨むなよ」
 笑いながら坂本は言い、無造作にテーブルから降りた。
「どっちみち俺を殺る気だったんだろ?」
 僕はその言葉にぷいっと横を向く。が、目の端で坂本の動きを見るのは怠らない。
「ジョーカーのままだったら落ち着いて話もできないからな」
 何かこう……上からの目線で話をされているのが、やたら悔しかったが、坂本の言うとおりだった。ジョーカーのままだったら、いつまで経ってもクトゥルフは僕を呼ばないかもしれない。こいつとの話はどうでも良かったが、そっちは問題だった。
「とりあえず、殺されてやるから落ち着け、な?」
 僕は猜疑心の塊のような視線を坂本に向ける。
「嘘じゃないって。だから、アームズも出してないだろ?」
「ほんと……に?」
 わざと弱々しく首を傾げながら聞いてみる。
 どうやら、こいつは僕を女の子として見ているみたいだから、こういう仕草に弱いはずだと思ったからだ。
「あぁ、ほんとに、だ」
 それに坂本は男らしく胸を張って答えた。やっぱ馬鹿だな、こいつ。
 僕は警戒を解き、無造作に坂本の前まで歩き……
「じゃ、遠慮なく」
 と、片手で撲殺バットを横殴りに振った。
 ゴシュッと鈍い音が響き、坂本が頬を押さえながら床に転がった。
「ちょ、待て!殺るなら一撃で殺れよ!!!」
 涙目で僕を見ながら坂本は抗議する。が、僕はにこっと笑うだけだ。
「ごめん。力とかも女の子並みだから、これで全力なんだよ」
 しれっと嘘を吐きながら、僕は坂本の太腿に撲殺バットを突き落とした。
 ゴキン!と鈍い音を残し、大腿骨が砕ける。
「ぐぉう?」
 くぐもった悲鳴を上げる坂本の後頭部を殴り、返す手で腹を殴り付ける……ゆっくりと。
「ま、待て……お前、本気で怒ってるだろ?」
 僕はバットを振って、絡み付いていた毛髪付きの頭皮を払う。
「別に」
 ゴス!ドス!ベキ!と、致命傷を与えずに、坂本を殴り続ける。
「悪かった。俺が悪かっ――げふぅ」
 血反吐を吐きながら、坂本がのた打ち回る。が、僕は手を休める気はなかった。
 何度も、何度も……殴り続け、もう完全に動く力を無くしたのを確認してから、僕は最後に坂本の頭を踏み潰した。
 完全な八つ当たりだったが、ちょっと気分が晴れたので、僕は上機嫌だった。
 
 フィールドを解除したら、坂本はテーブルに突っ伏して泡を吹いていた。
 ちょっとやり過ぎたかな?とも思ったけど、甘やかすと癖になるかもしれないので、これくらいがちょうど良いはずだった。
 いくら頭が悪くても、僕を女の子扱いしたらどうなるのか、これで理解できただろう。
 そのうち気が付くだろうと、失神している坂本を放置して、僕はマクドナルドを出ることにした。
 
 
 坂本を殺してから三日後、僕はクトゥルフに召還され、ルルイエに入門していた。
 眩しいほどの笑みを浮かべたクトゥルフは、嬉々として僕を女の子にした理由を口にした。
「なんだ……って?」
 ルルイエの中で、やたら高い自分の声が響くのを僕は聞く。
「だから、の。妾の誘惑に乗らず、また数多の女子の恋心を煩わしいと思うのは、きっと女に興味が無いからじゃろうと思ったのじゃ」
 僕はゆっくりと指先で額に触れる。未だに慣れない手の感触と、クトゥルフの物言いに頭痛がしそうだった。
「女に興味が無いなら、男でいる意味も無いであろう。それにお主が女になれば、あの小娘どもも興味を失くすはずじゃからな」
 いやらしい笑みを浮かべたまま、クトゥルフは触手で自分の頬を愛撫している。
「そ、んな……」
「ん?」
「つまんない理由で、僕を女にしたのかっ!!?」
 僕の叫びを聞き、クトゥルフはけらけらと楽しそうに笑い出した。
「笑うなっ!」
「くふふ。女子の姿で凄んでも可愛いだけじゃ、やめておけ」
「僕が女なのは、お前のせいだろうがっ!」
「あははははははは……」
 文字通り腹が捩れるほど笑い、クトゥルフは触手の先で零れそうになる涙を拭う。
 僕は苛立たしげに長く息を吐き、クトゥルフを睨み付ける……が、この蛸女は楽しくて仕方ないと言いたそうな顔で僕を見ていた。
「しかし……」
 じろじろと僕をねめつけながらクトゥルフが言った。
「それだけの器量ならば、女子でも良いかな?と、思ってしまいそうになるの」
 ブチブチと脳の血管が切れそうだった。しかし、過剰な反応を見せてもクトゥルフが喜ぶだけだった。
 僕は現状に対して、努めて冷静に対処することを自分に言い聞かせる。そうだ。ここで、こいつを怒らせたら何にもならない。
「それだけ楽しんだら、もう十分だろ?」
 僕は白け切った表情で言葉を紡ぐ。
「さっさと元に戻してくれよ」
「無理じゃ」
 あっさりとクトゥルフは答え……って、あれ?無理って!??
「いや、ちょっと待て」
「待っても良いが、元には戻せないぞぇ?」
「戻せないって……な、なんでだよ?女にすることは出来ても、その逆は無理なのか?そんなわけないだろ?」
 そんな馬鹿な、と思いつつ「まさか」と思ってしまう。……が、あっさりとクトゥルフはその理由を口にした。
「贄に干渉すれば、あやつに気付かれる可能性があるからの。そうそう危ない橋は渡れん」
「だったら、最初っから渡るなよ!!!」
「あははははは」
 触手と足をバタつかせながらクトゥルフは大笑いをした。このやたらと足を上げるのは、絶対にわざとだな、こいつ。
「見るなっ!」
 苛立たしげに声を荒げて言うと、クトゥルフは足を組み直し、拗ねたように顔を横に向ける。
「女同士だ。気にするな」
 その端正な横顔を見ながら、僕は嫌味たっぷりにそう言ってやった。
 クトゥルフは悔しそうに口を歪めていたが、ふっと表情を明るく変えた。
「女同士か。……ふむ、確かにそうじゃな。ならば……お主が女子になった最初の夜に何をしていたかを、いま、ここで改めて妾が口にしても、然して気にするほどのことでもないのじゃろうな?」
「な!?」
「くふふ。一晩にあれほど……しかも、あんな物まで使い……」
「ちょ、ちょっと待て」
 僕は耳まで真っ赤になりながら、クトゥルフの言葉を遮る。
「どうじゃ?妾の腕に抱かれれば、それこそ灰になるまで快楽を与えてやるぞぇ?」
 うねうねと蠢く触手を見て、僕は……喉が鳴るのを必死に抑えていた。クトゥルフの誘惑に何故か腰の後ろがもぞもぞする。
「くふっ」
 クトゥルフが短く笑う。
「まぁ、確かに……男の身では味わえぬものじゃからな」
 好奇心からしてしまった自分の身体に対する悪戯の数々を思い出し、僕はクトゥルフの視線から逃げるように顔を背けた。
「とにかく、お主の身体を元に戻すのは、あやつの脳天に鉄槌を喰らわせてからじゃ」
「なんで、そうなるん――うわっ!!?」
 音も無く忍び寄っていたクトゥルフの触手に足をすくわれ、僕は仰向けに倒れ……そのまま逆さ吊りにされた。
「なにをしやが……あっ!!?」
 滑るような粘液を滴らせた触手が左右の腕に絡み付き、Tシャツが捲れ上がった腹部を愛撫するように、別の触手が何度も撫で上げた。
「な……なに、を――ひぅ」
 する気だ?と続けるはずの言葉が甘い悲鳴に消された。触手の動きに反応しまいと、僕は逆さまになったまま身を捩る。
「くふ……」
 目を細め、味わうようにクトゥルフは触手を蠢かせる。
「また無粋な物を……」
 その呟きに、僕の胸に貼られた二枚の絆創膏が剥がされる。
「や、やめ……ろ」
「くふふっ。もう少し可愛く言えれば……考えても良いぞ」
 触手の吸盤が吸い付きながら肌の上を這いずり回る感触に、鳥肌を立て僕は叫ぶ。
「やめろ、馬鹿野郎!!気持ち悪いんだよっ!!!さっさと下ろ……もぐぅ」
 叫ぶ声を塞ぐようにクトゥルフの触手が口の中に潜り込み、僕の舌を求めて口の中で蠢く。
「んぐ……ん、ぐ……むっ?」
 新たな触手がジーンズの前に潜り込み……ビチィと堅い音を残しながら、ベルトと一緒に引き裂いた。
「んー!!んむぅ!!!」
 ずるり、と触手が這い進む感触に、僕は目をきつく閉じ、唯一自由だった右足で秘所を守る。……が、その足首にも触手が絡み付いてきた。
 びくん、と震え、僕は玉座に座ったままのクトゥルフを見る。……許しを請うように。
「くふ……くふふ。ふは……ふははは……ふははははははははは」
 勝ち誇ったようなクトゥルフの笑い声が、ルルイエを震わす。
 しかし、僕にはそんなことを気にする余裕は無かった。無理やり開かれる足を必死に閉じようともがき続けていた。
 クトゥルフの触手に犯される……それだけは絶対に嫌だった。
 抗い切れないと知りながら、僕は触手から逃れようと腰を引く。
 しかし、完全に足が開き切る前に、触手が裂けたジッパーを押し開きながら、トランクスの中に潜り込んで来た。中心を探すように先端を浮かせたまま、ずるりと触手が這い進む。
 そのおぞましさに僕は口を塞ぐ触手を吐き出し、
「やめ――っ!!?」
 悲鳴を上げる。と、同時に真っ二つに引き裂かれた。
 脳が焼けるような痛みの中で、僕は目の前を零れ落ちる自分の内臓を見ていた。
「あやつを倒すまでは、お主はそのままじゃ。……それだけは忘れるでないぞ」
 闇に落ちる意識の中で、楽しげなクトゥルフの声だけが残されていた。