進藤コースケ君の受難の日々:07
 
 
 シャープペンを栞代わりに参考書を閉じ、僕は両手で顔を覆い、机に肘を着いて溜息を吐く。
 夏休みに入って一週間……朝から晩までべったりと引っ付いてくる果歩が友達と遊びに行って、ようやく得た一人の時間だった。
 僕はこの孤独な時間を、図書館で課題に向かうことで有意義に過ごしていた。……なのに、どうして、フィールドが展開されるんだ?
 机に広げたノートや参考書を払い落として、心のままに叫びたくなる。いや、一思いに叫んでみるか?
 理想的な静けさに包まれた図書館に、自動ドアが開く音が無粋に響く。が、僕は両手で顔を覆ったまま下を向き続けた。
 ジョーカーなんか見たくない。
 それが僕の本音だった。
 殺すなら、勝手に殺してくれ。
 そう思いながら、僕はジョーカーが近付いてくる静かな足音を聞く。
 絨毯を踏む靴音は柔らかく、それが澱みなく進んでくる。そして……その足音が、不意に途切れた。
 アームズの間合いに入ったんだろう。
 僕はもう一度溜息を吐き……唐突に戻ってきた微かな喧騒に顔を上げた。
「え?」
 人の動く気配と、ときおり交わされる囁き声の聞こえる図書館の中で……じっと僕を見つめたまま、その女の子は困ったような笑みを浮かべていた。
 彼女は……この春、ロケットランチャーで僕を粉々にした女の子だった。
 
 図書館のロビー横の談話室で、僕は自販機から買った紙パックのコーヒー牛乳にストローを突き刺すと、ゆっくりとそれに口を近付ける。
 大門真奈美と名乗った彼女は、何も飲まず、四角い箱のようなソファに座っている。
 僕はストローで箱の中身の液体を吸い上げながら、横目で真奈美を見る。袖無しのブラウスと膝丈のジーンズが涼しげだった。
 十分に小柄だけど、それでも身長は果歩より少し高いくらいだろう。全体的に細く、華奢な感じがする。地味なショートカットの髪が、清楚さを醸し出しているが……薄い胸のせいか、私服姿の真奈美は、どこか少年のような雰囲気があった。
「なんでフィールドを解除したんだ?」
 だいたいの予想は付くが、僕は一応聞いてみた。
「ん……なんか悪いかなって思っちゃって」
 僕は自嘲的に引き攣る頬を、意識して無表情に保つ。
「だって、進藤君、二回目だし」
 確かに、ロケットランチャー対撲殺バットじゃ勝負は見えている……と、普通は思うか。
「あたし、まだ初日だし」
 ふむ、と僕は頷き、真奈美を見る。
「でも、どうしてここにいるんだ?」
「え?」
 僕の質問の意味がわからなかったのか、真奈美は不思議そうな顔を見せる。
「地元、篠山だって言ってただろ」
「あ、うちの両親が離婚しちゃって、いまお婆ちゃんの家に住んでるの」
「こっちに住むの?」
「うん。転校の手続きも終わってるし……二学期から、こっちの高校に通うことになってて、それで……」
 興味の無い家庭の事情を聞かされながら、僕はぼんやりと背の高い窓の外を見る。
 つまんない話だった。
 だから、僕はそれを終わらせるために、窓の外を眺めながら小さく呟く。
「どうせ暇なら……」
 外は……影が濃く、
「ちょっと遊んでみるか?」
 やたら暑そうだった。
 下を向いて話していた真奈美が口を閉ざし、ゆっくりと顔を上げる。
「初日なら、負けても焦ることはないだろ?」
 どこか寂しげに僕を見上げていた顔が、徐々に薄い、しかし不敵な笑みに変わる。
「それって、あたしに勝てるってこと?」
 僕は髪を掻き揚げながら、じっと窓の外を見たまま答える。
「別に」
 抑えようとしても無理だった。歪んだ笑みが口元に浮かんでいた。
「ただ……」
 僅かに真奈美が首を傾げる。
「たまには本気で殺らないと腕が鈍るからな」
 
 僕と真奈美は図書館の中でバラバラに動いていた。
 無数に並ぶ書棚と少なくない人の中に紛れ、互いの位置が徐々に不鮮明になる。
 ジョーカーが図書館の中にいる――それは感じられるが、その正確な場所まではわからない。それは真奈美も同じはずだった。
 僕はゆっくりと歩きながら、入り口の自動ドアが見える位置へと移動する。ここから見える範囲に真奈美がいなければ、書架の間に隠れていることになるはずだった。
 ベビーカーを押しながら若い母親が自動ドアを通り……ゆっくりとその姿が崩れ、細かい光の粒子になって流れていく。
 それは通常のフィールドの展開よりも、遥かにゆっくりとした流れだった!
 ぞくり、背筋が寒くなる。
 真奈美のアームズの収束時間は桁外れに速い。そして、通常よりも広がる速度の遅いフィールド――そこから導き出した答えに、僕は反射的に走り出し、自分を追うロケット弾を背後に見る。
 フィールドの展開が終了する前に真奈美はアームズを収束させ、僕が気付いたときにはすでにロケットランチャーは発射されていた。
「チッ!」
 舌打ちをしながら、横っ飛びに書架の間に入り、左右の本棚に手を突っ込み、中身の書籍を撒き散らしながら走る。
 崩れ落ちる書籍の中に、ロケット弾が突っ込み――
 轟!
 と、風が鳴ると同時に、身体全体が浮き上がり……爆音と共に吹き飛ばされた。
 粉々に砕けた書架の破片と舞い散る紙片の中で、僕は転がり落ちる。が、躊躇わず立ち上がり、そのまま駆け出した。
『最初の一発を必ず避ける』
 これが僕の作戦だった。
 真奈美のアームズは筒型の本体の先端にロケット弾を持つタイプだった。つまり、拳銃のように連続で撃つことはできない。いや、その破壊力を考えると、一発だけの可能性もあるはずだった。
 もし、次弾の装填が可能なタイプなら、アームズと同じく光の泡を収束させる必要があると考えられる。そして、それには最初の一発目よりも時間が掛かるはずだと、僕は踏んでいた。
 僕はまだぐらぐらと揺れる書架の間を走り、真奈美の姿を探し――見つけた!
 入り口横のカウンターの手前、特設コーナーの前で、真奈美は空になった筒を下に向け、呆然としていた。
 当然だ。不意打ちの、最初の一発で僕を殺せると思ってたはずだからな。
 僕は後ろに引いた腕にアームズを収束させながら、一気に間合いを詰める。
 勝った!
 と、思った瞬間――真奈美が空の筒を真直ぐに、僕に向けた。その動きを警戒し、無意識に走る姿勢を低くする。
 そして、僕は筒の中から零れ出た光の泡が一瞬でロケット弾に姿を変えるのを見せられた。
 嘘だろ?と、思っても全力疾走の僕は急には止まれない。
 にやり、と明るい笑みを浮かべ、真奈美が引き金に掛けた指に力を込める。
 かしゅん。と小さな音が響き、次いで……
 どひゅん!
 炎を吐きながら、ロケット弾が発射された。
  冗談じゃねぇえ!
 炎を上げながら迫るロケット弾を前に、僕は――スライディングで滑り込むことで、やり過ごした。
 滑り込んだ僕の足と、真奈美に足が絡み合う。
「きゃぁ!!?」
 足元に滑り込まれてバランスを崩した真奈美が悲鳴を上げながら、僕の上に倒れ込み……反射的に、その身体を僕は抱き止める。 
 仰向けになった僕の上に真奈美の身体が重なり、至近距離で見つめ合う形になった。
「あ……」
 赤面する真奈美を抱き上げ、僕は上体を起こす。
 まだ終わりじゃないっ!
 膝立ちで振り返った、そこには……追尾性能で反転し、こっちに向かって来るロケット弾の姿があった。
 ここで真奈美との位置を入れ替え、彼女を盾にすれば、僕の勝ちだった。最初の計算ではそうするはずだった。
 そのはずだったのに、中腰になった僕は……真奈美を守るように、ロケット弾に向かって撲殺バットを振り降りしていた。 
 粉々に吹き飛ぶ前に、自嘲気味な笑みを浮かべる余裕があったのが、なぜか嬉しかった。
 爆発に巻き込まれながら僕は心の中で呟く。
 ……やれやれ、またジョーカーか。
 
 意識が戻ると、僕は図書館の窓際のソファに座っていた。
 僕が目を覚ましたことに気付かず、真奈美は横で文庫本を読んでいる。
 人気のある小説なのか、ビニールで保護されたカバーの縁がけっこう傷んでいた。
 真奈美が読んでいるのは、ちょうど挿絵のページで……血塗れの少年の後ろで、撲殺バットを持った天使が笑っていた。
 なに読んでるんだよ。
 僕は心の中で呟き、身体を起こす。
「――っ」
 慌てたように真奈美が本を閉じ、身体の向こうに隠した。
「だ、大丈夫?」
「なにが?」
 僕は不機嫌そうに聞き返すと、真奈美は本気で困ったような顔をして視線を外した。
 僕はソファから立ち上がり、図書館の壁に掛けてある時計を見る。そろそろ帰る時間だった。
「じゃ、な」
 さてと、誰を殺すか……顔見知りのプレイヤーを脳内でリストアップしながら僕は歩き出し、
「あ、あの……」
 言葉を濁す真奈美を振り返る。
「なに?」
「あ、えと……ありがとう」
 僕はその言葉に露骨に溜息を吐く。
「ゲームなんだから、お礼とか言われる筋合いはないはずだけど?」
 その言葉に真奈美は小さく首を横に振り、僕を真直ぐに見つめてきた。けど、僕は小さく肩を竦めて、背中を向ける。
 真奈美が言っているのは、最後のタイミングで僕が彼女を盾にしなかったことだろうと思う。けど、それは単に女の子を盾にするのは卑怯だと思ったからで……勝手に身体が動いただけだった。
 それに、訳なのわかんない勘違いをする女の子は、果歩だけで十分だった。
 図書館のテーブルの上に広げたままだった勉強道具を適当に鞄に詰め込む。……が、真奈美は、まだ僕の後ろに着いて来ていた。
「まだ何かあるのか?」
 と、聞こうと振り返り……僕は自分の目を手で覆い、溜息を吐きながら下を向いた。
 図書館の入り口に立った果歩が、口を三角形にして眉間に立て皺を寄せながら、こっちを睨んでいたからだ。
 僕の前で真奈美がゆっくりと振り返り――図書館の空気が確かに歪むのを感じた。
 違和感を感じた何人かの利用者が顔を上げ……また自分の手元に目線を落とした。
 よくある光景だと言いたげに。
 真奈美が果歩を品定めするように見つめ、まだ手に持っていた文庫本の表紙に目を落とす。
 そして、同情的な眼差しを僕に向けてきた。
 その生暖かい視線から逃げるように、僕は顔を背け、小さく呟く。
「違う……から」
 と。
 しかし、その呟きが聞こえたのか、果歩がぎりっと歯を鳴らしたみたいな悔しそうな顔をした。
 僕はゆっくりと視線を廻らせ、図書館の中にどこか逃げ場所は無いかと探す。……が、どこにも逃げ場所は無かった。
 入り口には色んな意味で勘違いをした果歩が立ち、横には新たに勘違いをしそうな雰囲気の真奈美が立っていた。
 誰か助けてくれ。
 ……僕は本気でそう思っていた。