進藤コースケ君の受難の日々:06
 
 
 カッカッと黒板にチョークが当たる音を聞きながら、ぼんやりと窓の向こうに目をやる。
 昼休みの後の……一日で一番眠い時間だった。
 しかも、難解さでは学校一と言われる野阪の数学だ。いつものことながら、わざと理解し難く説明しているとしか思えない。
 僕はシャープペンを持った手で欠伸を隠し、黒板に目を向ける。
 カッカッというチョークの音が眠気を誘っていた。
 
 三浦真美の堕天使症候群から一週間が経っていた。
 学内での自殺……ということから、学校側の反応は過敏なものだったが、それも一時的なものでしかなかった。
 生徒集会にアンケート、それにLHRを使った特別授業……生活に変化があったのは、僅か一日だけだった。
 僕がカーテンを燃やしたことや果歩が非常ベルを鳴らしたことは、三浦真美の自殺を止めるためだったと学校側に説明していた。
 それっきり何も言って来ないから、あの説明で納得してくれたんだろうと思う。
 まぁ……何にせよ、学校内からジョーカーが消えたことには間違いないので、しばらくは平和な日常が続くはずだった。
 蛸女は、また僕が堕天使症候群に巻き込まれるみたいなことを言ってたけど、早々連続して巻き込まれるなんてことは無いだろう。
 
 それに気付いたのは、僕が眠気と戦うことを放棄し、静かな闇に落ちようとしていたときだった。
 教室から見えるグランドの向こう……閉め切られた正門を乗り越えて、一人の髪の長い少女が学校の敷地内に入って来た。
 校章付きのダークグレイのジャケットと同色を基本にしたチェックのスカート。中に着ているのは……ニットシャツかな?
 見慣れない制服を着た女生徒が、真直ぐに校舎に向かって歩いてくる。
 彼女が、くいっと顎を上げるのと、初夏の風がその髪を後ろに流すのと同時だった。
 ジョーカー!!?
 一瞬で展開されたフィールドが、周囲の人間を細かい粒子に変えて消し去っていた。
 反射的に僕は床に伏せ、そのままの高さを維持しながら窓際に駆け寄る。
 感覚を研ぎ澄ませ、フィールド全体の広さを探る……彼女を中心に、ほぼ学校全体をカバーする広さだった。
 窓際からグランドの様子を覗き見る。と、彼女の身体が淡い光の泡に、押し出されるように浮き上がっているのが見えた。
 その光は彼女のニーソックスを履いた脚を包み込み、また上半身を覆い隠すように溢れ出ている。
 長い……通常ならあり得ないほど長い時間を掛け、彼女のアームズは集束した。
 それは……ずんぐりとした体型のパワードスーツだった。
 しっかりと立ち上がったパワードスーツのキャノピが下ろされ、彼女の姿が隠される。
 ……マジかよ?
 以前、ロケットランチャー使いと戦った経験のある僕は、そのアームズが持っているであろう攻撃力を想像し、全身の血の気が引く。
 いや、落ち着け。冷静になるんだ。
 まだあいつはターゲットを固定してないはずだ。なら、こっそりとフィールドの範囲外まで逃げることも可能なはずだ。
 と、考えてたら、
「進藤君!」
「進藤!」
 教室の前と後ろのドアが派手な音を立てながら開かれ、果歩と坂本が顔を出しやがった。
 目立って、どうするんだよ!?この状況で!!?
 カシュン!
 静寂が支配するフィールドの中で、微かな物音がして、僕は振り返り……
「伏せろぉぉぉお!!!」
 叫びながら、果歩を押し倒した。
 ドヒュヒュヒュヒュ……ン!
 何かが打ち出される音が聞こえ、教室の窓側の壁が爆発音と共に吹き飛ぶ。
 欠片と砂塵が巻き上がる中、僕は果歩を無理やり立たせる。
「逃げるぞ!」
 ふらふらと足元の覚束ない果歩を引き摺るように連れて、僕は廊下を走り抜ける。
 校舎全体が揺れ動き、何度も爆発音と悲鳴が聞こえてきた。
 が、フィールドは解除されない。それはまだ誰も死んでいない証拠だった。
 階段の途中で、背後からジェット噴射を吐きながら飛んでいくパワードスーツの姿が、一瞬だけ見えた。
 あの機動力と攻撃力があれば、勝負なんか一瞬で着くはずだった。
 それがまだ誰も殺されていない。
 間違いない……こいつは、戦闘マニアだ!!
 
 戦闘マニアは二種類いる。
 一つは、自分自身を切磋琢磨し、強さだけを追い求めるタイプ。
 もう一つは、自身の強さに溺れ、誰彼構わず殺し続けるタイプだ。
 そして、こいつは後者の中でも最悪のタイプだった。
 いま両手両足を潰された姿で、一年の女子が校舎の二階から投げ捨てられたところだった。
 その彼女の周囲で次々と地面が砕かれ、破片が飛び散り、身動きの取れない彼女の上に落ち続ける。
「あははは!!!ねぇ、誰も助けに来ないの?あんたたち、みんな腰抜け?」
 拡声器から漏れるような声で叫び、パワードスーツの女は嘲りを隠さずに笑う。
 僕と果歩は校舎の角に隠れ、その様子を見ていた。
「やめろぉおお!!」
 叫びながら飛び出した男子の周囲で地面が削られ、その一瞬の隙にパワードスーツは男の正面に立っていた。と、同時に男の両腕を掴み、左右に無理やり広げる。
 みちみちと靭帯の伸びる音が聞こえ、
「あがぁぁあっ!」
 男の叫びと同時に両肩の関節が外された。
 その関節が外れた腕を掴んだままパワードスーツは、遊び飽きた人形を捨てるように男を放り投げる。
「く、くそっ」
 僅かに顔を上げた男が、
「ぐぎゃぁあああ!!!」
 着地したパワードスーツに、両足を踏み潰されて悲鳴を上げた。
 僕は果歩の頭を胸に抱き寄せ、ただ息を殺しているのが限界だった。
 下手に動けば絶対に見付かる。……その確信があった。
 音か何かは解らないが、パワードスーツは動きに反応し狩りをしているようだった。
 そう、これは殺人ゲーム内で行われている人間狩りだった。
「ひぃぃいいいいいい……」
 校舎に戻ったパワードスーツに追われ、一人の男子がグランドに向かって走り出した。
 が、あっさりと足を撃ち抜かれて地面に転がる。
 這い上がろうとした腕を撃ち抜かれ、また倒れ……そのまま無事な足が撃ち抜かれた。
 一本だけ残された腕で、その男子は虫のように這い進む。
 動かないパワードスーツはそれを見て楽しんでいるようだった。
 
 パワードスーツの武器は、両肩のミサイルポッドと腕の盛り上がった部分にある銃器のようだった。弾丸が見えないから圧縮された空気を撃ち出しているのかもしれない。
 機動力は普通の人間並みだが、バックパックから出ているジェットノズルで、短時間の飛行と瞬間的なダッシュが可能のようだった。
 それと……後は謎のセンサーだな。
 僕はとしては、さっさと戦闘に飽きて誰かを殺してくれないかと思ってるんだが……果歩は、この状況が我慢できないようだった。
 歯を食い縛り、果歩は泣きながら僕を睨んでいた。
 どんなに睨まれても、僕は腕を解く気は無かった。
 勝ち目の無い戦闘を避けるのは、当然のことで、わざわざ嬲り者になりに出る必要はないはずだった。
「いやぁぁあっ!!」
 甲高い悲鳴が聞こえ、パワードスーツが捕まえた兎を持つように髪を掴んで、女子を持ち上げたまま校舎の中から出てきた。
 果歩の頭を押さえ付け、僕は校舎の影からパワードスーツの動きを見る。
 高々と女子を持ち上げ、パワードスーツは短い指を蠢かせ、女子の……制服だけを引き裂いた!
「いやぁぁああああっ!」
 パワードスーツは、裸身を隠そうとする腕を捻り上げ、
 ごきん!
 あっさりと圧し折った。
 その仕打ちに僕の奥歯が、ギリッと音を立てる。
 パワードスーツはその音に反応を見せず、弄ぶように片腕で胸を隠す女子のスカートを引き裂く。
 あれが……女のすることかよっ!
 抑え切れない怒りが漏れるようにように、僕の手の中で淡い泡のような光が零れ続ける。
「……果歩」
 はっと顔を上げ、果歩が安堵しながら驚いたような複雑な表情で僕を見る。
「ここを動くな」
 果歩はその言葉に、しっかりと……顔を横に振った。
「あたしも行く」
 その目は強い光を持って、僕を射抜いていた。
 チッ!
 僕は舌打ちをしながら、頭をガリガリと掻いた。……好きにしろ!
 言葉にしなくても、その想いは果歩に伝わっていた。
 僕と果歩はそれぞれのアームズを出し、頷き合うと……校舎の影から飛び出した。
 
 新たな、そして自分から飛び出してきた獲物をパワードスーツがゆっくりと振り返り……
「ぷふっ」
 と、笑いを漏らした。
「ねぇねぇ、それってさ〜もしかして、えすか……」
「そんなのどうでもいいしょっ!!!」
 叫んだのは、僕じゃなくて果歩だった。
「あなたのアームズだって、なによ、それ?深夜アニメの見過ぎなんじゃないの?いまどきそんなの流行んないわよっ!」
 シュッと空気の切り裂く音が聞こえ、
 キィン!
 果歩に向かって撃ち出された空気弾を、僕の撲殺バットが打ち返した。
 一拍遅れて、残骸になった校舎の三階の窓が砕け散る。
 撲殺バットを肩に担いだ僕の斜め後ろで、大型ハリセンを両手で持った果歩が叫ぶ。
「あんたの自慢のアームズを、あたしのハリセンでポンコツにしてやるよっ!」
 走り出した果歩は、器用にジグザクに飛び、空気弾を避けながら間合いを詰めていく。
 片腕では追い付かないと見たパワードスーツが持ち上げていた女生徒を投げ捨て、
 スパーン!
 間合いに飛び込んだ果歩の一撃が空振りに終り、軽快な音を残し地面を叩く。
 と、ほぼ同時に僕は女子を地面の激突から救い、抱き止めた。
 引き千切るようにシャツを脱ぎ捨て、彼女に押し付ける。
「果歩!横だ!飛べ!!!」
 僕の叫びに反応し、瞬時に果歩が横に飛び、その空いた場所に向かって、パワードスーツがジェット噴射によるタックルを放った。
 その勢いを殺さず、片足だけ地面に押し付け、パワードスーツが方向転換し向き直る。
 来るなら今だ!
 僕は一気に駆け抜け、パワードスーツの前に飛び出る――と、パワードスーツの肩の部位が開き、無数のミサイルが剥き出しになった。
 すでに大きく振り被っていた僕よりも一瞬遅れて、果歩が大型ハリセンを後ろに引きながら駆け寄ってくる。
 ミサイルが発射される瞬間を狙い、
 ドゴォ!
 スパァン!
 撲殺バットと大型ハリセンが開いた肩のカバーを叩き、無理やり閉じさせた。
 瞬間!カバーの隙間とキャノピの中に眩い光が満ちる。
 ドゴォオン!!!!
 目と耳を潰すような巨大な爆発に、僕と果歩は吹き飛ばされた。
 転がり落ちた僕は、自分の怪我も忘れて、果歩の姿を探す。……が、果歩はすでに立ち上がり、最後の一撃を放つために飛んでいた。
 両腕と上部のキャノピが吹き飛んだパワードスーツの中で、血塗れの女が逆光の中で舞う果歩を睨み……苦々しく呟いた。
「こ、のハリセン女め」
 身動きの取れない女ごと、果歩のハリセンはパワードスーツを真っ二つに斬り裂く!
 膝を折って着地した果歩の左右で、小さな爆発と共にパワードスーツは砕け散った。
 
 通常空間に戻ると、パワードスーツの女は果歩に自分の負けを宣言し、堂々と正門を乗り越えて帰っていった。
 フィールドによる齟齬は基本的に常人には感知できないので……たぶん、学校から逃げたプレイヤーや僕らは普通に欠席扱いになっているはずだった。
 校舎や服など、フィールド内で破損した物は元に戻っている。なのに、制服を破かれてた子は、何度も僕に礼を言ってきて、居心地がやたら悪かった。
 授業が終わるまでの時間、僕らは食堂横のテラスでジュースを飲んで時間を潰すことにした。
 もちろん、話題の中心は僕のアームズの秘密を、絶対に守って欲しいってことだった。……が、これにはみんな快く約束してくれた。
 
 あ、そうそう。最初の攻撃で気絶していた坂本は、授業中に廊下で寝ていたとして……放課後、生活指導室に呼び出しを喰らったそうだ。