第五話 風と羊飼い
 
 いつものように朝一番の空気を部屋に入れるため、私は屋根裏部屋の木窓を開きます。
 その音に驚いた小鳥たちが、屋根から飛び立ち……すぐに戻ってきました。
 ちゅんちゅんと鳴く声が、ちょっとうるさい気もしますが、まぁ朝の挨拶と思えば腹も立ちません。
 私は大きく伸びをして、窓の外に目を向けます。
 そこに広がっているのは、朝露に濡れた青々とした麦畑でした。もっとも、ここからでは朝露まで見えませんけどね。
 でも、どこか元気いっぱいに見える小さな麦を見ていると、私まで元気になってくるような気がします。
 そう……このまま元気に育って、美味しい小麦になるのです!
 もう命令です。っていうか、お願いです。
 頼みますから、美味しい小麦になってください。
 ほんと、美味しくならないと酷い目に合いますよ……私が。
 
 豊作祈願のお祭りから二週間が経ち、もうどこにも冬の寒さは感じられなくなっていました。朝の寒さも冬のそれほど辛さを感じません。むしろ、頬に感じる冷たさが心地良いくらいです。
 私は服を着ると、元気いっぱいに階段を駆け下ります。
 大きな扉を開いて、食堂に入ると……おじいさんが眉間に深い立て皺を寄せて朝ご飯を食べていました。
 あ、あれ?ご機嫌斜めですか?
 私はおじいさんを刺激しないように、静か〜に、おばあさんの横に行きます。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
 朝の挨拶をしながら、私はおじいさんをちらっと見ます。
「すごく機嫌が悪そうなんですけど?」
 おばあさんはにこにこと笑いながら、
「そうね」
 とだけ答えてくれました。
 ここで何の助言も無いということは、私のことで怒っているわけじゃないってことですよね?
 私はその思いを目に込めておばあさん見ます。……が、おばあさんはにこにこ笑っているだけで、全くその心が読めません。
 ほんとに大丈夫なんですか?
 私は怖々とおじいさんの前に座り、
「おはようございます」
 と、小さな声を掛けてみました。
「うむ」
 と、パンを千切りながらおじいさんは返事をしてくれましたが、「おはよう」も無しですか?
 おばあさんが置いてくれたほんのり温かいヤギのミルクを手に、私はおじいさんの顔を覗き込みます。定期的にパンを千切り、口に放り込みながら、おじいさんは黙々と食べ続けていました。
 怒っているのは間違いないみたいですが、こう……何か変な感じです。
 私は身体を乗り出して、かなり露骨におじいさんの顔を覗き込みましたが、おじいさんは目を閉じているのか、それに全く気付いた様子がありませんでした。半分寝てるんでしょうか?
 試しに、目の前で手をひらひらとさせたら、
「うん?」
 と、すごい目で睨まれました。目が本気です。ちょっと怖いです。
「ふんっ」
 と、怯える私を見ながら不機嫌に鼻を鳴らして、おじいさんはパンを千切り、口に放り込みました。
「あの、おじいさん」
「ん?」
 やっぱり不機嫌そうな返事です。
「なにを怒ってらっしゃるんですか?」
「お前には関係ないことじゃ」
 関係ないなら、私の前で不機嫌にならないでほしいです。……が、そんなことを言えば烈火の如く怒り出すに決まっているので、口が裂けても言えません。
 種蒔きが順調に終わって、ここんとこすごく機嫌が良かったはずなんですけどね。
 静けさに耐え切れず、私はおずおずとおじいさんに話し掛けます。
「あの、何かあったんですか?」
「ん?うむ……まぁな」
 妙に歯切れの悪い返事です。
 そのまま聞くのも悪い気がしたので、私はパンに手を伸ばして、さっさと朝ご飯を食べることにしました。
「実は……な」
 大きな溜息をついて、おじいさんはいきなり話し出しました。私はもぐもぐとパンを噛みながら「ん」と返事をします。
「町の連中が水車小屋を貸して欲しい言って来たのじゃ」
「え?」
 確か、この近辺で水車小屋があるのはカシィ村だけだったはずです。だから、ずっと昔から町の人たちも使っていたはずなんですけど……それを貸してくれって?
「どういう意味ですか?」
「いや、実はな、ホカタゴの港町や行商人が持ってきた小麦を粉にするのにカシィ村の水車小屋を使わせろ、と言って来たのじゃよ」
「それがなにか?」
 と聞いた瞬間――ピシィと音が聞こえそうなほど勢いで、おじいさんの額に血管が浮き上がりました。
「村の水車小屋は、村で取れた小麦のためにあるんじゃぁあああ!」
 いきなりおじいさんが叫んだので、私はびっくりしてパンとチーズを持っていた両手を上げました。
「代々村の小麦だけを引いてきた水車小屋に、どこの馬の骨ともわからん小麦を入れてどうするつもりじゃ!しかも、ホカタゴの港町で買って来ただと?行商人から買っただと?」
 おじいさんは顔を真っ赤にして、ぶるぶると震えています。
「わしらのご先祖様がどれほどの思いをして、この村の小麦を守り続けてきたかわからんのかぁあああ!」
 私はおじいさんの剣幕に、椅子の上で小さくなって頭を抱えています。が、それが気に入らなかったのでしょう。おじいさんは私を睨みながら、さらに叫びました。
「お前も水汲みの娘なら、ちっとは怒らんかぁ!」
 いや、だって……私の小麦はまだちっちゃな草ですよ?
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
「なんじゃ!」
 ふごーふごーと鼻息を鳴らしながら、おじいさんは私を睨んでいます。
「村の水車小屋を使えないなら、町の人は困ってるんじゃないですか?」
「知らんっ!」
 知らん、て……。
「カッツェは、トルテア河にある水車小屋を教えてやったと言っていたが、な」
 な、をやたら強調しておじいさんは言いました。けど、カシィ村からほどでなくても、近隣の町からトルテア河までは、かなり遠いはずです。
「それって、かなり不便なんじゃ?」
「ふんっ。わしらの知ったことかっ!」
 おじいさんは、ちょっとだけ落ち着いたのか、どかっと椅子に座って、またパンを千切って食べ始めました。
 私はそんなおじいさんを見ながら、この地方の地図を頭の中に描き出します。
 ヒルハ平原には川はほとんど流れていません。小さな湧き水の泉がところどころあるだけです。
 そのヒルハ平原の西にそびえるトートーラ山脈沿いに、町や村があります。でも、その生活水は基本的に井戸でまかなわれているはずでした。山脈から下りてくる小さな川は無数にありますが、どれも細くて水車小屋を作れるほどの水量はありません。
 水車小屋に必要な水量を確保できそうな場所は……ヒルハ平原を二部すると言われるトルテア河だけでしょう。
 でも、山脈沿いからトルテア河までは真直ぐに移動したとしても、片道で二日は掛かるはずです。それも荷馬車を使っての話です。
 近くに水車小屋があれば、とうぜん使わせて欲しいと思うはずです……が、おじいさんが怒る気持ちもわかります。
 カシィ村の人たちは小麦を売って生活をしているからです。
 言ってみれば、商売敵から買った小麦をカシィ村の水車小屋で粉にさせろと言われたようなものですからね。
 まぁ、私はケチケチしなくてもいいじゃないですか?って思いますけどね。
 おじいさんはまだ怒っているのか、ぶつぶつ言いながらパンを食べています。……っていうか、のんびりと朝ご飯を食べている暇なんか無かったのを思い出し、私は大急ぎでパンをお腹に詰め込みました。
 
 
 エア・ボートでヒルハ平原に出ると、もうアリエが待っていました。……十四匹の羊と一緒に。
 この春から、アリエは羊飼いの仕事を手伝うようになり、私はそのアリエの手伝いをしていました。
 まぁ、手伝いと言っても牧羊犬の代わりをしているだけなんですけどね。
 この十四匹はアリエが住むセノの町の羊で、比較的大人しいグループらしいです。
 実は……私は知らなかったんですけど、羊ってけっこう凶暴なんですよ。いえ、凶暴っていうより腹黒いというべきなんでしょうか?
 羊飼いが新米だったり、牧羊犬が慣れてなかったりすると、絶対に命令を聞いてくれません。いえ、それどころか羊飼いや牧羊犬に襲い掛かったりするのです。
 嘘じゃないですよ。
 私は襲われましたです。……はい。
 アリエが羊飼いの仕事を手伝った初日に、私は物珍しさから一緒に平原を歩いてました。
 そうしたら、一匹の子羊が群れから離れて、全然違う方に歩き出したんですよ。
 それを見た私がエア・ボートで群れの後ろ側を周り、子羊に「そっちじゃないですよ」と教えてやったんです。……親切にですよ。
 なのに、それを見た群れのリーダー羊が何を思ったのか、私に全速力でぶつかって来たんです。
 当然、か弱い乙女の私は吹き飛ばされました。
 そしたら、今度は他の羊が集まってきて、私をぎゅうぎゅうと押し潰し始めたのです。
 羊さんはもこもこなので痛くはありませんが、さすがに群れ全体で押して来られると苦しいです。ほんきで死ぬかと……いえ、殺されるかと思いました。
 そのときはアリエが助けてくれたから大丈夫だったんですけどね。でも、私はもう羊に心を開きません。
 私にとって羊は、『隙を見せれば躊躇わず襲ってくる危険な獣』として認識されました。
 それでもアリエの放牧に付き合うのは、アリエがまだ牧羊犬を持っていないからです。
 決して、羊飼いの服を着たアリエが可愛いからじゃないですよ。
 でも……最近、髪が伸びてきて、癖の無い金髪が可愛い感じになってきたんですよね。
 細い先の曲がった杖を持ち、羊たちを連れ歩くアリエには、どこか絵画的な美しさを感じるときがあります。けど、それが理由じゃないんです。
 私が手伝っているのは、あくまでも牧羊犬の代わりをするためです!変な下心があるわけでは決してありません。
 えと……なんでしたっけ?
 あ、そうです。羊の話でしたね。
 アリエが任されている羊たちは、まだ一歳未満の小さな羊が多いので、その行程は短く半日程度で町に戻って来ます。
 だから、他の羊飼いが出た後に出発し、一番最初に帰ることになります。
 ヒルハ平原を真直ぐにお昼過ぎまで歩き、同じ道を帰ってくるんですよね。
 熟練の羊飼いになると何週間も戻って来ないと聞くので、いまの私にはその凄さが解ります。腹黒い羊たちを何週間も管理できるんですから、それは匠の技としか言いようがありません。
 また群れから外れそうな羊がいたので、私はエア・ボートで回り込んで群れに戻し……
 からん。
 私の方に向き掛けたリーダー羊の顔を、アリエは鐘を鳴らし前に戻します。
 この手の連携も、もう慣れたものです。
 ゆっくりと春の草原を歩きながら、羊の群れはアリエに着いて行きます。
 
 お昼過ぎになって、アリエは泉の前で羊たちを休ませることにしました。
 羊たちは水の飲んだり、座ったり、好き勝手に寛いでいます。
 泉の近くにある小さな木の根元に座って、私たちもお昼ご飯です。
 今日の話題は、もちろん……朝から理不尽な理由で怒り出したおじいさんです。
 身振り手振りを交えて話す私を見て、アリエは困ったような笑顔を浮かべていました。
「で、さ。アリエのお家はどうなの?」
「ん、と……たぶん、カシィ村の小麦だと思うよ」
 ま、当然ですね。
「でも、僕の町でも行商人の人が、かなり小麦を売ってたはず」
「そうなの?」
「うん。お母さんは、安いけど他所の小麦は嫌だからって買わなかったみたいだけどね」
 アリエのお母さんが持たしてくれたクッキーを食べながら、私は「このクッキーもカシィ村の小麦で出来てるのか」としみじみ味わいます。
「でも、おじいさんが怒るのも無理ないよね?」
「そうなの?」
 アリエは頷き、言葉を続けます。
「もし、今年の小麦が売れ残ったら、ティサはどう思う?」
 え?
「そ、それは……嫌、かな?」
「でしょ?それに……」
「うん」
「町の人は水車小屋を使えないから、村の誰かに頼まないとダメなんだよね」
 それってどう思う?と、アリエは質問を続けます。
「う、うぅ……」
「それに、トルテア河の水車小屋を町のみんなが使いたがらないのは、料金が高いってのもあるしね」
「え、そうなの?」
 アリエは大きく頷きます。
「上流の方の領主様が建てた物だから、税金が取られるんだよ」
 王国の辺境であるヒルハ平原にある町や村は、直接的に支配する領主が存在しないことから、自治領として王国だけに税金を支払うだけで良かったはずなんですが……そんなことで税金を稼いでいる領主とかいたんですか。
 そういう話を聞くと、私としては……なおさらトルテア河の水車小屋は使ってほしくない気分になってきます。
「村の水車小屋は使えない。トルテア河の水車小屋も使いたくない……か」
 ぼんやりと呟く私の頭の上で、草原の風に揺られた枝葉が、心地良い音を立てていました。
 
 
 ヒルハ平原に一番詳しい人は?
 この質問の答えは……当然『羊飼い』となるでしょう。
 というわけで、私はアリエが連れている羊の畜主さんに紹介してもらい、もう隠居されている元羊飼いの元締めさんに会いに来ています。
「ほぅ……あんたが、今年の水汲みの娘さんか?」
「はい。ティサと言います」
 元羊飼いのおじいさんは、日焼けした顔に深い皺を刻み込んだ、穏やかな目をした人でした。
「確か……ホロイさんの孫という話しじゃが」
 元羊飼いのおじいさんは、くくくと喉の奥で笑い、
「あの爺さんは相変わらず頑固者じゃろう」
 にかっと歯をむいて笑顔を見せてくれました。
「あはは」
 私もつられて笑ってしまいます。
 いま、おじいさんと話をしている……ここはセノの町の広場に面した民家の前です。
 砂埃が浮いた椅子に腰を下ろし、羊飼いが持つ杖を手に、おじいさんは日向ぼっこをしていました。
「……で、お嬢さんは、こんな爺に何の用ですかな?」
「実は、ヒルハ平原のことを教えてほしいんです」
 私の言葉に、おじいさんの目が僅かに細められます。
「私……この冬まで遠くに街に住んでたんです。だから、平原やこの地方のことをよく知らないんです」
「ほぅほぅ」
 おじいさんはその言葉で合点がいったのか、何度も頷いています。
「だから、ヒルハ平原やトートーラ山脈からの風の動きを知りたいんです」
「風の動きを?」
「はい。出来れば……季節ごとの風の向きと強さを」
 おじいさんは心底不思議そうな顔を私に向けて固まっています。
「なぜ、それを?」
 私はにっこりと笑い、自分の頭の中で描いている計画を元羊飼いのおじいさんに、こっそりと教えることにしました。
 
 私の話を聞き、おじいさんはこれ以上は無理ってほど目を開いて私の顔を見ました。
「そ、そんなことが出来るのかね?」
「はい。この地方にはありませんが……昔、本で見たことがあります」
 おじいさんは、信じられないという風に、小さく首を振っています。
「でも、それをするには……この地方の風を知る必要があるんです」
「それは……そうじゃろうが。うぅむ……しかし、錬金術師とは」
 杖を持つ手が震えているのは、驚きのあまりにではなく、未知なるものに触れた興奮によるものに違いありません。そして、それは錬金術師である私にとって、身近なものでもありました。
 おじいさんは大きく息を吸うと、ゆっくりとそれを吐き出し、
「一日では説明し切れんな」
 と、不敵な笑みを浮かべながら言いました。
「もちろん、心得ております」
 私は椅子に座ったままの老羊飼いに頭を下げます。
「どうか……ご教授、お願い致します」
 王宮錬金術師と、風を知る老羊飼い……この二人でなくては不可能な計画が、いま始まったのです。
 
 
 その日から、私は大忙しでした。
 昼間は、羊飼いのおじいさんの説明を手描きの地図に書き止め、夜は記憶を頼りに図面を描く毎日です。
 季節の風の向きと、その強さ……数年毎に来る嵐の危険など、ヒルハ平原の風は私の予想を超えて複雑なものでした。
 その中で、最も安全で、最も効率的な風向きを掴むのは至難の業でした。
 しかし、それを可能にしたのは、二重歯車の存在でした。正回転では次の歯車に力を送り、逆回転では空回りをする……この二重歯車を使えば、風向きが移り変わりやすいヒルハ平原でも大丈夫なはずです。
 そして、それを設置する場所の決定は……羊飼いのおじいさんがヒントをくれました。
「平原の風を真直ぐに受けるのは、やはりトートーラ山脈じゃな」
 そう……カシィ村を出て、セノの町まで行く道程が、最も風の安定した地域だったのです。
 私は何度も図面を破り捨て、そしてそれ以上に描き進め……ついに、完璧な設計図を作り上げました。
 それは水車小屋に代わる、町の人たちにも使ってもらえる物……『ヒルハ平原の風車小屋』の設計図でした。
 
 
 ホカタゴの港町……ラスク商会のカウンターの前で、私はこれ以上はないほどの笑顔で店主のラスクを見つめます。
 私の横には心配顔の村長さんと物珍しそうに店内を見回すカッツェさんがいました。
 風車小屋の建設をするのに、村全体の許可が必要だったので、数日前に会合を開いていもらったのです。その場では特に反対の意見は無かったのですが……逆に、私一人には任せていられない、ということになってしまいました。
 まぁ、私としてはどうでも良いことですが。
 いま風車小屋の図面はラスク商会のカウンターに広げられていました。
「これを……私にどうしろと?」
 頬を引き攣らせながら、ラスクは呆然と呟き、私に顔を向けます。
「これの工事をあなたに発注するつもりだったんだけど……どうやら無理みたいね」
 私は嘲りを隠さずに言い、手をカウンターの図面に伸ばし……
「ちょっと待ってください!」
 ラスクの叫びに手を止めます。
 ラスクの目は必死に図面を追い、小さな呟きがその唇から零れ続けています。
 その必死な姿に私はくすくすと笑いを零します。
「無理なら早く言ってね」
 しかし、例え無理に思えても、ラスクがそう言うはずがありません。何しろ、材料から職人の手配まで合わせると、とんでもない利益が上がるはずなのですから。
 いえ、それだけではありません。
 もし、この風車小屋が出来上がれば、それはラスク商会が建てたことになるのです。その名声は路地裏の雑貨商では、永遠に得られないもののはずでした。
「わかりました。……お引き受けさせていただきます」
 挑戦的な笑みを浮かべ、ラスクは私を見ながら言いました。
 図面の両端を押さえるラスクの手が震えているに気付かない振りをして、私は小さく頷きます。
「では、工事の開始とその期間の確認をさせてもらいたいのですが……」
 ラスクは、そこで私から視線を村長さんに向けます。
「お、おぉ……そうじゃな、出来れば早い方がいいんじゃが」
 村長さんはそう言いながら不安そうにカッツェさんを見ます。……が、カッツェさんはガシガシと頭を掻いているだけで、何も答えようとしません。カッツェさんの目が泳いでいるので、きっと「俺に聞かれてもなぁ」とか考えているに決まってます。
「あ、村長さん」
 仕方ないので、私は助け舟を出すことにしました。
「ん?な、なんじゃ?」
 完全に舞い上がっているのか、村長さんは引っくり返った声で慌てて答えます。
「後は、私とラスクさんで話を決めさせてもらってもいいですか?」
「お、おぉ?」
「そうですね。……南の国の珍しいお茶がありますので、村長さんとお連れの方は、あちらのテーブルでお待ち願えますか?」
 いつもの商談用の笑顔を取り戻したラスクが、にこやかにカウンターを離れ、二人を奥のテーブルへと誘いました。
 村長さんとカッツェさんにお茶を出し、同じお茶をカウンターの前で待つ私の前に置いて、ラスクは……小さく溜息をつき、言いました。
「しかし、随分と猫を被っていらっしゃるようで……」
 ラスクは自嘲的な苦笑いを浮かべる。
「どういう意味?」
「いえ、別に」
 とんとんとカウンターの隅を叩きながら、ラスクはその表情を隙の無い笑顔に変えます。ここからは商談、ということなのでしょう。
「材料に関しては問題はありませんね。今日中に発注すれば明日には、遅くても明後日は全て揃うはずです」
 図面を確認しながら、ラスクは話し続ける。
「中の構造は、基本的に水車小屋と同じようなので大丈夫なはずです。その手の部品は、ある程度は作り置きされているはずですし、新たに作るにしても、既に何度も作った物なので、さほど時間を必要としないでしょう」
 私は小さく頷き、ラスクの次の言葉を待つ。
「完全な別注になるのは、風車の羽と帆の部分ですが……これは工事の最終段階まで時間があると考えていいでしょう。むしろ問題は……」
「問題は?」
「工事期間ですね。長過ぎても短過ぎても、職人への手当てが増えてしまいます」
「それに関しては、あなたに全て任せるわ」
「え?」
 普通なら最も時間を割いて決めるべき事項だけど、私はそれをわざとラスクに一任すると言ってやった。
「いや、しかし……」
「少しくらいは信用させてよ」
 笑みを浮かべながら言う私に、ラスクは滅多に見せない驚きの表情を浮かべる。……が、すぐにその表情が引き締まる。
「最善を、尽くさせて頂きます」
「うん」
 私は最高の笑顔でラスクを答えました。
 これで暴利を貪るようなら、こいつとは縁を切らせてもらいます。
 ラスクの出した概算の工事費用を聞き、私はラスク商店の売掛金清算することで支払うことにしました。
 実は冬からこっち、けっこうな数の鉱石を売り込んでいたのです。
 これに関してはラスクはかなり渋い顔をしたけど、お店の財政事情までは知ったことじゃありません。
「しかし……」
「なに?」
「せめて、半額は現金で支払ってもらうわけにはいきませんか?」
「いままで私が持って来た鉱石で儲けたお金はどうしたの?」
 ラスクはそれには答えず、ただ目を閉じて笑みを浮かべるだけでした。
「いっつもいつも売掛金ばっかで、私が困らないとでも思ってたの?」
「いえ、別に……そうは思ってませんでしたが」
「……が、なによ?」
 私がこっそりお金を貯めているのを知っているとでも?
「そうですね。……ここは一つ、ある情報をお教えすることで、半額を現金で支払っていただくというのは、どうでしょう?」
 確信的な薄い笑みを浮かべながら、ラスクはそう言いました。
「情報って?」
「噂話ではなく、その場で見た事実を私は聞いていますので……それを少々」
 私はじっとラスクの顔を見ます。……が、商人特有の笑顔を浮かべたラスクからは何も読み取れません。
「聞いてから決める……でも、いいのかしら?」
 ラスクは笑顔のまま頷きました。
 私がそれで納得するだけの自信があるということなんでしょう。
 じっくりと考え、
「なに?」
 と、私は先を促しました。
「王様のことです」
「王様って?」
 いま王と言えば、謀反を起こしたメルダシアンのことのはずです。……が、あんなチビデブのハゲ親父の話なんか、私は聞きたくありませんでした。
 しかし、そこでラスクは大袈裟に驚き、
「龍鱗の大剣を振るうセルジャ王以外の王を、私は知りませんが?」
 と両の掌を見せながら言いました。
 え?……それじゃ、ほんとに王様のこと?
 私の驚きの表情を見ないように、ラスクは顔を横に向け視線を外したまま、ゆっくりと話し出しました。
「いま王は、こことは逆の……西の辺境にいます。そこで同盟という名の侵略を進めようとしている隣国と戦っているそうです」
 隣国と……戦っている?
「内政の乱れた王国に同盟を持ち掛け、実質的な征服を狙っている国は少なくないそうです」
 それは確かにありそうな話だった。
 私は小さく頷くのを目の端で見て、ラスクは言葉を続ける。
「もちろん、王城を離れられた王に助力を申し出る国も数多あります。……が、王と王妃はそれらの国の申し出を全て拒否されました」
 王がその申し出を受ければ、後々王国が隷属化される可能性を残すことになるのは……子供でも解る道理だった。
「お……王と王妃は、いまは一緒にいらっしゃられるのですか?」
「はい。共に健在で、他国の侵略から王国を守られているそうです」
 王は……いまも国王としての勤めを果たされている。
「メルダシアン大臣も内外の突き上げが激しく、政情を安定させるには力不足のようですし……」
 それは当然のことだった。あんなハゲに王の代わりが務まるはずがないに決まっている。
「何れは……セルジャ王が王城にお戻りになることでしょう」
 震える身体を隠し、私はラスクの結びの言葉を鼻で笑う。
「そんな解り切った話で、代金の半額を現金で支払わせるつもりだったの?」
 ラスクはゆっくりと私に身体を向け、
「いえ、全額を」
 と、にこやかに言いました。
「ぐっ」
「……と言うのは冗談です」
 商談用の笑顔でラスクは続ける。
「どうでしょう?この話を私に教えてくれた友人は武具を買い付け、また西の辺境に戻りました。この夏の終わりにはまたホカタゴに帰ってくるはずです」
「だから?」
 私は不機嫌を隠さずラスクを睨み付けます。
「代金の半分を現金でお支払いいただければ、またお話しする機会があるかと……」
 村長さんとカッツェさんが商店の隅にあるテーブルでお茶を飲んでいなかったら、私は絶対にラスクをぶん殴っているはずです。いまも握り拳を震わせながら、ラスクを睨んでいるくらいですからね。
「い……」
「い?」
「いいわ。……明日、あなたが言った概算の半額を持って来ます」
「ありがとうございます」
 私は悔しさを飲み込み、言葉を続ける。
「ですが……もし、あなたが確信を持っている事柄を他人に話せば……」
 その言葉にラスクを笑みを浮かべたまま、小さく首を横に振る。
「まさか、私は商人ですよ。商人は上客を逃がすような真似をいたしません。……それだけは、確かです」
「なら、いいわ」
 私は小さく息を吐いて、ラスクの用意したお茶を飲み干す。
 冷め切ったそれは苦くて、嫌な味でした。
 
 
 ラスクが私の素性を知ったのは……どうやら、賢者の指輪からだったようでした。
 王国に百余人いる王立アカデミーの卒業者の中で、十代の若さで賢者の指輪を持つ者は、セルジャ王に育てられた、王宮錬金術師セルカのみ、だからです。
 しかし、老賢者から指輪を受け継ぐ者も多い中、私がセルカであると確信したのは……やはり、セルジャ王の話をしたときだろうと思われます。
 あのとき白を切れなかったのは、私の失態でした。
 でも……まぁ、ラスクのことだから私をメルダシアンに売るなんてことはしないはずです。
 彼自身が言っていたのですから……
『商人は、決して上客を逃したりしない』
 と。
 
 
 私と村長さんたちがラスク商店を訪れた翌日から風車小屋の材料は運ばれ始め……僅か一週間で、風車小屋は完成しちゃいました。
 早過ぎます。
 でも、この工期の短さは、ひとえにラスクの功績でした。無駄の無い人の手配が、その理由だったからです。
 完成した風車小屋の使用料は、その建築費用に達するまでは、ホロイおじいさんを通じて私に支払われ、その後はカシィ村の収益になることになっていた。
 ちなみに、私に支払われたお金は“今回出資していただいた”ラスク商会に、責任を持ってお渡しさせていただくことになっています。……それくらいの口裏は合わせてもらってもいいはずですよね?
 これから、この風車小屋には近くの村や町から、いろんな人が粉を挽きに来ることになると思われるので、カシィ村ではその仕事を専門する人を決めるらしいです。
 けど、それは私には関係の無い話でした。
 私は出来上がった風車小屋の威風を、エア・ボートに座ったまま静かに眺めます。
 大きな四枚の羽根をゆっくりと回す風車小屋は、行商の人たちや平原を渡る旅人たちの目印にもなりそうでした。
 もちろん、近隣の人たちの待ち合わせの場所としても、もうすでに使われています。
 当然……私と羊飼いの仕事に出るアリエの待ち合わせの場所も、この風車小屋の前だったりします。