scene-08
 
 
 暗い空を静かに雲が流れていた。
 肌に感じる風は無いのに、雲は流れて行く。
 空に近い場所にだけ風があるのか、それとも肌に感じることの出来ないほど弱い風が吹いているのか……僕には分からなかった。
 明るい夜空を雲が流れて行く。そして、その空の下では静かな銃声がときおり響いていた。
 遠くに聞こえる銃声の方を見て、僕は手に持った拳銃の重さを確かめる。
 ゾンビを排除している音だった。
 僕のチームは五人編成で……転校生の回収及び初期説明を僕と真帆が行い、二名が退路の確保、残りの一名が周辺のゾンビの排除をしていた。
「兄さん、もう時間だけど」
 僕は分かっているという意思表示に手を上げ、じっと空を見上げる。
 この世界に堕ちて、もう一ヶ月が経とうとしていた。
 ン十年振りの学園生活にはもう慣れた。成績が悪く、毎日補修なのにも慣れた。けど、今は……今だけ補修の事は忘れよう。
 真帆には、僕の呼び方を兄貴から兄さんに直させた。兄貴も慣れたら問題無かったかもだけど、ちょっと真帆のキャラにあってないように思えたからだ。
 だって、ちっこい女の子が睨み付けるように見ながら『兄貴』だぜ?
 普通は矯正するだろ。
 『boulangerie』での生活も問題は無かった。ときおり、夏実さんが意味不明な行動を取るけど、それも慣れたら問題無かった。
 真帆も学園と『boulangerie』の手伝いをしっかり両立していた。
 ま、成績に関しては僕よりもよっぽど良いようなので、そっちの心配はないだろう。
「……兄さん?」
 と、考え事をしている時じゃなかったな。
 僕は振り返り、不機嫌に顔を引き攣らせている真帆の前に立つ。危ない危ない。危うく模擬弾で撃たれるとこだったぜ。
「ゾンビの排除に梃子摺っているみたいだな?」
「問題ないんじゃないかな?それより時間通りに体育館に入ってないと……あたし達が締め出しを食らったら、転校生とか全滅しちゃうよ?」
「はいはい。了解しました」
 僕は適当な返事をしながら、真帆の横を通り過ぎる。
「はい、は一回!」
 振り返りながら真帆が言う。けっこうキツイ感じで、僕は反射的に背を丸める。
「……はい」
 大人しく呟く。ってか、うるせえよ、この優等生が。
 フェンスに近い場所にある遊具が影を揺らす、朽ちた小学校が僕らの受け持ちだった。
 そのフェンス沿いの体育館の中に、死体と一緒に転校生が堕ちて来るらしい。らしいってのは、そう聞いただけで見たことがないからだ。
 僕自身、廃病院の駐車場に堕ちたはずだから間違いはないだろうけど……いまいち人が空から降って来るってのが信じられなかった。
 しかも、駐車場ほど天井が低いわけじゃないけど、体育館の中だぜ?
 僕は体育館の横の出入り口に立ち、その高い天井を眺める。
 ここからどうやって堕ちるんだよ。いや、落ちるだけの高さはある。けど、逆に危ないんじゃないか?
 堕ちてそのままあの世行きってのも笑えないぞ。いや、ここがあの世だけどね。
 床に分厚く埃が溜まっていた。
「こっちはどう?」
「のひゃぁ!?」
 急に背後から話しかけられ、僕は仰け反るほど驚かされる。
「あれ、ビックリした?」
「脅かすなよ」
 にひひ、とジャージ姿の佐倉は悪戯っぽく笑う。
「ってか、ゾンビの排除はいいのかよ?」
 と聞いておいて、僕は何でさっきまで遠くで銃声が聞こえたのに、佐倉がここにいるんだと不思議に思う。
「ん、とゾンビの排除は終わってるよ。退路の確保がダメっぽいんじゃないかな?銃声はあっちでしてたし」
 退路の確保がダメって……ヤバいんじゃないのか?
「大丈夫なのか?」
 僕の問いに佐倉はいつもの笑顔で答える。
「大丈夫なんじゃないかな?ダメでも転校生の頑張りでなんとかなるし。……じゃないや。頑張って死んでもらおうよ?」
「いや、それじゃダメでしょ?」
 死んでもらうのが正しいと理解していても、それは本当にダメだと思うぞ。
「時間です」
 真帆が静かに告げる。
「じゃ、また後でな」
「ういー。ちょっとの間、この辺にいるから……サポートは期待してよ」
「あぁ、よろしくな」
 ゴゴゴ……と音を残しながらドアは閉じ、静かに照明に電気が入る。
 カッと勢いよく点くのかと思ってたら、徐々に灯が入るタイプだった。あれって水銀灯だっけ?
 僕がぼんやりと暗い天井を眺めていると、不意にそれは起こった。
 何も無い空間に女子生徒がコマ落としのように現れたのである。
 次の瞬間には、ドサッと床に落ちていた。
「え?」
 驚いている間に、断続的に生徒の出現は続く。そして、生徒は床に落ちて行く。
 落ちた生徒の一人が、ゴンッと頭を激しく打ち付ける。
「ちょ、大丈夫か?」
 その頭を打った男子の横に行き、声を掛けるが……完全に白目を向き、鼻から細い血が流れている。完璧にノックアウトだった。
「動かさないで。脳震盪を起こしている可能性があるから、そのままにしていた方がいいよ」
「あぁ、だけど……大丈夫なのか?」
「わかんないよ。……お医者さんじゃないし。でも、脳震盪は動かさないのが正解だったはず」
 僕はその男子から離れ、体育館の中を見渡す。
 全員で十七人の転校生がここに堕ちていた。いや、だけど……何かが変だった。
「そうだ。死体は……何で死体は堕ちて来ないんだ?」
 真帆も不安そうに周りを眺める。
「……わかんない、よ。あたしだって初めてだし、何か……どこか変だよ」
 不安を隠すように真帆の手が軽機関銃を構える。が、それでどこを狙っていいのか分からないようだった。
 転校生は無数の死体と一緒に堕ちて来ると言ってたはずだ。僕も無数の死体の上に倒れていた。
 なのに……ここには死体が無い。
 いや、死体なんかゾンビになるんだから、無いほうがいいに決まっている。いいに決まっている……けど、何で死体がひとつも無いんだ?
 何かが違う。
 僕はその違いを不気味に感じていた。
 
 
 拳銃の基本的な使い方を説明し、再度、マガジンを捨てる際に弾丸を残さないように注意をする。
 転校生への状況の説明は滞りなく進んでいた。
 全員を起こし終え、拳銃の説明をしようと思ったときに……「なんだよ、こいつとか小学生だろ?こんなガキに出来るなら説明なんかいらないだろう」と斜に構えた馬鹿が真帆を指差し、真帆がその馬鹿を模擬弾で掃射するというハプニングがあったからだ。しかも、撃たれた男子は拳銃で、実弾で撃ち返した。
 いや、それはあっさり真帆に避けられたから良かったけど、軽機関銃と同じく模擬弾が出ると思っていた男子は後ろにひっくり返り、派手に拳銃で頭をぶつけていた。
 ま、指をへし折られるよりはマシだろう。
 そんなこんながあったからだろう。
 その後の説明は順調に進み、問題なく終わろうとしていた。……終わろうとしていたはずだった。
 
「だから、銃弾の補充を必要としているときは、先ずマガジンの中の弾丸を必ず使――」
 不意に、地を響かすほどの轟音が鳴り響いた。
 いや、実際に建物全体が激しく揺れていた。転校生達は思い思いの仕草で身を縮め、何人かは派手に転がっていた。
 地震?と反射的に僕は天井を見る。
 水銀灯が激しく揺れる。そこら中からでかい埃が落ちる。
「兄さん!」
 真帆の叫び声を聞き、僕は彼女の方を向く。
 そのときにはもう揺れは収まっていた。
 真帆は、頭を抱え身を屈める転校生達を無視し、封鎖された両開きのドアが並ぶ正面出入り口を見ていた。
 何を見ているんだ?
「……っ!?、」
 真帆が見ている方に顔を向け、僕は声を詰まらせる。
 何があったんだ?何をどうすれば、あんな事になるんだ?
 出入り口は、封鎖したベニア板を吹き飛ばし、派手に歪み、周囲に硝子を撒き散らし、内に歪んでいた。
 地震で歪ん……いや、違う。あれが原因で、あの衝撃で体育館が揺らされたんだ。
 だが、何が?
 と、思った瞬間――次の衝撃が来た。
 今度は最初のよりも激しかった。いや、違う。衝撃は同じくらいだったはずだ。だが、その結果が違っていた。
 轟音と共にドアが吹き飛ばされていた。そのまま呆然と立つ転校生の二人を巻き込み……壇上に突き刺さっていた。
 二人の人間が一撃で肉片に変わっていた。
 一切の反応が出来ないまま、僕は出入り口だけを見続けていた。
 土煙と埃が舞い上がっていた。硝子の破片があちこちに飛び散っていた。ドアを封鎖していたベニア板もあらぬ方向に吹き飛ばされている。
 そして……徐々に落ち着いてくる土煙の中に揺れる人影があった。
 藤堂?
 反射的に僕はその人影を藤堂だと思った。あり得ないことなのに……僕は藤堂だと感じていた。
 それは薄汚れた白い学生服を着ていた。ボタンは全て外れていた。ズボンの裾は風化したように擦り切れていた。錆に似た汚れを、全身に浮かび上がらせていた。
 錆?違う。あれは……血の痕?
 出入り口に立つ人物の姿は徐々に顕になる。
 異様な男だった。
 長い髪と顔を隠す白い仮面をしていた。その白い仮面……流線型の模様を浮かび上がらせる仮面も着ている学生服も古い血で汚れていた。
 そして、その手に持たれた……いや、違う。その左手に突き刺さった楔で繋がった、柄も鍔も無い剥き出しの錆びた日本刀が狂気を感じさせた。
 2mを優に超える日本刀を……鎖で左腕と繋がれた日本刀を引き摺りながら、それはゆっくりと歩いていた。
 よく見ると、その日本刀の刃は血痕だけではなく錆び付いていた。ところどころ刃毀れもあるようだった。
 そして、ズル…ズ、ル……ザッ、……ズル、と重そうに刀を引き摺るその姿は……罰を受ける罪人を思わせた。
「……逃げ、」
 叫ぼうとして、僕は声を詰まらせる。
 喉の奥が乾き切っていた。
 アレは危ない。間違いなく危ないんだ。転校生を逃がすんだ。
 そう思いながら、僕は自分の喉に手を当てるだけで、何も出来なかった。何も出来ないと諦めていた。
 その姿を見たときから、僕は自身の生を諦めていた。絶対に助からないと決め付けていた。
「手前ぇ、ふざけてんじゃねえぞ!!」
 悲鳴のように叫びながら、模擬弾で撃たれていた男子生徒が近付いて行く。
 ダメだ。行くんじゃない。そいつに近付くなっ!
 喉を掻き毟りながら、身を屈め、僕は心の中で叫ぶ。
 そいつの5mくらい手前で拳銃を構え、しっかりと狙いを定め……男子生徒は拳銃を撃つ。銃声は酷く静かに聞こえた気がした。
 二度、三度と拳銃が跳ね上がり、撃たれたそいつは身を捩らせる。
 ぐらり、と倒れかけ、後ろに歩幅を広く取る。と、仰け反るように倒れ――ずに、腰を視点に、それは上半身を一気に回した。
 錆びた刃がその動きに合わせ、狂ったように振り回される。拳銃を撃っていた男子は腰を潰され、真っ二つになりながら壁まで吹き飛ばされていた。
 吐瀉物をぶちまけたような音が、静かな体育館の中に鳴り響く。
 ゆっくりとヤツは身体を起こし……ぐずぐずの挽肉のような傷口で、内臓だけで繋がる男子生徒に近付いて行く。男子生徒は一撃で即死していた。
 そして、その死体の前で両手を付いて、土下座をするように頭を床に押し付けた。
 何を?と不思議に思った僕の耳に届く。
 ぴちゃ、ぞり、ずるり、ぴちゃ、ぴちゃ、ぞり、ぴちゃ……
 ヤツは土下座をしているのではなく、男子の死体から流れ出た血液を舐めていた。
 そして、僕は見る。
 その顔を隠す仮面を透かし、長く舌が伸ばされているのを……舌先で血を舐め取っているのを。
 ダメだ。アレはダメだ。勝つとか勝てないじゃない。絶対にアレと関わっちゃいけないんだ。アレが傍にいる、それは死を意味するんだ。逃げる?逃げれるのか?アレから逃げれるのか?
 だけど、どこから?どこに逃げ場所がある?
 僕は体育館の左右にある出入り口を見る。が、それは閉じられたままだった。ダメだ。定刻にならないとあのドアは開かないんだ。
 体育館の上、そこに掛けられている時計に目をやる……が、それは全く無関係な時刻を指し示していた。体育館が朽ちているんだ、そこにある時計も止まってて当たり前じゃないか。くそっ、何をやってるんだよ。
 僕は自分の左手にした腕時計を見ようと袖を捲り、腕時計を出す。時刻は……定刻を、零時を回っていた。
 な、んで?十二時を回ってるのにドアが開いてないんだ??
 正面の出入り口を吹き飛ばされたときに歪んだのか?
 じゃぁ、逃げ場所は……あの正面の出入り口だけなのか?あそこに残りの転校生を誘導す、
 え?
 正面に開かれたドアの向こう……その左手の階段の、短い階段の下に……見慣れたジャージ姿があった。いや、違う。あれは違うに決まっている。
 無造作に捨てられたジャージには……上半身がなかった。下半身だけのジャージが落ちていた。
 上半身はどこにも見えない。
 あの錆びた刃で斬られたのだろう。内臓が長く尾を引くように零れていた。
「佐……倉?」
 そう、それは佐倉の下半身だった。が、それが何か理解した瞬間――僕の理性は吹き飛んだ。
 無言でヤツに向かって拳銃を撃つ。狙いを付け、撃ち続ける。
 再び立ち上がろうとしていたヤツの両膝の後ろを撃ち、刀と繋がれた左腕を……肩を、肘を撃ち抜く。
 後ろから撃っている後ろめたさは無かった。何の躊躇いも無く背後から連続で撃ち続ける。
 銃で撃たれた衝撃で踊り続けるヤツは、それでも振り返ろうとしていた。が、そのヤツの腰も撃ち抜く。
 腰を撃たれ、バランスを崩したのだろう。ヤツが派手に転がった。その隙に僕は真帆に叫ぶ。
「真帆っ!転校生を連れて逃げろ!!予定していた退路を使え。誰かが逃げ遅れても、退路を進むんだ」
「え?あ、」
 ゆっくりと顔を上げるヤツの額を撃ち抜く。そして、僕は気付く。頭を撃ち抜いたのに、その仮面は無傷で……その右手が何かを掴むように動いた事に。
 拳銃が効いていない?いや、ダメージは受けているはずだ。事実、ヤツは倒れている。ただ……致命傷にならないだけだ。
「早くしろっ!転校生っ!!真帆と一緒に逃げろっ!!!走れ、走って……逃げろ!早く、急げ!走れぇぇえええ!!!!」
 叫びながら、ヤツを縫い付けるように拳銃を撃ち続ける。マガジンを空にし、捨てる。そして、ボックスから次を出し、拳銃に装着する。
 その間にもうヤツは立ち上がっていた。我に返った転校生達がヤツを避け、反対側の壁に沿って走る。
 出入り口の近くで転校生達を誘導する真帆が叫ぶ。
「兄さんっ!!」
 その声に反応して、ヤツが真帆の方を見る。
「ひっ……」
「ふざけんなっ!このド変態がっ!!俺の妹を見るんじゃねえよっ!手前ェの相手は俺なんだよ、こっちを見やがれっ!!!!!」
 真帆の方を向いた瞬間に僕はヤツの懐に飛び込み、銃把で顔を殴り付ける。そして、まだ首の角度を変えないヤツの顎の下に銃口を向ける。
 襟首を掴み、逃げられないように頭を固定する。
「地獄に落ちやがれっ!」
 銃声と共に脳天から血と脳漿が飛び散る。
 ぐらり、と崩れるヤツと一緒に崩れ、まいとして、襟首を離し……巴投げの要領で、ヤツに腹を蹴り上げられた。
「兄貴ィ!」
 出入り口の手前で動けずにいる真帆が叫ぶ。僕は一撃で対面の壁まで吹き飛ばされていた。
 僕は駆け寄ろうとする真帆を手で制し、ゆっくりと立ち上がる。立ち上がりたくなかったけど、こいつが駆け寄るのを止めようと思ったら、立ち上がるしかなかった。
 喉の奥に鉄臭い何かが這い上がってきた。が、それを吐き出さずに飲み込む。
 正直、死にそうなんですけど?ってか、もう死んでるけど。
 そんな自分の思考にくすっと一人で笑う。そして、真帆に言う。
「兄貴、じゃなくて兄さんな。兄貴とかガラが悪いから使うんじゃないよ」
 口の中に変な味が広がっていた。ってか、吐き出したい。だけど、それはまだ吐き出せない。
「……行けよ。行って、藤堂の変態に報告しろ。何があそこはゾンビしかいないだよ。ってか、これって何だよ?吸血鬼か?」
 死に掛けてるのに普段通りの憎まれ口を叩くってのは……死にそうなほど辛かった。
「いいから、行けっ!!」
 まだ戸惑っている真帆を叱り、僕はヤツに向き直る。
 目の端で真帆が走り出したのを確認し僕はようやく……喉の奥に溜まった血を吐き出した。背後の壁に凭れ、ズルズルと腰を下ろす事が出来た。
「おっと、まだお前の相手は僕なんだぜ?」
 座ったまま拳銃をヤツに向け、真帆の方を向こうとしていた即頭部に銃弾を撃ち込む。
 二度、三度と拳銃を弾かせる。
 真帆の姿はもう見えなくなっていた。そうだ。それでいいんだ。お前が先導しなきゃ転校生は出島の場所を知らないんだからな。
 何かに迷うように首を傾げたまま、ゆっくりとこっちを見るヤツの姿を……僕は床に座ったまま見ていた。
 
 
 ゆっくりとヤツが近付く。僕の……死が近付いていた。
 拳銃を持った手を床に下ろし、僕は何故かヤツに向かって笑みを浮かべていた。
 これが僕の死か?ここで、こんな形で終わるのが僕なのか?
 僕の前にヤツが立つ。揺らぐように、歪むように、ヤツが立っている。
 ゆっくりと仰け反るように後ろに身体を倒す。ヤツの手は刀を握る事は出来ない。いや、何も持つ事が出来ない。その指は折れて、腐り、原形を留めていなかった。
 だから、ヤツは楔で刀を腕に固定しているのか?そして、その間合いは……5m以上ある。
 刀の重量と反動で、かなりの破壊力を生み出していた。あの日本刀は見た目以上の重さがあるんだろう。
 だから、あそこからでも僕を一撃で葬る事が出来るはずだ。いや、もうどうでもいいか。
 そんな事は……どうでもいい。僕の死は、どうでも……いい。……よくないのは、ヤツが佐倉を殺しやがった事だ。
 佐倉はいいヤツだった。無神経でお調子者で明るくて、よく笑う女子だった。
 あいつもいつかは死ぬ運命だったのだろう。だが、だけど、それは……こんな形じゃないはずだ。お前になんか殺されるはずじゃなかったはずだ!
 仰け反ったヤツの上半身が跳ね上がる……その瞬間を狙い、ヤツの後ろ足の甲を撃ち抜く。と、同時に僕は駆け出す。
「このぉぉぉおお!!!」
 意味の無い叫びをしつつ、僕はヤツの腰にタックルをする。倒れる前にヤツが左腕を伸ばす。
「なっ!?」
 と思った瞬間――日本刀は落ちる向きを変え、僕の背中に落ちてきた。
「ぐはっ!」
 剥き出しの鍔元で背中を殴打され、僕はすり抜けるように上に逃げる。いや、上に逃げさせられる。
 無理矢理向きを変えた所為で、当たったのが刀の背の部分で助かった。ってか、まだ背中に衝撃の余波が残っていた。半端じゃなく重過ぎるぞ、あの刀。
 転がるように僕は這い、立ち上がりながら、拳銃で狙いも付けずに背後を撃つ。
 拳銃の反動を使い、立とうとしたのだ。
「ぐ、あぎぃ」
 内臓を下に置いてきたような痛みが走る。さっきの巴投げモドキもまだ効いているみたいだった。くそっ、脱腸になったらどうしてくれるんだよ。
 足を数歩出し、僕はようやく振り返る。と、ヤツもその場で立ち上がってくるところだった。
「あー……もう、何か面倒臭くなってきたぞ」
 ってか、勝ち目なんかないんだから、さっさと諦めちまえばいいのに。……佐倉の敵を討ちたいのか、僕は?
 冷静になって考えてみれば、佐倉だって……死ぬ為にここにいたはずだ。誰にも死に方を選べるはずなんか無いんだよ。
 ズルリ、と近付くヤツの両膝を撃ち抜く。空になったマガジンを捨て、ボックスから出した新しいマガジンを装着する。と、同時に足の甲に狙い付け、撃つ。
 出来れば足首を狙いつつ、足の甲を弾く。股関節も連続で撃つ。
 こいつは腕よりも足を撃った方が効率がいい事に、僕は気付いていた。武器を持った腕よりも、それを支える足を撃つべきなんだ。
 そして、関節を挫ければ……それが再生するまでの時間を稼げるはずだった。
 足元が崩れたヤツの頭部を撃ち抜く。
 僕は無様に仰向けにひっくり返ったヤツに背を向け、足を引き摺りながら、体育館を去ろうとしていた。
 出入り口の壁に背中を預け、深呼吸をする。相変わらず、夜の空だけは綺麗だった。一瞬だけ夜空を見上げ、僕は歩き出す。
「あばよ。ってか、お前の相手なんかしてられっかよ」
 僕は体育館の出入り口を抜け……そこで体育館の壁にぶつけられたような佐倉の上半身を見つける。
「……」
 佐倉の死体を見て、僕は……歩くのを止めていた。
 腹で下半身と分けられた佐倉の上半身は……吹き飛んだときの反動でだろう、ジャージの裾が捲り上がって、豊満な胸と派手なブラジャーを剥き出しにされていた。
 いや、違う。それはいいんだ。無残だけど、それは問題じゃない。
 僕はゆっくりとヤツに向き直る。
「お前……佐倉を喰いやがったのか?」
 佐倉のふくよかな頬は……頬から喉元に掛けて無残にも喰いちぎられていた。
 ヤツは無言で立ち上がる。そもそも喋る事が出来ないんだろう。話すだけの知能も無いのかも知れなかった。
 無言で立ち上がり、無言で這い寄る。そんなヤツの仕草が……佐倉の死を、僕を嘲笑ったように見えていた。
 ゆっくりと……日本刀を引き摺り、ヤツが近付いて来る。
「いいぜ。とことんやろうじゃないか。……俺とお前、どちらも死ぬまで殺し合おうじゃないかっ!」
 拳銃の重さを確かめるように持ち上げ、僕は出入り口へと戻る。
 勝ち目は……100%無かった。殺しても死なないヤツ相手に勝てるはずが無かった。だが、それでも……このまま逃げるのだけは出来なかった。
 殺す。何度でもこいつを殺してやる。殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して……殺しぬいてやる。
 ヤツと同じく、ゆっくりと間合いを狭める。5m……それがヤツの間合いで、それが一番、日本刀の反動を付けれる距離のはずだった。
 だから……5mまで、きっちり5mまで近付いてやるから、殺しに来いッ!!!
 
 チッ、佐倉の拳銃とか使わせてもらうんだったな。拳銃が一つだけだったら……
 
 ゆっくりと反動を付け、ヤツが振り回すように日本刀を使う。
「ってか、ワンパターンなんだよっ!!!」
 銃身で斬撃を受ける。磨かれた日本刀なら絶対に嫌な受け方だったが、ヤツの日本刀は錆び付いてる。そして……柄を握っているならともかく、ヤツと日本刀は楔で繋がれているだけだ。
 だから、あっさりと衝撃を返せるはずだ。
 実際は、ヤツの斬撃を弾く事は出来た。が、反動が凄まじく、拳銃を手放すまいとするために僕は右の後方に飛ばなければいけなかった。
 僕は派手に転がり、そこにヤツの刃が落ちてくる。咄嗟に右に転がり、避ける。……が、日本刀が打ち下ろされた衝撃で剥がされる床板と一緒に、僕は天井に向かって弾き飛ばされる。
 だが、日本刀が床に突き刺さり、ヤツが動けずにいた。チャンスと小さく叫びながら、僕は床に落ちると同時にヤツを撃つ。
 だけど、銃弾はあり得ない方向に飛んでいた。
「へ?」
 何が?と手元の拳銃を見るまでもなかった。さっきの斬撃で銃口が歪んでしまっていた。
「つまり……ゼロ距離射撃以外は使えませんってか?」
 マジで佐倉の拳銃を使わせてもらうか?っても、ヤツも僕は大人しく拳銃を取りに行かせてくれないだろうな。
 だけど、今なら間に合うはずだ。
 ヤツが床と格闘している間に、僕は佐倉の元に走る。気持ちだけ、走っていた。よたよたと這う寸前の動きで、壊された出入り口を抜け、佐倉の死体の傍に腰を下ろす。
「悪いけど……拳銃を使わせてもらうよ、佐倉」
 壊れた拳銃をホルスターに戻し、佐倉の手から拳銃を受け取る。
 あぁ、さっきの間に逃げればよかったのかな?
 何やってんの?ほんとにバカなの?死ぬの?
 そんな佐倉の声が聞こえたような気がした。そして、その声は……最後にこう聞こえた。
 勝手に死ぬんじゃないっての。
「実は……僕、死にたくないんだよね」
 佐倉の死体に僕は言葉を掛ける。だから、と僕は言葉を重ねる。
「ヤツに一矢報いたら、逃げても許してくれるか?」
 根性なしと言われそうな発言だが、それが僕の本音だった。ってか、一矢報いるのだって、命懸けだぜ?
 ダメとか言われない内に、僕は歩き出す。佐倉なら勝つまで逃げるな、とか言い出しそうだもんな。
 出入り口で、壊れたサッシの部品を拾い、僕は左手でそれを振る。軽過ぎるけど、無いよりはマシか。そして、まだとろとろ動いているヤツを睨む。
「ダメでしょう、お父さん、そんなに呑んだら……殺されますよ、僕に」
 佐倉のように軽口を言ってみる。が、彼女ほど様にはならなかった。ま、佐倉とは年季が違うし、あいつみたいに自然と言葉が出ている訳じゃないからな。
 5m、5m、と。
 また間合いを計りながら、徐々に近付く。近付き、ヤツが日本刀を振り回す予備動作を起こし……一気に動いた瞬間――僕は駆け出し、ヤツの腹に銃弾を撃ち込む。
 左手で持ったサッシをヤツの腹に突き刺す。銃で撃ったのは、少しでも傷を作っておこうと思ったからだ。普通に刺しても、サッシなら折れて終わりだろうからな。
 そのままタックルの要領でヤツを倒す。腹を突き刺していたサッシを無理矢理左右に動かす。と、同時にヤツの左肩を拳銃で撃ち抜く。
 ヤツの喉を踏み付け、サッシを投げ捨てる。と、はみ出したヤツの内臓が引っ掛かり、サッシは傍らに落ちる。
 そうか、その手があったか。
 僕は口の端で笑い……ヤツの腹の傷に腕を突き立てた。そのまま手探りに腸を探し、ずるずると引き抜く。
 ヤツがもがくように手足をばたつかせた。再生をさせない為に定期的に肩に銃弾を撃ち込む。
「ごばぁぁぁああぎゃあああぁああああぁああああ……!!!!」
「な!?」
 ヤツが叫んでいた。あり得ない声で、あり得ない音量で叫び続けていた。
「うっせえんだよっ!!」
 黙らそうと腸を引き出し、拳銃で頭に狙いを付け――ブリッジのように仰け反ったヤツに僕は弾き飛ばされる。
 文字通り、弾き飛ばされていた。手に持ったヤツの腸が空中で千切れ、僕は無様に体育館の床に転がされる。
「このぉぉぉぉおお、往生際が悪いんだよっ!!!!」
 叫びながら、僕は立ち……背後からの援護射撃に度肝を抜かれる。
「何をやっているんですか!?早く逃げて下さい」
「おいおいおいおい……何でここに執行者がいるんだよ」
 壊れた出入り口に山畠と高坂が立っていた。退路の確保をしていた二人が救援に来たのだ。
「書記に言われて来てみりゃ、何やってんだよ。って、黙って突っ立ってる場合かよ」
「こっちですってば……もう滅茶苦茶です」
 滅茶苦茶と言いながら、救援に来た山畠は数少ない手榴弾を投げる。
「伏せてっ!」
 叫びながら回し蹴りを後頭部に入れられる。
「痛ぇ!!」
 言うが早いか床に引き倒される。
 爆発と同時に無数の肉片が降り注ぐ。
「早くっ、いまの内に」
 僕の腕を掴み、無理矢理立たせ、山畠が叫ぶ。が、僕はそれに抗う。抗い、叫ぶ。
「佐倉がっ、あいつが殺されたんだぞ。このまま逃げ帰れるかよっ!!」
「お馬鹿な事を言ってる場合じゃないんです。あれは断罪の執行者です。アレに関わったら逃げるだけでも不可能に近いんです」
 僕は山畠の腕を振り払い、拳銃を構え……そして、見る。
「な、んだ……これは?」
 ヤツは無数の肉片になったはずだ。はずなのに、そこに変わらず、静かに立っていた。
 反射的に僕は飛び散った肉片を確認する。そこに確かに無数の肉片が落ちていた。なのに、僕の前にもヤツは立っていた。
「何が、どうなってるんだ?」
 そして、僕は腹部と後頭部に同時に衝撃を受ける。
 山畠と高坂が逆手に持った拳銃を静かに掲げていた。
「手前……ら、やりやが……」
 僕が話せたのは、そこまでだった。
 無様に僕は崩れ落ちる。
 チクショウ、僕はまだヤツを殺してない。佐倉の……敵を討ってないんだぞ。