CAROL
 
 
 粉雪の降り出した空を見上げ、和也は溜息をついた。
 サンタの衣装は分厚く寒さは感じなかったが、イヴの夜にバイトをしている現実が寒かった。
「くそっ。何で、おれがこんな事をしなきゃなんないんだ」
 ケーキ屋の24日だけのアルバイト募集の張り紙を見て、店の戸を叩いたのは昨日の夕方だった。
「朝の早い仕事だから、人が集まらなくてねぇ」
 笑いながら人の良さそうな店長は、こう言葉を続けた。
「その分、終わるのも早いからね。3時にはあがれると思うよ」
 騙された。和也は、何度目か判らなくなるほど繰り返した言葉を、心の中で呟いた。
 昼過ぎから、お客が増えて来てケーキを追加で作りだし、出来上がったのが4時だった。店長の奥さんと娘さんだけでは客を捌けなくなっていたので、頼まれるまま包装を手伝っていたら5時を過ぎていた。
 恋人の杏子との約束の時間まで30分弱しか無かった。
 急いで、杏子の携帯に電話をすると「何で、こんな日にバイトするよ!」と、怒りながら電話を切ってしまった。
 客足が減ったので帰ろうとすると、店長が「このままじゃ……ケーキがあまっちゃうねぇ」と言いながら近付いてきた。手には、ケーキ半額の文字と店の名前が描かれたプラカードと、商店街の略地図が書かれたチラシを持っていた。
「最初から、そのつもりだったんだ」
 杏子にふられてヤケになっていた和也は、店長の頼みを面倒臭そうに引き受けたのだった。
 
 
 和也は残り少なくなったチラシを持った左手の時計を見た。もうすぐ、7時だった。
 店長が、帰って来ていいよと言っていた時間だった。
 長い元町の商店街を、プラカードを肩に和也は歩き出した。
「ねぇ、お兄ちゃんはサンタさんなの?」
 不意にズボンの太腿を捕まれ、和也は振り返った。
 そこにはふわふわしたフードの付いた赤いコートを着た女の子がいた。
 丸いくりくりした目で、和也の顔を見ている。
「お兄さんは、アルバイトだから本物のサンタさんじゃないよ」
 和也は言いながら、白い付け髭を外した。女の子は一瞬、驚いたが嬉しそうに笑った。
「ねぇ、おじいさんを探して」
 迷子か?
 和也は、回りにそれらしい人物がいないか首を巡らした。しかし、子供を探してるような人物はいなかった。
 当り前か、この位置からわかるなら、この子が気付くよな。
 和也は少女の前に座り、その顔を覗き込んだ。
「じゃぁ、お巡りさんのとこに行こうか。お兄さんはもう帰らなきゃいけないんだ」
 少女はふるふると首を振り、和也の手を握った。
「だめだよ。お兄ちゃんじゃなきゃ探せないよ」
 そう言って、和也の手を引いて歩き出した。仕方なく、和也は少女の後を付いて行く。
「探すのはいいけど、君のおじいさんはどんな服を着てるの?」
 和也の質問に、少女はくすくすと笑い出した。
「お兄ちゃんと一緒に決まってるじゃん。サンタさんだもん」
 和也は、老人がサンタの格好でプラカードを持ちチラシを配っている姿を想像して、少し悲しくなった。しかも、老人は子供を預ける事も出来ず、寒い空の下に連れて来ていたのだ。
 日本の不況もここまで来たか。
 和也は、明るく振舞う少女に何か出来ないかなと考えたが、今の自分に出来る事は、この子のおじいさんを見つける事だけだなと納得した。
 道を歩きながら少女に、どこから来たのか、どこでおじいさんがいなくなったのか、家の電話番号とか憶えてないのか、色々と聞いたがはっきりした答えは帰って来なかった。
 少女に手を引かれるまま進む内に、和也はバイト先のケーキ屋の前に戻っていた。
「あのね、お兄さん着替えて来るから、ここで待っててくれる?」
 和也の言葉に少女は大きく頷いた。
 少女を店の横に立たせ、和也はケーキ屋に入って行った。
 
 
 和也を迎えたのは、ケーキ屋の娘だった。
「お帰りなさい」
 店には最後のケーキが残っているだけだった。
「バイト代は預かってますから、先に着替えて下さい」
 暖かい缶コーヒーを渡しながら、娘は微笑んだ。
「店長と奥さんは?」
「もうすぐ帰って来ると思うけど……」
 答えながら、少女は店を片付け始めた。
「気にしないで終わって下さいね」
 和也は「まぁ、いいか」と呟き店の奥に行った。
 着替えを終えて、缶コーヒーを手に店に戻ると少女が中で待っていた。
「和也さん、ダメじゃない。こんな小さい子を外で待たせちゃ」
 最後のケーキを箱に詰めていた手を止め、娘は和也の顔を見て言った。
「え……あぁ、迷子なんですよ。その子」
「関係ありません。外で待たせたのは和也さんでしょう」
 意外にきつい口調で言われ、和也は肩を竦めた。
「私も一緒に探す約束しちゃったから、一緒に行きましょ」
 ケーキの入った箱を少女に持たせて、娘は店を出てしまった。
 和也と少女が店を出ると、娘は鍵をして少女の手を引いて歩き出した。
 ケーキの箱を娘に渡し、少女はにこにこと笑っている。
「お店いいの?」
 和也が聞くと娘は振り返りにっこり笑った。
「せっかくのイヴだもん。私もクリスマスを楽しんでも良いはずよ」
 ねぇ、と娘は少女に同意を求めている。
「うん。楽しいね」
 自分の立場がよく解ってないのか、少女も明るく笑っている。しかし、少女のおじいさんを見付ける事は出来ないまま三人は歩き続けた。
 和也と娘が回りをきょろきょろと探しているのに比べて、少女は空ばかり見ている。
 ふと、和也が一軒の店の前で立ち止まった。
 杏子のプレゼントを買おうと思っていた店だった。ショーウィンドーに飾られた腕時計を見ながら、和也は杏子の事を思い出していた。
「彼女にプレゼント?」
 娘に聞かれて、和也は小さく首を振った。
「さっき、フラレちゃってね。だから、今日の予定は何も無しだよ」
 自分のおどけた声を聞きながら、和也は余計に寂しくなっていた。
「まさか……バイトが終わるの遅くなったから?」
 ショーウィンドーに映る和也の顔を見ながら、娘は聞いてきた。
「いや……多分、長続きしなかったと思うから」
 自嘲気味に笑う和也の手を、少女が強く握り締めた。
「そうだ。名前聞いて無かったよね。私は由美っていうの」
 娘の名前を初めて聞いた事に、和也は自分で驚いた。
「あ、俺……、僕は内藤和也です」
 戸惑い気味の自己紹介を聞いて、由美はくすくすと笑っている。
「朝、聞きましたよ。君じゃなくて彼女に聞いたの」
 由美は腰を落とし、少女の顔を覗き込んだ。
「あたし?あたしはキャロル」
 外国人の名前を嬉しそうに言う少女に、一瞬、戸惑ったが和也と由美はお互いの顔を見てにっこりと笑った。
 そうか。……今日はイヴだったんだ。
 後、3時間でクリスマスになろうとしていた。
 
 
 その後、由美は家に帰りが遅くなると電話をして、三人の探索は続いた。
 粉雪は、柔らかい物に変わり降り続いている。
 キャロルは二人の言う事をよく聞いたので、人を探すという行為に疲れる事は無かった。
「ねぇ、もっと空の見える所に行きたい」
 三人でベンチに座り、缶コーヒーを飲んでいるとキャロルがぽつりと言った。
「ここからだと……メリケンパークになるのかな」
 由美の問いに和也は缶に口を付けたまま頷いた。
「そこに行きたい!ねぇ、行こう」
 キャロルは、場所も知らないのに先に走り出した。反対の方向に行こうとしたキャロルを和也が連れて戻ると、由美は少女のフードに積もった雪を指先でぱらぱらと落とした。
 由美はキャロルの手を引き、先に歩き出した和也の横に並ぶ。
 和也の横顔をじっと見詰めていたが、強引にその腕を取った。腕を組み、その肩に頬を寄せる。
「こうしてると恋人同士みたいだね」
 照れたように横を向いたまま、由美が囁く。
「でも、子供連れだよ」
 前を向いたまま、和也は言った。
 キャロルが由美の手を放し、二人の前に走り出した。おどけた仕草で振り返り、二人に微笑み掛ける。
「メリークリスマス!」
 右手のホテルの窓に大きくその文字が灯っていた。
 日付が変わったのだ。
 立ち止まる三人の上に降り注ぐ柔らかい雪と静かな鈴の音。
 そして、その空を長い軌跡を引いて滑るトナカイに引かれた艝。
 和也と由美はぽかんと口を開け、空を見上げた。
「あ!おじいちゃんだ!!」
 キャロルは誰もいない公園を走り出した。真っ直ぐなキャロルの足跡だけが雪の上に残っていく。
 そして、舞い降りた艝の上には、赤い服とお揃いの帽子、白く長い髭を撫でながら微笑んでいる老人の姿があった。
 誰もが子供の頃に聞かされ夢に描いたそのままの姿で、老人はキャロルを抱き上げ、二人に近付いて来る。
「メリークリスマス。孫がお世話になってしまいましたな」
 キャロルに優しく頬を寄せながら、老人はにこにこと笑っている。
「ゆっくりと御礼をしたいが、今日は一年で一番大事な日でしてのぉ」
 老人を前に、和也も由美も何も言えず立ち尽くしている。
「このお兄ちゃんもサンタクロースだったんだよ」
 キャロルが老人の髭を引っ張りながら、はしゃいでいる。
 和也が何か言おうとした時、トナカイが二度ひづめを鳴らした。
「おぉ、もう時間が無い。世界中の子供達が待っているのです。どうか非礼をお許し下さい」
 そう言うと老人は手袋を外し、右手を差し出して来た。
 和也と由美は老人と握手を交わし、自分の手の平に残った暖かさを確かめるように握り締めた。
「キャロル。これ……後で食べてね」
 由美が、お店から持って来たケーキを渡した。
「うん。ありがとう。お姉ちゃんも元気でね」
 老人は、二人に礼を言い背を向けた。
 老人に抱かれたまま、キャロルは何度も手を振っている。
 キャロルを先に艝に乗せ、老人は手綱を手に取った。
「さぁ、次の国にやってくれ」
 大きく優しい声でトナカイに話し掛けた。
 不意に和也が艝に向かって走り出した。
 艝は徐々に地上から浮き上がって行く。
「キャロル!どうして僕に話し掛けたんだい。君は僕じゃないとおじいさんは探せないって言ったよね」
 もう高く舞い上がってしまった艝から、キャロルの声が聞こえて来た。
「忘れちゃったのぉ?お兄ちゃんはおじいさんからプレゼントをもらった事があるでしょうぉ。だから、一緒に探してもらったのぉ。ありがとうねぇー」
 そして、もう見えなくなった艝を引く老人の高らかな声が夜の街に鳴り響いた。
 
 
「メリークリスマス!!」