scene-16
 
 
 小学校の保健室……僕が寝泊まりしている部屋の壁掛けの鏡の前で、僕は信じられない光景を目にしていた。
 鏡に映っているのは僕。その後ろには苦笑いをした女子。昨日、僕の髪を切ってくれた女子生徒が僕の顔を覗くように見ている。そして、その反対側には満面の笑顔を浮かべた真性の禿茶瓶が映っている。
「いや、ちょっと待てよ。なんでこうなるんだ?」
 引き剥がしそうな勢いで僕は鏡に食い入る。
 昨日の僕の髪は背中の真ん中ぐらいの長さで、毛先がカールしてて……見ようによってはお姫様みたいな髪型だった。その髪型が嫌で、髪をショートにしてもらったんだ。
 僕の好みにはちょっと長いような気もしたけど、綺麗に纏まっていたし切り直すのも面倒だろうと思い「good!」と言った。
 ま、実際には「いいんじゃない」だったけど。
 それがなんでこんなにふわふわの頭になっているんだ?
 髪が実寸の3/2くらいの長さに縮んでいるじゃないか!?
 パンチほど縮れてはいないけど、普通の高校生なら職員室へ連行されてもおかしくない髪型だった。
「だ、だからさ」
 後ろの女子生徒が視線を合わさないように目を泳がせながら言う。
「元々が癖毛だったんだよ。そ、それに……朝、ブロウで髪を伸ばすって手もあるじゃん」
 確かに毛先はカールしてたが、曲がっている部分を切れば癖は無くなるんじゃないのか?
 朝からドライヤーで毎日髪を整えるなんて生活は、僕は絶対に嫌だった。
「はっはっはっ。だったら俺とお揃いでスキンヘッドにするか?」
 上機嫌に朽木が言う。
「うるさい。黙れ。死ね。ハゲ」
 僕は口汚く罵る。地団駄を踏みたい気分だった。
「いやぁ、お前の罵詈雑言も、その声で聞くとまるで天使の歌声だな」
 本気で嬉しそうな朽木を見て僕は思う。このドM坊主め、と。
 僕は傍らにあった白衣と拳銃を掴んで保健室の出入口へ走る。
「地獄に落ちろ!この禿っ!!!変態!!!バーカッ!!!!!!」
 閉じたドアから聞こえる朽木の高らかな笑い声が本気で腹立たしかった。腹立たしく、悔しかった。けど、泣きはしない。
 目尻に冷たい物を感じたが、これは汗だ。汗に決まっている。
 
 
 白衣に袖を通しながら僕は橋に向かって歩いた。
 出島と陸を繋ぐ、通称出島大橋へだ。
 ゾンビの姿は無し。ってか、動く物は何も見当たらない。絵に書いたようなゴーストタウンだ。これもいつも通りって言うのかな?
 道のそこら中に埃の浮いた自動車が放置されている。見た感じ壊れてないけど動くのかな?
 ま、動いたところで十七歳なので運転出来ないけど。いや、免許は生前に取ったから運転の方法は知っているけど、未成年だから運転はダメだろう。
 ……ダメだよな?
 知らん顔をして止まっている自動車に近付き、後ろ手にドアの取っ手に指を掛ける。
「ん」
 思わず声が出たけど、出ただけでドアは開かなかった。ロック掛かってるじゃん。
 試しに他の車も試したけど、やっぱりダメだった。
 バイクも何台かあったけど、全部キーが抜かれていた。
 映画とかでキーを使わずにエンジンを掛けてるシーンを見たことがあったけど、生憎と僕にそんな知識は無かった。
 いや、もしかしたら……キーを何とかしてもガソリンが入ってないとかありそうだ。
 僕は車は諦めて歩きで行くことにした。最初からそのつもりだったし。っていうか見た車全部がマニュアル車だった。2000ccクラスの車をマニュアルで運転って、どんだけマニアックなんだ。
 いや、でも、昔はほとんどの車がマニュアルで大型になればなるほどFRだったか。
 などとぶらぶら歩いてる内に橋が近付いて来た。
 橋の真ん中にはサブマシンガンを構えた風紀委員の姿が見える、けどそれを無視して歩を進める。
 朽木の言うには、「昼間も出入りしている生徒は結構いるぜ。島の中じゃ授業をサボるにも場所がないからな」だそうだ。
 つまり、僕一人の出入りがチェックされるはずがないと僕は思う訳で……訳なんですが、何でそんなにこっちを睨んで来るんですか?
 見てる。めっちゃ見てるよ。ってか、露骨に警戒されてるっぽいんですが?
 マシンガンを向けられてるわけじゃないけど、いつ向けられてもおかしくないほどの警戒っぷりなんですけど。
 あれか、風紀委員はここを通って出た生徒の顔を全部覚えていて、顔を見ていない相手を不審人物としてチェックする機能でもあるのか?
 いやいやいや、そんな橋を通った人間の顔を全部覚えているなんて人間いないだろ。……!?人間じゃなかった。女の子の姿をしてても、あいつらは獄卒、地獄の鬼だった。
 僕は出来るだけ風紀委員の目を見ないようにして、足も出来るだけ足音を立てないように歩いた。いや、自分でも不審な動きって思うけど、自然とそうなっちゃうんだから仕方がない。
 きっと僕は浮気とか一瞬でバレるんだろうな。いや、もちろん生前の僕は真面目一本槍で浮気なんかしたことないですよ。単にモテなかっただけかも知れないけど、浮気をしたことはないです。はい。
 風紀委員の横を無事に通り過ぎてって、背中にめっちゃ視線を感じるんですけど!!
 確信する。いま後ろを振り返ったら風紀委員とバッチリ目が合うと。
 背中に視線を感じるまま僕は冷汗をかきながら歩みを進める。
 あそこだ。あの背の低いビルを過ぎれば横道に入るんだ。後10m……5m……3歩……1歩。今だ!
 ほとんど飛び込むみたいに僕はビルの影に隠れる。
 マジで冷汗をかくなんて生まれて初めてかも知れない。僕は手汗で濡れる手の平をじっと見る。いや、生まれてからじゃない。死んでからだ。
 ま、それはともかくすっげえ怖かったな。もう見てないよな、とひょっこり顔を覗かせ……まだこっちを睨んでいた風紀委員とバッチリ目が合う。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
 訳もなく謝りながら隠れる僕だった。
 引いたはずの手汗がぶり返していた。ってか、なんでこんなに手汗をかくんだよ。汗かきかよ、この女。
 汗で濡れた手をTシャツの腹で拭き、早足にビルの影を商店街に向かって走る。
 睨んでる風紀委員は、しかし、それ以上のことをして来なかったから、放置していて大丈夫だろう。それよりも先ずはお腹が空いているので、腹拵え先だ。
 小学校を飛び出したのが9;30過ぎぐらいだから、そろそろ商店街の店も開いているだろう。
 
 
 そして、僕は……ゴーストタウンにいた。
 いや、ちょっと待て。これはおかしいだろ?出島の中にどうしてゴーストタウンがあるんだよ。
 だけど、見慣れた商店街は、商店の数々は埃に埋もれ、どの店もシャッターを閉めていた。
 いや、開いている店もある、けど……その商品は疎らで人目を惹くような派手さはどこにもなかった。
 開いてる店の傾向もどこかで見た記憶がある。
 酒屋。豆腐屋。老舗っぽい呉服屋。酒屋。文房具屋。シニア向けっぽい服屋。万屋っぽい八百屋。また酒屋。
 若い派手な層の喜ぶ店が一件も無かった。本屋もレコード屋も菓子屋さえも無い。
 ま、さか。
 ある記憶が僕の脳を揺さぶる。
 これは、まさかアレなのか!?
 僕はシャッターの閉まった商店街を走り向ける。
 ぶつかる人なんかいない。人はほとんどいない。買い物客は皆無だと言えた。
 商店街を抜け、大通りに向かう。
 どこだ。アレはどっちにある?
 あった。
 見覚えのある案内板があった。
 デパートのROHANの飾り文字が赤く禍々しく描かれている。
 後に大手のフタイ百貨店に吸収されるデパートのROHAN、ロハンだった。
 デパートのロハン、ソダツ、ジェッツの三社は地元の商店街を駆逐しつつ店舗を展開し、最終的には経営破綻から業界最大手のフタイ百貨店に吸収合併される。多くの店舗を閉店されながら。
 だが、それはまだ未来のことだ。
 いまはまだ地元商店街を駆逐しながら悠々と店舗経営をしている。
 僕は歯噛みしながら遠くに見える郊外型の店舗を見据える。
「また……手前らか」
 商店街に義理はないが、なぜか僕はこの郊外型の店舗が大嫌いだった。
 嫌いなのに他に店がないから使わないといけないのがもっと嫌だった。
 粗悪な外国ブランドを多く取り入れているのも嫌いな理由だった。外国の品でもちゃんとした物はあるのに、粗悪な品を安く売っているのが大嫌いだった。
「ふっ」
 軽く息を吐いて、両手を腰にやる。
 まぁ、ここで僕が腹を立てても仕方がないので、気持ちを切り替える事にする。
 デパートならファーストフードの店かフードコートがあるだろ。どこか適当な店で腹拵えでもしようっと。
 ま、商店街のお店には悪いが、潰れたのは経営努力の無さの結果だ。
 現に老舗っぽい呉服屋や豆腐屋は元気に店を開いてたし、他の店もそうだ。開いてる店はそれなりに工夫なり努力をしているんだろう。酒屋が潰れないのは謎だけど。
 どっちにしろ僕には関係がない。
 それに違和感があるけど、これは実際にあった事なんだから仕方がないんだろう。
 時代が追い付いただけの事だった。
 
 
 フードコートじゃなくてオープンカフェ風のハンバーガーショップ「ザクザクバーガー」で、野菜いっぱいのダブルチーズバーガーとフライドポテトとシェイクのセットを頼んだ。
 トマトにレタス、それにダブルでハーフパウンドになる大型のハンバーグが目玉のデブ御用達のセットだ。勇者はこれに分厚いパイナップルを追加するのがお約束だった。
 ちなみにバンズがズレないようにプラスチックの串で全体を刺してくれるのは、ザクザクバーガーではこのサイズのハンバーガーからだった。
 あ、ちなみに僕は勇者じゃないのでパイナップルは無しです。
 ほんと久しぶりだなぁ。この真ん中がズレてるのに串で刺しちゃってるのが懐かしくて泣けるぜ。
 朽木もアンパンばっか買って来ないで、こうゆうのを買って来いと言いたい。
 フライドチキンもいいよな。コールスローとかコーンのサラダも食べたいよなぁ。
 ハンバーガーを食べながら懐かしい味を思い出し、僕は食欲を一段と刺激される。
 今度、朽木に買って来させるかな。ここまで来るの面倒だしな。でも、僕ってこんなにファーストフードの味が好きだったっけ?
 生前の記憶でハンバーガーショップとかの情報があったってことは、ある程度は好きだったんだろう。でも、それよりも手作り感の溢れるパンが好きだった理由はどうしてだろう?
 一頻り首を傾げ……わからんと僕は考えるのをやめた。
 ハンバーガーを一旦置き、ポテトに手を伸ばす。このカリカリのポテトも懐かしいよな。ジューシーさは皆無で、乾燥ポテトかよって笑いながら食べたよな。
 シェイク片手にポテトを一本ずつ食べる。シェイクを置き、両手でハンバーガーを掴み上げ、おもむろに齧る。女の子顔以上のサイズがあるから食べ応えがある。
 と、食べ掛けのハンバーガーの向こうに見知った風紀委員がいるのが見えた。
 ドSじゃねえか。
 いや、ちゃんとした名前っていうか正式名称知らないけど、僕が勝手にドSって呼んでいる風紀委員がオープンカフェに入って来ていた。
 他の客がいない店の中を白々しく見渡してから彼女は僕に近付く。
 いや、落ち着け。今はこの姿なんだ。僕だって気付くはずがない。大丈夫だ。冷静になるんだ。
 僕はハンバーガーで顔を隠し(でっかいバーガーで良かったぜ)、ドSをやり過ごす。やり過ご……ってなんで真正面に立っているんですか!?
「随分と旨そうな物を食べているのだな。どうだ……旨いか?」
 僕はハンバーガーで顔を隠しながらドSの様子を伺う。それに何気に手汗も気になっていた。
「なんとか言ったらどうだ?ナンバー……10524」
 ナンバー!?ナンバーってなんだよ。何のことを言ってるんだ???
「おや、君は知らなかったのかな?我々風紀委員はそれぞれナンバーが与えられ、発信機が身体に埋め込まれているのだよ」
 マジですか!?僕は思わずハンバーガーを落としそうになる。絶対に落とさないけど。
「ある程度距離までしか使えない近距離用の信号が出ているのだよ。ちなみに、君のその身体からは10524号の信号が出ている。まぁ、多少……見た目が変わっているようだがな」
 ドSは僕の向いの席に腰を下し、じっと僕の食べているハンバーガーを見る。いや、僕の顔を見ているのか?
「随分と……旨そうな物を食べているな。どうだ。それは……旨いかい?」
 目を細め、最初の言葉をドSは繰り返す。
「食べたいのなら……買って来ましょうか?」
 自分で買って来いと言いたかったが、僕の本能が下手に出ることを選んでいた。
 絶対に逆らうな。そう僕の心が叫んでいる。殺されたくなければ、絶対に逆らうなと。
「そうだな。では……遠慮無く、頂こうかな」
 僕はゆっくりと手に持っていたハンバーガーをトレイに戻し、「じゃ、買って来ます。同じのでいいですよね?」とテーブルを立つ。
「ふむ。……シェイクはストロベリーにしてくれないか。あの期間限定のがいいな」
 ドSはオープンカフェの壁に貼られているポスターを指差して言った。
 それを目で確かめて僕はカウンターへ足を向ける。いっつも同じ日を繰り返しているのに期間限定も何もないだろうに。でも、あれか。同じ日でも曜日が違うんだから、季節も変わるのかな?長くこの世界に住んでいるヤツに今度聞いてみよう。
 っていうか、相変わらず甘いのが好みっぽいな。ドSの癖に。