第三日 昼 2.
 
 
 円卓に着く面々に、藤島葉子は間違いなく他殺だった事を告げ、遺体が霊安室に運ばれるまでの間……本田総司は、僕らをエントランス横の一室に誘った。
 これは……植物園、になるんだろうか?色々な植物が置かれている部屋だ。
 部屋はかなり広く……採光も良い。壁の一つが背の高い窓になっている為だ。大小の鉢植えが置かれ、白く濁った霧を見ている。
 この室内にもテーブルと椅子は用意され、喫煙室とはまた違う趣を見せている。
 珍しい植物が多く置かれている。その中の一つ、竹のような葉をした植物を撫ぜながら、僕はそれに顔を近付ける。
「あまり触らない方が良い。それは……多分、夾竹桃だよ」
 僕は死者の仮面を付けたまま、本田総司を振り返る。
夾竹桃?」
「毒草……いや、毒樹になるのかな?聞いた事は無いか?」
「……毒樹」
 その言葉に、僕は嫌そうに葉から手を離す。
「普通に自生している植物だったと思うが……夾竹桃の毒、オレアンドリンは青酸カリより強力だよ。確か……0.30mg/kgで致死量だったはずだ」
 何でそんな毒のある樹が飾られているんだ。と、僕は改めてルルイエの館を不気味に振り返る。
 しかし、と僕は言葉を濁す。
「そんな事まで知ってるとはな。あんた、医者か何かか」
夾竹桃に関しては、一般常識だと思ってたんだが?……ま、元医者の卵ではあるな」
 元医者の卵という本田総司は会話を切り替えるように、椅子の背に凭れる。
 凭れ、細く長い指を使い、本田総司は眼鏡を外す。意外に長い睫毛を伏せ、彼はこう切り出した。
「ところで加納……。お前は、このゲームに置いてイカサマは存在すると思うか?」
 その唐突な問いに僕は、暫し考え……いや、と頭を振った。
「あり得ないだろう。あり得ないからこそ、ゲームが成り立っているんじゃないか」
 答えながら僕は、今朝、あの時の榛名の含みを持たせたような言い方を思い出す。
 手に持った眼鏡に視線を落とし、本田総司は静かに言う。
「本気で、それを言っているのか?」
 僕はそれに答えない。答える事が出来ない。……イカサマの存在を疑っているからだ。いや、現段階でのイカサマは無いだろう。だが、今度もそうだとは言えない。
 答える事が出来ない僕に代わって、瑠璃が機械的な声で答えた。冷淡な瞳を本田総司に向けている。
「不正行為は許されません。しかし、不正行為を見抜けなければ、それは処断されずにゲームは進行するでしょう」
「つまり、誰も気付かなければ……イカサマも罷り通ると言う事か」
 はい、と瑠璃は答えた。
「榛名様は不正行為に気付かれても、何も仰らないはずです」
「朝のアレは、榛名にしてみれば……大サービスというところか」
「え?あ、はい」
 僕に向き直り、慌てたように瑠璃は返事をした。
 しかし……僕は思う。人が殺されているのに、顔色一つ変えないゲームマスターか。
 狂ったゲームに、狂ったゲームマスター、それに……プレイヤーも正気とは思えない。
 昨日、僕が吊られた時……あの布袋を被せられた時、目を逸らした何人かは、間違いなく笑っていた。ただ……その何人かは、四人以上いた。恐怖に怯えた僕の目がそう見せたのか、実際にあそこにいた約半数の人間が笑っていたのかは、解からない。解からない……が、僕は笑っていたと感じている。
 会話の区切りを付けるように本田総司は溜息を吐き、度を試すように眼鏡を見て、いつものように顔に掛ける。
「そこで、だ。加納遙……君には、昨日の夜に夢で見たのは人狼だと思う。それも女子である、と言って貰いたい」
「な!?」
「君の能力に付いては、榛名から昨日の段階で説明を受けている。……あの後、全員が聞いている」
 何を言ってるんだ?僕に……嘘を吐けと言うのか?
「君は夜に、一人の夢を見る。しかし、それは誰か分からない。人か人狼かも分からない。……そうだろう?」
「何を……考えている?」
 本田総司は面白くも無さそうに、肩を竦める。
「このままじゃ……誰も役職を言わないだろうと思ってね。人狼を吊ろうと思ったら役職がいるんだよ。……例え、撒き餌のような扱いでも」
 僕は黙って、本田総司を見る。
 僕の視線を受け、本田総司はふっと笑いを漏らす。
「お察しの通り、俺は『汝は人狼なりや?』の経験者だ。……最も、初心者以下の元々ルールを知っていた程度の経験者だがね」
 人狼の経験者。井之上鏡花と並んで、これで二人目の経験者になるのか。いや、本田総司が『汝は人狼なりや?』の経験があって、それを黙っていたのなら……他にも経験者はいるのかも知れない。
「俺は『汝は人狼なりや?』の経験があるのに黙っていた。……これは不正行為なのか?」
 本田総司はゆっくりと、自身の言葉を確かめるように呟く。
「厳密には違うんだろう。だが……モラルに反しないか?正々堂々とは言えまい。……なぁ、ルールとは、不正行為とは、何を持って言うんだろうな」
 本田総司は黙り、沈黙が降りる。……と、そこへ
「嘘」
 ぽつり、と瑠璃が呟く。
「嘘を言う事が不正行為となります。真実と異なる事象を、『真実』と他者に信じ込ませる事を『嘘』と言います」
 そして、と瑠璃は続ける。
「このゲーム、『汝は人狼なりや?』は人の村に紛れた人外の嘘を見抜くゲームです」
「つまり……イカサマは存在しない。あるのは『人外の嘘』だけだと言う事か。嘘を言う人は、人にあらず。……それは、狂人になるのかな?」
 自嘲気味に言う本田総司を見ながら、僕は確かめるように言葉を紡ぐ。
「それでも、お前は僕に嘘を吐けと言うのか?」
「言う、じゃなくて……頼む、だな。死者としてゲームに参加している今……君は『人外』だろう?」
 僕は、ふざけるな!と言い掛けて、反射的に振り返る。背後で、カチャッと植物園のドアが開く音がしたからだった。
 黙る必要は無いはずなのに、僕は怯えたように口を閉ざす。
 本田総司も黙って、揺れる観葉植物の枝葉を見る。それは徐々に近付いてくる。
 ゆっくりと部屋を飾る無数の植物達の合間を縫って、メイドの少女が顔を出す。少女は僕らを確認すると機械的に口を開いた。
「藤島洋子様の遺体を霊安室に安置しました」
 一礼をして、彼女は静かに部屋を出て行った。
 
 
 藤島葉子の遺体を確認し、僕らは再び談話室に集まった。
 最後に部屋に入ったのは、大島和弘だった。彼の背後で、談話室の扉は閉じられる。
 大島和弘が席に着くのを待って、本田総司は静かに話を始める。
「藤島葉子の遺体には間違いなくイヌ科の動物の歯型があった。それと部位まで言う必要は無いだろうが、欠損も見られた」
 円卓に着く何人かが、無言で僕を見てくる。
「あぁ、彼女の遺体には喰われた後があった。僕は歯形の種類までは判らないが……人狼に襲われたんだろう」
 わざと投げやりな態度で言う。
 大きく足を開き、前屈みになって指を組んでいる。僕の横には、瑠璃が静かに立っていた。
 僕は、元あった自分の席に近い場所の椅子を選んでいた。あの時、円卓に着く事を拒まれた時……何も考えずに、そこを選んでしまったからだ。
 今思えば、それは間違いだった。
 少なくとも、全員の顔……もしくは、仕草ぐらい確認出来る場所を選ぶべきだった。今更、違う椅子を選ぶ事は出来ない。いや、選べるが……選んだ事を何らかの意図と捕らえられるのが怖かった。
 仕方なく、僕は元の自分の席に近い位置の椅子に座っている。
 会議は、『汝は人狼なりや?』の経験者である事を公表した本田総司を中心に進んでいる。誰もが押し黙る中、本田総司の声が静かに響き渡る。
「……から、俺は役職を公表する事を勧める」
「役職を言わないのも手なんじゃないの?少なくとも、言う言わないの自由はあるはずだわ」
 井之上鏡花が冷たく言い放つ。
「誰も言わないんだったら、それは『手』ではなく、臆病なだけだろう。ただ部屋で閉じ篭って人狼が前を通り過ぎるのを待ってるだけだ。……そんな方法じゃ絶対に村は滅びるぞ」
 本田総司は続けて言う。
「君も『汝は人狼なりや?』の経験者なら解かるだろう。生き残れるのは、『狩人』に守られている一人だけだ。それも『狩人』が狩られてしまったら出来ない。これは滅びが決まっているゲームじゃない。生き残る方法があるゲームだ。その為にも、俺は役職を言って欲しいと思う」
 声音が激しくなったのを反省するように、本田総司は深く腰を掛け、眼鏡の位置を直す。井之上鏡花も何も言わずに口を噤んでいる。
 重い沈黙が下りる。
「ねぇ、それより……」
 場の雰囲気を変えるように、明るく田沼幸次郎は円卓に身を乗り出して言う。
「加納君の話……で良いのかな?それを聞こうよ」
 田沼幸次郎は引き攣った笑顔で振り返る。……が、こいつは演技力が全く無いな。
 事前に、本田総司の話が終われば僕に夢の話をするように振ってくれ、と頼んでいたのだが……人選を間違ったのかも知れない。話を聞いていた相楽耕太は忍び笑いを漏らしている。
「座ったままで良いか?」
 笑いを隠す為に、下を向いたままで榛名に訊く。
「構いません。発言の際に立つと言う取り決めは御座いませんので、ご自由にどうぞ」
 僕は頷き、深く深呼吸をしてから話を始める。
「昨日の夢……そう、夢には二人の少女が出てきた」
 僕の位置から見えるのは女子達の姿だ。
「公園か散歩道を歩いていた。映画を観た後かな……二人で笑いながら歩いていたよ。そして、そんな女の子のイメージと重なり、一冊の小説があった」
 彼女達の顔色は変わらない。変わらないように見える。
「それが誰なのかは僕には判らない。判らないが、僕には確信した事がある。……僕は女子の夢を見て」
 僕は静かに息を吸う。吸って、
 
「彼女を人狼だと思った」
 
 僕は『嘘』を言った。
 女子の中にも人狼はいるだろう。間違いなくいるはずだ。
 だが、それとこれとは話が違う。
 人狼はいるだろうと僕は思う。しかし、昨日見た夢の彼女は人だろう。少なくとも、人狼だとは僕には思えなかった。
「……けるな」
 震える押し殺したような声に、ビクリと田沼幸次郎が震える。
「ふざけるなっ!手前らの中に人狼はいるんじゃねえかっ!!」
 相楽耕太は円卓を叩き、立ち上がって叫ぶ。
「寄って集って遙を吊りやがって。……誰だ。誰が遙を吊ろうと言い出したんだ!」
「狂人になる可能性があるから、しょうがないって言ったでしょ!」
 田沼香織が相楽耕太と同じように立ち上がり叫び返す。
「誰もそんな事は聞いてねえんだよ。それに狂人になる可能性があるだと。手前は遙が人だって思ってて吊ったのか!!?」
「ぅ、それは……」
 気圧されるように田沼香織が下がり、彼女が腰を掛けていた椅子に足が当たる。椅子が微かな音を立てた。
 田沼香織は逸らした視線を円卓の上に彷徨わせる。まるで、そこにある何かを探すように。
 相楽耕太は大きく息を吐き、左手を円卓に着き、苛立ちを押さえるように目を閉じる。
「で?……誰なんだ?誰が、遙を、吊ろうって言ったんだ?」
 円卓の中に、再び沈黙が落ちる。
 女子達は全員が気まずそうに、互いの顔を見ている。いや、一人だけ目を伏せて静かに……まるで、誰も居ない部屋の中で黙考しているような佇まいの女子がいる。
「ところで……」
 彼女、井之上鏡花は静かに言う。
「夢の内容と、その人が人狼だと言うその言葉に……因果関係はあるのかしら?」
 その目は静かに、僕に向けられる。
 その目を見返して僕は答える。
「具体的な因果関係は無い、な。……結局は、僕がどう感じたか、だけだ」
 声が、足が、震えないように注意し、僕は組んだ指を強く握り締める。
「僕は、彼女を人狼だと感じた。ただそれだけだよ」
 そう、とだけ答え井之上鏡花は僕の顔を、死者の仮面をじっと見つめる。
「んで、誰なんだ?」
 苛立ったように相楽耕太は、井之上鏡花に視線を移して聞く。
「私、よ」
 井之上鏡花は誰の顔も見ずに答えた。
「私が、加納遙は危険だから、吊るべきだと言ったの。彼は害しか生まないから、早い段階で吊るべきだと言ったの。……間違っているかしら?」
「お前は遙が『人』だと思ってて吊ったのか?」
 相楽耕太の問いに、井之上鏡花は静かに答える。
「たったあれだけの間に『人』か『人狼』かを判断出来るはずがないでしょう。どちらにしても危険だから『吊り』にしたのよ。それに……」
 井之上鏡花は忌々しそうに顔を歪める。
「彼は、今も『嘘』を吐いている」
 反射的に、田沼幸次郎が僕を振り返り、本田総司の横顔を見る。落ち着けと言いたそうに、本田総司は眼鏡の位置を直す。
「何故、嘘だと思う?」
 相楽耕太が訊く。
「さあ?私がそう思っただけよ。別に理由は無い、かしら」
 派手な舌打ちをして、相楽耕太は腰を掛ける。
「んで、どうするよ?」
 と、本田総司に訊く。
「やはり、もう一度……役職を言ってもらおう。出来れば『汝は人狼なりや?』の経験が有りか無しかも合わせてな」
 椅子から立ち上がりながら、本田総司は言う。
「考える時間が必要だろう。昨日と同じ時間……午後六時にもう一度ここに集まってくれ」
 それだけ言うと本田総司は、後ろを振り向かずに談話室を出る。彼の後に相楽耕太も何も言わずに席を立つ。
 一人、また一人と談話室を出て行く。不安そうに左右の顔を見て、何も言わずに出て行く女子の姿があった。
 田沼幸次郎、相楽耕太、本田総司、そして僕……女子達に役職を言わせる為に、この会話は仕組まれていた。
 だが、それは成功したんだろうか?
 今はまだ分からない。分からないが、一つだけはっきりと言える事がある。
 僕は『嘘』を吐いた。
 それは間違いなく、僕の罪になっただろう事だ。
 
 
 定刻にギリギリに僕は談話室に戻った。
 瑠璃にだけ頷いて、僕は席に着く。自分の本来の場所……円卓の後ろから少しズレた場所にある椅子に座る。
 談話室の出入り口に近く、円卓の自分の席はここからは左に見える。出入り口の扉を挟んで、反対側の席を選んだ事になる。
 大島和弘の真後ろになり、最初の椅子よりは女子の様子がよく見える場所だ。が、ここを選んだのは、大島和弘の態度を見る為だった。
 女子は多分……談話室ではない場所で、それなりに話をしているはずだった。円卓での発言が無くとも、怪しい者は自然と名前が浮かぶだろう。
 それよりも男子の中で発言の無い者。円卓でも、他の時間でも、全体的に発言の無い者を怪しいと思うのは……短絡だろうか? 
 古川晴彦は、本田総司が話し掛けてきた事を証言してくれた。だが、大島和弘は……田沼幸次郎も相楽耕太も自己紹介の時に声を聞いただけだと言っていた。
 さっきの時間も……大島和弘は独りだった。彼のタイプを見ていると、人付き合いが苦手なタイプにも見えない。見えないが……実際はどうなのか。
 人には話せない事を抱えているのか。それとも……彼は『村人』なのか。
「それでは、定刻になりましたので、ゲームを再開します」
 重々しく談話室の扉が閉じられる。
「では、本田総司様の依頼で……少々異例ではありますが、再度自己紹介をして頂こうと思います」
 榛名はちらりと本田総司が見て、彼が頷くのを確認する。
「この自己紹介は『汝は人狼なりや?』の経験の有無。それと、役職の公言も求めて成されるものです。勿論、役職によっては、公言の不可能な物もあります。それらは自己の判断で公言するか否かを選んで下さい」
 では、榛名は田沼幸次郎を見る。
「前日と同じく、田沼幸次郎様から御願いします」
 榛名は一歩下がり、椅子に座ったクトゥルフと並ぶ。
「田沼幸次郎です。『汝は人狼なりや?』の経験はありません。えと……」
 と、榛名を見る。
「『Co』と仰って下さい。Coは、Coming outの略です。自分の本名を言い、Co、続いて役職を言い、宣言を終えます。例えば……『矢島那美、Co!狩人』と言う風になります。役職が無ければ、無しと公言して下さい」
 ピクリ、と何人かが顔を上げる。
「勿論、今のはあくまで『例』として上げただけですので、実際に矢島那美様に役職があったかどうかは無関係です」
 チッと露骨な舌打ちをして、相楽耕太が忌々しそうに顔を伏せる。不機嫌な相楽耕太に、横に座る田沼幸次郎は白々しく笑い掛ける。
 んじゃ、と軽く咳払いをして、田沼幸次郎は紹介をやり直す。
「田沼幸次郎、Co、無し。『汝は人狼なりや?』の経験も無し。……これで良いのかな?」
 結構です、と榛名は頷いてみせる。
「相楽耕太、Co、経験、共に無し」
 不機嫌そうに相楽耕太は立ち、ぶっきら棒に宣言を終えて、椅子に座る。
「本田総司。Co無し。『汝は人狼なりや?』の経験有り」
 眼鏡を押さえ、本田総司は宣言を終える。
「古川晴彦。Co無し。『汝は人狼なりや?』のゲームの経験も無しです」
 下を向いたまま古川晴彦はそう言った。が、そこで僕は妙な引っ掛かりを感じた。
 古川晴彦の最初に受けた印象が違うのだ。最初に受けた印象での明るさが影を潜めている。いや、異常を察知したのは僕だけじゃない。
 次に自己紹介するはずの大島和弘まで怪訝な顔をしている。そう、円卓に座る面々が……ここにいる全員が異常に気付いていた。
「……体調が悪いのか?」
 顔を覗き込むように本田総司が訊き、古川晴彦はやつれた顔で微笑む。
「腹の調子がね、ちょっと」
 椅子に座ったまま胃の辺りを擦る。けど、このゲームの参加者が体調を崩すなんてあり得るのか?
 僕は組んだ手で口の動きを隠し、横に立つ瑠璃に小声で話し掛ける。
(視線を動かさずに聞いてくれ。イエスなら椅子の背に手を乗せ、ノーなら手を前で組んでくれ)
 椅子の背に瑠璃の手を感じ、僕は頷く。椅子の背に手を置くのは、メイドとして躾がなっていないんじゃないのか?と思ったが、瑠璃の態度からは満ち溢れた愛情が取らせたポーズのように感じられた。
ゲームマスターとしての、榛名の管理に参加者の体調管理も含まれている?)
 解からない程度に手の圧力が消え、再び手が置かれる。円卓では、体調の悪い古川晴彦をどうするのかが話されている。
 榛名が体調管理をしているという事は、自然な体調不良……変な言い方だが、それは無いはずだ。
「……は仕方がありません。では、こちらの投票用の用紙に御名前を書いて下さい。はい、そこです。それから、こちらの名前が並んでいる上の部分で、今日選ばれる方の名前をチェックして下さい」
(古川晴彦の体調不良は演技だと思うか?)
 椅子の背から瑠璃の手が離れる。
 瑠璃の目にも古川晴彦の体調は悪いように見えている。演技をするために自ら服毒する可能性もあるが、意味がある行為ではない。なら……。
(誰かに毒を盛られたと思うか?)
 再び、瑠璃の手が椅子の背に置かれる。手を戻し、僕は後ろを振り返る。質問は終わりだと瑠璃に頷いて見せる。
 そう、誰かに毒を盛られた可能性は十分にある。ここには夾竹桃などの毒樹もある。きっと僕の知らない毒草もあるだろう。だが、体調を崩す程度の毒を盛る事に果たして意味はあるのか?
 用紙にチェックをし古川晴彦がメイドに支えられて談話室を出て行くのを見送る。その背後で、談話室の扉が重々しく閉じられる。
「では、再開を」
 榛名の顔色は変わらない。何事も無かったかのように、榛名はゲームの再開を告げる。
 大島和弘が立って、宣言をする。
「大島和弘。Coは無し。『汝は人狼なりや?』の経験も無し」
 これで男子は終わりだった。予想通りCoは無し。『汝は人狼なりや?』の経験者も本田総司を除いてはいない。
 大島和弘に続き、女子の坂野晴美が立つ。彼女は深呼吸をして紹介を始める。
「坂野晴美、Co……」
 坂野晴美は少しだけ言いよどみ、
「Co、霊媒師」
 と、宣言をした。が、その瞬間に席を立ち掛けた女性がいた。岡原悠乃がそうだ。岡原悠乃は忌々しそうに坂野晴美を睨んでいる。その視線を無視するように彼女は宣言を続ける。
「『汝は人狼なりや?』の経験、有り」
 言い終え、席に着く。眼鏡を外し、汚れを落とすように袖でレンズを拭いている。が、その手が微かに震えているのが、ここからでも解かった。
「Coが霊媒師、予言者であった場合続けて、前日での占いの結果を仰って下さい。……そろそろ、夜が始まろうとしていますので」
 榛名に言われて、坂野晴美が眼鏡を掛けてから立ち上がる。
「加納遙は……人狼だったわ。彼の言う事を信じては駄目よ」
「な!?」
「静粛に、御願いします」
 立ち掛けた僕を、榛名は言葉で制する。……が、僕が人狼だと?狂人ならともかく、人狼は違う。彼女だ!彼女の方こそ人狼だ!!
 彼女を睨み付け、ギリッと奥歯を噛み締める。
「井之上鏡花。CO無し。『汝は人狼なりや?』の経験有り」
 短く言い終えて、井之上鏡花は席に着く。
「志水真帆。Co無し、です。『汝は人狼なりや?』の経験は……あります」
 傍目で見ても哀れなくらいに怯えて、志水真帆は宣言を終える。
「山里理穂子、CO、予言者!……昨日は大島和弘を占ったわ。結果は、『村人』よ。占い理由は……男子のグループにも入らず、会話も無かったから。生きて、ここにいるという事は『狐』でもないわね」
 然したる興味も示さず……路傍の石を見るように大島和弘を見て、山里理穂子はそう言った。
「それと……『汝は人狼なりや?』の経験は有り、よ」
 付け足すように言い、彼女は宣言を終える。これで偽の霊媒師、それに真偽は判らないが予言者が名乗り出た事になる。占いの結果に意識を集中するべきなのに、僕は彼女達の誰がどの役職を言うのかが気になっていた。
「岡原悠乃、Co、霊媒師」
 岡原悠乃は悔しそうに顔を染めて、唇を噛む。
「昨日の結果は、加納遙は『村人』でした。……坂野晴美は偽者よ。彼女に惑わされないで下さい」
 先に坂野晴美に霊媒師を名乗られたのが余程悔しいのか、自分自身に言い聞かせるように彼女は言った。
 僕を人であると言った彼女の方が真である、と考えるのは御人好しなんだろうか?自分の真偽と役職の真偽は、疑って掛かるのなら……無関係だろう。
 これは『嘘』を見極めるゲームだ。逆に言うと、人の『真』を信じるゲームと言えないだろうか?……何か、そう相手を信じられる何かがあれば良いんだが。
「『汝は人狼なりや?』の経験者です」
 岡原悠乃は、坂野晴美を睨みながら席に着く。……いや、ちょっと待て。と、僕は既視感に襲われる。
「田沼香織。Coは無し。『汝は人狼なりや?』の経験は……有りです」
 彼女は溜息を隠すように席に着く。
 これで、全員の紹介が終わった。……終わったが、これは何だ?
 ゲームの開始から二人の女子が死んでいる。そして、生き残った女子全員が『汝は人狼のなりや?』の経験者だと言うのか?
「ふざ……ける、な」
 円卓の上で、震える声が呟く。
「冗談じゃねえんだぞ!手前ら女子が全員経験者な訳がねえだろっ!!真面目に答えろよ!」
 相楽耕太が円卓を叩き付けて立ち上がる。
「時間が無いんだ。夜が……来るんだよ。人狼の時間が来るんだ。真面目に、真面目に答えてくれ」
 両手を振って、相楽耕太が言う。が、それに、
「真面目に、答えての結果だとしたら?」
 質問を返したのは、井之上鏡花だった。愕然とした顔で、相楽耕太は彼女を見る。
「私達、いいえ……先に殺された藤島葉子も『汝は人狼なりや?』の経験者よ。多分、一日目に殺された矢島那美も経験者だったはずよ」
 相楽耕太は何も言わず、ただ頭を振る。
「私達全員……この円卓に座る全員が『汝は人狼なりや?』の経験者なのよ」
「いや、俺は……」
 助けを求めるように、相楽耕太は円卓に座る男達を見る。田沼幸次郎が視線を逸らす。大島和弘は目を閉じて前を向いている。
「どうなんだ?……田沼」
「僕は……ゲームの経験は本当に無いんだよ。ただ、名前だけなら聞いた事が……あるよ」
 気まずそうに田沼幸次郎は答えた。
「どうして……何で黙ってた!!」
 いや、だって……と、田沼幸次郎は口篭る。
「十分に考えられた展開だろう」
 助け舟を出したのは、本田総司だった。
 落ち着け、と本田総司は続ける。
「俺達は全員……顔も名前も思い出せない『彼女』の指南を受けていた、と言う事だろう。指南を受けずとも、名前ぐらいは聞いていた」
「ち、違う」
 喘ぐように相楽耕太は言う。
「あなたは、このゲームを知らなかった、と?」
 井之上鏡花が興味深そうに訊いた。
「俺は……俺は、知らない。聞いた事も無いはずだ。この記憶だって、榛名に植え付けられた記憶のはずだ。……『彼女』は違う。俺の知っている『彼女』は、殺し合いのゲームなんかさせないはずだ」
 相楽耕太は明らかに混乱していた。それなのに、静粛に、と注意するはずの榛名は黙って見ている。
 榛名は注意をしない。それは……この相楽耕太の混乱がゲームに必要なイベントだからか?なら、相楽耕太は人狼?いや、狂人だろうか?
 そこで、僕は大きく溜息を吐いた。
 ゲームマスターの顔色ばかりを見ていては駄目だ。僕は榛名から、円卓に意識を集中する。
 相楽耕太は頭を抱えて座り込んでいた。ぶつぶつと小さな呟きが、唇から零れている。
「では、全員が『汝は人狼なりや?』の経験者で、問題は無いな」
 本田総司が確かめるように言い、円卓に残った面々が頷く。
 共有者のCoが無かったのが気になるが……矢島那美、藤島葉子、この二人が違う事を祈るしかないな。もし、二人の内のどちらかが共有者で、それを人狼に知られていたら……。
 僕はその想像を、ぞっとして打ち消す。
 自分は殺される事は無い、としても……あんな惨殺死体は見たくなかった。
 円卓に座る面々を見る。この中から一人、誰かが殺される。いや、その前に誰かを吊らなければならない。そう、誰かを……。