第四日目 昼 1.
 
 
 次の日。僕は談話室に集まる者達の様子をぼんやりと見ていた。いや、多分……見ているようで、見ていなかったんだと思う。横に立つ瑠璃が心配そうに僕の顔を何度も見ている事にさえ気付いていなかったんだから。
 一人、また一人と、ある者は無言で、ある者は短く朝の挨拶をし、円卓に着く……その様子を見ながら、僕は昨夜に見せられた夢の事を、ずっと考えていた。
 昨日の夢……。それはある事故の現場だった。それが現実にあった事なのか、夢独特の創造されたものなのかは判らない。しかし、僕はそれを実際にあった事だと思った。
 朝、まだ人もまばらな駅でその男は『彼女』に会った。短い挨拶をして、彼女は小説を鞄から出した。普段と変わらない笑顔だったと思う。……思うが、駅に電車が入った瞬間、異変があった。激しい衝突音と無理やり電車を止めようとするブレーキの激しい悲鳴。電車の中で押し倒される人の姿が窓に映る。
 何があったのか?何が起こったのか?理解出来ないまま人の波に押される。押されながら、『彼女』の姿を探す。
 戸惑いが消えないまま、誰かの悲鳴が聞こえる。誰かの叫び声が聞こえる。誰かが自殺だと叫んでいた。いいから電車を退けろ、と叫んでいた。悲鳴。悲鳴。悲鳴。
 開かない電車のドア。中では人が何人も倒れている。起き上がり、何があったのかと身振りで聞いている者もいる。
 朝の構内にこんなに人がいたのかと思うほど、その男は人に押される。押され、流される。そして、『彼女』の姿を探す。探し続ける。そして、誰かが言った言葉が耳に入る。
「高校生だ。高校生の女の子だぞ」
 その声に、「違う」「あり得ない」と思いながら、彼は人だかりに向かって歩き出す。誰かの背中を押し、身体を割って入り、無理やり前に出ようとする。と、唐突に人の壁が消えた。
 ぽつん、と誰よりも前に飛び出す。駅員が屈み込んで、電車の下を無理に見ようとしていた。彼を見守る何人かの後姿だけが電車を背景に見える。
 そして、屈み込んでいた駅員が顔を上げ、首を振りながら振り返った。
 そして、彼も振り返る。そこに見知った顔を捜して。あるはずの日常を探して。これを夢だと言ってくれる誰かを探して……。
 棺桶の顔の所にある窓には生前の写真が飾られていた。電車でひき潰された『彼女』の死顔は見せて貰えなかった。
 生前の変わらぬ笑顔の写真を見ながら、彼は思う。思わずにはいられない。
 あれは自殺だったのか?それとも事故だったのか?
 『彼女』の遺書は見つからなかった。その事から、これは事故だと判断された。だが、彼女は普段、ホームの中央に近い場所に立っていた。彼が最後に見た場所も、中央に近い場所だった。そこで、いつのも場所で『彼女』を見たはずだ。
 なら、どうして、そこから『彼女』はホームの端まで歩いていった。歩いて、そこから身を投げた?
 あの日、『彼女』は何かしらのサインを出していたんだろうか?悩んでいる、自殺するほどの何かを抱え込んでいる、そんなサインを……出していたのに、それに気付く事が彼には出来なかったんだろうか?
 最後に見た、いつもと変わらない笑顔。病み、疲れた笑顔だったのだろうか?会釈のように見えたのは、俯いただけだったのだろうか?
 判らない。『彼女』は、自身を殺したのか。それとも単なる事故なのか。
 ただはっきりしているのは、『彼女』の笑顔をもう見れないという事だ。夢の中でも、彼女はもう以前の笑顔を見せてくれない。見せてくれるのは、最後のあの…… 
 ふと気付くと、本田総司が僕の前に立っていた。
「田沼幸次郎に連絡が取れないそうだ。部屋も施錠されている。すまないが、今日も確認に付き合ってくれるか?」
「あ……あぁ、分かった」
 そう返事をしながら僕は席を立ち、心配そうにする瑠璃の様子にも気付かず、一人で本田総司の後に続く。
 談話室を出て、エントランスに一旦出る。そして、広い階段を使い二階へと足を向ける。
 会話も無いままに本田総司の後を歩く。
 メイドに案内され、田沼幸次郎の部屋の前で確かにドアがロックされている事を確認し、合鍵でドアを開ける。
 ドアにはチェーンロックがされ、細い、僅かな隙間しか開かない。
 本田総司の後ろから部屋の様子を窺うが、そこには誰の姿も見えなかった。ただ、矢島那美や藤島葉子の時とは違い、部屋の中に死体が散乱しているような状態ではないようで、血や汚物の臭いもしなかった。
「……バスルームか」
 本田総司が呟く。
 部屋の中からは、確かに小さな水音が聞こえていた。ここからは見えないが、ドアが閉じられているのだろう。不明瞭な水音が聞こえてくる。
「チェーンを切ってくれ」
 本田総司がメイドに頼む。
 チェーンが切られると、ドアは静かに開かれた。
 無人の室内に荒らされた様子は無く、微かな水音だけが鳴り続けている。
 これで、田沼幸次郎が時間を忘れて、シャワーでも浴び続けていれば……随分と大袈裟なモーニングコールになるな。僕は憂鬱な気分の苦い笑みを密かに漏らす。
 有り得ない想像だとしても、田沼幸次郎が生きていれば、と思ってしまう。いや、可能性としては少ないが、0では無い。狩人がいる。狩人に守られていれば……田沼幸次郎は、いつもの笑顔で「ちょ、なに?何でここにいるのさ???」と、僕らを安心させてくれるだろう。
 本田総司の後に続き、バスルームへと近付く。バスルームまでの短い距離が、酷く長い物に感じられた。
「……開けるぞ?」
 本田総司は中にいるであろう田沼幸次郎にではなく、彼と同じくバスルームのドアの外にいる僕に聞いてくる。
 僕は無言で頷き……不明瞭だった水音をはっきりと聞き取る。
 そして、僕は……僕らは『それ』を見せられる。
 
 バスルームには豪奢な脚の付いた湯船があった。その湯船とトイレを仕切るような風呂用のカーテンが引かれている。
 しかし、その半分はカーテン・レールから剥がされ床に落ちている。田沼幸次郎が倒れまいと掴んだのだろう。解けた指先が苦しげに曲げられている。
 倒れた拍子にどこかで打ったのだろうか。田沼幸次郎の即頭部から細い血が……いや、傷痕はほとんどシャワーの水に洗われてしまったのだろう。僅かな血の痕が側頭部に残っているだけだった。
 何かを求めるように伸ばされた腕。力無く投げされた足。そして、薄く開かれたままの目。その全てを、田沼幸次郎の死んだ今も、変わらずシャワーの水が洗い続けていた。
 田沼幸次郎の死体を……洗い続けていた。
 
 シャワーのノブを閉じ、本田総司が雨のように流れ続ける水を止める。それを見ながら、僕は自然と胸に湧き上がった言葉を呟く。
「彼が……狐だったのか」
「違う!」
 しかし、それは本田総司の強い否定の言葉に僕は弾かれる。
「……違うんだ」
 弱々しくそう言ったまま、本田総司はシャワーのノブを握り、黙り込んだ。下を向いたままの本田総司の表情は僕からは見る事は出来ない。
 やがて、彼は静かにシャワーのノブを離し、田沼幸次郎の目蓋を閉じさせると立ち上がった。
「談話室にいる全員を……榛名も含めた全員を、ここに集めてくれ」
 
 
「どう言う事?田沼幸次郎が狐だったって事?」
「彼が狐だったら……ここに全員を呼ぶ必要はないでしょうね」
 田沼香織と井之上鏡花の言葉に相楽耕太が返す。
「狐が狩れたから、呼んだんじゃねえのか?」
 苦々しく相楽耕太は田沼幸次郎の死体を見る。何度も舌打ちを繰り返し、苛立たしげに壁を殴り付ける。
「くそっ……こいつが狐だったのかよ。くそっ、何で、何で狐なんだ」
 言いながら相楽耕太は、仲の良かった田沼幸次郎が狐だった事に納得出来ていないようだった。
 古川晴彦はバスルームの中を見ようとはしない。昨日の退席時に比べれば顔色はいいが、まだ体調が悪いようで部屋の隅で壁に凭れたまま動かない。
 大島和弘はそんな古川晴彦の様子を見ながら、何も言わずに立っている。
 志水真帆と坂野晴美は部屋の真ん中で不安げに立ち竦み、田沼香織と井之上鏡花は物珍しげにバスルームを覗き込んでいる。山里理穂子は、部屋の入り口で愕然と立ち竦んでいた。
 言葉も無く、小さく震えながら山里理穂子は救いを求めるように、廊下に立つ榛名を見る。榛名は目を伏せたまま、彼女を室内へ入るように促した。
 全員が田沼幸次郎の死は自然死であるのを知ったのを確認し、本田総司は彼の遺体に白いシーツを掛ける。
 何故、遺体を運ばせないのか?何故、談話室に居た者を全員呼び出したのか?
 このゲームに参加している者だけなら分かる。狐の死を、人狼に喰われていない死体を確認させるためなら理解出来る。だが、何故……榛名まで呼んだんだ?
 本田総司の真意を探るように彼を見る。が、深く沈んだ表情からは、何も読み取れない。……彼が、何かを決意している事以外は。
「榛名。少し聞かせて欲しいんだが……」
 本田総司が眼鏡の位置を直しながら訊く。
「……何なりと御聞き下さい」
 榛名は普段通りの笑みを浮かべて言う。
「このゲーム……『汝は人狼なりや?』は、イカサマは有りなのか?」
 イカサマ?と僕は顔を上げる。
「不正行為は罰せられます」
 間髪入れずに榛名は答える。
 けど、どうしてここでイカサマの話が出てくる?
「参加者が殺害された場合は?」
「それは人狼に襲われたのではなく、人もしくは狐に殺された場合ですね?」
 そうだ、と本田総司が答える声に、え、と田沼香織が発した声が重なる。
「その場合、不正行為を行なった者は罰せられます。不正行為の罰は……存在の消滅を意味します」
 榛名は淡々と言い続ける。続けるが……二人の会話だけが変な方向に進んでいた。
「存在の消滅……貴方方は、それぞれに『平穏な生活』『安息な死』『永遠の苦悩』を掛けて戦っています。しかし、不正を行なった者は『本来の存在の意味』を失います」
「つまり、現世に帰れないって事?」
 田沼香織が不安そうに聞いた。
「いいえ。貴女の言う現世には御返しします。しかし、その『生』は何の意味も持たなくなるという意味です。勿論、過去、現在、そして未来に置いてです」
「それだけ不正行為に対する罪は重いという事だな」
 はい、と榛名は答える。
「それだけの罪が架せられるという事は・・・…」
 眼鏡の位置を直しながら、本田総司は思案するように一瞬だけ言葉を濁す。
「殺害方法及び、その犯人もこちらで見付けなけばいけない、という事か」
 榛名は答える。
「はい、そうなります。毒殺ならば、その毒物、使用方法、そして使用したであろう道具等も必要になります」
「それは犯人が自白しても必要なのか?」
 榛名は少し考え、
「自白した場合でも、最低限の証拠は必要となります」
 と答えた。
 その答えを聞き、本田総司は「分かった。ありがとう」と言った。と同時に全員に向き直り、
  
「COだ。本田総司は『共有者』である。相方は田沼幸次郎だ」
 
 そう言い放った。
 一瞬、僕は彼が何を言っているのか理解不可能になる。
 田沼幸次郎が『共有者』?いや、『狐』じゃないのか?『狐』を『共有者』と言う事に意味はあるのか?いや、違う。冷静になれ。落ち着くんだ。
 田沼幸次郎は、『狐』ではなく『共有者』だと、本田総司は言っている訳だ。だけど、そんな訳が……と、山里理穂子の方を見る。
 彼女は青い顔をして、相変わらず震えている。いや、あの表情は怯えているのか?
「ねえ。あなたは昨日の夜……誰を占ったのかしら?」
「わ、私は……」
 井之上鏡花の言葉は全員の疑問だった。それを聞き、山里理穂子はふらふらと後ろに下がる。下がるが、そこには閉じられたドアがあるだけだった。図らずも彼女は自分の身体で、ここにいる全員を閉じ込めた事になる。
「私は、昨日……志水真帆を占ったわ」
「何ぃ?」
 声を荒げたのは、相楽耕太だった。
「手前、ふざけてんじゃねえぞ!!なんでそんな地味なヤツを占ってんだ?ってか、田沼幸次郎じゃないのかよ?だったら何で、コイツが死んでんだよ?触んじゃねえよ」
山里理穂子に詰め寄ろうとして、相楽耕太は古川晴彦と大島和弘に止められる。
「そう、彼女は田沼幸次郎を占っていない。彼は……『狐』に見せ掛けて殺されたんだ」
 山里理穂子を助けるように、本田総司が前に出る。
「そんな事が可能なの?」
 田沼香織が榛名に訊く。
「可能とは?」
「このゲーム……『汝は人狼なりや?』のプレイヤーを殺す事が出来るのかしら?」
 榛名は聞き返し、井上鏡花が補足し訊ね直した。
「殺人、は不可能ではありません」
 その榛名の言葉に、全員が絶句する。つまり、この中に殺人者が紛れていると言う事だった。
「夜じゃなくとも、一人では行動しない方が良さそうだな」
 いつものように眼鏡の位置を直しながら本田総司は言う。が、「本当にそうか?」と声が上がった。
 本田総司と同じように、顔に手を翳しながら彼は言う。
「眼鏡の位置を直すように、顔の表情を隠すか……よく考えられたポーズだ」
 顔に翳していた手を外し、本田総司を指差すと、彼……大島和弘は宣言した。
「本田総司と山里理穂子を人狼と断定する」
「はあ?何を言ってやがんだ???」
 相良耕太が大島和弘に向かって言う。
「少し考えれば、誰だって理解出来る事だ。違うか?」
 大島和弘が相良耕太に馬鹿にした顔を向ける。そして、理解出来ないか?と、全員の顔を見て回る。
「田沼幸次郎は、狐に似せて殺されたんじゃない。預言者に占われた結果……死んだんだ」
「いや、それはあり得ないだろう」
 反射的に僕は言う。が、部外者を見るように大島和弘は一瞬だけ目を向けた。
「真預言者は潜伏。理由は……人狼にコントロールされる村を警戒して、だろう」
「馬鹿な。加納の台詞じゃないが、あり得ない」
 本田総司が呟くように漏らす。
「山里理穂子は人外……狂人ではなく人狼だろう。そして、偽の預言者を庇った本田総司も人狼……多分、そのはずだ」
 大島和弘は続ける。
「最初から変だったんだ。普通は人狼に狙われる事を避けて発言は控えるはずが、本田総司は逆に目立つ発言が多過ぎた。それに、率先して遺体の確認に行ったのも怪しいとしか言えない。人狼に襲ってくれと遠回しに言っているとしか思えない行動だ」
 本田総司は眼鏡の位置を直す。
「そう、それに……それだ!その眼鏡の位置を直すと見せ掛けて、顔の表情を隠すのも怪しい。思い出して欲しい。彼がどんなタイミングで眼鏡の位置を直していたかを。彼は決まって、自身の判断を口にする時に、眼鏡の位置を直していたはずだ」
「馬鹿な、としか言いようがないな」
 本田総司はバツが悪そうに顔に上げた手を下ろしながら言う。
「なら、何で、どうして、今も無事なんだ?あれだけ目立つ行動をしてれば喰われているはずだ」
人狼の勝手だろう」
 視線を合わさず、本田総司は言う。
「勝手?確かに勝手だろう。いや、大いに勝手なんだろう。……何しろ、喰いたくても自分で自分を喰えないはずだからな」
 大島和弘は本田総司を指差しながら、もう一度だけ叫ぶ。
「俺はお前を人狼だと断言する!お前と、山里理穂子、それに坂野晴美で人狼は全滅だっ!!」
 彼は声を大にして言う。……が、本当にそうか?と僕は呟く。
「目立つ行動が人狼に襲われる原因なら、お前もそうじゃないのか?」
「狂人は黙っていろ」
 な!?
「思ったとおり、人狼の側に付いたな。お前なら村を裏切ると思っていたぜ」
「ちょっと待て!どう言う意味だ」
 大島和弘は蔑むような目で僕を見る。
「遺体の確認に行く時、お前は人狼と何の相談をしていたんだ?」
 その目の奥に、本気の怒りを見て、僕は言葉を失う。
「殺されたヤツの前で、お前らは今夜の獲物の相談でもしていたのか?……化物め」
「手前っ!!」
 大島和弘の襟首を掴み上げたのは……相良耕太だった。
「ふざけんじゃね……てててててて」
 振り上げた拳を捻り上げられ、相良耕太は悲鳴を上げる。
「静粛に、御願いします。お忘れかも知れませんが……田沼幸次郎様の御遺体の前です」
 手を捻り上げたまま、榛名は続ける。
「それに、場所が円卓では無くともゲームの場では冷静でなくては……勝てませんよ?」
 その言葉に僕はピクッと顔を上げる。いや、僕だけじゃない。全員が榛名の顔を見る。
「言葉が過ぎましたね。……失礼しました」
 捻り上げた手を離し、榛名は頭を下げる。
 だが、僕らはもう心を落ち着かせていた。榛名の言葉の通りだ。冷静でなければ、勝てないゲームをしているんだった。
 僕は、冷静に大島和弘の言葉を思い返す。
 僕を人外だと言ったのは誤解だが、彼の意見に耳を貸す事は出来るだろうか?本田総司の人狼宣言は行き過ぎだが、確かに、彼は眼鏡の位置を直す振りをして表情を隠していた。だが、あれは以前からの彼の癖ではないのか?
 違う。そうじゃない。冷静に思い出せ。本田総司と同じように、意見を発する際に、何らかのサインを出していた者はいなかったか?
 僕は考えながら、さり気なく彼女の様子を見守る。何かに怯える山里理穂子を観察する。
 彼女のそれは……殺人者が紛れている事を怖れているのか?それとも、騙りである事が露呈した事を怯えているのか?
「彼が自然死なら騙りの預言者になるわね」
「じゃ、真の預言者は潜伏?でも、いま名乗り出てきても素直に信じられないよね?」
 田沼香織が井上鏡花と雑談をしているのが耳に付いた。彼女達は、預言者は偽で、田沼幸次郎は自然死だと思っているようだった。いや、彼女達はそう思う事で、殺人者の存在を否定しようとしているのかも知れない。
「なら……」
 僕は自然に言葉を漏らす。漏らしてしまう。
「殺害方法を見付ける事が出来ればいいんだ」
 誰が殺したかは、この際どうでもいいんだ。殺人者が生きている不安はあるが、田沼幸次郎が自然死で無い事だけでも判明すれば、山里理穂子の疑いは晴れる。
「それ以外に、疑いを晴らす方法はないだろうな」
 僕と同じ思いだったのだろう。本田総司の言葉が重ねられる。
 田沼幸次郎の殺害方法を探る。どこまで出来るかは解らない。しかし、それ以外に方法は無かった。
 
 
 重い身体を椅子に沈め、ぼんやりと円卓で行われている報告を聞く。
「……で、ここの植物で毒を持っていたのは八種類で、そのうち即効性のあるは三種……で、使われた可能性があるのは一種類だけ」
 今は田沼香織が聞き集めた植物の毒を報告していた。
「これは、根だけとか枝とか葉に毒があっても採取した形跡の無いのを省いた結果で……」
 え〜と、と何枚にもなるメモ書きを広げながら彼女は言う。
「使われていた可能性があるのは、夾竹桃だけ。他は無いと見て間違いないわ」
 離れた席に座る井上鏡花が呟くように言った。
 彼女達はルルイエの館で育てられている毒草の類を調べていた。
トリカブト系の毒が多かったけれど……それは根に多くの毒を持っていたわ」
「で、それらの植物は根を掘り出された形跡が無し。と」
「それは省かれた植物全部に当て嵌まるわ。枝に毒が多く含まれていても、不自然に枝が折れている物も無い」
 田沼香織と井上鏡花は報告を続ける。
夾竹桃だけど、花、枝、葉、根の全てに毒を持ってて……でも、不自然な物は無くて、自然に落ちた葉の数までは調べようもないわよ」
「……お手上げね」
 井上鏡花の言葉に合わせて、田沼香織は両手を高々と上げる。
「で、そっちは?」
 田沼香織は、深く眉間に縦皺を刻んだ本田総司に訊く。おどけた仕草とは裏腹に、その瞳は冷たい光を宿している。
 駄目だな、と呟き、本田総司は続ける。
「田沼幸次郎の遺体にあった右側頭部の外傷は浅く、頭蓋骨の損傷には至らないと思われる。脳に何らかの損傷を与えたとしても、少なくとも即死するような物では無かったはずだ」
 本田総司は眼鏡の位置を直すように、その手で自らの表情を博す。
「室内も調べたが、争ったような形跡も無かった。これは俺だけじゃなく加納遥と大島和弘にも調べてもらった」
 白々しいと言いたそうに大島和弘は溜息を吐き、
「多分、あの傷は倒れた時に浴槽にでもぶつけたんだろう」
「浴槽自体には、血の跡は無かったが……出しっ放しになっていたシャワーが洗い流したんだろうな」
 疲れたように僕が言う。
 実際、田沼幸次郎の部屋の探索は僕と本田総司がして、大島和弘はほとんど見ているだけだった。田沼幸次郎は自然死、『狐』の死とする大島和弘に取っては、僕らの無駄なポーズに付き合う義理は無いという事なんだろう。
「やはり、毒殺……夾竹桃か」
 苦々しく本田総司は言う。が、その呟きに頷く者はいない。実際に、毒物を調べるまでは本田総司の言葉を信じていた田沼香織と井上鏡花も、今は冷めた目で見ているだけだった。
 いや、それよりも……と、僕はさり気なく山里理穂子に目を向ける。
 彼女は顔色を無くし、自失したように下だけを見ている。死亡した田沼幸次郎を『狐』とするならば、真の預言者がここに居る事になるのだから。
「……嘘よ」
 山里理穂子がが小さく呟く。
「なんで、こんな……あり得ないわっ!田沼幸次郎は殺されたのよ!!彼が『狐』のはずがないじゃないっ!!!こんなの嘘よ!嘘っぱちよ!!!だって、考えてみてよ、本当の『狐』はまだ生きているのよ。生きて」
「存在の消滅……を怯えている、か」
 徐々にヒステリックになる山里理穂子の叫びを止めたのは、大島和弘の呟きだった。
「だいたい『狐』を殺す事が出来るのは『預言者』だけじゃないだろう。ここ、円卓で『吊る』という行為もある。予言を避け、吊られず、生き残り続け、俺達の罪悪感をそのままにする為に、このゲームを制する?……それこそ、あり得ない、だろう?」
 ゆっくりと席を立ち、大島和弘は山里理穂子を指差す。
「山里理穂子は騙りだ!真の『預言者』は潜伏。理由は、今出れば騙りと思われる可能性があるからだ。……まぁ、実際に今の段階で名乗り出て来ても100%信用はしないだろうがな」
 大島和弘は、『預言者』を探すように円卓に座る面々を見る。が、
「信じねえ……」
 相良耕太が噛み締めるように呟く。
「俺は信じねえぞ。田沼は殺されたんだ。そもそもアイツは、俺や遙を騙して平気な顔をしていられるヤツじゃねえ。『狐』に、『狐』に見せ掛けて殺されたに決まってる」
「……本気で言っているのか?」
 馬鹿にしたような目で相良耕太を見て、立ったまま大島和弘は訊いた。
「本気に決まってるだろ。ダチを信じれなくて、何を信じろってんだ?」
「それが『狐』の手だと何故分からない?いや、そもそもここにいる俺達に以前の記憶は無いはずだ。……それをダチ?何を根拠にダチなんて言っているんだ?」
「根拠も何もねえ!ダチっつったらダチなんだよ!!」
 相良耕太は立ち上がり、大島和弘に掴み掛かろうとするが、本田総司が間に割って入る。
「手前の理屈も推理も関係ねえ!田沼はダチだったんだ。そのダチを殺されて黙ってられるかっ!!俺は『狐』を殺す。絶対に殺してやるっ!!!」
 落ち着け、と本田総司に窘められ、相良耕太は袖で目を拭う。大島和弘はそんな彼の様子を見て、呆れたように首を横に振った。
 全員が再び席に着く。
「それより、とアイツなら言っただろうな」
 天井に顔を向け、独り言のように相良耕太は言う。
「加納の夢や、それぞれの昨日の夜に見せられた結果を言ってくれ」
 顔を戻した時、相良耕太はもう落ち着いているように見えた。
 僕は自分からで良いのかと山里理穂子それに坂野晴美に聞き、彼女らが頷くのを確認してから話し始める。
「先ず、昨日の夢だが……」
 僕は前日の夢は『村人』の見せた夢だったと思う事を告げた。少なくとも『人狼』の見せた物ではなく、昨日の意見は嘘だったと正直に謝罪をした。
「昨日の夢を『村人』とする根拠は無いけど、少なくとも『人狼』じゃないと思う。僕自身、そう思うとしか言えないが……」
 そして、僕は今日の『夢』に付いて話す。話したくはないが、色々な意味で黙っているべきじゃない『夢』だからだ。
 僕自身、まだ心の中で整理出来ないまま、言葉を紡ぐ。言葉を紡ぎ続ける。
「『彼女』の死が現実にあった事なのかは分からない。……が、これが僕の見せられた『夢』の全てだ」
「……それで?」
 と、井上鏡花は静かな目をして、僕に訊く。
「あなたは、その夢を『村人』と『人狼』と、どちらが見せた物だと思うのかしら?」
 分からない。と僕は答えた。
「正直に言うと、分からなくなった。単純に僕は『人狼』が破壊的な物を、『村人』が平和な物を見せると考えていたからね。ただ……彼の後悔や疑問から、『狐』では無いと思うよ」
「彼?」
「ああ、昨日の夢は男だったはずだ」
 僕は言った。そう、とだけ井上鏡花は答える。
 次は、山里理穂子が言い、坂野晴美が続く。
「私は、昨日……志水真帆を見させて貰ったけど、結果は『村人』だったわ」
「岡原悠乃は黒……『人狼』だったわ。もっとも、対抗の霊媒師なんだから、私が『村人』の判定を出す訳ないわよね?」
 自嘲気味な坂野晴美の台詞に、誰も言葉を返さない。
 それぞれ、円卓の上で自身の心の声を聞いていた。
 相良耕太は悔しげな顔で、本田総司は眼鏡の位置を直しながら、古川晴彦は何かを言いたそうに、大島和弘は勝手にしろとでも言うように、坂野晴美は憎々しげに、井上鏡花は冷ややかに、志水真帆は怯え、山里理穂子は青い顔で、田沼香織は何かを思い……そして、僕はその円卓の様子を遠くから眺めていた。
「そろそろ……時間じゃないのか?」
 本田総司が榛名に訊く。
「まだ少々時間がありますが、投票に移らせてもらって宜しいのですか」
 榛名が円卓に向かって聞くと、それぞれが思い思いの仕草で頷く。では、と榛名は全員の投票用紙を用意し始める。
「今日の吊りは、誰にするんだ?」
 大島和弘が誰とも無しに訊く。
「……坂野晴美でしょうね」
 用紙に目を落としたまま、井上鏡花が答える。
 ふむ、と大島和弘は納得したように頷く。
 そして、投票の結果……
 
  加納 遙  
  田沼 幸次郎 
0 相楽 耕太  ―坂野 晴美      
0 本田 総司  ―坂野 晴美   
0 古川 晴彦  ―坂野 晴美
0 大島 和弘  ―坂野 晴美
8 坂野 晴美  ―田沼 香織
0 井之上 鏡花 ―坂野 晴美
0 志水 真帆  ―坂野 晴美 
0 山里 理穂子 ―坂野 晴美 
  藤島 葉子 
  岡原 悠乃  
1 田沼 香織  ―板野 晴美
 
「投票の結果……坂野晴美様に本日の『吊り』は決定しました」
 彼女の背後に二人のメイドが控え、
「触らないで!……その必要は無いわ」
 彼女は興味も無さそうに円卓を後にする。
 メイド達を振り切るように堂々と、重い音を響かせ開く扉へと、真っ直ぐな視線を向け歩み続ける。
 扉の前に立つ榛名に軽く会釈をし、坂野晴美はその扉の奥へと足を向ける。と、別のメイドが顔に被せる袋を手に立つ。
「それを私に被れって言うの?」
 その言葉に返事をしたのは、彼女の後ろに立つ榛名だった。
「恐れ入ります。その袋は吊られる者に無用な恐怖を与えない為の物であり、またこの処刑を見る者に恐怖を与えない為の物なのです」
 そう、と坂野晴美は溜息を吐く。
「自分の足で、この階段を上がりたかったのにな」
「僭越ながら、エスコートは私が務めさせて頂きます」
 言葉通り、榛名は坂野晴美の手を取ると、彼女の顔に布の袋が被せられる。
「どうぞ、こちらです」
 静かに、榛名は彼女を誘導する。階段の前では立ち止まり、「ここからが、階段になっています」と、頂上まで来ると「今、首に縄を通しています」と、彼は囁く。
「では、ここまで……です」
 と、榛名は深々と御辞儀をして坂野晴美から離れる。
 あ……と、離された手を求めるように手を上げ、
「ありがとう」
 と、坂野晴美は言った。と、同時に床が落ちる。
 げふ、と彼女は声を潰し、二、三度身を捩るように動く。いや、捩ったように見えたのは吊られた時の反動だろう。
 彼女は即死していた。
 彼女の死を確認し、一人、また一人と無言で円卓の席を立つ。
 そんな中、大島和弘だけが小さな呟きを漏らす。
「これで『人狼』が吊れた事になる。ま、実際に、どっ」
 その呟きが途中で切れた。彼が派手な音を立てて、殴り飛ばされたからだ。そして、僕は……激しく痛む、右の拳を握り締めていた。
「……下衆が」
 自然と怒りの言葉が漏れる。彼の言葉が、彼女の死を、いや、彼女だけじゃない。岡原悠乃の、このゲームで命を落とした者の全ての死を貶めるものに聞こえた。
「静粛に、退席を」
 と、榛名が殴り飛ばれた大島和弘に向かって言う。
「大丈夫ですか?」
 と、未だに左手で右拳を握る僕に話し掛ける。心配そうに瑠璃が僕の様子を見る。
「もう大丈夫だ」
 僕は気持ちを落ち着けるように、深呼吸をする。そうだ。ここで大島和弘を殴り飛ばしても意味がない。
「くそっ!化物めっ!!!」
 這うように立ち上がりながら、大島和弘が悪態を吐く。大島和弘は立ち去りながら、一度だけ僕を振り返る。
 その後姿を見ながら、僕は歩き出す。もう夜の時間が始まる。
 瑠璃の背に手をやり、
「帰ろう」
 と、僕は溜息を隠して言った。