メインディスプレイがブラックアウトしたブリッジで、花房博士のヒステリックな叫びが響き渡る。
「何事だ!?何が起こった?NUSCOCONATS‐MarkⅡは!!?芽衣は、あきらは、九条君は無事なのか!?」
 騒然とするブリッジの中で、オペレーターたちは、必死にブラックアウトした自分の端末を再起動しようと努力している。その中で、最初に再起動に成功した通信兵の少女が、悲鳴のような声で報告する。
「……対象物ロスト!!!NUSCOCONATS‐MarkⅡ、オレンジペコ、シナモンアップル、ストロベリフィズ、その全てと通話不可能です」
「なんだとぉ!!?」
 花房博士が叫ぶと同時に、正面のメインディプレイが復活した。
「あ、いえ……繋がりました。あれ?でも、これって……」
 通信兵の少女が呆然と呟くのに、
「女子力エンジン稼動率400%です!!」
 男性オペレーターが自分のモニターを見ながら叫ぶのが重なる。が、その向こう、メインディスプレイにはNUSCOCONATS‐MarkⅡの姿は映っていない。
「ま、まさか……」
 愕然とする花房博士は、ディスプレイに矢印で示された小さな点にさえ見えない対象物を、その詳細を描き出している文字を目で追う。
 
 height:151cm
 weight:41kg
 B:71cm W:57cm H:79cm
 wingspread:183cm
 name:NUSCOCONATS‐MarkⅡ
 mode:ecstasy
 
 メインディプレイの解像度が自動変換され、その姿を映し出す。
 濃い灰色の髪を風になびかせ、金色に輝く翼を大きく広げ、静かに佇む美少女を……NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスタシー・モードの姿を!!!
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第一話 舞い降りた運命の美少女 ―後編―
 
 眼下に広がる青い海。目線とほとんど変わらない高さを流れていく白い雲。頬を滑り、髪をなびかせ、翼を押し広げるように、強く優しく吹き荒ぶ風。
 自分を包む全てに、生まれて初めて知る生命力を感じさせる空に、その美少女は感動を隠せなかった。
「……これが、空?」
 キャミワンピ風の白い服に、袖無しの白地に濃い青色の縁取りのある長衣を纏う彼女は、こそばゆい風に、素足の爪先をほんの少し曲げ、摺り寄せる。
「聞こえるか?NUSCOCONATS‐MarkⅡ」
 その声に、はっと我に返り、美少女は慌てて周囲を見る。
「え?あれ???お兄ちゃん?」
「ふむ。私を兄を呼ぶということは、基本となった人格は芽衣のものだな」
 声が聞こえてくるこめかみの辺りを指先で触れながら、美少女は不思議そうに首を傾げ、
「まさか、最初の合体で、この説明をさせられるとは……」
 現状を思い出し、鈴の音のような声を弾ませた。
「あ!そうだ!!あたし、合体して……って、あれ?なんで、ここにいるの?オレンジペコは?あきらは?九条さんは???」
「だから、今その説明をすると言っただろうが……ほんとに、お前は人の話を聞いてないな」
 兄である花房博士の言葉に、美少女はむっと頬を膨らませる。
「いいか、よく聞け。いまNUSCOCONATS‐MarkⅡは、エクスタシー・モードに入ってる」
「エ、エクスタシー???」
 美少女は、突然のセクハラ発言に顔を赤くする。
「理由はわからん。しかし、理論上は可能とされていた特殊モードだ。いいか、よく聞け……」
 有翼の美少女は花房博士の言葉に、戸惑いながらも曖昧に頷く。
「本来、我々人類はその固定概念でしか世界を観ることしかできない。それは個々人によるそれぞれの世界が存在することを意味する。そして、それ故に完全なる客観も、完全なる理想も存在しないことになる」
 眉を弱々しく寄せ、ゆっくりと美少女は首を傾げていく。
「えと、よく意味がわかんないんだけど?」
「意味?意味!?意味だと!!?」
 畳み掛けるように問う花房博士の言葉に、こめかみの近くに指先で触れたまま美少女は怯えるように肩を寄せる。
「意味など説明する必要は無い!いま、そこにあるお前の存在に、人類が築き上げてきた言語や概念など意味を成さないのだっ!いや、お前こそが意味であり、概念なのだ!!」
「???」
 花房博士の言葉の意味がわからず、美少女は困ったような顔をして、翼を小さく震わせた。
「女子力エンジンの真の力は、人類の持つ曖昧な固定概念を集束し、その先にある、存在のイデアを顕現することにある」
「……存在の、イデア?」
 微かな怯えを見せる美少女の耳に、恍惚とした花房博士の声が響く。
「そう……誰しも夢見た完全なる美少女だ」
 その花房博士の言葉に、言葉通りの美少女は、気持ち悪そうな顔をする。しかし、そんな美少女の反応を無視して、花房博士は声の調子をもう一段階上げ、高らかに宣言した。
「完全不滅にして、理想と究極を兼ね備えた絶対無垢なる真性の美少女!それがNUSCOCONATS‐MarkⅡ!!エクスタシー・モードなのだっ!!!!」
 花房博士の叫びに、美少女は頭を抱えるようにして、小さな悲鳴を上げる。
 ズパッと白衣の翻る音が聞こえ、その音に重ねるように花房博士が更に畳み掛ける。
「行け!!NUSCO――――」
「ここでお知らせです」
 その花房博士の叫びを遮り、唐突に通信兵の少女の柔らかな声が聞こえてきた。
「いま画面に映っている美少女の愛称を、当番組では視聴者の皆様から募集します。彼女にぴったりの愛称を思い付いた方は、下のテルメルまで応募してください。尚、見事、愛称に選ばれた方には、NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスタシー・モードの特製フィギアをプレゼントします。もちろん、残念にも選ばれなかった方にも副賞が用意されています。なんと、抽選で100名の方に……」
「え?え?なに???」
「気にするな。お前には関係ない」
「で、でも……番組がどうとか、フィギアが……」
地上デジタル波が混線してるだけだ!気にするな!!」
 花房博士の叫びに、美少女はビクッと大きく震え、恐々と辺りを見渡す。が、そこは何も無い空の上であり、彼女を安心させる要素は何一つ無かった。
 
 
 花房博士は『空飛ぶ黒猫亭』のブリッジで、腕を組み苦々しげにメインディプレイを睨む。
 その不機嫌を隠さない態度に、通信兵の少女は、
「すみません。まさか地上波と混線するとは思ってませんでしたので……」
 と、背中を向けたまま謝る。
「構わん」
 実際、混線は問題ではなかった。花房博士の気分を害したのは、格好良く攻撃命令を出そうとしたとき、プレゼントのお知らせが入ったことだった。
「くそっ……なんで、あのタイミングで告知を入れるんだ?NUSCOCONATS‐MarkⅡが攻撃に入り、その映像をバックに愛称の募集をしたほうが絶対に盛り上がるはずなのに……」
 ぶつぶつと小さな声で文句を言う花房博士は、自分に背中を向けている通信兵の少女が、舌を出して笑っていることに気付いていない。
「敵機動兵器表面に、微弱な波動を確認!」
 唐突に男性オペレーターが叫ぶ。
「第三段階への移行が始まったか……」
 敵機動兵器の攻撃パターンとして、最も多いのが、概念攻撃を終えてから、外殻を除去し、兵器としての本体を露出させ、マーキング行動に入る、だった。その巨大な戦闘マシーンは人類を恐怖させるに十分な未来的且つ科学的な容姿をしていた。
「貴様らの科学如きで、NUSCOCONATS‐MarkⅡを止められると思うな」
 にやり、と笑い、花房博士はメインディスプレイに映し出された幾何学模様の入った卵型の敵兵器を見る。が、すぐにその眉を寄せ、ディスプレイに顔を近付けた。
 外郭の上部が剥がれ落ち、その頂上付近から細く長い触角が躍り出たからだった。
「触覚、だと?馬鹿な???」
 白衣を翻し、数歩メインディスプレイに近付き、花房博士はその部分の動きを鋭い視線で追う。
「触覚に見えるだけのワイヤー状の武器か何かか?いや、しかし、あの動き……どう見ても生物の、いや昆虫の……触覚に見えるが???」
 自らの額を掴み、メインディスプレイを睨み付ける花房博士の目の前で、次々と外殻が剥がれ、敵機動兵器の全貌が明らかになり……メインブリッジの9割を占める女性オペレーターの悲鳴が『空飛ぶ黒猫亭』の中に響き渡った。
 
 
 パラパラと外殻が落ちて行く様を恐々と眺めていた、NUSCOCONATS‐MarkⅡのエクスタシー・モードである美少女の白く華奢な腕に、ぷつぷつと鳥肌が立っていく。その震える指先が、敵機動兵器を――いや、それを機動兵器と認識することは、天使の翼を持つ美少女にはできなかった。彼女は自分が青ざめ、震える唇が擦れた声を漏らしていることに気付いていない。
「ゴ……ゴキ…………ゴキブ――――っ」
 両手で口を押さえ、擦れた音を残し息を吸うと、美少女は全身を振るわせながら悲鳴を上げた。
「いやぁぁぁぁあああああっ!!!!」
 そして、一瞬で500m後退し、背中を向けて、もう一度泣き叫ぶ。
 卵型の外殻の中から生まれたその生物は、ひゅんひゅんと触覚で風を切りながら、ゆっくりと……不気味な羽音を立て、徐々に浮き上がっていく。
 それは黒光りする外骨格と、長くしなやかに動き続ける触角を持つ、全長40mのゴキブリだった。
 
 
 阿鼻叫喚の地獄と化した『空飛ぶ黒猫亭』メインブリッジで、ディスプレイを睨み付けながら花房博士は自問する。
「何故だ?今まで機械的な兵器のみを使っていた宇宙人が、何故、今日だけは生物兵器なのだ?しかも、少女が最も忌み嫌うと言われるゴキブリなのだ???」
 花房博士は、自らの言葉に、はっと顔を上げる。
「少女が忌み嫌う生物……それを知っているのは、我々人類だ。少女がゴキブリを嫌う。それは我々人類の固定概念だ」
 歯噛みしながら、花房博士は自問自答を繰り返す。
「自ら武器を駆る者は、より強力な武器を恐れ、少女はゴキブリを恐れる。まさか……やつ等は、我々の恐怖を、人類が持つ恐怖の概念を具現化しているのか?ならば……」
 手の平で何度も自分の額を叩きながら、花房博士はぐるぐるとブリッジを歩き回り始めた。
「勝てるのか?人は、己の恐怖する対象に勝てるのか?どうすればいい?……どうすれば、恐怖の具現を前に、人は戦うことができる?自身が最も忌み嫌い、恐れるものに立ち向かうことができる?」
 半狂乱のブリッジの存在を忘れ、花房博士は自分の世界へと落ちていく。ただひとつの答えを求め……勝利へのキーワードを求めて……。
 
 
 翼を震わせる美少女は、吐き気と腹痛に幼さの残る頬を青ざめさせていた。背中を向け、目を閉じ、耳を塞いでも、巨大なゴキブリの存在は脳裏から消えることは無かった。
「やだ……やだよ、気持ち悪いよぉ」
 弱々しい言葉を漏らし、涙の滲む目を彷徨わせる。ぞわぞわと背中で蠢く不愉快な視線に、ぞくっと身を震わせると美少女は、顔を上げた視線の遥か彼方、遠くに見える水平線に救いを求め……
『ダメ!お願い、逃げないで!!』
 心の奥で弾けた言葉に、はっと振り返る。
「九条さん?」
 しかし、そこに沙希の姿は無かった。そして、その言葉の記憶は、はまるで幻聴のように曖昧なものになり消えていく。
 それでも……その沙希の言葉は、芽衣をその場から動けなくさせた。
 世界を守る。そう祈っていた沙希の姿が目に浮かび、いまここで戦うことのできる自分が逃げることは、その沙希を裏切ることのように感じたからだった。
「でも……」
 眉を寄せ、ここからは小さな点にしか見えない巨大なゴキブリを見ながら、美少女は芽衣の想いを呟く。
「あたしだけで……ひとりで、どうすればいいの?」
 その呟きに、
『……ひとりじゃない』
 静かな感情を殺したあきらの声が答える。
 しかし、その言葉に頷くことは芽衣にはできなかった。
「あたし、できない。あきらみたいに強くなれない」
 弱々しく呟く美少女に答える者はいなかった。
 なぜ自分はここにいるのか?
 自分には沙希のような祈りは……誰かを守ろうと思える強さは無かった。あきらのようなしっかりとした強さも無かった。
 もう逃げ出したい。
 そう思いながらも芽衣は、なぜ自分が戦わなければいけないのか……その理由を探していた。
 いや、理由はどうでもよかった。誰かに言って欲しかった。誰かに臆病な自分の背中を押して欲しかった。
 お前が地球を守るのだ!と。
 
 
 あたしにはわからない。
 守るって、なに?
 大事なものはある。
 お父さん、お母さん。
 小さいころから、ずっと好きだったお兄ちゃん。
 大好きな友達。
 楽しい学校。
 気持ちいい歌。
 優しく包み込んでくれるベッド。
 どれも失くしたくない。
 みんな大事な……あたしの宝物。
 でも……それが無くなっちゃうの?
 ほんとに消えてしまうの?
 わからない……想像できない。
 それが無い世界。
 それを失った自分。
 だって……そんなのあたしじゃない。
 あたしは、そんなところにいない。
 でも、そうなの?
 ぜんぶ奪われるの?
 それって、どういうこと?
 どうなっちゃうの?
 わからない。
 あたしには、わからないよ……おにいちゃん。
 
 
 迷い怯えるNUSCOCONATS‐MarkⅡに囁き掛ける声があった。
「聞こえますか?芽衣さん」
「は、はい!」
 はっと我に返り、美少女は目線を横に流し、自身の中から聞こえる声に意識を集中する。
「敵機動兵器がマーキングを開始しました」
 その言葉に、桜色の唇を引き締め、NUSCOCONATS‐MarkⅡは視線を小さな点に向ける。
「このままでは、数分後に敵の侵略行動は終了します。しかし、現在『空飛ぶ黒猫亭』は恐慌状態に陥っています。こちらからのサポートが不可能な今、作戦行動の遂行は不可能と判断されます。NUSCOCONATS‐MarkⅡは機体とパイロットの安全を優先し、戦線から退避してください」
 自分が一番求めていた言葉を聞き……芽衣は、どうしようもない口惜しさを感じていた。
「お、お兄ちゃんは?」
 いつも迷う自分の背中を押してくれた兄の存在を求めているわけを知らず、芽衣はおずおずと聞いていた。
「花房博士は、いま……ぶつぶつ言いながら、ブリッジを歩き続けてます」
 それは兄が真剣に考えているときの癖だ。兄はまだ諦めてない。そう思いながら、それを口にすることはできなかった。すれば、ここから逃げる理由を失くすことになる。
 あたしは、ずるい。
「あなたは……あのゴキブリ平気なの?」
 自己嫌悪を誤魔化すように、芽衣は聞き、
「ぜっんぜん平気じゃないですよ」
 と、場違いなほど明るい返事を聞かされた。
「あたし、ゴキブリとかめちゃくちゃ苦手で……だから、触覚の先っちょが出てから、ずっとモニターから視線逸らしてたんです」
「そう……なの。そっちはどうなってるんですか?」
「もうめちゃくちゃです。でも……」
 と、通信兵の少女は言葉を濁し、
「これはちょっと異常ですね」
 と、溜息のように呟いた。
「異常?」
「はい。大きなゴキブリを見ただけで、普通はパニック状態にならないですよ。こっちはまるで、そのままのサイズのゴキブリがブリッジに出てきたみたいな騒ぎなんですよ」
 通信兵の少女の言葉に、ふっと奇妙な違和感が混ざり、
「きゃぁっ!!」
 少女の悲鳴と、
「それだ!!」
 花房博士の叫びが重なった。
「全ては概念で説明できる!やつらが用意したのは……いや、いま選んでいる姿は、我々人類がゴキブリに対して持つ嫌悪感のそのものの姿なんだ!イメージの顕現だ!!幻想の現実化だ!!!恐怖の具現なのだ!!!」
 そして、暫しの静寂の後、花房博士の勝ち誇った笑い声が、美少女の脳内で響き渡った。
「ふは、ふはは……ふははははははははっはっはっ!勝てる!!勝てるぞ……いや、すでに勝ったぞ!NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!」
 兄である花房博士の、いきなりの登場と勝利宣言に、翼を持つ美少女は茫然自失状態だった。
「やつらは、我々人類の恐怖の具現化として、あの姿を選んだ。わかるか?人類全ての共通した恐怖としてだ。ふはは。愚かにもほどがあるだろう?人の恐怖など十人十色だというのだ!そんな子供でも分かる道理が、やつらにはわかっていない」
 花房博士が言う『やつら』とは宇宙人のことであるのは理解できたが、有翼の美少女にも通信兵の少女にも、花房博士が何を言いたいのか理解できなかった。
「いいか、よく聞け!NUSCOCONATS‐MarkⅡ!あの兵器が取った姿は、お前の恐怖の顕現ではない!!!人類が持つあくまでも平均的な恐怖のイメージでしかないのだ。即ち、お前自身が持つ恐怖と微妙な差異が、そこにあるはずだ。わかるか?そこに付け入る隙が存在するのだ!冷静に判断することさえ出来れば、お前はヤツに立ち向かうことができるのだ!!」
「え、でも……」
 あんなに気持ち悪いのに……と、美少女は顔を曇らせる。
「故に、ただひとつ!お前が持つべき物は、ただひとつなのだ。それは……」
 たっぷりと間を置き、花房博士は白衣を翻す音と共に叫んだ。
「勇気だ!!!」
「え?」
 最短の言葉でツッコミを入れたのは通信兵の少女だった。
「恐怖に打ち勝つ唯一の想い……勇気を持って戦うのだ!!行け!NUSCOCONATS‐MarkⅡ!」
 行け!と言われても、すぐに行けるはずもなく、それ以前に花房博士の説明は詭弁としか思えなかった美少女は、思いっきり躊躇していた。
「でも、あたし……」
「でも、も!あたしもあるかっ!!俺が行けと言ってるんだから、さっさと行け!!この馬鹿妹が!!」
「うわ、サイテー」
 通信兵の少女のダウナーな呟きを聞きながらも、花房博士は畳み掛けるように叫び続ける。
「何のために、お前を呼んだと思ってるんだ?メイドのコスプレをさせるために呼んだんじゃないんだぞ!!宇宙人と戦わせるために呼んだんだ!NUSCOCONATS‐MarkⅡに萌え要素が必要じゃ無かったら、お前なんか誰も呼ばないんだ!ぐだぐだ言ってないで、俺が戦えって言ってるんだ……さっさと戦え!!」
 最初、馬鹿妹と言われて、ぷくっと膨れた頬を、一筋の涙が零れた。
 それは流れ出すと、どうしようもないほど、ぽろぽろと零れ出した。
 自分の兄が傍若無人なのは知っていた。知っていたが、それでも自分には優しくしてくれていると思っていた。そう信じていた。なのに、その兄は、いま……自分をまるで戦うための道具やNUSCOCONATS‐MarkⅡのための部品のように扱っていた。
 そして、誰かに強く優しく言って欲しかった言葉は、ただの罵倒として浴びせられた。
 砕かれた理想は、押し付けられた現実は、芽衣を傷付けるには十分過ぎた。
 もう、いい。
 ふらり、と翼を持つ少女は高度を下げ、ほぼ垂直に落ちるように降下し始めた。そして、敵である巨大ゴキブリに高さを合わせると、一気に加速した。白い軌跡を残しながら、美少女は真っ直ぐに敵に向かって飛翔する。
 
 
 狂乱が続く『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジで、花房博士は両手を通信席に着き、大きく溜息を吐いた。
 自暴自棄でも良い。動き出してくれれば、NUSCOCONATS‐MarkⅡの中にいる七瀬あきらと九条君が戦闘をサポートしてくれるはずだ。
 そう思い、一縷の望みを託した花房博士に通信兵の少女が、ぽつりと呟く。
「敵機動兵のマーキング展開率98%ですけど、よろしいんですか?」
 限界まで目を見開き、振り返った花房博士の顔に、通信兵の少女はビクッと震える。
「いま、何て言った?いつの間に敵がマーキング行動に入ってたんだ?どうして、それを先に言わないんだ!!?」
「マーキングの展開率が98%まで進んでいると言ったんです。……いまは、99%になっていますが。敵機動兵がマーキング行動を開始したのは、2分前で、花房博士がブリッジを歩き回りながら、ぶつぶつ言っていたときです。それを先に言わなかったのは、言うタイミングが無いほどに、花房博士が喋り続けていたからです」
 巨大で複雑な魔方陣にしか見えないマーキングの始点から、銀色の光が天に伸びていくのがメインディスプレイに映し出されていた。その銀色の光は天に届くと、描線に沿って走り出し、光の迷路を作り上げていく。
 その映像を食い入るように見ていた花房博士は、通信席にしがみ付き声の限りに叫んだ。
「待て!芽衣、行くんじゃない!!!」
 
 
 髪を流し、頬を叩く風が、涙を遥か後方へと残していく。唇を噛み締め、NUSCOCONATS‐MarkⅡである芽衣は、ただ前だけを見て飛び続ける。
「空間が閉鎖されるぞ!戻れ!!いまなら、まだ間に合う……芽衣!!危険だから戻るんだ!」
 地上から空へと伸び上がる銀色の光の帯は、NUSCOCONATS‐MarkⅡの視点からは、まるで大地から空へと帰ろうとしているオーロラのように見えていた。
 しかし、そんなことは、いまはどうでもよかった。 芽衣は、悲しさと寂しさを小さな呟きに込め、目を閉じる。
「……お兄ちゃんのバカ」
 
  
 妹の小さな呟きを聞き、ゆっくりと通信席から離れると……花房博士はおもむろに、座り込んだまま泣き続ける女性士官の腰から拳銃を抜き取り、メインディスプレイに狙いを付けた。
 ドン!ドン!ドン!
 三度銃声が鳴り響き、メインディプレイがブラックアウトする。と、恐慌状態だったブリッジに静寂が戻る。
 呆然とするオペレーターたちに、花房博士は、
「正気に戻ったか!!?後数秒で、NUSCOCONATS‐MarkⅡがマーキング内に突入する。『空飛ぶ黒猫亭』は、情報戦及び直接攻撃でNUSCOCONATS‐MarkⅡを援護する」
 と言い、ブリッジ全体を見渡し、
「目標!敵機動兵器及び展開中のゴーストサークル!!第一戦闘速度!J・D・Nを最大領域で展開しろ!行くぞ!!『空飛ぶ黒猫亭』……発っ進!!」
 白衣を翻し叫んだ。
 
 
 NUSCOCONATS‐MarkⅡは、展開されたていくマーキングの光の帯の隙間から内部に突入した。そして、その中を迷路を走破するように飛び続ける。左右に伸び上がる銀色の光に触れないように注意しながら、しかし、己の限界を求めるかのように、速度を上げ、その中心へと近付いて行く。
 一つのルートを潜り抜ける度に、その光の帯の向こうに存在する黒い影が巨大な物へと変わっていく。
 最後の角を曲がり、その中心部へとNUSCOCONATS‐MarkⅡが突入する。そして、その醜悪で嫌悪感を抱かせる姿と対峙したとき……マーキングは完成し、その中に存在する全てがゴーストサークルに取り込まれた。