成層圏を戦闘速度で移動し、機動兵器の遥か上空に待機した『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジで、男性オペレーターが叫ぶ。
「ゴーストサークル発生!」
 それに重ね、花房博士が立つブリッジ後方より一段低いオペレーター席の中央に、三人で向かい合わせに座る少女たちが口々に呟く。
「情報攻撃準備……インテリジェンス・エッジ起動」
「生体コンピュータ・AKIを戦略コンピュータに直結。人格OSノルンによるハッキング開始……」
「リアルタイム・ミキシングによる情報飽和率15%……25%……50%……」
 カウントアップにタイミングを合わせ、100%の瞬間を狙い花房博士は、
「撃てぇ!!」
 と攻撃命令を叫んだ。
「情報射出確認」
「情報飽和率0.01%……」
「ノルン、再度ハッキングよる情報収集開始」
「インテリジェンス・エッジ第二弾準備開始……放熱板開放…………」
 三人の娘たちの呟きに重ね、女性オペレーターが戦況報告を入れる。
「ゴーストサークル表面に情報爆発、吸収を確認」
「歪み率は0.000000001%」
「浸透率は不明!反射率は……0.1%」
「周辺地域の動植物に異常行動が発生……小動物が逃走を出始めました」
 弾痕を残しブラックアウトしたメインディスプレイの正面で、腕を組み、目を閉じた花房博士は、その次々と移り変わる報告を耳に、戦況を把握する。
 物理的接触は不可能と言われるゴーストサークルを破壊するために……NUSCOCONATS‐MarkⅡを、愛する妹を取り戻すために、白衣を翻し花房博士は、第二弾の射出を叫んだ。
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子] 
第一話 舞い降りた運命の美少女 ―完結篇―
 
 海岸線近くに展開された巨大な光の円柱であるゴーストサークルを中心に、一斉に飛び立った雑多な鳥類を追うように、黒い影が薄まりながら広がっていく……数百種を超える昆虫が、幾世代にも渡り繁殖を続けていた大地を捨て、無為なる死が待ち受ける海上へと逃げ出そうとしていた。
 地表では、獣道をゆっくりと……澱みの無い歩調で動物たちが歩いていた。
 熊が、猪が、兎が、犬が、猫が、狐が、狸が、鼠が、多種多様な動物が同じ方角に向けて歩き続ける。それぞれが、それぞれの速度で前だけを見て歩いている。あるときは横に並び、またあるときは追い越し、追い越され、動物たちはただ一つの場所から逃げ出そうとしていた。
 そして、その遥か後方に展開されたゴーストサークルは、『空飛ぶ黒猫亭』の情報攻撃を受け、明滅するように刹那の輝きを放っていた。
 
 
 ……ぉぉおおん!…………どぉぉおおん!…………どぉぉおおん!
 
 遠くに響く雷鳴に似た衝撃音を感じながら、ゴーストサークルに取り込まれたNUSCOCONATS‐MarkⅡは、“異星の風景”を見ていた。
 鏡のように色を映す銀色の空と、熱を感じさせない重なる二つの赤い太陽。
 曲線を感じさせない水平線へと流されていく霧のように薄く青い雲。
 足元から無限に広がる濃紺の海は、夜の闇に似た色を湛え、水銀のような重さを感じさせながら、ゆったりとたゆたう。
 その水面には、大小の水滴のような透明な球体が、静かに浮かんでいた。
 異星の風景を見せるゴーストサークルの内部には……NUSCOCONATS‐MarkⅡの前には、巨大なゴキブリの姿は無く、翼を持つ、ひとりの少女が立っていた。
 肌に密着し、線の少ない身体を浮き上がらせる衣服、ゆったりとした長衣……少女の出で立ちは黒一色に染められていた。
 そして、その背に広がる皮膜だけの翼もまた黒だった。
 素肌を見せているのは、手と顔だけであり、。それは少女が纏う翼に反し、血の色を感じさせないほど白く透き通って見えた。
 少年のように短く切った髪を風に揺らせ、少女は端正な顔を歪ませながら、NUSCOCONATS‐MarkⅡを睨み続ける。
 唇を震わせ、少女が何かを呟く。が、それはNUSCOCONATS‐MarkⅡに届くことは無かった。
「え?」
 二人の距離が遠過ぎるのか、
「あなた……人間なの?」
 少女は答えない。
 それは、互いに知り得る言葉ではないからなのか?
 NUSCOCONATS‐MarkⅡである芽衣の言葉に、闇色の少女は、ただ……唇を噛む。
 互いを見つめ続ける二人の間を、沈黙だけが支配していた。
 遠くに響く重い音と、震え始めた銀色の空の下……黒き翼を纏う少女は、声にならない叫びを上げ、NUSCOCONATS‐MarkⅡに襲い掛かった。
「待って!!」
 声の限りに芽衣は叫ぶ。しかし、その言葉は黒い翼の少女には届かない。
 残像を残すほどの速度で飛来した少女は己を守るように腕を交差させてNUSCOCONATS‐MarkⅡに体当たりをした。
 
 ぐしゅっ!
 
 肉が潰れる音が、反射的に翳した腕の向こうで聞こえ、芽衣は閉じていた瞼を開く。
 そして、その向こうに、旋回し、宙で止まる黒い翼の少女の姿を見……小さな悲鳴を上げる。
 少女の右肩から腕までの肉が削ぎ落とされ、赤い血が滴り落ちていた。その白い額にも赤い筋が滑り、流れていく。
 見ると、翳した自分の腕を守るように、立体的な魔方陣が形成されていた。
 苦々しく少女が口元を歪め、再度降下を始めた。加速を付け、身を翻し、NUSCOCONATS‐MarkⅡである自分に体当たりを敢行しようとしていた。
「だめっ!待って!!」
 芽衣は慌てて左にその身体を滑らす。それは自身の身体ではなく、少女の身を案じての回避行動だった。
 特攻に似た攻撃が空振りに終わった少女は、NUSCOCONATS‐MarkⅡを振り返り、声にならない叫びを上げる。
 その頬を滑る無数の涙が、巻き起こされた風に飛び散る。
 違う!あの子は……怯えてる!!
 自身を縛り付ける恐怖を置き去りにするように、黒い翼の少女は飛び立ち、
「やめて!!」
 芽衣が前に翳した手に魔方陣が集束し、
「待って、どうして」
 光の剣と化し、
「あなたは!!?」
 少女の胸を貫いていた。
「あ……」
 胸に刺さった剣を呆然と見て、少女は狂ったように足掻き出した。羽ばたき、手を伸ばし、脚で空を蹴りながら、NUSCOCONATS‐MarkⅡを求め、より深く剣に貫かれていく。
「あ……あぁ……」
 NUSCOCONATS‐MarkⅡである芽衣は、ただその姿に怯え、見つめるだけだった。
 ごぼり、と口中に溢れた血を吐きながらも、黒き翼を持つ少女は剣に導かれ、NUSCOCONATS‐MarkⅡの腕を握り締め……その動きを止める。
「ま、待って!あなたは……」
 芽衣の言葉を無視して、少女は真っ直ぐな瞳でNUSCOCONATS‐MarkⅡを見る。
 
 あたしは負けられない!
 
 その真摯な眼差しでNUSCOCONATS‐MarkⅡを見つめながら、少女はゆっくりとその形を失い始め……周囲の全てを巻き込み、爆発した。
 
 
 異星の空に発生した巨大な光球は、濃紺の海を巻き上げ、青い雲を呼び、引き千切り、重なる連星の太陽を霞ませ……唐突に消失した。
 銀色の空に、黒い小さな点だけを残して。
 
 
 108回目の情報射出の瞬間、ゴーストサークルが反転し、巨大な爆発が発生した。
 成層圏からでも見えるそれは、小規模の天変地異となり、周囲の大気を巻き込み、海流に変化を与えた。
『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジで、白衣を翻し花房博士が叫ぶ。
「戦域情報収集!世界初のゴーストサークル決壊だ!ノイズ一つ逃すな!!」
「広域の情報爆発が起こっていま……」
 最後の一音を発生できず、呆然と声を詰まらせる女性オペレーターの横に飛び降り、花房博士はその端末に表示された情報量を目にする。と、ぱしん!と、自分の額を叩く。
「……冗談じゃないぞ。何だこの桁は?」
 その背後では、通信兵の少女が必死にNUSCOCONATS‐MarkⅡに呼び掛けていた。
「NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!返事をしてください!芽衣さん!!七瀬訓練生!九条さん!こちら、『空飛ぶ黒猫亭』……NUSCOCONATS‐MarkⅡ!返事をしてください!!」
 全てのチャンネルを使い通信兵の少女は、爆発の中にいるはずのNUSCOCONATS‐MarkⅡの名前を呼び続けていた。
 何でもいい……どんな小さな音でもいい。
 狂ったノイズが支配する自分のヘッドセットに神経を集中し、彼女は音の世界でNUSCOCONATS‐MarkⅡの存在を探し続ける。
 ゆっくりと静寂が落ちて行く『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジの中で、通信兵の少女の悲痛な叫びだけが木霊していた。
 
 
 低く垂れ込めた暗雲と、飛沫が風に巻き上げられる荒れ狂った海。それらを繋ぐ無数の雷鳴。
 原初の地球を彷彿とさせる闇の世界で、複数の立体的な魔方陣で守られた天使の翼を持つ少女は、自身の白く華奢な手をぼんやりと見ていた。
 ひとつ、またひとつと魔方陣が消えて行き、その全てが無くなったとき、激しい風に有翼の美少女の身体は包み込まれた。
 風に乱された髪が、その表情を隠し、頬を滑るはずの涙は、荒れ狂う嵐の飛沫が誤魔化していた。……が、それで悲しみが癒えるわけではなかった。
 金色の翼を持つ少女は、まだ微かに残る黒き翼の少女の手の感触に……その手に込められた想いに震えていた。
 あの少女の姿が真の物だったのか、ただの擬態だったのか……芽衣にはわからなかった。
 それでも、
――彼女は、自分と同じだった――
 そう思わずにはいられなかった。
 もう……いやだ。
 最後に黒い翼の少女が掴んだその手で、ゆっくりと自身の胸を抱き、静かに目を閉じた……NUSCOCONATS‐MarkⅡは金色の光に包まれ、三機のユニットにその姿を変えた。
 
 
 荒れ狂う海に着水したストロベリフィズの中で、九条沙希は意識を失っていた。
 
 分離と同時に旋回飛行に入った七瀬あきらが駆るシナモンアップルの中で、セーラー服の少女は冷静に情報解析を始める。
 
 メイド服を着た花房芽衣は、自動操縦に切り替わったオレンジペコの操縦席で……泣き叫んだ。
 黒い翼の少女への想いではなく、合体が解除されたときに訪れた唐突な精神の消失が原因だった。まるで、心が三つに引き裂かれ、永遠に奪われたかのような喪失感だった。
 それはあまりにも激しい痛みだった。
 NUSCOCONATS‐MarkⅡと同じく、自分の腕でその胸を抱き、芽衣は声を出して泣き続ける。
『こちらNUSCOCONATS‐MarkⅡシナモンアップル……敵機動兵器、消滅を確認。帰還許可を』
 あきらの静かに呟く声を聞いても、芽衣はそれが意味するところを理解することはできなかった。
 Pi!と、小さな電子音が鳴り、シナモンアップルとの直通回線が繋がり、涙に濡れた頬をそのままに芽衣が顔を上げる。
 そこに真っ直ぐな目を向けるあきらの姿があった。
 長い沈黙の後、あきらは静かに、
「あたしも、九条さんも……同じ気持ちだから」
 と呟いた。
 その言葉に溢れ出した涙を手で押えながら、芽衣は何度も声も無く頷いた。
 
 
 自動操縦が再起動されたストロベリフィズが海から静かに浮き上がり、旋回飛行を続けていたオレンジペコとシナモンアップルに加わる。
 三機は機首を天空に向け、暗雲へとその姿を消した。荒れ狂う海だけを残して……。
 
 
 低い雲を抜けた三機の左端を飛んでいたストロベリフィズの中で、太陽の光を浴びた九条沙希が目を覚ました。
「んぁ?……あ、あれ???」
 その声を聞いたオレンジペコの操縦席で芽衣が、
「九条さん、大丈夫ですか?」
 と聞き、
「バイオ・センサに異常は出ていない。だから、大丈夫」
 七瀬あきらが冷静に返答する。
 その声を聞き、芽衣はくすりと笑い、『空飛ぶ黒猫亭』から共通チャンネルで通信が入る。
『こちら、『空飛ぶ黒猫亭』花房博士だ』
 通信兵の少女の声を期待していた芽衣が、むっと頬を膨らませる。
 マーキングに突入したときの、自分の兄の必死な声は記憶に残っていたが……彼女にとって、それとこれは全く別の話である。
 絶対に許さないんだから。
 妹の膨れっ面を見せられて、花房博士のいつもの饒舌が止まる。
「あ、その……皆、ご苦労だった」
 その一言で、小さな電子音が鳴り、通話が通信兵の少女に切り替わる。
「皆さん、お疲れ様でした。各ユニットに内蔵されたバイオ・センサで怪我や精神失調が無いことは確認できていますが、皆さんは帰還後に精密検査を受けてもらうことになります。ドッグに医療班が待機していますので……」
 淡々と語り続ける通信兵の少女の声をバックに、NUSCOCONATS‐MarkⅡの三機のユニット……オレンジペコ、シナモンアップル、ストロベリフィズは、太陽の光を反射させるまだ小さな輝きにしか見えない『空飛ぶ黒猫亭』へと白い軌跡を残して帰って行った。