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第六日目 夜.
薄闇の中で、僕はぼんやり天井を見ていた。
ベッドからは、瑠璃の静かな寝息が聞こえて来る。
時折、外で狼の遠吠えが聞こえる。その度に、瑠璃が寝苦しそうに溜息のような息を吐く。
狼は……人狼は、ここには現れない。そう知っていても、寝ていても、緊張するんだろう。
ソファに転がったまま、僕は静かに目を閉じる。目を閉じ、昨日の夢を思い出す。
あれは……誰の夢だったのだろう。
夢のビジュアルを信じるなら、女子の夢のはずだ。
井之上鏡花はもう夢で見ているのだから、彼女以外の誰かだろう。
田沼香織、志水真帆、山里理穂子、の誰かと言う事になる。
本田総司は、夢をもう語らなくていいと言った。聞かせたくないヤツがいるからだと……。
あれは山里理穂子を指して言ったんだろう。
今日の吊りの犠牲者……山里理穂子に、僕の見た夢を聞かせたくなかった。そう考えるのが普通だろう。
が、本当にそうだろうか?
山里理穂子以外にも聞かせたくない人物が……いや、誰にも聞かせたくなかったんじゃないのか?
いや、違う。そんなはずはない。
頭に浮かんだ疑問を、僕は自ら否定する。そして、自分の考えに自嘲的な笑みを浮かべる。
本田総司は夢の内容を知らない。知らないのだから、聞かせたくないと言ったのは『内容に関係なく』聞かせたくなかったのだろう。
僕はゆっくりと目を開き、闇の中で目を凝らす。
昨日の夢は、残滓のような曖昧な物に変わっている。それでも僕は、それを思い出さずにはいられなかった。
あれは……街じゃない。田舎の線路の上だった。単線の線路が、どこまでも続いていた。
濃密な緑の匂いがある。その匂いに混ざって、焼けた鉄の臭いが立ち上っている。
少女はその線路の上を歩いていた。
無人駅の近くの踏切から、線路に沿って歩き出したのだ。
蝉の声。土砂降りのように続く、蝉の鳴き声が方向感覚を失わせる。
一筋の汗が、頬を伝い、細い顎に濡らし……少女は、振り返る。
真っ直ぐに続く線路が、彼女の歩いて来た道だ。
だが、それは唐突に途切れていた。
塞がれた線路。割れた板で閉ざされた道。乱雑に巻かれた有刺鉄線。そして……そこに刺された虫の死骸があった。
いや、それは……『彼女』の遺体の一部だった。
『彼女』の左腕が、そこに刺されていた。
あの時と同じに、何かを……助けを求めるように、広げられた指が悪夢のように、胸を締め付ける。
あれは、事故だった。
事故だった筈だ。事故だった。事故だった筈だ。
いや、違う。俺は……見ていた筈だ。知っている筈だ。
あれは……殺人だった。
彼は笑っていた。笑っていた?あれは笑顔なのか?引き攣った歪な顔が、笑っているように見えただけなんじゃないのか?
しかし、俺にはそうは思えなかった。
彼は、『彼女』の死を笑って見ていた。
『彼女』は足を引っ掛けられた?背中を押された?分からない。分からないが、彼の表情を見ると……思い出すと、事故とは思えなかった。
あの日、『彼女』は一冊の本を読んでいた。いや、単語帳を見ていた?
俺に気付き、後を追って来た。多分、俺が大学を中退したのを、誰かに聞かされたのだろう。俺を追い、問い詰めようとしていた。
だが、問い詰められても、俺には答える言葉など無かった。大学を辞めた事に意味など無いのだから。
だから、俺は足早に『彼女』を避けた。『彼女』は追い、何度も声を掛けて来る。
駅のプラットホームは短い。すぐに先頭に出てしまう。駅のアナウンス。電車が来る。線路に沿って歩き、彼女をやり過ごそうとする。
微かな浮遊感。空気が浮き上がる。電車が来る。俺は歩く向きを変え……『彼女』の身体が線路側へと流れる。
俺は違和感を感じ、振り返る。
危ない!反射的に腕が、彼女の身体を求めて伸ばされる。
そして、手が……『彼女』の左手が、俺の右手が……『彼』の右手が、交差する。
轟音。
全てを砕く轟音が響き渡る。
俺の右手は、『彼女』に届かず、『彼』の右手は……『彼女』を嘲るように『彼女』の単語帳を持っていた。
そして、薄い笑みを浮かべ、その単語帳を捲り、彼はそれを興味を無くしたように投げ捨てる。
悲鳴。誰かが叫んでいる。悲鳴。悲鳴。悲鳴。
その声を聞きながら、『彼』はその現実から背を向ける。
口元に笑みを浮かべて……。
はっとして、僕はソファの上で目を開く。
今のは?『夢』なのか???
いや、違う。あれは違う。
あれは見せられた『夢』じゃない。あれはそうじゃない。今のは『夢』じゃないはずだ。
身体を起こし、僕は悪夢を払うように何度も髪を掻き毟る。
最後に見せられた『彼』の醜い笑みは……醜悪な笑みを浮かべていたのは『僕』だった。
でも、違う。あれは……あれは僕じゃない。僕じゃない。僕はそんな事があったなんて憶えていない。
僕には、そんな『記憶』はない。
そして、僕は気付く。
僕は『彼女』の死を知っている。そして、拭い去れない『罪悪感』が心の中にある。あるが、僕は……どこで『彼女』の死を知ったんだ?
学校でか?
普通に考えれば、それが一番可能性が高い。しかし、なら、この『罪悪感』は、どう説明をする。
同級生の女子が死んだだけだ。言葉は悪いが、それだけの事のはずだ。なのに、この『罪悪感』は何なんだ。
『彼女』の死に何らかの関係があるからこそ、『罪悪感』があるんじゃないのか?
そして、僕は『彼女』の死に、どう関係しているんだ?
…………分からない。思い出せない。
僕が『彼女』を殺したのか?
この手で、『彼女』を突き落としたのか?
じっと僕は薄闇の中で右手を見る。見るが、答えを得る事は出来なかった。
ただ、微かにあの単語帳の紙の感触だけはあった。
【幕間】
『人狼』である少女は、考えるのが苦手だった。
これまでの人生も、あまり考えずに生きてきたように思う。
ただ本能のままに、流されるままに生きてきた。
だから、このゲームで『人狼』をすると知ったときに、最初に思ったのは「面倒じゃん」だった。
騙し合いをして、勝利を掴む?なにそれ?
『汝は人狼なりや?』のゲームは知っていた。
『彼女』が夢中だったゲームのタイトルだった。
だが、彼女達の住む田舎では、そのタイトルを知っている者も稀だった。
TVゲームでいいじゃん。もしくは、インターネットでもあるんじゃね?
しかし、『彼女』はプレイヤーが卓に着くスタイルに拘った。
座り、顔を見せ、その仕草を見せる事に執着した。
全然、理解できないんですけど?
なにがおもしろかったのか。
どこがおもしろいのか、未だに全くわからない。
そして、吊られた『人狼』の行動も理解不可能だった。
一応、ここまでは彼の言葉通りの展開が続いている。
彼の言う通り、山里理穂子は吊られた。
だけど、なんで彼女が吊られたのかが、少女には理解できない。
彼女は人外の特定をした。
田沼香織と井之上鏡花が人外だと特定したのだ。
だけど、今日、『狐』を見付けていなかったら、『吊り』を免れないだろうとアイツは言った。
そして……それは、その通りになった。
アイツの言葉通りになった。
それは、喜ぶべきことなんだろう。
アイツの言葉通りに行動していれば間違いがない。
楽な方法だ。
誰かの言葉のままに行動をする。
楽で、確実な、方法だった。
だけど、気に入らない。
この選択肢は、他人の言葉通りに行動をするのは、彼女の主義に反する。
流れが、自然ではないのだ。
不自然に歪められた結果のような気がする。
勝ちたい、とは思う。
何もかも忘れて生きる、なんて許さない。とも思う。
だけど、どこかが不自然に歪んでいる。
どこが、なにが、どう歪なのかはわからない。
わからない……けれど、自然な流れじゃないような気がする。
このまま勝っても納得はできない。
もちろん、負けも認められない。
何かが、どこかが、間違っているような気がする。
ゆっくりと『人狼』の少女は、歩みを進める。
ゆっくりと……闇に慣れた少女の瞳は、その部屋に置かれた『家具』を映し出す。
それは、無数のベッドとその上に寝かされた遺体だった。
血の滲んだ白いシーツが闇の中で浮かんで見える。
その中の一つ、田沼幸次郎の遺体の前で、少女は足を止める。
この遺体が違和感の正体だろうか?
『狐』に殺された哀れな犠牲者。
だけど……なにか、こう……違うような気がする。
これじゃないような気がする。
彼女は遺体の真ん中で周囲を見る。
ここには、二種類の遺体があった。
『人狼』に喰われた遺体。
『吊り』をされた遺体。
多く血が滲んでいるのが喰われた遺体で、ほとんど血で汚れていないのが吊られた遺体だろう。
と、彼女はさっきまでとは違う違和感を感じる。
なにが?と、少女はもう一度遺体を見て回る。
そして、少女は気付く。
遺体の数が多いのだ。
一、二、三……九、十。
十人の遺体がある。
加納遥は不死者だから、彼の遺体は無いはずだ。
だったら、遺体が一つ多い事になる。
誰の遺体が?
差して深い考えもなく少女は遺体を改めて行く。
少女は血の滲んだシーツから一枚ずつ捲って行く。
これは……矢島那美。ほとんど膨らみがないのが古川晴彦で、これが藤島葉子だ。
吊られた遺体も少女は確かめて行く。
相良耕太……岡原悠乃……坂野晴美……。
そして、その遺体に少女は向き合う。
誰の遺体なのだろう?
誰の……?
少女は躊躇いもなく遺体の顔を改める。
驚いたように目を大きく開いた死体だった。
鼻血の後と、膨れ上がった舌があった。
そして、その首には……くっきりと締め付けた指の痕が残されていた。
その顔をじっと見詰め、少女は興味を無くしたようにシーツを乱雑に戻す。
自分の探す違和感は、これじゃない。
彼の遺体は興味深い気がするが、少女が探すべきは別にあった。
少女は遺体に向き直り、ゆっくりと霊安室の中を歩いて行く。
自分を悩ます違和感は、何なんだろう?
…………考えるのは、苦手だ。
苦手だ、と思いながら、考えずにはいられない。
だから、と少女は思う。
『汝は人狼なりや?』なんか嫌いだ。