机さえも無い、ただ広いだけの執務室で、花房博士は椅子に凭れ込んで、組んだ指で苛立たしげにリズムを取りながら天井を見ていた。
「……原因は何だ?」
 独り言のような小さな呟きに、
「罪悪感でしょう」
 他に誰もいない部屋の中で、氷のように冷たい響きを持つ女性の声が答えた。
 その答えに、花房博士は露骨な失望の溜息を吐く。
「あれからもうすぐ一ヶ月だぞ」
「今日で二十九日目です」
「罪悪感……なぜだ?なぜ、あそこまでの罪悪感を感じる必要がある?」
 目を閉じたまま、花房博士は呟く。
「彼女は“人を殺した”と感じています」
「相手は、宇宙人だぞ」
「そう……宇宙“人”です」
 その揚げ足取りような言葉に、小さく舌打ちし、花房博士は椅子から立ち上がり掛け……また腰を落とす。そして、ゆっくりとその手を両目に重ねた。
「報告書は読まれたのでしょう?」
「……読んだ」
「なら」
 と、言葉を切り、
「理解されているはずですが?」
 女性の声は言った。
「あぁ、わかってるよ、ノルン」
 そう答えながら、花房博士は大幅な修正が必要になるかもしれない現状に、焦りと苛立ちを感じていた。
 
 薄闇の部屋で、ノックの音も無しに扉が開かれ、ピタリ……とハサミの動きが止まる。
「薬の時間だから」
 ドアの外、逆光の中であきらが優しい声を掛ける。と、その声に答えるように、ハサミが、しゃり……と小さな紙を二つに切った。
 その音も無く落ちた紙を見つめてから、芽衣は黒い隈の浮いた目を扉に向ける。
 幼さを感じさせた頬はやつれて、以前の気の強そうな面影は無かった。長く艶やかだった髪も不揃いに切られ、いまは右目を隠すように巻かれた包帯に乱されている。
 芽衣は、それだけは以前と変わらない長い睫毛を震わせ、あきらを見ると、
「その薬……怖いから嫌い」
 幼い口調で呟き、目を伏せた。
 ワンピース型のキャミソール一枚で、床に座り込んだ芽衣は、怯えた子供のように立てた膝を寄せる。
 その仕草に優しく微笑みながら、あきらは静かに部屋の扉を閉める。
 再び、訪れた薄闇の中で芽衣は新たな紙片に指を伸ばした。

 長い沈黙の後、花房博士は投げやりな口調で人格OSノルンに聞く。
「新しい媒体は決まったのか?」
「はい」
「詳細情報」
 目を閉じ、花房博士はノルンのゆったりとした声に耳を傾ける。
「那岐美鈴。14歳。現在、兵庫県の中学校に通っています。性格は明るく社交的でやや怠惰。スポーツ万能、成績は中の下です」
 ふむ。と頷き、花房博士は悪くない素体だなと思う。
「彼女を迎え入れるに当たって、最大の懸念は?」
 花房博士の質問に、
「七瀬あきらの拒絶反応です」
 と、ノルンは即答した。
 
 座り込んだ芽衣の頬に手を添え、両膝を着いたあきらが小さく呟く。
「舌を、出して」
 惑うように視線を彷徨わせ……芽衣は言われたまま、ゆっくりと怯えた表情で舌を出す。
 その舌に優しく触れ、あきらは小さなカプセルを置く。閉じることの無い唇の中で、カプセルを載せた舌が小さく震えているのを見つめながら、あきらは手元に置いていた水滴の浮いたコップから水を含む。
 じっくりと観察するように芽衣の表情を見つめ、あきらは……芽衣の唇に、自分の唇を重ねる。
「ん、くぅ」
 びくん、と振るえ芽衣がくぐもった音を漏らし、その重ね合わせられた唇から一筋の水が流れ落ちる。
 あきらの腕を押し退けるように触れている芽衣の手がビクビクと痙攣する。
 引き攣るように動いていた喉が大きく上下に動き、
「は、あぁ……」
 逃げるように離れた芽衣が、空気を求め喘いだ。しかし、それを許さず、あきらが再び唇を重ねる。芽衣は涙を流しながら、その唇に抗うが、すぐに大人しくなった。
 その乱れた髪の少女を抱くあきらの目は……熱に魘されたように濡れていた。
 
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第二話 許されざる少女たち―前編―
 
 
 愛撫に疲れ果て、眠りに落ちた芽衣を部屋に残し、廊下に戻ったあきらを待っていたのは、沙希だった。
「あ、あの……芽衣さんは?」
「大丈夫」
 素っ気無く答え、あきらは沙希の前を通り過ぎる。
 その背中を困惑した表情で見送り、沙希はなにも言えないまま、視線を芽衣の部屋の扉へと向ける。
 あの日のことは、まだ鮮明に憶えている。いや、忘れることができなかった。
 カフェテラスでの朝食を一緒に、とあきらを誘い、そのあきらと一緒に芽衣を誘いに来たときのことだった。
 何度押しても呼び出しに答えないことを不審の思ったあきらが扉に触れると、あっさりと開き、めちゃくちゃに散らかった部屋の中を見せられた。いや、散らかっているだけではなく壁や床に意味不明な落書きがされていた。
 その狂った部屋の奥に、切り落とされた髪が散らばり、その先に……右目から血を流し、芽衣が立っていた。
 悲鳴のような声で芽衣を名を叫び、あきらがその手に持っていたハサミを取り上げ、その瞬間、芽衣が狂ったように暴れ出した。
 あきらを突き飛ばし、自分の身体を爪を立てて掻き毟り、狂ったように泣き叫ぶ。あきらが取り上げたハサミを求め、彼女に噛み付き、殴り付けた。
 咄嗟に「誰かを呼ばなければ!」と、沙希は火災警報器のボタンを叩いていた。
 スプリンクラーの雨の中で、救護班に精神安定剤を打たれるまで、芽衣は悲鳴を上げながら暴れ続けた。
 それが一週間前の出来事だった。
 自分とあきらには隠されていたが、不眠と倦怠感をを訴え、芽衣はずっとカウンセリングを受けていたらしい。
 そして、芽衣の不調に気付かなかったことが、気付いてやれなかったことが、あきらを深く傷付けていた。
 以前とは違う無口さで、あきらは芽衣を看病している。その張り詰めたような無口さが沙希を不安にさせていた。
 どうなっちゃうんだろう?
 芽衣の部屋の前から立ち去りながら、沙希は溢れてくる涙を誤魔化すように、頭を振り髪を直した。
 
 
 地球軍日本支部淡路基地のブリーフィングルームで、中洲中尉はその少女を信じられい物を見るような目で、しげしげと眺めていた。
 半袖のセーラー服に学生鞄を持ち、シャギーでバシバシになったおかっぱ頭の少女は、曖昧な笑顔で中洲中尉を見ている。
 この子を『空飛ぶ黒猫亭』に運ぶのか?
 那岐美鈴と紹介された中学生としか見えない少女は、物珍しそうにブリーフィングルームに視線を走らせ、すぐに正面に立つ中洲中尉に向き直る。
 目が合うと、
「えへへ」
 と声を出して笑った。
 まだ子供じゃないか……こんな娘を戦闘機に乗せて大丈夫なのか?
 地球軍の切り札となったNUSCOCONATS‐MarkⅡの三機のユニットには、年端も行かない少女が乗り込んでいるとの話は聞いていた。が、しかし、彼女がユニットの新しい操縦者であり、いますぐに『空飛ぶ黒猫亭』へ送り届けてほしいと言われれば、困惑せずにはいられなかった。
「……君は耐G訓練は受けているのか?」
「え?胎児???」
 一拍置いて、中洲中尉は、
「戦闘機に乗る訓練を受けているのか?と聞いたんだ」
 と溜息混じりに言う。
「あ、ないです。でも、後ろに乗るだけなんですよね?」
 元気いっぱいに答え、小さく首を傾けながら聞いてきた美鈴に、何故か中洲中尉は疲れを覚える。
「彼女は過去に一切の軍事訓練を受けたことがありません。ですから、この航空基地で一番腕が良いと言われるあなたにお願いしているのです」
「定期便の輸送機があるはずだが?」
 緊急であるからとの説明を先に受けていたが、素人を戦闘機に乗せる危険性を無視している目の前の女性に、中洲中尉は苛立ちを感じていた。
 戦闘機を舐めてるんじゃないのか?
 と、心の中で呟く。
「あなたの言いたいことは解っています。しかし、ルインの襲来が予測不可能な現在、一刻の猶予も無いことを理解してください」
「ルイン?」
「例の宇宙人の公称です。前日の24時に交付されました。“形骸化するもの”との意味らしいですね」
 死や破壊の権化とでもいうつもりなのか、政府の連中は。
「他にもルインに関係する名称は決定及び変更されているので、軍務に就いているときは、それらのみを用いてください。これは各国の報道関係にも徹底さえていますので、よろしくお願いします」
「随分と……胡散臭く感じるな」
 その中洲中尉の呟きには答えず、女性は美鈴に空路及び飛行中の注意を説明し始めた。
 ふんふんと鼻を鳴らしながら答える美鈴を見て、
「本当に大丈夫なのか?」
 と、中洲中尉は、また心の中で呟いた。
 
 
 結局、お守りは俺かよ。
 パイロット専用の更衣室の前で、壁に凭れながら中洲中尉は早々に立ち去った女性仕官に恨み言を呟く。
 いま中洲中尉は、フライトスーツの着方を説明した美鈴が着替えを終えて出て来るまで、他のパイロットが不用意に部屋に入ったりしないように見張っていた。
「あれ?あれれ???」
 わざと聞こえるように言う美鈴の声を聞き、
「どうした?」
 と中洲中尉は投げやりに聞く。
「あの……これ上がって来ないんですけど?」
「これって?」
「変なファスナーみたいなのなんですけど……あれ?」
 要領を得ない美鈴に言葉に、中洲中尉は溜息を吐く。
 もしかして、馬鹿なのか?こいつ。
「入ってもいいか?」
「あ、どうぞ」
 ドアを開けると、フライトスーツを腰まで履いた美鈴が困惑顔で中洲中尉のほう見ていた。上は丈と袖の短いTシャツ一枚だけで、臍と無駄肉の無い下腹部が丸見えになっていた。
 その下腹部の前で両手でごそごそしながら、
「これ、上がって来ないんですよ」
 と、明るく美鈴は言う。が、中洲中尉はその羞恥心の無さに頭痛を覚える。
 普通は男を入れないだろ?そんな格好だったら。
「さっき説明しただろ?袖を先に通さないと、ファスナーは上がらないに決まってるだろ」
「あ、そうなんですか」
 言いながら、手を後ろに回し、袖に入れてもぞもぞと動くが、動くだけで着るという動作は全く進もうとしなかった。
 結果、美鈴はTシャツ一枚だけのまだ膨らみ掛けたばかりの胸を前に突き出し、腰を左右に振り続けることになった。Tシャツの生地に擦られ、小さな乳首が堅くなり始めている。
 中洲中尉は勘弁してくれよと思いながら、美鈴の前に立ち、内側に捲れた襟を戻して、袖を通すのを手伝ってやる。
「あ、ありがとうございます」
 至近距離で中洲中尉の顔を見上げながら言い、頬を赤く染めた美鈴は、慌てて背中を向ける。
 赤面したいのは、こっちだっつーの。
 今日、何度目にかになる溜息を吐き、中洲中尉は腰に手をやり、天井を眺めた。
 
 
 耐G訓練を受けていないと言っていたが、美鈴は離陸時のGに何の反応も見せなかった。ただ初めて乗る戦闘機の音に驚いていただけだった。
 見る見る小さくなる基地に、淡路島に、そして、眼下に広がる地表といま飛んでいる空の広さに、美鈴は感嘆の声を漏らす。
「すごい……綺麗ですね」
「そうだろ?」
 自分自身が一番好きな瞬間に素直な感動の声を上げる美鈴に、中洲中尉は笑みを浮かべながら答える。
「でも、君も旅客機くらいなら乗ったことあるだろ?」
「いえ、無いですよ」
「そうなのか?」
「うちが貧乏で……飛行機で旅行なんてとんでもないですよ」
 貧乏……ねぇ。
「家、お母さんと二人だけだし、この話受けたのも学費とか奨学金の話が大きかったからなんですよ」
「え?」
「だって、『空飛ぶ黒猫亭』にいる間は通信教育で学費いらない上に、お給料も出るんですよ」
「いや、そりゃ出るだろうけど……」
「特待生で高校行くために部活がんばってたんですけど、お給料出るなら、こっちの方がお母さん楽できるかなって」
「ちょっと待て」
「なんですか?」
 きょとん、とした声で美鈴は聞いてきた。
「君のお母さんは、この件に付いて、何て言ってるんだ?」
「話してませんよ」
「なんだって?」
「だって、今日学校で説明聞いて、そのまま車と船で基地まで送られて来ましたから」
 ……冗談じゃないぞ。
 本人の同意があるとは言え、相手は未成年で保護者の許可も無しに連れて来たんなら、これは拉致誘拐じゃないか!?
「戻るぞ」
「え?」
「君は一度家に帰り、お母さんとちゃんと相談するべきだ」
 言いながら、中洲中尉は機首を回す。
「え?どうしてですか???」
「君は自分が何をしに行くのかわかってない!相手は宇宙人とはいえ、戦争に行くんだぞ」
 管制官がうるさく騒ぎ出したのを聞き、中洲中尉は、
「機体に異常を感じる。そちらに緊急着陸をするので、滑走路を空けてくれ」
 と言い、通信を切る。
 自分の行動は完全な命令違反で、場合によっては軍法会議物だが、そんなことを気にしているときではないと中洲中尉は判断していた。が、それを後ろから美鈴の声が引き止めた。
「やめてください!」
「な!?」
「自分が何をしに行くのか、ちゃんとわかってます」
 ヘルメット内蔵のヘッドホンとマイクで会話していたが、美鈴は前にある操縦席を掴んで叫ぶ。
「あたし、行かないと困るんです」
「どういうことだ?」
「お母さん、ずっと……朝も晩も働いてて、このままじゃきっと身体壊しちゃうに決まってるんです。だから、あたしが行って、お母さんを楽にさせて上げないとダメなんです」
 あー、うるせぇ……と思いながら、中洲中尉は投げやりに説明する。
「よく考えろ。金を理由にお前が戦争に行って、死んじまったら何にもならないだろうが」
「あたしが死んだら、国がお金を出しくれるって聞きました!」
 それを聞いて、中洲中尉の中で何かが音を立てて切れた。
「ふざけんな!!馬鹿野郎!!!」
 操縦桿を握る手が震えるほど中洲中尉が叫ぶのを聞き、美鈴が小さな悲鳴を上げた。
「いいか!?よく聞け!君は未成年だ。親や社会にその身を守られる権利があるはずだ。これは軍事行動を理由にした拉致誘拐だ!俺は犯罪に手を貸すつもりはないし、君の意見を聞こうとも思わない!!」
 ぐずぐず鼻を鳴らしながら美鈴が泣き出し、中洲中尉は慌てて口調を柔らかい物に戻す。
「……君がお母さんを心配しているのはわかる。けどな、どこの親が子供を戦争に送り出したがる?」
 言いながら、中洲中尉は自分があまりにも偽善的なことをしていると思っていた。
 彼女を基地に戻し、事情を説明しても、別の隊員が『空飛ぶ黒猫亭』に飛ぶことになるかもしれないし、よしんば、美鈴を家に帰すことができたとしても、違う少女がユニットに乗り込むことに違いは無いだろう。
 それでも……中洲中尉は美鈴を『空飛ぶ黒猫亭』に送り届けるのは絶対に嫌だった。
 こんな娘を戦争に使うのは絶対に間違えている。本気で、そう思っていた。
 再び基地がある淡路島が見えたとき、Pi!と小さな電子音が鳴り、神経を逆撫でするビープ音がヘルメットの中で鳴り響いた。
 スクランブル通信による強制割り込みだった。
『こちら『空飛ぶ黒猫亭』です。ルイン・コフィンの成層圏突入を感知しました。作戦コード:R―1543―042は、下記のポイントに急行してください』
「ルイン・コフィン?」
『宇宙人の卵のことです』
「あれがまた来たのか?」
 なんでこんなときに……。
『送らせてもらったポイントで、『空飛ぶ黒猫亭』は貴機を回収します』
 何故だ?何故、宇宙人は地球に攻めてくるんだ!!?
 いや、それよりも……この娘は、どうしたらいいんだ?このまま命令無視を続けて基地に連れ戻すのか?しかし、やつらが来たのなら、またあのゴーストサークルが作られ、大勢の人が消されることになる。だが、この娘は……いま後ろの座席で小さな泣き声を零している美鈴の出会ったときの笑顔を思い出し、中洲中尉は初めて自分の気持ちに気付く。
 俺は……自分が嫌だから、美鈴に戦争をさせるのが嫌だから、命令拒否をしようとしていたのか?
 黙って立っていたら美少女で通じそうな、出会ったばかりの少女に、自分が恋愛感情を抱いているとは思わなかった。それでも、美鈴に好意は持っているのは間違いなかった。
 だから……嫌だったのか、俺は?
 唇を噛み、中洲中尉は臓腑から絞り出すような声で、
「了解した」
 と答えた。送られてきたポイントを確認し、機首を東に向ける。
「……すまない」
 いまもすすり泣く美鈴に、中洲中尉はそれだけしか言うことができなかった。
 晴れ渡った青い空に白い飛行機雲を残し、二人を乗せた戦闘機は飛び去って行った。