薄闇の堕ちる部屋で、芽衣はひとり踊り続ける。風も無い部屋の中で巻き上がる紙片を追い、その指を伸ばし、たどたどしいステップで何度もターンを繰り返し……。
 その指先が触れた紙片は泡と消え、部屋の片隅に積まれた他の紙片の上へと舞い落ちる。
「誰も……」
 歌うように芽衣は呟く。
「死んじゃダメ……だから」
 舞い散る紙片を追い、芽衣は薄闇の部屋の中で、ひとり踊り続ける。
 
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第二話 許されざる少女たち―後編― 
 
 
 地球軍の狂ったような特攻と三機のユニットの急上昇を描くメインディスプレイを前に、『空飛ぶ黒猫亭』のブリッジは騒然としていた。
「女子力エンジン出力限界を突破!」
「地球全域に磁場の異常が発生しています」
「情報爆発多数観測……発信源、特定できません!」
「ユニット各機完全にコントロールを失っています」
「バイオ・センサ読み取れません!」
 苦々しく花房博士は髪を掻き毟り、
「データ収集怠るな!!」
 と叫ぶ。
「強制合体信号をキャッチ!フォーメーション・サード!」
 暴走しているのは、沙希か!!?あの馬鹿女め!!
「……なぁ」
 狂ったように頭を掻き毟る花房博士に、中洲中尉が後ろから声を掛けた。
「なんだ!!?僕は忙しいんだ!」
 目をギラ付かせ前を睨んだまま、花房博士は振り返りもせずに叫ぶ。
「あぁ、それはわかっている。だから、聞きたいんだが……『空飛ぶ黒猫亭』には、NUSCOCONATS‐MarkⅡ以外の戦闘機は無いのか?」
「なに?」
 ゆっくりと花房博士は、首を巡らし顔だけを中洲中尉に向ける。
「あの子らの援護に出てやりたいんだが、自分は非武装で来たから、出来れば武装か、別の機体があれば、それを使わせてほしい」
 じぃっと中洲中尉の顔を見て、花房博士は抑揚の無い声で、
「……あるぞ」
 と答えた。
   
 
 その格納庫は『空飛ぶ黒猫亭』の最下層にあった。
 移動中のエレベーターの中で、壁に背を預け、花房博士が誰とも無く呟く。
「……九条有希一尉という自衛官を知っているか?」
自衛官?」
 眉を寄せ、中洲中尉が聞き返す。
「あぁ……当時はまだ自衛隊だったからな」
 独特な病的な目で花房博士は、じっと中洲中尉を見て、
「……知っているか?」
 同じ質問を繰り返した。
「いや、聞き覚えが無いな」
 小さな溜息を吐き、花房博士は視線をエレベーターの床に落とす。
「九条沙希君の実姉で……この戦争の最初の戦死者だ」
「なに!?」
 実質的な戦闘が不可能であり、ゴーストサークルに取り込まれた人たちは、死亡したのではなく消去されたと認識されている現在……この戦争での戦死者として記録された人物は存在していなかった。
「どういうことだ?」
 その険しい声音に、花房博士はじろっと中洲中尉を睨む。
「簡単なことだ。政府の公式発表以前に、ルイン・コフィンと接触した人間がいたということだ」
 中洲中尉に声を挟ませる余裕を与えず、
「どういう経緯で戦闘になったのかは不明だ。とにかく彼女はルイン・コフィンと戦闘状態に入り、全ての武器弾薬を使い果たし、最後の手段である特攻を仕掛けた。……そして、見事撃墜した。政府の連中は知ってたんだよ、ルインに唯一有効な攻撃方法を、な」
「しかし……」
「そう、特攻を推奨するわけにはいかない。政府は全ての情報を闇に隠し、それ以外の手段を探そうとした。九条有希一尉が撃墜したルイン・コフィンの残骸から未知のテクノロジを解析し、我々人類の手でルイン・コフィンを作り上げようとしたのだよ」
「それが……女子力エンジンか?」
 最下層に辿り着いたエレベーターのドアが開き、薄暗く埃っぽい廊下へと続く扉が開く。
 躊躇うことなく花房博士はエレベーターからの光が零れる廊下へ歩き出し、中洲中尉がその後に続く。すぐにエレベーターの扉は閉じ、廊下は薄闇に包まれる。
「違う」
 ぼそり、と花房博士は呟く。
「女子力エンジンは、あくまでも副産物でしかない。あれは……ルイン・コフィンが持つ、概念を顕現する力を集約させた特殊なシステムだ」
「じゃぁ……ダメだったのか?」
「いや、我々人類は……私は、ルイン・コフィンを修復することに成功した」
 熱に魘されたような目を前に向け、花房博士は大股に歩き続ける。
「そして、そのテクノロジの結晶を、私は再び分解し、再構築し…………作り上げたのだ!!人類の最終兵器を!!!!」
 身悶えし、髪を掻き毟り、唐突に花房博士は走り出した。
「だが!しかし!!」
 中洲中尉は慌てて、その背中を追って走り出す。
「あれは人類が触れてはいけない物だった!!」
 まるで悪夢の追われるように、もがきながら花房博士は走り続ける。
「破滅だ!死と破滅が訪れるぞ!絶望が全てを支配し、人は神を呪い、ルインさえもその神に怨嗟の言葉を吐くだろう!!」
 廊下の突き当たりで、縋り付くように巨大な扉に手を着いた花房博士は、彼自身がすでに絶望しているかのような苦しげな顔で振り返る。
「それでも……あの少女たちを救うことはできる」
 巨大な鎖で封印された鉄扉を前に、中洲中尉はその不気味さに唖然とする。
「女子力エンジンに接続された者は、その存在を概念的に固定される……故に、どのような情報であれ、直接、彼女たちに触れることはできない。しかし!それ以外の曖昧な情報の集合体であるものたちは……根源から崩れ去ることになるだろう」
 小さなリモコンを手に、花房博士は中洲中尉を見る。
「それでも……君はあの少女を守るために行くか!?」
「いや、俺は……」
 あの少女、と特定の人物を示され中洲中尉は戸惑いと焦りを顔に出す。
「隠す必要は無い。君が那岐美鈴に好意を持つことは不自然ではないのだ。そういう素体を私は選んでいるのだからな」
「素体?」
「そう、素体だ。無条件に人を惹きつける美少女……見る者全てを虜にする存在を、私は選び出し、女子力エンジンと直結させているのだ」
 黙り込む中洲中尉を薄笑みを浮かべ見て、花房博士はもう一度だけ聞く。
「どうするかね?」
 
 中洲中尉はじっと黙ったまま……答えることができなかった。那岐美鈴を守りたい、助けたいとは思う。しかし、その代償があまりに意味不明だった。この扉の封印を解くことで何が起こるのか?
 花房博士はリモコンのスイッチに指を掛けたまま、中洲中尉の答えを待っている。
 目の前の男は聞いている……一人の少女を取るか、他の全ての存在を取るのか……と。
 答えは……ここに来るまでに出ていたはずだった。戦況はあまりに不利であり、自分は那岐美鈴を絶対に死なせたくなかった。そして、中洲中尉は、地球軍の狂ったような特攻の意味をそこに知る。
 そうか……虜にするとは、そういうことなのか。
 中洲中尉は、じっと花房博士の病的な目を見返し……小さく頷いた。
 
 花房博士がリモコンのスイッチを押すと同時に、扉を封印している巨大な鎖が次々と爆発した。
 巨大な破片が落ちて来るその中で、花房博士は微動だにせず立っている。地響きを立て、落ちた破片が転がり、埃が舞い上がる。轟音が反響し、全ての音を消し、その音の洪水の中で巨大な扉が開かれる。
 その向こうに、機首を上に向け、格納された戦闘機の姿があった。
 獲物に襲い掛かる猛禽類を思わせる動物的なデザインの機体を染めるは、艶やかな黒。コックピット周辺と翼の一部にアクセントして濃い灰色が使われ、それが機体の黒さを強調している。凄絶な美しさが結晶化したような、その戦闘機に墨痕鮮やかな朱墨で描かれた文字が浮かび上がっていた。
 その銘は“月影”だった。
 再び静寂が戻った格納庫で、花房博士が静かに呟いた。
「これが人類の棺……月影だ」
 
 
 衛星軌道近く……NUSCOCONATS‐MarkⅡの三機のユニットであるオレンジペコ、シナモンアップル、ストロベリフィズの姿があった。
 七瀬あきらは無表情にコントロールを失った操縦席で、勝手に動き続ける操縦桿と計器を見つめている。
 那岐美鈴は急上昇のGに耐え切れず、鼻血を出して気絶していた。
 九条沙希は自分の姉と同じ手段で戦う戦闘機を見せられたことで恐慌状態に陥っていた。いまも長く艶やかな髪を掻き毟り、泣き続けている。そして、その意識の暴走がNUSCOCONATS‐MarkⅡを支配していた。
 
 ストロベリフィズ、オレンジペコ、シナモンアップルの順に並んだ三機のユニットは静かに合体を始める。
 ストロベリフィズの外装が開き両脚が剥き出しになると、それは機体から離れ、すぐ下に控えていたシナモンアップルに接続される。それと入れ替えにシナモンアップルから伸びた華奢な腕がストロベリフィズを抱くように装着された。
 オレンジペコは放熱フィンを露出させるとその機体を左右に分離させ、ストロベリフィズの背中から起き上がる美少女の頭部を待ち、頭部と両腕であるストロベリフィズと両脚であるオレンジペコを挟み込むように繋ぎ止め……激しい振動が三機のユニットを襲った!
 機体がバラバラに崩壊しそうな振動の中、次々と合体が解除される。
 完全に分離した三機のユニットは、重力に引き寄せられ、墜落を開始した。
 
 
 その遥か下方、海上に近い空の上では巨大な重なり合うプリズムである敵機動兵器を中心に無数のハエが飛び交っていた。そこに地球軍の戦闘機の姿は一機も無かった。
 
 
 花房博士が戻った『空飛ぶ黒猫亭』は、すでに静寂だけが支配する世界と化していた。
 地球軍の戦闘機は全滅し、最後の切り札であるNUSCOCONATS‐MarkⅡは合体を失敗し、大気摩擦で焼かれながら堕ちて行く最中だった。
 露骨に舌打ちをして、花房博士は激を飛ばす。
「情報収集を怠るなと言ったはずだ!!通信兵!NUSCOCONATS‐MarkⅡに対する呼び掛けを絶やすな!!月影を出すぞ!最下層格納庫を開け!!」
 花房博士の叫びを聞き、通信兵の少女がチャンネルを操作し、呼び掛けを再開する。
「七瀬訓練兵!那岐さん!九条さん!!返事をしてください!!こちら『空飛ぶ黒猫亭』です!NUSCOCONATS‐MarkⅡ!返事をしてください!!」
「各地で発生していた情報爆発は終息の方向にあります」
「女子力エンジン出力低下……休眠状態に入りま――いえ、活動再開!いや、しかし、これは???」
 オペレーターの曖昧な言葉に、苛立ちを隠さず花房博士は叫ぶ。
「はっきり言え!聞こえんだろうが!!」
「女子力エンジン出力を取り戻しました!が、過去に見られなかった波長を示しています!!ゼロポイントから反転し、全ての波長がマイナスを示しています」
「なに?」
 その花房博士の言葉に重ね、
「月影、射出します!」
 女性オペレーターの声が重なった。
 ガクン!と激しい振動が『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジを揺らす。
 サブディスプレイに映し出されていた黒い月影の機体が一瞬で小さな点になる。
 そのディスプレイに一瞬だけ目を向け、
「頼んだぞ」
 誰にも聞こえない声で花房博士は呟いた。
 
 
 月影のコックピットの中で、中洲中尉は今までに見たことの無い空を見ていた。
 これは比喩ではなく文字通り世界が過去に触れていた物と違っていた。発進と同時に意識が機体と直結させられた中洲中尉は一人でも一機でもなく、一匹の獣として空を駆っていた。
 機体の残す黒き影が巨大な翼となり、機首は獲物を狙う鶴首と化し、コックピットは隻眼の輝きを放つ。
 那岐……那岐……待っていろ。いま行くぞ。
 黒き翼を持つ獣は愛する少女を守るために、大気を切り裂き飛び続けた。
 
 
 その黒い影を見送る無数の影が存在していた。それは……無人島に振り落とされた地球軍のパイロットたちだった。
 彼らは、なぜ自分が生きているのか、なぜここにいるのか理解できなかった。
 特攻を仕掛け、死んだはずの彼らは見えざる手で救われ、ここに集められていた。そして、その事実に呆然としていた。
「どうなってるんだ、これは」
 エリックはもじゃもじゃのヒゲを手で何度も摘みながら、声に出して呟く。
 辺りを見ると、膝を着き自らの神に感謝を捧げている者の姿も少なくはなかった。
 奇跡……そう呼ぶには、あまりに異常な事態だった。しかし、ならば、自分が生きていることをどう説明する?何が起こったのか、わからない。そうとしか言いようが無かった。
 パシィン!
 肉を打つ派手な音が、静かな砂浜に鳴り響いた。
 振り返ると、それはブロンド女が、にやけた優男の頬を叩いた音だった。
 男は無様に鼻血を出し、女はボロボロと大粒の涙を零している。
「この馬鹿!どうして一人で行っちゃうのよ!?」
「いや、でも……しょうがないだろ?あの場合……」
「うるさい!死ぬのが格好良いとか思ってるの?特攻なんか馬鹿のすることだ!故郷に帰って子供産めとか……あんた、あたしを何だと思ってるよ!!?」
 子供のように泣き叫ぶ女を前に、男はおろおろとするだけで、何も言えずにいたが、不意に何かを思い出したように顔を輝かせた。
「でも、ここにいるってことは、お前も特攻したんだろ?だったら、俺だけ馬鹿じゃ――」
「当たり前でしょ!!あんたのいない世界で、あたしにどうしろってのよ!!!」
 今度は反対側の頬を叩かれ、男は尻餅を着いた。
「……アニー」
 男は叩かれた頬に手を当て、目をぱちくりとさせた。
 それを遠巻きに見ていた男たちが囃し立てる。
「よぉ、色男。……もう言うこと決まってるだろ?」
「そうそう……年貢の納め時だな」
「さっさと言っちまえ」
 男は立ち上がると、フライトスーツの尻に付いた砂を払い、ブロンド美人の前に立った。
「アニー……」
「なによ?」
 アニーと呼ばれたブロンド美人は、少女のように頬を膨らませ、拗ねた表情で男を見る。
「結婚してくれ」
「なに、それ?他に言いようは無いの???それでプロポーズのつもり?」
 男はブロンド美人を抱き寄せ、
「嫌なのか?」
 と笑いながら聞き、女は……
「馬鹿」
 と優しく男の向う脛を蹴った。
 そして、豊かなブロンドの髪に触れ、男が顔を近付け……アニーがその頬を押し返しながら、
「鼻血くらい拭いてよ!この馬鹿!!!」
 と叫んだ。
 明るい笑いが巻き起こり、そこにいた全ての者が肩を抱き合い、自分たちがいま生きているという幸せを祝いあった。
「全く……どうかしてやがるぜ」
 エリックの呟きを聞き、遠くに立つ少年が駆け寄ってきた。
「親父さん……親父さんでしょ?」
 聞き覚えのある声の少年は……娘を紹介してくれと言っていた新兵だった。
「お前さんも無事だったんだな」
「はい!」
 その明るい若さに満ちた笑顔を見て、エリックは黒い機体が飛び去った方に目を向ける。そして、横に並んで立った少年が同じ空を見て、小さく呟いた。
「……勝てますよね?」
 エリックはその問いに答えなかった。勝てるか、勝てないかはわからなかったからだ。だが、せめて……と、エリックは声に出さず祈る。
 自分たちを救ってくれた神の御手が、あの少女たちを守ってくれることを。