■
大気摩擦で白熱するオレンジペコの中で、七瀬あきらは静かに目を閉じていた。
徐々に上がっていく機内の温度を感じ、このまま落ちていけば、機体が燃え尽きる前に中にいる自分が先に死ぬだろうと思う。
それも仕方なかった。この重力落下から抜け出すだけの出力をユニットは持っていない。
何も出来ない。出来るのは……自ら加速し、己の死を早めることだけだった。
眠るように目を閉じていたあきらの眉が僅かに寄せられる。自分しかいない操縦席の中で、芽衣の香りを感じたからだった。
幻臭?
いや、このオレンジペコは元々芽衣が乗っていたい物だ。彼女の残り香があったとしても不思議じゃない。
でも……芽衣の香りに抱かれて死ぬなら、それも悪くない。
薄い笑みを浮かべるあきらの目が、不意に大きく見開かれる。
自分の細い身体を抱きしめる弱々しい腕を感じ、その耳に、
『諦めないで……』
愛する少女の囁きを聞く。
「芽衣?」
その呟きに答える声は無い。しかし、いまここに芽衣がいた!!?
戸惑うようなあきらの表情が、徐々に強く引き締められた物に変わる。
いま、ここで自分が死ねば、あの傷付いてしまった優し過ぎる少女を誰が守る!?
生き残ることを諦め、弛緩していた指先が、躊躇うように操縦桿を求め……強く握り締める。
諦めない……諦められない!絶対に!!
ゆっくりと呼吸を整え、あきらは燃え上がるオレンジペコの中で、戦う意思を強く取り戻す。
あたしは負けられない!
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第二話 許されざる少女たち―完結編―
いま一匹の黒き獣が天空を睨み、その翼を羽ばたかせ一筋の光となって飛んでいた。
その獣は……中洲中尉であり、月影でもあった。
彼は自分を縛る重力に抗い、より速く!より強く!と何度も何度も羽ばたいていく。
那岐……那岐……。
愛しき少女の名を、ただそれだけを力に獣は飛び続ける。
そして、青一色の空に輝く三つの流れ星を、そのただ一つの目が捉えた。
オレンジペコの中で、あきらは他のユニットに声を掛ける。
「那岐、沙希さん……聞こえる?」
『聞こえます』
『は、はい。聞こえてます』
合体に失敗したときの衝撃で、那岐美鈴は意識を、九条沙希は正気を取り戻していた。
ふぅ、と小さく安堵の息をあきらは漏らす。
「現在、オレンジペコとシナモンアップル、ストロベリフィズは大気圏突入時の摩擦で燃え尽きようとしている。でも、ユニットには、それを回避する能力がない」
二人は息を詰め、あきらの次の言葉を待つ。
「これを回避する方法はただ一つ」
成功率は0に近い……しかし、それ以外の方法は存在しない。あきらは声が震えないように意識的に短く言い切る。
「合体だけ」
はっと那岐と沙希が息を飲む。
「この超高速の中で出来る合体は、フォーメーション・セカンド」
「セカンド……」
沙希が溜息のように声を漏らす。
「那岐」
「はい」
「合体後の操縦は、あなたに委ねられることになる」
那岐は答えない。
「出来ないとは言わせない」
「……わかってます」
あきらの予想に反して、那岐は強く答えた。
「でも……」
「なに?」
細い眉を微かに寄せ、あきらが聞く。
「さっきの、合体の失敗ですよね?今度は大丈夫なんですか?」
そう、それが問題だった。今度、失敗すれば三人ともが確実に死ぬことになる。
「あ、あの……」
おずおずと沙希が会話に入ってきた。
「さっき失敗したのは、あたしたちの意識が同調してなかったからなんです」
「え?どういう意味ですか?」
「だから、NUSCOCONATS‐MarkⅡの合体には、あたしたちの想いがひとつになっているときっていう条件があるんです」
それは、あきらにも初耳だった。
「どういう意味?」
那岐と同じ言葉で、あきらは沙希に問い掛ける。
「えと……気持ちがバラバラだと機体を合体させても、三人の概念を重ねることができなくて、拒絶反応が出るんです」
さっきの強制解除は、それだったのか。
「でも、普通の戦闘状態だったら、何の問題も無く合体できるはずなんです。戦うっていう意思がNUSCOCONATS‐MarkⅡを安定させることになる……って、花房博士は言ってました」
いまは普通の戦闘状態じゃない……なら、どうすればいい?どうすれば三人の想いを重ねることができる?
メインブリッジで初めて見た那岐美鈴の姿を思い出し……拗ねたような顔で、横に立つ背の高い男性を見ていた那岐の様子を思い出し、あきらはあっさりと答えを掴んだ。
「あたし、芽衣が好き」
何の前置きも無くあきらが告白した。
「え?」
と那岐は驚き、あきらと芽衣の関係を知っている沙希は耳まで真っ赤になった。
「でも、あれ?女の子同士ですよね???」
「そう。でも、あたしは芽衣を愛している。それに……」
と一旦言葉を切り、
「沙希さんは花房博士が大好きなの」
と繋いだ。
「な?なななな、なんで知ってるんですかーーー!??」
「見れば誰でもわかります」
「だ、誰でも?」
「はい」
沙希は泣き出しそうな顔で、下を向き黙り込んだ。
「だから、沙希さんはNUSCOCONATS‐MarkⅡに乗り込んでいる。それに花房博士の押し掛け助手をしてるのも、それが理由のはず」
沙希は何も答えない。
「那岐」
「え?あ、はい」
「あなたは、誰か好きな人はいる?」
しばらく悩むような沈黙の後、強い意思を感じさせる短い返事が返ってきた。
「はい。います」
「その人を守りたいと思う?」
「え、えと……」
戸惑いながらも、明るい声で那岐は答える。
「どっちかいうと、守ってほしいんですけど……でも、そうですね。守りたい、かもしれないです」
その言葉に、あきらは薄い笑みを浮かべ、小さく頷く。
「なら、あたしたちみんな自分の好きな人のために、NUSCOCONATS‐MarkⅡに乗っていることになる」
「はい」
「うぅ……」
真っ直ぐな明るさを感じさせる那岐の返事と、恥ずかしそうに口篭る沙希の返事を聞き、あきらは自分の気持ちを心の中で確かめる。
あたしは芽衣が好き。だから……戦う。
「好きな人のために戦う。あたしたちにはそれで十分……いいえ、それしか無い!」
返事は無かった。しかし、想いは同じだった。それを感じることができた。
行くわよ!
「フォーメーション!セカンド!!」
あきらが叫び、那岐が、沙希が合体スティックに手を伸ばす。
『NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!合っ体!!!』
重なる叫びと同時に、三人はスティックを引いた。
成す術も無く見守る『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジに男性オペレーターの叫びが飛ぶ。
「NUSCOCONATS‐MarkⅡ!合体フォーメーションに入りました」
腕を組みメインディスプレイを睨む花房博士の横にある、通信コンソールでNUSCOCONATS‐MarkⅡに呼び掛け続けていた通信兵の少女が、顔を輝かせてその様子を見ようと振り返った。
「呼び掛けを絶やすな」
意外なほど優しい花房博士の声を聞き、
「はい!」
通信兵の少女は自分の仕事に戻る。
大気摩擦で燃え上がる三機が、機体を軋ませながらその機動を変え……更に加速した!!
シナモンアップルを先頭に、ストロベリフィズ、オレンジペコの順に並び螺旋を描きながら墜落する速度を遥かに超え堕ちて行く。
「ひ……ぎぃ」
歯を食い縛り、那岐はその加速に必死に耐える。
「姉さん……みんなを守って」
胸の前で両手を組み、沙希は祈りに集中する。
「……くっ」
計器を見る余裕も無く、あきらはただ前を飛ぶストロベリフィズの姿を睨み、意識を集中する。
外装を開き、しなやかな脚を剥き出しにしてストロベリフィズが左右に別れ、その後方に位置していたオレンジペコがストロベリフィズの間に割って入る。挟み込むようにストロベリフィズが再び一つになり、二機が合体を終え、シャツを着るように華奢な腕が合体した二機の先端から伸ばされ……大きく左右に広げられた。
シナモンアップルがその進入角度を変えるように二つに折れ、その中央から美しい少女の顔が姿を現し……先に合体を終えた二機と重なる。
三機が一つになり、ファイバー繊維の銀色の髪が流れ、NUSCOCONATS‐MarkⅡセカンド・フォーメーションが金色の瞳を開く。
そして、シナモンアップルの操縦席で那岐美鈴は蒼白い輝きに包まれた。
唐突に現れた青い空と遥か下方に広がる無限の海に、那岐は驚きを隠せなかった。
髪が風に巻かれ後ろに引っ張られる。いつの間にか着込んだ長衣が広がり、風を孕んでいる。何が起こったのか那岐には理解できなかった。
なんで、あたし……空を飛んでるの?
しかし、それは大きな勘違いだった。NUSCOCONATS‐MarkⅡである那岐は空を飛んでいなかった。ただ落ちているだけだった。。
「聞こえますか!!?NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!」
耳の奥から少女の声が聞こえ、那岐は
「え?」
と間抜けな声を出した。
「飛べ!!そのまま落ち続けたら落下の衝撃で死ぬぞ!!!」
「わひゃぁ!??」
いきなりの花房博士の叫び声に、那岐であるNUSCOCONATS‐MarkⅡはバランスを崩し、くるくると回り始める。
「翼を出してください!!」
通信兵の少女の叫びに、
「違う!!パドルだ!!パドルを持っているだろう!それだ!それで空を漕げ!!!」
「パ、パドル???」
「オールだ!櫂だ!!船を漕ぐ道具だ!!!」
何か棒のような物を握っているのは気付いていたが、それが船を漕ぐ道具だと那岐は知らなかった。それ以前に、船はどこにも無かった。
「え?えええ???どうしたらいいんですか?」
「自分で考えろ!!!」
「うわ、やっぱサイテー」
花房博士の叫びに続き、小さな呟きが聞こえ……那岐は見る見る近付いてくる海に向かって悲鳴を上げた。
「きゃぁぁぁああああ――っ」
ぽふん。
柔らかい感触に抱かれ、不意に落ちる感覚が無くなった。
「え?」
見ると、巨大な鳥とも獣ともわからない生き物の背中に、那岐はちょこんと座っていた。
「……間に合ってくれたか」
遠くから花房博士が、長い溜息のように呟くのが聞こえてきた。
『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジのディプレイに、巨大な黒い鳥のような獣の背中に座り込む美少女の姿が映し出されていた。
肩の上で切り揃えられた空色の髪を流し、琥珀色の瞳も大きく驚きの表情でいる美少女の詳細情報が、画面の左下に描き出されている。
height:158cm
weight:49kg
B:77cm W:61cm H:84cm
wing:unavailable
arms:sweep oar
name:NUSCOCONATS‐MarkⅡ
mode:explode
エクスプロード・モードと示された美少女の表情は、その爆発を意味する名とは無縁のきょとんとした可愛らしいものだった。
もちろん、前回に引き続き愛称の募集はされているが、今回は混線することも無く、全世界の管制塔を通じ、同時通訳されワールドワイドの募集となった。
「しかし……合体するたびに特殊モードになられたのでは、収集した情報の整理が追い付かんじゃないか」
花房博士は、自らの額を手の平で叩き、
「いや、突発的に情報が増えるよりはマシか?いやいやいや……このままでは情報収集そのものが追い付かなくなる可能性も出てくる」
通信コンソールを離れ、ブリッジの中を大股に歩き出した。
背後でぶつぶつと言い始めた花房博士を無視して、通信兵の少女がNUSCOCONATS‐MarkⅡに話し掛ける。
「NUSCOCONATS‐MarkⅡ……えと、いまは那岐さんですか?」
「え?あ、そうです。あたしです」
左右をきょろきょろと見ながら返事をする美少女の様子に、通信兵の少女はくすっと笑みを浮かべる。
「いまあなたが乗っているのは、『空飛ぶ黒猫亭』の特殊戦闘機“月影”です。操縦しているのは地球軍の中洲中尉で……」
その名を聞かされただけで、獣の背中に乗る美少女は、ボッと音が聞こえそうな勢いで耳まで真っ赤になった。あわあわと焦り出し、
「ご、ごめんなさい。あの……あの、あたし、重くないですか?」
と、背中に手を着き、獣の鶴首を覗き込んで聞いている。
しかし、言葉を失った獣は何も答えない。代わりに、ふっと一瞬で高度を上げ、平気だと意思表示をしていた。
「中洲中尉は、現在通信不能の状態になっています。でも、あなたの声だけは聞こえてるみたいですね」
「……そうなんですか」
心配そうに獣を見ながら美少女が答える。
「現在の戦況を説明します。いま月影は敵機動兵器に向けて飛んでいます。が……」
そこで通信兵の少女が一瞬言葉を切り、那岐は耳を傾けるように首を傾げる。
「地球軍の戦闘機部隊はすでに全滅しました」
全滅の言葉に、那岐はビクッと震える。
「敵機動兵器はゴーストサークルを展開することなく、さきほどのポイントからほとんど動くことなく浮遊しています」
那岐はじっと進行方向を見るが、まだ何も見えて来なかった。
「前回の侵略行為を迎撃されたことから、ルインは物理的な攻撃を目的としたルイン・コフィンを送り込んできたと考えるべきだな」
唐突に花房博士が会話に入ってきた。
「敵の物理的な攻撃力は全くの未知数だ。何が起こるか予測できん。だから、持てる能力の全てを使い一撃で破壊しろ。攻撃方法はわかるか?」
花房博士の問いに、那岐である美少女は人差し指で顎に触れ、少し上を向いて考えた後、
「わかります……たぶん」
と答えた。
「たぶん?」
「あ、いえ……わかります」
慌てて答える那岐の目に、海上に浮かぶプリズムの集合体が遠くに見えてきた。
月影の背中に立ち、真っ直ぐに風を受けながら、身長の二倍近くある櫂の中心を、拳を合わせるように握ったNUSCOCONATS‐MarkⅡである那岐の姿があった。
うん。わかる。……戦える。
那岐は櫂を握った手を正面に向け、くるりとそれを回した。その動きに呼ばれたように、那岐の乗る月影の周辺に五個の渦巻く空間の歪みが生まれる。
ゆっくりと櫂を後ろに振り被り、那岐は目を細め狙いを付ける。ゆっくりと息を吸い……
「いえりゃぁああ!!!!」
掛け声と同時に櫂で、敵であるプリズムを指し示す!
轟!!!
周囲の空気を巻き込み、五個の歪みが同時に打ち出される。
プリズムの周囲に飛び交っていたハエはその衝撃波に巻き込まれ原子分解され塵も残さず消え去る。が、衝撃波はプリズムを翳めただけで、その背後に広がる海に吸い込まれ……次の瞬間、目に映る全てを震わし、海が爆発した!!
『空飛ぶ黒猫亭』も同時にパニック状態に陥った。
「衝撃波、海底プレートを直撃!!」
「地軸と自転に歪みを観測!!」
「世界各地で微弱な地震が発生しています」
「最終振動伝達率0.0005%」
「津波が発生します!沿岸地域の避難勧告を!!」
「大規模な真空の発生で気象異常が始まっています」
行き交う情報を耳に、花房博士は呆然と呟く。
「これが……エクスプロード???」
はっと我に返り、花房博士は通信コンソールに飛び付く。
「馬鹿野郎!!地球を割るつもりか、お前は!!?」
「え?でも、博士が思いっきりやれって――」
「物には限度があるだろーが!!!ちったぁ手加減しろ!このど阿呆が!!!!」
花房博士の罵詈雑言に、メインディスプレイに映し出されているNUSCOCONATS‐MarkⅡである美少女の頬がぷくっと膨れ上がった。
「そんな器用なことはできません!あたし一生懸命やってるのに!!どうして、そんなこというんですか!!?」
「どうしてって……おま、いまの一撃で地軸と自転に異常が出たんだぞ!!!」
「そーですか?」
視線を外し、口元を歪め、那岐が面倒臭そうに返事をした。
「な、なんだお前、その態度は!!?」
メインディスプレイと通信コンソールを交互に見て、頭から煙を噴き出しそうになっている花房博士を押しやり、
「いい加減にしてください!!!!」
通信兵の少女が大声で叫んだ!
「花房博士はもう何も喋らないでください!彼女を怒らせて、どうするんですか!?もう、あっちに行ってください!!」
「な!?」
「通信業務は私の仕事です!邪魔しないでください!!」
通信兵の少女の剣幕にメインブリッジ全体が静寂に包まれる。その静けさの中で、彼女は冷静にNUSCOCONATS‐MarkⅡである那岐に話し掛ける。
「那岐さん、よく聞いてください。いまの一撃で地軸と自転に歪みが発生して、津波や地震も起こっているんです」
半泣きの美少女は、拗ねた口元のまま何も答えない。
「初めての戦闘で手加減なんかできないのはわかります。でも、これ以上地球にダメージを与えるのは非常に危険なんです」
「……うん」
消えてしまいそうな声で那岐は答えた。
「だから……次は絶対に外さないでください。敵に命中させることで、例え敵を貫通することになっても、周囲への影響は最低限に抑えられるはずです。わかりますか?」
巻き上げられた海水が雨のように降り出した中で、那岐である美少女は小さく頷く。
それをメインディスプレイ確認し、通信兵の少女は花房博士を振り返る。
ビクッと飛び上がり、花房博士は震える声で、
「な、なんだ?」
と聞いた。
「彼女に指示を」
「あ、あぁ…そうだな」
コホン、と咳払いをして花房博士は那岐に声を掛ける。
「あー……那岐、さっきはすまなかった。あまりの事態に冷静さを無くしていたようだ。許してくれ」
花房博士の謝罪の言葉に、那岐だけではなくメインブリッジのオペレーター全員が驚いた。その中で、通信兵の少女だけは「当たり前です」と言いたげに頷いている。
「あ、あたしも……悪かったです。ごめんなさい」
「いや、君は謝らなくていい。それよりも聞いてくれ」
普段のペースを取り戻した花房博士は状況を分析し、的確な指示を探りながら話し出す。。
「地球への影響は想定外だった。が……それでも全力での攻撃は間違いじゃない。ただ問題は狙いが外れたことだ。概念による攻撃を武器とする限り、理論上狙いが外れることは無いなずなんだ」
ここで一旦言葉を切り、
「人間の感覚で物を見てはいけない」
と、花房博士は言葉を続けた。
「いまの君はNUSCOCONATS‐MarkⅡなのだ。三人の少女の力の結晶であり、無限の可能性を秘めた存在なのだ」
花房博士の言葉に、はっと那岐は顔を上げる。
「……即ち、那岐!いまのお前に不可能は無い!!撃て!NUSCOCONATS‐MarkⅡの全てを、その三つの魂の全てを一撃に賭け、敵を撃ち砕け!!!!」
ズパッと白衣を翻し、拳を突き上げながら、花房博士は最後の激を飛ばす!
「萌えろ!戦場の美少女!!NUSCOCONATS‐MarkⅡ!エクスプロードォ!!!お前の真の力を奴等に!宇宙に知らしめるのだ!!!!」
花房博士の言葉に、NUSCOCONATS‐MarkⅡである那岐は、敵機動兵器であるプリズムの集合体をキッと見据える。
その瞬間、プリズムの集合体から、それ自体が爆発したかのような光弾が四方八方に打ち出された。地球軍の戦闘機部隊を襲ったあの無差別攻撃だった。
巧みに光弾を避けながら月影はプリズムの集合体と距離を離して行き、那岐はその背中で身を低くして被弾を避けていた。
ダメ……この人の背中に隠れるような真似をしてちゃダメなんだ。
「……行きます」
月影に囁き、那岐であるNUSCOCONATS‐MarkⅡは、その背中の上で真っ直ぐに立ち上がった。
正面から来た光弾に、那岐は無意識に左手を差し出してた。
パシィ!
手の平から撃ち出された魔方陣が結界として展開され、光弾を打ち砕いた。結界はそのまま維持され、那岐と月影の防御壁となる。
再び、拳を合わせるように櫂を構え、那岐は目を閉じて意識を集中する。
撃つ!あたしの、NUSCOCONATS‐MarkⅡの全てを捧げて、この一撃を!!
……でも、もし外してしまったら?
その一瞬の不安に、
『大丈夫』
『できます』
あきらと沙希の声が答えた。
「うん。わかってる……やるよ、あたし」
呟く那岐の空色の髪が浮き上がり、長衣に描かれた縁取りが輝き出す。そして、それは櫂に彫られた文様へと移り……櫂の先端部であるエッジが輝き出した。
強く輝く琥珀色の瞳を開き、那岐は櫂を差し上げて円を描く。最初の一撃とは比べ物にならない巨大さと複雑さを持った歪みが三つ生み出される。
ゆっくりと櫂を振り被り、狙いを重なり合うプリズムの中心へと定め……
「いっけぇぇええ!!!」
金色の瞳の軌跡を残しながら、那岐は櫂を振り切った!!
爆音と共に撃ち出された衝撃波は、引き寄せられるように一つとなり……輝く金色の龍にその姿を変える!
雄叫びを上げ、プリズムの集合体に襲い掛かる金色の龍が、その口から蒼白の炎を吐き出す。炎はプリズムの外観を砕き、その奥に隠れた幼さの残る少女の姿と、さらにその向こうに存在する異星の風景を剥き出しにした。
轟!!!
金色の龍は、少女の頭部を含めた上半身の左側を一撃で噛み千切り、異星の海を背後に反転すると、崩れ落ちる下半身を更に噛み砕いた。
残された右腕が、何かを求めるように伸ばされ……静かに銀色の海へと堕ちて行き……プリズムが爆縮するように反転し全てが閉じられる。
そして、地球そのものを揺るがすような衝撃波だけが残された。
『空飛ぶ黒猫亭』のメインディスプレイが、全ての力を使い果たし崩れ落ちるNUSCOCONATS‐MarkⅡを映し出してた。ぺたんと座り込み、そのまま仰向けに転がり、空色の髪の美少女は月影の背中から落ちて行った。
その映像を前に、花房博士は脳裏に焼き付けられた異星の風景を見ていた。
「ルイン・コフィンの向こうに……奴等の星が存在するのか?ならば、ゴーストサークルとは?その奥に存在する触れ得ぬ世界は???ルインの目的とは???」
メインディスプレイの中で、くるくると回りながら落ちて行くNUSCOCONATS‐MarkⅡである美少女が、金色の光に包まれ、三機のユニットへと姿を変える。
「概念を自在に操り、人類を消去すると宣言したルインが……何故、侵略をする?いや、それ以前に問題が存在するぞ。何故!奴等は我々人類に宣戦布告をしたのだ?」
幽鬼のように……ゆらり、と一歩前に歩き、
「概念を扱い、我々人類の消去を目的とする」
メインディスプレイに背中を向け、
「まさか……ルインの目的は――っ」
はしっと左手で自分の口を押さえ、花房博士はその先の言葉を隠した。
それは……その答えは、あまりにも残酷な物だった。
通信兵の少女が敵機動兵器の完全消滅と、作戦行動の終了を伝えている間、サブディスプレイに映し出されている那岐は、ずっと自分の前を手でパタパタと仰ぎ続けていた。
「どうかしたんですか?那岐さん」
その一言でメインディスプレイが三分割され、あきら、那岐、沙希のバストアップが映される。
「あ、いえ……ちょっと吐いちゃって、その臭いが」
たはは……と笑う那岐の右上に位置するあきらが、
「え?吐いたの???」
と聞き返す。
「う、うん。ちょっとっていうか……かなり吐いちゃって」
照れ笑いで誤魔化そうとする那岐を、
「あたしのシナモンアップルの中で吐いたの?あなた」
あきらの一言が凍り付かせた。
「え?あ……」
メインディスプレイの中央に映し出されているあきらの表情は、いつもの無表情に見える。しかし、そのやや斜め横を見る視線に込められているのは、明らかに怒りと嫌悪だった。
通信兵の少女は慌ててフォローを入れる。
「でも、初めてのフライトだったら、嘔吐や失禁は多いらしいですよ。そっちは大丈夫だったんですよね?」
通信兵の少女に問いに、那岐はもじもじと太腿を摺り合わせ、
「あ、あの……」
と口篭る。
「フ、フライトスーツ着てたら、そっちは大丈夫なはずだから、その……気にしなくてもいいよね?」
通信兵の少女は必死にフォローを入れるが、あきらは正面から視線を外し、その頬をピクピクと痙攣させている。
「えと……その、いっぱい出ちゃったみたいで」
まさか?と、あきらの表情が絶望的な物になる。
「シートまで、濡れちゃってるんです」
「――――っ」
あきらが振り仰いで、叫ぼうとした瞬間、花房博士が一枚のメモを持って、
「朗報があるぞ」
と、割って入った。
珍しい花房博士の明るい声に、三人は正面を向く。
「地球軍のパイロットが、全員無事に発見された。場所は戦闘ポイントから500km離れた無人島らしい」
花房博士のもたらした朗報に、三人は三様の反応を見せた。
あきらは眉を寄せ、
「全員が無事?」
と聞き返し、那岐は無邪気に手を叩いて喜び、沙希は困惑の表情を浮かべる。
三人の反応を見て、
「詳細は不明だ。しかし、パイロットが全員無事なのは間違い無い。……今日はご苦労だった」
と締め括り、
「後の説明は任せた」
と通信兵の少女に告げ、花房博士はメインブリッジを出て行った。
月影は……『空飛ぶ黒猫亭』に戻ることは無かった。
戦闘を終えた彼は、真っ直ぐに北上し、赤道を越えたところで消息を絶った。
付近の捜索はされたが、機体の散乱など墜落の痕跡は見られず……ただ、行方不明とだけ処理された。
そして、その深夜……花房博士の自室に、控えめな音のノックが響いた。
「誰だ?」
「あ、あの……沙希です。お夜食をお持ちしました」
「……入りたまえ」
生態コンピュータであるAKIと直結された端末で、過去のデータの全てを洗い直していた花房博士は机を離れ、応接セットに向かう。
ワゴンにコーヒーとサンドウィッチを載せた沙希が、異常なほどゆっくりとした仕草で部屋に入り、花房博士がそれをテーブルに並べる。
「今日くらいは休んでも良かったのに……疲れてるだろ?」
普段、人前では絶対に見せない優しい態度に、沙希は大きく頭を振る。
「大丈夫です!まだまだ元気ですから」
その態度に花房博士は優しい笑みを浮かべ……不意にその表情を曇らせた。
「今日はすまなかった。辛かっただろう。まさか地球軍のパイロットが有希と同じ方法を選ぶとは……いや、少し考えればわかったはずだな。……あれは僕のミスだ」
ソファに深く座り込み、頭を垂れる花房博士の横に立ち、沙希は自分よりも辛かったはずの男の肩に手を置き……ゆっくりとその頬に顔を近付け、
ちゅっ♪
と、キスをした。
「な!?」
突然の不意打ちに驚く花房博士に、沙希は優しく微笑みかける。
「今日のご褒美です」
「ぼ、僕は君にご褒美をもらうことなんかしてないぞ!!?」
キスをされた頬をゴシゴシと擦りながら、焦りまくっている花房博士に、
「違います」
と、微笑を絶やさず沙希は言う。
「あたしがご褒美をもらったんです。……これくらいなら姉さんも許してくれます」
上機嫌な沙希から視線を外し、花房博士はテーブルに置かれたコーヒーを見る。いつも通りのブラック無糖である。沙希特性の塩入りコーヒーと片栗粉入りコーヒーを飲まされてから、彼女の手で煎れたものはブラック無糖で飲むと花房博士は決めていた。
サンドウィッチはスクランブルエッグとチーズを挟んだものだった。
「じゃ、あたしはもう寝ますので……博士も夜更かししちゃダメですよ」
「あぁ、ありがとう……沙希」
名前を呼ばれ、沙希はいままで以上に顔を輝かせた。歌いだしそうなステップを踏んで、花房博士の部屋を出て行く。
そして、微妙に音程の狂った鼻歌を歌いながら廊下を歩く沙希は知らなかった。
一人になった花房博士が、ケチャップではなく苺ジャムが塗られたエッグサンドを食い、トイレに駆け込んだことを。