地球上から見ることの出来ない月の裏側……その深い影の中で、一本の糸が生まれた。
 その黒い糸は生物のように捩れ、二つに折れると互いを求めるように絡み合う。
 寄り添う二つの螺旋は再び二つに折れ、より複雑な組織を作り始める。
 時を待たず、一本の黒い糸は複雑に絡み合う繭となり、ゆっくりと月の影から外れ始めた。
 すでに流れ出した無数の繭の中に紛れ、それは徐々に速度を増しながら地球へと落ちて行った。
 

[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第三話 恋を歌う乙女たち―中編―
 
 
 自らが操縦するVTOLの機内で、花房博士はルイン・コフィンの襲来の報を受ける。が、電波状況はあり得ないほど最悪だった。
 ノルンだけではなく『空飛ぶ黒猫亭』とも、まともに会話が出来ない状態に陥っていた。
 叫ぶ寸前の通信兵の言葉を繋ぎ合わせ、花房博士はルイン・コフィンの襲来だと判断した。
「いいか!私が戻るまで、絶対にNUSCOCONATS‐MarkⅡを出すんじゃないぞ!!待機だ!たとえ地球が滅びようとも、この命令を絶対に守れ!!待機だ!わかったな!!?」
 花房博士の叫びに戻ってきたのは……ノイズだけだった。
 不在時の対処はノルンに伝えておいたが、それでも花房博士は不安だった。
 あの少女たちは、あまりにも幼過ぎる。
 その無垢な想いが奇跡を掴む場合もある。しかし、その反面、あっさりと折れてしまうときがある。
 傷付き壊れてしまった妹を思い出し、花房博士は唇を噛む。
 最初は……復讐のためだった。
 愛する女性を奪われた悲しみと怒りが花房博士を突き動かしていた。その想いはいまも変わらない。奴等を、ルインを根絶やしにするためなら、どんな犠牲も厭わない。
 そう……この四年間、花房博士は全てを復讐のためだけに捧げてきた。そして、それが女子力エンジンを、NUSCOCONATS‐MarkⅡを生み出した。あの少女たちさえも復讐の道具だった。地球など、人類など、どうでも良かった。そのはずだった!!
 なのに今、彼は焦っていた。
 あの少女たちには支えてやる存在が必要なんだ。誰かが守り、背中を押してやらないと戦うこともできない、そんな優し過ぎる少女たちなんだ。
 待っていてくれ……僕が戻るまで、ちゃんと待っていてくれ!
 ほぼ垂直に機首を上げ、蒼空を駆け上がるVTOLの中で、徐々に浮かび上がる星たちを見据え、花房博士は使えるチャンネルを探すため、通信機へと手を伸ばした。……無駄と知りながら。
 
 
 砂状のノイズがメインディスプレイの画像を乱す『空飛ぶ黒猫亭』のブリッジはパニック寸前だった。
 花房博士はもとより地球軍司令部、各国首脳部……地上のどの基地、施設とも通信が不可能になり、『空飛ぶ黒猫亭』は地球上で完全に孤立していた。
 運良く感知できたルイン・コフィンの襲来を地上に伝える術が無かった。いや、それだけではない。『空飛ぶ黒猫亭』の最大の武器である情報を得る手段さえ断たれていた。
 そして、ノルンが伝えた花房博士の命令は“待機”のみだった。
 だが、しかし……断片的に得られる情報と過去のデータから導き出される推測が、オペレーターたちの心の中に不安と焦りを生み出していた。
 無意識に彼女らは自らが出来る手段を探していた。それが花房博士の命令を踏み外すことになると知らず。
 
 
 パイロット専用ロッカールームの扉を開き、トイレから戻った那岐がむすっと膨れたまま入ってくる。
 その那岐に、
「ちゃんと、してきた?」
 と、先に着替えを終えたあきらが聞く。
「……ん」
 短く答えながら、「これはイジメだ」と那岐は心の中で呟く。
 最初の襲撃で失禁した那岐を、自分の愛機であるシナモンアップルの座席を汚した那岐を、あきらはまだ許してなかった。
 だから、ロッカーで顔を見ると同時に、
「トイレは済ませたの?」
 と無表情に聞いてきた。
「ん。さっき行ったとこだから大丈夫だよ」
 那岐の返事を聞き、あきらは意思の強さを感じさせる黒い眉を寄せ、
「さっき?」
 と聞き返した。
「ん〜……なに?」
「もう一度、行って来て」
「え?」
 Tシャツを脱ぎ、肉の薄い綺麗な背中を向け、あきらは同じ言葉を繰り返した。
「だから、さっき――」
「また、おしっこ漏らしちゃうよ」
 あきらは意地悪く幼い声で言う。しかし、その目は冗談を言ってる目ではなかった。本気でトイレに行って来いと思っている。
 二人の表情が徐々に険悪な物に変わっていくのを、おろおろと沙希は見ている。が、あっさりと那岐が折れた。
「行ってくる」
 投げやりに言い、ロッカーを出て行き……すぐに戻ってきた。
 そして、ロッカーに置かれていた着替えを前に、ゆっくりと首を傾げて言った。
「これ、どうやって着るの?」
 下着も一緒に置かれている着替えを指差し、那岐はあきらと沙希に聞いた。
 那岐の言葉に、あきらが近付き、
「脱いで……手伝うから」
 と言い、沙希はその言葉に耳まで真っ赤になった。
 だ、大丈夫なんですか!??
 そっちの趣味があるあきらが那岐の着替えを手伝うのは倫理的に問題があるのでは?という想いを込めて、沙希は那岐を見る。
 那岐の目は……助けを求めているように見える。しかし、沙希にはあきらに意見するだけの勇気は無かった。もし、あきらの機嫌を損ないあの深い洞窟のような黒い目を、無表情に向けられたら……沙希は自分の想像にぞっとする。
 三人の中で一番小柄なあきらが、那岐のすぐ前に立ち、そのシャツに触れる。
 那岐は自分の胸を守るように腕で抱き、
「ぬ、脱ぐのは自分で出来るから!」
 と慌てて背中を向けた。
 ジーンズの前を外し……妙な視線を感じ、振り返る。
「あ……あの、出来たら、あっち向いててほしいんだけど?」
「どうして?女同士なのに」
 演技ではなく、本気で不思議に思い、あきらは聞いた。
 本気なのはわかる。わかるけど……あんた百合でしょ!!とは言えない。那岐の身体に興味も無いかもしれない。だが、それでもそっちの趣味がある女の子に着替えを見られるのは、気持ちの良いものではなかった。
 中途半端にジーンズを下ろし、前屈みの姿勢のまま顔を前に戻し、那岐は……
「神様、助けて!」
 と、心の中で叫んでいた。
 
 ガーターベルトとストッキング、機能よりも見た目を優先したとしか思えないブラとパンツを身に着け、那岐は全身を桜色に染めていた。
 大人っぽい下着姿の自分が恥ずかしかったのもあるが、それ以上に着替えを手伝うあきらの氷のように冷たい指先が、妙に気持ち良かったのが理由だった。
 不覚にも、那岐は何度か声を漏らし、その自分の甘い声に戸惑い、羞恥は限界に達しようとしていた。
 あきらが那岐の腰に手を回し、ガーターのズレを直す。
 那岐は泣きそうな顔で天井を見ていた。
 あぁん、履き替えたばっかりなのに、こんなことされてちゃ……汚しちゃうよぉ。
 もちろん、あきらは那岐の羞恥に気付いていた。肌に触れれば、その身体が火照っているのは嫌でもわかる。わかりながら、あきらはそれを態度に出さず、那岐の着替えを手伝う。
 自分や芽衣とは違う引き締まった健康的な那岐の身体に触れながら、あきらはこの着替えを楽しんでいた。
 
 
 着替えを終えた三人がメインブリッジへと急ぐ。
 黒を基調にしたメイド服ともパーティドレスとも見える、奇妙な服を三人は着ていた。が、それぞれ微妙にデザインとアクセントに使われている色が違っていた。
 あきらは、背中が広く開いた袖無しで、スカートの丈も短く、そのスカートの中を幾重ものレースが満たしていた。
 手にはストッキングと合わせられたメッシュの黒い手袋をしている。左手首にアクセントとして赤いレースの薔薇が飾られていた。
 そして、小さなレースを編んだ帽子が乗せられ、その帽子から下りたベールが顔の右半分を隠している。
 靴は膝下まである編み上げの黒いエナメルのブーツだった。
 那岐の衣装も基本は同じだが、肩が剥き出しになるタイプで、スカートの前は二つに割れ、その中の重なり合ったレースが、スカートの本来の機能を満たしていた。
 肘まである手袋とストッキングは純白で、どちらも複雑で美しい模様を描いている。
 那岐の衣装には帽子は無く、代わりにチョーカーが首に飾られている。そのアクセントとして使われているスカイブルーの宝石が、少女らしい清楚な美しさを際立たせていた。
 足元を飾るのは、ローヒールの黒いミュールだった。
 沙希の衣装だけは、他の二人と比べると全てが逆転しているように思えた。
 白を基調にしたワンピースのドレスは、幅の広いスカートを翻し、大きく開いた肩から続く袖は七分丈だった。
 豊満な胸の谷間を隠すように黒いレースで飾られ、細く引き締まったウエストは大きなクリーム色のリボンで絞られ、自然に作られた襞がスカートを優雅に見せる。
 純白のレースで編み上げられた手袋とストッキングが、そのしなやかな肢体を飾る。
 花をあしらったの純白のベール……そして、その手に抱かれるブーケ…………それは他人の前では絶対に優しさを見せない男が用意した答えだった。
 あの人は戻って来ないかもしれない。
 世界で唯一、花房博士の不在の理由を知っている少女は、二人に気付かれないように涙を隠した。
 あきら、那岐、沙希は走る。
 愛する少女を守るために、恋する青年と再び会うために、信じる男との絆のために……地球を守るために。
 
 そして、メインブリッジの扉を抜け、戦う運命にある三人の美少女たちは、その守るべき惑星が滅び行く姿を見せられる。
 
 
 地表に舞い落ちた不可視の繭は、その身を音も無く解き、小さな模様を描き出す。
 その一つ一つは無害な模様は、互いに隣り合う模様と微細な意識を繋ぎ、巨大なネットワークを作り上げる。
 そして、東洋の列島に打ち込まれた楔が、次々とその真の姿を開放する。
 それは複雑怪奇な呪文を思わせる情報集合体だった。
 展開された情報集合体は、繭が作り上げたネットワークを基礎に地球全域へと広がり始めた。
 
 その輝きに触れた知的生命体は、精神を失調し、情報収束力の弱いものから順番に崩壊していった。
 
 
 日本を中心に広がり始めた魔方陣は複雑に絡み合いながら、地球上を金色の模様に染めていく。
 その侵蝕は驚異的な加速度を持って広がり、わずか数分で地球全域を覆い尽くした。
 
 
 金色の光に触れ、バタバタと倒れていく人々を見て、シュウは身近にいる人間に、
「光に触れるな!」
 と叫んだ。が、それは不可能だった。
 地表から空まで伸びた光は、流れるように移動を続け、それを避けることは誰にも出来なかった。
「キャシー!!?」
 自分のアイスクリームを毎日買いに来る、まだ幼い少女が光に触れ、一瞬で泡となり消えた。
 助けようと伸ばした腕に光が重なる。が、シュウは汚物に触れたような嫌悪感を感じるだけで、消え去ることも倒れることもなかった。
 その手を慌てて引き戻し……シュウは辺りを見回す。
 立っているのは自分だけだった。
 なぜだ?なぜ、俺だけ無事なんだ?それに……この嫌悪感は???
 この感覚には覚えが合った。
 そうだ。これは奴等だ。奴等?それは……誰だ?
 ナギ!
 不意に一人の少女の名がシュウの心を満たし、疑問を吹き飛ばした。
 ナギは無事なのか?
 立っている者のいない世界を前に、どうしようもない焦りを感じ、シュウは駆け出した。ナギを探し、守るために。
 どこだ?どこにいるんだ!!?
 人の持つ速度を超え走るシュウの背中で、音を立てて黒い翼が広がった。
 ナギ!!!
 金色の光に覆われた地表を飛び立ち、シュウは蒼さを残す空へと舞い上がる。
 翼がさらに大きくなり、その根元から新たな二枚の翼が広がる。
 筋肉が盛り上がった肉体に耐え切れず衣服が千切れ飛び、獣毛が全身を覆い尽くす。
 脚の骨格が変形し、爪先に四本の鍵爪が伸びる。
 曲げられた腕が、肘から鋭い棘を得、その手の爪が太く鋭く研ぎ澄まされる。
 額が割れ、縦長の赤い目が生まれ……双眸は閉じられる。
 前に長く伸びた顎の中で、幾重にも牙が生まれ続け、毛足の長い尾が風を追うように撃ち振るわれる。
 以前とは全く違う変形を終えた月影が、蒼空に顔を向け雄叫びを上げた。
 ナギ!
 愛する少女を守るため、いま一匹の獣が空を駆ける……金色に染まった大地を後に。
 
 
 自ら操縦するVTOLの座席の上で、花房博士は苛立たしげに計器盤を殴り付けた。
 まさかすでに地球侵略の準備を終えていたとは!!
 これで人類の残された切り札は、NUSCOCONATS‐MarkⅡと女子力エンジン、それにノルンだけとなった。
 地球を取り戻すためのシナリオは、すでに自分の脳が描き出している。しかし、それには些細なミスも許されなかった。
 間に合ってくれ。
 金色の地球を背後に、花房博士は『空飛ぶ黒猫亭』へと急ぐ。
 
 
 完全に侵略された地球を描き出すメインブリッジの中は騒然としていた。
 ルインの侵攻が地球を覆い尽くすと同時に、ノルンに対してハッキングが始まったのだった。
 それは内部に潜入するという甘いものではなく、ノルンの全てを書き換えようとする“侵蝕”だった。
「ダメ!抑えられない」
「抑えなさい!でないと、人格崩壊が始まるわよっ!」
 必死にキーを叩く二人の姉を前に、一番下の妹が絶望したように呟く。
「なんなの……このアルゴリズム???」
「ちょっと!なにやってんのよ!!?」
 妹を嗜めながら、彼女も気付いていた。
 この侵蝕を進めている相手は、まるで生きている人間その物のように感じられた。
 全く別の人格にノルンが上書きされようとしている?
 冗談じゃないわ!!起動中のOSを書き換えられるなんて……そんなの私たちのプライドが許さない!!負けられない……絶対に負けられないのよ!!!
 
 自分たちの領域で戦い続けるノルンの娘たちを見て、あきら、那岐、沙希の三人が頷き合う。
「行こうか?」
 那岐が明るく言い、あきらと沙希が頷く……が、それを制止する声がメインブリッジを満たした。
「いけ……ま、せん」
 苦しげに途切れる電子音声……ノルンだった。
「花房博士の命令は聞きました。でも、あたしたちには自分の役目があるはず」
 那岐が言い、
「あたしたちが守ってきた地球で、好き勝手やられて黙ってられません」
 沙希が言葉を継いだ。
「それに敵の本体はわかっている」
 そう、この侵攻の中心部である日本にはゴーストサークルの上空に、ルイン・コフィンが浮かんでいた。
「ち、が……います。め…違反は、問題で……はありませ、ん」
 ノルンの言葉に三人の少女は顔を見合わせる。
「問、題……は、母体」
「母体?」
 あきらが聞き返し、沙希がはっと口元を隠す。
「まさか……」
 二人の少女に見つめられ、沙希は赤くなってもじもじとする。
「女子、りょ……エンジンの……母体、への影響……未知数……ですから、出撃は――――」
 一瞬だけ明確になったノルンの言葉は唐突に途切れた。
「沙希さん……」
「赤ちゃんがいるの?」
 ノルンの娘たち以外のオペレーターたちと二人の美少女の前で、沙希は小さく頷く。
 そして、あきらと那岐は互いの顔を見る。
 どうしよう?
 その戸惑いに気付き、沙希が早口に言う。
「でも、あたしだけじゃないんです!」
 二人は揃って、きょとんとした表情をした。
 他にも誰か妊娠しているの?あたしは違うけど?
 と、その顔は言っている。
「地球には、他にもいっぱい赤ちゃんを身篭っている人がいるはずなんです」
「あ――っ」
 言われてみれば、その通りだった。
「でも……」
 どうしたらいいんだろ?と思いながら、那岐はあきらを見る。
 あきらは真っ直ぐに沙希を見ていた。
 沙希はじっとあきらを見返す。それは普段の弱々しい沙希の視線では無かった。
「いいの?」
 短いあきらの言葉に、沙希は強く頷き返す。
 その二人の間に、小さな拳が突き出された。
 那岐が微笑みながら手を伸ばしていた。
「花房博士がいないから……あたしたちでやっちゃお」
 あきらと沙希は頷き合って、那岐の拳に自分たちの拳を重ねる。
 三人の美少女は互いに見つめ合い……
「萌えろ!」
 あきらが叫び、
「戦場の美少女!!」
 那岐が元気いっぱいに声を重ね、
「最後の恋を歌うため!!!」
 沙希がアドリブを入れ、
「この命の全てを掛けて!」
「地球を取り戻せ!!!!」
 あきらと那岐が、それに答えた。
『NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!発っ進!!!!』
 三人の声が木霊し、メインブリッジが静寂に包まれる。
 その静けさに耐え切れなくなったように……少女たちは声を上げ、肩を叩き合って笑い出した。
「うわっ、めっさ恥ずかしー」
 ペチペチと自分の頬を叩きながら那岐が言い、
「花房博士って偉大だったんですね」
 沙希が真顔で言い、三人はまた笑い出した。
 気持ちが落ち着き出したころを見計らい、あきらが呟く。
「でも、ちょっと気持ち良かった」
 三人の美少女は、くすくすと笑い、ゆっくりとまた手を取り合う。
「行こう」
 あきらの言葉に頷き、三人は手を繋いだまま『空飛ぶ黒猫亭』のメインブリッジの扉を抜ける。
 
 いま『空飛ぶ黒猫亭』から放たれた三機のユニットが、蒼空に白い軌跡を描き飛び去って行く……二度と戻る事の無い戦場へと向けて。