NUSCOCONATS‐MarkⅡの三機のユニットは微妙にのんびりした速度で、金色の魔方陣に包まれた海を眼下に飛んでいた。
 ノルンのハッキングにより『空飛ぶ黒猫亭』との通信が不可能な現在、ユニットは遠隔操縦を切られ、パイロットの三人娘による慣れない概念操縦で飛ばされている。
「ん〜〜……合体のときみたいな速さ、でないね」
「気合が足りない」
 速度と同様のんびりした那岐の言葉を、あきらが抑揚の抑えた声で切って落とす。
 那岐は横に並んで飛ぶオレンジペコに向かって、「んべっ」と舌を出す。
「やっぱりダメですね。『空飛ぶ黒猫亭』とは通信できないみたいです」
 困惑気味に沙希が言い、
「まだ諦めてなかったの?」
 と那岐が驚いた声を出す。
「だ、だって……」
「あたしなんかすぐに諦めたのに」
「あなたは諦めたんじゃなくて、最初から何もしてなかっただけ」
「むぅ」
 表情をころころと変える那岐とは正反対のあきらは、無表情に前を向いて操縦に意識を集中している。
「あ〜、もう……退屈ぅ」
 操縦席で「でろ〜ん」と前屈みに伸びて、那岐はだらしなく舌を出す。
 不真面目な態度で不安を紛らわせていた那岐が、不意に目を輝かせて、オレンジペコと反対側を並んで飛ぶストロベリフィズを見る。
「ねねね、沙希さん」
「はい?」
 唐突に話を振られ、沙希は驚いたように目を見開く。
「初体験の感想……とか教えてほしいなっ!後学のために♪」
「な!?」
 那岐の言葉に、沙希は耳まで真っ赤になって焦り出し、
「それはあたしも気になる」
 あきらの呟きを聞き、ストロベリフィズが編隊飛行を崩し、左に大きく流れて行った。
「あ、こら!逃げるなー」
 シナモンアップルがストロベリフィズを追い掛けるように左に進路を変え、
「……」
 無言で、あきらのオレンジペコが二機の後に続く。
 
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第三話 恋を歌う乙女たち―後編―
 
 
 その遥か彼方、『空飛ぶ黒猫亭』へと急ぐ花房博士は癇癪を起こし、でたらめに操作していた通信機から、猥談に花を咲かせる三人娘の声を聞き愕然とする。
 なにやってるんだ!!?あいつら。
 まるでピクニックにでも行くかのように楽しげに交わされる会話を耳に、花房博士は眩暈と頭痛に襲われた。額に手を当て、必死に乱れる心を抑える。
 落ち着け……冷静に考えろ。いまここで通信に割って入ったら、まるで僕が盗み聞きしてたみたいじゃないか。
 沙希は、あきらと那岐の誘導尋問に掛かり、恥ずかしそうに言葉を切りながら、自分との秘め事を告白している。
 相手は、思春期の少女たちなのだ。些細なことで嫌われたら最後だ。自殺かノイローゼになるまでなじられ続けることになるに決まっている。
『で……そのとき『触ってごらん』って言われて……』
 なんだと!!?僕はそんなこといった覚えはないぞ!!
『アレって、すごく大きくて硬くて……熱くて』
 ごくり、と生唾を飲み込む音が通信機の向こうから聞こえてきて、花房博士はぷるぷると震えながら次の展開を待った。我慢の限界は、すぐそこに迫っていた。
 
 沙希は顔を赤くして、操縦席でもじもじとしながら話を続ける。
 自分の体験を告白するのは顔から火が出るほど恥ずかしかった。が、いままでの人生の中で一番幸せだった出来事を、大事な友達に聞いてほしい気持ちもあった。
 ちょっとくらいの誇張はいいよね?
 好奇心に負けて、自分から手を伸ばしたとは……恥ずかし過ぎて沙希には言えなかった。
「そ、それで?」
 声を上擦らせて那岐が聞いてきた。
「博士は優しい目であたしを見ながら言ったんです。舌を出して、それを舐め……」
『こらーーーーーーー!!』
 突如鳴り響いた花房博士の叫びに三人の美少女は、夜遊びを見付かった娘のように、操縦席の上で飛び上がった。
 あきらは無表情を装いながら赤面し、那岐はパニックを起こした小動物のように左右を見ながら手足をバタバタと動かし、沙希は驚きと羞恥に硬直する。
「私は何があって待機していろと伝えたはずだが!?そんなところで何をしている?」
 三人娘は肩を落として、何も答えない。
「通信が回復したはずなのに『空飛ぶ黒猫亭』と繋がらない思っていたら、こんなところで……」
「あ、ノルンがハッキングされているんです!だから、あたしたち出撃したんです!!」
「ハッキングと出撃は関係無いだろう」
 話題を変えるのに失敗した那岐が小さく「あぅ」と鳴く。
「とにかく私は急いで『空飛ぶ黒猫亭』へ戻るから、お前たちも帰還しろ。わかったな?」
 それだけを告げると、あっさりと通信は切られた。
「あれ?」
 不思議そうな声を那岐が漏らす。
 もっとガミガミ言われると思ったのにな。
 大人しくなった通信機を見ながら、那岐は寂しそうに口を尖らせた。
 実際、那岐は花房博士に怒られるのは嫌いではなかった。
 自分と同じ目線に立ち、変に格好を付けずに心のままに言葉をぶつけてくる。間違ってるときは怒ってくれて、笑いたいときに一緒に笑ってくれる。短気なのに優しくて、我侭なのに包容力があって……それなのに、やっぱり自分勝手で…………お父さんって、あんな感じなのかな?
 母親一人に育てられた那岐は父親という存在を知らない。故に、自分の一番身近な大人となり、いつも見守ってくれている花房博士を、それと重ねて見るようになっていた。
 もっとかまってほしい……それは那岐自身気付いていない彼女の本音だった。
「……那岐」
「なに?七瀬」
 寂しそうな顔を見られたくなかったから、わざと素っ気無く那岐は答える。
「どうするの?」
「さっきの帰還ってヤツ?」
「……」
 無言であきらは頷く。
「ん〜……無視でいいじゃない?」
「え!?」
「だって、戻ったって、すぐにまた出撃でしょ。だったら、このまま行っちゃったほうが効率的だよ」
 そういう問題ではないのは那岐も気付いていたが、あっさりと通信を切られて、気持ちが拗ねているので花房博士の命令は聞きたくなかった。
「七瀬も別にいいでしょ?」
「……ん」
「じゃ、決定〜」
 帰航コースから反転し、シナモンアップルが進路を変え、それにオレンジペコ、ストロベリフィズが順に従う。
 三機はさらに命令違反を重ね、『空飛ぶ黒猫亭』に背中を向けて飛び去る。
 
 
 帰還を急ぐVTOLの操縦席で、花房博士は一つの疑問を戦っていた。
 なぜ、ノルンがハッキングされるのか?
 擬似人格OSであるとはいえ、ノルンはコンピューターである。言ってみれば概念的受容体である。自ら概念を作り上げることは出来ず、第三者の概念を受け入れるだけの存在だった。集合思念体であるルインに最も近い存在でありながら、その在りようは全くの逆だった。
 故に、奴等のターゲットとなる可能性は無かったはずだ。そもそも、地球上のどんなスパコンを以ってしてもノルンに入門することは不可能だった。
 では、どういう事なのか?
 さっぱり想像ができなかった。
 いや……唯一それが出来る存在は想像が付く。想像は付くが、そんなものはどこにも存在しなかった。いるわけがないのだ、純粋な精神体として昇華された人間など!!
 人格OSの基礎をそのままに新たな人格を上書きする。それができるのは同じアルゴリズムを持つ人格OSもしくは人間その物だけだった。それは仮想世界で行われる憑依だった。だが、その可能性は零に等しい。
 もし、それが出来るなら、そいつはもう人類ではない!想像を絶する化け物だ!!
 しかし、いま実際にノルンはハッキングを受けているらしい……何者かに。
 花房博士の書いたシナリオには、予想もされていなかった事件である。
 抵抗をするルイン・コフィンを排除し、地球上に展開された魔方陣を使い、NUSCOCONATS‐MarkⅡを媒体にノルンが持つ超圧縮情報を地球全域に開放し、逃げ出そうとするルインを一匹残らず女子力エンジンが持つ仮想空間に封印する……それが花房博士の書いたルイン抹殺のシナリオだった。
 故に……ノルンに女子力エンジン、そしてNUSCOCONATS‐MarkⅡの存在が不可欠だったのだ。
 なのにノルンがハッキングされている。ユニットは命令無視をして空を飛んでいる。
 無事なのは女子力エンジンだけだった。
 呪われているのか!!?僕は!!
 絶望に叫びそうになり、花房博士は辛うじて首を振るだけに思い留める。
 まだ終わったわけじゃない。
 花房博士は、遠くに太陽を反射する小さな輝きを見る。
 衛星軌道に浮かぶ人類最後の砦となった『空飛ぶ黒猫亭』の姿が徐々に大きくなる。
「……待っていろ」
 誰とも無しに呟き、花房博士はVTOLを最大加速させる。
 
 
 金色の光の海を眼下に、その上空に浮かぶルイン・コフィンを霞め、三機のユニットはそれぞれの軌道へと広がる。
「見えた?」
あいつだね」
「はい」
 ただ浮かぶだけのルイン・コフィンの上に白い長衣を纏った少女の姿があった。
 その背に広がる翼も淡い光を感じさせる白だった。
 金色の髪がソニックブームに乱されるが、少女は微動だにしない。
 三機のユニットは旋回し、再びルイン・コフィンの正面に揃う。
「やっぱ、合体よね?」
「他に方法は無い」
 ユニットには武器弾薬は積まれていない。その名の通りユニットであって、攻撃機ではないのである。
 沙希が操縦桿から手を離し……胸の前で組み合わせる。
「フォーメーション・ファースト」
 あきらは無表情に呟き、
『NUSCOCONATS‐MarkⅡ!!合っ体!!!!』
 三人の美少女の叫びと共に、ユニットがその機首を天に向け駆け上がる。
 螺旋を描き、オレンジペコ、シナモンアップル、ストロベリフィズの順に並ぶ。更に加速し、三機が合体フォーメーションに入り――――金色の光の中から姿を現した巨獣がストロベリフィズへと襲い掛かった!!
 巨大な爬虫類の身体に肉だけの翼を持つ巨竜は、その巨大な鍵爪を持つ腕をストロベリフィズへと振り下ろし……
「させるかぁ!!!」
 逆噴射でストロベリフィズの盾となったシナモンアップルに弾き飛ばされた。
「那岐!!!」
 合体フォーメーションが解かれ、二機のユニットは旋回飛行に入る。が、機体の上面でで体当たりをしたシナモンアップルは、致命的にひしゃげ推力を失っていた。
 コントロールを失ったシナモンアップルはゆっくりと金色の海へと落ちて行こうとしていた。
 
 朦朧とした意識の中で、那岐はあきらと沙希の叫び声を聞いていた。
「那岐!!返事をして!那岐!!!」
「那岐さん、聞こえますか!!?那岐さん!」
 あれ?どうしたんだろ???
 そうだ……合体してたんだ?
 七瀬が怒ってる……あたし、失敗しちゃったのかな?
 体当たりの衝撃で、那岐は反射的に沙希を守るために自らが盾になったことを忘れていた。
 身動ぎし、那岐は悲痛な叫びを上げる。
「うぅ……痛いよぉ」
 ボロボロと涙を零す那岐の下半身は、ひしゃげた機首によって潰された操縦席の中で原型を留めていなかった。引き裂かれ千切れた下腹部から血と内蔵が零れ、脚も機材に鋏まれぐしゃぐしゃに折れ曲がっていた。
 濡れた感触が下半身にあった。
 座席を汚しちゃった。また七瀬を怒らせちゃうな。
 涙が溢れて止まらない。が、力を振り絞って薄く目を開く。
 歪んだ視界の向こうに、合体スティックが見えた。
 そうだ……合体だ。NUSCOCONATS‐MarkⅡになるんだ。NUSCOCONATS‐MarkⅡなら守ってくれる。あたしたちを……沙希さんと赤ちゃんを守ってくれる。
 震える手を伸ばし、那岐は合体スティックに触れ―――
 
 巨竜の足が、シナモンアップルのコックピットを踏み潰した。
 
 巨竜はシナモンアップルを踏み台に、より高く舞い上がる。その足元に残された操縦席には赤い肉塊と化した那岐の姿があった。その唯一損傷の少ない手は、しっかりと合体スティックを握り締めている。
 
 金色の海へと堕ちて行くシナモンアップルを見つめ、沙希は呆然としていた。
 那岐さんが……死んだ?
 あたしを、守るために?
 祈るための手が失意に解け、その頬を涙が流れ落ちた。 
 
「うあぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
 狂ったようなあきらの叫びと共に、オレンジペコのジェットノズルが炎を吐く!!
 鋭角に曲がり、オレンジペコはその機首を巨竜に向ける。
 殺す!
 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!絶対に!ブチ殺す!!!!
 殺意の塊を化したあきらとオレンジペコが一直線に巨竜へと突っ込んで行く!!
「地獄へ!!落ちろぉぉおお!!!」
 その姿が眼前に迫り、全てが消えた瞬間!オレンジペコは、あきらのコントロールから離れ、巨竜を避け、全速で戦闘区域を離れ出した。
 呆然とするあきらの耳に、
『私は帰還しろと言ったはずだ』
 血を吐くような花房博士の呟きが、通信機から聞こえてきた。
 やり場を失った怒りに震える自分の両手が、あきらの目の前にあった。
 共に戦おうと強く誓い合った手だった。
 いまは弱々しく震えるだけの小さな手だった。
 その手で……あきらは顔を覆って泣き出した。怒りと悲しみと後悔に震え、涙はいつまもで止まらなかった。生まれて初めて、あきらはどうしようもない悲しみの涙を流していた。
 
 
 海面に落ちたシナモンアップルに別のルインが取り付いて、バラバラに引き裂いていた。
その機体から抜き出した鋼鉄の美少女の顔を捧げ、五匹のルインは勝利の雄叫びを上げた。