どこまでも青い空だった。
 無限の広がりを見せるその空には、上下も方角も無いように感じる。
 それでも、どこかに重力に似た物が存在するのだろう。自分はいま上を向いている浮かんでいる……那岐はそう感じていた。
「意識を集中しなさい」
 キツイ響きを持つ声が空に響く。
「でないと、情報が拡散され、自分を保てなくなるわよ」
 んと……なんだろ?
 くるりと身体を起こし、那岐はぼんやりと周りを見る。が、どこまでも青い空が続くだけで、誰も、何も見えない。
 なんで、あたし……こんなところにいるんだろ?
「あなたは死んだのよ」
 え?あたし、死んだの???
「そっ。ルインに虫けらのように踏み潰されてね」
 嘲りを含んだ声に、那岐はむっと頬を膨らませる。
「なに?悔しいの?」
 くすくすと笑う声を聞き、那岐の表情がより険しくなる。
「なら!現世に戻ったときに、その悔しさをルインにぶつけてやるのよ!!」
 いきなり激しい風となり声が響き渡った。
「あんなアホどもに好き勝手されて大人しくしてちゃ美少女を名乗れないわよ!!」
 吹き荒ぶ風は熱く、どこか花房博士を髣髴とさせるものがあった。
「もうちょっと待ってなさい。あたしがちゃんとあなたを元の世界に帰してあげるから。でも、そのときは……」
 風は一旦言葉を切り、
「あなたの全てを燃やし尽くすほどの激しさで、敵を叩き潰すのよっ!!!」
 那岐を巻き込んで荒れ狂った。
 な、なんなの?この人???
「あたしが誰かって?」
 う、うん。
「あたしは有希!九条有希よ」
 九条……有希?
 その名には聞き覚えがあった。確か、沙希さんのお姉さんで……ルイン・コフィンに特攻を仕掛けた人だ。
「特攻?あれはそんなんじゃないわよ」
 けろっと風は……有希は言う。
「単に弾が無くなったから、自機をぶつけてやっただけよ」
 ぶつけて……やっただけ???
「そっ。あたしは手が出ないからって逃げ出すほど、甘い女じゃないの」
 甘くないって……それはちょっと違うんじゃ?
「ま、もうちょっとしたら外に出られるから、それまで自分をちゃんと保ってて!拡散しちゃったら、あたしでも元に戻せないからね」
 外……って、ここどこですか?
 ときおりノイズのような物が走る自分の手を見ながら、那岐が聞いた。
「ここは女子力エンジンが、あなたたち三人の合体イメージを構築するために作り上げた仮想空間よ」
 女子力エンジンの中?
「そっ。ノルンが制御してたけど、いまはあたしの一部になっているわ」
 はっきり言って、那岐には有希が言っていることが、いまいちわからなかった。
 しかし、死んだはずの自分がもう一度、元の世界に戻れることは理解できた。
「……ね」
 有希が嬉しそうな優しい声を掛けてきた。
「え?」
 ぼんやりと空を見ていた那岐がキョロキョロと辺りを見る。
「あなた、最後に合体スティックを握ったでしょ?」
 その辺のことは全く記憶に無かった。
「あれは……ナイスなガッツよ!!」
 憶えてなかったが、この自分以上に元気いっぱいな女性に褒められると、素直に嬉しい気持ちになれた。
「ほんとうの戦いは、これからよっ!!」
「はい!」
「いい?これだけは忘れちゃダメよ」
 内緒話をするように有希が囁き、那岐は緊張して、次の言葉を待つ。
「女の子は、ね……絶対に負けちゃダメなのよ!!!」
 有希の言葉を聞き、自分の中に力が湧き上がってくるのを感じ、那岐は目を輝かせる。
 そうだ!地球を守るって誓ったんだ!あきらと沙希さんと一緒に戦うって決めたんだ!!
 自身を侵蝕していたノイズを吹き払い、那岐は拳を握り締める。
 ほんとうの戦いは、これからだ!!!
 
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子]
第三話 恋を歌う乙女たち―完結編act1―
 
 
 花房博士はじっと腕を組み、メインディスプレイを睨み付けていた。
 金色の光に満たされた海上で、この世界で受肉し、翼を広げたルインがシナモンアップルを贄に狂宴を繰り広げていた。引き裂いた機体を振り乱し、那岐の遺体と共に機首を咥え、鋼鉄の少女の面を捧げ、ルインは踊り狂うように舞い続ける。
 サブディスプレイには、静かに泣き続けるあきらと沙希の姿があった。が、花房博士は命令違反をした彼女らを責めようとは思わなかった。
 責められるべきは、那岐を……彼女らを守り切れなかった自分である。
 
 『空飛ぶ黒猫亭』に戻った花房博士は、ノルンをハッキングされることで、全ての機能を失いつつあったメインブリッジに駆け込み叫んだ。
「馬鹿野郎!!接続を切れ!ノルンを落とすんだ!全ての機器を手動に切り替えろ!!手遅れになるぞ!」
 茫然自失するノルンの娘たちを払い除け、花房博士はキーボードを叩き、表示された項目を全てオフに切り替えていく。と、白衣を翻し、
「ぼんやりするな!お前たちの端末でも切り替えが出来るだろうが!!」
 と叫び、三人の少女から離れる。
「接続を切れないハードは再起動しろ!それでダメなら電源を落とせ!!使えない機器なんか必要無いんだ!!!私が戻るまでに、使える物だけで良いから復旧させておけ!」
 メインブリッジを出た花房博士は、『空飛ぶ黒猫亭』の頭脳とも言える生態コンピュータAKIの元に走る。幾重にも張り巡らされたセキュリティを専用のパスで抜け、ついにその中心部に辿り着き……狂ったようにケーブル類を引き抜きだした。
 元々『空飛ぶ黒猫亭』はオペレーターの手動で動くように作られていた。それは人類が裏切り、『空飛ぶ黒猫亭』の敵に回り、ノルンに過剰な負荷を仕掛けられたときの非常手段として用意されていた物だった。
 目に映る全てのケーブルを外し終わり、汗だくになった花房博士は取って返してメインブリッジへと戻る。
 間に合ってくれ!!
 廊下を転がりそうになりながら走り、花房博士は自分の迂闊さを呪った。
 あの少女たちが、素直に自分の言葉に応じるはずが無かったのだ。
 これは普段の戦闘ではない。敵の総攻撃なのだ!!
 ルイン・コフィンは一つではない。地上に降り立ち、ゴーストサークルを展開している奴等がいる。
――敵は一体ではない――
 それを自分は、あのとき伝えるべきだった。
 そして、ブリッジに戻った花房博士が見たのは……コックピットを破壊され、墜落して行くシナモンアップルの姿だった。
 
 残ったユニットを強制的に遠隔操作に切り替え、戦域を離脱させた。それはあきらと沙希を守るためにできる唯一の手段だった。
 しかし……『空飛ぶ黒猫亭』には、既に戦う手段は残されていなかった。
 逃げ出すための場所も、どこにも存在しなかった。
 人類は……自分は、負けてしまったのか?
 その現実を否定する要素を探し、花房博士は腕を組み、メインディスプレイを睨み付ける。
 残された選択肢を探りながら。
 
 
 シナモンアップルに群がっていたルインが、その歪んだ相貌を上げる。新たな獲物を求めて……残るユニットを求めて……。
 あの機械に脅威はもう感じなかった。
 戦う力を無くした物を蹂躙する肉欲に、ルインは溺れていた。
 弱々しい命を踏み潰した快感は得難い物だった。
 死の瞬間の小さな情報爆発は、想像を絶する快感であった。
 純粋な集合精神体であったルインは固体化し、受肉することで本来の性質を歪められ……狂気の中に溺れていった。
 バサリ……。
 ある者は肉だけの翼を打ち震わせ、またある者は翅を広げ、またある者は羽根を散らしながら……空へと舞い上がる。
 小さな、ただ生きる力しか持たない少女の肉を求めて。
 
 
 再び空へと舞い上がりユニットを追い始めたルインたちの姿を『空飛ぶ黒猫亭』のメインディスプレイが映し出してた。
「敵機動兵器、浮上」
 陰鬱な声でオペレーターが呟き、
「聞こえん!!もっとはっきり言え!!」
 花房博士が激を飛ばす。
「敵!機動兵器!!浮上!!!」
「よし!ユニット回収の予定時間は!?」
「00:30後です!」
 ルインがユニットに追い付く可能性は……十分にある。
「博士」
 サブディスプレイに映し出された、あきらが抑揚の無い声で呟く。
「なんだ?」
「戦わせてください」
 感情を抑えたあきらの言葉に、
「ダメだ」
 花房博士は冷たく言い放った。
「くっ」
 歯を食い縛り、下を向いたあきらの頬を、新しい涙が零れ落ちた。
「待っていろ」
 正面を向いたまま花房博士は呟く。
「私が勝たせてやる……那岐の仇を討たせてやる!」
 腕を組み、震える拳を隠し、確信の無い言葉を吐き出す。
「だから……それまで待っていろ」
 しかし……どうすればいい?このままでは、数分後にルインはユニットに追い付き、彼女たちを陵辱するだろう。それを避け得る手段は?
 と、唯一の答えを探す花房博士の耳に、
「未確認飛行物体、ユニットに接近!!」
 女性オペレーターの叫びが聞こえ、
「いえ!違う!!機体信号確認!」
 別の女性オペレーターが振り返り、叫んだ。
「月影です!!!」
 
 
 ユニットの背後を守るように蒼空に立つ月影であるシュウの心は、悲しみと怒りに満たされていた。
 ナギが死んだ。殺された!!
 月影はただ一匹の獣として、愛する少女の機体を手に近付くルインに吼える。身体を震わせ、魂を震わせ……慟哭する。
 両腕を広げ、真っ直ぐにルインに襲い掛かる月影は、何も考えていなかった。怒りで、何も考えられなかった。
 喰らい付き、爪で引き裂き、奴等を殺す!それが全てだった。
 群の中心を飛んでいた巨竜に、月影は正面から体当たりをし、太い首に爪を立てる。その腹を足の鉤爪で何度も引き裂く。
 別のルインが月影の背中に張り付き、その翼に手を掛ける……が、月影は牙を向いて、その腕に噛み付いた。何度も頭を振り、噛み千切り、吐き捨てる。
 首を掴んでいた手を離し、その手で巨竜の目を抉り、何度も殴り付ける。
 巨竜の腹を蹴り上げて、反転すると、翅を持つ一本肢のルインの腹に牙を立て、翼を打ち立てて舞い上がる。
 もがくルインの首を掴むと、
 ゴキッ
 鈍い音を残し、圧し折り……一本しか無い肢を掴み、月影はルインを強引に引き千切った。
 二つに引き裂いたルインを手に、月影は汚猥な臓物を牙から垂らしながら、自分を取り囲む魔獣の姿を隻眼で睨み付ける。
 防御は無かった。全てを攻撃に向ける。
 月影は死を覚悟していた。
 一匹でも、その腕の一本でも、細胞のひとつでも道連れにする。
 ぐしゅっ。
 収束力を無くしたルインの首が千切れ、金色の海へと落ちて行った。
「ごぁぁあああああ!!!!」
 獣の雄叫びを上げ、月影は再びルインへと襲い掛かった。
 
 
 驚異的な戦闘力を見せた月影だが、その限界はすぐに来た。
 自暴自棄な戦い方では、数が勝る相手に敵うはずがなかった。
 メインディスプレイでは徐々に追いやられていく月影が映し出され……唐突にEmergencyの文字が映し出された。
 赤く点滅するメインブリッジに、警報が鳴り響く。
「何事だ!!?」
 花房博士の叫びに、
「艦内に情報爆発発生!!」
「女子力エンジン臨界点を突破!!爆発しま……あれ???」
 悲鳴に近い声を上げた女性オペレーターが、小さく首を傾げる。
「どうした!?」
 女性オペレーターの横に走る花房博士の後ろで、
「情報爆発消失……いえ、艦外に移動!左舷です!!」
 はっと顔を上げる花房博士の前で、メインディスプレイが切り替えられ……衛星軌道上にある『空飛ぶ黒猫亭』の艦外に立つ、一人の美少女の姿を映し出す。
 長い髪と右目を隠す解け掛けた包帯を流し、細くしなやかな身体を真っ直ぐに前だけを見据える芽衣の姿を!!
芽衣?……そんな、馬鹿な」
 呟きながら花房博士は、そのあり得ない光景の答えを探り……掴む。
 もし、あの人格崩壊が意識体としての進化への通過儀礼ならば、どうだ?
 女子力エンジンに直結されたパイロットならば、情報のフィードバックの可能性はある。
 芽衣の右目を隠す包帯が、風に解け……金色の瞳が開かれる。と、同時に、その背に翼が音も無く広がった。
 それは……NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスタシー・モードの姿だった。
 何事も無く『空飛ぶ黒猫亭』の上を歩む芽衣であるエクスタシーが、不意に飛び立ち……メインブリッジの全てがブラックアウトした。
「くそっ!!今度は何だ!!?」
 いつもの癖で真上を向き、ノルンに声を掛けた花房博士は、
「何だじゃないわよっ!!」
 出会った日から、耳から離れることのなかった少女の怒声を聞く。
 次々と機能を取り戻し、生き返る機器の光の中に、腕を組み睥睨するセーラー服を着た少女の姿が浮かび上がる。
「ま、まさか……」
 呆然とする花房博士は見る。
 気の強さと生来の負けず嫌いを表す吊り上った眉と激しい輝きを放つ瞳を。
 本来は形が良いはずの唇を歪め、不適な笑みを浮かべる口元を。
 風によく流れる、無造作に切り揃えられたショートカットの髪を。
 いまにも爆発しそうなエネルギーを限界まで詰め込んだ小柄な身体を。
 出会ってから10年、多少の落ち着きを得た享年の姿ではなく、あの日の……出会った日の、中学一年生のままの恋人の姿を。
 メインブリッジの中央、ノルンの三人の娘が座るコンソールの上に立ち、九条有希が腕を組み立っていた。
 人類を“完全なる勝利”へと導くために!!