巨大なフレアの中で、三人の美少女はそれぞれの精神の顕現された姿に生まれ変わる。
 
 炎のような揺らめく赤い髪を流す、緋色の翼を持つ美少女が立つ。
 あきらの、その内に秘めた情熱と可能性そのままの姿……NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスパンシブだった。
 その手に繋がれているのは、空色の髪を揺らし、身の丈を超える櫂を持つ美少女だった。
 那岐の真っ直ぐな心そのままに無限のエネルギーを解放する、翼を持たない特殊モード……NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスプロードだった。
 そして、その二人の横に立つのは……豊かな黒髪を風に遊ばせ、黒き翼を広げる死神の鎌を持つ美少女だった。
 沙希の、その心の奥に隠した断罪の怒りの顕現……NUSCOCONATS‐MarkⅡエクスキュージョナーだった。
 三人の美少女は金色の魔方陣に侵される地球に目を向ける。
 かけがいの無い自分たちの惑星を取り戻すため、戦いの中で自分たちの恋を歌うため、三人の美少女は戦場へと飛び立った。
 
 
[萌えろ!合体美少女 茄子椰子
第三話 恋を歌う乙女たち―完結編act3―
 
 
 花房博士は、銀色の翼を広げ飛ぶ九条有希に抱かれ、眼下に広がり蠢き続ける魔方陣を見ながら……何度目かになる溜息を吐いた。
 その辛気臭い雰囲気に、有希は口元を歪めながら苛立ちを溜めていた。
「……もうダメだ」
「なにがよっ!?」
 鬱陶しいと思いつつ、吐き捨てるように有希が聞く。
「君が『空飛ぶ黒猫亭』に現れたことで、僕がいままでずっと君のポーズを真似ていたのがバレてしまった」
 胸の下で組まれた有希の腕にぶらさがる花房博士は、ぶつぶつと呟く。
「そもそも僕は人の上に立てるような人間じゃないんだ。でも、君の仇を討つためには、『空飛ぶ黒猫亭』のプロジェクトを立ち上げるしかなかった。だから、僕は君の激しさを真似て、各国の首相や大統領を丸め込み、地球軍の総司令官を顎で使い、あの子たちを励ましてきたのに……。もうダメだ!!君は元気に復活するし!いままでの僕の姿が偽りの物だとバレるし!!きっといまごろ『空飛ぶ黒猫亭』で、みんなは僕を笑っているんだ!!」
 絶望した!とか騒ぎ出したら、手を離して落としてやろうと決めながら、有希は優しく花房博士に話し掛ける。
「でも、それは全部あたしのためなんでしょ?それに、あたしの真似をするのは恥ずべきことじゃないし」
 花房博士は視線を横に向けたまま、何も答えない。
「そういうのって……貴博の中に、あたしが生きてるってヤツだと思うけど?」
 ふんと鼻を鳴らし、花房博士は面倒臭そうに口を開く。
「そんなことは言われなくても解っている。目で見て、肌で触れ、出会うことで得る情報を自分の物とするのは人類が得た最高の進化だ。それは他の生物が遺伝子を次代へと紡ぐのと同じで、我々人類は情報を次代へと紡ぎ続けることができる。それが進歩となり文明を発展させ、新たな情報と概念を生み出してきた。そして、それは意識体でしかないルインには絶対に出来ないことだ」
 花房博士の言葉を聞き、有希はにっこりと笑う。不気味なほどに。
「わかってるじゃない。じゃ、あたしたち人類がルインに勝つ方法もわかってるわね?」
 その言葉に、花房博士は、はっと顔を上げ、徐々に青くなっていった。
「ま、まさか……それで、僕を連れ出したのか!!?」
「うん♪」
 輝く笑顔で有希が答え、
「いやだぁぁぁああああ!!!!」
 花房博士が暴れ出した。が、がっちりと有希に捕まえられているので、無駄な足掻きにしかならない。
「あなたはルインに直接触れ、その情報を得るの。そうすれば互いに存在形式が違えども共通認識を得ることになる。いいえ、人類がルインの持つ情報を、その精神に内包することになる」
 そこで一旦言葉を切り、
「仮想空間に封印するんじゃ意味が無いわ」
 と、有希は言った。
「あなたもルインも相手を封殺することで勝利を得ようとしたけど、そんなのはアホのすることだわ。あたしが求める勝利はそんな三流品じゃないのよっ!相手の全てを蹴散らし、踏み潰して……手を差し伸べてやるのよっ!仲良くしようって!!!」
 その言葉を聞き、花房博士はぞっとする。
 自分は有希の言う完全勝利のために、地球上に展開された魔方陣の中心に捨てられるのだ。ルインと真のファースト・コンタクトをするために。
「無理だ……そんな激しい負荷に人間の脳が耐えられるはずが無い。それをするなら、女子力エンジンの仮想空間を使うべきだ」
「嫌よ」
 花房博士の提案を、有希はあっさり却下した。
「女子力エンジンも、ノルンも、いまはあたしの一部なのよ。そんな気持ち悪いことしたくないわ」
「僕なら良いのか!!?っていうか、お前、いま仲良くしようとか言わなかったか???」
「ぐだぐだうっさいわねっ!!他に方法は無いのよ!!」
「あるだろ!いま言っただろ!!!」
 有希はむぅっと頬を膨らまし、黙って速度を上げた。
 こんな鬱陶しいヤツはさっさと捨ててやる。
 その目は、そう言っていた。
「ちょ、待て!!お前、本気か?本気で僕をルインと接触させるつもりなのか!!?」
 こいつは変わってない。全っ然変わってない!出会った日、そのまんまだ!!!こんな地雷女と一緒にいたら、どんな目に合わされるかわかったもんじゃない!!
「やめろ!この馬鹿女!!!僕を離せぇ!!!」
 花房博士の言葉を聞き、有希がピタッと空中に止まり……無表情のまま、あっさりとその腕を解いた。
「え?」
「別に中心まで行く必要無いから」
 ゆっくりと離れていく花房博士を見ながら、有希は不敵な笑みを浮かべて言った。
「こ、の……覚えてろよぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ……」
 断末魔のように叫びながら、花房博士は金色の海へと落ちて行った。
 
 
 巨竜の一撃に、月影は激しく揺さぶられる。
 芽衣はすでに戦う力を使い果たしたかのように、月影の背中で守られるだけの存在になっていた。
 勝ち誇った笑みを浮かべ、翼を打ち立てて巨竜は加速を付け、真っ直ぐに月影へと襲い掛かる。狙いは月影の隻眼だった。
 数と体力に余裕のあるルインは、すでに嬲り殺しを楽しんでいた。
 時間を掛けて戦う力を奪い、徐々に引き裂いていく。先に戦う力を無くした少女を獣の前で弄ぶのもありだった。弱い者の、苦痛、苦悩は得難い甘露だった。
 牙を打ち鳴らし、芽衣を守るため、月影が巨竜の正面に自ら出る。そして、自らの勝利を疑わぬ巨竜が眼前に迫り……その上半身が一瞬で原子分解した。
 巨竜を屠った衝撃波は衰えることなく、地表に渦巻く金色の魔方陣にぶつかり、巨大な波紋を作り上げる。
 エクスプロードの必殺の一撃だった。
「シュウ!!」
 有希に教えられた名前を叫び、エクスプロードである那岐が繋がれたエクスパンシブの手を振り解く。
「あ……」
 あきらが小さな驚きの声を漏らし、那岐は両手を差し出して蒼空へと飛び立つ。が、翼を持たないエクスプロードは前に進むことなく垂直に落ちて行った。
「……馬鹿」
 あきらの呟きも気にせず、真っ直ぐにシュウである月影に手を伸ばしたまま那岐は落ちて行き、
 ぽふん。
 あの日のように優しく抱き止められた。
 那岐はシュウの首に両手を回し、泣きながら、その身体に頬擦りをする。
 ずっと会いたかった、いつも忘れることはなかった恋する男の腕の中で、那岐は歓喜の涙を流す。
「好き……大好き!」
 状況を忘れ、恋を歌う少女の背に、昆虫の頭を持つルインが迫り――真下から走った死神の鎌に、真っ二つに切り裂かれる。
 黒を基調にした長衣を翻し、エクスキュージョナーである沙希が黒い翼を広げる。
 しかし、その一瞬に、自身を守る盾を失ったエクスタシーである芽衣へと二匹のルインが襲い掛かる……が、左のルインが紅蓮の炎に焼かれ塵となった。エクスパンシブの浄化の炎だった。
 最後の一匹となった黒い皮膜だけの翼を持つ少女が、幼さの残る顔を歪め、襲い掛かる……銀色の海を背に戦った少女と同じく。
 芽衣であるエクスタシーは、迫り来る少女に左手を差し出す。瞬間!最後の力を解放したエクスタシーの全身に魔方陣に似た輝く文様が浮かび上がった。金色の輝きはルインに向けられた左腕に収束し、立体的に絡み合う呪文となる。
 腕を中心に広がる呪文は無数の刃と化し、無軌道な動きで襲い掛かるルインを刺し貫き続ける。
 腕を、脚を、翼を、胴体を、頭を、無数の刃で刺し貫かれたルインが狂ったように暴れ出す。獲物である芽衣を求め手を伸ばし、牙を打ち鳴らした。
 僅かに眉を顰め、芽衣が手首を返し……最後のルインはバラバラに引き千切られる。
 そして、芽衣の左腕から伸びた無数の刃が消えると、その形を失い始めていたルインは、静かに金色の海へと落ちて行った。
 
 エクスタシーの横に立ったエクスパンシブは……いまだに月影の身体に頬擦りをしているエクスプロードを呆れるような目で眺め、少し離れた場所に立つエクスキュージョナーは、ちょっと羨ましそうに見ていた。
 受肉し狂気に陥ったルインは全て片付けられた。後は……地球を元に戻すだけだった。
 翼を持つ三人の美少女と月影は遠く魔方陣の発信源へと目を向け、ただ一人の翼を持たない美少女は……愛しい男の腕の中で、幸せそうに目を閉じていた。
 
 
 ルインが展開した金色の光の中で、花房博士は胎児のように身体を丸め、頭を抱え込んで激痛と戦っていた。
 光との接触は無制限な情報の進入となり、自我は崩壊を恐れ自閉へと花房博士を導いた。それが唯一、己を守る術だった。が、彼は意思の力でそれを拒絶した。自らの殻に閉じ篭り、他の情報から隔離するのではなく、逆に自我の垣根を捨て、情報を受け入れる。
 結果、情報過多により、人としての意識を構築するシナプスが暴走し、自我が崩壊を始める。
 まだだ……まだ解放が足りない。捨てろ。概念を捨てろ!自分が望む形に世界を受け入れるために選んだ固定概念を捨てるんだ!!
 触れ得ぬ情報だから脳に負荷が掛かるんだ。意思を昇華し、意識を解放し、己を捨てず受け入れろ!!
 男は己を守る術を捨てるべく、自問し自答する。……が、捨てきれないものがある。
 恐怖が、それだった。
 己が消える恐怖……変わり行く恐怖……それは人類が持つ根源的な恐怖だった。
 しかし、それと鬩ぎ合う感情が同じく存在していた。
 知り得ぬものに触れる興奮……見知らぬものへと訪れる喜び……それは人を人として導いてきた進化の道標である好奇心だった。
 花房貴博は知りたかった。
 有希が戻った現在、彼に復讐心は無かった。
 学究の徒として、ひとりの人間として……彼はルインに触れることを望んでいた。
 だが、しかし、彼もまた生命体である。
 自らの消失を前に、怯えを隠すことはできなかった。
 ふと気付くと……怯え、震える彼の背に触れる想いがあった。
 少年時代、内向的だった彼の手を引き、ときには背中を押して共に歩んだ少女の手だった。
 いつかのように、有希が優しく花房博士の背中を押す。
「しっかり、ね」
 それは都合の悪いことを押し付けるときの、有希のお約束のポーズだった。 
 自然、口元に笑みが浮かぶ。
「わかったよ」
 それもいつものセリフだった。
 十代のころ、二人で組めば世界でも動かせると信じていた。
 そして、いまそれを実行する機会を得ていた。
「こんなチャンス、二度と無いかも」
 胸の内の期待そのままの声で有希が笑う。
 それは花房貴博が持つ有希のイメージだった。そして、それは彼が受け入れた有希の存在その物だった。
 怯えた子供のような姿勢から、彼はゆっくりと立ち上がり、苦痛に震える瞼を開き……目線を前に据える。
 そして……彼は異星の風景を見る。
 ルインが生まれた惑星……彼らの“地球”が、そこにあった。
 
 
 無限に続く水平線の向こう、銀色の空に薄く流されていく青い雲を見上げていた。
 ゆっくりと……闇のように深い紺色の海に花房博士は降り立ち、その爪先が厚みのある波紋を作り上げた。比重の重さを感じさせるその波は、衰えることを知らず、遠く、遥か遠くへと消えていく。
 零れた水銀のような球体が波紋を返し、それらは重なり合う円形の舞踏を見せる。
 そのパターンに新たなパターンが重なり、波紋は織り込まれたレースの複雑さを見せ繰り広げられる。
 花房博士の前に、静かな目をした一人の少女が立っていた。
 花房博士の視線を受け、少女はどこか恥ずかしそうに俯くと、手を前で組んでもじもじとした。少女は全裸で、その肩の向こうに見える、小さな可愛らしい翼をひょこひょこと動かしている。
 その仕草にくすりと笑い、花房博士はほんの少し意識を集中して、少女を見つめる。
 と、淡い光が少女を包み、それは純白の前ボタンのワンピースに収束する。服の出現に驚く少女は、不意に現れた白いミュールにバランスを崩し掛ける。そして、その頭に、つばの広い白いリボンの巻かれた麦わら帽子が降りてくる。
 少女は拗ねたような顔で麦わら帽子を押さえ、ゆっくりと表情を笑みに変えた。
「器用……なことをするんですね」
 その言葉に、花房博士は肩を竦めて見せる。
「女子力エンジンの実験で、嫌ってほど思念の実体化を繰り返したからね」
 そして、それを成すことが出来たことで、花房博士はこの場所をどこか確信する。
 ルインの中に取り込まれていれば、目の前の少女に干渉することは不可能である。そして、自身が実態のままであるなら、思念を実体化させることもできない。この二つの事実から導き出される答えは一つ……自分は思念体として、この惑星の上にいる。少女と同じく。
「まさか、本当に君の母星に連れて来られるとはね」
 今度は少女がはにかむような笑みを返す。
「思念は光に干渉されませんから」
 光=時間の流れだな。
 花房博士はじっと少女を見る。
 長い黒髪と幼さの残る顔、細い体躯にしなやかな手足。期待と不安を内在させる瞳、希望を歌うのが一番似合いそうな唇。
 正に完全無比な少女だった。
 しかし、それを額面通りに受け入れるのは危険だった。少女に見えるが、目の前の存在は少女では在り得ない。無限数のパターンを持つ意識体の顕現した姿でしかないのである。
「君と話をする前に、一つだけ聞かせてほしい」
「はい」
 少女は真面目な顔を作り、真っ直ぐに花房博士を見る。
「君は……君らは人間と触れ合うことで、一つの意識体として統合されたのか?」
「いいえ。統合は成されませんでした」
 教師の質問に答える生徒のように少女はしっかりと答える。が、花房博士はその答えに、僅かに眉を寄せる。
「相反する意識を内在し、複雑化した私を……私たちを統合するのは、人間の持つ自我の確立方法を複写するだけでは不可能でした」
 少女は真っ直ぐな視線を花房博士を向けながら言葉を続ける。
「強引な複写は意識のバランスを崩し、崩壊を促し、最終的に論理性を無くすことになりました」
 ルインが見せる破壊衝動の激しさが、人類の意識を模倣した結果の狂気だったというのは皮肉な話だった。
「しかし、私の目には、君は安定しているように見えるが?」
「はい。私は多くの意識を内包することで多面性を持ち、容易にバランスを崩さないように作られました」
「ふむ。では……統合は成されていないが、自我を確立することには成功したわけだ。では、君をルインの代表として――」
 言い掛けた言葉を飲み込む。
 目の前の少女がぷくっとその頬を膨らまし、視線を横に外したからだ。
「その名前は嫌いです」
 視線を逸らした少女は、目に涙を溜め、拗ねた頬のまま言った。
「その名前は、あなたたちが私を敵として貶めるために付けた蔑称です。そんな名前で私を呼ばないでください」
 少女の態度より、その言葉に花房博士は納得をする。確かに少女の言うとおりだった。
「悪かった。僕は二度とこの名で君を……君らを呼ばない」
 花房博士の言葉に少女は顔を輝かせる。しかし、それは自分の意思が受け入れられたからではなく、彼が少女を一人の人間として受け入れているのが伝わったからだった。
 そして、少女は花房博士の次の言葉に、ゆっくりと首を傾げ、細い指を顎に当て……悩み出した。
 その言葉は……
「君を、僕は、何と呼べばいいんだ?」
 だった。
 自身を示す固有名詞など少女は考えたこともなかった。
「え、と……」
 上目遣いに花房博士を見ながら、少女はその悩みを表情に出したまま黙り込む。
「特に望みの名前が無いなら、適当で良いんじゃないのか?」
「いやです!」
 意外なほどの激しさで少女は言い、自分の声に驚いたように手で口元を隠す。
 でも、本当に嫌だった。自分を示す言葉を適当に決めるなんて……私の『名前』なのに。
 悩む少女を優しげに見つめ、花房博士は静かに囁く。
「なゆた」
「え?」
 その音の響きに少女は不思議そうな顔をする。
「遥かな数を示す言葉で、漢字では那由多と書く。君の存在の大きさ……それに、僕らとの無限に近い距離を現している。それに……」
 少女は期待に目を輝かせ、花房博士の次の言葉を待つ。
「音の響きが可愛いくて、君に似合っている。と、僕は思う」
「……なゆた」
 少女はその響きを確かめるように呟き、小さく頷く。
「君らの総称は別途考えたまえ。僕はその名を君個人に捧げたい」
「はい。ありがとうございます」
 深くお辞儀をして、少女は恥ずかしそうに顔を上げる。
「さて……なゆた。君を彼らの代表者として、僕は一つの提案をしたい」
「はい」
 互いに目的はわかっていた。しかし、花房博士は言葉によるコミュニケーションで、あえて少女に伝える。
「互いに持つ情報を交換し、我々人類と君たちとの間に共通認識を持ちたい」
「それにより、新たな概念を生み出し、互いが失ったものを補う……ですね」
 言いながら、少女は耳まで真っ赤になる。そして、その反応を見て、花房博士はその事の意味合いに今更ながら気付く。
 情報思念体である『なゆた』に取って、新たな認識及び概念の構築は……繁殖以外の何ものでもなかった。しかも、自己分裂で作り上げるのではなく、他者である花房貴博という人間との接触により、それは“生まれる”のである。
 少女として、意識体として、それは初めての生殖行為……初体験だった。
 いや、まさか……それはないだろう?と思いながら、花房博士は緊張でガチガチになっている少女に尋ねる。
「情報を交換するための手段は?」
 交換の言葉にビクッと振るえ、少女は水面に落とした視線を彷徨わせる。
「あ、あの……」
 その態度に花房博士の不安は徐々に膨らんでいく。が、少女の答えを聞いて、どっと安堵の汗が出た。
「キスを……して、ください」
 しかし、花房博士を脱力させた安堵は一瞬で、新たな恐怖と罪悪感に変わる。
 有希が見ている。
 女子力エンジンと直結した、いまのあいつなら絶対に見ているはずだ。見て、僕の行動を監視しているに違いない。
 しかし、それは問題ではなかった。有希が怒るのはいつものことで、怒ってなくても酷い目に合わせられるから、むしろ怒ってくれているほうが納得できるくらいだった。
 問題は……自分に恋をしている少女のほうだった。
 自分にその身の全てを捧げた少女が、これを知れば傷付くに違いない。そう思うと、彼の心は痛みを感じるほど切なくなった。
 黙っていれば問題はない……とは思えなかった。彼はあの無垢な少女を、沙希を絶対に裏切りたくないと思っていた。
 そして、その沙希と変わらぬ清純さで自分を見ている少女が目の前にいた。
 人類の……地球の命運が掛かっている。しかし、沙希を裏切りたくない。だが、しかし!この少女を傷付けるような真似もしたくなかった。
 くそ!どうすればいいんだ。
 花房博士は男として、一つの選択を迫られていた。
 
 
 銀色の翼を広げ、腕を組んだ有希が魔方陣に犯される地球を睥睨していた。
 空中でじっと動かない有希の口元は、不機嫌に歪められている。
 花房博士の予想は正しかった。
 有希は視線を地表に落とし、遠く那由多の星を見ていた。
 そして、優柔不断な貴博の態度に苛立ちを募らせていた。
 成すべきとは一つだけであり、それは避け得ないことである。ならば……さっさとして終わらせれば良いのである。
 ギリッ!
 変なムードで盛り上がっている貴博となゆたを見て、有希は噛み合わせた歯を鳴らす。
 殺す!
 30秒以内にキスをして、これを終わらせなければ、現場に乱入して二人とも殺す。
 有希はじっと心の目で那由多の星を見つめながら、心の中でカウントダウンを開始した。
 
 
 己が命運を分けるカウントダウンが始まったことを知らず、花房博士はなゆたを見る。
 彼らがなぜ少女の姿を好むのか……その理由に、この儀式を前に、花房博士はようやく気付いた。
 なゆたは生命体に……人間に憧れていたのである。
 他者と触れ合い新たな情報を生み出す。それは彼女の夢だったのだろう。
 しかし、それは成し得ない……その想いが未成熟な少女の形を取らせている。
 ならば……この少女に伝えておくべき言葉がある。
 花房博士は、少女に一歩近付き、優しく話し出す。
「なゆた。僕らは……人間も、君たちも、不完全な存在でしかない。それは互いに触れ合う程度で補えるほど小さなものじゃないんだ」
 少女は真っ直ぐな悲しそうな瞳で花房博士を見る。
「でも……いや、だからこそ、僕らは他者を求める。求め続ける」
 言葉を切り、花房博士はゆっくりとなゆたの頭から麦藁帽子を取る。
「でも、それは恥ずべきことじゃない」
 花房博士は麦藁帽子を持った手を少女の腰に回し、
「……あっ」
 不安げに怯える少女に微笑む。
「僕も怖いよ」
 言葉どおり彼の手は震えていた。それはなゆたの存在の大きさに対する怯えではなかった。無垢なる少女に触れる畏れだった。
「傷付くことに恐れながら求め続ける……その想いを我々人類は“恋”と呼んでいる」
 花房博士は、ゆっくりと少女に顔を重ね……その唇に触れる。が、全身を襲った激痛に仰け反る。
 存在が揺らぐほどのノイズが彼の全身を走り続ける。
「あ!!?」
 小さな悲鳴を上げ、離れる少女の手を花房博士は掴む。
「大丈夫だ!」
「で、でも……」
 自身を構成する情報を遥かに超える少女の情報量に、花房博士の思念は崩壊しようとしていた。
「僕はどうなったっていい!!君を、先ずは君自身を安定させるんだ!」
 その言葉に少女は絶望の表情を見せる。
「強制融合で得た情報はあくまで、物理的な構成部分でしかないはずだ。君が真に安定するには、その奥に存在するもの……人間の心に、魂に触れる必要がある」
 その事実を少女は知っていた。いまそれをしようとしてたのだから……。
 だが、その結果が、これだった。触れようとしただけで、これだった。
 私が触れたら、この人は死んで……しまう?
 死?完全な消滅???
 ふらり、と離れようとした少女は、強く花房博士に抱き寄せられる。
「僕に構うな!早くしろ!!でないと……」
「……いや」
「その姿も人格も失うことになるぞ!!」
「いや……だめ」
 出来ない。この人を犠牲に存在するなんて出来ない。
「なゆた!!」
 激しいノイズが花房博士の背中を走り、触れることも出来ないままのなゆたの腕へと伝う。
 そして、少女は知る。
 自分を助けようとしている男の崩壊が、どうしようもないほどに進んでいることに。
 誰か……誰か、助けて。
 少女は涙を流しながら、自分が生まれた銀色の空へと目を向けた。
 
 
 その空の向こう、宇宙の彼方、那由多の果ての惑星で、銀色の翼を広げる少女が呟く。
「もう、あなたは一人じゃない」
 
 何かに気付いたように芽衣が振り返る。
 その手に触れたあきらが同じ空を見る。
 月影であるシュウが、その腕に抱かれた那岐が、一人佇む沙希が空を見上げる。
 
 
 涙を流し動くことの出来なくなった少女に、男が優しく唇を重ねる。
 少女は知る。
 男は無数の情報の塊で、そのバランスは怖ろしいほどに微妙なものだった。
 
 なぜ、私のために死ねるのか?
 なぜ、私に優しく出来るのか?
 なぜ、私は……この人を救えないのか?
 
 切なさに耐え切れず、少女は消えていく男の背中を抱きしめ……那由多の惑星を包み込み、宇宙全体を振るわせるほどの巨大な情報爆発が発生した。
 

 長い間……ぼんやりと青い空を眺めていた。
 見知らぬ町の四斜線道路の真ん中に花房博士は立っていた。彼は血と脂で汚れ、白衣も服もぼろぼろになっていた。
 しかし、金色の光は、どこにも存在していなかった。
 晴れ渡った空を、白い雲が流れいく。
 ぼんやりと立つ花房博士の横に、銀色の翼を広げ有希が舞い降りる。
「お疲れ様」
 有希の言葉に花房博士は腑抜けた顔をゆっくりと向ける。
「どしたの?」
 不思議そうに有希が聞き、
「どうして、僕は生きてるんだ?」
 と、それ以上に不思議そうに花房博士は聞き返した。
「あぁ、それ?あたしのお陰」
 あっさりと答える有希を、じっと花房博士は見る。
「だって、ほら……空から落ちた衝撃で、あなた、ぺっちゃんこになってたし」
 そうだ……こいつは、僕を空から捨てたんだった。
「向こうでどんな干渉を受けるかわからないから、リアルタイムで再構築を繰り返してたの」
 どこまで人間離れすれば満足なんだろうな、こいつ。
「で、どうだった?」
「全部こっちで見てたんだろ?」
 不機嫌に言う花房博士に、有希は不敵な笑みを見せる。が、それには答えなかった。
 花房博士はまた空に目を向ける。
「行っちまったな」
 有希はそれにも答えない。抑え切れない笑みを目に浮かべ、花房博士を見るだけだった。
「博士ー!!」
 元気いっぱいの声が聞こえ、月影に抱かれた那岐が、芽衣が、あきらが、沙希が舞い降りてくる。と、有希を見て、那岐が慌てて月影から降りる。
「みんなっお疲れ様!!」
 ビシッと親指を立て有希が言い、全員が微笑み会う。
「さ!みんな揃ったし、そろそろ行こうか!!」
 と、いきなり有希が先頭を切って歩き出した。
「おい、どこに行くんだ?」
 花房博士の言葉に有希は立ち止まり、
「デパート」
 と笑いながら一言だけ答える。
「だって、この子たち元の姿に戻ったら、すっぽんぽんよ」
 有希の言葉に、少女たちは頬を染めて顔を見合わせる。
「そうなの――っと?」
 花房博士の質問を有希が蹴りを入れてキャンセルする。
「そういうの女の子に聞くなっ」
 花房博士の奥襟を掴むと、有希は人差し指を立て、
「さっ行くわよ!!」
 と出発の宣言をした。
「ぐぇ!?ちょ、首、首が絞まってる」
「うっさい!!苦しいなら首を細めろ!あ、そうそう。あたしこの町、知ってるんだ。あっちの駅前に大きいデパートあるんだよねっ」
 花房博士の体重を苦にせず、有希は大股で歩き出し、心配しながら沙希が二人を追い掛ける。が、勢い余って花房博士の足を踏んでしまう。
「ぎょっ?」
「あ、ご……ごめんなさい」
「僕を殺す気か!!?」
 花房博士の言葉を聞き、那岐が笑いながら彼の足を踏もうと走り出した。
「ばっ!?やめろ!!ほんとに死ぬからやめろって!!!」
 足を必死に上げながら逃げる花房博士を笑いながら那岐が追い掛ける。
 芽衣とあきらがゆっくりと歩き出し、その後ろをシュウがのっそりと着いて行く。
 そして、有希以外の誰も気付いてなかった。
 初めて好きになった人を見付け、その幼い顔を輝かせている少女の存在に。
 彼女は大きな麦わら帽子が風に飛ばされないように手で押さえ、ゆっくりと走り出した。