第七日目 昼 1.
 
 
 いつもより早い時間に、僕は与えられた部屋を出た。
 瑠璃と連れだって談話室へと下りる。静かな廊下を、欠伸を噛み殺して歩く。
 僕も瑠璃も無言だった。
 瑠璃はどうかしらないが、少なくとも僕は寝不足だった。ここ数日は睡眠時間が足りていない自覚はあるが、今日は特別酷かった。
 それでも、談話室が見えて来る頃には、嫌でも目が冴えて来る。
 談話室の開かれた扉の向こうに最初に見えて来るのは、榛名の微笑だ。
 薄い笑みを浮かべ、目を伏せたまま、静かに立っている。時折、僅かに頭を傾げたり笑みを深くしている事から、談話室には誰かがもう居るんだろうと思われる。
 両扉の前に僕が立つと、今気付いた風を装って榛名が朝の挨拶をしてくる。
「お早う御座います]
 榛名の挨拶を聞きながら、僕は室内を見渡す。
 部屋の入り口である両扉からは見えなかったが、井之上鏡花が席に着いていた。
「……おはよう」
「おはようございます」
 僕が挨拶をするのを待って、瑠璃がお辞儀をしながら挨拶をする。
「おはよう。……今日は随分と早いのね」
「そうか?」
 井之上鏡花の言葉を無視するように、僕は抵当な言葉を返す。 返しながら、僕はさり気無く榛名の横に座る少女に目を向ける。
 しどけなく椅子に座ったまま眠り続ける少女。黒のゴシック調の服を纏った少女はもう……球体関節人形とは言えなかった。
 ごく自然に眠り続ける少女だった。
 ただ……昨日も感じた事だが、彼女には何かが足りない。昨日と変わらずに足りないままだった。
 その足りないものが何なのか?
 それは僕には分からない。知ろうとは思わないし、教えられたくもない。そして、それはある事を示している。
「おあよぉ」
「おはようございます」
 舌足らずな挨拶と、礼儀正しい物言いの挨拶。田沼香織と志水真帆だった。彼女達二人の後に続き、本田総司が姿を現す。
「おはよう」
 朝の挨拶をしながら本田総司は談話室の中を見回し、何故か失望したような表情をした。
「昨夜は『狐噛み』か?」
 席に着きながら本田総司は言う。
「狩人のGJかも知れなくてよ」
 円卓に視線を落としたまま井之上鏡花が呟く。
「まだ狩人は生きてるんでしょうか?」
「さあ?分かんないけど、可能性だけの話なら0%じゃないんじゃない?」
 志水真帆が不安そうに訊ね、どうでも良さそうに田沼香織が答える。
 それを聞きながら、本田総司が談話室の中へと足を進め、静かに宣言する。
「どちらにせよ……昨日は、誰も殺されなかった。それが答えだろう」
 そして、その背後で重い音を残し、談話室の扉は閉じられる。
 
 全員が席に着き、互いが口を紡ぐ。
 誰かが話し出すの待っているんだ。
 だが、誰も話そうとはしない。誰もが視線を誰も居ない方に向け、誰かが話し出すのを待っている。まるで、最初に口を開いたら吊られるかのように。
 しかし、それも長くは続かなかった。誰も話し出さないのを確認し、榛名が一歩前に出る。
「昨夜は、誰も殺されませんでした。皆様と変わらず今朝を迎えられた事を嬉しく思います。では、確認事項は御座いませんので、このまま話し合いを始めて下さい」
 優雅に礼をして、榛名はクトゥルフの横に下がる。それを見ながら僕は苛立たしく、心の中で舌打ちをした。
 クトゥルフを完成させる為の臓器を手に入れたい癖に……嬉しく?ふざけるな。誰よりも残念なのは、お前じゃないのか。
「先ず、確認して置きたいんだが」
 最初に口を開いたのは、本田総司だった。
「昨日に引き続き、加納の夢は聞かなくてもいいだろうか?……俺は聞く必要が無いと思っているが」
「それには理由があるのかしら?」
 続いて口を開いたのは、井之上鏡花だった。
「理由は、『人狼』もしくは『狐』を見付けるのに『死者の夢』は必要がないからだ。いや、むしろそれを聞いた者の主観が入る分、冷静な判断をするのに邪魔になるだろう」
「聞いた者だけじゃなく、加納さんの主観も混じる?」
 分かり切った事のように井之上鏡花は言う。
「そうだ。加納の主観が入った上に、聞いた者の主観まで入る。情報と言うにはあまりにも正確性が欠けると言わざるを得まい」
「確かに、そうね。そう言わざるを得ないわね」
 自分に言い聞かせるように井之上鏡花は呟く。
「でも、それって加納遥の意見を無視して決めていい事じゃないんじゃない?」
「あたしは……加納さんが嫌じゃなかったら聞きたいです。それでなくても情報が少ないんですよ。ちょっとでもあった方がいいと思うんですけど……」
 田沼香織と志水真帆が僕の方を見る。
「僕は……」
 昨日の夢。誰かを、いや、『彼女』を殺した『夢』をここで話すのか。そんなのは無理だ。絶対に話せる訳が無い。
「僕は……出来れば話したくない。話さずに済むのなら、そうして欲しいと思う」
 視線を外し、それだけを言葉にする。するが、彼女達の視線がいつまでも僕を見ているような気がして、顔を上げる事が出来ない。
「んじゃ、嫌がってるんのを無理矢理聞くってのもねえ」
「仕方ないですね」
「……らしいわよ」
 田沼香織らの言葉の最後に井之上鏡花が細い溜息のような声を零す。
「すまない。そう言って貰えると助かるよ」
「なんであんたが礼を言うのよ」
 田沼香織の言葉に、本田総司は微笑みを浮かべる。
「じゃ、他に報告っぽいのも無いし、どうすんの?このあと」
 田沼香織は投げやりに聞く。聞きながら本田総司を見る。
「再確認で……今までの情報を再確認しよう」
「それでいいの?『預言者』も偽として吊ってしまったのに?」
 嘲るように井之上鏡花が言う。
「それでも、だ。真偽を確かめる意味で再確認が必要だろう」
 眼鏡の位置を直しながら本田総司は、円卓の全員に話す。
「先ずは、岡原悠乃の霊媒では加納遙は『村人』だった。そして、坂野晴美は……当然だが、加納遙も岡原悠乃の二人とも『人狼』だった」
 その言葉に、三人の少女は各々の仕草で頷く。
「結果、二人を吊り、一匹の人外を吊った事になる。人外が『人狼』か『狂人』かは不明だが……」
 軽く息を吐いて、本田総司は続ける。
「次に預言者候補だった山里理穂子の結果だが、大島和弘と志水真帆の二人が『村人』で相良耕太と田沼香織が『人狼』だった。大島和弘は喰われ、相良耕太は吊られてしまっている……」
 顎の下で両手を組み、本田総司は訊く。
「率直に言うが、山里理穂子は真の『預言者』だったと思うか?」
 訊くが誰もそれに答えようとしなかった。彼女たち三人は、無表情に視線を誰も居ない方に向ける。
 重々しい沈黙が円卓に満ちる。諦めたように本田総司が溜息を吐く。
「では、山里理穂子を真の預言者として、話を進めよう」
「いや、ちょっと待てよ」
「何かしら?」
 僕の声に反応をしたのは、井之上鏡花だった。彼女は視線を外したまま静かな声で答える。
 本田総司は振り返りもしない。
「山里理穂子は吊られたんだぞ。吊っておいて……吊った後で、真だとか言うつもりか!」
 背中を向けたまま、本田総司は静かに答える。
「言う……つもりだよ」
「な!?」
「恥知らずな意見なのは重々承知している。だが、昨日の段階で誰を吊る?井之上鏡花を吊るか?田沼香織を吊るか?それとも……俺を吊るのか?」
 僅かにその肩が震えているように見えた。
「答えは『No』だ。『狐』が生きている可能性がある限り、田沼香織は『人狼』として吊る事は出来ない。俺も井之上鏡花も自身を『村人』だと言っている。そして、清水真帆は白判定だ」
 疲れたように本田総司は、組んだ腕の中に顔を埋める。
「誰を……吊る気だ?誰を吊ったら勝てる?誰を吊るのが、一番正解に近い?……答えは、山里理穂子だ」
「……本気で言っているのか?」
 僕の呟きを無視して、本田総司は話を続ける。
「山里理穂子は『狐』を見付ける事が出来なかった。だから、吊ったんだよ。昨日の段階で『狐』を殺していれば……」
「今日、殺されていたでしょうね。そして、それが出来なかった結果が……『詰み』よ。彼の言葉通りの展開ならね」
「え?」
 一瞬、僕は言葉の意味が理解できず、間の抜けた声を漏らす。漏らし、井之上鏡花に顔を向ける。
「気付かなかったのかしら?」
 井之上鏡花は首を傾げ、不思議そうに僕を見る。見るが、何にだ?彼女は何を言っている?
「今日、ここに残っているのは『狐』『人狼』を含む四人なの。今日、『狐』を吊れたとしても残りが三人。夜に一人が喰われて、残りが『人狼』を含めた二人になる」
 僕は……その言葉を聞いても理解出来なかった。いや、したくは無かった。
「詰みだと?」
 『村人』が負けたと言うのか?本田総司や清水真帆が、まだ生きているのに?
 嘘だろ?と思いながら、僕は理解する。後は、『狐』か『人狼』の勝ちを決めるだけだと。
 己の『死』か『罪悪感に苛まれ続ける生』のどちらかを選ぶだけだと。
 
 愕然と僕が崩れ落ちるのを無視して、本田総司は言う。
「話が横道に反れたな。もう一度だけ問うが……山里理穂子は真だと思うか?」
 大丈夫ですか?と瑠璃が僕に話し掛けるが、僕はそれを無視して本田総司の背中を見る。
 そして、今度は少女達は口々に答え始める。
「……偽よ。山里理穂子は偽の預言者のはずよ」
 歯軋りをするように田沼香織が言う。
「白判定をもらっていて、こんな事を言うのはおかしいと思うけど……あたしも彼女は偽だと思います」
「私には、山里理穂子を真とする意味合いが理解出来ない。と、言わせて貰おうかしら」
 それぞれの言葉を聞き、本田総司は言う。
「つまり、山里理穂子を真だと思っているのは、俺だけと言う訳か。その理由を聞かせて貰えるか?」
 タイムラグ無しで田沼香織は答える。
「あたしは『人狼』じゃないっ!」
 女子二人の様子を見て、清水真帆が言う。
「あたしは……彼女の占い、でいいのかな?占いでの見方に違和感を感じるんです。普通はそうは見ないと思うんですよ。最初から何かが変なんです。何故、あの段階で大島和弘さんなんですか?それに」
 ぐっと言葉を飲み込み志水真帆は続ける。
「山里理穂子さんから白判定を言い渡されたとき、『次に殺されるのは、あたしなんだ』って思ったんですよ。彼女に殺されるのは、あたしだって。……そう、あたしは山里理穂子を『人狼』だと思ってます」
 言い終えてから、志水真帆は自分が注目されている事に気付く。まるで喋り過ぎたかのように、最後に小さな声で、「あ、あの……ご、ごめんなさい」と付け足し、志水真帆は下を向く。
 そして、本田総司は顔を井之上鏡花の方に僅かに向ける。
「私は二人と違って、何か確信めいた事がある訳じゃないの。ただ……そうね、違和感のような物を感じていただけよ。山里理穂子を信用してはいけない、と」
 井之上鏡花は続けて言う。
「逆に、あなたが山里理穂子を真だと言う根拠を聞かせて貰えないかしら?」
 溜息のように息を吐き、本田総司は辛抱強く語り出す。
「何度も言うようだが、俺は『共有者』の片割れだ。相方は田沼幸次郎。そして、田沼は『狐』に殺された……偽装殺人だ。山里理穂子は田沼を『見て』いないと言った。彼女が偽ならば『田沼幸次郎を見ていた』と言うはずだ。そうすれば『狐』は潜伏するが信用を勝ち得るはずだ。それを言わなかったのは、彼女が真の『預言者』だからだ」
 語り終えた本田総司に井之上鏡花は薄い笑みを向ける。
「確かに論理の矛盾は無さそうに思えるわね。でも、私は疑問に思うの……」
「何をだ?」
 僅かに苛立ったように本田総司が聞く。
「あなたは、本当に『共有者』なのかしら?」
「馬鹿馬鹿しい」
 本田総司は言いながら眼鏡の位置を直す。
「あなたがもし、人外だったらどうなるのかしら?『人狼』だったら、『狐』だったら……」
 確かにそれは僕も考えた事がある。が、その度に、それを否定する考察が心を支配してきた。
 そして、本田総司と井之上鏡花の会話を苛立たしげに聞いている者がいる。田沼香織は二人から視線を外してはいるが、明らかに会話の流れに苛立ちを感じている。
「あなたの『共有者』宣言は、あなただけのもの。あなた以外に、それを肯定するものがない」
「何が言いたい」
「あなたが真の『預言者』だと言う山里理穂子も、あなたを『村人』とは言っていない。それとも……」
 井之上鏡花は静かに言う。
「言えなかったのかしら?」
 本田総司は僅かに首を振る。
「山里理穂子は『狂人』だったのかしら?誰が『人狼』なのかも知らずに、言い当ててしまった。『狐』をそうと知らずに擁護してしまった」
「ふざけっぐふぅ」
 我慢の限界が来たかのように叫んだ田沼香織が円卓に突っ伏する。
「な!?」
 苦しむ田沼香織を蔑みの目で見ながら井之上鏡花は言う。
「何が言いたかったのかしら、田沼香織さん?でも、円卓の場での発言には気を付けた方が良いでしょうね。不適切な発言にはリミッターが働くみたいだから。でも……」
 井之上鏡花は続ける。
「あなたが何を言いたいのかは、私にも理解は可能よ。……私を殺す事は出来なかった。喰う事は出来なかった」
 井之上鏡花は、くすっと笑みを漏らす。漏らし、悔しげな田沼香織を見る。
「CO」
 そう静かに呟いたのは……志水真帆だった。
「志水真帆は、『狩人』である。守って来たのは……言う必要は無いですよね?」
 驚愕に目を開く田沼香織に、志水真帆は微笑んでみせる。
「そして……」
 井之上鏡花が囁く。
「これが私達の真実。勝利は逃したけれど、『狐』にだけは譲らない」