第七日目 昼 2. 
 
 
 倒れ込むように座り、本田総司は眼鏡を投げ出した。目頭を指で揉み、自嘲的に呟く。
「駄目だな。井之上鏡花と志水真帆は完全に俺を疑っている」
 場所は、喫煙室。午後の静寂が支配する部屋の中で、僕らは夕刻の投票までの時間を過ごす。
「だけど、本当に彼女達は人外じゃ無いのか?」
 もう一つの疑問を押し殺して、僕は本田総司に尋ねた。テーブルに設置された使われた形跡の無い灰皿に指を這わせる。
「分からない……な。だが、人外ならどちらかは『狂人』だろう。二人が共謀しているのは間違いない」
 本田総司は続けて言う。
「だが、お前の『夢』の結果がある」
 『夢』と言われ、僕の指がピクッと震える。
「井之上鏡花の『夢』の結果は、『村人』だったはずだ」
「だけど、それは確定じゃない。僕の判断が間違っていた可能性もあるはずだ」
 目を閉じ、高い天井を向いたまま本田総司は言う。
「しかし、俺の判断も……お前の『夢』を聞いた俺の判断でも、井之上鏡花は『村人』なんだよ」
「でも!」
 思わず声が大きくなり、僕は気分を落ち着けるように襟元を緩める。
「だけど、このまま行ったら間違いなく、お前は吊られるぞ」
 ふっと笑みを漏らし、本田総司は呟く。
「だろうな」
「だったら、何とかしないと……お前が吊られたら終わりなんだぞ」
「もう、終わっている」
 静かにそう言って、本田総司は天井を睨む。
「まだ終わっていないんだとしたら、本当に井之上鏡花と志水真帆が『村人』だった場合だな。『人狼』候補の田沼香織を吊ってみるか?賭けになるが、どう足掻いても負けが決定しているんだし、どんな結果になっても惜しくはないだろう」
 だが、と本田総司は続ける。
「しかし……俺の読みでは、井之上鏡花か志水真帆のどちらかは『狐』だ。……お前の『夢』は、志水真帆を見なかったのか?」
 その問いに、僕は黙って首を横に振った。
「だとしたら、井之上鏡花と俺の『夢』が判断材料になるな」
 その言葉に、僕は顔を引き攣らせる。引き攣らせ、眼鏡を外した本田総司を振り返る。
「そんな顔をするなよ。一晩に一人だけ『夢』で見るのなら、残っているのは……俺と田沼香織しかいないんだからな。それに」
 ゆっくりと外した眼鏡を取りながら本田総司は言った。
「あのメイドだった女の子を連れていないんだ。二人だけで……俺に話があるんじゃないのか?」
 僕は言葉を返さずに本田総司を見る。
「俺の『夢』を見たんだな。そして、俺に話し掛けてきた。『夢』の結果は、どうだった?俺を人外指定するか?」
 その予想外の本田総司の言葉に僕は自分でも気付かない内に笑みを浮かべていた。ゆっくりと首を振って話し出す。
「違う。そうじゃないんだ。お前は『村人』だよ、本田総司。僕は聞きたかったのは……」
 小さく息を吐いて、声が震えないように注意をする。本田総司を見て、彼の仕草や反応を見逃さないように注視する。
「僕が人殺しかどうかだ」
 じっと僕を見て、本田総司はふっと笑いを堪えるように下を向く。向いて、小さく首を振る。
「つまらない事を聞くんだな。そんな事は自分で分かっているだろう」
「分からない。僕にはその時の記憶が無いんだ」
 僕の言葉を聞き、本田総司はゆっくりと顔を上げた。黙ったまま本田総司は、じっと僕を見詰める。
「僕には『彼女』の記憶が無い。あるのは罪悪感だけ……この拭い切れない罪悪感だけなんだ」
 そして、僕は確信している。この罪悪感は『彼女』を殺したからなんだと。だけど、それを誰か、他の誰かの言葉で言って欲しかった。僕の『罪』を告げて欲しかった。
「だから、教えて欲しい。僕は……『彼女』をこの手で殺したのか?」
 本田総司は何も言わない。言わずに、僕をじっと見詰める。
「あの日、ホームで『彼女』を突き飛ばしたのは僕なのか?昨日の『夢』ではそこまでは分からなかったんだ。だから、お前に答えて欲しいんだ。僕が本当に『彼女』を殺したのか、どうかを」
 僕は本田総司に詰め寄る事も出来ず、その場で懺悔するように自分の罪を訊く。そして捌きを待つ罪人のように頭を垂れ、本田総司の答えを待つ。
「俺は……」
 静かに響いた声に、僕はビクッと震える。
「お前が『彼女』を殺したと……お前が殺人犯だと思っていた。だが、朝のホームでの犯行なのに、目撃者は……いなかった。誰も居なかったんだ。不思議な、不気味な出来事だったよ」
 ゆっくりと僕は顔を上げる。そして、本田総司を見る。
「朝のホームでの『彼女』とのやり取りを見ていた人は大勢いたよ。俺と『彼女』が早足にホームに沿って歩いていたのも大勢が見ていた。『彼女』の様子を、片手に単語帳を持っていたのまで覚えている人もいた」
 僕は黙ったまま、本田総司の話を聞く。
「なのに、だ。それなのに、『彼女』の突き飛ばされた瞬間は誰も見ていない。誰もが口を揃えて言ったよ」
 本田総司は口惜しそうに言葉を紡ぐ。
 
『次の瞬間、自分が見た時には彼女はホームに向かって飛ばされていた』
 
「誰もが、異口同音にそう口にしたそうだよ」
 僕は唖然としていた。本田総司から『彼女』の死の真相、殺人者としての僕の罪を告げられると思っていたのに……これじゃまるで。
「完全犯罪だよ。『彼女』は殺された。なのに、その瞬間を見た者は居ない」
「……馬鹿な」
 自然と漏れた言葉に本田総司は頷く。
「そう、馬鹿なだよ。警察にも言われたよ。『馬鹿な事を言うな。誰も見ていなかったんだ。あれだけの人が居て、誰も見ていないんだから、これは事故だ。間違いなく事故なんだ』って何度も言われたよ」
 本田総司の最後の言葉を聞き返す。
「何度も?」
 頷き、彼は言う。
「『彼女』は殺されたんだと何度も訴えたからね。もう一度調べてくれって何度も足を運んだ。だが、警察の判断は『事故』だった。それが覆る事はなかった」
 事故……本当に『事故』なのか?いや、
「だけど、お前は事故とは認めなかったんだな。お前は殺人だと思ったんだ」
 僕の言葉に本田総司はゆっくりと首を振る。
「当時の俺はあれを殺人だと思った。誰かが……いや、加納遙が『彼女』を突き飛ばしたのは間違い無いと思っていた。だけど、今は……」
 言葉を切り、本田総司は自分の手を見る。
「お前が殺したとは思えない。お前が殺人者とは、俺には思えない」
 そう呟いた。
「あの日、あの場所で……お前は手を伸ばしていた。あの手は、彼女を助ける為に伸ばされた手だった。……俺は今そう思っている」
 本田総司はゆっくりと席を立って、僕の前に立つ。
「短い間だったが、お前という人間は分かっているつもりだ。お前は、無駄と、無理だと分かっていても手を差し伸べてしまう人間だ。そして、その結果に罪悪感を抱いてしまう……そんな人間だ」
 本田総司はもう話は終わりだと言うように、僕の肩を軽く叩き、背を向ける。
 その背に僕は掛ける言葉を捜すが、何を言えば良いのか、いつまでも悩み続けていた。
 
 
 夕刻になり、僕は談話室に戻る。
 他のメンバーは揃っているのか、僕の背後で両扉は重々しく閉じられる。が、僕はその場に立ち竦む。
「どう言うことだ?」
 主語を入れずに僕は榛名に聞いた。反射的に訊ねてしまっていた。訊ね、円卓の面々に顔を向ける。
 井之上鏡花は静かな空気を纏っている。志水真帆は怯えたように顔を伏せている。本田総司は怒ったように前を睨んでいる。
 ……が、それだけである。それだけのメンバーしかいない。田沼香織の姿が無いのである。
 榛名は何も答えない。ただ薄い笑みを浮かべ、目を伏せている。
「死者である僕には答える必要はない、と言う訳か?」
 笑みを深め榛名が、僕に目を向ける。
「いえ、そう言う訳ではありません。……が、何を聞かれたのか判断が付きませんでしたので」
「付かない訳が無いだろ!!この状況なら田沼香織はどうしたと聞いているのか分かるはずだ」
 声を荒げ、僕は言う。想像は付くが、そんな事をさせる訳にはいかない。
「田沼香織様の事でしたか。……彼女には『ペナルティ』が与えられました」
「ペナルティ?」
 嫌な予感を感じながら僕は呟く。
「はい。円卓の場でゲームにそぐわない発言をしようとした『罰』が与えられています」
 僕はじっと榛名を睨む。
「彼女は一度止められたにも関わらず、円卓の場でゲームの根幹に関わる発言をしようとしました」
「止めたように見えなかったが?」
 榛名は笑みを浮かべたまま、ゆっくりと首を振る。
「他者には判らなくとも、止められていたのです。そして、それを無視したのです」
「だから、ここには居ないと……」
「はい。田沼香織様は投票権を失いました。これは当然の罰と考えています。彼女は今、隣室にて、ここでの投票の結果をお聞きになっています」
 田沼香織は自分が『人狼』であると発言したも同じだ。そして、投票権を失い、隣室にて死刑の宣告を待っている。
「しかし、それでも」
 僕の次の言葉を知っているのか、榛名は何かを期待するように目を細める。
「円卓の場に居ないのは納得がいかないな。僕は投票権が無くとも、田沼香織はここにいるべきだと思う」
 何かを思案するように榛名は頭を垂れ、顔を上げて、他のメンバーに尋ねる。
「田沼香織様を円卓の場に、との意見がありましたが……異存は御座いませんか」
「俺の意見も加納と同じだ。まだ生きているのなら円卓に座るべきだろう。例え、投票権が無くてもな」
 本田総司が答え、他の二人もそれに頷く。
「解りました。……では、田沼香織様を御連れしなさい」
 部屋の隅に控えていたメイドの少女にそう命令をする。彼女が動き出し、僕は席に着く。
 奥の絞首台へと続く部屋の扉から連れて来られた田沼香織を見て、僕は言葉を失う。いや、それは僕だけじゃない。本田総司も井之上鏡花も志水真帆も、その姿を見て目を背けた。
 田沼香織は血で薄汚れた拘束着を着ていた。手はベルトで自身の身体を抱くように回され、足には無数のベルトで固定されている。言葉を発しないように細工のされたマスクが顔の下半分を覆っている。
 そして、古い錆びた車椅子に座らされていた。
「な……!?」
 椅子から立ち上がり、言葉を失っている僕に榛名は囁くように言う。
「ゲームのルールを守る為の、当然の処置です」
「しかし、これじゃ」
「会話及び意志の伝達を不可能にする為に、こうする必要があったのです」
 榛名は円卓の場にそう告げる。
 田沼香織を使い、井之上鏡花と志水真帆の連携を崩そうと考えていた僕は彼女から視線を外す。外し、心の中で舌打ちをする。
「では、投票を行いますので、こちらの用紙に御記入を御願いします」
 その言葉に僕は思わず顔を上げる。
「ちょっと待てよ!なんで、昨日はもっと遅かったはずだぞ!!」
「井之上鏡花様と志水真帆様が、そう要求されたのです。円卓での会話はもう必要では無い、と」
 そんな、馬鹿な。
「いや、でも……本田総司の意見だってあるだろう!全員の総意じゃないと、そんな事は認められないはずだ!」
 加納さん、と後ろで瑠璃が小さな声で僕を呼んでいる。呼んでいるが、僕はそれを無視した。
「答えろ!例えゲームマスターでも」
「全員の……」
 僕の言葉に重ね、榛名が呟く。
「総意なのです。本田総司様も会話を成さない事に合意されました」
「そんな事……は、なんだって!?」
 驚く僕の袖を瑠璃が縋るように引いていた。
「これは、全員の総意なのです。……では、こちらの用紙に御記入を」
 何故だ。本田総司は、どうして、そんな自殺行為のような真似をするんだ。
 自殺、と僕の中で何かが繋がる。本田総司の、あの喫煙室での会話が、諦めたような会話が思い出された。
「ふ、ふざけるなっ!!こんな事が許されるはずが無いだろうっ!!!本田総司は自殺しようとしてるんだぞ!」
 僕の脳裏に、相良耕太が最後に見せた笑みが浮かんでた。岡原悠乃の悲鳴が聞こえていた。田沼幸次郎の死体が浮かんでいた。山里理穂子の悲痛な叫びが聞こえていた。坂野晴美が静かな歩みが……。
 そして、喰い殺されていた矢島那美の死体がフラッシュバックのように瞬く。
「お前は……お前は、あいつら全員を裏切るつもりかっ!!」
 そして、記入を終えた本田総司が用紙を榛名に戻す。
「無視するんじゃねえよっ!!答えろ!本田総司ぃいい!!!!」
 僕の袖を引きながら、瑠璃は泣いていた。泣きながら、僕の袖を引いていた。
 だけど、それでも本田総司は振り返らない。僕の顔を見ようとしない。
 そして、榛名も「静粛に」と注意を与えなかった。
 
  加納 遙
  田沼 幸次郎
  相楽 耕太  
2 本田 総司  ―志水 真帆  
  古川 晴彦    
  大島 和弘
  坂野 晴美  
0 井之上 鏡花 ―本田 総司 
1 志水 真帆  ―本田 総司 
  山里 理穂子 
  藤島 葉子 
  岡原 悠乃  
0 田沼 香織  ―
 
 誰も居なくなった談話室で……吊られ、揺れる本田総司を睨み、僕は呟く。
 
 
 
 
「これで……終わりなのか?」