第七日目 夜.
 
 
 月明かりの下で、僕は瑠璃と話をして過ごした。
 窓から差し込む月の光は、優しく全てを包み込んでくれそうだった。ほんの少し色を濃くした影が、古い映画のようにも見える。
 明かりも点けずに僕らはいつまでも話し込む。
 どうでもいい日常的な話。好きな映画や小説の話。やりたかった事。やってみたい事。そんな、たわいも無い話を続けた。
 ゲームの関係で記憶は欠落しているが、僕は嘘や誇張を混ぜて話した。
 笑っている瑠璃の顔を見ていたいから。不思議そうに首を傾げる瑠璃の仕草を見ていたいから。真摯な態度で頷く瑠璃の瞳を見ていたいから。
 記憶は恐ろしく欠落していた。曖昧なボヤけた、と言うよりはっきりと欠落している部分が大半だった。まるで、ゲームの為に作られた人形みたいだな、と感じていた。感じながら、僕は話を続ける。
 こんな顔で笑うんだ。
 そう瑠璃を見て思っていた。この数日で瑠璃の表情は……変な言い方だけど、人間に近付いたと思う。あの最初の頃の人形めいた無機質さが嘘のようだった。
 ふと、ゲームが終われば、ここはどうなるんだろうと思った。
 瑠璃は、どうなるんだろう……と。
 しかし、それを口にする事はしない。誰にも分からない事だし、そんな事よりも僕は瑠璃の笑っている姿を見ていたかった。
 時間の許す限り、瑠璃と話をしていたかった。
 
 
【幕間】
 
 
 音も無く『人狼』の少女は姿を現した。
 ドアを開き、廊下から一歩室内に踏み込む。と、派手な音を立ててドアを閉じる。
 不安げにソファに座っていた志水真帆は、その音に驚いたように顔を上げる。そして、腰を上げ、振り返る。
 志水真帆の喉が不自然に動く。
 その様子を見ながら、『人狼』の少女は遠巻きに歩いて行く。コツコツとローファーの靴音がリズムを刻む。
 『人狼』の少女は、志水真帆と一定の距離を保ちながら、不機嫌に歩き続ける。
 最初に口を開いたのは、志水真帆だった。
「や、やっぱりあなただったんですね」
「……」
「つまり、彼女は嘘を言っていなかった」
 志水真帆は怯えながらも、その瞳は確信の色を濃くする。
「……つまんない」
 ぼそり、と『人狼』の少女は呟く。
「つまんないことを聞くけど、お前はほんとに『狩人』なの?」
「それを聞いて、何になるんです?」
 何になるのか、何を知りたいのかを理解しての質問だった。
 歩き、その瞳で志水真帆を見ながら『人狼』の少女は呟く。
「ふぅん……答える気、無いんだ」
 『人狼』の少女は視線を外すと、部屋の壁を力無く蹴った。
 そんな『人狼』の少女を見ながら、志水真帆は震える声で言う。
「答えても、結果は変わらないんですよね。だったら、少しでも有利に運ぶためにも黙っている方が賢明でしょう」
 志水真帆の言葉に、つまらなさそうに視線を外していた『人狼』の少女は振り返る。
「有利?賢明?本気で言ってるの???」
「……」
「もうゲームは終わってる!『人狼』の勝ちでゲームは終わるの!!」
 人狼の少女は叫ぶ。叫び続ける。
「終わってるゲームで有利も賢明も何もないでしょ!!ゲームは終わった!……『人狼』の勝ちなのっ!!!」
 まるでそれが嫌な事のように『人狼』の少女は吐き捨てる。そして、嫌な物を口にしたように、不意に黙る。
 その様子を静かに見ていた志水真帆が口を開く。
「今日、『人狼』候補のあなたを吊らなかったから、『人狼』側の勝利だと言いたいんですね。今日、『狩人』であるあたしを殺せば……明日は『村人』一名、『人狼』一名になる、と」
 『人狼』の少女は不満げに舌打ちをする。
「だけど、あれは『村人』本田総司を慮っての結果です」
 言葉の空白があった。その言葉をここで言う意味がわからなかった。
 オモンバカル?
 不思議そうに首を傾げて、『人狼』の少女を感情のままに声を出す。
「は?」
 『人狼』の少女は相手が、何を言ってるのか、何が言いたいのか、未だに理解出来ていなかった。
「あなたを吊っても勝利は出来たのです。しかし、本田総司はあなたを吊りたくは無いと考えていました」
 志水真帆は、優しく『人狼』の少女に語り掛ける。
「え?ちょっと待って」
「例え、自分が吊られても、あなたの吊られた姿を見たく無かった」
「待てってばっ!!」
 焦る『人狼』の少女に、あくまでも優しく話をする。
「彼を吊ったのは、彼に対しての……『村人』に対しての手向けです」
「黙れぇ!!!」
 一瞬で間合いを詰めた『人狼』の少女は、志水真帆の首を左手で掴む。
 そして、志水真帆の瞳に嘲りの色を見て、『人狼』の少女は牙を鳴らす。
「さっきの質問に答えて上げますよ。私は『狩人』です。正真正銘の『狩人』なんですよ。誰かが途中『狩人』だと嘘を吐いていたんですね。そして、あなた方『人狼』はそれを信じた」
「……黙れ」
「そして、私は……ぐっ」
 『人狼』の少女の手の中で志水真帆の首が不自然な皺を刻む。
「わた……しは、彼女を守り続けた。『狐』である彼女を守り続け」
「黙れぇええっ!!!」
 『人狼』の少女の右手が動くと同時に、肉が崩れ潰れる音が響いた。
 一瞬で頭部を失った志水真帆の肉体が歪な踊りを見せる。
 それを地面に投げ付け、『人狼』の少女は頭を抱えて座り込む。
 人狼はあたしだ。あたしなんだ。
『その手の冗談は言うな。……吊られるぞ』
 本田総司の半ば呆れたような仕草が思い出された。
「違う。…・・・黙れ。黙ってろ。黙れ、黙れ、黙ってろ」
 彼に恋愛感情は無い。無いのに、幾度も目にした眼鏡を直す仕草が頭に浮かんで来た。
「あたしは……『人狼』なんだ」
 ゆらり、と『人狼』の少女は立ち上がる。そして、虚ろな瞳のまま志水真帆の死体に跨る。
「『人狼』なんだ」
 無造作に腹を裂き割り、内臓を掻き出す。
「あたしは『人狼』なんだ。……あたしが『人狼』なんだ」
 ゆっくりと掻き出した内臓を適当な大きさに千切る。
「あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは『人狼』なんだ。あたしは……」
 『人狼』の少女は泣きながら、志水真帆の死体を解体し続けた。
 
 
【暗転】
 
 
 疲れ果て、いつのまにか眠ってしまったようだった。
 薄目を開けると、瑠璃が眠っているのが見えた。彼女は嬉しそうな笑顔で寝ていた。
 それを見て、くすっと僕は笑う。笑い、目を再び閉じる。
 そして……僕は夢を見た。
 
 
「死に損なうと……辛いぞ」
 それはどちらが口にした言葉だったのか。
 いや、どちらでも同じだろう。
 月明かりの下で、二人の加納遙はロシアン・ルーレットを続けているんだから。
どっちがどっちだった?」
 変な質問だな、と僕は思う。
「俺が勝てば『人狼』側で、お前が勝てば『村人』側らしいぜ」
 僕と向かいに立っている『加納遙』が口にする。口にし、撃ち終わった拳銃を手渡す。
「全てを忘れ、安泰に暮らす……か。“俺”には理解出来ないな」
 僕は口にし、拳銃を構える。
「お前らの選んだご褒美だぜ?」
 嘲りを隠さずに、加納遙は言う。
「俺が選んだ訳じゃない」
「だが、お前“ら”の選んだ答えが、それだ」
 そう……僕はそれを、『彼女』の死を忘れたいと願っていた。
「お前らの願いだって、似たようなものだろうが」
 吐き捨てるように僕は言う。
「ま、確かにそうだな。死にたきゃ、勝手に死ねばいいだけの話だ」
 カチッと乾いた音が即頭部に響く。
「だが、それだけじゃない。俺だけじゃない……死ぬべきは」
 手渡された拳銃を躊躇わずに即頭部に押し付け、加納遙は引き金を引く。
「『彼女』の死に関わった全員だ」
 また小さな音が鳴っただけだ。
 拳銃を手渡し、加納遙は続ける。
「『彼女』に一連の行動を起こさせた事実を伝えたヤツがいる。間接的に彼女を殺したヤツ……そうと知らずにいたヤツもいれば、知って後悔しているヤツもいる」
 震える声で加納遙は続ける。
「あいつらは殺人者だ。罪に問われない殺人者だ」
「八つ当たりにしか思えないけど?」
 呆れたように僕は言う。言い、拳銃を手渡される。
「……確かに、な。お前も“俺”だったな」
 小さな溜息を吐いて、加納遙は続ける。
「八つ当たりだよ、これは。小さな子供が壊れた玩具を直して欲しくて、地団太を踏んでいるのと同じだ。……だが」
 加納遙は僕を見て、はっきりと言った。
「『人狼』は本気でそれを……お前達の『罪』を償わせようとしているぞ」
 そして、僕は頭に拳銃を押し付け、言う。
「知った事か」
 無言の拳銃を頭から戻す。
「僕は、僕の人生に置いて『彼女の死』を容認する。あれはもう過去の出来事だ。もう終わったんだ。『彼女』は死んだ。死んだ瞬間に、もう過去の人なんだよ」
「だが、俺がいる」
 拳銃を受け取り、加納遙は言う。
「俺がいる限り、それは過去にはならない。お前は今も責め苛まれている。……違うか?」
 加納遙が聞き、頭に拳銃を押し付ける。
「だけど、そ」
 激しい銃声と共に、僕の顔に血が飛び散る。何かが頬を掠め、背後の壁に突き刺さった。
 僕は反射的にそれを目で追う。そして壁に穿たれた小さな穴を見る。
「銃弾?」
 だけど、何で……あそこに銃弾が飛んだんだ?正面に立っている加納遙の側頭部から拳銃を撃ったら
 ゴトンッ!と、堅い音に僕は振り返る。
 そこに顔面を血塗れにした加納遙が立っていた。
 銃弾が逸れた?
 加納遙は片目を潰されていた。残された目も見えていないのか、あらぬ方法を向いている。その目の目蓋の上に今も血を抜き出している穴がある。
 肉が弾け、内側から捲れ上がった穴が……血塗れの穴がある。
「あ……がァ」
「お、おい。大丈夫か?」
 間抜けな質問だ。自殺者に何を聞いているんだ、僕は。
「ガァ……ぐぅきゅがるるえうぇがっぅうう」
「な!?」
 押し倒された!?いや、違う。
 と、思っている間に加納遙の両手が喉に掛けられる。
「ぬ不hごlhふぉぁhじえkんgふぁk」
 意味不明な事を叫びながら、両手で僕の首を絞める。
 ボタボタと加納遙の顔面から血が滴り落ちる。
 顔を振り、逃れようとするが、加納遙の力は信じられないほど強かった。
 なんで、僕が殺されなきゃならないんだ?
 上になった加納遙の腕を力任せに殴る。
 と、加納遙と僕の間に彼の眼球があるのが見えた。
 潰れ、ひしゃげた眼球が僕を見ていた。
 そして、僕は気付く。
 僕も加納遙の殺意の対称だった事に。
 彼は僕と向かい合ってルシアン・ルーレットを続けながら、何度拳銃を奪い、僕に向かって銃弾が発射されるまで撃ち続けたかっただろうか。
 だが、それをしなかった。出来なかった。
 殴ってた手を止め、加納遙の腕を掴む。
 それは優しさだろうか?弱さなんだろうか?
「ガッ」
 何とか肺の中の空気を出す。血の混じったそれを自分の顔に浴びる。
 加納遙の腕は弱まらない。いや、強さが増したようだった。
 霞む目で加納遙を見る。
 薄暗い部屋の中で、僕は確信する。
 彼は長くは無い。即死は出来なかったが、助からないだろう、と。
 『村人』の僕が死に、『人狼』の加納遙が死ぬ。
 そうすれば、僕らをここに呼び寄せたものはどうするんだろう?
 僕を抜きにしてゲームを始めるのか?誰か代役を用意するのか?
 もう……限界か。
 僕は全身の力を抜く。抜くと同時に、首の奥で何かが砕ける音がした。