第八日目 昼 1.
 
 
 微かな違和感に僕は目を開ける。
 すると、もう室内は窓からの明かりに照らされていた。
「もう……朝なのか?」
 自然と目に手をやり……ザラッとした感触に、思わず顔から手を離す。離し、目を眇めて、僕は自分の手を見る。
「埃?」
 と、呟く。
 呟いてから、僕は気付く。僕は埃塗れで眠っていた。反射的に立ち上がり、頭や顔の埃を、体中から埃を叩き落す。
「何なんだよ、くそっ」
――おはよう。灰かぶりのお姫様――
「お姫様じゃねえ。ふざけん、な?」
 背後を振り返り、僕は声を荒げる。荒げ、言葉を飲み込む。
 誰も居ないのである。確かに今声がしたはずなのに、何も、誰も居ない。そこには埃に汚れた部屋があるだけだ。
「え?」
 うけけけけ……とふざけたような笑い声がイメージされる。が、それは何の声なのか?
 誰も居ない部屋の真ん中で、僕は立ち竦む。
 僕は何をしていたんだ?
 探るように埃だらけの部屋を見る。
 古い洋館の室内のようだった。その古さに恥じない埃塗れの汚い家具が置かれている。
 家具は最小限の物しかない。ベッドにドレッサーにソファセット。それに部屋の隅に置いてある机と椅子。
 そのどれもが埃に塗れている。
 長くは放置されていない。放置されていないが、手入れや掃除もなされていない。
 そんな感じだった。
「何で、こんなところで?」
 僕は自分の寝かされていたソファを見る。そして、その向かいの椅子を見るともなしに見る。
 向かい側の椅子を何故見るのか。何が気になっているのか。……何か、忘れているのか?
 椅子を眺めているだけの時間が過ぎる。しかし、何も思い出せなかった。
「それにしても……」
 首を廻らし、部屋の周りを見る。窓からは良く晴れた陽の光が差し込み、僕が動いた所為だろう、埃がキラキラと舞っている。
「ここは、どこなんだ?」
 
 誰も居ない室内で悩んでいても仕方がないので、僕はドアを開けて廊下に出る。
 廊下は中央に赤い絨毯を敷かれていた。馬鹿みたいに長く続く廊下だった。
 窓はある。あるが、その全ては鉄格子がされていて……まるで誰かを幽閉しているようだった。
 窓枠にも絨毯にも、薄く埃が積もっている。が、足跡らしきものはない。長い間、誰も通ってはいないようだった。
 窓からの景色を見ると、どうやらここは二階のようだった。
 しばらく歩くと、手摺の豪華な階段に出た。
 映画なんかでよくある曲がった階段じゃない。学校やビルなんかにある真っ直ぐな階段だ。真っ直ぐではあるが、長過ぎはしない。途中で踊り場が設けてあるのが見える。
 ここにも赤い絨毯が敷かれている。今気付いたけど、この赤い絨毯には継ぎ目が見当たらない。その様にカットされているのか、当たり前のように踊り場へと伸びている。
 もちろん、絨毯は上にも続いてる。
 けど、そうなると……疑問が残る。
 この絨毯を、どうやって敷いたんだ?
 小さな頃に聞かされた地下鉄の謎が頭に浮かぶ。浮かぶが、そんな事を考えていても仕方が無い。
 ……どうでもいい、と僕は階段を下りて行く。
 階段を下りた先……一階に、馬鹿でかいエントランスに出た。
 そこに外に通じるであろう扉があるのに、僕はそれに背中を向けた。背中を向け、反対側の開けられたままの廊下へ、その奥に進んで行く。
 何かに誘われるように、僕は屋敷の奥へと足を進める。
 幾度か開け放たれたドアを通り、僕は“そこ”に出た。
 外からの光は届かないはずなのに、薄ぼんやりと灯りがある。蝋燭のような柔らかい灯りだ。
 その灯りに中、浮かび上がった最後の扉は……閉じられていた。
 両扉になっているそれの前には円卓があり、僕はその前で立ち止まる。
「これは……何だ?」
 思わず声に出る。いや、何かは分かる。理解出来る。しかし、何故、それがここに置かれているんだ?
 それは少女の死体だった。
 部屋の中央に置かれた“地図を広げられた”円卓に向かい、眠るように座っている。
 座っている、が、
うぐぅ
 僕は吐き気を飲み込む。飲み込んで、もう一度少女の死体を見る。
 それは……脳が抉り出されていた。
 丁度、目蓋の下から頭蓋が切り取られ、中身である脳が丸々無いのである。
 作り物……とは思えなかった。傷口に出血は見えないが、それは疑いようも無く人間の死体だった。
 そして、僕は気付く。
 死体には、埃は積もっていない事に。
 円卓の上の地図には埃が積もっている。なのに、少女には積もっていない。
 何か違和感がある。しかし、その違和感とは何なのか?
 少女の遺体は作られてから時間が経っていないのだろう。いや、だとしたらあの地図は……地図?
 何故、僕は死体と地図を関連付けて考えているんだ?
 僕は吐き気を抑えて、円卓に近付いてみる。死体とは向かい合う形になるが、最も距離を取り、円卓を覗き込んでみる。
 地図は広く、円卓のほぼ全面を使い広げられている。
 その地図には、微かな凹凸があった。何で描かれてい、
「うわぁぁあああああっ!!!」
 それを理解した瞬間、僕は悲鳴を上げて、円卓から飛び退いていた。
「げ、うげげええええっ」
 耐えていた吐き気が限界を超える。吐くものも無いのに、僕は床に手を付き、胃液を吐き戻す。
 円卓に広げられた地図。それは……丁寧に広げられた、少女の脳だった。
 脳の展開図が、円卓の上には広げられていた。
 なんだよ、これ。なんでこんな……くそっ。
 何で、井之上鏡花がこんな……え?
 井之上、鏡……花?
 不意に、僕は全てを思い出す。
 全てを思い出し、顔を上げる。
 明るさを取り戻した円卓がある。部屋の隅に置かれている幾つかの椅子がある。そして、その奥へと続く扉がある。
 降り積もっていた埃は、どこにもない。
 部屋の隅、奥へと続く扉の横に一人の少女が眠らされている。
 そして、その少女の横に控える若い男の姿がある。
 クトゥルフと榛名の姿だった。
 榛名は薄く笑みを浮かべ、僕に話し掛ける。
「随分と、遅い御目覚めですね」
 錆を含んだ声で、彼は続けて言う。
「おはようございます。そして……」
 笑みを深め、榛名は続ける。
「さようなら」
 
 談話室の床に這いつくばったまま、僕はにこやかに笑っている榛名を睨む。
 疑問は幾つもあった。他の人間はどこにいった。どうして井之上鏡花が殺されている。今はいつなんだ。そして、瑠璃はどこに行った?
 僕は起き上がろうと壁に手を掛ける。手を掛け、震える膝で、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、榛名を睨みながら、声が震えないように願いながら、僕はその疑問の一つを口にする。
「瑠璃を……あの子を、どうした?」
 微かに驚いたような顔をして、榛名は笑みを深める。
「貴方は、つくづく私の予想を覆してくれますね。やはり、不死者とはそう言っ」
「うるさいっ!!質問に答えろ、榛名!!!」
 榛名の言葉を遮り、僕は叫ぶ。震えるな、僕の腕。
 榛名は顔に浮かんでいた笑みを消し……再び、笑みを浮かべる。浮かべ、僕に尋ねる。
「それは……命令でしょうか?御命令とあらば、答えなければいけませんが……」
「命令だ。答えろ、榛名」
 後ろの壁に背中を預け、僕は囁くような声で呟く。
「御意」
 深く御辞儀をして、榛名は顔を上げる。
「瑠璃は廃棄処分にしました。他のメイドと同じく、ここの焼却炉に行けば、今も燃えている彼女を見る事が出来るでしょう」
 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。
「手前ぇ!!!」
 ゆっくりと時間が流れて行く。狂った僕の時間間隔が、それを見せる。
 僕は叫びながら円卓を回り込み、榛名が静かに目を閉じる。目を閉じ、手を胸元に持ってくる。
 僕は叫び続ける。叫び、榛名に掴み掛かろうとする。
 その榛名は胸元に上げた手を、指を、弾いてみせる。言葉と同時に。
「無駄です」
 その瞬間、僕は何かに足を取られ、無様に引っくり返る。何かが派手に零れる音が響き渡る。
 背後に向かって、何かが派手の巻き散らかされる音がした。
「くそっ!」
 なんでバケツが、こんなとこに隠してあるんだよ。コントじゃねえんだぞ。
 僕は苛立たしげに足元を見て、
「あ……ぅあ?あ、うわぁぁぁああああ!!?」
 悲鳴を上げた。上げ、僕は狂ったように巻き散らかされた“それ”を拾おうとする。
 それは、僕の内臓だった。僕の胸から下は原型を留めていなかった。
 ドン!と遅れたタイミングで、腰と両足が談話室の床に落ちて来る。
 それを涙が浮かんだ目で、僕は見ている。
 何が起こったんだ?いや、そうじゃない。どうして、僕はまだ生きているんだ?普通なら、下半身を吹き飛ばされたんだ、即死のはずだぞ。
 何故?
 だが、そんな疑問も束の間、僕は強烈な圧力で床に押し付けられる。
 榛名の靴が、僕の頭を踏んでいた。
「不死者と言うのは、本当に面倒臭いですね」
「手前ぇ、足を退けろっ!この糞野郎!!!」
 下品ですよ、と榛名は口にするだけで、取り合おうとしない。
「貴方は幾つかの疑問を持たれていた。この部屋に入り、持ってしまった。それに御答えしましょう」
 僕の頭を踏み付け、榛名は歌うようにそう言った。
「他の人間、この場合は生き残りである田沼香織様は、ゲームの終了と共に御引取り願っています」
 榛名は続けて言う。
「井之上鏡花様は、勝者でありましたが、勝利時の褒賞の変換を求められたので、代わりの品をこちらも求めました」
「褒賞の変換?」
 僕の問いを無視して、榛名は続ける。
クトゥルフ様の臓器が少々不足していましたので、それを代わりに貰い受けるとしたのです。彼女は快く引き付けてくれましたよ」
 臓器?あの脳がそうなのか?
 ギリッと頭蓋が軋む音がした。
「そして、今は何時なのか……それは貴方には理解出来ないでしょう」
 ギリギリと頭が歪んで行く。
「う、うわぁぁあああ、がぁ、あ、あ、あ」
 
「ん……」
 
 その時、椅子に座らされた少女が身じろぎをした。クトゥルフが声を上げた。
 それは細い、銀の糸を鳴らしたような声だった。だが、その声の響きは僕の記憶にあった。
 僕は潰され続ける頭を捻り、クトゥルフを見る。その少女に間違えようもない瑠璃の面影を見付ける。
「な?……瑠、璃???」
 その疑問に榛名が答える。
「そう、あのメイドです。井之上鏡花様の脳だけでは足りなかった部分があったのです。そこで、その足りない部分を、あなたが瑠璃と名付けたメイドのものを代用としたのです。さあ、もう気が済んだでしょう」
 その言葉は、榛名は僕への手向けのつもりだったのだろう。一気に力を込め、僕の頭を踏み潰そうとした。
 が、瑠璃が生きていると分かったのに、こんなとこで死んでられるかよっ!
「がぁああっ!!」
 腕に最後の力を込め、踏み潰されそうになっている頭を強引に引き抜く。ブチブチと髪が抜けたが、そんなものがなんだ。
 僕は叫びながら、榛名の足に歯を立て、しがみ付く。
「あが、がぅがぁぁあ!!!」
 無様な、惨めな、情けない姿だろうと思った。浅ましいとも言えるかも知れない。
 しかし、それが僕だった。
 僕は諦めない。瑠璃の為だったら、僕は諦めちゃ駄目なんだ。
 それに、それは、お前が言ったんだぜ、榛名。
「お止めなさい」
 足にしがみ付いていた僕を剥がし、部屋の隅に投げ捨てる。
 惨めに僕は部屋の隅に転げ、倒れる。
 仰向けに倒れた僕は、何とかうつ伏せに姿勢を変える。
 呆れたような溜息が聞こえた。
「……何が貴方に其処までさせているのですか?惨めで、滑稽ですよ?」
 僕は榛名を睨む。腕を胸元に上げた榛名を睨み付ける。
「お前は言っただろう。お前が、僕に言ったはずだ」
 僅かに、榛名が怯む。
「殺さずに生かすのなら……その生に最後まで責任を持つべきだと言っただろう。これは僕が瑠璃に出来る、最後の責任だっ!!」
 その言葉を含むように聞き、榛名は顔を上げる。
「では、責任を持って、私は貴方を殺害しましょう」
 榛名は真っ直ぐに腕を伸ばす、伸ばし、指を弾く。
 そして、世界は弾け飛んだ。
 
 
終焉.
 
 
 電車が来る放送があったのに、あのバカップルは相変わらず騒いでるのか?
 徐々に近付く、電車とは違う騒音に僕は露骨に舌打ちをする。
「……リア充め」
 相良耕太がここにいれば同意してくれたはずの呟きを、僕は漏らす。
 しかし、危ないな。
 眼鏡のイケメンと割りと、っていうか、美人の女子高生の二人がホームに添って、早足に歩いて来る。
 電車に向かっている安心感か、二人はかなり早足だった。あれなら、ちょっと躓いただけで、線路の方に転がるんじゃねえか?
 そう思ったのは僕だけじゃないようで、電車待ちの乗客の何人かは、二人を避けてホームの奥へと下がっている。
 はた迷惑なヤツらだな。
 自分達が周りの迷惑になっている事に気付かないのか?脳が足りないのか、現実が見えていないのか……リア充のバカップルはそのまま前に進み続けていた。
 電車が通過するサイレンがなる。
 しかし、二人には聞こえていないようで、その歩みに変わりは無い。
「死ね。……馬鹿め」
 罵り、僕は思う。リア充は全員死ねばいいんだ。
 と、そこで奇妙な現象が起きた。
 僕のすぐ近くまで来ていた女の子が、線路に向かってよろけたのである。いや、よろけたなんてものじゃない。
 線路に向かって、弾かれたように、飛んだのである。
 呆然としたのは一瞬で、僕は“僕じゃない”と思っていた。僕はリア充は死ねと思ったけど、自ら手を下すほどの度胸はない。いや、そうじゃない。そんな言い訳をしている場合じゃない。
 反射的に、僕は手を伸ばす。
 彼女に向かって手を伸ばし、身を乗り出し……微かに手を霞め、彼女の単語カードが僕の手の中に、
「くぉのぉぉおおっ!!バッカヤロウォォオオオ!!!」
 単語カードになんか用は無いんだよ!!
 ホームから飛び出し、僕は彼女の手を掴んでいた。
 そして、背中を掠める誰かの指を感じる。
「え?」
 助けようとした彼女の顔が恐怖で歪む。歪み、必死に叫ぶ。
 右手で彼女の腕を掴んだまま、僕は背後を見る。見て、恐怖に慄く。
 まるで、僕の背中を押そうとしたかのように、中学生の女の子が線路に向かって飛んでいた。
「鏡花ぁああ!!」
 それを見て、僕は悩む。どうする?どうすればいい?
 しかし、悩んだときには、僕の身体は動いていた。
 リア充をホームに引き込み、その勢いで、僕は線路に向かって飛んでいた。
 電車と中学生の間に滑り込む。
 やけくそのように少女の胸を押す、押し返す。と、同時に電車に跳ねられ、僕は派手に吹き飛んだ。
 
 ホームに僕の身体はまだあった。
 青い空が見える。ところどころ白い雲が出ていた。
「鏡花っ!鏡花ぁぁああっ!!!」
 転がったまま目を向けると、リア充女が中学生の女の子を抱き締め、泣き叫んでいた。
 そして、僕は気付く、あの二人は恐ろしくそっくりな事に。
 リア充の妹か。
 のそっと僕は身体を起こす。
「動くなっ!!動くんじゃない!そのまま、そこに寝ているんだ!!!」
 え?と思った瞬間、ボタボタと僕は血を零していた。
「何で、こんなに?」
 と言っただけで、僕は力尽きたように仰向けに倒れた。
 不思議と痛みは無かった。無い事が確信に変わった。
 そうか、僕は死ぬのか。
 ま、女の子二人と僕の命なら……悪い取引じゃないよな。
 眼鏡のイケメンが僕に覆い被さり、胸元を強く押して来る。
 心臓マッサージだろうが、そんなにキツくしたら肋骨が砕けるぞ。
 僕は青い空を見ながら、そんな馬鹿な事を考えていた。
 
  
  


【共有者】
田沼 幸次郎
本田 総司
 
預言者
山里 理穂子
 
霊媒師】
岡原 悠乃
 
【狩人】
志水 真帆
 
【村人】
古川 晴彦
大島 和弘
藤島 葉子
矢島 那美
 
 
人狼
相良 耕太
坂野 晴美
田沼 香織
 
 
【狐】
井之上 鏡花
 
 
【不死者/死者】
加納 遙
 
 
 
 

 
 
 

 
 誰も居ない……悲しむ者も居ない霊安室の前に、一人の男の姿が会った。
 少年の遺族は一階で悲しんでいるだろう。
 地階にあるこの霊安室までその悲しみの怨嗟は届かない。
 音も無く霊安室の扉が開かれ、男が通り過ぎると、音も無く閉じられる。
 そして、白いシーツを掛けられた少年の遺体の前に立つ。
「御迎えに上がりました。クトゥルフ様が貴方を呼んでおられます」
 シーツに覆われた死体は動かない。動かないが、青年は言葉を続ける。
「どうか、一緒に来て貰えないでしょうか?……クトゥルフ様も御待ちです」
 そして、シーツの奥から派手な舌打ちの音が響いた。
 
 
 
 
 
Guilty 〜汝は人狼なりや?〜 
 
 
【完】