進藤コースケ君の受難の日々:11
 
 
 三階から二階に降りるのには、エスカレーターではなく階段を使うことにした。エスカレーターの二階降り口が、一階との吹き抜けに繋がっていたからだ。
 その階段の途中……デパート内に展開されたフィールドに微かなノイズが走った。
 ぴくっと理奈が動きを止める。
「果歩が殺られたな」
「え?」
「ターゲットの一つが果歩から僕に移された。たぶん、フィールドを維持するためだろう」
「それって……」
 不安そうに口ごもる理奈を、僕は明るく振り返る。
「ターゲットである果歩が殺されれば、フィールドは強制解除される。それを避けるために、タイムラグの間にターゲットを移した。ノイズが走ったのは現実世界からの干渉を瞬間的に受けたからだ」
 こくん、と頷き、理奈は階段を一つ下りて僕に近付く。
「じゃぁ……真由美さんは?」
「そこまでは解らない。二対二で戦っていれば、まだ戦闘中だろう」
 ターゲットを殺したことで、ジョーカーはフィールドの外に弾き出されるから……残るジョーカーは二人になる。クマ吉くんと機関銃使いの勝負が着いていればの話だけど。
 
 階段の踊り場まで出ると、派手な爆発音が辺りに響き渡った。
 僕と理奈は顔を見合わせ、その音のする方……二階のフロアへと階段を駆け下りる。
 が、そこにフロアは存在しなかった。
 やたら広く見える二階の売り場は、床の大半が抜け落ち、飲食店がメインの一階部分が丸見えになっていた。
 爆発音と共にコンクリートの破片が飛び散り、僕と理奈は揃って一階部分に目を向ける。
 抜け落ちた床の向こう、十分な広さを用意されていたはずの一階の休憩所では、多脚式の小型の戦車とクマ吉くんが、派手な戦闘を繰り広げていた。
 クマ吉くんは、引き千切ったエスカレータをぶんぶんと振り回し、多脚戦車はそれを避けながら砲弾を連発する。
 かきーん!
 乾いた音を立てて打ち返された砲弾が、一階の天井――二階の床を打ち抜いて、ピンボールの玉のように二階売り場で跳ね回る。
 発射の反動を殺さず多脚戦車が間合いを広げる――が、クマ吉くんのダッシュの方が速かった!
 ズゴゴゴゴォオオッ!と、クマ吉くんは手に持ったエスカレーターで、一階の床を削りながら多脚戦車の足元をすくい上げ、ごろりと引っくり返した。
 砲身と脚を使い、器用に多脚戦車は体制を立て直す。が、その頭をクマ吉くんはエスカレータで殴り付ける。
 どごぉん!
 殴られたショックで発射された砲弾が一階の床を砕く。
 それは……繰り広げられるクマ吉くんと多脚戦車の戦闘は、怪獣映画の一シーンか、おもちゃの国の悪夢のように見えた。
 僕の横に立つ理奈も、その規格外の戦闘を前にして、呆然として見ていることしか出来ない。
 派手過ぎる爆発音が続く中で……じゃり、と床に散らばる破片を踏む音を聞き、僕と理奈は背後に目を向ける。
 そこには、傷だらけで、血を流しながら近付く真奈美の姿があった。
 アームズは消え、目の焦点が合っていない。
 高く息を吸う音が理奈の喉から漏れる。
「真奈美っ!」
 僕が駆け寄るのと、真奈美が崩れ落ちるのと同時だった。
 抱き上げるだけの力が無かったので、僕と理奈で真奈美を階段の手前まで引き摺っていく。
「大丈夫ですか?」
 理奈の言葉に、真奈美は薄い笑みを浮かべる。
 出血箇所は多いが、目に見える傷はどれも浅いものだった。意識の混濁を示す目線の揺らぎも、いまはない。
「果歩は……殺られたのか?」
 生き残っているとは思えなかったが、一応確認しておきたかった。
 僕の言葉に真奈美は小さく首を横に振った。
「一瞬だったの。……ジョーカーとの戦闘中に床がいきなり爆発して」
 あの馬鹿の巻き添えかよ。
「気が付いたら、果歩ちゃんと相手のジョーカーが消えてた」
 悔しそうに真奈美は唇を噛む。
 自分が気絶している間に、果歩とジョーカーの戦闘が終わっていたのが……果歩を守ることが出来なかったのが悔しいのだろう。
「いま、一階で坂本と多脚式の戦車が戦ってる。その流れ弾にやられたんだ」
 僕の言葉に真奈美は、視線を一階の、まだ破壊音が聞こえてくる方に目を向けた。
 真奈美の背中を支えながら、理奈はハンカチで真奈美の顔に流れる血を抑えていた。
「あいつは、これでペナルティ1だ」
 僕の言葉に理奈が、「え?」と声を漏らした。
「これが終わったら、ここの一階にある喫茶店でケーキセットを奢らせよう」
 不思議そうな顔で真奈美は僕を見る。
「当然……全員に、だ」
 真奈美が、くすっと笑みを漏らし……理奈がきょとんした表情のまま僕を見ていた。
「僕は忠告したからな……みんなの足を引っ張るなって」
「あの、それって……もっと違う意味だったんじゃ?」
 理奈が恐る恐る聞いてきたが、僕はにんまりと笑うだけだった。
 
 
 多脚式戦車とクマ吉くんの戦いは、多脚式戦車に軍配が上がった。クマ吉くんに勝ち目が無いと判断した多脚式戦車が、狙いをアームズであるクマ吉くんから本体である坂本に切り替えたからだ。柱の影に隠れ、クマ吉くんに命令を出していた坂本は、砲弾の一撃で柱ごと粉々になって吹き飛ばされていた。
 ある意味、一番惨めな負け方だった。
 プレイヤーを殺したことで、ジョーカーである多脚戦車はフィールドから強制排除された。
 これでフィールド内に残るプレイヤーは、僕、真奈美、理奈、それに聖少女機甲師団の最後の一人となった。そして、それは最初から移動を一切していない地下食料品売り場に残っている北条蓮美のはずだった。
 多脚式戦車の操縦者の姿は見えなかったけど、あの蓮美がアームズ同士の戦闘で、本体である坂本を狙うとは思えなかった。
 あいつなら、正々堂々と最後まで戦い、勝てなければ、潔く負けることを選ぶはずだ。
 蓮美とは少ししか話をしていないが、そう確信させる雰囲気をあいつは持っていた。
 僕と真奈美それに理奈は、クマ吉くんと多脚戦車の戦闘で滅茶苦茶になった一階フロアから、地下の食料品売り場へ……もう動かなくなったエスカレーターを歩いて降りた。
 
 
 北条蓮美は、買い物カートが並べられている、地下で一番広い場所で僕たちを待っていた。
 蓮美は……真奈美、理奈、僕の順番に一人ずつしっかりと顔を見てから、静かに頷いた。
「改めて自己紹介させていただく……聖少女機甲師団、団長の北条蓮美だ」
「大門真奈美」
「平野理奈……です」
 ちらっと僕を見てから、理奈が小さな声で自分の名前を告げる。
「進藤」
 ぼそっと自分の苗字だけを僕は口にした。
 その態度に、蓮美が僅かに目を眇める。
「……古都葉」
 真奈美に睨まれて、僕はそっぽを向いたまま名前を言い、目の端で蓮美が頷くのを見る。
「あなたが、そうだったのか」
 蓮美は一人で納得し、真奈美と理奈が怪訝な顔をする。僕はそっぽを向いたまま、その言葉を無視していた。
「撲殺バットを使う戦闘マニアがいると聞いたことがある」
 誰が戦闘マニアだっ!?
「普通の生活をしていいれば数ヶ月に一回しか出会うことのないジョーカー。しかし……」
 蓮美の言葉に理奈が僕を見る。
「そのプレイヤーは、最低でも月に一度はジョーカーになり、遠ければ他府県まで遠征に出る」
「生憎だけど……僕は戦闘マニアじゃない」
 蓮美は心地良い音楽を聴いているかのように、涼しい顔で耳を澄ましている。
「他人より運が悪くてね、どうしてもジョーカーに出会っちゃうんだよ。他府県に遠征に行くのも、出来るだけジョーカーを遠ざけたいからさ」
 くすっと蓮美が鼻で笑う。
「しかし、その遠征の勝率は100%……と、聞いているが?」
「勝負運はいいんだよ」
 しれっと僕は言ってやる。
 しっかりと目を閉じ、蓮美は小さく深呼吸をして……静かな顔を真奈美に向けた。
「あなたは、もう戦闘をする余力は無いはず。無礼を承知で言わせてもらうが……出来れば、戦闘に巻き込まれない場所まで退避していただきたい」
 その言葉に、真奈美は小さな拳を震わせ……落ち着いた顔を僕に向けた。
 僕が小さく頷くのを待って、真奈美は蓮美に背中を向けて歩き出した。途中、理奈の手に振れ、耳元で小さく囁く。
 真奈美の後姿を追いながら、理奈がしっかりと頷いた。
 蓮美は、真奈美が十分に離れるのを待って、真直ぐな目を僕に向ける。
「これで……戦う力を残しているは、私とあなたたち二人になった。しかし、すでにあなたたちの内二人はジョーカーである」
「あぁ、そうみたいだな」
「勝手なことを頼むようだが……」
 蓮美は言葉を濁し、
「出来れば、二人同時に戦ってほしい」
 と僕に向かって言った。
「僕一人じゃ物足りないか?」
「あ……いや、違う。そういう意味じゃないんだ」
 じゃ、どういう意味だ?
 理奈も困惑した顔を僕に向けている。
「五対五で勝負をしたいと言ったのに、相手側が二人残っているからと、一対一の勝負を改めて申し込むのは卑怯じゃないか」
 はぁ?
「だから、その……変な気を使ってほしくない。……じゃ、ないな。何て言えば良いんだ?その……勝ち負けじゃなくて、しっかりと五対五で戦った結果がほしいんだ」
 最初の冷徹な雰囲気はどこにも無く、いま僕の前で一生懸命説明しているのは、不器用なまでに真直ぐな印象のある少女だった。
「それなら……どうして、真奈美を外したんだ?」
「アームズが出せなくなっている人と戦えるわけがないだろうっ!」
 不愉快そうに口を歪め、蓮美はそう言い切った。
「はは……」
 短い笑いが僕の唇から漏れる。
「いいだろう。僕はお前が気に入った。だから、僕と理奈の二人で、お前を殺してやるっ!」
 理奈が補助として僕に掛けた炎の欠片が一気に燃え上がる。と、同時に理奈が蓮美との間合いを広げ、僕の背後に入った。
 蓮美の周囲で淡い光が集まり……その肉体を包み込むアームズとなって収束する。
 蓮美のアームズ……は、一体成型のランスと盾を持った黄金色の鎧だった。
「聖少女機甲師団、団長北条蓮美……参るっ!」
 言い終えた瞬間には、蓮美は僕の間合いに入っていた――速い!
 その高速の突進の勢いを殺さず、蓮美はランスを突き出す。
 金色の鎧を纏った少女、蓮実の一撃を避けながら、僕は理奈に目配せをする。
 自分の正面に打ち込んできた蓮美に、理奈は両手を差し出し、
 轟っ!!
 炎の塊が流れ出した。――が、蓮美は床を抉り出し、巨大な壁を自分と理奈の間に作り出した。
「おりゃぁあああっ!」
 自分に意識を向けさせるために、僕は叫びながら蓮美を撲殺バットで打ち据え――左腕の丸みのある盾にあっさりといなされる。
 バランスを崩した僕の脇腹を狙って、蓮美の蹴りが繰り出される。
「くっ」
 僕はそれを肘と膝を折りガードする。しかし、勢いまでは殺せず、そのまま一気に吹き飛ばされた。
 買った物を袋詰めする台にぶつかり、僕はレジの向こうに転がり落ちる。
 床の上を転がる勢いを使い、僕は体勢を整え――
 ぐぼんっ!
 その鈍い音に顔を上げる。
 等間隔で並んだレジの間から、蓮美が僕と反対側……和風テイスト全開に装飾された昆布屋に突っ込むのが見えた。
 レジの間を走り抜け、エスカレーター横の広場に戻る。と、
「おわっ!」
 流れ込んできた炎を、僕は声を上げて避けた。
 見ると、理奈の周囲を生きた龍のように巨大な炎が何重にも巻き付いていた。
 ほとんど制御できていないのか、炎の龍は、壁や床、天井を焦がしながら蠢き続けている。
「見事な……技だ」
 昆布屋の中で立ち上がり、蓮美が賞賛の声を漏らす。しかし、その鎧の大半は溶け落ち、まともに原型を留めているのは、そのランスだけだった。
「しかし……」
 蓮美は左手で身体に残っていた鎧を剥ぎ落とす。
「私の速度には追い付けないっ!」
 宣言すると同時に、蓮美は一瞬で理奈のとの間合いを詰めていた。
 理奈の表情が絶望に歪み……
「これで終わりだっ!」
 炎の間隙を縫って繰り出されたランスの一撃が――
 キィンッ!
 同時に走り込んでいた僕の撲殺バットに弾き返された!!!
 アームズとアームズが打ち合う、刹那の煌きの中……僕と蓮美の視線が絡み合う。
「進藤……古都葉ぁあああっ!」
 最後の力を振り絞った蓮美の右蹴りを、僕は地面に這うように避け――
「ぃえりゃぁあああっ!」
 理奈の集中が一点に凝縮されたような劫火が蓮美を呑み込んだ。
 炎の濁流は周囲の物体を蒸発させながら、遥か食品の売り場の奥の壁を打ち抜き、さらにその奥にあった食品加工場、冷凍倉庫、搬入用の倉庫までを、その紅蓮の舌で舐め尽した。
 蓮美は炎の中で、その細胞の一片さえも蒸発させられ、即死していた。
 
 
 通常空間に戻ると同時に、地下食品売り場で待っていた果歩に抱きつかれた。
「な!?やめろっ!抱きつくなっ!!」
 果歩を引き剥がし、僕は後ろを振り返る。
 そこには……聖少女機甲師団のメンバーに支えられて、北条蓮美が立っていた。
 全員が通常空間に戻った段階で、勝敗ははっきりとしていた。それでも蓮美は困ったような笑みを浮かべ、
「ごめん、みんな。……私の負けだった」
 と、自分たちの負けを宣言した。
 自分たちの反省点を口々に話し始めているメンバーを残し、蓮美がゆっくりと真奈美の前に立った。
「すまない。一つ……気になることがあるんだ」
 真奈美は小さく首を傾げ、まだ困ったような笑みを浮かべたままの蓮美を見る。
「最後に……離れる前に、平野さんに何か呟いていたね。あれは、何かアドバイスをしてたのか?」
 真奈美は一瞬だけ表情を和らげ、小さく首を横に振った。
「いいえ。違います」
「では、なにを?良かったら教えてもらえないか?」
 その言葉に、真奈美は理奈を見る。
 理奈は真奈美の横に並び、嬉しそうな笑顔を蓮美に向ける。
「私が言われたのは……私の分までがんばってね、です」
「そ、それだけ、か?いや、だからこそか……」
 蓮美は納得したように何度も頷き、さっぱりとした笑顔を向け、理奈の前にその手を差し出した。
「私の敗因は、あなたたちが三人生き残っていたのに、戦えるのは二人だけと思い込んだことだ。……私の完敗だ」
 差し出された手を前に、理奈は戸惑い……真奈美に促されて、恐る恐るその手を握った。 蓮美はその後、真奈美にも握手を求め……僕はゆっくりと坂本の横に近付く。
「おい、坂本」
 この場にいる全員に聞こえるように僕は坂本に話し掛けた。
「ん?」 
 胡乱な目で僕を見ているのは、たぶん……勝負に負けたのがショックなんだろうけど、僕には関係ない話だった。
「お前は気付いてないだろうけど、戦闘中にな、真奈美と果歩の足を引っ張ってたんだよな」
 その言葉に坂本は果歩と真奈美に目を向ける。……が、果歩は「んべっ」と舌を出し、真奈美は冷たく視線を外した。
「だから、ペナルティ1として、お前は……ここにいる全員にケーキセットを奢ることっ!」
「こ、ここにいる全員って?」
「もちろん、聖少女機甲師団のみんなにも、だ」
 その言葉に小さな歓声が上がる。みんな、傍にいる子と何にしようか?とか喋りながら、早速盛り上がっていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 坂本が慌てて財布の中身を確認する。けど、女の子の前でそれをやると、めっさカッコ悪いぞ。
 僕は今日一番の功労者である理奈の背中に手を回し歩き出す。
「さ、今日は理奈が一番偉いんだから、好きな店を選んでいいよ」
「え?でも、坂本さんが……」
 理奈は心配そうに坂本を振り返る。けど、もうみんなその気だったから、いまさら無理とは言えないはずだった。
 それに……女の子九人と喫茶店で同席できるなんて、あいつの人生では二度と無いかも知れないからな。
「さかもっちゃんの財布の中、お札いっぱい入ってたよ」
 僕らに追い付いた果歩が本気で感心した声で教えてくれた。くくく……それは、ケーキセットお代わり自由ってことだな?
「みんな、遠慮はいらないから……希望の店とかあったら坂本に言ってくれ」
 僕の言葉に聖少女機甲師団の女子が坂本の周りに集まり、近所の喫茶店情報を聞き出そうとしていた。
「え……いや、ちょっと待ってくれ。美味しいケーキの店って言われても……なぁ」
 坂本は救いを求めるような目を僕に向けてきたが……僕はそれを無視して一人で先に歩き出した。
 味と値段が一番と言えば、店内にカフェがある洋菓子店『カッテェルツェ』だった。
 場所は、このデパートを出て、向かいの大通りを……歩いて五分だった。夕方には売り切れのケーキも多いけど、この時間なら選び放題のはずだ。
 とりあえず、僕は……理奈が『カッテェルツェ』の美味しさを知っているか聞くことにした。