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Intermission:03〜進藤古都葉のひとり○×計画〜
快感を押さえ込むように両膝を擦り合わせ、唇を噛んで声を殺しながら……びくん、と僕は背中を仰け反らした。
「んくっ……」
連続して襲ってくるその感覚に身体が震え、虚ろに開いた目から涙が零れる。
そして、ゆっくりと身体の力が抜け……僕は肺の中に残っていた空気を吐き出した。
腹筋や太腿がビクビクと断続的に痙攣している。けど、僕はそれを無視して、左手でベッドの上に置いておいたティッシュを乱暴に数枚引き抜いた。
濡れた指先を拭いたティッシュを新しいティッシュで包み込み、僕はそれをベッドの横のゴミ箱に落とす。……と、そのままうつ伏せになった。
朝っぱらから、僕は何をしているんだ。
枕の横には、脱ぎ捨てたパジャマの上と剥がして丸めた絆創膏があった。
昨日の夜もしてしまった。
きっとこのままだと馬鹿になってしまうに違いない。そう本気で思えるほど、この快感は激しく、また中毒性が高かった。
男のときは事後処理のときに感じる情けなさが嫌で、滅多にしたことがなかったのに……いまでは、朝、夕、寝る前と、最低でも一日三回はしてしまっている。
ぼんやりと、たったいままで大事な部分に触れていた指先を見る。
指先で入り口を探りながら、指の付け根で堅くなったところを擦るのが、僕のやり方だった。
でも、これって一般的なやり方なんだろうか?普通はどうするんだろ?
身体を起こし、ベッドから足を下ろして座る。
その太腿の間に両手を差し込み、きゅっと力を込める。……それだけで、身体が震えそうになるほど気持ち良かった。
やっぱ、僕が変なのかな?
果歩と真奈美は、女の子になって困ったことがあったら相談してとか言ってたけど……さすがに、これは聞けなかった。
ふらふらとタンスの前に立ち……ちらっと、横に立て掛けてある姿見に目を向ける。
小学生と間違われても仕方ないような幼い身体をした自分の姿がそこに映っていた。
黒く艶のある髪が、身体にフィットしたボクサーショーツの腰にまで届いている。胸は相変わらずAカップ未満で、腰回りにも厚みが無い。
鎖骨が目立つ肩と、華奢な腕、肋骨のもつ曲線そのままの脇腹と薄く腹筋が浮き出ている腹部。唯一の肉厚さを感じさせる太腿も、他の子と比べればかなり細い方だった。
全体のバランスが良いから貧相には見えないけど……僕が理想として描いていた女の子の姿にはほど遠かった。
僕は薄い胸に手を重ねる。
毎日飲んでいる牛乳の成果は全く見られなかった。
何で、こんなことで悩んでるんだろ?
僕はタンスの一番上の三分割されている引き出しから、新しい絆創膏を二枚だし、昨日の夜に出しておいたTシャツとジーンズを身に着ける。
いつものばかでかいバッグを肩に、僕は市民会館に入る。ここに市営のネットカフェがあるからだ。
カウンターで午前中丸々使える三時間分の代金を支払い、窓際の席にバッグを置いて、飲み物を買いに行く。
ちなみに、飲み物は各社メーカー品のコーヒーバーが並んでいる。
グラスに氷を入れ、アップルティーを注ぐ。
コースターを一枚引き抜き、僕は自分の席に戻ると、スタートメニューからIEを呼び出した。
手打ちで『フェルドリッチ』のURLを打ち込み……エンターキーを押す。と、いきなりHDDがガリガリと騒ぎ出した。
フェルドリッチは殺人ゲームのプレイヤー専用の検索サイトだ。立ち上げているのは有志数名で、当然アクセスしてくる相手の情報を集めてくる。だから、自宅からフェルドリッチに繋ぐのは自殺行為と言えた。
僕は検索カテゴリーを『人物・人名』に指定して、進藤古都葉と入れてみる。
僕のプレイヤーとしての情報がリークされていれば、一発で出てくるはずだが……あ、やっぱり出てる。しかも、殺人ゲームのバグで女性化した元・進藤コースケとまで書いてあった。誰だか知らないけど、見つけたら殺すことにしておく。いや、そいつの情報を細大漏らさずリークするのもいいかもな。
漏らさずにリークする。という語呂に僕はくすっと笑みを漏らす。
僕が知りたかったのは、「自分の情報がどこまで流されているか?」ではなく、「自分以外に性別を変換されたプレイヤーが過去に存在したか?」なのだったが、その情報は見当たらなかった。
せっかくだから、僕は自分の情報ページに残された書き込みの内容を読んでみる。……が、その内容にブチギレそうになった。
『撲殺天使を気取るには胸が無さ過ぎ』
『野太刀を持たせたくなるね』
『子供じゃん!?』
『古都葉は俺の嫁』
『空気嫁』
『モロッコ帰りか?』
『歳がバレるぞ。いま性転換を闇医者がやってるのは日本だけだ』
『貧乳はぁはぁ』
『ぷち乳はぁはぁ』
『実は別人って可能性もあるよな?』
『同一のアームズは存在しないはずだが?』
『類似はやたら多いだろ?その可能性は?』
『微妙だな』
などなど好き勝手に書いてある。が、その大半は僕の容姿に萌え上がったアホどもの書き込みだった。
誰が、お前らなんか相手にするかっ!
ただ、ここでも僕は……男の僕『進藤コースケ』は戦闘マニア扱いだった。しかも、地元じゃ本気を出さず、遠征でしかその実力を見ることが出来ない、とまで書いてある。
こういう誤解はやめてほしい。と、本気で思う。
次に僕は調べたのは、殺人ゲームの終了条件だった。
一見……これは情報が無さそうな気がするが、実は都市伝説的な噂話は無数に存在していた。
しかし、その中に深遠なる者や古き神の如き者……ぶっちゃけクトゥルー神話関係の話は見当たらなかった。ま、殺人ゲームが有史以前から繰り返されてるって話も出てないくらいだから、情報操作されていると考えるべきなのかもしれない。
殺人ゲームの終了方法で、一番有力視されているのは……『真性の天使に触れる』というキーワードだった。
これは一枚の画像が元になった噂で、「この世界のどこかに封印された天使に出会うことで、ある真実を得ることが出来る」とされていた。そして、その天使が封印された場所にはフィールドの中でしか行くことができない……と、されていた。
封印と聞くとクトゥルフを思い出すが、どう捻くって見ても、あの蛸女は天使には見えないはずだ。それに噂の天使の顔はクトゥルフとは似ても似つかない。
僕はリンクを辿り、その噂の元になった画像を呼び出す。
そこに写されているのは……呆然と振り返るひとりの少女だった。怯えの走った目と薄く開かれた唇が弱々しい印象を与える。長い黒髪が乱れているのが、荒い写真の中でも判断できた。顔付きからすると、日本人のようだった。
着ているのは、濃いグレーのジャケットとブラウス、それにジャケットと同色を基本にしたチェックのスカートを履いていた。一見、どこかの高校の制服のように見える。……が、まるで戦闘を終えたばかりのように、それらが破られている。
しかし、その服の乱れは然して気にならない。それ以上に目を見張るものが写真の中央に写されているからだ。それは、それ自体が光を発しているように見える……四枚の翼だった。
目を凝らして見れば、彼女の周囲に無数の羽が落ちているのが見える。が、それらは背景に溶け込むように色を無くしていた。
この天使が何者かは知らないが、殺人ゲームの強制終了と関係あるとは考えられないだろう。
実際、多くのプレイヤーが何年も掛けて探し続けているのに見付かっていないんだから、夏休みが終わるまでに僕が出会えるとは思えない。
ふと気になって、僕は坂本の名前で検索をしてみた。……が、全く情報が無かった。チッ、無名プレイヤーめ。
ついでにアームズのところで、『ぬいぐるみ クマ』で検索をしてみる。
おぉ!!?
本体不明のアームズの中に、クマ吉くんの勇姿が写し出されていた。写真付きの解説ページまで特設されている。
「なになに……遠隔操作型のアームズであるが、本体のプレイヤーの正体は不明である。命令を出す声から男であることと、このアームズの名前が『クマ吉くん』であることは間違いない……か」
クマ吉くんの情報ページには不幸にもクマ吉くんに出会ってしまったプレイヤーの恨み言や賞賛の声で埋め尽くされていた。そういや、坂本もよくジョーカーになってるからな。って、僕が押し付けてるんだけどね。
せっかくなので、僕もクマ吉くんのページに書き込みを残しておく。
「えと……ぬいぐるみなんてアームズを選ぶくらいなんだから、きっとマザコンかオカマに決まっている。僕が聞いた命令する声は、変に高くてひっくり返っていましたが?っと」
他にも聖少女機甲師団や近所のプレイヤーの情報を調べ……午後になるのを待って、僕は市営のネカフェを出た。
午後からは図書館で中世ヨーロッパとクトゥルー関係を調べる。……が、クトゥルー神話を全て読み尽くすだけの余裕は僕には無かった。所詮はラノベ読者だからだ。
はっきり言って、僕はホラーとか古式豊かなファンタジーには興味が無かった。だから、どうしても読む気になれないんだよね。
クトゥルー神話を調べたければ、どっかのまとめサイトでも検索した方が良さそうだった。確か、そっち系のTCGもあったような気もするし、今度一緒に調べてみるか。
中世ヨーロッパに関しては……魔女狩り裁判が、一番それっぽい気がした。
当時の殺人ゲームが、どのようなスタイルで行われていたかは不明だが、プレイヤーや時間切れのジョーカーが魔女として火炙りにされていた可能性もあるんじゃないだろうか?
実際、性別が変わった僕なんか、中世ヨーロッパじゃ一発魔女扱いだろう。
分厚い書籍を乱雑に読み進めることに疲れ、僕は早々に図書館を出ることにした。通常のサイトで調べた方が、まだ楽で進みが早いような気がするから、余計に疲れるんだろう。
コキコキと首の骨を鳴らしながら、僕は帰路に着く。
帰り道、駅前のホームセンターに足を向ける。ここのホームセンターはペットコーナーが充実してて、熱帯魚や仔犬や子猫をいっぱい見れるのでお気に入りの店だった。
しかし、店内に入って直行でペットコーナーに行くのも怪しいので、僕は女の子向けのグッズコーナーに店の雰囲気に馴染むまで時間を潰すことにする。暇そうな女の子がペットコーナーで動物を見ているって感じに演出するためだ。
ふらふらと同じところを回っていると、ふとその商品が目に入った。足を止め、じっとフックに下げられたそれを見入る。
僕が見ているのは、ライターくらいの大きさの……携帯のマッサージ器だった。
確かに今日は首の辺りが凝っている……ような気がする。小説にTVゲーム、それにインターネットと、僕の趣味や生活はインドアが中心で肩凝りとかしやすそうな気がする。
でも、これって……全く違うことにも使えるんじゃ?
心臓がどきどきとうるさくて、それを顔に出すまいと僕は携帯マッサージ器の前を通り過ぎる。
値段はそんなに高くなかったよな?あ、でも……店員さんに変なことに使うんじゃないのか、とか思われるんだろうか?でも、普通にみんな買ってるかもだし……堂々と買えば変じゃないか。でも、んと……どうしよう?
本音を言えば、ちょっと欲しかった。
しかし、ペットコーナーの子猫や新しく仲間に入ったフェレットに相談することも出来ず、僕はひとり悶々とする。
よし!悩んでても仕方がないんだ。もう買っちゃおう。
僕はペットコーナーから雑貨売り場へ直行し、ライトブルーの携帯マッサージ器を手にレジに並ぶ。前のおっちゃんに見られたら嫌なので、マッサージ器は手の中に隠している。けど、レジに並んでるんだから万引きと間違われることはないだろう。
ガーデニング用品をいっぱいに詰め込んだ袋を手におっちゃんが立ち去るのを見て、僕はレジに手に持っていたマッサージ器を差し出す。
「よっ。いらっしゃい」
砕けた感じに言われ、僕は「え?」と顔を上げる。そこには営業スマイル全開の坂本の顔があった。
坂本は慣れた手付きで僕が差し出した商品を受け取り、Pi!とレジに通す。
「あ、あれ?バ……バイト?」
僕は顔が真っ赤になってるんじゃないかと思うほど焦りながら坂本に聞いていた。
「半分バイトかな。ここ俺の家なんだよ」
「え?」
「だから、お前がペットコーナーに入り浸ってるの知ってたんだよ」
いや、でも……それじゃ僕が猫会議に顔を出しているのを知ってる謎が残るぞ?
「肩凝り、ひどいのか?」
坂本のその一言で僕はビクッと震える。
「お、お前には関係無いだろっ!」
坂本はげんなりと肩を落とし、
「せっかくの美少女も肩凝りじゃ台無しだな」
と嘆くように言った。
「うっさい!黙れ!馬鹿!!」
小さな袋に入れてもらった携帯マッサージ器を受け取りながら僕は早口に悪態を吐く。
肩から提げたバッグに入れながら、僕は早々に店を立ち去る。
「またなー」
後ろから坂本の声が聞こえ、キッと振り返るが、あいつはにこにこと手を振っていた。
んべっと舌を出し、僕は勢いよく振り返り――まだ半開きだった自動ドアに派手にぶつかった。
「おい、大丈夫か?」
吹っ飛ぶように尻餅をついた僕に坂本が駆け寄ってきた。が、大丈夫に決まっている。この程度で怪我して堪るかっ!
立ち上がろうとした僕の身体がふわりと起こされる。さり気なく坂本の腕が僕の背中に回されていた。それは嘘みたいに優しい手付きだった。
僕はその腕を意識しながら、じろっと至近距離で坂本を睨む。
「あ……わ、悪い」
慌てて坂本は腕を引っ込め、すまなそうに僕の顔を見ている。
「別に……いいよ。ありがと」
僕は坂本に礼を言い、店を後にする。
あの馬鹿……僕に優しくしてどうするんだ。この前だって、大勢の女の子と一緒に喫茶店に行ったのに、ほとんど僕としか話をしてなかったし……。
ふと、夏の初めに起こった堕天使症候群のことを思い出した。
あいつは……あの先輩が好きだったんだな。
あのとき、座り込んで泣いてたんだ。
ほんと馬鹿だな、あいつ。
僕は通りに出てから、ホームセンターを振り返った。けど……自動ドアの向こうで働く坂本の姿は見えなかった。
その夜……僕は自分がほんとうに馬鹿になるんじゃないかと不安になった。
こんなの買うんじゃなかった。
携帯マッサージ器をティッシュで拭きながら。僕は本気で後悔していた。
気持ち良過ぎるのもあるけど……ちょっと音が大き過ぎて、使ってて恥ずかしかったからだ。