進藤コースケ君の受難の日々:15
 
 
 階下からお母さんが呼ぶ声が聞こえて、僕は薄いまどろみから戻ってくる。
 今日は……いつだ?
 ぼんやりと枕元に置いていた携帯電話を取る。
 八月二日。
 そっか……今日は登校日か。
 ベッドから身体を起こし、僕は無意識に左の手首を掻き……痛みに顔をしかめる。
 昨日の夜、寝る前に貼っておいた絆創膏が、くちゃくちゃに丸めて、ベッドの中に落ちていた。
 寝てる間に剥がしちゃったのかな?
 引っ掻き傷で皮の捲れた手首を見て、僕は新しい絆創膏を取りに行く。
 タンスの一番上、三分割された棚の真ん中に絆創膏の箱が入っている。僕はそれを取り出し……手を滑らせて、中身を部屋にぶちまけてしまった。
 床に広がった絆創膏を見て、無数に散らばる羽を想う。
 いま……死ねば、僕も羽の一部になれるんだろうか?
 地面に落ちた羽は誰も知らない間に風に遊ばれ、陽の当たらない闇の中で朽ちていく。
 死にたい、な。
 のっそりと膝を折り、その場にぺったりと座り込んで、僕は絆創膏を拾い上げる。一枚、また一枚と手首に貼り、醜い手首の傷を隠していく。
 ぼんやりと顔を上げると、タンスの横にまっさらな夏服のセーラー服がハンガーに掛けられていた。
 
「ほんとに大丈夫なの?登校日だからって無理しなくても良いのよ?」
 玄関先まで見送りに来たお母さんが心配そうに言うのを聞き、僕は薄い笑みでそれに答える。
「……ん。だいじょうぶ」
 ごめんね、と言いそうになり、僕は慌てて違う言葉を口にする。
「ありがと」
 玄関のドアを開けると、まだ朝だと言うのに八月の熱気が家の中に滑り込んだ。
「じゃ、いってきます」
 履き慣れてないローファーの靴音を残し、僕はお母さんに手を振って……家を出た。
 
 
 ジョーカーになって五日目だった。
 今日、僕は堕天使症候群に死ぬことを決めていた。
 昨日の段階で町中でプレイヤーを探すことも考えたけど、それだと失敗する可能性があった。自分の意思とは無関係に、不意にフィールドを展開してしまうかもしれないからだ。
 意識は、ずっとONとOFFを繰り返させられていた。
 死にたい。
 何度も心の中で、自分が死ぬところを夢想していた。
 そして、それと同じく……あいつが、古き神の如き者が、すぐ近くに来ていることを感じていた。
 僕の意識を味わうように、その精神の触手が絶えず蠢き……舐め上げていた。
 改札を抜け、フォームに立ち、そのまま飛び降りたくなるのを僕は意思を集中させて拒絶し続ける。
 フォームの屋根を支える鉄骨を掴み、熱っぽい額を当てる。
 待ってろ。もうすぐお前の餌がいっぱいいるところに行ってやるから……それまで指を咥えて待っていろ。
 列車が到着し、その物理的な破壊力を感じさせる音と激しく乱れる風に、眩暈と快感を感じる。
 エアーが抜ける音と共にドアが開き、人が入れ替わる流れに混ざり、僕は電車の中に入る。
 ラッシュにはまだ早いせいか、疎らに席が空いていた。
 僕は隅っこに近い席に座り、顔を伏せて目を閉じる。
 無数の人の気配に包まれ……この全てが僕の敵ならば?と自問してみる。
 見ず知らずの無数の手に引き裂かれる自分を想像し、口にしたくないようなことを無理やりされる自分の姿を想像し、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も……殺され続ける。
 狂気染みた夢想を繰り返し、僕は……ほんの少し太腿を寄り合わせる。
 死にたい。
 心の中で小さく呟いてみる。
 学生鞄を持った右手の親指が、左の手首にある傷を絆創膏の上から掻いていた。
 
 
 学校に着いたのは、普段よりかなり早い時間だった。
 この時間なら、きっと僕の死体を理奈や坂本が見ることはないはずだ。真奈美の転校は、二学期からのはずだったから、先ず心配はいらないだろう。
 一度、校門の前で立ち止まって、四階建ての本校舎の屋上を見上げた。
 あそから飛び降りたら、きっと死ねる……はず?
 まだ寝惚けてるみたいな、怪しい足の感触を騙し騙し、僕はゆっくりと校庭の砂利を踏みながら足を進める。
 登校日でも関係無いのか、部活の連中が元気に朝練をしている声に、気の早いセミの鳴き声が重なっていた。
 徐々に高くなる日差しが、地面の砂利一つ一つに濃い影を落としていた。
 校門から下駄箱に行く生徒の数は少なかった。
 それでも、ゆっくりと歩く僕を一人、また一人と追い抜いていく。その後姿を見送りながら、僕は立ち止まり――
「進藤っ!!!」
 悲鳴のような叫びに、僕は目を見開いて振り返った。
 なんで……?
 グランドと校庭の間の僅かな段差の前で、体操服姿の坂本が呆然と立っていた。
「なんで……お前が……いる、んだ?」
 もう、時間が無いのに……どうして、お前はこんなとき…… 
 ちろり、と小さな触手が、揺らぐ僕の感情を舐める。
 こんなところに顔を出すんだ?
「進……藤?」
 泣きそうな顔で坂本が走り出し、
「来るなっ!!!」
 僕は残った理性で力の限りに叫んだ。
 こいつの前でだけは死にたくなかった。
「僕に……近付くな」
 右の親指が手首の傷を掻き、絆創膏の一枚が嫌な感じに捩じくれる。
 手の中の学生鞄が乾いた音を残して地面に落ちるのも気付かず、僕は手首を掻き続ける。
 坂本は、堕天使症候群で死んだ三浦真美のことが好きだった。
「なんで、どうして……お前まで」
 走り掛けた姿勢のまま坂本が呟いていた。 だから、何があっても、こいつの前でだけは死にたくなかったのに……。
 呆然と立ち竦む僕の中で、無数の意識の舌が全身を這い回っていた。
 その汚らわしい感触に、僕の全身が総毛立つ。
 そして、僕は気付く。
 あいつが……古き神の如き者が、僕の全てを奪おうと、いまここに立っていた。
「……ダメだ。……来るな。……逃げて」
 掻き毟る指先に滑りを感じても、僕は坂本の顔だけを見ていた。
「進藤!!!」
 ぐらり、と揺れた僕に駆け寄り、坂本が両肩を掴む。が、その反動で僕の頭はガクガクと揺れ続ける。
 虚ろに開いた唇から、奇妙な音が漏れていた。
「nruhgoiaerj;lagnd/kl.hnp:@ieik\gpr@-oz-[d9f0h9a8u7y0@tkgm]:;f,lagnd/kl.hnp:@ieik\gpr@-oz-[d9f0h9a8u7y0@tkgm]:;f,hn@ztolzaklhz:;l,huj]@ol5zhn@ztolzaklhz:;l,huj]@ol5z@:rlglre……」
 それは人間には理解できない声だった。聞いてはいけない言葉だった。
 校舎の窓ガラスが派手な音を立てて吹き飛び、地面が激しく揺れ動く。
「ころ、して……」
 僕じゃない僕が、感情を感じさせない声で呟いていた。
 苦痛に顔を歪めながら、それでも守るように坂本が僕を抱き寄せる。
 精神の触手は、もう自分の意思で動くことも出来なくなった僕の心を貪り続ける。穴を穿ち、舐め上げ、味わい、何度も食い千切る。
 もう限界だった。
 どこにも行くことも出来ない。坂本の腕を振り払うことも出来ない。
 これ以上……一秒だって、耐えることは出来なかった。
 僕は虚空を睨んだまま、フィールドを展開する……自分自身の中に存在するもう一つの自我『進藤コースケ』をターゲットに!!!
 
 
「お主を男に戻せぬ理由は、いまのお主が二つの自我を持ち合わせているからじゃ。女子になったお主は古都葉という名を貰うことで、以前のコースケとは別人格となった。それは一つの器に水と油を入れるようなもの。そして、憑依とは、その器の中に神々が宿ることを意味する。されど、古き神の如き者といえど器の中の水と油……その二つを同時に喰らうことは叶わぬはずじゃ。コースケと古都葉、どちらにあやつが喰らい付くかは解からぬ。しかし、のう……どちらにしても同じことじゃと思わぬか?生き残った者が、あやつの頭に鉄槌を喰らわせれば良いのじゃからな」
 
 
 壊れた時計の時間。
 精神という領域の中で、『進藤コースケ』と『進藤古都葉』の、二つの自我が引き離されていく。
 人格の核を持った進藤コースケに古き神の如き者を憑依させたままに……
 
 
 無数の歯車と螺子が狂ったように弾かれ、時間は完全に破壊された。
 だが、それは進藤古都葉の精神世界の中だけの話だった。
 いま現世では、僕の肉体は堕天使症候群で破壊され続けているだろう。
 タイムリミットは、僕の現実の死までの数分間……それまでに、僕は進藤コースケを殺す。こいつに憑依した古き神の如き者を殺す!
 
 
 誰もいないモノトーンに染まった校庭の真ん中で、僕……進藤古都葉はぺったりと座り込んでた。太腿に刺さる砂利が痛いけど、それでも古き神の如き者と融合した進藤コースケよりはマシなのかも知れなかった。
 校庭の真ん中に立っていたコースケは、吐き気に襲われたように身を屈めていた。
 その背中を不規則に痙攣させて、必死に吐くまいとしている。
 身体の節々が痛いのは僕も同じだった。けど、時間は限られている。僕は悲鳴を上げる関節を無視して強引に立ち上がる。
 目の前に立っているコースケは、鏡の中で見た自分よりも優男に見えた。っていうか、何か見てるだけでムカツク顔をしていた。
「古き神の如き者と融合した気分は、どうだ?……コースケ」
 コースケは情けない顔をして、嫌そうに舌を出した。
「最悪だな。何か悪いものでも食った気分だ」
「それって、お前を喰ったからじゃないのか?」
 言いながら、僕は自分の身体の反応をさり気なく調べる。……ん、大丈夫だ。これなら戦える。
「こっちは気分がいいよ。しつこい変態とオサラバできたみたいだよ」
 右手の小指で目尻を押さえて、んべっと舌を出して見せてやる。
 事実、コースケという邪魔者がいなくなったことで、僕は今まで感じたほどもないくらいに、精神的にすっきりしていた。
 コースケは「ふんっ」と、白けた返事をして、つまらなさそうに視線を外す。が、油断無くフィールドの状態や地形を記憶しようとしてみるみたいだった。……が、不意に大袈裟な溜息を吐き、僕に話し掛けてきた。
「な、俺と古き神の如き者が融合したことで、殺人ゲームの主権を握ったことにならないか?だったら、俺とお前は殺し合う必要が無いんだけど……っても、信じないよな?」
 前髪を手で弄びながら、露骨に馬鹿にした目を向けて、コースケは「どうだ?」と聞いてきた。
「信じる分けないだろ、馬鹿」
 こちとら、クトゥルフから必勝法まで聞いて来たんだ。いまさらつまんないことを聞くなっ!
「ま、そうだろうな」
 諦めたように呟くコースケの手から、淡い光の泡が零れ……凶悪な撲殺バットの姿を取る。
 誰もが笑いを隠さなかったその武器を見て、僕は……ぞくり、と背筋を震わせる。
 あれは、人を撲殺するための最低限の能力しか持たない武器だった。
 逆に言えば、撲殺するのに無駄な重さや能力を削り取った凶器とも言えた。
 つまり……使い手次第では、最強の武器にもなり得るということだ。
 そして、コースケは中学時代は不動の四番バッターだった。
 あいつは、バットという武器を熟知している。
 それを僕は、誰よりも知っていた。
 アームズとは、殺意の具現……もっとも効率良く相手を殺せる武器を誰もが選ぶ。
 そして、コースケは……自分が一番得意とする武器をアームズとして、その手に持っていた。
 でも、ただそれだけだった。
 人の意識は無限の広がりを持つ。
 そして、それは殺意さえも無限の移り変わりを見せることを意味していた。
 ならば、殺意の具現であるアームズとは?
 クトゥルフの言葉を思い出しながら、僕は自分自身に言い聞かせる。
 僕なら出来る!不可能じゃない!!
 無限に移り変わる殺意の全てを同時に具現化させることが、僕にだけは出来るはずだっ!!!
 ゆっくりと振り被った僕は、右手に殺意を集中させ――
「死ねぇぇえええっ!!!」
 コースケに投げ付けた。
 それは直径2mを越す炎の塊だった。
「なにぃ!!?」
 巨大な炎塊が地面すれすれに飛び……コースケは、撲殺バットで炎塊を地面に叩き付ける。
 ごばぁ!と炎が飛び散りる。
 視界の全てが炎に彩られる。が、その一瞬の隙に、コースケが間合いを詰めていた。
「甘過ぎだぜっ!」
 踏み込んだ足を捻り、勢いの全てを横の運動に流しながら、コースケが撲殺バットを振り切る!!!
「――っ」
 反射的に後ろに飛ぶ。が、間に合わない?と思った瞬間――僕の身体は真後ろに引っ張られていた。
 空振りに終わった一撃を惜しむようにコースケは、僕が居た空間を見つめ……ゆっくりとその顔を空に向けた。
 まだ燃え続ける炎に巻き上げられる無数の黒い羽の中で、僕は静かにコースケを見下ろす。
「おぃおぃ」
 炎に彩られた校庭の真ん中で、コースケが呆れた声を漏らしていた。
 それを僕は宙に浮かんだまま見ていた。
 僕の背中に、髪と同じ色の……漆黒の翼が広がっていた。
「俺よりお前の方が人間離れしてるんじゃないのか?っていうか、アームズは一人に一個だろ。最低限のルールくらい守れよ。つか、お前はアニメの観過ぎの中学生ですか?何だよ、その翼は……」
 撲殺バットを肩に担ぎ、コースケが「やってらんねぇ」とボヤく。
 けど、勝手に押し付けられたルールなんか知ったことじゃなかった。っていうか、誰がオタクだっ!!?いや、それ以前に僕はこう見えても高校生だ!!!
 隠し続けていたコンプレックスを刺激され、僕は苛立たしげに歯を鳴らした。
 殺す!こいつは首を掻っ捌いて殺すと予言するっ!!!
 僕は右手に意識を集中し、進藤古都葉として選んだ武器を顕現させる。
 それは……骨を繋ぎ合わせたような持ち手と、優雅な曲線を描く刃を持つ、禍々しい死神の鎌だった。
「……うわぁ」
 武器を構えた僕を見て、コースケは思いっ切り引いていた。
「お前はマジでラノベかマンガの読みすぎじゃないのか?せめて、もうちょっとまともな武器を選べよ。ツッコミどころ満載でコメントに困るだろ?」
 その露骨に馬鹿にした態度に、僕の中で何かがキレた。
「うっさいっ!黙れ、馬鹿っ!!」
 左手に鎌を持ち替え、右手で炎塊を撃ち出す。
 コースケは派手に横に飛んで直撃を避ける。が、炎に煽られて無様に転がった。
 追撃のチャンス……だったけど、二発目は撃てなかった。さすがに、アームズを同時に三つも出すのは無理があるみたいだった。
 それでも、このまま安全な空中で炎塊を撃ち続けていれば、いつかは勝てるはずだった。……けど、その作戦は使えなかった。現世の僕が死ねば、この精神世界も崩壊するからだ。
 もう、あまり時間は無いかもしれない。
 頭を振りながら立ち上がるコースケに炎塊を撃つ――と、同時に僕は一気に高度を下げる。
 今度は後ろに下がって避けたコースケの前に……砕け散る炎の中を突っ切り、走り出る。 炎の欠片を纏ったまま死神の鎌を振り被る。
 ジャゴン!と堅い音を残し、畳まれていた刃が広げられる。
「これで、終わりだぁああっ!!!」
 真横から振り切った鎌が――
「え?」
 あっさりと空を切った。
 何の躊躇いも見せず、コースケは僕との間合いを外していた。
 斬り捨てることを前提に振り切った鎌の重さに負け、僕はバランスを崩し――
「ふぎゃっ!!?」
 背中を思いっ切り撲殺バットで殴られ、吹き飛んだ。
 下ろしたてのセーラー服が、切り裂かれる音と共に激痛が背中を走る。
 ゴロゴロと転がる僕の手から鎌が離れる。
 それは一瞬の出来事だった。
 苦痛に声を漏らしながら、僕はそれでも顔を上げる。
 じゃり……と、砂を踏む音を残し、安物のスニーカーを履いた足が近付き、僕の鎌を炎の向こうに蹴り出した。
「あ……」
 撲殺バットを肩に担ぎ、コースケが僕を見下ろしていた。
「直情的過ぎるな。時間が無いにしても、多少の戦術を練らなけりゃ、勝てる勝負も捨てることになる。そんなことくらい解かってるだろ?」
 うつ伏せに倒れたまま、僕はコースケの顔を見上げる。
 解かってる、さ。 そんなことは……言われなくても解かっている。何しろ、僕はいつでも戦術で足りない力を補って来たんだから。
「これで……終わりだ、な」
 コースケが真上に撲殺バットを振り被り、僕は――翼を打ち払いながら、一気に立ち上がった。
「なっ!!?」
 驚きながらも、コースケは腰を落とし、打撃が有効な間合いを作る。
 しかし、その無理な体勢の変化が狙いを曖昧なものにして――僅かに首を振るだけで、頭部への直撃を避けることを許した。
 撲殺バットは僕の耳を削ぎながら、左肩に打ち下ろされた。
 肩が潰され、鎖骨が砕け、折れた肋骨が肺に突き刺さる。……が、僕はそれを無視して、右手でコースケの顔面を鷲掴みにする。
「うぁぁあああああああっ!!!!」
 最後の力を振り絞り、その手の中に炎塊を呼ぶ。
 轟っ!!!
 燃え上がったコースケの頭部は一瞬で炭化し、振り切った手の中で粉々に砕け散った。
 頭部を失ったコースケの身体が、一歩……二歩、と……前に歩き、跳ねるような仕草で地面に突っ伏した。
 ビクビクと痙攣を繰り返し、コースケはすぐに動かなくなった。
 頭部を失ったコースケは即死していた。……古き神の如き者と融合したまま。
 力尽きたように僕は校庭の真ん中に座り込んだ。
 その背中の黒い翼が音も無く消えて行くのを感じながら、肺の中に残っていた空気を吐き出す。と、けほっと小さく血の混じった咳をする。
 これで、全て終わったはずだった。
 コースケを融合したまま殺されたことで、古き神の如き者も深手を負ったはずだった。
 その傷を癒すため、古き神の如き者は、また数世紀単位の深い眠りに着くはずだった。
 そして、それは……ヤツの饗宴である殺人ゲームの終わりを意味していた。
 校庭を彩るように燃えていた炎が静かに消えて行き……全ての陰影が曖昧なものに変わって行く。
 ボロボロと校舎が崩れ、植林された校庭の木々の葉が、枝が壊れていく。
 後は、クトゥルフが殺人ゲームの強制終了を確認し、果歩の精神を解凍すれば全てが終わるはずだった。
 壊れ、崩れていく世界の中で、僕はうつ伏せに倒れたコースケの死体を見る。
 まさか、アクション映画のお約束みたいに起き上がって来たり――
 ピクン、とコースケの右の薬指が動いた。
 驚愕に僕の頬が小さく痙攣する。
 ……が、それだけだった。
 コースケはしっかりとこれ以上は無いほど死んでいた。
 びっくりさせるなよ。
 僕はほとんど凹凸の無くなった校庭に、ごろっと横になる。
 フィールドの中の灰色の空から、何か白い物が降り注いでいた。
 それは、その灰に似た物質は、死に絶える僕とコースケの精神の欠片……思い出だったのかも知れない。
 僕は静かに目を閉じる。
 瞼の裏に……坂本の顔が浮かび、僕は慌ててその絵を消して、果歩の笑顔を入れ替える。
 どこか遠くで、何故に妾の肖像を思い浮かべぬ?と、クトゥルフの声が聞こえたような気がしたけど、軽くスルーすることにした。
 薄い笑みを浮かべたまま、僕は……意識を闇の中に落とした。
 
 もう、全ては終わったんだ。