進藤コースケ君の受難の日々:14
 
 
 改札口でクトゥルフと別れ、僕は早足に駅ビルを出る。
 果歩の脳に刻まれた記憶があれば、クトゥルフは問題なく森川果歩として生活を続けられると言ったので、僕はそれを信じることにした。もっとも、それを疑ったとしても、僕には果歩の身を案じるだけの時間が許されてなかった。
 果歩に憑依したクトゥルフが何を仕出かすのか……とてつもなく嫌な予感がするが、僕はそれを『自分には関係ない』と割り切ることにする。
 まだ昼過ぎだったので、お母さんと約束した時間には余裕があった。夕飯の買い物に付き合うのには四時頃に帰れば十分なはずだ。
 僕はいつもの大きなバッグから携帯電話を出し……あれ?と、首を傾げた。
 携帯電話の電話帳に坂本の電話番号が入れられてなかった。
 そういや、あいつと携帯電話で話とかしたことなかったな。
 ぽりぽりと頭を掻いて、携帯電話のディスプレイを眺める。
 ま、無いものは仕方ないので、僕は真由美と理奈にだけ、先に現状を伝えることにした。
 坂本とは、あいつん家のホームセンターに行けば会えるだろう。
 
 
 予想通り坂本はホームセンターのレジに立っていた。……この世の終わりでも来たかのような暗さで。
 普段のふてぶてしい明るさの消えた坂本は、身長まで縮んだみたいに小さく見えた。いや、猫背になっているから、実際に縮んでいるのか?
 坂本は僕は店に入ってきたことにも気付かず、死んだ魚のような目でレジに立っている。
 ちなみに、買い物に来たお客さんは全員、坂本の後ろ側の二つ目の以降のレジに足を向けていた。ま、普通はこんなゾンビモドキのレジには並びたくないだろう。
 僕はゆっくりと坂本の立つレジの前に行き、身を乗り出して、その顔を覗き込んだ。
「……イラッシャイマセ」
 機械的な棒読みで呟き、口の両端だけを吊り上げる不気味な笑顔を浮かべて、坂本の手が何も置かれていない台の上を彷徨う。けど、そこに買い物籠も何も置かれていないことに気付かない。
 マジで逝っちゃってるな、こいつ。
 っていうか、よくこんな状態のヤツをレジに立たせてるな。人手不足なのか?
 僕は、きょろきょろと周りを見て……優しく、ペシッと坂本の頭を叩いた。
「起きろ、馬鹿」
 スローモーションのように顔を上げた坂本の目の焦点がゆっくりと合い、その表情がくしゃくしゃに歪む。
「し、しん……しんど……」
 泣き出すまいと必死に我慢している坂本が、視線を逸らし……見てて痛々しいほど震えている唇を噛み締めた。
 相変わらず馬鹿だな、こいつ。
 きっと自分だけ無事に生きていることに罪悪感を感じているんだろう。
 そんなに優しいと長生きできないんじゃないか?あっという間に死んじゃうぞ。
 僕は泣きそうな坂本の顔を真っ直ぐに見て、素っ気無い声で事実だけを先に伝えてやる。
「先に言っとくけど、果歩なら無事だぞ」
 ピクンと小さく坂本の身体が震えた。
「……無、事?」
 僕はボケた坂本にもわかるように、しっかりと頷いてみせる。
「そ。無事。……でも、まだ連絡とか入れるなよ。ややこしいから事情は説明したくないけど、とにかく一週間は連絡禁止だか――むぎゃっ!!?」
 いきなり首と肩に腕を回し、坂本が僕の名前を叫びながら抱き寄せた。
 両方の太腿をレジの台に思いっ切りぶつけられ……っていうか、身長差のせいで足が浮きそうになり、僕は必死になって坂本を押し返す。
「離せ、馬鹿!!変態!離せってば!!!」
 しかし、感極まった坂本は僕の言葉も聞こえないのか、ギューギューと締め上げてくる。
 坂本の汗臭い胸に顔を押し付けられ、悲鳴を上げるどころか息をすることもできず、僕はレジの台を爪先でガンガン蹴りまくり、周囲に助けを求めた。
 し、死ぬ……マジで死んじゃう。
 男の胸に抱かれて死ぬなんて、絶対に嫌だった。誰か、誰でもいいから……助けてくれ。
「ちょっと坂本君、何やってるの!?」
 野太い男の声が聞こえ、
「え?あ……すまん」
 ビクンと震えて、坂本が我に返った。
 無駄に逞しい腕から開放され、僕の靴底が地面に触れる――と、同時に僕は深く腰を落とす。
 背中が前に向くほど右手を思いっ切り後ろに引き、前に出した左足の爪先を支点に大きく腰を回す。横投げの要領で振られた指先が、遠心力で集められた血に痺れるのも無視して……
 スパーーーーン!!!
 僕の渾身の平手打ちが、坂本の左頬にジャストミートした。
 首から独楽のように回転し、坂本は後ろから肩を掴んでいたおっちゃんと一緒に吹き飛ぶ。
 ジンジンと痺れる右手を振りながら、僕はぼろ雑巾のように捩じれたまま倒れる坂本を見下ろし、吐き捨てた。
「僕に触るなっ!」
 が、坂本はそれを聞いていなかった。僕の言葉を聞いていたのは、坂本と一緒に吹っ飛んで尻餅をついてるおっちゃんと、店の騒ぎを聞き付けて集まって来た店員さんやレジの近くにいたお客さん達だけだった。
 白目をむいた坂本は、完全のノックアウトされていた。
 
 ホームセンターの一角にあるアイスクリームショップで、僕はラムレーズンとチーズケーキとチョコマーブルのトリプルをカップで食べていた。
 ちなみに、僕はお小遣いを全額没収された無一文の身なので、これは僕に不埒な行いをした坂本に奢らせたものである。だから、テーブルの真ん中に釣り銭が積んであったりする。
 僕の平手打ちを食らい気絶した坂本はすぐに目を覚ましたが、立ち上がる間も与えられず、店主である父親にしょっ引かれて行った。
 首根っこを掴まれ引き摺られていく坂本から千円札を奪い、僕はアイスを食べているわけだけど……やたら店員さんが行き来しているように思うのは気のせいだろうか?
 坂本がどんな言い逃れをしているのか、ちょっと興味があるけど……まさか、好きな女の子が来たのを見て、理性が吹っ飛んだとか言ってないだろうな。
 パステル調の店内に似合わない無機質な銀縁の時計を見上げて、僕はアイスクリームを口に運ぶ。
 ま、僕が待ってるのを親父さんも知ってるから、そのうち開放してもらえるだろう。
 
 坂本が戻ってきたのは、僕がチーズケーキから最後の砦であるチョコマーブルにスプーンを突き進めたころだった。
 真っ赤な紅葉よろしく頬に手形を残した顔を見て「ぶっ!」と吹き出しそうになったが、僕はそれを隠して不機嫌そうに坂本を睨む。
 坂本は小さく肩を竦めてから、僕の座るテーブルの前に来た。
「あー……さっきはすまん。悪かった」
「……ん」
 気まずそうに笑い、坂本は僕の向かいの席に座る。
「それ」
「うん?あぁ……」
 スプーンで指した釣り銭とレシートを腰を浮かして、坂本はジーパンのポケットに押し込む。
 僕は視線を外したままアイスを食べる。でも、それは怒ってるからじゃなくて、坂本の頬っぺたの紅葉を見たら笑っちゃうからだ。
「で、さ。さっきの果歩の話なんだけど……」
 僕が顔を上げようとしないから、坂本は話し辛そうに聞いてきた。
「……ん」
「ほんとに無事なのか?」
 アイスを食べる手を休め、僕は瞬間的にどこまで話すか考える。
「あぁ、無事だ。でも、まだ不安定な状態だから連絡を入れるのは待ってくれ」
 微かに坂本が緊張するのを肌で感じた。堕天使症候群を直に見たことがあるこいつとしては、単に四日目を生きているだけじゃ納得できないってところだろう。
「嘘じゃないよ。堕天使症候群は避けられたんだ。でも……」
「でも?」
「僕がここに来たのは、その件じゃない」
「え?」
 冷房の効いた店内でも柔らかくなったアイスクリームをスプーンで混ぜ、口に運ぶ。
「お前のことだから、ジョーカーは知り合いに頼んだろ?」
「???」
 顔を上げると、不思議な生き物でも見てるみたいに、呆然としている坂本の顔があった。
「昨日、あの後……お前はジョーカーを知り合いに変わってもらったんだろ?って聞いたんだよ」
「あ……あぁ、そうだけど?」
 会話の流れに付いて来れていない坂本が、僕の言っている意味を理解するまで、僕はのんびりとアイスを食べることにした。
 ガチガチに冷えたアイスも好きだけど、この中途半端に柔らかくなった状態には、独特な美味しさがあると思う。
 幸せを噛み締めてアイスを食べる僕の前で、坂本の表情が徐々に険しくなっていく。
「なんで、だよ?」
 スプーンを口に運びながら、僕は小さく首を傾げる。長い髪が肩で滑るのを感じ、反射的に手で払う。
「何で、そんなことを聞くんだ?」
「別に」
 僕はそう答えてから、言葉を継ぎ足す。
「昨日の今日なら、まだジョーカーのままの可能性が高いだろ?ちょっと紹介してほしいだけだよ」
 ギリッと奥歯を噛み締める音が聞こえそうなほど、坂本をその顔を苦々しく歪めた。
「何考えてんだ、お前。昨日、果歩があれだけ苦しんでるの見て、どうしてそんなことが言えるんだよ」
 坂本のこの反応は、僕の予想通りだった。予想通りだったのに……プラスチックの小さなスプーンを持つ、僕の手がビクッと震えた。
 別に大声を出したわけじゃない。坂本は静かに呟いただけだった。なのに……ただ、それだけなのに、僕はこいつが感じている嫌悪感と怒りに、この場を逃げ出したくなった。
 しかし、僕がジョーカーを探している理由を坂本に教えるわけにはいかなかった。
 アイスを混ぜながら、ちょっとだけ迷い……僕は嘘を吐くことにした。
「実は……殺人ゲームのことで、ちょっと調べたいことがあるんだ」
 僕はアイスのカップから目を上げ、坂本を見ながら言葉を選ぶ。
「ただ、それを調べるにはジョーカーの方が都合が良いんだよ。ただ……それだけなんだ」
 坂本は……怒りを隠さずに僕を見ている。
「お前が嫌なら、街にでも出てジョーカーを探すだけだけど……」
 その目が嫌で、
「出来れば、もう戦いたくないんだ」
 僕は、ぽつりと付け足す。
「もう誰とも殺し合いはしたくないから」
 これは嘘じゃなかった。
 でも、坂本は厳しい表情を変えなかった。まるで嫌なヤツを見るような目で、ずっと僕を見ているだけだった。
 お前はどうしてそんな嘘を吐くんだ?
 坂本の目は、そう言っていた。
 視線を外し、僕は最後の一口が残ったアイスのカップにスプーンを落とした。
 昨日の今日で、また殺し合いを続けようとする……そんなことを、こいつが許すはずが無かった。ちょっと考えれば解かることなのに……。
 僕は溜息を殺しながら席を立つ。
「嫌なら……いいよ」
 邪魔したな、みたいな感じのことを口にしようとしたけど、後は言葉にならなかった。視線を合わせないようにしながら、僕は無駄に大きいバッグを肩に担いで歩き出す。
 つまんないことで潰してしまった自分に嫌気がさしていた。
 そうだ……最初から街でジョーカーを探せばよかったんだ。こいつに頼む必要なんか無かったんだ。
「待てよ」
 席に座ったまま坂本が僕を呼び止めた。けど、いまは振り返りたくなかった。
「……紹介してやるよ」
 何かを諦めたような口調で、坂本は投げやりにそう言った。
「でも、俺も一緒に行くぞ。お前だけってのはナシだ」
 背中を向けたまま、僕は小さく頷く。
「まだジョーカーかどうかは分からないけど、一応連絡を入れてみる。それでジョーカーだったら、お前を連れて会いに行く。……それでいいな?」
 どこか突き放すような坂本の声を聞き、僕はもう一度頷く。
「今日はもうバイト上がれって言われてるから、ちょっとだけ待っててくれ」
 坂本が立ち上がる気配を感じて、僕はカウンターの方に避けて道を開ける。
「……わかった」
 すれ違う坂本に呟いた声は、自分でも信じられないほど弱々しかった。けど、坂本は聞こえなかったのか、何の反応も見せず店内に戻って行った。
 一度も振り返らずに……。
 
 
 気持ちを切り替えろ。
 坂本と僕は友達じゃない。最近は馴れ合いが多かったけど、そもそもこいつは僕にトラブルを持ってくる疫病神みたいな存在だったはずだ。
 それにもう……何もかも関係無いはずだろ?
 ジョーカーの受け渡しが終われば、後数日で全てが終わるはずだった。
 だから、こいつにどう思われたって関係ないはずだった。
 いまは……果歩のことだけを考えろ。果歩を救い出すことだけを考えろ。
 このクソったれな殺人ゲームを終わらせることだけを考えるんだ。
 
 
 坂本が僕を連れて行ったのは市を分断するように流れる一級河川の鉄橋の近くだった。
 ここに着くまで、坂本はむっつりと黙り込んでいた。あれこれと詮索されるよりはマシだと言えるが、それでも会話が無いまま二人っきりってのも、ちょっと辛かった。
 ずっと前を歩いていた坂本が、不意に止まり、
「よっ」
 と、明るい声を出して手を上げた。
 道を塞ぐように立ち止まった坂本の背中から、ひょいっと顔を出して僕は先を見る。
 遊歩道として植林がされた堤防の途中で、その女の子は僕らを待っていた。
 背の高い女の子だった。たぶん170cmくらいあるんじゃないだろうか?ポニーテールの髪が、すらりとした背中に落ちている。
 細身だけどしっかりと出るところが出ているスタイルは、素直に綺麗だと思えた。
 飾り気のないジーンズとTシャツを着ているのは僕と同じだけど……彼女の前だとチビでぺったんこな自分が、ひどく見劣りしているように感じた。
 立ち止まったままの僕を残し、坂本が彼女の前で手短に説明しているのを、遠くの景色のように見る。
 目を細め、眩しそうに坂本を見て、彼女が笑いながら何度も頷く。そんな二人から目を逸らし、僕は緩やかな川の流れを見る。
「進藤」
 坂本に呼ばれ、僕はビクッと振り返った。
「交渉成立だ。……悪いけど、頼むわ」
 彼女の肩を優しく叩き、坂本は距離を作るため、堤防を下りる。
 ジョーカーの受け渡しの際は、互いに名乗り合うことはない。誰だって自分の情報は守りたいからだ。
 土手に下りた坂本が頷くのを見て、僕はゆっくりと足を進める。
 彼女は何の感情も感じさせない目で、静かに僕を見ていた。
 そして、僕と彼女の間合いが2mを切った瞬間――優しい風に包まれ、全ての音が消えた。
 ただそれだけだった。いや、土手に立っていたはずの坂本の姿はない。普段より物の陰影が優しく感じられるそこは、間違いなくフィールドの中だった。でも……僕が今まで見てきた無機質な印象を与えるフィールドと、どこか違っていた。
 今朝、クトゥルフが言っていた言葉を僕は自然と思い出していた。
『壊れた時計の時間……お主らが言うフィールドとは、その名の通り人それぞれが持つ“己の領域”のことじゃ。あやつが用意した場に、お主らは精神世界を広げ、それを繋ぎ合うことで、互いの存在を知り、殺し合っておるのじゃ』
 ならば……この優しい世界は、彼女の心象風景そのものなんだろうか?
 目に映る全ての物に命が満ち溢れているような世界で、その中で……優しい笑みを浮かべていた彼女の顔が僅かに曇る。……が、その影の中に嫌なものを僕は感じた。
 坂本を見ていた彼女の表情を思い出し、僕はその理由に思い至る。
 あぁ、そうなのか。
 心の中で呟き、僕はじっと彼女を見る。
「約束は約束だから、あなたをちゃんと殺すけど……」
 彼女は震えそうな声で呟き、小さく息を吸う。
「彼がボロボロなの、どうしてか知ってる?」
 殺意でも敵意でも怒りでもなく、彼女は不安から僕にそう聞いてきた。
「昨日の昼過ぎに彼に会ったの。彼、泣きながら俺に殺されてくれって言ったの。死にたくないから、俺のジョーカーを取ってくれって……」
 静かに言葉を紡ぎながら、彼女は探るような目で僕を観察している。
「あのアームズがあれば私になんか頼む必要は無いはずなのに……誰にも負けないはずなのに……それなのに、もう戦えないほどボロボロになってた」
 彼女の静かな声が途切れた一瞬……僕は足を踏み出した。ただ前だけを見て、足を進めて行く。
「ね、どうしてなの?どうして、彼があんなに苦しめられないとダメだったの?」
 下がりそうなる足を踏み止め、彼女は震える右手を前に翳す。その握り締めた手から、淡い光が零れ落ち――
「答えてっ!」
 ビュン!と空気を切り裂き、僕の首筋に白刃が当てられていた。
 通常の日本刀よりも長く分厚い……野太刀と呼ばれる刀が彼女の手に握られていた。
「どうして……彼は昨日より辛そうな顔をしてたの?」
 つ、と首筋から細く血が流れるのを感じながら、僕は何も言えず、ただ真っ直ぐに彼女を見る。
「あなた……なの?あなたが彼を苦しめてるの?」
 僕はその言葉に、視線を逸らし――文字通り、目に止まらぬ速さで野太刀が閃いた。
 野太刀を鞘に収めるかのように腰溜めに構えた彼女の前で……はらり、と僕のTシャツが襟元から裾まで二つに割れる。
 緩やかな風が剥き出しになった胸と腹を滑り、まだTシャツが掛かっている背中を抜けていった。
「アームズを出して」
 右手で鍔元を、左手で柄の先を逆手に持ち、彼女は冷たく言い放つ。……が、僕はそれに小さく首を横に振った。
「アームズ……無いんだ」
 ぴくり、と彼女の眉が震える。
「そう……なら、私の好きにしていいのね?」
 小さな呟きと共に、彼女の手の中の野太刀が消える。いや、彼女の身体がブレた写真のように揺らぎ、
「――っ!!?」
 僕は全身から血を噴き出して、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
 瞬きをする間もない一瞬で、僕の身体は数え切れないほど斬り裂かれていた。しかし、その傷はどれも致命傷に遠いものだった。
 どかっと彼女のスニーカーが、座り込んだ僕の太腿を踏み付けた。
「ぐっ……」
 太腿を踏んだまま、彼女は僕の髪を掴み、無理やり上を向かせる。
 瞼に触れそうな位置に、野太刀の切っ先があった。
「あなた、ルーキーじゃないでしょ?アームズが無いなんて、どうしてそんな嘘を吐くの?私は、あなたが嫌いなの。あなたを本気で殺したいと思っているの。……無抵抗なまま虫けらみたいに殺されたくないなら、アームズを出しなさい!!」
 斬られた僕よりも辛そうに顔を歪め、彼女は無理やり声を荒げていた。
 しかし、その声とは裏腹に揺らぐことのない切っ先を前に、僕は目を閉じ……思いっ切り腹を蹴り飛ばされた。ゴロゴロと地面を転がり、堤防の端で辛うじて止まる。
 全身の傷が擦られた痛みに身体が震え……るが、それでも顔を上げる。
「くっ……」
 傷付いた小さな女の子みたいに、彼女は力無く腕を下ろし、唇を噛んでいた。
 浅い呼吸を繰り返し、乱れた前髪を直すように頭を振ると、涙の浮かんだ目で僕を睨み付ける。
「……ねぇ、あいつに何をしたの?何を言ったの?これって、ただのジョーカーの受け渡しでしょ?なのに、どうして彼はあんな顔してたの?」
 僕は痛みで震える手を地面に着き、彼女を見上げる。堤防の砂利を握るように地面に爪を立てる。
 悔しかった。理由は解からないけど、どうしようもなく悔しかった。
 何にも知らないくせに、自分一人だけが坂本を気遣っているみたいな言い方をする、彼女の存在が腹立たしかった。
「そんなに……」
 僕に近付こう歩き出した彼女の足が止まる。
「そんなに心配なら、自分であいつに聞けばいいだろ?」
 地面に這い蹲ったまま、僕は毒を吐くように、彼女の顔を見ながら言葉を紡ぐ。
「どっちみち、お前は何も聞いていないんだろ?あいつに嫌われるのが怖くて、心配してるよ、みたいな顔をして、黙って見ていただけなんだろ!!」
 彼女の顔が歪む……それは羞恥と恐怖に彩られていた。それでも、僕の言葉は止まらなかった。自分では止められないほどの激しさで彼女を追い詰めようとしていた。
「あぁ、そうだよ。あいつを苦しめてるのも、傷つけてるのも、ぜんぶ僕だよ。だったら、どうした?どうせ、それを聞いても、お前は何にも言えないんだろ!黙ってることしか出来ないんなら、最初から――っ!!?」
 ごぶり、と僕の喉から血が溢れ返った。
 最後まで言い終える前に、彼女の野太刀が僕の喉を切り裂いていた。
 両手で喉を押さえ、僕は地面に落ちながら、彼女を見る。
 彼女は……泣いていた。怒りに顔を歪ませ、悲しみに潰れそうになりながら、泣きながら僕を殺していた。
  
 意識が途切れたのは、ほんの一瞬のことだった。
 僕はぺたんと堤防の真ん中に座り込んでいた。
 顔を覆い泣いている彼女に、坂本が駆け寄って行くのを呆然と見ていた。
 フィールドの中で……彼女に殺される前に、自分の言った言葉が信じられなった。
 彼女は、ただ坂本のことを心配して、僕にあいつのことを聞こうとしただけなのに……。
「違う。……何でもない。あの子は関係ないから。だから、いいから……」
 彼女が繰り返し呟いているのが聞こえてきた。けど、僕は何も言えなかった。
 坂本が振り返り、僕はビクッと震える。
 困惑したその顔を見て、僕は……バッグを掴むと背中を向けて、その場を逃げ出した。
 何であんなことを言ってしまったのか、どうして、いまにも泣き出しそうになっているのか……自分でも解からないまま走り続ける。
 必死に走りながら僕は自分に言い聞かす。
 もういいんだ。もう全てが終わるんだ。だから、もう何も気にするな。
 ジョーカーは手に入れた。
 だから、後三日で何もかも終わるんだから……。