第三話 春の祈願祭 前夜
 
 その昔、トーラ山の麓で、一人の旅人が道に迷っていました。
 その旅人が大事に持っているのは、一房の麦穂です。
 それは遥か北の大地で収穫された麦穂でした。
 男はその麦穂を手に、新たな小麦の産地を求めて旅を続けてきたのです。
 ある日、男の前に狼に扮した子供が姿を現しました。
「この山を出ると、四方に神の頂を抱く大地がある」
 それだけを伝えると、狼に扮した子供――フェルルは姿を消しました。
 男が山を下りると、そこは草一本生えていない荒れ果てた大地でした。
 それでも、男はフェルルとの出会いを神の導きとし、その荒地を耕すことにしました。
 しかし、水の無い大地を耕すことは出来ません。
 そこで、男は水汲みの娘を近くの村で雇うことにしました。
 水汲みの娘は、日に何度も山の泉と往復し、男が耕す大地に水を与え続けました。
 ですが、ある日……ふとした弾みに、大事な麦穂に水を零してしまったのです。
 水を吸ってしまった麦穂は、もう二度と種として使うことが出来ません。
 水汲みの娘は、何度も謝りましたが、それで全てが元に戻るわけではありません。
 男の夢は、そこで潰えたのです。
 それでも……男は、フェルルに教えられた大地を耕し続けました。
 娘も水を汲み、大地にそれを与え続けました。
 男の夢は……いつの日か自分と同じ目的で旅を続けてきた者が、この大地に出会うことに変わっていました。
 水汲みの娘は……そんな男をいつしか愛するようになっていました。
 夜、疲れ果てた二人が夢見るのは、この大地いっぱいに広がる麦の穂が見せる金色の海でした。
 そして、そんなある日……一羽の白い鳥がその口に咥えていた一本の麦穂を二人の大地に落としました。
 豊穣の女神が使わした使者だったのかもしれません。
 二人は、その麦穂を大事に守り、次の春に最初の収穫を迎えました。
 麦の収穫の知らせを聞き、多くの人が二人を称え、また手伝ってくれるようになりました。
 名も無く誰も見向きもしなかった荒れ果てた大地はもうありません。
 そこは小さくても麦が取れる村になっていました。
 愛し合っていた二人は夫婦となり、その村で末永く幸せに暮らしました。
 
 
 おばあさんが語り終わるのを待ち、私は緊張を解いて、長い溜息を吐きました。
 カシィ村に伝わる村の起源が、この物語でした。そして、春の豊作祈願の水汲みの娘の意味も理解できました。
 いつも一生懸命に働くカッツェさんが旅人の男に選ばれたのも納得です。何となく雰囲気が似てる気がしますからね。
「これで、なぜ水汲みの娘が麦穂に水を零すのかわかったかしら?」
「はい」
 祈願祭では、水汲みの娘が麦穂に水を零すと言われて、私が「どうしてですか?」と聞いたのが、この物語の始まりでした。
 でも、この内容からすると私とカッツェさんは夫婦役っていうか、恋人役になるんですか?
 そう考えると、ちょっと憂鬱になったりします。まぁ、私が憂鬱なのは、それだけが原因じゃないんですけどね。
「どうかしたの?」
 浮かない顔をしている私に、おばあさんがのんびりとした声で聞いてきました。
「ん、やっぱり……この話は断るべきだったんでしょうか?」
 私の言葉を聞いて、おばあさんは
「そうね。……そうかもしれないわね」
 と小さく呟きました。
 私はおじいさんとおばあさんのほんとうの孫ではありません。言ってみれば、私はティサの偽者でしかないのです。それを黙ったまま祈願祭の水汲みの娘をするのは、なにか間違っているように思えます。
「でも……」
 と、おばあさんは言葉を続けました。
「あなたは、どう思っているのかしら?」
 首を傾げ、人差し指で頬を掻きながら、私はおばあさんから視線を外しました。
 正直に言うと、私はこの話を聞いて嬉しかったです。おじいさんの孫と言いながら、余所者でしかない自分が村の人に受け入れられたんだと、本気で喜びました。
 でも、私は嘘をついている。
 その事実がある限り、私はほんとうの意味で村の一員になれないはずです。
 でも、それなら自分の素性を明かすことが出来るのか?
 それは……もう絶対に出来ないことになっていました。
 王宮錬金術師のセルカが、この村にいることを知れば、たぶん追っ手が来ることになるはずです。そして、私を匿っていたとして、村の人たちにも何らかの刑罰を受けることになるでしょう。
 そんなことになるのは絶対に嫌でした。
 カシィ村人たちは、何も悪いことはしてないんだから。
 なら、悪いのは……私?
 私は……あの森を離れるべきじゃなかった?
 いえ、いまからでもどこか遠くへ行ってしまえば、村のみんなには……
「ティサ!」
 おばあさんの厳しい声に、私はビクッと震えながら現実に引き戻されます。
「あ……」
「なんでも悪いほうに考えていると、それが現実になってしまいますよ」
「は、はい」
 私は泣き出しそうになるのを我慢して、小さく「ごめんなさい」と言いました。
「以前のあなたがどんな人だったのかは知りません。でも、いまのあなたはカシィ村のホロイの孫娘ティサです」
 こくん、と小さく頷きます。
「それに……」
「はい」
「私もおじいさんも、あなたのことを自慢にしているのですよ」
「え?」
 私を……自慢?
「でも、それはあなたが錬金術を使えるからじゃなくて……いつも元気で、とても優しい心を持っているからなの」
 私はくすんと鼻を鳴らして、おばあさんのいつもの笑顔を見ます。
「そんな自慢の孫娘が、祈願祭の水汲みの娘に選ばれて……あのおじいさんが断ると思う?」
 私は小さく首を横に振ります。絶対に断るはずがありません。むしろ、自分から「今年の水汲みの娘は、わしの孫娘でいいじゃろ?」と、言い出してもおかしくないくらいです。
「だから、私も楽しみにしているのよ。あなたの水汲みの娘を」
「私も楽しみにしてますよ」
 私はわざと他人事みたいに言って、おばあさんに笑顔を見せます。
「でも……」
 おばあさんが不思議そうに首を傾げるのを待って、
「カッツェさんと恋人役なのが嫌なだけです」
 と言いました。
 おばあさんは一瞬きょとんとして、すぐにくすくすと笑い出しました。
 カシィ村のティサとして、祈願祭をがんばろう。
 私は小さく心の中で誓いました。
 
 
 ……が、その誓いはあっさりと崩れそうになりました。
 家々が並ぶ山の斜面と麦畑の間にある広場で、私は村の人たちと一緒に祈願祭に使われる水瓶の前に立っていました。
 村のおじさんが軽々と肩に担いで持ってきてたのを見てました。
 ドン!と重い音を残して、置かれたのも見てました。
 黒っぽい水瓶の上には埃を拭き取った後が残っているのも見えます。
 でも、その水瓶は、私のお臍くらいまで高さがあって、ちょうど一抱えくらいの大きさで……これを、どうやって持ち上げろと?
「さ、これが水汲みの娘の水瓶だよ」
 おじさんが優しく言ってくれてますが、あの……私にこれが持ち上がると本気で思います?
 しかし、水汲みの娘をすると言った手前、ここで引き下がるわけにはいきません。
「やってみます!」
 軽く身体を解すと、私は意を決して、水瓶の底の丸い部分に手を回し……
「ん、ぎぎぎ……」
 力の限り持ち上げよう……持ち上げよう……持ち上げようとして、がんばりますが、ビクともしません。重いとか言うレベルの話ではないです。こんなの動くわけがありません。
 ちなみに、中は空なんですよ。なのに、どんなに力を込めようと水瓶はぴくりとも動いてくれません。
 手を離すと、指先は真っ白に色が変わってました。
 はぁはぁと息を切らし、私はもう一度水瓶の形を品定めします。
 形は、普通の水瓶です。口の大きい花の蕾みたいな感じです。底の広さも十分で、ただ置いてあるだけなのに、かなり安定感があります。
 試しに、水瓶の口に両手を当てて、ぐいっと押してみました。
「んぐっ!」
 と、声が漏れましたが、それだけです。全く動きません。
 ちょっとくらいなら底が浮くかな?と思った私が甘かったです。
 村の人たちは私が水瓶相手に力比べをしているのをにこにこと見守っています。
「ダメだって。重い物を持つときは、こう……腰を落として、身体全体の力で持ち上げるんだよ」
 近くで見ていたカッツェさんが、その動作を真似て教えてくれました。
 一旦離れて、深呼吸をして……再挑戦です。
 私は教えられたとおりに、水瓶の前に腰を下ろし、両手をしっかりと水瓶の底に回し……
「えいっ!」
 思いっ切り力を込めました。
 そして、村のみんなが見守る中で……時間だけが過ぎて行きました。
 出たのは声だけでした。
 いえ、ちょっとだけ底が浮いたような気がします。……が、持ち上げるという表現が使えるには程遠い結果でした。
 思いっ切り力を込めていたので、私は水瓶から手を離すと、ぺたんとその場に座り込んでしまいました。
「やっぱ、無理かの?」
「無理だね」
「いや、最初っから無理だったんだよ」
「ま、わかってたけどねぇ」
 村の人たちが口々に言うのを聞き、私は悔しさ以上に「どうしよう?」という不安な気持ちに押し潰されそうになります。
「じゃ、子供用にするか」
 え?
「ま、仕方ないわな」
「こ、子供用ってあるんですか?」
 ほいっと、座り込んだ私の横に置かれたのは、私の頭くらいの大きさで見た目も軽そうな小さな水瓶でした。
 な!
「これならティサちゃんでも持ち上がるだろう?」
 優しく言われても、ぜんっぜん嬉しくないです。っていうか、最初からこっちでいいじゃないですか。
 私は立ち上がり、その小さな水瓶を持ち上げ、頭の上で支えました。
「これでいいですか?」
 憮然とした表情で聞きます。
 どよめきと拍手が上がりましたが、どうも遊ばれてるみたいな感じがします。
 
 その後、水を入れてもう一度試しましたが、これくらいの重さなら何とかなりそうな感じでした。
 村の人たちがわいわいと騒ぐ横で、私は大きいほうの水瓶をペチペチと叩いてみます。
 普通の鋳物じゃないみたいだけど、これ何で出来てるんだろ?手触りと見た感じだと、黒曜石に似てるけど……人の技術で黒曜石の水瓶なんか作れるはずがないし?
「……おめでとう」
 不意に柔らかい声で言われ、私は慌てて振り返りました。
 そこには白い服を着たフィーナさんが立っていました。
「あ、どうも……ありがとうございます」
 小さく頭を下げて、私は言いました。
 フィーナさんは村長さんのところの娘さんで、まだあんまり話をしたことがありませんでした。
「水汲みの娘……がんばってね」
「はい」
 私の横に並んだフィーナさんは、懐かしそうな笑みを浮かべて、水瓶を撫ぜています。
 白い肌と黒く真直ぐな髪のフィーナさんは、水の化身のような美しさがありました。美人なのに、どことなく儚げで、カッツェさんが恋焦がれるのもわかります。っていうか、この人もカッツェさんが好きらしいんですけどね。
「懐かしいなぁ……この水瓶」
「え?フィーナさん、この水瓶で水汲みの娘をしたことあるんですか?」
 驚いた猫みたいに目を見開いて、私をじっと見つめ……フィーナさんはけらけらと笑い出しました。
「まさか、こんなの持ち上がるわけないじゃない」
 そうですよね。普通は持ち上がりませんよね。
「もう……」
 まだ笑いながら、フィーナさんは目を細めて私を見ています。
「じゃぁ、なにが懐かしいですか?」
「ふふ。子供のときにね、かくれんぼをしてて……この水瓶の中に隠れたことがあるの」
「それって、見付かったら怒られるんじゃないですか?」
 私の言葉に、フィーナさんはにっこりと笑います。
「怒られたわよ、カッツェがね」
「え?」
「誰かが親に告げ口しちゃったのよね、水瓶の中に隠れてた子がいたって……」
 そういう子っていそうですね、どこにでも。
「でも、実はみんな順番に水瓶に隠れてたのよね」
「見付かりにくそうですもんね」
「うん。でね、どうしようって相談になって……その場にいなかったカッツェが隠れてたことにしようってことになったの」
 くすっと笑って、フィーナさんは遠くにいるカッツェさんを見ます。
「あの日、夜遅くまでお尻を打たれるカッツェの泣き声が聞こえていたわ」
 フィーナさんは懐かしそうに笑いながら話してるけど……そこ笑うとこなんですか?
 でも、幼馴染みかぁ。
 王宮の中で育てられた私には、幼馴染みどころか歳の近い友達もいませんでした。王立アカデミーの学友たちも十歳以上年上の人ばっかりだったし……そう思うと、二人がちょっと羨ましく感じました。
「この後は、衣装合わせよね?」
「はい」
「ティサちゃんは、いつも男の子みたいな格好してるから、ちょっと楽しみね」
 言われてみれば、確かにそうでした。
 私はいつも半ズボンで、カシィ村に来てからスカートを着たことがありません。でも、それはおじいさんの息子さんの古着を着ているからなんですけどね。
 もっと可愛い服とか着たほうがいいのかな?
 女の子っぽい服を着た自分と、アリエが並んでいるところを想像し、私は慌ててその絵を消します。
 恥ずかしさに赤くなった顔を俯いて隠しながら、私は「いまのままで十分です」と心の中で叫んでいました。
 うん。男の子みたいなほうがいいです。
 
 
 午後になって、おばあさんのお使いでセノの町に行くと、市場にアリエが来ていました。
「聞いたよ、春祭りで水汲みの娘をやるんだってね」
 にこにこと笑いながらアリエは言ったけど……どうして、知ってるの?
 私はきょとんとして、アリエを見ます。
「あれ、違うの?」
「あ、うぅん。違わないけど……」
 慌てて言う私を、アリエは不思議そうに見ています。
「でも、誰に聞いたの?」
「僕はお母さんに聞いたんだけど……お母さんはホロイおじいさんに、かな?」
「あ、そっか」
 おじいさんとアリエのお母さんは知り合いなので、水汲みの娘の話をしててもおかしくはないです。
「うん。ホロイおじいさん、会う人、会う人、みんなに言って回ってるみたいだよ」
「え?」
「今年の水汲みの娘は、わしの孫でのぉ」
 私の脳裏に、おじいさんの言葉そのままの声が響きました。
「自慢じゃ無いが、この子がまた可愛い子での……」
 え?まだ続いてる?
「選ばれたのも当然じゃわい」
 アリエが我慢できずに笑いを漏らし、私はゆっくりと背後を振り返ります。
 そこには行商人風の人と仲良く話をしているおじいさんの姿がありました。
 孫娘の自慢を恥ずかしげもなく、おじいさんは喋り続けています。
 私は慌ててアリエの後ろに隠れます。だって、どう考えてもおじいさんの自慢は誇張され過ぎてます。
 元気で優しいはともかく、可愛いだの、将来は絶対に美人になるだの……そんなことを言われたら、顔を出せるわけがありません。
「しばらくこちらの町にお泊りになるなら、是非とも豊作祈願の祭りを見て行ってくだされ」
 そう結ぶと、おじいさんはにこやかに手を振って行商人の人と別れました。
 あああああ……会う人、みんなにあれを話してるんですか?
「アリエ……」
「ん?なに?」
 背中に隠れた私を首だけで振り返り、アリエが聞いてきました。
「わ、私……もう帰るね」
 このまま市場にいて、おじいさんの孫だなんてバレたら恥ずかしくて死んでしまいます。
「え?」
 驚くアリエをそのままに、私はエア・ボートを引いて、路地裏に向かって全力疾走しました。
 裏通りからお店に行って、おばあさんのお使いを済ますと、早々にセノの町を立ち去ります。
 おじいさんは近隣の町や村に知り合いが多いそうなので、もしかしたら……どこに行ってもあの調子で話してるのかもしれません。
 これは早く家に帰って、おばあさんに止めてもらわないと……私はどこにも行けなくなってしまいます。
 
 家に帰ると、私はおばあさんに詰め寄り、おじいさんが私のことを言いふらしてて、セノの町から逃げ帰ってきたことを告げました。
 多少の誇張はありますが、絶対にやめてほしいので、それぐらいのほうが丁度いいはずです。そう、今日の内におじいさんの暴走を止められれば、被害はセノの町だけで済むはずでした。
 ……なのに、私の話を聞いたおばあさんの言葉は、
「あらあら」
 の一言だけでした。
「あらあら、じゃないですよ。このままだと私はどこに行っても、今年の水汲みの娘になっちゃいますよ?」
 おばあさんは顎に細い指を当てて考えてます。
「でもね、ティサ」
「はい」
「春のお祭りは近くの町や村……それにホカタゴの港町からも見物の人が来るのよ」
「え?」
「それだけじゃなくて、羊飼いの人たちも仕事を休んで見に来るわよ」
 私はその言葉に呆然と立ち竦みます。
「そんなに……有名なお祭りだったんですか?」
「ええ、そうよ。だから、おじいさんが大喜びしてるのよ」
 おばあさんはにこにこと笑っていますが、私はとてもじゃないけど笑える気にはなれませんでした。
 やっぱり、引き受けるんじゃなかったです。
 
 
 翌日は、水を汲む泉まで案内されました。
 道は綺麗に整えられているので、歩くのに困るようなこともなく、場所も思っていたよりも近くだったので、ちょっと一安心です。
 でも、その大きさは私の想像を遥かに超えるものでした。
 泉と聞いてたので、小さな池を思い描いていたんですが、私の目の前に広がるのは、山と山の間を透明な水で満たした湖でした。
 透明感が凄くて、遥か遠くまで湖の中の様子が見て取れます。
 水の中で白くなった無数の朽ち木。
 ときおり群れを成して泳ぎ去る魚たち。
 水流に洗われ、角を無くし丸くなった湖底の石たち。
 その美しさは、私が生まれて初めて目にするものでした。
「どうだい、すごいだろ?」
 私の横に立った恰幅の良いおじさんが、自慢げに言いました。が、もちろんそれに異論があるはずがありません。
「はい。すごく……綺麗です」
 私は大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出しました。なにか空気の質まで違うみたいに感じます。
「この泉があるから、カシィ村では水に悩むことなく小麦を育てられるし、わしらも贅沢に暮らすことができる」
 それは私の錬金術にも言えることでした。錬金術って大量に水を使うんですよね。
 私は水辺まで近付き、その透き通った水に指先で触れます。
 冷たくて……ちょっと柔らかい感じの優しい手触りでした。
 着ている物を脱ぎ捨てて、飛び込みたい衝動に駆られますが、さすがにそれはできません。まだ寒いのもありますが、おじさんだけじゃなく、村のみんなが同行しているからです。
 私は指先で水に触れながら遊んでいると、畔に集められた丸い石の中に、青い色を散りばめたゴツゴツした石が混じっているのに気付きました。
 袖を捲くり、肘まで手を入れて、それを拾い上げます。
 角が無くなっていないのは、水流で割れてしまうほど硬度が低いことを意味します。そして、このところどころ顔を出している青色はこの石の中に、結晶が隠されている証拠でした。
 石の大きさは、丁度両手で包み込めるくらいなので、中の宝石を取り出せてもさほど大きい物ではないのかもしれませんが、それでも鉱石であることに違いがありません。
 私は鉱石を手に、一緒に来てくれた村の人たちを振り返ります。
 その中に……ぼんやりと森の奥を見ているカッツェさんの姿がありました。
 
 
 鉱石から、宝石を取り出すには、三通りの方法があります。
 一つは、石職人さんがしているみたいに、鉱石を砕き、その中から結晶部分を取り出し、じっくりと時間を掛けて磨き上げる方法です。
 二つ目は、普通の錬金術師がする方法で……鉱石を粉々に砕き、その中から結晶だけを選り分け、培養液の中でその結晶を育てる方法です。
 そして、残る最後の方法が……私が今回選んだ手法です。
 先ず、鉱石を結晶ごとハンマーで粉々に砕きます。鉱石の種類にもよりますが、この石はまだ柔らかい方なので、厚手の布に包んだ上から叩き続けるだけで、かなり小さな粒になるまで砕くことができました。
 次は、その粒を持って……水車小屋に行きます。
 カシィ村にはいくつか水車小屋がありますが、その中でも古くなって使われていない物を、以前頼み込んで錬金術に使わせてもらえることになっていました。だって、食べ物をするところで劇物とかすれませんからね。
 さて、水車小屋の大きな石臼の中に、粒状になった鉱石を入れます。普通の石とかだったら石臼が壊れちゃいますが、柔らかい鉱石なら大丈夫です。
 ゴリゴリと堅い音を立てながら、粒上から粉に変わり、鉱石が零れ出てきます。
 それを集めて、第一段階が終了です。
 次に、これを濃度を調整した砂糖水の中に漬けます。結晶だけが浮かぶ濃度を探しながらの作業なので、何度も何度も繰り返すことになります。
 この作業で不純物となる不必要な結晶も取り除くことができます。
 今回の鉱石から取れた結晶は、全部で五種類でした。
 真水でそれらを丁寧に洗い、後は陰干しをするだけです。乾いたら瓶に詰めて保存します。
 これで第二段階が終了したことになります。
 私は並べられた粉状の結晶の中でも一番多い青い結晶を取り上げ、一階の釜戸に行きます。
 いつもの調合なら、部屋のオイルランプで余裕なんですけど、さすがに今回の調合では大釜戸並の熱量が無いと無理だったりします。
 釜戸の上に油を並々と注いだ大鍋を置き、じっくりと泡立つほどに熱します。
 その油に小さな手鍋を浮かばせ、その中に粉状の結晶を入れます。
 もちろん、熱しただけで結晶が融合するはずがありません。
 私は火傷をしないように注意しながら、結晶の培養に使われる水溶液を一滴だけ垂らします。
 シュン!
 培養液は一瞬で蒸発します……落ちた周囲の結晶を結び付けながら。
 私は少しでも丸く結晶が固まるように、小鍋をくるくると回しながら培養液を滴らせていきます。
 少しずつ、ほんとうに少しずつ結晶は結び付きながら、その形を大きくしていきます。
 そして、長い作業の後には……親指くらいの青い宝石が出来上がっていました。
 人工の宝石……ジュエルの完成です。
 
 
 ホカタゴの港町、ラスクの雑貨屋で私は注文した品が届くのを待っています。
 直接欲しい物を取り扱ってる店に行くことも考えたけど、前の獣脂の一件で、自分で買いに行くよりラスクに頼んだほうが安いかもしれないと思ったからです。
 店の裏口から出て行ったラスクは、表の入り口から戻ってきました。手には細長い箱を持っています。
「水汲みのお姫様のご注文の品でございます」
 カウンターの向こうに回り、ラスクは芝居がかった仕草で箱を並べました。……けど、誰に聞いたの?それ。
「生憎と……お姫様じゃなくて、水汲みの『娘』なんだけど」
「これは失礼」
 端正な顔に笑みを浮かべ、ラスクは悪びれず言う。
 私は箱を開き、中の品物を改めます。その艶の良さから、手に触れずともそれが上質な物だと理解できました。
 ラスクが笑みを崩さずに値段を口にし……私の頬が引き攣ります。いえ、値段は妥当だと思います。いきなり来て、買いに出てもらったことを考えれば、むしろ安いくらいでしょう。
 私はポケットから数枚の銀貨を取り出し、カウンターに広げました。
「毎度、ありがとうございます」
「どうも」
 私は不機嫌を隠さず、箱を手に背中を向けて歩き出し……
「あ、ティサさん」
 その背中にラスクの声を掛けてきました。
「なに?」
「春のお祭りには、私も店を休んで見物に行かせてもらいますので……」
 来るなっ!と叫びそうになるのを我慢して、私はそのまま店を出ました。
 閉じたドアを苦々しく睨み付けます。
 ラスクまで知ってるのは意外だったけど……噂に聞く、商人だけの情報ルートってヤツかな?
 
 
 夕食の後、私は「隣の家に行ってきます」と家を出て、カッツェさんを呼び出しました。
「あれ?どうしたの、こんな時間に」
 玄関のドアを手にしたままのカッツェさんを、私はじっと見つめます。
「えと、中に入る?」
 その言葉に小さく首を横に振り、私は……
「惚れ薬」
 と、呟きました。
「あ、あれ?あれは、ほら冗談って言うか、気の迷いって言うか……」
「フィーナさんに飲ませる気だったんですか?」
 私は真直ぐにカッツェさんを見たまま言いました。
「え、あ……いや、その……」
 言葉に迷い、目が泳いでいるカッツェさんは、諦めたように小さな溜息を吐きました。
「ごめん。そうなんだ」
「カッツェさんは、フィーナさんがほんとうに好きなんですか?」
 私の質問に、
「うん」
 カッツェさんはしっかりと頷きました。
 それは普段のカッツェさんらしい素直さでした。
 私はふっと笑みを零し、手に持っていたアイテムを差し出します。
「これ、惚れ薬じゃないけど……」
「え?」
 驚いたように、カッツェさんは、私の手と顔を繰り返し見ます。
「私が作りました。これをフィーナさんに渡して、自分の気持ちを告白してください」
 私の手の中にあるのは、青い宝石を銀細工で留めたネックレスでした。
「もちろん……お代はいただきます」
「いや、でも、俺はこんな高価なものを買えるほど……」
 薄い笑みを浮かべて、私はカッツェさんの言葉を遮ります。
「お金が払えないなら、私やおじいさんのお手伝いをしてもうことになります」
 それは、いままで彼が無償でしてくれていたことでした。
「それに……」
「それに?」
「惚れ薬より、よっぽど安いはずですよ」
 私が言うと、カッツェさんは拍子抜けしたような顔をしました。
「あ、あぁ」
 曖昧な返事をするカッツェさんに青いジュエルのネックレスを渡し、私は背中を向けて歩き出します。
 カッツェさんは、いつまでも呆然としたまま私を見送っていました。