scene-03
 
 
 何も無い空だった。
 手を差し出す場所も無く、足を踏み出す場所も無く、寄り添う場所、凭れる場所、掴む、掛ける、その全てが無い、そんな空間を僕は飛んでい、、、、
 浮遊感は一瞬で、落下は重力を、己の重さを、僕に実感させた。
「ぅ、うわ、ひっ……ゎゎわわぁぁぁあああっ」
 ダメだ。と思う余裕も無く僕は迫る地面を前に悲鳴を上げる。恐怖からか、反射的にか、両手で頭を庇うのが、この落下に対する自分に出来る唯一の抵抗だった。
 目を閉じ、ると同時に両腕に激しい衝撃、腹部に、下腹部に、両足に激しい……いや、何も感じない?いや、違う。これは……また浮いてる???
 何が?と目を開けると、僕は仰向けに空に飛んでいた。
「え?」
 目の前に広がる暗い空が、薄っすらと流れる雲が見え――
 違う!撥ねて、飛ばされているんだ!!!
 次の瞬間、落下と同時に地面に再び激突する。腰と背中に激しい衝撃があった。
「ぐがっ!!!」
 衝撃を逃がす回転なんかどこにもない、純粋な落下の衝撃を身体に受けて、僕は悶絶する。
「――あぎっ、ぐごぅ」
 全身が砕けそうだった。特に両腕が、両肩が外れたような痛みがある。両足も砕けたように痛かった。
 いや、解ってたはずだ。痛いに決まっている。十階から飛び降りて、無事なはずがない。だけど、まだ呼吸がまともな分だけ救いがあるのか?
 意識はしっかりしている。その分、全身の痛みを感じている。
 肺が求めるままに大きく息を吸い、と空気に微かな違和感を感じた。
 その違和感、臭いが僕を現実に引き戻す。
 これは、鼻の粘膜にこびり付くようなこの臭いは……腐臭?
 落下の衝撃で嗅覚がリセットされているんだろうか?いや、そうじゃない。外気の中に混じる臭気だから逆に目立つんだ。
 軋む身体を無理に起こし、その臭気に顔を向ける。
 いた。
 全身がボロボロのゾンビがそこにいた。
 肉体の損傷が激しいのは、ゾンビになってからの時間の経過を表しているのか、病院で見たゾンビに比べると明らかに腐食が激しかった。
 しかし……何で、あそこまで腐ってまだ動けるんだ?
 そのゾンビは左腕が砕け、千切れ掛けていた。左の足も変な方向に曲がっていた。擦り切れた服の腹から腐った内臓が零れていた。そして、その顔は腐り、変な汁で汚れて

いた。
 白濁した眼球を空に向け、しかし、間違いなく僕に真っ直ぐに近付いてくる。
「ぁ、ぁ、あ、ああ、ぁ、うぁ、うわぁぁぁぁあああああっ!!!!!」
 まだ遠くにいるゾンビに、僕はあり得ないほど怯える。
 嫌だ。あれは嫌だ。あれだけは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だだ嫌嫌だだだだ嫌嫌嫌嫌だ嫌嫌だだだだだだだだ。
 死ぬのはいい。死にたくないけど、ただ死ぬんだったらまだいい。だけど、あれだけは嫌だ。
 腐った死体になって彷徨うなんて、絶対に嫌だった。
「じゅ、銃。拳銃はどこだ?」
 僕は落下の衝撃で無くした拳銃を探し、周囲に目を向ける。が、無い。どこにも拳銃が無かった。
「そ、んな、何で」
 どこに落としたんだ?
 うつ伏せに向きを変え、拳銃を探そうと、もっとよく見ようと身体を起こし……僕は自分の右手が拳銃を握っている事に気付く。
「はっ、あは」
 安堵から漏れる笑いを顔に貼り付け、僕は仰向けになり、ゆっくり近付くゾンビに拳銃を向ける。
 他人の肉体を壊す罪悪感も、彼が生きていた頃の事も考えず、僕は自分が助かりたい一心で狙いを定める。
「死ね」
 なぜ、そう呟いたのか?
 最初の一発を撃つ。そして、そのまま……仰向けのまま拳銃を撃ち続ける。
 銃身が何度も撥ねる。薬莢が残りの弾数を数えるように舞っている。
 スライドが戻り、三度、引き金を引き……マガジンを落とす。サイドポケットから新しいマガジンを取り出し、立ち上がりながら、マガジンを拳銃に押し込む。
 再び、ゾンビに向かって……倒れた死骸に向かって、拳銃を撃つ。撃ち続ける。
 そして、そのマガジンも撃ち尽くし、空のマガジンを落とし、新しいマガジンを装着する途中……背後から腕を掴まれ、僕は慌てて振り返る。
「もう終わってるぜ」
「……ぁ?」
 銃口を下に押さえて、朽木は優しい口調で言う。
「悪かったな。向こうを片付けてて、こっちに戻ってくるのが遅くなっちまった」
「え?あ、あれ???」
 そして、僕は気付く。無数の銃弾を受けたゾンビの砕けた死骸が転がっているのに。それをしたのが、僕自身だという事に。
「あ、いや、その……ちが、違うんだ」
 手が、足が、今になって震えていた。自分のした事が信じられなかった。
 朽木は何も言わずに、僕の手の中の拳銃に新しいマガジンを装着する。
「だって、そこにいたんだ。だから、僕は」
 僕は……僕が撃ったのか?あの穴だらけの死体は僕の仕業なのか?
 朽木が背中を押す。
 一歩、足が前に出る。こけそうになりながら朽木を見上げる。
「歩けるな。なら……行くぞ」
「行く?」
 呆けたように僕は朽木に聞き返す。
「そうだ、行くんだ。ここが目的地じゃないのは理解出来るよな?」
 先を歩きながら朽木は言う。
「次のポイントまで行けば、コーギーとあの女が待っているはずだ。急ごうぜ」
 僕の方を向いたのは一瞬で、朽木はもう前を向いて走っていた。
 朽木の後を追いながら僕は背後を振り返る。が、それは一瞬で、振り切るように前を向く。
 何かから逃げるように、僕は走り出していた。
 
 
 朽木の後を追い、四斜線道路のど真ん中を走り抜ける。
「なぁ、もうちょっと隠れた方がいいんじゃないか?」
 自動車が走ってなくても、車道の真ん中を走るのは、さすがに気が引ける。それにときどき彷徨うように歩いているゾンビとすれ違うのも気になっていた。
 いまも建物の傍で痴呆のように顔を空に向けているゾンビがいた。
「いいんだよ」
 前を向いたまま朽木は言う。
「あいつら、目はほとんど見えてないんだ」
「見えてない?」
 いや、病院の中のゾンビは間違いなく僕を追って来てたぞ。
「あぁ、見えてない。見えてない代わりに熱を探知する事が出来るんだ。ピット器官だっけ?あれが備わっているんじゃないかって話だ。上顎の……歯の裏側に小さな穴があ

るんだそうだ」
 朽木が説明を始めたが、そもそも僕はピット器官そのものが初耳だった。
「そこで熱を感知しているんだな。だから犬がいたろう、コーギー。あいつがゾンビに狙われないのは、犬の体温が人間よりもやや高いからなんだよ。ゾンビにしてみりゃ高

温の塊にしか感じてないんだろうな」
 説明を聞きながら思い出してみるが、誰よりも先を走っていたコーギーは全くゾンビと遭遇してなかったはずだ。
「だから、分かりやすく言うと……目の代わりに、サーモグラフィが付いているって思えばいい。それと……」
 走る速度を落とし、朽木は左右を確認する。
「耳もあんまりよく聞こえていないな。だから、十階から飛び降りて、派手な音を立てたのにあんまり集まって来なかったろ?」
 説明を聞きながら、車道の端に目をやる。
 ボロボロのゾンビがそこにもいた。
 やや上を向き、口をだらしなく開け、彷徨うように歩くゾンビ。呻き声を上げながら、ゆっくりと首を左右に振っている。
 あの動きで人間を探しているのか。
 しかし……ビルの谷間に消えるゾンビを見送り、僕は思う。
 この灯の消えた街中に彷徨うゾンビの姿は、まるで……。
「どうした?」
「いや、こうやって見ると、まるでゾンビと言うより亡者みたいだな」
 僕の言葉を聞き、朽木は何の感慨も無さそうに言う。
「ゾンビってのは、俺達が適当に言ってるだけだからな。実際は亡者の方が正解に近いかも知れない。が、正式名称なんか誰も知らない」
 それからな、と朽木は続ける。
「アイツらに齧られたからって映画のゾンビみたいに、ゾンビ化する訳じゃない。だから、早とちりして撃つんじゃないぞ」
「そうなのか?」
「あぁ、新入りはゾンビ映画と一緒にして、噛まれたヤツの頭をブチ抜いて……後で真実を知って、死ぬほど後悔してるぜ。ま、死んでいるんだけどな」
 言いながら朽木は一軒のコンビニに近付く。店の窓を目張りされた見るからに怪しい雰囲気だった。
「ここが?」
「あぁ、次のポイントだ」
 朽木は店の前を横切り、駐車場を抜け、裏手に回る。
 鍵の壊れた金網の扉を開け、手に持った拳銃でこっちだと指し示す。
「そういや、まだ自己紹介して」
「やめとけ」
 言い掛けた言葉を遮られた僕は、馬鹿みたいに口を何度か動かし、そのまま閉じる。
「何て言うか、これって有名なジンクスなんだよ」
「ジンクス?」
「早々に自己紹介したヤツは、早々に死体になる」
 真面目な顔をして朽木は言う。
「自分で死亡フラグを立てる必要も無いだろ。だから、自己紹介は安全地帯に入ってからだ。実際に、」
 朽木は僕の方を向いたまま、裏口のドアを開ける。
「安全地帯を前に自己紹――」
 至近距離で銃声が鳴り響いた。朽木の背中が金網にぶつかり嫌な音を立てる。と同時に店内でも派手な音が立てられる。
 見ると、店の中で中学生の女の子が倒れている。コーギーが店の隅で小さくなっていた。
 これは……朽木が撃たれると同時に撃ち返していたのか?
 でも、何で、と思い返し、十階の窓を見上げていたときの彼女の視線を思い出す。
 あの視線には間違いなく殺意が込められていた。
 それを行動に移したのか、彼女は。
「くそっ、防弾チョッキって痛いじゃねえか。あ、くぅ……マジで痛ぇぞ。くそっ。これ、肋骨折れてるんじゃねぇか?」
 悪態を吐きながら、もぞもぞと朽木が動き出す。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫に見えるのかよ。至近距離で拳銃で撃たれたんだぞ。マジで死んでないのが不思議なくらいだ」
 朽木はゴホッと白々しい咳をする。
 言葉に反して、こっちは大丈夫そうだった。問題は……彼女の方だった。
 脇腹を撃たれ、尋常じゃないほどの出血だった。どこか大事な血管を破られているのは素人目にも理解できた。
「あー、こりゃ助からねえな。モロに急所に当たってるじゃねえか」
 他人事のように朽木が言う。
「いや、お前が撃ったんだろ?」
「撃ったのは俺だけど、瞬間的に狙いを外すなんて器用な事出来るはずがないだろ」
 朽木の言葉に素直に頷く気になれず、僕は彼をじっと見る。
 そんな僕に言い訳をするように朽木は言う。
「だから、さ……俺が反撃せずに素直に撃たれたとしよう。俺は撃たれ、倒れるわな?そして、彼女は無事な訳で、次弾を撃とうとする」
 言いながら朽木は彼女に拳銃を向ける。
「倒れてる俺の頭を狙って撃つだろう。……トドメだな。さて、ここで問題だ。無事なお前は俺を助けてくれるのか?」
 当たり前だ、助けるに決まってるだろ!と叫びたかったが、僕は彼女のあの視線を思い出していた。
 多分、僕は、彼女を止める事は出来ないだろう。
 僕はゆっくり首を横に振る。 
「それが答えだ」
 と言うと同時に拳銃を撃っていた。
 
 理由は分からない。
 目の前で女の子が撃たれるのが嫌だったのか?
 多分、理由は……彼女の目を、彼女を見てしまったからだろう。
 地下駐車場の集団とは違い、彼女、個人を認識してしまったから、僕は、
 
 拳銃を持った朽木の腕を押さえ込んでいた。
 銃弾は外れ、床を削り、壁にめり込む。
「おい、何の冗談だ?」
 彼女に視線を向けたまま朽木が言う。
 言うべき言葉が見付からず、僕は朽木を睨み付ける。
「放せ」
「だ、駄目だ」
 ゆっくりと拳銃を握った腕の力を抜き、朽木は諭すように言う。
「この女は助からない。だから、気を失っている内に殺してやるんだよ。優しさってヤツだな。それともなにか、女が苦しんでいるのを眺めたいのか?」
「……で、も、……けたい……だ」
 朽木の拳銃を握った手を見ながら、小さな、言葉にもならない小さな呟きを漏らす。
 僕の後ろでコーギーが懇願するように小さく鳴く。
「言いたい事があるなら、はっきりと言え。言えないような事なら無駄に邪魔をするな」
 顔を伏せても朽木が睨み付けてくるのを感じる。
 そして、僕は改めてその言葉を口にする。
「た、助けるんだ」
「はぁ?」
 僕の顔を覗き込んで、朽木は言う。
「本気か、お前。俺はこの女に撃たれたんだぞ?」
 そう、防弾チョッキを着てても、朽木は撃たれた事実は変わらない。殺意に対して殺意で応える……ここではそれも『あり』なんだろう。
 だけど、そうじゃなくて、僕は彼女を助けたかった。ただ、見殺しにしたくなかった。目の前で殺されるのを見たくなかった。
「放せよ」
 何も言わない僕の手を振り払い、朽木は忌々しそうに舌打ちをする。そして、苛立たしげに口を開く。
「……何とか言えよ」
「……ス、だよ」
「あ、何だって?」
 声を荒げ、朽木は僕を睨み付ける。
「ジンクス。僕らは彼女の名前をまだ知らない。つまり、彼女は助かるんだ」
「んな訳ねえだろ。急所に弾丸が当たってるんだぞ」
 ツッコミを入れる朽木を無視して、彼女の傍に跪く。
「とにかく、彼女を助けるんだ。朽木、取り敢えずは、この出血を止めよう」
「いや、お前……俺の話を聞いてるか?」
 彼女の服を慎重に捲り、傷口を見る。
「ここは元コンビニか?……だったら何かあるだろう。治療に使えそうな物を探してきてくれ」
 先ずは傷口を拭かないと何も出来ないか。僕は上着を脱ぎ、その下に来ていたワイシャツも脱ぐ。朽木は後ろで何か言っていたようだが、諦めたように店の奥に消える。
 脱いだワイシャツで傷口を拭う。出血の割に傷は小さかった。どうやら銃弾は貫通しているようだった。
「これなら何とかなるか?」
 不安を隠すように小さく呟き、彼女の背中側の傷を拭くために、彼女の身体を起こし……絶句した。
 銃弾が入った傷は小さかったのに、銃弾の突き抜けた傷は信じられないほど大きくなっていた。
 傷は、肉を抉って、コインほどもある穴を空けていた。
 この穴を塞ぐ?出血を止める?どうやって止めるんだ、これ?
 本当に僕は彼女を助ける事が出来るのか?
「こんな物しかねえぞ。……ほれ」
 いつの間にか戻った朽木が、僕の方にバラバラと雑貨を落とす。
「え?あ、……あぁ」
 朽木が無造作に落としたのは……新品のホッチキス、ハサミ、ガムテープ、下着にペットボトルの水を数本だった。そのどれもが埃だらけで、お世辞にも衛生的とは言い難

かった。
 その雑多な品々に僕は本気で戸惑う。どうしろってんだ、これで。
「なにバカみたいな顔してんだ?」
 そう言われても、朽木が持って来た物で彼女の傷を塞げるとは思えなかった。いや、そもそもこれらの品々で治療が出来るとは思えなかった。
「何やってんだよ。もう……どけ」
 僕を押し退け、朽木は強引に彼女の傍に座る。
「何だ、貫通してるじゃんか。これなら楽勝だろ」
 言いながらペットボトルの水で手を洗い、残りを傷口に掛ける。そして、ホッチキスをパッケージごと洗い、空になったペットボトルを捨てる。
「やっぱ、水が足りないな。そっちの奥から持って来てくれ。そこにあるダンボールに入ってるだろ?」
 朽木は振り返らずにコンビニの奥を指し示す。コーギーが元気な声を出して、店の奥へと走って行った。
 ホッチキスをパッケージから出した朽木は躊躇わず彼女の傷にあてがい、
「ひぐっ」
 三回、銃創を塞ぐのに使った。悲鳴こそ上げなかったが、カエルを踏み付けたような声が僕の喉から漏れる。
「この程度で悲鳴を上げるなら向こうに行ってろ。ってか、早く水を持って来いよ」
「悲鳴なんか上げてないだろっ!」
 僕は、ひっくり返りそうな声で反抗する。
「あーはいはい」
 彼女の制服を裂きながら適当に返事をする。が、背中側の傷を見ると、朽木は真剣な顔付きに変わる。その真面目な雰囲気に圧され、僕はすごすごとコンビニの奥へ行く。
 店の奥へ行くとコーギーが嬉しそうに「Bow」と鳴いた。こっちだ、とでも伝えているんだろう。
「静かにしろよ。お前のご主人様は大真面目な作業の最中なんだぜ」
 わおん?とコーギーは首を傾げる。
 ご主人?誰が?朽木?あり得ないだろ、それだけは。
 そんな感じにコーギーは明後日の方を向き、大きな欠伸をする。が、しっかりとペットボトルの水の入った段ボール箱の前に座っていた。
「本当に優秀だな、お前。実は僕らの会話を理解している……なんてないよな?」
 もちろん返事は無く、コーギーはここには用はもう無いと言わんばかりに朽木の元に戻って行った。
「ま、犬だから荷物は持てないしな」
 ペットボトルの入った段ボールを前に僕は悩む。
「何本くらいいるんだ?」
 けっこう数が要りそうな感じだったので、数で悩むのも馬鹿らしいから僕は段ボールごと肩に担ぐ。
 意外と重かったが、店内での移動なので気にせずに店の奥に行く。
「朽木。本数が分からないから、もう箱ごと持って来……何をやっているんだ?」
「何って、見ての通りだよ」
 いや、僕の目には動けない女子中学生を全裸に剥いているようにしか見えないんだが?
 そう彼女は全裸にされていた。制服を脱がすのが面倒だったのでハサミで着ている物を切ったようだった。
 血塗れの制服と一緒にハサミが捨てられている。
「血を洗い流すんだよ。ゾンビは鼻が利くからな」
「あぁ、そうか……でも、全裸にしなくてもいいんじゃないのか?」
 目のやり場に困り、僕は視線を目張りをされた窓に向ける。
 ゾンビは目があまり見えてないと言いながら窓を塞ぐのは、人としての本能のような物だろうか。
「血を洗ったら、新しい服を着せるから手伝ってくれ」
「あぁ、分かった」
 返事をしながら僕は思っていた。ここに来るまで見掛けた数のゾンビなら、それほど気を使う必要も無いだろう。一人が彼女を運び、もう一人が護衛をするで充分なはずだ

った。それとも……と、僕は疑問を口にする。
「ここに来るまでに見たゾンビの数と、これから先の順路では数が桁違いなのか?」
「まさか、だよ。そんな訳ねえだろ」
 朽木は僕の疑問を鼻で笑い、
「ただ……俺達が見掛けたのは、全体の10%ぐらいじゃねえかな?」
「え?」
 愕然とする僕に朽木は笑い掛ける。
「建物の中や路地の奥、物陰に隠れているヤツなんかもいるしな。道を歩いてるのだけだと思ってたのか?」
 朽木は面白そうに僕の顔を見る。
「ま、ちゃんと血を流してから出るから大丈夫だろうけどな。さ、適当に着せて行こうぜ」
 彼女の身体を起こし、僕が支えて朽木が服を着せる。
 彼女が着せられたのは……サイズが適当なTシャツと下着、その上にコンビニの制服と僕の上着だった。
 ちなみに僕はワイシャツを彼女の傷を拭うのに使ってしまって、上はTシャツ一枚だった。
「ちょっと肌寒いような気がするんだけど?」
「知るかよっ。お前が助けるって言ったんだから諦めろ。それに担いでたらそんなに寒さを感じないんじゃないか?」
 いい加減な事を、と思いながら彼女を背負う。
「行くぞ」
 朽木が先導する形で僕らは走り出す。と言っても、怪我人を背負っているので全力疾走する訳にもいかない。
 小走りで、左右を気にしながら、背中の重みを気にしながら、僕は走り出す。
 
 
 どれくらいの時間、走り続けただろう?
 時折、朽木の拳銃が闇の中で跳ね上がる。頭を撃ち抜かれたゾンビが崩れ落ちる。
 それも何度目だろうか?
 背中の彼女の反応は無い。最初からずっと何の反応も無い。
 もしかしたら……彼女は死んでいるんだろうか?
 呼吸は感じているのか?
 分からない?
 彼女は息をしているのか?
 背中に温もりはない。ただ重いだけの物言わぬ肉を背負っているような気になってくる。
 違う。彼女は生きている。息もしている。僕の息が上がっているから分からなくなっているだけだ。
 汗ばんだ僕の背中が冷たく感じるのは、この夜の所為だ。
「大丈夫だ」
 朽木に聞こえないように僕は小さく呟く。
 そう大丈夫だ。彼女は助かるんだ。
 自分に言い聞かせながら、ただ前だけを見て走り続ける。
「おい、見えるか?あの橋だ。あの橋の向こうが安全地帯だ」
 朽木の言葉に僕は顔を上げる。
 そして、その橋を見る。長大な街の中に忽然と現れたようなその橋を。