パンダの森の黒いクロ
 
 
 昔々、パンダの森に、少し変わった男の子がいました。
 名前はクロと言います。
 クロは他のパンダと違い、顔や身体に白い部分がありませんでした。
 パンダの森の黒いクロは、みんなと仲良く暮らしていました。
 
 クロのお家は、おじさんとクロの二人暮らしでした。
 小さな時から、ずっと二人です。
 ある日、クロはずっと気になっていたことを聞きました。
「あのね、おじいさん……ぼくのお父さんとお母さんはいないの?」
 おじいさんは、ちらっとクロを見ただけで何も答えてくれません。
「どうして、ぼくだけ白いところが無いのかな?それに顔も違うみたいだし……」
 おじいさんが何も言ってくれないので、クロはとても寂しくなりました。
 両手で持った笹茶がいっぱい入ったコップを、じっと見ています。
 おじいさんは大きな溜息をついて、一口笹茶を飲みました。
「まぁ、お前も大きくなったし、なんとなくわかってると思うが……」
 クロが顔を上げ、おじいさんの方を見ました。
「もう何年前になるのかのぉ。お前は村の近くで捨てられておったんだよ。それをわしが見つけてな……」
 クロは、おじいさんの言葉に驚きました。
「真っ黒な姿から、わしらパンダとは違う生き物なのはすぐにわかった。でも、そのまま捨てて行くことはわしには出来なかった。それでな、村のみんなと相談してわしが育てることにしたんだよ」
 クロは、びっくりして何も言うことができません。
「なぁ、クロや。お前は森のみんなに愛されとる。わしもお前が好きだ。それだけではいけないのか?」
 おじいさんが寂しそうな顔をしているのを見て、クロは元気に答えました。
「ぼくも、おじいさんも森のみんなも大好きだよ」
 おじいさんはにっこりと笑い、クロの頭を撫ぜました。
「さぁ、今日は遅いから、もう寝なさい」
 クロは大きな目を細めて、うなずきました。
「はい。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
 クロはおじいさんにおやすみのキスをして、自分の部屋に行きました。
 
 ベッドの中で、クロはお父さんとお母さんのことを考えていました。
 おじいさんの言いたいことはわかるけれど、それ以上に知りたいことが多過ぎました。
「ぼくは、なんて言う生き物なんだろう?お父さんとお母さんはどこかにいるのかな?ぼくと同じ生き物が住む村もあるのかな?それに……森の外の世界はどんなところだろう?」
 色々なことが、頭の中に浮かんできます。
 その夜、クロはパンダの森を出て、旅をすることを決めました。
 どこまで行けるかわからないけれど、きっと何もしないよりはいいはずだ。
 クロはおじいさんを起こさないように、静かに旅の用意をはじめました。
 
 朝、おじいさんがクロを起こしに行くと、ベッドの上に一枚の手紙がありました。
 
『おじいさんへ。ぼくはお父さんとお母さんを探しに行きます。
でも、心配しないでください。きっと元気に帰ってきますから。
森のみんなにも、そう伝えてください。
                           クロ』
 
 
 クロが旅に出て、十日が経ちました。
 パンダの森を出るときに持ってきた食べ物は、三日で無くなってしましました。
 クロは昼は歩きながら近くの木の実を採り、夜はそれを食べてから寝るようにしていました。

 その日、クロは大きな川に出ました。
 パンダの森にも川はありましたが、こんなに大きな川を見るのは初めてでした。
「うわぁ、すごいな〜」
 クロは素直に驚きました。
 向こう側に行きたかったのですが、近くに橋は見えません。
 クロは、川に沿って下の方に歩き出しました。
 少し行くと、川の横の大きな石の上に小さな生き物が座ってました。
 大きな瓶を横に置いた小さな生き物は、長い棒を持って川面を真剣な顔で見ています。
 不思議なことをしている小さな生き物に、クロは話しかけてみました。
「何をしてるんですか?」
「何って……釣りよ」
 小さな生き物は前を向いたまま、答えました。
「釣りって何ですか?」
 小さな生き物は、邪魔臭そうにクロの方を見て答えました。
「あなた、釣りも知らな……」
 小さな生き物は、言いかけて大きな目をさらに大きくしました。
「どうかしたんですか?」
 クロが聞くと、小さな生き物はいきなり立ち上がり叫びました。
「きゃぁぁぁぁあああ!!」
 小さな身体からは、想像も出来ないほど大きな声にクロはびっくりして尻餅をつきました。
 どすん!
 その振動で、小さな生き物は川に落ちてしまいました。
 さぁ、大変です。
 小さな生き物は泳げないらしく、いつまで待っても浮かんできません。
 クロは荷物を置いて、川に飛び込みました。
 川の流れは緩やかだったので、小さな生き物はすぐに見つけることが出来ました。
 
「大丈夫ですか?」
「げほっ……がはっ」
 小さな生き物は、水を吐いています。
「あぁ……ありがと。でも、びっくりした」
 小さな生き物が言うのを聞いて、クロもうなずきました。
 クロは小さな生き物が落ち着くのを待って、自分が旅をしていることを言いました。
「パンダの森から来たって……。あなたパンダじゃないでしょう?」
 小さな生き物に言われて、クロは悲しくなりました。
 やっぱり、ぼくはパンダじゃないんだ。
「ごめん。ごめん。でも、大きな猫の姿で、人の言葉を話す生き物なんて聞いたことないよ」
「ネコ?ぼくは、ネコって生き物と似てるんですか?」
 クロに聞かれて、小さな生き物は大きく首を振りました。
「うぅん。違うよ。顔や姿は似てるけど、わたしの知ってる猫ってこんなに小さいもん」
 そう言って、小さな生き物は自分のお腹の前で小さな輪を作りました。
「……」
 クロが悲しそうな顔をしているのを見て、小さな生き物が言いました。
「そうだ!お師匠様なら何か知ってるかも。わたしのお師匠様は麓の村では、仙人って言われてるくらい長生きだから」
 そう言って、小さな生き物は歩き出しました。
「わたしはタオ。クロ、早く行こう」
 元気に歩いて行く小さなタオの後を、大きなクロがついて行きます。
 
 
 大きな瓶を持っている小さなタオの後を、クロが付いて行きます。
 どれくらい歩いたでしょう。
 タオの背中の向うに大きな門が見えてきました。
 それは背の高い塀に囲まれたお寺でした。
 塀の向うにぺんぺん草が生えた屋根が見えています。
 戸の無い門をくぐり、タオが大きな声で言いました。
「お師匠様!ただいま帰りました!!」
 返事を待たずにタオは奥に進んで行きました。
 クロは門の外から、お寺を珍しそうに見ています。
「どうかなされたか?」
 いきなり後ろから話しかけられて、クロはびっくりしました。
 クロのすぐ後ろに小さな生き物がいたのです。
 頭のてっぺんの毛が無い小さな生き物は、顔をくしゃくしゃにして笑ってます。
「あの……えっと……」
 クロは、びっくりして上手に話す事が出来ません。
「崑崙のお方がこんな荒れ寺に何のようですじゃ?」
「コンロン?」
 毛の無い生き物は、一瞬怖い顔をしましたが、また笑いました。
「あ!お師匠様。そこにいらしたんですか」
 タオがお寺の奥から走って来ました。
 二人の前で止まったタオに、お師匠様と呼ばれた小さな生き物がにっこり笑いました。
「こちらの御仁は、お前のお客様かぇ?」
「はい。パンダの森に住んでるクロと言われる方で、今は旅をなさってるそうです」
 お師匠様は、にこにことタオの言葉を聞いています。
「そうかそうか。ところで、ずいぶんと帰りが遅かったが……このクロ殿と出会ったためじゃったのか?」
 ことさら大きくタオはうなずきました。
「はい。そうです」
「わしは、また釣りでもして遊んでいたのかと思ったわぃ」
 自分が会話に入れる言葉を聞いて、クロはうれしそうに言いました。
「あの釣りって面白そうですね。棒と糸で魚を捕れるって知りませんでした」
 お師匠様はクロに背を向けたまま、にんまりと笑いました。
「ほほぉ〜。それはそれは……。さて、タオや。お客様をもてなすには、ちと心許無いのでお前は村に下りて米や野菜をもらって来なさい」
 タオはお師匠様の言葉を聞いて、嫌な顔をしています。
「日が落ちるまでに帰って来なければ、明日の修行はニ倍じゃ」
 返事もしないで、とぼとぼと歩き出したタオの後を付いて行こうとしたクロに、お師匠様が話しかけました。
「あぁ、クロ殿はここで待っていて下され。その姿で村に下りたら大騒ぎになりますからの」
 お師匠様に言われて、クロは自分の手を見ています。
「僕の姿は、やっぱりおかしいんですか?」
「ふむ。その話は茶でも飲みながらしますかのぉ」
 かかかとお師匠様が笑いました。
 クロが振り返って後ろを見ると、そこにはもうタオの姿は見えませんでした。
 
 クロが通されたのは、大きな囲炉裏のある部屋でした。
 囲炉裏に掛けられた鍋いっぱいの水が、お湯に変わろうとぐつぐつ言ってます。
 お師匠様は、クロが見たことの無い道具を使って何かを用意していました。
 部屋に入って、クロに座るようにすすめてから、お師匠様は何も言いません。
「あのぉ……」
 クロが鍋の向こう側のお師匠様に話し掛けると、お師匠様は小さな手を大きく開いて声をさえぎりました。
「……」
 お師匠様はおもむろに横にあった柄杓で湯をすくい、用意していた道具にゆっくりと落としていきました。
「いやいや、この茶は沸かし過ぎると具合が良く無くてのぉ」
 そう言いながらお師匠様は、クロに入れたてのお茶を渡しました。
 香りの強いお茶でした。
 でも、何か懐かしい柔らかい香りです。
 一口飲むと甘い中に微かな苦味があります。
 その口に残る苦味が最初の甘味を思い出させ、もう一度、クロはお茶を口に入れました。
「美味しいお茶ですね」
 クロの言葉にお師匠様は、にんまりと笑いました。
「ふむ。昔、崑崙でとられていた茶葉を煎じた物じゃよ」
 お師匠様の言葉を聞いて、クロは身を乗り出しました。
「さっきも崑崙って言ってましたね。そこに行けば僕と同じ生き物に会えるんですか」
 お師匠様は何も答えず、クロの顔をじっと見ています。
「僕は……。僕のお父さんとお母さんを探しているんです。何か知っていたら教えて下さい」
「教えるのは構わんが、その前にお前様の事を少し話してもらえますかいのぉ」
 お師匠様に言われて、クロは自分が旅に出たいきさつを話し出しました。
 目を閉じて、お師匠様はゆっくりとうなずいていました。
「ふむふむ。で、どうなさる?」
 にこにこと笑いながらお師匠様が聞きましたが、何をどうするのかクロにはわかりません。
「???」
「いやいや。わしの知ってることを先にお話しましょうかの?それとも、クロ殿が知りたいことをたずねられるかの?」
 少し考えてクロはおずおずと言いました。
「ぼくから質問させてもらえますか?」
 お師匠様は、にっこりと笑いました。
 
 
 その日の夕ご飯は、クロが初めて食べる物ばかりでした。
 特に、大きな鍋に野菜をいっぱい入れて味噌という物で味付をした料理は美味しくて、クロは本当に驚きました。
 お師匠様に、味噌の作り方を聞いてしまったくらいです。
 それに、タオがクロのためにおにぎりを作ってくれました。
 クロが大きなおにぎりを一口に入れてしまうのを、タオをびっくりして見てました。
「ひょひょひょ。村に米と野菜をもらいに行ってよかったじゃろ?」
 お師匠様もいっぱい食べるクロの姿がおかしかったのか、楽しそうにお酒を飲んでます。
 そう、それにクロはお師匠様に、ほんの少しお酒を飲ませてもらいました。
 甘くて美味しいのに、喉に引っかかる変な飲み物でした。
 でも、お腹の中がすごく暖かくなりました。
 お師匠様もタオも久しぶりのお客だからと、精一杯の笑顔と料理でクロを楽しませてくれました。
 クロもパンダの森を出て、初めて心の底から笑いました。
 
 その夜のことです。
 クロはお寺の庭に出て、ぼんやりと夜空を見てました。
 大きな丸い月が顔を出しています。
 星は小さく、雲も見えない月だけのような空でした。
 空を見上げながら、クロはお師匠様の言葉を思い出していました。
「パンダの森で愛されて育てられたのなら、森にかえりなされ。崑崙へ行ったところで何もわからないのは変わりませんぞ」
 クロと同じ姿をした生き物は、崑崙のまわりを守る仕事をしていた人の姿だとお師匠様は言いました。
「僕は人なんですか?」
 クロの質問に、お師匠様はわからないと答えました。
「人と表現されたのは『獣にして獣にあらず』と伝えられておるからで、その姿を今の時代に住むわしらには見ることは出来ませぬ」
 驚いているクロに、さらにこう言いました。
「崑崙に人の姿が消えて千年の月日が経ったと、わしも師から教えられただけですからな」
 そうです。
 今、知っている事から行ける場所は崑崙という所だけなのに、そこには誰もいないと言うのです。
 月を見ながら、クロはこの先どこに行くか考えてました。
 パンダの森のみんなに会いたい。
 おじいさんの入れてくれる笹茶を飲みながら、旅を話をしたい。
 みんな元気なんだろうか。
 色々なことが浮かんできます。
 でも、それ以上に崑崙のことが気になります。
 お父さんとお母さんのことも知りたいのですが、それとは違う気持ちが、心の中で大きくなっていました。
「何も無いかも知れない。でも、行かなくちゃいけないんだ。今の崑崙を見て、それからパンダの森に帰ろう」
 そう考えてクロは立ち上がりました。
「悩みは消えたようですな」
 いきなり後ろから声をかけられて、クロは飛び上がりました。
 いつの間にか、お師匠様が後ろに立っていたのです。
 優しく微笑みながら、お師匠様は言葉を続けます。
「やはり、崑崙に行きなさるか」
 クロは、大きくうなずきました。
「その方がいいですじゃろ。今のあなた様なら止めはしません。出来ればタオも連れて行ってやってくれるとありがたいのですが……」
「え、タオも一緒にですか?」
 お師匠様は、ちょっと寂しそうに笑いながら言いました。
「あの子は麓の村に捨てられていたんじゃが、村にはある言い伝えがありましての」
 クロは真剣な表情で聞いています。
「崑崙に住む神に近い人が村に降りる時は、赤子の姿で黄色の衣で包まれて捨てられると。まぁ、昔の……捨て子を殺さぬように言われた言葉じゃろうがの」
 クロは、お師匠様の言うことを黙って聞いています。
「何年か前に、タオにもしつこく崑崙について聞かれて困ったものですじゃ。誰か口性のない者が教えたんでしょうなぁ」
 いきなり、お師匠様が深々と頭を下げました。
「無理を言うとお困りでしょうが、どうかあの子にも一目崑崙の姿を見せてやってください」
 クロはお師匠様の態度に驚いて、急いで答えました。
「そんな。僕の方こそお願いします。ずっと一人で旅をしてて心細かったんですから」
 クロの言葉に、お師匠様はいつもの笑顔に戻ってお礼を言いました。
 
 
 さて、大きなクロと小さなタオが崑崙を目指して旅に出て一週間が経ちました。
 お師匠様が言うには、「正しくは、この寺もパンダの森も崑崙の中にあるのですじゃ」とのことです。
 崑崙は山脈の名前で、山の名前でもあり、神様が住んでいると伝えられる都の名前でもあるのです。
 クロ達が目指すのは、都の崑崙です。
 お寺があるのが崑崙山の頂上近くで、都の崑崙には「今いる山を真直ぐ登っていけばいいらしい」と、お師匠様は教えてくれました。
 クロはパンダの森から下に歩いていたつもりでしたが、横に歩いていたらしいです。
 四日目から草や木が無くなり、山の地肌が見えて来ました。
 その頃には、タオの足では歩けないほど地面が固く尖りだしました。
 辛そうに歩いているタオを、クロはひょいっと肩に乗せました。
「ぼくの足は、分厚いから痛くないんだよ」
 そう言って、困っているタオを乗せたままクロは歩き出しました。
 休まずに歩き続けるクロに、タオは木の実や水を肩の上から食べさせてくれました。
 そうやって、歩いて来た七日目の夜です。
 
 分厚い布を身体に巻いたタオを、後ろから抱きしめるようにクロが座っています。
 クロの分の布はお尻の下に敷いてあります。
 座ったまま眠れるクロのお腹の毛皮に、タオは埋まるようにもたれていました。
「ねぇ、クロは寒くないの?」
 目を閉じて、ふにゃふにゃとタオが聞いてきました。
「うん。大丈夫だよ」
 毎晩聞いてくる質問に、クロは優しく答えました。
「足……痛くない?」
 これもそうです。
「ごめんね……」
 薄く目を開けて下からクロの顔を見ながら、タオが言いました。
「気にしなくていいよ。きっともうすぐ崑崙につくから……もう、寝た方がいいよ」
「……うん」
 空には半分になった月が、いっぱいの星の中にいます。
「綺麗な空だね」
「うん。綺麗だね」
 クロが見上げていると、いくつかの星がゆらゆらと動きました。
 星は、ほんの少し大きくなってゆっくりと、ふらふらと降りて来ました。
「あ、雪……」
 クロの小さな声に、タオがもう一度、目を開けました。
 ぼんやりと空を見上げて、降りて来る雪を見ています。
「夜の雪って、ちょっと不思議な感じがするね」
 クロのお腹に顔を埋めながら、タオがささやきました。
「寒くない?」
 タオがいつも聞いて来る言葉を、クロが言いました。
 タオは、小さくうなずいて言いました。
「うん。寒いけど……暖かいよ」
 クロとタオは寄り添いながら、いつまでも静かな雪を見ていました。
 
 
 クロとタオが目覚めると、まわりは雪で真っ白になっていました。
 いつものようにクロは荷物を背負い、首から水筒をさげました。
 タオは食べ物が入ったリュックをお腹に抱いて、クロの準備を待ってます。 
 クロがタオを肩に乗せると、タオが大きな声で言いました。
「あ、あそこ!」
 タオが、クロの頭を抱いて遠くを指差してます。
「ほら、あの山の上!建物があるよ」
 昨日の夜、暗かったために見えなかった建物が雪の中で小さく見えています。
「うん!やっと見えてきたね。あそこならすぐに行けるよ」
 雪の中を、走るようにクロが歩き出しました。
 建物はみるみる大きくなっていきます。
 それは、大きな石で作られた門でした。
 戸はありません。
 その中も、少しづつ見えてきます。
 門の少し下から、石の階段がありました。
 階段まで来ると、タオはぴょんとクロの肩から飛び降りました。
 二人で競争するように上がって行きます。
 門を過ぎると、そこに雪の姿はありませんでした。
「ここが……崑崙」
 崑崙は、門に囲まれた大きな都でした。
 綺麗に並べられた建物に大きく真直ぐな道、たくさんの緑に飾られた街です。
 どこかで水の流れる音もしています。
 白い柔らかい色の石で街は作られていました。
 暖かい風が、クロの長いヒゲを揺らして行きます。
 二人は、ゆっくりと街の方へと歩き出しました。
「ねぇ、変じゃない?」
 タオが小さな声で言いました。
「うん。静かすぎるね。でも……」
 不安な気持ちを隠すように、クロは続きを言いませんでした。
 そう、人の姿が無いのです。
 人だけではありません。
 犬も猫も、小さな鳥の姿も見えませんでした。
「誰かいませんかぁ!!」
 クロが大きな声で叫びました。
 返事は無く、ただクロの声が帰って来るだけです。
 二人は走りだし、一軒の家の戸を開けました。
 誰もいません。
 その隣の家に行きました。
 そこも誰もいませんでした。
 その隣も、その横の家も……。
「崑崙は、遥か昔に滅んだと言われる伝説の都の名前ですじゃ」
 お師匠様の言葉を、クロは思い出しました。
 タオもそうだったのでしょう。
 クロの太い腕を強く抱きしめています。
 誰もいない、とても綺麗な都。
 崑崙に住んでいた人が、どこに行ったのか。
 なぜ、こんなに綺麗な街を捨てたのか。
 答えは誰にもわかりません。
 クロとタオは、遠くに見える一番大きな建物の方へ歩き出しました。
 
 一番大きな建物は、朱色の屋根が何段にも重ねられた豪華な家でした。
 大勢の人が使っていたのでしょうか、一階には扉は無く太い柱だけがあります。
 クロとタオは、真ん中に置かれた階段を上がり、二階に出て都全体を見下ろしました。
 そこからは、街と二人が通ってきた門と青い空が見えました。
「門の向うは見えないんだね」
 タオが寂しそうに言いました。
 クロは景色を背に、二階の奥へと歩いて行きます。
 何も無い大きな部屋に、一枚の大きな石版がありました。
 クロの知らない文字で何か書いてあります。
 少し遅れて、タオが横に並びました。
「読める?」
 クロが、石版を見たままタオに聞きました。
「うん。でも、知らない字が多い……」
 小さな声で言ってから、タオは石版に書かれた文字を読み始めました。
「ここに……子供達よ。長い月日の内に……迷い……子よ。私達が……を捨てた……ここに残して…………。長い……の中で平和を愛していた私達にも……憎しみが……、怒

りと争いが……の心を満たすように……。死を……一部の……は崑崙と……の心を乱し、世界の……を……という……を捨てて…………。……がすでに……していたことから

、私達は姿を変え、……の世や森や山奥に住むことを…………。しかし、悪意を持つ……の……は世界に…………となるでしょう。それを……ことは私達には…………。ここ

に……子供達よ。あなた……はあなたを愛する者の住む……に帰り……。……で……を忘れ、静かに…………するのです。あなたとあなたの愛する……に多くの幸があること

を……」
 読みながら、タオは首を横にしています。
「よく……わかんないね」
 クロは、静かに石版を見ています。
「ねぇ、どうしたの?」
 タオが覗き込むと、クロは大きくあくびをしました。
「うぅん。なんでもない」
 そう言って、クロはにっこりと笑いました。
「これから……どうするの?」
 タオは下向いて、小さな声で聞きました。
 クロは黙ったまま、まだ石版を見ています。
「もしさ、もしクロが……」
 タオが何か言いかけた時、クロがタオを肩に乗せました。
「ぼくは、パンダの森に帰るよ。きっと怒られるだろうけどね」
 タオは何も言わず、クロの頭を抱きしめました。
 石版を背に、クロは真直ぐ前を見ています。
 二人の前に、小さく見える崑崙の都がありました。
「すぐに遊びに行くから待っててね。今度は……あの釣りを教えてよ」
 クロが言うとタオも嬉しそうに笑いました。
「う〜ん、クロに出来るかな?釣りってむずかしいよ」
「大丈夫。ぼくは川に入って魚を捕れるし」
「えぇ〜、それって釣りじゃないよ」
「あ、そうかぁ」
 小さなタオを肩に乗せた大きなクロ。
 二人のおしゃべりは、いつまでも続きました。