■
scene-06
手書きの地図を片手に僕は大通りの方に足を向ける。
しかし、まだ午前中なんだな。バスで寝てたから時間の感覚は狂ってるけど、太陽の位置から見て、昼は回っていないのを確認出来た。
足元の道路は相変わらず土が踏み固められたような感じだし、路肩の方では……路肩って言うより、道の端って言った方がいいのかな?
こんもりと盛り上がった道の端では、雀か何か小鳥が暇そうに遊んでいた。
足で草を蹴り、雀を空に逃がす。が、またすぐに戻って来て、ちゅんちゅんと楽しげに飛び回る。
警戒心が全くないな、猫に喰われるぞ。
「しかし……大雑把な地図だな。ほんと、これで辿り着けるのか?」
地図は大通りの出て、そこから二番街という商店街に入り、中ほどにあるパン屋へ行けとあった。
「ブール・エンジェリエって読むのかな?」
地図にはローマ字で『boulangerie』と書かれていた。
変わった名前だな。どこかの地名か何かだろうか?
「ここを右に行くのか」
細い路地……いや、大通りから見れば路地裏か。それに入り……じゃり、と足元で砂利を踏む音がする。
おお!?
道路は土の道から砂利道へと変わっていた。
そして、片道一斜線の舗装された普通の道に出る。
「え?」
地図には、ここが大通りになっているんだけど……?
まさか、この道路が大通りになるのか?いや、確かに舗装もされてるけど、ガードレールで守られている舗道もあるけど……ほんとにこれ?
誰かに聞こうにも人っ子一人居ないし、ぽつぽつとあるビルも最高三階建てという田舎っぷりだった。
遠くに駅が見えた。いや、多分……駅だろう。中途半端な高さの屋根とホームらしきものがある。
その手前に、市営(?)の駐輪場がある。あれだけでかいんだから、個人経営じゃないよな?っていうか、自転車置き場だよな?空き地に自転車を違法駐車しているんじゃないよな?
僕は前を向き直り、背後の光景は見なかった事にした。……はっきり言って、田舎過ぎて怖いんですけど。
大通りには電器屋に小さなお弁当屋さんがあった。時間帯の所為か、どちらも客の姿は無い。
お弁当屋さんの看板には大きな巻き寿司の絵が書かれていた。
後は、普通の家や神社があった。
「お、ここ……かぁ」
見上げたそこに……車が二台交わせるかどうかの細い路地のような商店街、二番街と言う名の商店街があった。
午前中という時間帯の所為だろうか、人の姿はまばらで……遠慮気味に言って、まばらでとても流行っているようには見えなかった。
僕は覚悟を決めて、アーケードへと足を踏み入れる。
「あれ、中は意外と明るいな」
これから自分が住む商店街が電気も点かない暗い場所ではなかった事に、僕は素直に安心する。
中から見る二番街は、アーケードからの採光と店の明かりで結構色鮮やかな感じだった。
「暗く見えたのは外の陽の下で見たからか」
しかし、それもどうかと思う。外から見ても明るい感じじゃないと人が寄り付かないんじゃないのか?
本屋に喫茶店、肉屋に八百屋、魚屋、餅屋と駄菓子屋、それにレコード屋か。え?レコード???
レコード店を覗いて見ると、細いラックのような陳列台があり、その上にも縦差しのラックが並んでいた。
「いや、あり得ないだろ?あの小さいのでもディスクの2倍はあるぞ。でかい方だと直径で4倍……」
僕はカルチャーショックを受けたかのようによろよろとその店を離れる。
レコードの存在は知識としてあったけど、実際に見たのは初めてだった。しかも、それで店を開く?正直、あり得ないだろっ?って感じだった。
「は、はは。さすがに本まであのサイズとかないよな」
本屋を覗いてみたら本は普通のサイズだった。っていうか、郊外型の店舗じゃない本屋なんか始めて見たぞ。
いや、それよりも驚くべきは……本屋もレコード屋も、ドアが自動ドアじゃなかったことだ。
っていうか、本屋なんかドアも無いし!!!
そう本屋にはドアという概念は存在しなかった。いや、それどころか店の敷地という概念さえも存在していないかのような有様だった。
紐を掛けられた雑誌は店の外に並べられた陳列台に平積みにされ、店の奥には小説や単行本が置かれていた。
撥ね上げ式のシャッターで夜間は安心だろうけど、昼間はどうするんだよ。今はまだいいよ。そんなに寒い季節じゃないからいいけど、冬になったらどうするんだよ。
くそっ!ダメだ。僕には理解不可能だ。こんなところにいたら気が狂う。気が狂ってしまう。
僕は目的地を探して、早足に商店街を突き進む。
「ブール・エンジェリエ……ブール・エンジェリエ……ブール・エンジェリエ……」
店の名前を小さく呟きながら店を探す。
昼が近くなったからだろう、通行人もちらほらと見られるようになった。
ぶつぶつと呟きながら歩く僕を、おばちゃん達が変な顔をして見ている。けど、そんな事、知ったことかっ。
くそっ、商店街の中ほどにあるって書いてあるのに、どこにあるんだよ?
まだ中ほどじゃないのかよっ!全長で何kmあるんだよ、この商店街は!?あり得ないだろっ?
と、一人のおばちゃんが僕に声を掛けてきた。
「お兄さん、お兄さん」
無視を決め込もうと思ったが、周りの人達も僕を遠巻きに見ている状況で無視は難しいと僕は判断した。
「えーと、何か御用ですか?」
思いっ切り作り笑顔で質問をする。
「あなたが探しているのは……ブーランジェリーじゃなくって?パン屋さんの」
「え?」
ブーランジェリー?ブール・エンジェリエ?
boul・angerie=ブール・エンジェリエ【×】 boulangerie=ブーランジェリー【○】
「えぇぇえええええ!?」
僕は手書きの地図に書かれたローマ字を何度も見返す。そして……誰が見ても分かるくらい赤面した。
「あら、やっぱりそうね。ブーランジェリーって読むのよ、これ。フランス語で……」
「パン屋よ、パン屋」
「なに、その子、パン屋さんに行きたいの?」
一人、二人とおばさん達は集まってくる。
何で離して読んじゃったんだ、僕。どこにも空白なんか無いのに。普通に素直に読めば、ブーランジェリーになるじゃねえかよ。
おばさん達は丁寧にパン屋『ブーランジェリー』の場所を教えてくれた。
僕は何度もお礼を言い、今度そこで下宿をさせてもらう北条芳樹だと名乗った。
何なんだ。何で僕は無駄に愛想を振り撒いているんだ。あれだ。あの読み間違いで恥ずかしかったから、その照れ隠しに愛想良くなっているんだ。
正直に言うと……もう僕は疲れていた。ってか、全てを忘れて、もう寝たい。
そして、僕は……パン屋『ブーランジェリー』の前に立つ。
二度、三度と深呼吸を繰り返す。顔はもう火照っていない。僕は冷静だった。
そう、僕の恥ずかしい読み間違いは、あのおばちゃん達しか知らないはずだ。そして、あのおばちゃんはパン屋とは逆方向に進んで行った。
だから、読み間違いの事実はパン屋の人は知らないはずだ。
後日バレたしても、「あぁ、そんな事もありましたね」とか適当に誤魔化せるはずだ。
僕は手元の紙を改めて見る。
「佐々木夏実さん……か」
ま、いつまでも店の前に立ってても邪魔だろうし、中に入って挨拶でもするか。……邪魔になる客もいないけど。
木製のやたら分厚そうな扉を押して、僕は中を窺いながら入る。
からん、ころん、と優しげなチャイムの音が鳴る。ふんわりと柔らかいパンの匂いに包まれる。
「いらっしゃいませ〜♪」
楽しげな女性の声が店の奥から響く。けれど、その女性の姿は見えない。奥で何かをしているのだろう。
さして大きくもない店だった。陳列台の上に様々なパンが並んでいる。が、そのパンは僕のよく知っているパンとは少し違っていた。
あの細長いフランスパンもあるけど、むしろ楕円形のパンの方が多かった。色もややくすんでいる。
「これって……これで普通なのか?」
「そうですよ。無添加の天然酵母だと色とか、こんな感じになるんですよ」
店の奥からひょっこり顔を出したのは、薄化粧の……じゃないな。すっぴんの女性だった。目鼻立ちがはっきりしているので、逆にそれが彼女の顔を魅力的に見せていた。
彼女はレジの前に立ち、にこにこと微笑んでいる。
「あ、いえ……僕はお客さんじゃなくて――」
と、僕は言葉を飲み込む。笑顔のまま彼女の雰囲気が、がらっと変わったからだ。
「北条芳樹君!?」
「あ、はい。そうで」
「ふふん。ブール・エンジェリエは見付かった?」
あぐっ。ってか、何で知っているんだ?あのおばちゃん達は僕とは反対側へ行ったよな?あ、携帯電話……は、ここには無かったか。じゃ、何でだ?
「ぷっ、……あははははは。いやぁ、君さ、メモを見ながらブツブツ言ってたんでしょ?それを見た人が教えてくれたのよ」
言いながらレジの前から彼女は出てくる。ゆっくりと僕の前に立ち、真っ直ぐにその瞳を向けてくる。
「私は佐々木夏実。よろしくね……北条芳樹君。よっきーって呼んでもいい?」
「ダメです。やめて下さい」
ひくっと頬が引き攣ったけど、冷静に僕は返す。よっきーは無いだろ?
「じゃ、よしくん?」
「芳樹です。普通に呼んで下さい」
って言うか、この人……スタイル良過ぎるだろっ!?くそぉ、目のやり場に困るじゃねえか。
ジーパンに薄手のセーターの上にエプロンを着てるだけなのに、何でこんなにエロいんですか?
にっこりと笑い、夏実さんは僕を見ている。
「じゃ、私はなっきーって」
「呼びませんよ。佐々木さん」
「え〜、せめて夏実さんって呼んでくれない?ダメかな?」
「じゃ、夏実さんで」
何となく頬が膨らんでいるように感じるのは、気のせいか?
「んと、二人の荷物は上に運んであるけど……ほんと、同室でいいの?」
「え?」
同室って……同室って意味か?いや、ちょ、それは不味いだろ?
「ま、家も部屋数に余裕がある訳じゃないから同室ってのは助かるけど……大丈夫?」
大丈夫な訳無いでしょ!?普通に考えたらダメに決まってるじゃないですかっ!!……と、叫びたかったが、夏実さんの心配そうな顔の前では言えなかった。
何なんだ、その叱られた犬みたいな顔は!?
そう、雨の日に叱られ、肩を落とした犬みたいだった。しかも、空の皿が……雨水の溜まった空の餌皿の前に肩を落として座る犬みたいな顔は。
「だ、大丈夫ですよ。そ……それに妹の真帆もパン屋さんの手伝いをするんだって楽しみにしてたし。は、はは」
苦し紛れに何を言ってるんだ、僕は。そりゃ、確かにパン屋でお手伝いをしてもいいってあの子は言っていたけど、それを僕が伝えるのは違うだろ。
「ほんとに!やったぁ。可愛い女の子の店員さんが欲しかったのよ。私って、ほら……もう若くないし、可愛くも無いから」
「いや、まだ若いでしょ。それに十分に美人だし」
何を恥ずかしい事をさらっと口にしているんだ、僕は。恥ずかしいぞ。めっちゃ恥ずかしいぞ、こら。
「え?な、なに言ってるの。お、お姉さんをからかうんじゃありません」
ぷいっと背中を向ける夏実さんだった……が、耳まで真っ赤だった。
「じゃ……じゃぁ、部屋へ案内するから。こ、こっち」
夏実さんは、何だか壊れたロボットみたいな動きで前を歩く。ってか、めっちゃ早足だし。
早足だったのは最初だけで、すぐに普通の速度になった。けど、無言で歩く重苦しい雰囲気に変わらず、僕は気分を解そうと軽い会話を探す。
「夏実さん」
「な、なに?」
「彼氏いますか?」
次の瞬間、夏実さんの二つに纏められた髪が派手に動いた。……ように見えるほど、派手に夏実さんは飛び上がっていた。
「な、ななななななななななな……なによ、いないわよ。わわわわわ、悪い?彼氏いないと何か悪いの?彼氏居ない暦、実年齢だと何かへ、へへへ弊害でも?」
「あ、い、いえ、すいません」
そして、店の裏……階段の手前で、夏実さんは振り返り、ジト目で僕を見る。
「何か?」
「何でもない」
夏実さんは早足に階段を駆け上がる。けど、下がお店なのに静かに上がらなくていいのかよ。
「こっちの部屋。十二畳あるから、二人でも大丈夫だよね?」
大丈夫どころか広過ぎるだろ?
「大雑把な造りでごめんねえ。二階はここと私の部屋の二間しかないんだわ。後、トイレと脱衣所兼お風呂。居間は一階のお店の奥ね」
荷物が先に来ていると言ってたけど、それは小さな段ボール箱が数個あるだけだった。後、部屋の両端にベッドが置いてあった。
「お祝いは……三人揃ってからの方がいいよね?」
「お祝いって?」
「も、引越し祝いに決まってるじゃない」
あ、そっか。引っ越し祝い……か。
「じゃ、私……お店に戻るから。あ、お昼はお店のパンを自由に選んでOKよ。今日は私のオゴリ」
そう言って夏実さんは返事も聞かずに部屋を出て行った。
「ただし、三個までね」
閉じたドアが再び開くと、それだけ告げて夏実さんはまたドアを閉じた。もうドアは開かなかった。ってか、ちょっとびっくりした。
ベッドの上で僕は手紙を読んでいた。
差出人は生徒会執行部とあった。藤堂だとばっかり思ってたのに……ってか、藤堂だったら読まずに捨ててやるのに。
手紙に書かれていたのは生徒会の人員と欠員についてだった。今回の勧誘(?)で生徒会役員の欠員も多かったので、役員を募集しているとの事だ。
が、誰が好き好んであの変態と顔を合わせたがるだろうか?ってか、役員がよくいたな。
手紙と一緒に置かれていたのは、生徒会名簿だった。
そして、僕は……手紙と名簿を交互に見比べる事になる。
学園の全生徒数は1081人だそうだ。そのうち、121人がここに堕ちて来た罪人……前世の記憶を持つ人だと言う。
他の960人は……ヒトガタ(人形)と呼ばれる存在だそうだ。
そして、学園を中心に繁栄している商店・会社などもヒトガタの経営とされているらしい。
生活に必要な物資は『橋』と通して、どこからかトラックで運ばれて来る。
名簿はヒトガタも人間……罪人もごちゃ混ぜに載せられていた。が、すぐにその判別方法に僕は気付く。
罪人は……全て生徒会執行部なのだ。そして、それに気付いたのは、生徒会執行部と書かれた写真の無い空欄の存在だった。
空欄は、71人だった。
今回の遠征で71人の犠牲が出たと藤堂は言っていたはずだ。
じゃ、残りの50人が普通の人間か。って、まて僕や真帆の名前まで登録されているじゃないか?
平時は普通の生徒として日常を送り、要請があれば遠征に出る、でいいのか?
でも、それじゃ……夏実さんも、あのおばちゃん達もヒトガタになるのか。
だが、僕には罪人と呼ばれる普通の人もヒトガタと呼ばれる存在も違いが判らなかった。
「知るかよっ」
手紙と名簿をベッドの横の段ボール箱に投げ捨てる。
見ると、部屋の隅に置かれた時計の時間が目に入る。昼は、とうに過ぎていた。
「昼飯にすっかな」
店のパンを好きに選んでいいって言ってたよな。そう言えば、昨日の夜から何も食べていなかったのを思い出した。
現金なもので食事を貰えるとなると途端に腹が鳴りやがった。
部屋を出て、やや急な階段を下りる。台所兼居間とは反対側に行く。狭い玄関で靴を履き、店の中へと出る。
店の出入り口側にしか玄関が無く、はっきり言って不便な気がする。ま、言ってもしょうがないけど。
「あ、すいません。お昼のパン貰い……!?」
レジの前の椅子に座った夏実さんがいまにも泣きそうな顔で、こっちを見ていた。
「ちょ、大丈夫ですか?」
「え?な、何が?」
「何がじゃないですよ。顔が真っ赤じゃないですか。熱でもあるんですか?」
僕は慌てて夏実さんの額に手を当てる。
「ひゃっ」
「熱は……って、めっちゃあるじゃないですか!?」
「だ、だだだだだだだ大丈夫だからっ!熱とかないからっ!」
夏実さんは僕の手を叩き、逃げるように身を小さくする。
「でも、」
「大丈夫だからっ!」
ほとんど悲鳴のような声で叫んだ。僕はその声に怯む。
「……ごめん。ほんとに、大丈夫だから。……お昼のパン?」
「はい」
自分でも分かるくらいに元気のない声だった。正直、ちょっと傷付いた。
「どれでも好きなの選んでね。……あんパンとかカレーパン、普通っぽいのが人気かなぁ」
僕はお奨めのあんパンとカレーパン、それに何かよくわかんないサンドイッチ風のパンを選んだ。
「それは私のオゴリだから。……約束だから。これ、オマケね」
夏実さんはパンを詰めた袋にコーヒー牛乳を入れてくれた。
「……本当に大丈夫ですか?」
「……ん」
下を向いたまま小さく返事をする。けれど、その仕草が少女のように可愛かった。
「居間で食べてね。……部屋で食べるとパン屑とか落ちるから」
「はい。パン、ありがとうございます」
僕は店の奥、家の玄関の方へ歩いて行く。
化粧をしてない所為か、28歳って感じに見えないんだよね。っていうか、同い年って言われても違和感無いぞ。
でも、夏実さん……本当に大丈夫なのかな?
あんなに真っ赤になって……僕の魅力にやられたか?って、無いよ。あり得ないよ。自分で言ってて寒いよ。
「はは……は。パン、食べよ」
僕は紙パックにストローを刺し、中身を飲むと……サンドイッチを取り出す。
この時代背景だとフランスのパンって珍しいんじゃないかな。
細長いパンに具材を詰め込んだサンドイッチは……はっきり言って硬かった。
必死に噛み千切り、一生懸命に咀嚼をする。食事をしてるのにカロリーを消費してる気分だった。
「つ……疲れた」
サンドイッチの半分くらいで僕は力尽きていた。ちょっと休まないと、マジで顎が凝って来たぞ。何で出来てるんだよ、このパン。
僕は何とかサンドイッチを片付け、次のカレーパンに行く前に……コーヒー牛乳で一息吐く。
しかし……ヒトガタか。
僕はカレーパンに齧り付く。あ、これはまだ柔らかいじゃん。
罪人と呼ばれる魂を持った人と、ヒトガタと呼ばれる人を模した存在。その明確な違いは僕には解らなかった。
でも、普通のパンよりは硬いよな。いや、硬いって言うより、これは餅っぽいのか?歯応えが半端無ぇぞ。
風紀委員と呼ばれた獄卒もそうだ。会話こそ一方通行な感じだったけど、僕には彼女が鬼だと言われてもピンと来ない。
カレー、美味しいな。特にこのゴロゴロっとした肉の感じが、またいいよな。
普通に可愛い女の子に見えたもんな。ちなみに僕はショートカットの女の子が好みだった。
さて、カレーパンも終わったと。最後のあんパンはかなり大きなパンだった。普通のアンパンとは違い、餡を幾層にも重ねて焼かれているようだった。
「変わってるよな」
ま、そのお陰で千切って食べるとか出来るんだけどね。
僕はあんパンを一口分だけ千切っ……千、切っ……この、くそっ、ミチミチィと引き千切る。
「何でパンを千切るだけでこんなに苦労させられなきゃなんないんだよ」
あ、美味しいじゃん。へぇ、こんな味なんだ。一切れだけでも、アンパンのようにパンに挟まれたアンが食べれ、場所に寄っては二重に重なっている場所もあり、かなりお得な感じに食べられた。
ってか、気付いたら食べちゃってた。めっちゃ顎が疲れた。
右手で顎を揉みながら、
「さて、この後はどうしようっか」
と小さく声を出して考える。
「町を案内して貰う」
と、小さな声が聞こえた。
「却下します。ってか、お店はどうしたんですか、夏実さん」
「夏姉って呼んでもいいんだよ?」
「呼びません」
意地悪だなぁ、と居間に顔を出した夏実さんの顔色はもう普通だった。
「お店は?」
「売り切れ御免?」
あ、そう言えばあんまり残ってなかったよな……って、ダメでしょ。
「売り切れたなら、次を作って下さい」
「無理だよ」
「そうですか。無理なら仕方ないですよねって言う訳ないでしょ?何で無理なんですか!?」
「だって、仕込みとかしてないし」
僕は眉間を揉みながら冷静になれと自分に命じる。
「仕込みって?」
「次のパンの準備?」
「何で疑問系なんですか!?ってか、普通は次のパンの準備とか出来てるでしょ?それで売れた分だけ補充をしていくんじゃないんですか!?」
「普段はしてるよ?」
「だから、疑問系はやめて下さ、え?」
「普段はしてるの。今日は芳樹君が来るって決まってたから、町を案内しようって思ってて……」
ぐずっと夏実さんは涙目になる。
ちょ、やべぇ。泣かないで下さい。
「いや、ちょ、待って。じゃ、案内するって決定事項なんですか?」
夏実さんは何も答えずうるうると目を潤ませる。
「だ、だったら早くそう言って下さい。だから、その……な、泣かないで下さいっ!」
「泣いてないよ」
拗ねたように夏実さんはそう言うが、その涙は零れる寸前だった。
「じゃ……じゃぁ、行きましょう」
夏実さんの泣き顔を見ないように僕は足早に居間を出る。
「待って」
「え?」
「準備とかあるから」
「じゃ、僕はお店の前で待ってますから」
僕は急いで靴を履き、玄関から店の方に出る。
あのパン独特の柔らかい匂いが包み込み。あぁ、これから僕はこの匂いに包まれて生活をするんだ。
そして、この匂いは夏実さんのイメージでもあった。
「……すり込まれちゃったか」
店を出て、振り返ると……ここが自分の家だと感じる事が出来た。
自分でも無節操だろ、と思うが……僕の中で、ここはもう自分の帰る場所だった。
きっとそれは曖昧な自身の記憶と関係しているのかも知れない。
他人のもののように感じる名前。そして……急速に薄れて行く記憶。
僕は……あの明る過ぎる闇に包まれた街で撃たれ、死んだ。それだけが僕の記憶だった。
僕は、本当に北条芳樹なのか?いや、きっと僕の名前は北条芳樹であっているんだろう。
よっきーと僕を呼んでいる夏実さんが頭に浮かび、僕は慌ててその呼び名を否定する。
「それはない。絶対にない」
「何が?」
と、夏実さんに聞かれ、僕は慌てて彼女を向き直る。
「いえ、何でもありませ……んごっ」
「んご?」
店のときとの違いは、エプロンと髪留めのスカーフだけなのに……何なんだ、このエロい身体は。
そして、僕は自分の間違いに気付かされる。セーターだと思っていたのは、薄手のカーディガンだったのだ。
いや、それはどちらでも同じ効果だっただろう。セーターでもカーディガンでも彼女の胸の膨らみを強調するのは同じだった。
店の鍵を閉め、彼女は明るく振り返る。
「じゃ、案内しよっか?でも、出島の中だけだよ?」
「え、ええ、十分ですよ」
夏実さんは横に並ぶだけで、手を組んだり繋いだりはして来なかった。
当たり前だっ!何を期待しているんだ。これはギャルゲーやエロゲーじゃないんだ。
これは健全な、
「え?」
そして、僕は……僕と夏実さんの前に立つ、あの制服を着た女生徒の姿を見る。
「風……紀委員?」
ザシャッと背後でも複数の靴音が鳴り響く。
囲まれた?でも、どうしてだ?風紀委員は風紀の乱れを監視するはずだ。僕は……夏実さんも風紀を乱してないぞ。
「な、何だよ?」
正面の風紀委員は四人になっていた。そして、左右にそれぞれ三人。背後に五人。ってか、集まり過ぎだろ!?
「藤堂四郎時貞生徒会長から通報がありました。お二人が揃ってパン屋『ブーランジェリー』を出る場合、如何わしい場所に移動をする可能性が高いので、要注意が必要である、と」
「冗談じゃねえっ!ってか、またあいつかよ!??」
「藤堂四郎時貞生徒会長は、北条芳樹の身柄の確保を最優先のミッションと告げました。……佐々木夏実は、この場……この変質者から離れて下さい」
「え?」
ジャキッと軽機関銃の銃口が、前後左右同時に僕に向けられる。と、同時に夏実さんも僕から離れて行く。
「いや、ちょっと待ってくれ。何で、どうして僕が」
「言い訳は、風紀委員の詰所で聞きます。ですので、同行して下さい」
真っ直ぐに狙いを僕に定めて風紀委員は言う。が、それってアレか、痴漢で捕まったお兄さんが無罪を主張しても無駄なアレですか?
「動かないで下さい」
軽機関銃で狙いを定めつつ、風紀委員は間合いを詰める。けど、どうしたらいい?どうすれば、僕は自分の無罪を伝えられる。
「ってか、藤堂の野郎のが変態じゃねえかっ!」
叫ぶと同時に風紀委員が四方から襲い掛かった。
チクショウ、あいつを。あいつを殺せ。殺すなら藤堂を殺せ。俺は無実だ。無実なんだぁぁぁああああ!!
僕はあっさり捕まり、後ろ手に手錠を掛けられる。
「さぁ、言い訳は我々の詰所で聞くとしよう。お前にはゆっくりと話を聞かせて貰わないとなぁ」
やたらSっぽい風紀委員が銃口で僕の頬をぐりぐりしながら言っていた。
「引っ立てろっ!……御協力、感謝する」
夏実さんにそう言い、僕を引き連れて、風紀委員はその場を立ち去る。
呆然とした夏実さんだけを残し……。ってか、商店街はちょっとした騒ぎになっていた。