scene-11
 
 
 本調子にはほど遠い身体を引きずり、僕は一人で町を彷徨っていた。いや、ほんとは行先とかちゃんと分かってるけど、気分的には彷徨ってるって感じだった。
 しかし、なんで身体がまだ治り切ってないのにこんなところを歩かされているのかと問いたい。小一時間、問い詰めたい。
 本当なら僕はまだ病院のベッドの上で優しい看護婦さんに手厚く看護をされているはずなんだ。……本当なら。
 さり気なく空に目を向け悲劇の主人公を気取るが、もちろん誰もこんな僕の姿を見てはいない。
 いや、ほんと……まさか、深夜に遊びに出ただけで病院を追い出されるとは思わなかったぜ。
 でも、五階だけ夜勤の看護婦さんが三人だったとはね。集中治療室とかあるんだから人が多くて当たり前なんだから気付けよ。ちょっと考えたらわかりそうなものなのに。
 それに、僕が五階に着いたのが、自分の腕時計で二時五十八分だったのも敗因の一つだと言える。
 ちなみに、僕の腕時計は三分二十六秒遅れていた。買って一ヶ月で三分以上の狂いが生じるのは腕時計としてはヤバイと思う。が、怪しいバッタもんの店で買った1980円の安物なので文句を言っても仕方がない。
 それはともかく、僕が五階に上がったときには、もう見回りの看護婦さんは出ていたという訳だ。
 つまり……見回りの看護婦さんがもう出ているのに、僕は嬉しそうに階段の下でナースステーションを見張っていた事になる。……馬鹿だ。
 ちなみに、三時過ぎにナースステーションを出た看護婦さんは、普通にトイレに行ったそうだ。
 ま、それだけだったら、まだ良かったんだけどね。
 僕が自分の病室に入ったのが、見回りの看護婦さんが僕が居ないの気付き、「トイレ、かな?」と思っていたときで、そこに普段着の僕が後ろから気配を殺し入って来て……何を思っていたんだろうなぁ、僕は。
 悲鳴を上げさせないように看護婦さんの口を押さえるなんて。
 いや、それはいい。間違った行動かも知れないけど、まだ許容範囲だと言えるだろう。
 だが、しかし!背後から抱き締めた看護婦さんが、護身術が趣味で、合気道の段位持ちで、常日頃から「暴漢が来たら勢いが余って殺しちゃうかも(きゃぴ)」とか言ってる人だと誰が思うだろう。
 いや、ほんと。一瞬で、これから投げられるんだと認識できる前に投げられると平衡感覚が滅茶苦茶になるって初めて知りました。
 何を言っているのか分かんないだろうけど、された僕も分かんないほどの一瞬でした。
 背中から落とされ……上下が逆さまになった世界で、見回りの看護婦さんがめっちゃいい笑顔で笑っていたのは確かです。
 投げ倒した僕の鎖骨へのサッカーボールキック&胸骨への膝落としの荒技。背後へ振り返る勢いをそのまま使った額への掌底突きで後頭部を床に打ち付けるコンビネーション。
 朦朧としながら逃げようとうつ伏せになったところに、裸締めで絞め落とされた、らしいけど……僕が憶えているのは背中に押し付けられる柔らかい二つの膨らみの感触だけだった。
 あれは何て言うか、その……柔らかかったです。
 そして、次に僕が目覚めたのは……風紀委員の詰所だった。
「何をしておるのだ、貴様は?」
 勿論、これは例のドSの発言である。
「貴様はアレか?あの嫌だ嫌だと言いながら我々に捕まえて欲しい、所謂……かまってちゃんか?」
「断じて違う」
 と僕ははっきりと言った。
 本当に違いますから。いや、ほんと勘弁して下さいって気持ちだぜ。
 ちなみに、詰所には夏実さんと真帆の二人が迎えに来てくれていた。
 二人ともすっごい怒ってたなぁ。
 何がどう捻じ曲がって伝わったのか、夜中に看護婦さんを押し倒したとかになってて……あれならまだ脱走がバレて泣かれた方がマシだったと思う。
 ってか、何で僕は二人の前で土下座で謝っちゃったんだろう。
 考えるより先に身体が動いたって感じだったけど、あれが生前の僕の生態から来るものだとしたら嫌過ぎる。
 いや、きっとアレだな。前日の宿直室での土下座を僕の身体が覚えていたんだ。つまり、女性が怒っているときは土下座に尽きる、と。ってか、それも嫌だよ。
「あぁ、空が高いなぁ」
 虚しく悲しい気持ちで空を見上げる。学校帰りの穏やかな夕方だった。
 以前より日が長くなったような気がする。いや、気がするだけで日の長さは変わっていない。
 この世界は『五月二十八日』を永遠に繰り返している。
 日が長くなったと感じる季節だから、そう感じているだけなのだろう。
 永遠に来ない夏を待ちわびている。
 そんな感じだ。
 ま、永遠に続く梅雨じゃなかっただけ、まだマシだと言えるだろうな。
 同じ学年の田中は「永遠に続く五月病だぜ?」とかふざけていたけど、今ならその気持ちも理解出来るような気がする。
 こんな憂鬱な気分のままだと、ほんと……五月病になりそうだった。
 
 
 もう日課になっている難解な補習を終えた僕は、藤堂に言われた場所を目指して延々と歩き続けて来たわけだが……ここが、そうなのか?
 古い門構えの前で僕は、その建物の様子を窺う。
 門を入ってすぐ正面には道場があり、その左手は母屋に繋がっているようだった。どちらも古そうな感じだった。
 倉って言うか土蔵とかもある。いや、倉や土蔵には縁側とか無いはずだから、あれは違うな。土蔵じゃない。あれは……離れでいいのかな?でも、古い日本家屋に詳しくない僕には、どっちが母屋なのか判らなかった。
 枯山水って言うんだっけ?古い松の木や砂庭と置石がそれっぽい雰囲気を醸し出している。道場から離れた場所に東屋もある。
 はっきり言って、敷地の広さはかなりあるようだった。ってか、お金持ちの家ですか?
 道場の入り口には『柳心流柔術道場』と墨痕淋漓と書かれた木の看板があった。
 かなりの達筆だと思われる。が、書道の心得の無い僕には漢字も分からない小学一年生が無理して書いたようにしか見えない。
 この崩して書いてあるのに、素人の僕でも字の判別ができるってのが怪しいんだよな。いや、でも……看板なんだから読めないといけないのか。そう考えると、やっぱり達筆なのか?
 ま、いつまでもここでうだうだ考えてても仕方が無いし、適当に入ってみるか。
 物珍しそうに道場の開いたままの玄関を潜る。
「ごめん下さーい」
 影に入るとやっぱり涼しいな。とか考えながら僕は声を掛ける。けど、誰も居ないのか返事がなかった。ってか、人の気配とか全然無い。
 母屋に行かないといけないのかな?
 顔をめぐらし考えるが、もう一度だけ声を掛けてみようと道場を向き直る。
「すいませーん。誰か居ませ――っ!?」
 いつの間にか僕の正面、道場の入り口から上がった板間の上に黒子が正座で座っていた。
「く、黒子???」
 しかし、反射的に口から出た言葉は目の前の黒子に否定される。
「黒子でも間違いではありませんが、正しくは黒衣(くろご)です」
 え、あれ???この声って……ってか、背格好からして間違いよな。
「それに、くろこと言う日本語は無いのですよ。黒い子と書いて『ほくろ』と読むのが正しいのです。黒子(くろこ)は当て字に誤読です。ですが、一般には黒子(くろこ)で広まっていますから、どちらでも呼び易い方で構いませんよ」
「いや、黒子……黒衣の話はどうでもいいんだけど、ってか、何であんたが先にここに着いているんだよ」
 くすり、と黒衣は笑みを隠す。ってか、その顔を隠す布の上からでも判断できる段階でお前は笑っているのを隠そうと思ってないよな?
「誰かと御間違いではないですか?」
 白々しく黒衣は聞いてくる。僕はそれに呆れながら答える。
「じゃなくて、さ。……藤堂だろ?」
 残念ながら、と黒衣は立ち上がる。
「私はあの御方とは違います。よく間違われるのですが、ね」
「いや、体系ってか背格好も同じで、声も一緒じゃんか。誰が引っ掛かるんだよ、そんな嘘」
 くすくすと顔の前に手をやって笑う。その仕草も一緒じゃねえかよ。
 黒衣はふっと息を吐き、笑みを消すと姿勢を正し深く頭を下げる。
「北条芳樹様ですね。私は……那々志と申します。まぁ、隠しても仕方がないので言ってしまいますが……藤堂様の影武者をしています」
 影、武者だって?
「いやいやいや、あり得ねえだろ?」
 顔を上げた那々志に向かって僕は言う。ってか、那々志って名無しか?
「何で影武者なんだよ。ってか違うなら顔を見せろよ。いや、それ以前に藤堂だろ?な、そうなんだろ?」
 場末の不良みたいに顔を近付けて恫喝をする。正直、かなり僕は不機嫌だった。だって、学校帰りに延々と歩かされて、待ってたのが藤堂の笑えない冗談だぜ。
「顔を御見せするのは勘弁して下さい。藤堂様の御許しがないと顔を晒せない事になっていますので。もっとも、見ても藤堂様と同じ顔ですし、見た目では私と藤堂様は区別出来ませんよ」
 何故か誇らしげに那々志は僅かに顔を上げる。
 あぁ、きっと鬱陶しいドヤ顔をしているんだろうな、こいつ。
「まぁ、いい。お前が藤堂だろうと那々志だろうとどっちでもいい。だがな、ここで何をやっているんだ?」
「勿論、小太刀の指南をする為に北条様を御待ちしていました」
 僕は腰に手を当てて大きく息を吐く。
「指南なんか必要ない。ってか、もったいぶって用件を言わずに歩かせて、理由がそれかよ」
 無駄足じゃねえかよ。
「必要じゃない、と仰れても……ふむ」
 と那々志は細い指を顎にそえる。袖の下には籠手を巻いてるのが見える。
「では、ゾンビに襲われた場合……貴方はどう対処なさいますか?」
「いや、普通に斬るだろ?」
 何だよ、頓知問答でも始めるつもりかよ。面倒臭いな。
「どこを?」
「至近距離で心臓を、だ。肋骨の隙間を縫うように刺せば一撃で殺せる」
 多分、ゾンビの速さなら両肩を捕まれた後でも余裕で殺せるはずだ。あいつらは……遅い。
「肋骨を縫うように心臓を突き刺しても……ゾンビは止まりませんよ。すでに死んでいるので、心臓は急所では無いのです」
「じゃ、頭かよ」
「それも不正解です。拳銃の銃弾なら頭蓋にヒットした際に内部の脳も破壊してくれますが、小太刀には脳を斬る事は出来ても破壊する事ができません。脳全体を切除するならともかく……小太刀では、それも不可能です」
 僕は不機嫌に顔を歪める。
「じゃぁ、延髄を斬る。脳からの指令を物理的に切り離せば動きは止まるだろう」
「ゾンビの背後に回って?向かって来るゾンビの背後を取るのに、貴方は何手必要になるのでしょうか?それに、よしんば背後を取れたとしてゾンビが複数いればどうします?」
「だったら、お前ならどうするってんだよ。拳銃が無くなった段階でもう無理ゲーだろ、それ」
 那々志は僅かに顔を下に向け、僕の学生鞄を見る。
「小太刀はそこに?」
「小太刀ってか大降りのナイフって感じだけどな」
 僕は鞄からナイフを取り出す。
 黒衣はナイフを受け取り、自分の肘で長さを測り、手に取ってその重さを見ているようだった。
 ちなみに、ナイフの刃渡りは僕の手首から肘までの長さがある。それに手の平の長さの握りがある。ナイフとしてはかなり大振りだ。
「これだけの長さがあるのなら……先ず、口を攻撃するのがいいでしょうね。顔の横、口の延長線上に刃を当て、頭蓋と下顎骨の合わせ目を砕くのがいいでしょう」
 ちなみに、と那々志は話を続ける。
「顎には腱がありませんので、ちゃんと骨を砕くつもりで刃を当てないとと刃毀れの原因になります」
 両手でナイフを持ち、那々志は目線の高さに構える。
「私の流派では、それを『刃を挫く』と表現しています」
 刃を持ち替え、僕にナイフを手渡しながら那々志は言う。
「それに、この重さと長さなら普通に使っていても挫くことになるでしょうね」
「え?」
 半歩だけ後ろに下がり、
「やはり指南は必要かと思われます。が、どうなさるかは貴方の自由です」
 静かに那々志は目を伏せる。ってか、その自由が僕には無さそうなんだけど?きっとここで断れば藤堂に後で付け回されるんだろうなぁ。
 それにまだ家には帰りたくないんだよね。もう誤解は無いと思うんだけど、夏実さんと真帆の目付きがなぁ……誤解はしてないと言いながら、どこか信用されてないって言うか、居心地が悪いんだよね。
「分かったよ。指南をお願いするよ」
 僕が諦めたよう言うと那々志は嬉しそうに顔を上げる。
「有り難う御座います。やはりその小太刀を武器に使うなら最低限の扱い方を知っておいても良いでしょう」
 ささ、どうぞ。と那々志は道場へと僕を案内した。
 
 
 道場で僕はナイフの使い方の基本を教わる。
 
 曰く、太刀でも小太刀でも刃を立てた状態が最も頑丈である。逆に刃を寝かせた状態……つまり、刃の横からの衝撃には脆くなる。また、一番速いのも刃を立てた状態である。
 最速、最硬、この二つが太刀を使う基本である。
 
「でも言うが易しってのと同じで、それは理想論じゃないのか?」
「そうですね。理想です、が……それを普段の戦闘でする必要があるのです。替えの刃は存在しない戦場で、刃を挫く事無く渡り合わなければいけません」
 ま、確かにゾンビ相手にしてたら替えの刀なんか手に入らないよな。ってか、僕以外に刃とか使っている人はいないだろうし。
「最低限の手数で勝つ。それを多人数でも可能とする。正に、達人の技が求められるのです」
 達人……。そういや前に藤堂が自分は達人並だとか何とか嘯いてたが、それってやっぱこれくらいはできるって事なんだろうなぁ。
 で、と那々志は口調を明るいものに変える。
「そこに辿り着く一番手っ取り早いのが、戦闘を繰り返し慣れて頂く事なのです」
 那々志は懐から一本の扇子を出し、それを僕との間に置く。
「これを使い、仕合って頂こうと思います」
「扇子で?」
 手に取って、僕はその重さに驚く。
「鉄扇です。普通は親骨だけが鉄なのですが、これは全ての骨が鉄で出来てる物です」
 僕は手の中で鉄扇を開く。さすがに紙は普通の和紙のようだった。が、広げると結構な大きさがあった。
「元々は護身用として使われていた物で、扇を閉じた状態で使うのです」
 確かに、これなら護身用に使えるだろうな。僕は扇子を閉じて、それを軽く振る。ってか、こんなので殴られたら骨とか砕けるだろ!
「ですが、今回はそれを開いた状態で使って貰います」
「は?」
「ですから、開いた状態で用い、仕合って頂きます」
「いや、分かってるからってか、それ情報量は何も変わってないよな?」
 もう一度扇子を開き、僕はそれを向きを変えずに上下左右に振ってみる。扇の縦横でかなり空気の抵抗に違いがある。
 確かにこれなら刃を立てて使ういい練習になるだろう。けど、
「鉄扇で殴っても大丈夫なのかよ」
 僕は眉間に縦皺を入れて那々志を見る。
「問題ないですよ。それにあなた如きに殴られるようでは彼女も修行不足なのです」
「如きって……。え?彼女???」
「はい。彼女、です」
 那々志は顔を上げて道場の入り口に目を向ける。
「あれ、お師匠様、お客様ですか?珍しいですね」
 そこには砕けた感じの口調の少女が立っていた。おかっぱの髪と涼しげな目をした少女……って、その姿は忘れもしない。僕が病院から追い出される原因になった、昨日の夜に僕をボコボコにした看護婦さんだった。
「いや、ちょっ、待て待て待て」
 僕は小さく呟きながら那々志に詰め寄る。
 彼女は僕が誰なのか気付いていないのか持っていた買い物袋を道場の隅に置いている。
「いいのかよ?彼女はヒトガタだろう」
 声を潜める僕の態度とは裏腹に那々志は平然と答える。
「いいえ。彼女は人間ですよ。またどうして彼女をヒトガタだと思ったんですか?」
 へ?
「……いや、だってあの子は学園の生徒じゃないだろ」
「もしかして、学園には普通科と看護科があるのを知らないんですか?」
 看護科って?
 僕の疑問を読んだかのように那々志は説明を始める。
「看護科と言うのは看護士になる為の勉強をする学科で」
「いや、学科の名称の意味は理解している。ってか、看護科なんかあったのか?」
 僕は彼女を見ながら聞いた。
「はい。普通科の校舎とやや離れた場所になりますが」
 聞いてないぞ、そんな話。
「学園がまだ寺子屋と呼ばれていた時代から看護と商業の習熟を目的とした場所があったのです。当時は出島海軍伝習所とか出島英語伝習所と呼ばれていました」
「なぜ海軍?」
「初期の看護科では軍艦の操縦も教えていましたからね。ちなみに、英語と名前にありますがドイツ語オランダ語ラテン語も教えられていました」
 軍艦って、確かに海に囲まれているけど……ってか、ここって海の向こうってどうなってるんだ?
「遠野さん、こちらに」
 と那々志は彼女を呼ぶ。
 呼ばれた彼女はちょこんと僕の向かいに座る。仕草がどことなく子供っぽい気がした。
「遠野小春さんです」
「遠野小春です」
「北条芳樹です」
 深々と頭を下げる彼女とは違い、僕は軽く会釈をする。っていうか、自分を半殺しにした女に頭を下げる気になれなかった。実際、あの連続技は死んでてもおかしくなかったはずだ。
「北条?」
 と小春は顔を上げる。
「……げっ」
 言いながら小春の顔色が変わる。文字通り、青くなった。
 まるで化け物を見た後のような反応だった。
「小春さんはこれから当分はこの北条さんの稽古に付き合って貰います」
「え、いや……それって、って無理無理無理無理無理無理っ!!!!」
 小春は派手に立ち上がり無理を連発する。
「こんな化け物の相手なんか無理ですって、師匠はウチに死ねって言うんですか!?」
 誰が化け物だよ。
 小春は立ち上がり僕を指差す。
「こいつ、首の骨をへし折っても生きてるんですよ。いや、よしんば生きてても全治三か月のダメージはあったはずなのに、もう普通に生活してるんですよ。昨日ですよ。あたし、間違いなく、殺しちゃったはずなんですよ」
「大丈夫ですよ」
 にこやかに那々志が言う。
「大丈夫じゃないですよ。なんで生きてるんですか?なんで生きてられるんですか?鎖骨を折って胸骨を踏み砕いて頭蓋を割って首をへし折ったんですよ?昨日夜勤で襲われて反射的に殺しちゃって風紀委員呼んだら御咎めなしで理由がこいつが無傷だからって言われて何が何だかわかんなくて早々に寮に帰らされて夕方になって出て来たら昨日の化物と仕合えって」
 小春は大き目に涙を浮かべて懇願した。
「師匠はあたしに死ねって言いたいんですか?」
「勿論、そんなつもりはありませんよ。まぁ、腰を下ろしなさい」
 那々志は小春が腰を下ろすのを待ち、落ち着いた感じで話し出す。
「先ずは、鎖骨を折られ、胸骨を砕かれ、頭蓋を割られ、首をへし折られ、何故未だに生きているのか、ですね?」
 こくん、と小春は無言で頷く。
 確かに、それは僕も気になる。
「看護の担当ではなかった貴女は知らなくて当然ですが……北条氏は第五頸椎を粉砕骨折して入院していたのです」
「マジかよ」
 口を挿むまいと思っていたが、反射的に声に出てしまった。首の骨の粉砕骨折って即死じゃないのか?
「それでも息があったんでしょうね……保護されるまでは、ですが」
「じゃぁ……」
「はい。保護されたときには全ての生命活動が停止していたそうです。が、彼はこの出島に保護をされた。この意味は分かりますね」
「償える罪がまだある、ですか?」
 小春が小さく呟く。が、那々志はそれには答えず会話を先に進める。
「医療班に回された彼は頸椎の移植手術が施されました。ドナーには……風紀委員の、獄卒の予備のパーツが使われました」
 一瞬だけ僕の反応を見るように那々志は目を向ける。
「それと同じくして胃部の移植も行われました。胃及び十二指腸など内臓が破裂していましたからね。勿論、手術中には輸血も為されます」
 こくり、と小さく小春の喉が動く。
「貴女がへし折った首の骨は移植された獄卒のものだったのですよ。獄卒の再生能力は知ってますね」
「トカゲのしっぽ並かプラナリアくらい、ですか」
 くすり、と那々志は薄く笑う。
「砕かれた胸骨や鎖骨も獄卒の再生能力で説明が付くでしょう。何しろ、北条氏の血液の大半はもう獄卒のものですからね」
「じゃぁ、この人は……」
 おずおずと視線を僕に向け小春は言う。
「人間プラナリアですか?」
「ケンカ売ってんのか、手前ぇ!!!」
 僕は片膝を立て叫ぶ。
「いや、そこまでの再生能力はないでしょう。ただ怪我の治りが格段に早い程度でしょうね」
 ですから、と手を打って那々志がにこやかに言う。
「遠慮は無用ですよ。何を、どんな技を使ってもOKの完全無欠の無礼講です。……どうですか、小春さん」
「殺しても死なない、身体」
 じっと下を向いて小春は考える。ってか、なんか物騒な事を考えてるっぽいな。
「再生能力は……昨日、御自分で確かめていますよね?」
 暫し考えた後、小春は白々しく目線を外して言う。
「そ、その……師匠がどうしてもっていうなら、考えないでもないです、よ?」
「どうしても、です」
「じゃ、じゃぁ、しょうがないなぁ。師匠がそこまで言うなら仕方がないから、やっちゃおうかな」
「小春さん、御願いします」
 立ち上がりながら小春は答える。
「はいはい。もうお師匠様は人使いが荒いなぁ」
 そして、小春はその目を僕に向ける。飢えた肉食獣の目を。
 冗談じゃねえぞ。こんな凶暴な女の相手なんかしてられっかよ。
 と、僕は思うが小春はもう道場の真ん中の方に足を向けている。
 僕はちらって那々志を見る。と、那々志が小さく頷く。
 ダメだ。こいつら僕を無事に帰す気がないようだ。ってか、ぶっちゃけ殺す気満々じゃねえか。
 早々に帰らせて貰おうと僕は真剣に考える。
 やる気もなく面倒臭そうに僕は立ち上がり、小春の正面に向かう。
 僕は涎の垂らさんばかりの小春の前に立ち、扇子を静かに開く。
「では、先ずは一本――」
 
 トン。
 
 と、小春の胸の間に扇子を当てる。
「一本だろ?」
「え?」
 扇子を閉じて僕を言う。
「一本は取ったぜ。これでもう帰ってもいいんだろ。それともアレか?始まりの合図もまだなのに卑怯だとか言うつもりか?まさか古流武術の道場でそれは言わないよな?」
 小春は呆気に取られていたが、状況に脳が追い付いたのか、顔を真っ赤にして震えていた。ってか、半泣きじゃん。
「勿論、言うつもりはありません。が、先ずは一本で、その後に三本勝負をして頂きます。正し、小春さんの方には制限を付けません」
「弟子は何本取られても一緒ってか?」
 って言うか、あんたの弟子は声を殺して泣き出してるぞ。きっと師匠の前で恥を掻かされたとか思ってるんだろうな。しかも、師匠も子供扱いしてるしな。
「は?何を言っているのですか?何本取られても同じなのは貴方の方ですよ。確かに彼女には油断がありました。が、もうその心配はないでしょう」
 那々志は静かに立ち上がる。
「今日はもう貴方は一本も取れないでしょう。遠野小春に貴方は勝てない。……さて、私は席を外していますので。師匠の目があると使えない技もあるでしょうからね」
「いや、ちょっと待てよ。一本が三本て、それこそ卑怯じゃないのか?」
「人の話を最後まで聞かないからですよ。それにそんな油断だらけで大丈夫ですか?もう始まっているんでしょう?」
 小春を見ると、彼女は男らしく涙を拭い、姿勢を正す。
「着替えろ。制服のままでは動きにくいだろう。道着はそこの部屋に予備がある」
「いいよ。お前は課外授業に出るのにわざわざ道着に着替えるのかよ」
「受け身が取り辛いだろうから言ってるんだけだ。それに……破れた制服で帰りたくないだろう。なんなら私も着替えてやろう」
 ……変なスイッチが入ったか?なんか口調まで変わってるし。って躊躇わず背中を向けやがった。
「男の更衣室はこの隣だ。さっさと着替えろ」
 タン、と小春の姿は戸の向こうに消える。ってか、いつの間にか那々志の姿も消えていた。
 しかし……マジで油断は消えたっぽいな、あの女。
 全く勝てる気がしないんだが?っていうか、このまま帰っちゃうのはありなんだろうか?誰も見てないっぽいし。
 ま、やめた方が良さそうだけどね。
 それよりも一本も取れないって宣言されたのが気に入らないな。意地でも取りたくなるじゃんか。
 僕は小さく息を吐き、着替えをする為に更衣室へと足を向けた。
 しかし、これで間違えたとか言って女子更衣室に突入したら……間違いなく殺されるんだろうな。
 
 
 くそっ!くそ、くそ、くそ、くそ、くそったれがっ!!!
 涼しげな顔のまま僕は心の中で悪態を吐きまくってた。ってか、なんでこんなに天気がいいんだよっ!
 学園が近付くにつれ学生の数が徐々に増えていく通学路。
 昨日は転校生の保護の日、別名『課外授業』の日だった。が、僕は自宅謹慎を言い渡されていた。
 理由は……遠野小春に一本も取れていないからだった。
 半月間、転がされまくったのがこの僕だった。
 一晩で身体の傷は癒えるけど、半月で精神の傷は増え続けたぞ。
 ちなみに、この半月間で最初の卑怯臭い一本だけが僕が取れた全てである。
 あんなものは数の内に入れてたまるかっ!僕は実力で遠野小春を倒す。押し倒して泣くまでお尻を叩いてやる。
「ふっふっふっ」
 心の声が周囲に聞こえないのをいい事に僕は危ない妄想を繰り広げる。が、実際は彼女の髪の毛を乱す事もできないんだよね。
 打・極・投の投だけで僕はあしらわれていた。しかも、どんな技なのか知らないけど触れられてもいないのに投げられてるときがあるんだよね。
 一度なんか扇子を投げて怯ませようとしたら、投げた瞬間、僕は仰向けた倒されいたんだぞ。
 しかも、「ゾンビに対して唯一の武器である小太刀を投げるのは悪手です」と来たもんだ。
 僕が倒したいのはゾンビじゃなくてお前だっつの!!
 しかし、腹が立つ。何が「投げだけで対処できなくなれば打撃技を使いましょう」だ。
 あんなのに勝てるわけがねえだろ。どっちが化物だよ。拳銃持ってたって勝てる気がしねえよ。
 生徒の数がかなり増えて来たな。ってか、正門が見えてんだし当たり前か。この状況で周りに生徒がいなかったら遅刻しか考えられないから逆に焦るけどね。
 しっかし、今日はヒトガタばっかなんだよな。普通の生徒はまだ出島に帰ってないか、帰って来てても休みだもんな。……いいよな、休み。
 そういや最近は島外からの帰還が遅くなる事が多いって藤堂が言ってたな。ま、僕には関係ないけどね。
「おっはよ!」
 思いっ切り後頭部を叩かれた。久しぶりの感覚だった。
「え?」
「まだ寝てるの?しっかり起きてろよ。それでなくても万年補習ばっかなんだから」
 そこには正門の前で振り返り明るく笑う佐倉の姿があった。
 僕は何も考えられずにその場に立ち止まる。何かがどこかで崩れそうになる。理解できないまま、どこかに崩れ去りそうになる。
「佐、倉?」
「ん?どしたい?」
 笑顔のまま僕の様子を不審に思っているのだろう、佐倉は人懐っこい笑顔のまま首を傾げている。
 その佐倉の姿とあの日、体育館の横に捨てられていた無残な姿が重なる。あれは……夢?
 違う!佐倉は死んだ。真っ二つにされて死んでいた。
 じゃ、それじゃ、こいつは?
 反射的にヒトガタだと僕は理解していた。ヒトガタ以外にあり得ない、と。
 でも、だけど……なんで、佐倉なんだ?
 目の前の現実に対処できないまま僕の脳は正解を導き出そうとする。
 昨日の課外授業の結果、転入生の数を含んでも生徒の総数が足りなくなったからヒトガタで補充をした?
 多分、そんなところだろう。
 が、どうして、佐倉である必要があるんだ?
「北条くん?」
「やめろっ!!!!」
 反射的に僕は叫んでいた。
「佐倉の声で僕の名を呼ぶなっ!あいつの目で僕を見るなっ!」
 違う、違う違う、違う違う違う違うちおがうちががが。くそっ!落ち着け、冷静になれ。
「北条君、大丈夫?」
 佐倉が僕に近付くのを見て、僕は派手に後退る。
 そして、気付く。僕の周りの人が、ヒトガタ達が奇異の目を向け、立ち止まっている事に。
 こいつらもそうなのか?
 この佐倉と同じどこかで死んだ人間を素に作られているのか?
「めっちゃ汗かいてるじゃん。平気なの?」
 佐倉が詰め寄り僕の頬に指先で触れる――瞬間、僕はその手を振り払っていた。
「あ……ご、ごめん」
 佐倉は泣きそうな顔で指先を戻す。が、そんな顔をするな。お前じゃないだろ。僕に優しかったのは『あの佐倉』だろ。
 僕はこの場にいる佐倉に背を向ける。
「え、ちょっ……どこにいくのよ。学校、こっちだよ」
 もう何も聞きたくなかった。誰の声も聞きたくなかった。
 僕が会いたいのはお前がじゃない。僕が居なきゃいけないのは、お前らの居る場所じゃないんだ。
 人とヒトガタ。どこが違うのか僕にはわからない。だからこそ、やっちゃいけない事だってあるはずだ。
 僕は……許さない。
 誰か、何かはわからないけど、僕は絶対に許さない。
 佐倉は死んだんだ。あいつに殺されたんだ。死んだ者は生き返らないんだ。生き返っちゃ、いけないんだ。
 死者を弄ぶな。死者を弄ぶんじゃない。死者を……弄ばないでくれ。