おばあちゃんのヨーグルトん。
 
 
 猫の肉球を押すと爪が出る。んで、出た爪の長さを手に持った定規で測る。
「むぅ。このつめのするどさはほんものだぜ」
 縁側で転がりながらショーコちゃんは言います。
 とても暑い日の午後の事です。
 お昼ご飯に素麺を食べ、そのまま縁側まで転がり、寝ていた猫の足を捕まえたのです。
 猫も慣れたもので「もう勝手にしなよ」と寝ています。
 それにここは扇風機が当たるので涼しいのです。
 四本の足の爪を測り終ったショーコちゃんは、次の猫のひげを測りだします。
「むむ。このひげはあれだ。……あの、ひげだ」
 扇風機の風に揺れる猫のひげは、ちょっと測りにくかったです。
 
 
「ショーコ、お遣いに行ってくれるー」
 家の奥からお母さんの声がしました。と、同時にショーコちゃんは力尽きたように倒れました。
 死んだふりです。
 あの声は台所からのようなので、縁側に来るまで距離があります。
 だから、寝たふりです。あ、死んだふりです。
「ショーコ」
 いつの間にかお母さんは縁側まで来てました。
 お母さんは足音をさせないので油断ができません。
「あれ、寝ちゃってる……はずないよね?」
 ひっさつのしんだふりがばれてる!?
 何かヤバい汗が出てくるショーコちゃんでした。
 いや、このわざはかんぺきなはず。
「タマの肉球をふにふにしながら寝てるわけないよね?」
 はっ!しまった。
 慌てて肉球を離すショーコちゃんです。
「おばあちゃんとこに牛乳、貰って来てくれる」
 おばあちゃんの家は牧場をしていています。でも、片道に二時間近く掛かります。
 ショーコちゃんは頭の中で計算します。
 今が一時過ぎで、往復で……片道二時間におばあちゃんのとこで休憩して、
「かえってくるのがまよなかになる!」
「何でよ。あんたの足なら五時までに帰って来れるでしょ」
 あれ?とショーコちゃんは首を傾げます。
「んじゃ、ちゃっちゃと行って来て。それとも」
「それとも?」
「夕方まで、みっちり宿題する?あんた、まだ夏休みの宿題終わってないでしょ」 
「おつかいにいかせてもらいます。ははうえさま」
 三つ指を着いてショーコちゃんは頭を下げます。
 そうと決まれば善は急げです。
「あ、行くときに空の持って行ってね」
「は〜い」
 台所で買い物かごに空のプラスチックのビンを入れます。
 スピード競技のような速さです。
「ふっ、これはみっしょんいんぽっしぶるだぜ」
 玄関で靴を履きながらショーコちゃんは呟きます。
「何でそうなるのよ。あんたインポッシブルの意味を知ってる?」
「……かんせい?」
「それだったらミッション・コンプリートになるでしょ。も、早く行っといで」
「は〜い。行ってきまーす!」
 
 
 緑いっぱいの山の中をショーコちゃんは走ります。
 もちろん全力疾走です。
「おらおらおらおらどけどけどけぇえ!!」
 どけと言ってもどくようなものはいません。そもそも何にも無い田舎なのですから。
 しばらく走るとショーコちゃんの走りに限界が来ました。
「ぜひゅう、ぜ、ひゅう。ぜ、ぜ、ひゅう」
 駆け足の速度は落ちましたが、まだまだ走るのをやめません。
「ま、まだほんきになって……ないだけ、だからったぁぁ!!」
 どがががっと駆け出しました。
 でも、また限界が来ました。
「おぉぅ、じーざす、くらいす、とすーぱー、さいえんす」
 もう何を言ってるのかわかりません。
 でも、まだ走るのをやめません。
 そうです。ショーコちゃんの走り方の秘密がこれなのです。
 全力で走る→軽い駆け足→全力で走る。を繰り返すのです。
「おれたち、の……戦い、はこれから、だったぁぁあああ!!!!」
 どこまでもショーコちゃんは走り続けます。
 
 
 そうこうする内におばあちゃんの牧場に着きました。
「こんにちはぁ」
「あらあらいらっしゃい。早かったわね」
 おばあちゃんに空のビンの入った買い物かごを渡します。
「牛乳、美味しかったです。おかわり!」
「はいはい。新しい牛乳ね」
 見ると食卓の上に新しい牛乳がもう出ています。
 でも、何かが違います。
 どこがちがうんだろ?
「あれ、これが気になるの?」
「うん。いつものとちがういれものだよね」
「うふふふ。そうね。違うわね」
 おばあさんは嬉しそうに笑いました。
「じゃぁ、この牛乳を入れましょうか?」
「うん!」
 牛乳を入れて貰ったショーコちゃんは、おばあちゃんとお菓子を食べて楽しくおしゃべりをしました。
 カステラとお煎餅と牛乳は美味しかったです。
 特に牛乳はフルーツ牛乳でした。甘酸っぱい初恋の味です。
「はっ!しまった。もうかえらないと、まよなかをすぎてしまう。ごぜんさまになるとおかあさんがおにに、にににに」
 鬼になったお母さんを思い出し、ショーコちゃんはガクガクと震えます。
「あらあら。じゃあ早く帰らないとね」
「うん。おばあちゃん、ごちそうさまでした。じゃ、またくるね」
 大急ぎで靴を履きます。
「あ、ショーコちゃん」
 おばあちゃんがショーコちゃんを呼び止めます。
「東の道は通っちゃダメだよ。最近、性質の悪い狐が出るって噂だからね」
 ショーコちゃんの家に帰るのに東の道は遠回りになります。
 わざわざ言われなくても用もないのに通りません。
「うん。わかった」
 ショーコちゃんは走り出しました。
 
 
 そして、ショーコちゃんの前に分かれ道がありました。
 左に進めば真っ直ぐに帰る道です。
 右に進めば……東の回り道です。
 わるいきつねがでるって、わるものなのかな?
 どんなだろ?こわいのかな?
 でも、おばあちゃんはとおっちゃだめだっていってた。
 そう。いってた。
 でもでも、おかあさんはあたしをへそまがりだっていってた。
 へそまがりは、あべこべのことをするらしい。
 あたしにとおっちゃいけないっていうことは……とおりなさいってことかっ!
 ショーコちゃんは東の道を全力で走り出しました。
 
 
 東の道を少し行くと原っぱに出ます。
 その原っぱに双子の男の子がいました。同じ顔で、体格も同じです。
 ショーコちゃんは立ち止まり、じっと双子を見ます。
「なんだよ」
「きみ、ふたご?」
「ちがうよ」
 男の子は交互に言います。
「じゃ、きょうだい?」
「ちがうよ」
「うそ。おなじかおじゃん」
「そうだね。おなじだね」
「でも、ちがうよ」
「じゃ、しんせきかなにか?」
「ちがう」
「ちがうね」
 じっと考えて、ショーコちゃんは聞きました。
「……きつね、なの?」
「どっちが?」
「どっちがきつねにみえる」
 ショーコちゃんは右の方にいる子を指差しました。
「そっち。そっちのこがきつねだ」
「はずれ」
「ざ〜んねん」
「じゃ、こっちのこ?」
「はずれだね」
「ぜんぜん、まとはずれだね」
 じゃ、どっちもきつねじゃないのか。
「せいかい、しりたい?」
「うぅん。きょうみない」
「ええ、どうしてさ」
「だって、どっちもきつねじゃないんでしょ」
 ショーコちゃんの言葉を聞き、二人の男の子はにんまりと笑いました。
「やっぱり」
「このていどなんだね」
「なにがよっ。なにがいいたいのよ」
 二人の男の子は声をそろえて言いました。
「「せいかいは……どっちもきつねでしたぁぁああ!!!」」
 ど〜んと大きな音がして二人の男の子の姿はお化けに変わります。
 大きな牛の頭の鬼と大きな馬の頭の鬼に。
 ショーコちゃんはぽか〜んと見ています。
「どうだ。牛頭だぞぉ!」
「どうだ。馬頭だぞぉ!」
 ショーコちゃんは首を傾げ、ぽつりと言います。
「……なに、それ?」
 え?
「いや、牛頭馬頭って知らない?」
「牛頭馬頭、知ってるよね?」
 ショーコちゃんは大きく頭を振ります。
「しらない」
「……ちょっと待ってね」
 牛の頭と馬の頭は背中を向けて作戦会議です。
 どうするよ、牛頭馬頭知らないって。
 もう最近の子は知らないのかなぁ?
 時代なのかな?って、どうするよ。
 でも、また化けて知らなかったらどうするよ。
「ねえねえ。じゃ、もっとちいさいのにばけてよ。ねずみとか」
「やだね。ネズミに化けたら踏み潰す気だろ」
「そ、そんなことしないよ?」
「どっち見て喋ってんだよ」
 それよりどうする?
 二回っていうか、連続は不味いと思うんだ。
 確かに、連続は不味いな。
 だから、リクエストしてみようぜ。
 ネズミか?
 いや、ネズミじゃなくて、もっとこうでかくて格好良いのをさ。
「なぁ、じゃあ何が怖い?」
「……まんじゅう?」
「じゃなくて、何か妖怪で怖くて格好良いの!」
 ちゅうもんのおおいきつねだ。
「じゃ、てんぐ」
「よし、天狗だな」
「わかった。天狗だね」
 ど〜んと変身して、二人は思い出しました。
 山は天狗のテリトリーで、そこで天狗に化けるということは……
「こらぁぁあ!!天狗に化けるとは何事じゃぁぁあああ!!!」
 大きな旋風が起こり、化け天狗とショーコちゃんは空に巻き上げられました。
「きゃぁぁああああ」
「うわぁぁおあああ」
「ひょぉぉおおおお」
 そして、そっと地面に下ろしてくれました。
「化けて人間を脅かすのはいいが、天狗に化けたらいかんぞぃ」
 葉っぱの扇を持った天狗が空に浮かんでいました。
「すっげぇ、ほんものだ」
 ショーコちゃんは驚きました。
「すみませ〜ん」
「ごめんなさい」
 狐は最初の子供の姿に戻っています。
「ね、ね。もいっかい。もういっかい、さっきのびゅ〜んてのやってよ」
「な!?」
「あ、いいな」
「ぼくもぼくも」
 やってーやってーと大騒ぎです。
「やっかましいわっ!!」
 旋風でびゅ〜んです。そして、ふわっと下ろしてくれます。
 意外と優しい天狗さんです。
「ほれ、これならどうじゃ!」
 どぎゅるぎゅる〜ん。上下左右滅茶苦茶に振り回されます。
「うははははは。これならどうじゃぃ」
「あははははは」
「目が回る〜」
「……気持ち悪い」
 天狗と二匹の子ぎつね、それにショーコちゃんは時間を忘れて遊びました。
 
 
 いや、マジで時間を忘れて遊んでました。
「ちゃうねん。これは、その……ちゃうねん」
 ショーコちゃんは走ります。本気の全力疾走です。
「たっだいまぁぁああっ!」
「もう遅かったじゃない。どっかで寄り道でもしてたんでしょ」
「て、てんぐがおってん。ばけぎつねもにひき」
 ショーコちゃんの説明をお母さんは無視です。さすがのスルースキルです。
 お母さんはショーコちゃんから買い物かごを受け取ります。
「きゃぁぁああああっ!?」
 うるさいな、もう。
「なにこれ?なんなの??」
 お母さんが買い物かごから出した牛乳は白い塊になってました。
「なに、それ?」
 おばあちゃんの家で見たときは普通の牛乳でした。
 いったい何があったのでしょう。
 でも、どこかで見たような。とショーコちゃんは蓋を外してクンクンと匂いを嗅ぎます。
「あれ、これって」
 と、少しだけ指ですくってみます。
 それをパクッと食べます。
「ちょっとやめ」
「これ、よーぐるとだよ」
「え?」
 おばあちゃんの牛乳はいつの間にかヨーグルトに変わってました。
 でも、確かに牛乳をビンに詰めるのをショーコちゃんは見ました。
 それがどうしてヨーグルトに変わっているのでしょうか?
「もうどうするのよ。シチューの材料切っちゃったのに」
「え?シチュー??」
 おばあちゃんの牛乳を使ったホワイトシチューはショーコちゃんの大好物です。
「よ、よーぐるとでしちゅ−はふかのうですか?」
「出来るわけないでしょ。もうどうしよう」
 お母さんは座り込んでヨーグルトの容器を抱きしめています
「おわった。おれのじんせい、いま、おわった」
 その横にショーコちゃんも崩れ落ちます。
 
 
 その日の晩御飯は、肉じゃがでした。ただし、鶏肉の。
 それとサラダにお味噌汁と……クロワッサン。
「せめてごはんはしろごはんにしてよ」
「なに、文句あるの?」
「ありません。いただきま〜す」
 クロワッサン、美味しい。サラダ、美味しい。お味噌汁、美味しい。
 肉じゃが、美味しい。けれど、鶏肉が微妙。
 っていうか、ひとつずつはおいしいのにいっしょにたべると……なんともいえないあじわいです。
 お父さんは寡黙に食べています。眉一つ動かさず、いつものお父さんです。
 ふつうはもんくのひとつもでるだろ?っていうか、とうちゃんかっこいいぜ。
 お母さんは文句を言っています。
 いつものおかあさんです。にぎやかです。
 
 
 ご飯の後、お風呂も終わり、ショーコちゃんは猫のタマと縁側で月を見ています。
 手には、おばあちゃんのヨーグルトが入った器があります。
 おばあちゃんのヨーグルトは、甘くて、酸っぱくて、ちょっと大人の味がしました。
 
 
 
 
                                     終わり