おばあちゃんのヨーグルト。2.01

 
 夏休みの午後は暑いです。
 縁側で転がりながらショーコちゃんは扇風機が運ぶ風に笑みを浮かべます。
 頭を優しく撫ぜるようにタマのしっぽが髪に触れ、それが心地良く、静かに目を閉じる。
 
 
「ショーコ、お遣い行ってくれるー」
 家の奥からお母さんの声がして、ビクッとしてショーコちゃん大きな目を開きます。
 ですが、慌てて目を閉じます。
 あの声は台所からのようなので、縁側まで来るのに距離があるはずです。
 だから、寝たふりをします。
「ショーコ?」
 いつの間にかお母さんは縁側まで来てました。
 お母さんは足音をさせないので油断ができません。
「あれ、寝ちゃってる……はずないよね?」
 お母さんは静かにショーコちゃんをじっと見ています。
 嫌な汗を感じながら、ショーコちゃんは寝たふりを続けます。
「寝てるんだったら……どうして、タマのしっぽを握ってるのかしら?」
 慌ててしっぽを離すショーコちゃんです。
「おばあちゃんとこに牛乳、貰って来てくれる」
 おばあちゃんの家は牧場をしています。でも、片道に二時間近く掛かります。
 ショーコちゃんは頭の中で計算します。
 夕方のテレビの時間にギリギリです。
「いま出たら、あんたの足なら五時までに帰れるでしょ」
 ショーコちゃんの考えを読んだようにお母さんは言います。
 確かに、ショーコちゃんの足なら走れば間に合うでしょう。
 ただし、寄り道を全くしなければ、です。
「んじゃ、ちゃっちゃと行って来て。それとも……」
 お母さんが変に間を空けるので、ショーコちゃんは目を開いてお母さんを見ます。
「それとも?」
「夕方まで、みっちり宿題する?あんた、まだ夏休みの宿題終わってないでしょ」
 お母さんの言葉を聞き、ショーコちゃんは頬を膨らませます。
 髪を撫ぜるタマのしっぽを鬱陶しそうに払います。
 
 
 午後の風が流れる山の中をショーコちゃんは歩いています。
 家を出てすぐに拾った木の棒が手にあります。
 夏の風が頭上の竹をカラカラと鳴らしています。
 
 
 そうこうする内におばあちゃんの牧場に着きました。
「こんにちはぁ」
「あらあらいらっしゃい。早かったわね」
 おばあちゃんに空のビンの入った買い物かごを渡します。
「牛乳、美味しかったです。おかわり!」
「はいはい。新しい牛乳ね」
 見ると食卓の上に新しい牛乳がもう出ています。
 でも、何かが違います。
「あらら、これが気になるの?」
「うん。いつものと違う入れ物だよね」
「うふふふ。そうね。違うわね」
 おばあさんは嬉しそうに笑いました。
「じゃぁ、この牛乳を入れましょうか?」
「うん!」
 牛乳を入れて貰ったショーコちゃんは、おばあちゃんとお菓子を食べて楽しくおしゃべりをしました。
 カステラとお煎餅と牛乳は美味しかったです。
 特に牛乳はフルーツ牛乳でした。甘酸っぱい初恋の味です。
「あっ、もうかえらないと!アニメの時間に間に合わない」
「あらあら。じゃあ早く帰らないとね」
「うん。おばあちゃん、ごちそうさまでした。じゃ、また来るね」
 大急ぎで靴を履きます。
「あ、ショーコちゃん」
 おばあちゃんがショーコちゃんを呼び止めます。
「東の道は通っちゃダメだよ。最近、性質の悪い狐が出るって噂だからね」
 ショーコちゃんの家に帰るのに東の道は遠回りになります。
 わざわざ言われなくても用もないのに通りません。
「うん。わかった」
 ショーコちゃんは走り出しました。
 
 
 そして、ショーコちゃんの前に分かれ道がありました。
 左に進めば真っ直ぐに帰る道です。
 右に進めば……東の回り道です。
 ダメだと言われると東の道がどうしても気になるショーコちゃんです。
 悪い狐……それはどんな狐なのか。
 でも、おばあちゃんには通っちゃダメだと言われました。
 そう。言っていたのです。
 へそ曲がりの暴れん坊だと言われるショーコちゃんに言ったのです。
 当然、ショーコちゃんは東の道を選び、力強く走り出します。
 嬉しそうな笑顔を浮かべて。
 
 
 東の道を少し行くと原っぱに出ました。
 その原っぱに双子の男の子がいました。
 同じ顔で、体格も同じです。
 ショーコちゃんは立ち止まり、じっと双子を見ます。
「なんだよ」
「君たち、双子?」
「ちがうよ」
 男の子は交互に言います。
「じゃ、兄弟?」
「ちがうよ」
「うそ。おなじ顔じゃん」
「そうだね。おなじだね」
「でも、ちがうよ」
「じゃ、親戚かなにか?」
「ちがう」
「ちがうね」
 じっと考えて、ショーコちゃんは聞きました。
「……キツネ、なの?」
「どっちが?」
「どっちがきつねにみえる」
 ショーコちゃんは右の方にいる子を指差しました。
「そっち。そっちの子がキツネだ」
「はずれ」
「ざ〜んねん」
「じゃ、こっちの子?」
「はずれだね」
「ぜんぜん、まとはずれだね」
 二人はそれぞれが狐であることを否定します。
「せいかい、しりたい?」
「うぅん。興味ない」
「ええ、どうしてさ」
「だって、どっちもキツネじゃないんでしょ」
 ショーコちゃんの言葉を聞き、二人の男の子はにんまりと笑いました。
「やっぱり」
「このていどなんだね」
「なにがよっ。なにが言いたいのよ」
 二人の男の子は声をそろえて言いました。
「「せいかいは……どっちもきつねでしたぁぁああ!!!」」
 ど〜んと大きな音がして二人の男の子の姿はお化けに変わります。
 大きな牛の頭の鬼と大きな馬の頭の鬼に。
 ショーコちゃんはぽか〜んと見ています。
「どうだ。牛頭だぞぉ!」
「どうだ。馬頭だぞぉ!」
 ショーコちゃんは首を傾げ、ぽつりと言います。
「……なに、それ?」
 知らないお化けだったので、ショーコちゃんは驚くより不思議な感じがしました。
「いや、牛頭馬頭って知らない?」
「牛頭馬頭、知ってるよね?」
 ショーコちゃんは大きく頭を振ります。
「知らない」
「……ちょっと待ってね」
 牛の頭と馬の頭は背中を向けて作戦会議です。
 どうするよ、牛頭馬頭知らないって。
 もう最近の子は知らないのかなぁ?
 時代なのかな?って、どうするよ。
 でも、また化けて知らなかったらどうするよ。
「ねえねえ。じゃ、もっと小さいのに化けてよ。ネズミとか」
「やだね。ネズミに化けたら踏み潰す気だろ」
「そ、そんなことしないよ?」
「どっち見て喋ってんだよ」
 それよりどうする?
 二回っていうか、連続は不味いと思うんだ。
 確かに、連続は不味いな。
 だから、リクエストしてみようぜ。
 ネズミか?
 いや、ネズミじゃなくて、もっとこうでかくて格好良いのをさ。
「なぁ、じゃあ何が怖い?」
「……まんじゅう?」
「じゃなくて、何か妖怪で怖くて格好良いの!」
 注文の多い狐です。
「じゃ、天狗」
「よし、天狗だな」
「わかった。天狗だね」
 ど〜んと変身して、二人は思い出しました。
 この山は天狗のテリトリーで、そこで天狗に化けるということは……
「こらぁぁあ!!天狗に化けるとは何事じゃぁぁあああ!!!」
 大きな旋風が起こり、化け天狗とショーコちゃんは空に巻き上げられました。
「きゃぁぁああああ」
「うわぁぁおあああ」
「ひょぉぉおおおお」
 そして、そっと地面に下ろしてくれました。
「化けて人間を脅かすのはいいが、天狗に化けたらいかんぞぃ」
 葉っぱの扇を持った天狗が空に浮かんでいました。
「すっげぇ、本物の天狗だ」
 ショーコちゃんは驚きました。
「すみませ〜ん」
「ごめんなさい」
 狐は最初の子供の姿に戻っています。
「ね、ね。もう一回。もう一回、さっきのびゅ〜んてのやってよ」
「な!?」
「あ、いいな」
「ぼくもぼくも」
 やってーやってーと大騒ぎです。
「やっかましいわっ!!」
 旋風でびゅ〜んです。そして、ふわっと下ろしてくれます。
 意外と優しい天狗さんです。
「ほ〜れほれ、これならどうじゃ!」
 どぎゅるぎゅる〜ん。上下左右滅茶苦茶に振り回されます。
「うははははは。これならどうじゃぃ」
「あははははは」
「目が回る〜」
「……気持ち悪い」
 天狗と二匹の子ぎつね、それにショーコちゃんは時間を忘れて遊びました。
 
 
 そして、日が大きく傾きだして、ショーコちゃんはお遣いの途中だったことを思い出しました。
「あぁ、あたしはやく家に帰らないと!」
「ん、どうしたのぢゃ?」
「おつかいの途中だったの。もう夕方だ」
 ショーコちゃんは泣きそうになりました。
「そうかぃ。だがな、嬢ちゃんや……わしゃ、天狗ぢゃぞい」
「え?」
 驚いてるショーコちゃんの前で、天狗はグッと腰を落とします。
「嬢ちゃんを家まで送るなぞ御茶の子さいさいぢゃいっ!!」
 いままで一番強い旋風がショーコちゃんと子ぎつねを巻き上げます。
「うはははははは。今日は楽しかったぞい」
「きゃぁぁぁぁああああっ」
「うわぁぁぁぁああああっ」
「うっひょうぉおおおおっ」
 あっと言う間にショーコちゃんと子ぎつねたちは空の彼方です。
 
 
 気が付けばショーコちゃんと子ぎつねはお家の前に佇んでました。
「え?」
 さっきまで原っぱで遊んでいたのに、夢でも見てような不思議な感じです。
 でも、夢じゃない証拠に子ぎつねがここに、
「あれ、いない?」
 子ぎつねの姿はどこにもありません。
 ショーコちゃんは首を傾げながら玄関を開けます。
「ただいまぁ」
「もう遅かったじゃない。どっかで寄り道でもしてたんでしょ」
 台所からお母さんが手を拭きながら出てきます。
「寄り道、してないよ」
 でも、そんな言葉を無視してお母さんは買い物かごを受け取ります。
「きゃぁぁああああっ!?」
 お母さんが大きな声を出したので、ショーコちゃんは驚きました。
「なにこれ?なんなの??」
 お母さんが買い物かごから出した牛乳は白い塊になってました。
「なに、それ?」
 おばあちゃんの家で見たときは普通の牛乳でした。
 いったい何があったのでしょう。
 でも、どこかで見たような。とショーコちゃんは蓋を外してクンクンと匂いを嗅ぎます。
「あれ、これって」
 と、少しだけ指ですくってみます。
 それをパクッと食べます。
「ちょっとやめ」
「これ、ヨーグルトだよ」
「え?」
 おばあちゃんの牛乳はいつの間にかヨーグルトに変わってました。
 でも、確かに牛乳をビンに詰めるのをショーコちゃんは見ました。
 それがどうしてヨーグルトに変わっているのでしょうか?
「もうどうするのよ。シチューの材料切っちゃったのに」
「え?シチュー??」
 おばあちゃんの牛乳を使ったホワイトシチューはショーコちゃんの大好物です。
「ヨ、ヨーグルトでシチューは……無理です?」
「出来るわけないでしょ。もうどうしよう」
 お母さんは座り込んでヨーグルトの容器を抱きしめています。
 でも、どこで牛乳がヨーグルトになったしまったのでしょうか?
 ショーコちゃんは全く理解できませんでした。
 牛乳はしっかり手に持っていたし、もしかしたら……天狗の妖術?
 
 
 晩ご飯の後、お風呂も終わり、ショーコちゃんは猫のタマと縁側で月を見ています。
 不思議な子ぎつね達も庭で一緒に月を見ています。
 手には、おばあちゃんのヨーグルトが入った器があります。
 おばあちゃんのヨーグルトは、甘くて、酸っぱくて、ちょっと大人の味がしました。
 
 
 
 
                                     終わり