scene-14
 
 
 以外にも出口側は廃墟のような雑居ビルだった。いや、ここは予想通りと言うべきだろうか?
 出口は、出島に掛かる唯一の橋から通りを一本隔てただけの場所にあった。
 僕の隠れていた公園が出島の反対側の端にあったんだから、時間的に考えて、出口の場所はこんなものなのかも知れない。
 もっとも、地下を歩いていた時間は判然としないんだけど……。
 雑居ビルから路地裏のような細い路地を真っ直ぐ進み、やや太い小川に出る。いや、これは小川っていうよりも水路か?
 この水路を隔てた向こう側には小学校が見えている。
 これで向こうに見えてるのが城とかだったら、ここに流れてるのは水堀だと思ってたところだ。
 いや、城跡に学校を立てるとかよくあるし水堀ってのは案外正解かもな。
 足を止め、僕は夜の学校に目を向ける。
 学校……小学校であってるよな?
 でも、木造の二階建ての学校ってありなのか?その校舎の厚みも薄いし、どこかに新校舎でもあるのかと思ったが、どこにもそれらしい建物は見当たらない。
 水堀の反対側には門とかフェンスとかは無く、小さな堤防っぽい土手があるだけだった。
 その土手の中の敷地の大半を占めるグランド。そして、そのグランドの周囲を飾る遊具たち。
 暗くてよく見えないけど、滑り台とか鉄棒とかブランコとか……やたら懐かしい定番の遊具があるのが見て取れる。
 さすがにもう滑り台で遊ぼうとは思わないけど、ブランコぐらいなら、まぁ、座るだけならいいか知れない。
「何してんだ?……行くぞ」
 人がノスタルジックに浸っているのに、空気を読まない朽木が先を急がせるように振り返り言う。
「へいへい」
 呟くように言い、僕は再び歩き出す。
 そういや、ここって出島の外だよな?何で、ゾンビが一匹もいないんだ?
「なぁ、朽木」
「ん?」
 朽木は前を向いたままだ。その動きは全く緊張をしていないように見える。やはり、どこかおかしい。
「何で、ゾンビに出会わないんだ?」
「さっきの路地か?まぁ、たまたま……じゃないのか」
「いや、路地もだけど、この水路沿いもいないじゃん」
 そう言った瞬間、ピタッと動きを止め、朽木は形容し難い顔で振り返る。
 何だよ、その表情。
「お前、ハブられてたのか?ってか、ある程度の情報は苛められっ子でも集められるだろ?」
 はぁ、何を言ってるんだ?
 分かり易い溜息を吐き、朽木は身体をこっちに向け言う。
「ゾンビは水を嫌うんだよ。そりゃ、水溜り程度のじゃダメだけど、公園の噴水ぐらいあれば多少は避けれるんじゃねえのか」
 っていうか、と朽木は続ける。
「普通に考えれば分かるだろ?出島はあの橋一本でゾンビの侵入を阻んでるんだぜ。水が平気なゾンビだったら、そこら中から侵入し放題だろ」
「いや、ちょっと待てよ。ゾンビが水を嫌ってるなんて聞いたことないぞ」
 僕の言葉を聞き、朽木は雨に濡れた捨て犬を見るような瞳を向ける。
「だから、周りのヤツに無視されてたのかよって言ってるんだよ。っていうか、ごめんな。やっぱ、その……新しい環境に慣れるまで一緒に居なかった俺の所為なのかな?」
「うるせえよっ!何だよ、それ。何でいきなりいい人になるんだよ。こっち、見るんじゃねえよ。僕は苛められっ子じゃねえって言ってるだろっ!!!そんな目で僕を見るな

よっ!」
 目を逸らす僕に近付き、肩に手を置いて朽木は優しく語り掛ける。
「ごめん、な」
「うがぁぁぁあああっ!!!!」
 同情的な空気に耐え切れず、僕は滅茶苦茶に暴れ出す。
「はっはっはっ。怒るな、怒るな」
「うるせえっ!ぶち殺す!お前を殺して僕はここで死ぬ!!!」
「何でそうなるんだよ」
 死体袋を担いだまま朽木は器用に僕のナイフを避ける。ってか、逃げるな!
「冗談だよ、冗談。ゾンビが水を嫌うのは一般の生徒は知らないんだよ。知ってるのは俺の仲間だけでって危ねえっ」
うるさいうるさいうるさい。それこそ嘘だろっ!本当は皆知ってるんだ。そうに決まってる。僕は苛められっ子でハブられてて便所飯が似合う、いらない子なんだぁ!!」
 朽木は動きを止めて言う。
「便所飯って久しぶりに聞いたな」
「うるさいっ!黙れ、殺す!!」
 いつの間にか僕は朽木を追いながら泣いていた。涙を拭い、朽木を追い、喚きながらナイフを振り回す。
「は、はは。いい加減にしろよ。もう」
 よろけ、水路の小さな堤防に座り込む。
 涙はいつまでも止まらなかった。空に目を向けるけど星は見えない。夏実さんの事はまだ思い出せるけど、重苦しい罪悪感は感じる事は無かった。
 これが今の状況に慣れた結果なのか改竄の結果なのかは、僕にはわからなかった。
 だけど、僕はこのままで終わらせる気はなかった。
 溢れ、零れる涙を拭う。
 僕は……少なくともこれを画策したヤツを殺してやると決めていた。
 その為に僕はここに来たんだ。こいつの誘いに乗ったんだ。それだけは絶対に忘れちゃいけないんだ。
 涙で歪んだ世界の向こうで、石柱の横に立つ朽木が見える。
「……泣くなよ、便所飯」
「うっせえ。ってか、便所飯なんかしたことねえし」
 そっか、と朽木はあっさり認める。認めるが、その優しげな表情が鬱陶しい。心底、ウザい。
「んでさ、泣き終わったらでいいんだけど、そこの窪みにクランクが落ちてるんだわ」
「クランク?」
 窪みを見ようと僕は立ち上がり、朽木の方へ歩いて行く。
「あるだろ?それをここの石柱に突き刺して回してくれ」
「何で僕が?」
 僕は素で朽木に聞く。
「俺は荷物で手が塞がってる」
「じゃ、僕がその荷物を……いや、何でもない。クランクをどこに合わせればいいんだ?」
 小間使いじゃあるまいし、何で朽木の言う事ばっかり聞かないといけないんだ、と思ったが……死体袋を担ぐ度胸は僕にはなかった。
 二度、三度とクランクを回すと水路の水が流れ込む音が、どこかから聞こえて来た。ってか、この下か?
 思った瞬間には、もう渡り廊下のような通路が水面から浮き上がっていた。
 黙ったまま朽木はその通路の上を歩いて行く。
「あ、クランクは元の窪みに戻してくれよ。無くすと大変だからな」
 クランクを窪みに戻し、朽木の後を追う。
 水路の奥に行くと朽木はまた「そこの窪みにクランクが、以下略」とかふざけた事を言いやがった。が、素直に言う事を聞く。
 今度は、ゴン、ゴン、ゴン、と徐々に通路は水路の中に沈んで行く。
「何か、昔にこんなゲームした事があったな」
「あー、あったなぁ。ってか、クランク+隠し階段とか扉とか定番じゃなかったか?」
「アクション系のゲームで使われてたんじゃなかったっけ?」
「俺はRPGだったな」
 奇妙なノスタルジックがそこにはあった。そういや、ゲーム機とか出て来てもいい頃だよな。
 いや、でも……そんな噂は聞かないし。ファミレスとコンビニ、ゲーム機って同時期だったはずだけど、何でゲーム機だけ出て来てないんだ。
 それともアレか。僕がハブられててゲーム情報とかが入って来なかっただけなのか?
「どうした?」
「いや、ちょっと気になって。あのさ、最近……ゲームって、し、してる?のかなぁって、気になってさ」
 はは、と渇いた声で笑う。
「はぁ?ゲーム機の事か?知っての通りゲーム機は普及してないだ、ろって、お前」
 朽木は僕に目を向け、思い出したようにはっとする。
「だから、さっきのハブられてるってのは冗談だって。何を真面目に考えてるんだ」
 僕は黙ったままそっぽを向く。
「とにかく、その辺も一緒に詳しく説明してやるから。もう目的地に着いてるんだし、無駄な立ち話は止めて、取り敢えず腰を落ち着けようぜ」
 言いながら朽木は背後の校舎を指し示す。
「もうここは俺達の隠れ家……学校なんだぜ」
 
 
 木造二階建ての校舎は、正面に両扉と左右の端に引き戸の小さな戸が付いていた。
 左右の扉が学童用で正面が教師用ってとこかな。
 朽木は遠慮もなく正面から入り、僕もそれに続く。
 ってか、こっちから入ってもいいのか。いや、誰も使ってないってのは分かってるけど、何て言うか……場所が場所だけに、悪い事をしている気持ちにさせられる。
 正面玄関で来客用のスリッパに履き替える。ちなみに朽木は玄関に脱ぎ捨ててあった自分用の上履きを突っ掛けている。
 踵を踏み潰してペッタラペッタラ歩くその姿は……はっきり言って、見苦しかった。
 しかし、隠れ家と言うだけあって勝手知ったる感じだな。ってか、他に使ってる人とかいないみたいだった。上履きも出しっ放しだったし。いや、他の人は案外ちゃんとし

ているかも。
「朽木。ここって他の人とか使ってないのか?」
「んな訳あるか。今日は空けてあるが、普段ならそこそこの人数がいるよ」
 ふむ。つまり、こいつがだらしないだけなんだな。
 廊下を突き進んだ先で朽木は足を止める。この先はトイレと階段になってて、更にその奥には土間があり、学童用の昇降口があるんだろう。
「ま、取り敢えずはお前の住む場所が、ここ……保健室だ」
 明かりの消えた保健室に入り、朽木は肩に担いだ死体袋を無造作に落とす。
「ふぅ、やっと解放されたぜ。と、忘れる前に」
 前を向いたまま蛍光灯のスイッチを入れ、朽木はポケットから筒状の何かを出す。
「目を潰すぞ。向こうを向いてろ」
 死体袋の頭部に筒状のもので押え、朽木は右腕で自分の目を覆っている。って、ちょ、おま――
 咄嗟に両手を目の前で交差させる。と、同時にドン!!!と破壊的な大音響が響き渡った。
「ス……スタンガン、なのか?」
「ハンドメイドだけどな。そろそろ蘇生しそうな感じだったし、まぁ念の為だよ」
「いや、強力過ぎるだろ。ったく、象でも感電死させれるんじゃないのか」
 ふっと自嘲気味に朽木は笑う。
「象みたいに可愛げがあるばいいけどな。……見ろよ」
 言いながら、死体袋のジッパーを下げる。
「そんな悪趣味なもんは見たくないよ」
 ブスブスと煙を上げる死体を想像して僕は背中を向ける。が、あれ、なんで?何も臭わないんだ???
 いつまで待っても空気に異質なものは混じって来ない。
 どういう事だ?
 僕は不振に思い、振り返り、そして……見る。
 スタンガンのショックでだろう。朽木の下ろしたジッパーの横が引き攣れたように破れていた。
 あれだけの電撃が落ちたんだ。当たり前だ。でも、その奥の死体は?
 何も変わらなかった。いや、違う。銃創がどこにもなかった。銃創どころか、一滴の血痕さえなかった。
 黙ったまま朽木はジッパーを下ろしていく。
 銃撃の痕はどこにもなかった。もちろん、スタンガンの攻撃の痕跡もなかった。
「取り敢えずは、生命活動は停止してるっぽいからいいんだけど」
 朽木は風紀委員の死体を俯せで保健室のベッドに寝かせる。
「あれでこいつが生きてたら、袋を開けた瞬間に……ガブッだからな」
 両腕を上に上げさせ、手錠でヘッドボードの鉄柵に固定する。足は左右に開いた状態で鉄柵に固定する。
「実際にいたんぜ、喰われたやつ」
 朽木は一仕事終えたように肩を叩きながら振り返る。
「いや、っていうかさ、お前」
 僕は半歩下がって変態を見るような目で朽木は見る。いや、はっきり言おう。こいつは変態だ。
「その娘をどうする気だよ」
「は?娘???」
 こいつらと風紀委員の間にどんな確執があったかは知らねえ。だが、目の前でこの変態野郎が
「いやいやいやいや、ないないないない」
 朽木は顔を高速で振り、手も壊れたメトロノームみたいに振って否定する。
「んな元気はねえっての。そもそもよく考えてみろよ。お前は何歳で死んだか知らねえけど、俺は95歳で死んだんだぞ」
 ベッドから離れながら朽木は言う。
「んな性欲枯れ果ててるつーの。ってか、ここに居るやつの大半はそうなんじゃねえのか。異性にモテたいって言っても、特定の誰かにチヤホヤされたいってだけで、欲情す

る奴なんかほとんどいないだろ」
 流し台の前で「コーヒーでいいか?」と朽木は聞く。
「で、お前はどうなんだよ」
「あ、僕はブラックで」
「違う。……やっぱ、まだ女子にモテたいとかあるのか?」
「あ、そっちか。僕は女子に興味は無かったな」
「ホモか?」
 朽木がカマっぽく手で口元を隠す。
「殺すぞ。お前みたいに長生きじゃないけど、僕もそれなりの歳で死んでるんだ。だから、性欲が無い感覚はわかるよ」
「それに恋愛関係は風紀委員が目を光らせてるしな」
 僕の言葉を引き継ぐように朽木が口を挿んだ。
「そうなのか?」
 マッチを使いながらコンロの火を点ける。
「知らなかったのか?」
「でも、不純異性交遊が禁止って、中高生じゃ当たり前だろ?」
「ん〜……説明し難いが、不純じゃなくても好き好き言い合ってたら風紀委員に連行されるんじゃねえか?」
「いや、それって不純異性交遊じゃないのか?」
「だから、性的な触れ合いだけじゃなく純愛もアウトだって言ってんだよ」
 あ!
「永遠に変わる事のない世界で、心から愛する人と出会えたらどう思う?」
「まぁ……天国かな」
「ここは地獄だって。ほれ、コーヒー。ミルクと砂糖あるけど、本当にいらないのか?」
「いらねえっての」
 僕は朽木の手からマグカップを受け取る。そういや、ずっと飲まず食わずだったよな。
 コクッとコーヒーを飲み、
「っぶべっ!??」
 あまりの不味さに僕は吐き出しそうになる。
「手前、何を入れやがった!!」
「コーヒーだけど?」
 朽木はコーヒーを一口飲み、不思議そうに首を傾げる。
 コーヒー?これが???いや、あり得ないだろ?
「やっぱミルクと砂糖いるか?」
 何だよ、その同情的な目は!まるで格好付けたい年頃の子供を見るような目は!!
 僕は無理をしてブラックでとか言ってないぞ。くそっ、と僕はもう一口コーヒーを飲む。……やっぱ、不味い。
「さとて」
 ちらっと朽木はベッドの方に目を向ける。
「何もかも話してやる約束だったな。どうする?お前からの質問に答えるか、俺が知ってる事を好き勝手に話すかどっちがいい?」
「お前が先に好き勝手に話をして、僕が後で気になったところを質問するのがいいな。お前は僕が聞かなかったら、それで通しそうだからな」
「それが質問をする者の態度かね?」
 
 まぁ、いい。じゃ、勝手に喋らせて貰うが……あまり話の腰は折ってくれるなよ。
 先ず、お前が一番知りたいであろう。お前に切り裂きジャックの模倣をさせたヤツの正体だが、それを話す前に一つ前置きをさせてくれ。
 これはある人物の推測であるという事を、いや、だから最初に言っただろ。推測や可能性ばっかりの話になるって。
 ところで、お前は三つ子って同時に生まれると思うか?
 一卵性の三つ子の場合だ。
 ふむ。まぁ、母親の腹から生まれるには順番があるからな。だが、生命の生まれた瞬間……三つ子の卵子がまだ別れる前、受精卵になったその瞬間が三つ子の生まれた時だ

としたら?
 三人は同時に生まれると言えるんじゃないか?
 確かに、そう言えば言えるだろう、だ。
 そして、その三つ子が同時に死ねば?
 まぁ、待てよ。
 これは実際にあった話なんだ。
 三つ子は十八になった時に時の権力者に捕えられたんだよ。罪状は……今で言えば、内乱の首謀者かな。そして打ち首の刑になった。ただ誰が本物の首謀者か権力者には判

らなかった。
 だから、三つ子は同時に首を落とされた。
 死亡時にどれだけのタイムラグがあったのか知らない。もしかしたら一瞬の差異も無く殺されたのかも知れない。
 だが考えてくれ。
 同時に生まれた同じ遺伝子を持った三人。そして、同時に死んだ三人。
 神のプログラムは……それを一人と認識した。
 だから、話の腰を折らないでくれよ。
 あれば、の話だよ。神のプログラムみたいな物があれば、それは誤作動を起こしたんだ。三人を一人として認識してしまった。
 そして、三人は同じく地獄に堕ちた。
 勿論、堕ちた地獄はここ以外にあり得ない。
 それに三百年前のここは……正に地獄だったらしい。
 だから、もうちょっと黙っててくれよ。後で質問するって言ったじゃねえかよ。後。後。後にしてくれ。
 三人が手にしていたのは、それぞれ一振りずつの太刀だけ。
 当時はまだ拳銃なんて無かったからな。
 だが、太刀だけでゾンビ達と戦えるだろうか?答えは、否だよ。
 三人はひたすらに逃げたそうだ。そして、一人は……逃げ遅れてしまった。ゾンビに捕まり喰われてしまった。
 喰われ、助けを乞う三つ子の一人を……残し、二人はその場を逃げた。
 そして、神のプログラムは本格的に壊れた。
 喰われ、殺されたヤツと、逃げて、生き延びたヤツと……同時に存在していると判断した。
 そう判断したんだ。
 この致命的なバグを修正する術は、地獄には無かった。
 結果、生きていると同時に死んでいる存在が生まれた。
 ゾンビとは違う……屍鬼が生まれてしまった。
 生き残った二人は救いを求めた。神の子として生まれたはずの自分が何故に地獄に堕ちねばならぬのかと。
 そして、二人は出島に出会う。
 元々そこにあったのか、新たにそこに作られたのかは知らないが、二人は獄卒に保護された。
 二人の藤堂史郎時貞は……生きて、出島に迎え入れられたんだ。
 外で喰われ、屍鬼となったヤツは未だに死に切れずに今もこの地獄を彷徨っている。
 そう……『断罪の執行者』が、その一人だ。
 藤堂史郎時貞、那々志、断罪の執行者の三人が神のプログラムを狂わせた張本人だ。ま、自覚は無かったんだろうがな。
 
「眉唾、と言いたそうな顔だな」
 趣味の悪い冗談を言った後のように口を歪めて朽木は笑う。
「いや、この地獄がどうやって出来たのかとか藤堂が三つ子だろうが、僕にはどうでもいいんだよ」
 僕は頭痛を抑えるように額を撫ぜる。この不味いコーヒーのせいで本格的に頭痛がしそうだった。
「僕が知りたいのは、僕を嵌めたヤツ……僕に切り裂きジャックの真似をさせて、夏実さんを殺させたヤツの名前だ」
「案外、察しが悪いな。いや、それだけヤツと親しくしていたって事か?」
「何が言いたいんだ?」
 手に持ったコーヒーを一口啜り、あっさりと朽木はその名を語る。
「藤堂史郎時貞だよ」
 
 普通は話の流れでわかるだろ?
 藤堂史郎時貞がお前を嵌めたんだよ。ま、本人に自覚はないだろうけどな。
 そもそも、お前が変になったのは何時だ?
 そう、今朝の登校時に会わないはずの同級生に会ってしまったからだ。
 ヒトガタ達は、ここまで来て死んだ者たちだと知るのは……もっと後になるはずだった。
 誰も教えない……口にしないからな。
 何年も、何十年も経ち、ふと気付くんだよ。死んだはずのあいつがそこにいる事にな。
 そして、あぁ、そうなんだと納得する。出来るんだ。
 なのに、お前は一年も経たずに、ここで死んだ同級生に出会った。
 出会い、疑心暗鬼になる。ここでの死に疑問を覚える。
 死は、安らぎではなく拷問なのかと自問する。
 自問しても答えなんか出ないのにな。生きてた頃にも答えなんか出なかっただろ?
 だが答えを求めたお前は……結果、佐々木夏実を殺害してしまう。
 そして、逃げ出したお前を風紀委員が保護するってのが……シナリオだったんだろうな。
 ん、気分が悪いのか?
 そうか、なら……いいが。
 ま、そういったシナリオだったんだろうな。
 だが、ここで藤堂が怪しいという証拠みたいなものを上げてみようか。
 先ずは、お前の会った同級生だ。
 出島に保護された生徒は、全員、藤堂と出会う事になる。
 お前もここに来たときに藤堂と会っただろ?あれは必ず全員がやられているんだ。
 つまり、藤堂は全校生徒の顔を知っている。
 お前に同級生を会わせるのもヤツの采配次第だと言える。
 そして、次に……何故、いま「切り裂きジャック」なんだという問題だな。
 1800年代の事件を現代の再現させる?
 実は……去年に「切り裂きジャック」を題材にした書物が売れたんだよ。
 いやいやいや、落ち着けって。冗談じゃねえよって、それこそマジな話なんだって。
 とにかく、藤堂は書物を読み、知りたくなったんだ。切り裂きジャックをな。
 ん?藤堂が普段読んでいるのはエロ小説しか見たことがない?
 ……………………ま、書物が売れ、それに興味を持ったんだ。
 そして、逃げ出したお前を……おい、大丈夫か?
 
「え?」
 朽木に言われ、僕は手に持ったカップを傾けてしまっていた事に気付く。
「す、すまない。なにか拭くもの……あ、れ?」
 椅子から立とうとして、僕は不意にバランスを崩す。
 倒れた僕を見下ろし、朽木は口の端を歪め笑う。
「風紀委員の胃が移植されてるって話だったからな……口腔内からの麻酔ってのを試してみたんだが」
 朽木は淀みない仕草で床に落ちたカップを拾う。
「よくあんな不味そうなものを飲めたな」
「おにゃ、にゃいぉにょみゃえあ」
「わかんねえよ。けど、寝てた方がいいと思うぜ。見てて気持ちのいいもんでもねえし」
 床に倒れたまま僕は大きく息を吸った。
 朽木は……僕ではなく、保健室のベッドに、風紀委員を縛り付けたベッドに向かっ
 
 
 顔の上に小さな水滴が落ちた。
 眠りを妨げる冷たさ……いや、それは、暖かいのか?
 わずかに開いた目に映る血まみれの手と……手術用のメス?
「起きるな。……まだ寝てろ」
 朽木の珍しく優しい声を聴きながら、僕は素直に目を閉じる。
 顔に触れる手の感触を、素直に僕は気持ちいいと思っていた。