in the rain
 
 
久しぶりの雨だった。
こんな日は一日ごろごろしてるのが良いと思うんだが、萌奈は俺を家から無理やり連れ出すように出掛けようと言った。
傘嫌いな俺に寄り添い、萌奈は二人が濡れないように傘を差す。
ここ数日、萌奈は口数が少なかった。機嫌が悪くなるようなことをした記憶は無いし、悩みがある風でもない。単に萌奈から話し掛けてくることが少なくなっただけだ。が、以前は、もう勘弁してくれよと言いたくなるほど喋り続けいたから、普通じゃないのは確かだろう。
付き合いだして、もうすぐ5年になる。萌奈も今年で28になる。
お互いの性格もわかってるし、そろそろ結婚か別れるか決めなければいけない時期なんだろう。あんがい田舎から見合いの話でも来てるのかもな。
ちらっと横を歩く萌奈の顔を見る。
付き合いだした当時の面影を残したまま、大人びた顔になったと思う。
萌奈は……良い嫁さんになると思うが、俺自身はまだ結婚とか言われてもいまいち実感が湧かない。
「ね……」
 萌奈がぽつりと言った。
「ん?」
「前から聞きたかったんだけど……」
「なんだよ」
「義児くんのケータイのアドレスの名前は苗字しか入ってないの?」
「あー……名前まで入れるの面倒だから、かな」
「ふぅん」
 苗字しか入れてない理由は他にもあるが、それは萌奈には言えない。
「義児くん……休みの日とか家にいないよね?一緒にいると出掛けるの、すっごい嫌がるのに」
「ん」
 これも詳しい事情を話すわけにはいかない。付き合いだして5年もなると、言えないことがいっぱい増えてくるんだよ、萌奈。
「美香が教えてくれたんだけど……」
「ん……」
「義児くんが……先週の木曜日、他の子とデートしてたって」
「へ?」
 萌奈は歩くのをやめ、じっと俺を見る。そして、ゆっくりと傘を下ろし……閉じる。
静かな雨が俺を萌奈を濡らす。
その雨よりも静かな目で萌奈は俺を見ていた。
「ね……いま、何人の子と付き合ってるの?」
「いや、何人って……お前、俺が浮気してると思ってるのか?」
「……答えて」
 真剣な萌奈の目から逃げるように、俺は視線を逸らす。……と、バシィと派手な音を立てて、萌奈の傘が俺の頭頂部に叩き落された。
「な!?痛いだろ?」
「うっさい!」
 萌奈は両手で傘を剣のように持ち、渋柿でも食べたように口元を歪め、怒りに燃える目で俺を見ていた。
「なんで浮気とかするんだよ!?」
「いや、だから……誤解だって。出掛けてたら、たまたま会社の子がいて……」
「会社の子がいたから、一緒にホテルに行ったの!?」
 うわぁ。
「義児くんがあたしと別れたいって言うなら仕方ないけど……浮気は絶対に許さないよ」
「許さないよって……傘で百叩きでもする気かよ」
「……刺す」
「刺すなよ!」
「じゃ、切り落とす」
「どこを!?」
 萌奈はゆっくりと傘を動かし、俺の股間を指した。
「ちょ、おま、それはやめろ」
「じゃ、もう浮気とかしない?」
「だから、いまもしてないって」
 ぶん!と風を切って傘が振り下ろされたが、俺はそれをさっと避ける。
「避けないでよ」
「普通は避けるだろ!っていうか、お前、いま本気で殴ろうとしただろ!?」
「ホテルまで行ってて、浮気してないとか言うからだよ」
「だから、人違いとか見間違いとかあるだろ?」
 萌奈は傘を持ち替えると、バッグから自分のケータイを出して操作する。そして、真っ直ぐにそれを俺に向けてきた。
ケータイの液晶画面には……会社の子の肩を抱き、ホテルへと入っていく俺の姿が鮮明に写っていた。
「美香がメールで送ってくれたの」
 いらん事するなよ。ってか、嫌な時代になったものだ。
「あー……ごめん。俺が悪かった」
「浮気してたの認めるの?」
「うん。……してた」
「浮気……だよね?本気で付き合ってる子が他にいるとかじゃないよね?」
「うん」
「ちゃんと……その子と別れられるの?」
「向こうも浮気って言ってたから、問題ないはず」
「ふぅん。……じゃ、もう浮気しない?」
「うん」
「ほんとにしない?」
「うん」
「他の悪いこともしない?」
「一緒に実家に帰ってくれる?」
「うん」
 え?
「いま……なんて言った?」
「一緒に実家に帰ってくれる?って聞いたの」
「……」
「先週ね、お母さんがそろそろこっちに帰ってきて、落ち着きなさいって電話してきたの」
「それって……」
「うん。お見合いしろって」
「なんて返事したんだ?」
「ちょっと考えさせてって……」
「……」
「だって、義児くん浮気してるし……結婚の約束とかしてくれないし」
 ま、確かにその通りだけど……。
「義児くんが嫌なら……あたし、実家に帰って、お見合いしちゃうよ」
「わかった。そっちの両親に会いに行くから、ちゃんと結婚を前提に付き合ってる人がいるって言っといてくれ」
「ほんとに!?」
「ほんとに。俺の親にも今日のうちに電話しとくよ」
「じゃ、一つだけ約束して」
「ん?」
「浮気はしても、他の子に絶対に本気にならないって」
「それって、浮気はOKってこ……」
 最後まで言う前に、俺は萌奈に傘で殴り付けられた。が、それは怒りよりも笑いのほうが勝っていた。
 俺はその場を逃げ出し、傘を振りかざして萌奈が追い掛けてくる。
 逃げながら、久しぶりに笑っている萌奈を、やっぱり可愛いと思っている俺がいた。