残暑お見舞い申し上げます。
 
 
 私の前に一匹の猫がいた。細身な三毛猫で、首輪はしていないが、どことなく家猫な風情を感じさせる猫だった。
 人に慣れた目をして、私を見上げているから、そう思ったのかもしれない。
 美猫と言うには、やや顔が丸く、目も垂れているように思うが……可愛いから良しとしよう。
 私はジーパンの後ろポケットにいつも差している携帯電話を出し、猫に向けた。
 かしゃん。機械音で作られたシャッター音は、セミの鳴き声に押され、やたら小さく聞こえた。
 さて、問題はこの後である。
 私は「逃げない猫は絶対に抱き上げる主義者」である。それが原因で、過去に何度ノミを移されただろうか?
 いや、それはいい。なんの問題も無い。
 私に移った分、猫がノミに食われる回数が減るなら、望むところだ。
 問題なのは、この暑さだった。
 立っているだけで、額に汗が浮かび、頬を滑り落ちていく。
 すぐ近くを車が通っても、その排気音よりもセミの声のほうが五月蝿いほどだった。
 わずか一週間しかない命なのに、「さっさと死ねばいいのに」と思ってしまうほど暑かったりする。
 私も暑いが、この猫も暑いに違いない。私が抱き上げることで、猫の不快指数は何%上がるのだろうか?
 私は猫の前にしゃがみ、膝の上で組んだ手の上に顎を置く。
「暑いね」
 猫は返事をする代わりに、尻尾を一度だけ左右に振る。
「いまから、どっか行くの?」
 手をほどき、指先を離し掛けながら猫に向ける。猫はその場で顔だけを前に出し、「ん〜〜〜」と目を細める。
 可愛いぜ、チクショウ。
 そろそろ立ち止まっていられる時間が少なくなってきた。
 私は優しく猫の頭を撫ぜると、刺激しないように静かに立ち上がる。
 猫の前から擦れ違うように横に並ぶ。猫は私には何の興味も無いように、後ろ足で耳を掻いている。
 ここは、やっぱ次の逢瀬を待ちわびる恋人のように見詰め合いんだけどな。
 ちらっと猫が私のほうに視線を向けたので、私は指先をひらひらと動かし、「ばいばい♪」と言った。
 猫の横を通り、私は歩き出した。
 後で、振り返ってみると猫はもうどこかに行ってしまっていた。
「ここで一句」
 照れ隠しに声に出して私は言う。
「指先に 残る薫りを切なさに 唄に届けと触れるくちびる」
 実際に触れた指先は……ほんの少しだけ埃臭かった。