one coin.one drink.
 
 
 磨き終えたグラスをカウンターに置き、彼は次のグラスを手に取る。
 編み篭を模した暗い照明の下では、完璧に磨き上げたグラスもくすんで見えた。
 最初の客が来るまで、まだ数時間はある。その客の数倍は騒がしいアルバイトの娘たちが来るまで……それが彼の時間だった。
 店を開けるまでの、この静けさを彼は愛していた。
 昔は……彼がまだ年老いたと感じる以前は、客は生の音楽を要求したものだった。
 スィングとリズム。限られたプレイヤーだけが出せる本物の音。
 それが今では有線からの垂れ流しのラップに変わられている。
 自らをMCと名乗る若者を何度か雇ってはみたが……。彼らが本物のミュージシャンとは、彼には思えなかった。あれなら、垂れ流しの音楽で客を踊らせていたほうが儲かる。
 これも時代の流れ、というヤツだろう。
 時代の流れというヤツだけは、どうしようもない。性悪な娼婦のほうがまだマシってもんだ。
 口元に自嘲気味な笑みを浮かべ、彼は最後のグラスを磨き終えた。
 その昔、傷めた左足を引き摺りながらカウンターを出る。この足の痛みを忘れていた時代には、ホールの奥にいつもバンドセットが用意されていた。
 今はもう何もない。
 最後まで手放すことができなかったジャズ・ピアノも、今は倉庫の奥で、白いシーツの下で眠っている。
 長いこと調律されていないピアノは死んでしまう。
 そう思いながら、誰も触れることのないピアノを放置している。俺もあのピアノと同じなのだ。磨き上げ、調律して客の前に出せば、誰もが褒め称えるだろう。
 垂れ流しの音楽に満足する若造なら「Cool!」とか言って喜ぶだろう。
 だが、それだけだ。
 それ以上にも、それ以下にもなることはできない。
 照明を落とされたホールの中に立ち、彼は過ぎた時代を思い……小さく首を振る。
 どんなに時代が変わろうと自分の商売が変わることはない。
 ワン・コイン。ワン・ドリンク。
 娘たちが来れば、口汚くお喋りをしながら店の照明を点け回るだろう。そのお喋りに、いつものように好々爺然と耳を貸していれば、すぐにお客が来る時間になる。
 週末はまだ遠いが、今日も店は繁盛するだろう。
 緩めていた襟元を止め、ネクタイを直すと、彼は一筋の乱れもない白髪を両手で撫で付ける。ゆっくりとした足取りでカウンターに戻ると、ほんの少し顔を歪め中に入る。
 髪を触った手を水で洗い、ナプキンで抜き……それを足元のボックスに捨てる。
 すでに磨き終えたカウンターに両手を置き、誰にも真似のできない静かな柔らかい声で彼はこう言った。
 
 
「やぁ、ジャック。今日もご機嫌だな」